2010年02月01日
ボルネオ植林紀行15 ジャカルタ4
ボゴールの植物園、タマンサファリ、チボタス国立公園と、郊外での自然観察がメイン・・・
なのに・・・そんな日に限って、このツアーはじめての、朝からの雨模様・・・
ボルネオでは、乾季でも一日に二回程度スコールがあるかわり、雨季といっても、
一日あたりのスコールの回数が若干多くなって、曇り空が若干増えるだけで、
一日中ずっと雨が降るとゆーことは、雨季のこの時期でも、一度もありませんでした。
まあ、最近は異常気象で、おかしくなっているとかいってましたが・・・
こちらジャカルタ周辺はどうなんでしょう・・・
と心配しつつバスで出発、まずはボゴールに向かいました。
これが海の近くになると、見渡す限りの海老や魚の養殖場で、もとはマングローブの林・・・
もちろん、一千万人都市ですから開発も必要でしょうし、日本でも昔は都市近郊に里山という、
自然と人の暮らしが融合した世界がありましたが、今の都市近郊の里山は荒れ放題、
でも、開発と同時に保護や再生のできるところはやっておくべきで、もし国によって、
不足があるなら国際支援も必要、また植林ボランティアも、まだまだ出番はあると思いました。
と、この日はなんと、このS.A.まででカメラがギブアップ、まだ数枚しか撮ってないのに・・・
バッテリートラブルなのか、充電器のトラブルなのか、カメラ本体のトラブルなのか、
わたくしにはわからないところが苛立たしいとゆーか・・・ううっ
とゆー次第で、これ以降は、またG'zケータイのおまけカメラ画像であります。
スカルノ初代大統領がデヴィ夫人と過ごされたところ・・・
植物園の竹のエリア
熱帯雨林に多い、板根を持った巨木・・・たぶんフタバガキ科だったはず・・・
80mにもなるこんな木の途中まで登ることができ、木と木の間に吊り橋(ツリーウォーク)があり、
そこからの樹冠部の眺めは、地表とはまったく異なる明るい世界でした。
以前にも書きましたが、熱帯雨林の生物相は立体的に棲み分けており、
巨木だけでも全部伐採すれば、やがてすべての生物に影響を及ぼすのであります。
今、植えておけば、まだ何とか間に合うかも知れないのですが・・・
これも以前に書きましたが、熱帯雨林の腐葉土層はきわめて薄く、地中深くに根を張っても、
栄養を吸収することはできないため、巨木になって太陽光の争奪戦に勝つためには、
このような根で地表部の栄養を吸収しつつ、幹を支える必要があるのであります。
雨模様でケータイのカメラではやはり限度があり、あまり画像は撮れませんでした。
その後はタマンのサファリパークへ、雨はますます強くなり、雨に濡れたバスの窓から、
ケータイのカメラで撮影するのは、ますます困難となってきました・・・
ちなみに虎は、マレー語・インドネシア語共通で「ハリマオ」であります。
「マレーの虎」も「怪傑ハリマオ」も、わたくしやTOMOさん世代にとっては懐かしいお話。
さらにちなみに鷲は「ガルーダ」、ガルーダ航空の由来であります。
ハリマオくん、ボルネオ島にはいませんが、スマトラ島には少数が生息しています。
他にも、ゾウさんや豆鹿など、ボルネオ固有の動物も居たのですが、
なにせ撮影条件とカメラが・・・ううっ
6年前のダナン・バレーでのナイト・トレッキングでは、豆鹿やトビトカゲなんぞを、
自然の中で観察することができましたが、ゾウさんはフンしか見つけられませんでした。
ちなみにここのサファリパークには、アフリカゾーンやアメリカゾーンもありました・・・
その後は標高1000mを超えるチボタス国立公園へ・・・
標高があるため、お茶やコーヒーで名高いところ、「トラジャ・コーヒー」が有名ですね。
ただし、こちらも標高が高くなるにつれ、雨に加えて霧も深くなり、
山頂付近のレストランでは、まったく視界が効かなくなりました。
晴れてたら、テラスから見渡す限りの原生林が見えたはずなのですが、視界は数メートル・・・
で、仕方なく・・・
結局、この日は天候にも(カメラにも)めぐまれず、早めにホテルに戻って、
みなさんはのんびりとお買いもの・・・わたくしはまた充電器と格闘であります。
で、この夜はインドネシア最後の夜ということもあり、お別れ会を兼ねて最高級の中華シーフードへ
フカヒレもスープから盛り上がるぐらい、奇跡的に回復したカメラで、奇跡的に、
全品を画像に収めたのですが、さすがに食べ物画像には飽きてこられたでしょうから、
今回は控えさせていただきます。ちなみに、ご要望があればフルコースでご紹介を・・・
で、ふたたびホテルに戻ってからの僅かな時間に・・・
デパートからファーストフードから民芸品店まであるのですが、地下にスーパーがあります。
で、わたくしスーパーへ走り、例によって・・・
インドネシア最後の夜を過ごしたのであります。
(まだもう少し続きます)
2010年01月31日
ボルネオ植林紀行14 ジャカルタ3
入館直前にカメラのトラブルが再発し、暗い館内のジオラマ撮影に、レンズの小さい、
G'zケータイのおまけカメラというわけにもいきません。
すっかり困り果てて・・・しまう前にですね、
ま、ここはひとつ、わたくしの人生設計の基本方針である・・・
人さまの好意に甘える、とゆーことで・・・げひげひ
と、ツアコンのU女史に、
「あっ、これも撮っておいてくださいね、感度あげて・・・」とかいってると、
「カメラをしばらく貸してあげますから、自分で撮ってくださいね。
わたしは、とゆーか他の隊員も、誰もこんなの撮りませんから・・・」
と、あきれてやさしくカメラを渡してくれて・・・
帰国後すぐに、他の画像も併せてメールで送って下さった、とゆー次第。
ま、自分のカメラではないので、詳細設定はわからず、とりあえず夜景モードにしただけ、
(自分のカメラでもそうなんですが)、粗い画像になってますが、何枚かご紹介・・・
ジオラマの手前と奥とでフィギュアのサイズを変えたりして、奥行き感を出してました。
だいたい年代順に撮ったはずですが、会議のシーンは第一回アジア・アフリカ会議だったはず。
自分のカメラなら、それぞれの解説も撮っておいて記事の参考にするのですが、
さすがに人さまのカメラでは、その余裕もありませんでした。ううっ
もちろん、これ以外にもジオラマはいっぱいありましたが、今回は撮影枚数自体が少ないので、
いずれきちんと撮って・・・(って、また行く気になってますね、わたくし)
で・・・
地下で独立戦争の歴史を学んだあとは、一台しかないエレベーターに長時間並んで、
塔の屋上からジャカルタ市内を一望、ケータイで画像も撮りましたが、古い街並みと
高層ビル群が入り混じる様子は、規模は大きいですが大阪と変わりませんでした。
その後ホテルにチェックインして、一時間ほどのフリータイムのあと夕食へ。
わたくしはシャワーを浴びつつ洗濯しつつ、寸暇を惜しんでバッテリーの充電・・・
んで、
ジャカルタでの第一夜の夕食は、なんと・・・
店内の座敷は掘り炬燵形式・・・
といってもいいような画像ですが、まぎれもなくジャカルタ市内であります。
まずは、本格的に先附けとお造り盛り合わせ・・・なんですが・・・
これまでボルネオでずっと食べてきた・・・まさしく東南アジアの甘辛魚醤味・・・
ちなみにマグロにのっているツマは、食べてみると生のニラでした。
ううっ、お造りにニラとゆーのは・・・
天ぷらの盛り合わせ、海老はさすがに養殖の本場でプリプリ、天つゆも大根おろしも本物で、
で、さらにこちら・・・
ムニエル風のサケにサンドイッチに入ってるタマゴマヨネーズを載せて炙ったもの・・・
が積んであります。
さあて、こうなると日本料理とゆーか、なんとゆーか・・・
こちら、揚げだし豆腐のあんかけ・・・
まあ、サケのムニエルもタマゴマヨネーズも白菜キムチも、日本中で食べられてますが、
それらのコラボとなると、やはり合う、合わないとゆーこともですね・・・
で、仕上げはご飯ではなく、たっぷりのにゅうめん。
ま、日本でいえば、無国籍料理とか創作料理の類もありましたが、仕入れも大変なのでしょう。
それにジャカルタ在住の日本人は2万人以上といわれてますから、需要も多いのでしょうね。
ちなみにビールは35,000ルピア、日本の居酒屋よりは安いですが、この店のブランドの日本酒は
超甘口で、お銚子一本で60,000ルピア、こちらの物価にすっかり慣れたわたくし、
どちらも一本ずつで我慢しました。
数人連れでスーツ姿でやってきました。残業終わって飲みに来てるのね・・・
で、ホテルに戻ると・・・
残念ながら、日本語も英語もほとんど通じませんでしたが、
最近の日本娘には見かけない、おしとやかな身のこなしでした・・・
(まだ次号に続きます)
2010年01月30日
ボルネオ植林紀行13 ジャカルタ2
ボルネオから離れ、ジャカルタでのスナップが続きますが、わたくし、
なにせジャカルタははじめてで、なかなか面白そうな街だったので、特に印象に残ったものを・・・
旧軍港の次はまたバスを下りて、オランダ・東インド会社の本社だった建物に向かいます。
ところで、オブジェのようにさりげに転がってる球体は、いったいなんなんだ
で、この通りの右側にちらっと見えてる建物なんですが・・・
一階だけペンキを塗ってレストランを営業してました。
そっ、その下は・・・ショーユ・スープ・・・なのかっ???
で、今はやはり博物館になっている東インド会社本社、戦時中は旧帝国陸軍の司令部でした。
地下の牢獄・・・
それにしても、建物前に転がってたでかい球体はいったい・・・
で、最初の部屋にあった、古い民族楽器
と、内部の撮影に入ったとたん、またまたカメラのトラブル・・・
この日は快調だったため、予備バッテリーをバスに置いたままでした・・・
ゆえに展示物の画像はありませんので、何があったかまったく思い出せません・・・
せっかくの撮影してもいい内部だったのにぃ・・・ぐすん
バスに戻ってバッテリーを交換、何とか作動してくれてるようで、
わたくし、料理が出るとついつい撮る前に食べてしまうので、こんどこそ・・・
って、まさかあちこちから剥がしてきたんじゃないでしょーね
食事のあとは、本日のメインともゆーべき独立記念塔へ・・・
またまたまた、カメラのトラブルとなりました。
そっ、そりゃあ、ないでしょう・・・ううっ
じつはわたくし、第二次大戦からベトナム戦争に至る東南アジアの戦史をけっこう読んでおり、
インドネシア独立戦争のジオラマがいっぱいあると聞いていた、独立記念塔見学を、
とても楽しみにしていたのに・・・
室内だし、ケータイのおまけカメラではうまく撮れないだろうし・・・
ううっ、困ったぞ・・・
(次号に続く)
2010年01月29日
ボルネオ植林紀行12 ジャカルタ1
この連載記事も12回目にして、やっとジャカルタまでやってきました・・・
前回記事の最後の航空写真、もとい俯瞰図は、
ジャカルタに降り立って最初に行った、海洋博物館の展示物でありました。
この海洋博物館、じつは1652年に建てられた、オランダ東インド会社の役員宅なのであります。
凛々しいオランダ総督の彫像・・・なのかっ
展示物もさることながら、やはり建物が素晴らしかったです。
木材の専門家である隊長から、「木の性質を理解してきちんと建てられた木造建築は、
コンクリート建築なんかよりはるかに長持ちする。この建物も450年以上経っているが、鉄木の一種をうまく組み合わせて、当時木造船の技術に優れていたオランダの最高技術で建造されており、びくともしていない。」との解説がありました。
ちなみに展示品の中には、けっこう明るいライトなんかもありました・・・
これなんか、けっこう遠射も効くんだろうなあ・・・
で、次はジャカルタで一番古い港へ・・・
もともとはオランダ海軍の軍港、その後、旧帝国海軍の軍港となり、
今はカリマンタン島との物資輸送の機帆船の積み下ろし港であります。
で、この港で見た・・・
以下、ジャカルタ市内のスナップが続きますが・・・
東京の秋葉原、大阪の日本橋に相当する電気街だそうです。
若者の姿が多かったです。やはり、みんなオタなのかな・・・
いかにも東南アジアらしい巨大都市ジャカルタ・・・
昭和30年代の大阪のような部分と、最先端都市の部分が同居してて、人や街に活気が溢れ、
なにやら怪しげなところもいっぱいありそうな・・・
わたくし、こんな雰囲気は大好きで、しばらくジャカルタとその周辺の記事を続けさせていただきます。
(次号に続く)
2010年01月28日
ボルネオ植林紀行11 ジャカルタへ
1月12日朝、西カリマンタン州ポンティアナでの朝食であります。
葉っぱでくるんで作った蒸し米と蒸し鳥と蒸し卵、それに卵焼きと焼き鳥・・・
鳥と卵と米を蒸すか焼く、とゆー、シンプルな組み合わせであります。
中国北西部と違って、地方都市でもおいしいコーヒーが飲めるのがありがたかったです。
そういえば、トラジャ・コーヒーはインドネシアの名産品でしたね。
市内中心部にあった、宿泊したホテルの玄関前、平日の朝の様子・・・
空港へ向かう時間帯は、ちょうど朝の通勤時間帯でした。
この通りは官庁街で・・・
ポンティアナ空港の売店で売ってた、ボルネオ島(カリマンタン島)の昆虫標本の一部
ちなみにボルネオ島の昆虫は、毎年発見され特定される新種より、
未特定のまま絶滅していく種の方が、はるかに多いそうです。
以前も書きましたが、熱帯雨林には全生物種の50%から90%が生息するといわれており、
キニーネなど熱帯雨林で発見される有用な物質も数知れず、まだまだ未知な世界なのに・・・
生物の多様性は、人類が生き延びる上でも大切なことだと思うのですが・・・
で、話変わって、ポンティアナ空港の滑走路・・・
ジャカルタ行きの国内線、ガルーダ航空のボーイング737-300型機に搭乗します。
で、機内での軽食は・・・
とかいいつつ、もちろん全部食べましたが・・・
で、ポンティアナとジャカルタの中間あたりの海上上空で見た・・・
竜の巣・・・あの中にラピュタが・・・りゅしぃたぁぁぁ
とかいってると、機体はゆっくり下降をはじめ・・・
人口一千数百万人といわれるメガロポリス、ジャカルタの街が見えてきたのであります。
じゃーん
って、なんでモノクロやねん・・・帆船とか浮かんでるし・・・
(次号に続く)