2020年04月

2020年04月10日

リタイア3年目の日常メモ

とりあえず 世間のことは さておいて・・・

2017年3月に勤め人を完全にリタイアしてから丸3年が経過しました。

今でも夜遅くまで起きてて、そろそろ寝なければと思った直後に「あっ、明日も休みだった!!!」と気づいて、
思わずうれしくなってますし、朝、目覚めた直後にも「あっ、今日も休みだった!!!」と、うれしくなってます。
そう、まだ勤め人の頃の「休日」とゆー感覚が残ってるのでありますね。

わたくしにとっては、仕事のストレスというのは(人間関係も含めて)、やはり相当なものだったようで、
「出勤しなくていい」というのと「仕事の方針や関係先との調整や指示の仕方を考えなくていい」というのは、
ふとそのことに気づく都度、今でも思わず安堵してしまうほど・・・

もちろんリタイア前は(それが生甲斐というほどではなかったにせよ)仕事での充実感や達成感はありましたし、
苦労した(させた)上司や部下や関係先との一体感というか共感というか・・・があったのも確かなんですが、
やはりストレスのほうが大きかったのでしょう、今でも早めにリタイアしてよかったと思ってます。

ま、少しでも働けるうちは働いた方がいい、リタイアすると一気にダメになる・・・ともいわれてますが・・・
これについては個人差もあるので一概には言えませんが、その仕事に一生を捧げる覚悟まではなくて、
辞めても何とか暮らしていけるようなら、少しでも早くリタイアした方がいいとわたくしは思ってます。

リタイアして気分的にダメになるのは、仕事以外での「好きな事」や「つきあい」が殆どなかった人でしょうし、
そんな人が仕事とその人間関係で充実してるなら、もちろん可能な限り仕事を続けた方がいいのでしょうが、
そんな人でも、いざリタイアしてみると、いかに仕事のストレスが大きかったかを実感するはず、と思いますし、
たとえ「好きな事」だけを仕事にしてきた幸運な人でも、おそらく同様に感じると思ってますが、どうでしょう・・・

ま、健康のためには「適度なストレス」があった方がいいらしいので、その程度で仕事が続けられるならいいし、
仕事のストレスを自分でコントロールできればベストですが、凡人にそんなコントロールはできないだろうし、
むしろ「好きな事」の範囲が自分だけで完結してるなら、こちらのストレスはコントロールできるでしょうから、
やはり早くリタイアして「好きな事」にシフトした方が、健康にもいいのではないかと・・・

とか思いつくまま、えらそーなことを書きましたが、今の自分が現役時代より充実しているかどうかは
自分では分からないので、とりあえず、この春からの(特に予定がない日の)日常をメモしておきますので、
みなさんのご意見をお願いします。
そう、こんな状態で暮らすぐらいなら、どんな仕事でも見つけた方がマシだよ・・・とか・・・


この春からの(特に予定がない日の)日常メモ98k

①ほぼ8時半~9時に起床
平日は家内が毎朝8時半に出かけるので、何となくそれを待っているのかも・・・
そう、家庭でもストレスはあるし・・・(ちなみに家内はまったくないそうです)

②排尿→血圧測定・記録
昨年春からの不摂生により、数年ぶりに血圧降下剤を再開したのだが、今年1月の血液検査でCK値が高くなってて、
(CK値は筋肉の炎症などで上昇するらしいけど)まったく運動してなかったので、以前服用してて再開した血圧降下剤
ミカルディス(テルミサルタン)の服用が関係するかも知れない、との診断で先月末に血圧降下剤の種類を変更、
それ以降は朝食前・服用前の血圧を測定し記録している。
3月28日からノルバスク(アムロジピン)に変更したが、今のところ血圧に大きな変化はなく、1ヶ月服用してみて、
再度の血液検査で判定してもらう予定。ちなみに朝の服薬前の血圧は140/85前後で推移している。
(追記です。4/20に検査したところCK値は高いままだったので原因は別にあるようです。やはり腰痛かな・・・)

③朝食→服薬→排便→髭剃り洗顔→着替え
朝食はたいていコーヒーとサンドイッチ半切れ、たまに一汁三菜の理想的な和食・・・
通常は家内が作ってくれているが、週1回程度は家内が両親の介護で京都まで泊まり込みで出かけるので、
その際には自分で作っている。ま、そのほうがボリュームがあってうれしいけど・・・
ちなみに現在服用している医薬品は上記のアムロジピンと坐骨神経痛対策としての新ネオビタミンEXだが、
他にもサプリメントを摂っていて、現在はこれが3種類・・・
スーパーマルチビタミン&ミネラル、ビタミンC1050mg、エゴマ油かアマニ油で、ま、気持ちの問題かも知れないけど
自分の食生活や生活習慣とのバランスから不足しがちと思われるものを摂取しているつもり。

④晴漕雨ネト
午前中は天候が良ければポタリング、そうでなければネットで調べものをしたり書き物をしたり買い物をしたり・・・
ちなみに自転車漕ぎを本格的に再開したのは3月下旬からで、まだ1日20~30km程度しか走っていない。
リタイア直後には1日50km~80kmを走ってて、2年で10kgほど減量し血圧降下剤も止めることができ、
他の数値も全て正常値になって医者からも褒められてたのだが、この1年は母親の介護(とゆー名目)で、
殆ど動かず暴飲暴食が続いて完全にリバウンドしたので、なんとか再開して継続しようと・・・
自転車もジョギングや山歩きと同じで、徐々に距離を伸ばして行けば長距離も可能になる・・・はず・・・

ちなみに現在、生活必需品の買い物と健康のための散歩・運動以外の外出は控え、仕事もできるだけ在宅で
するように大阪でも要請されてますが・・・
わたくし昨年秋からずっと(家族や友人とのお出かけ以外は)生活必需品(主にアルコール類ね)の買い物と
健康のためのご近所ポタリング以外には外出してないので、先行して巣ごもりを実践してたんですね。
もともと人混みが嫌いでスーパーでの買い出しも短時間だし、ポタリングもふだんは一人だし・・・

⑤昼食~昼食後
昼過ぎに家内が帰宅する平日は二人で近所の店に行くか、どちらかが自宅で作るかで飲みつつ食べる。
休日も一人の場合もほぼ同様だが、家内が早寝早起きで昼寝もするので、わたくしも昼寝するようになった。
(現役時代は昼食を早めに済ませデスク上で昼寝してたけど、休日には全くしなかったのに・・・)
なんかラテン系の生活になってきてるような気もするが・・・ま、朝食の量はラテン系より多めだけど・・・
家内不在の日の昼食・夕食はたいてい自宅か近所の店でご飯物と麺類だが、ま、これもどちらかに・・・したいな・・・

で、午後から晴れた場合や午前中に行かなかった場合は午後からポタリングに出かけることもあるし、
生活必需品(主にアルコール類)の買い出しに近所のスーパーとかドラッグストアに出かけることもあるが、
昼寝もせず出かけもしなかった場合は、やはり録画チェックと読書とネットと書き物で過ごしている。

ちなみに録画は番組名以外にキーワードとカテゴリでも予約してるので、たちまちHDDが溢れてしまう。
なので、なるべくその日のうちにチェックするようにしているが1日で1時間ものが2本、30分ものが4本、2時間ものが
1本としても計6時間、ざっと内容を見るだけでも数時間はかかるし、メモしながらだったりBDに保存版として
ダビングしたりしてるので、さらに時間を要することになる。
放送大学の講座なんて、今月からいくつも開講してるので、とりあえずBDに録画したままで放置するしかない。
読書についても同様で、枕元には図書館から借りたまま期間延長している本が溢れている。

さらに平日の昼食後は家内と過ごしてるので雑用をやらされたりして、あっとゆー間に日が暮れてしまう。

⑥夕食~就寝まで
6時半前後に自宅で夕食、もちろん飲みつつ食べるし、家内はたいてい食後まもなく寝てしまう。
わたくしも夕食時に飲み過ぎた場合は少し夕寝するが短時間で目が覚める。
覚醒後は昼と同じようなことをしていることが多いが、なにせ一人だし夜なので集中できる。

じつは家内が寝てから就寝までのこの時間が、本当に「好きな事」に費やしている時間かも知れない。
家内は8時前後の就寝で5時の起床、わたくしは3時前後の就寝で9時前後の起床なので、わたくしが一人で
過ごす時間、つまり全く個人的な夜の自由時間が7時間程度あることになる。
そう、これは勤め人の昼休みを除いた平日の「9時から5時まで」の勤務時間と同じ・・・
この時間をいかに有意義に過ごすかによって、わたくしのこれからの人生が決まるといっても過言ではない。
で、わたくしがこの貴重な時間を使って、いったい何をしているかとゆーと・・・

ええ、こんなブログ記事を書いてます・・・どっはらい



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2020年04月07日

追憶の花見・・・

家内と二人、いつもの近所の公園でお花見してきました。

昨年秋に96歳で逝ったわたくしの母親ですが、昨年春までは毎年、桜花の季節には三人揃って、
同じ公園の同じ場所で花見を楽しんでましたので、今回は追悼の思いもあって・・・

昨年春には母親は車椅子でしたが、一昨年まではずっと三人一緒に自転車に手作りのお弁当
(母親はおにぎりと和風のおかず、家内は洋風のおかず、わたくしは飲み物と粉もん)を積み込んで、
たいてい近所の公園その1とその2を、二日に分けて楽しんでましたし、
たまには明るいライトをいっぱい持って夜桜宴会なんぞもしてました。


まずは近所の公園その1へ・・・

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昨年春、同じ場所で撮った母親の遺影を家内が持って来てくれてました・・・

この日は花曇りでしたが、何組かの家族連れが距離を空けてお弁当を拡げてました。




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こちらのサギさんはずいぶんかっこいいですね・・・




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帰りがけには、少しだけ青空も見えました。




で、別の日に近所の公園その2へ・・・

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満開から散り初めといったところでしょうか・・・やはり数組の家族連れがお弁当を拡げてました。




DSCN5943

こちら、昨年春には中学の同窓会で花見宴会をやって盛り上がってたのですが、
さすがに今年は誰にも声をかけず、ひっそりと二人だけで・・・




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ま、途中で粉もんの追加買い出しに行ってきましたが・・・


こちらのサギさんは花見に上陸・・・って、何かもらえないかとすぐに近寄ってきます。

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野鳥なので餌付けしてはいけませんね。なので何もあげません。きっぱりと



いっぽうスズメさんは桜花をばくばくばく・・・

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ま、けっこう寒そうでしたが・・・

こんな時期ですが平日で人のまばらな公園だったし、夫婦で母親と三人での花見の思い出を
しんみりと語ることができてよかったです。





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2020年04月03日

銃・病原菌・鉄(承前メモ)

こんなご時世ですので、何かの参考になればと・・・

以前紹介したジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」を読んだ際のわたくしのメモの中から、
とりあえず第11章「家畜がくれた死の贈り物」部分を記事にアップしておきます。
わたくしの読み違いなど、ご教示コメントをいただけるとありがたいです。

なお23年前に書かれた進化生物学者の著書(翻訳版)についての個人メモであることにご留意ください。

・第二次世界大戦までは負傷して死亡する兵士より戦場でかかった病気で死亡する兵士のほうが多かった。
・過去の戦争で勝利できたのは、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側に
その病気をうつすことができた側である。
・1492年のコロンブス以降、なぜヨーロッパ側の病原菌がアメリカ先住民を滅ぼし、その逆はなかったのか?
・いっぽうでアジアやアフリカの熱帯地方ではヨーロッパ人は大勢死んでいる。

・病原菌も人間と同様、自然淘汰の産物で自分の子孫を適正な生存環境にばらまくことによって生き残る。
・患者が感染源として生き延びられる長さと感染効率によって感染者数は決まる。
・もっとも何もしないタイプ→サルモネラ菌や寄生虫など→熱を通さずに食べてもらうのを待ってるだけ
・昆虫の唾液経由で感染するタイプ→マラリアの蚊、ペストのノミ、チフスのシラミ、睡眠病のツェツェバエなど
・感染を早めるため感染者を変化させるタイプ→梅毒、天然痘など
→アメリカでは意図的に天然痘患者の使った毛布を屈服しない先住民部族にプレゼントしていた。
・もっとも強力な感染手段のタイプ→インフルエンザ、風邪、百日咳などは咳やくしゃみ、コレラなどは下痢、
腎症候性出血熱ウィルスはネズミの尿、狂犬病ウィルスは犬を凶暴にして噛みつかせ唾液感染させる。
・病原菌自身が動き回るタイプ→鉤虫や住血吸虫の幼虫など→穴をあけて入り込む

・性器の炎症、下痢、咳などは人間から見れば病気の症状に過ぎないが、病原菌から見れば進化の過程で獲得した
より広い範囲に伝播するための方法。
・なぜ病原菌は自分の宿主を死に追いやって自分の住処を奪うのか?
→平均して一人以上の新しい犠牲者を出すことができれば目的の伝播を達成できるから・・・
・人間の側に立って考えると、まず遺伝子により発熱によって菌を焼き殺そうとする。
・もうひとつの反応は免疫システムの動員、白血球などの細胞が菌を探し出して殺そうとし、感染症にかかると
抗体が体内にできてかかりにくくなるが(ワクチンはこれを利用)一時的なものと終生免疫ができるものがある。
やっかいなのはインフルエンザやエイズウィルス、マラリア、睡眠病のような抗原を変化させるタイプ。
・さらに(人間側には)世代交代の際に遺伝子を変化させる自然選択があり、これがもっとも時間がかかるが、
→歴史上、同じ病原菌に繰り返しさらされてきた民族は、その菌への抵抗力を持った人の割合が高い。
→民族によりマラリア、結核、細菌性下痢など特定の病原菌に対する抵抗遺伝子を持つ割合が高い。
(NHK番組「食の起源」でやってた、稲作の伝播にあわせアセトアルデヒド分解酵素が少ない人=酒に弱い人
=体内に残ったアセトアルデヒドで殺菌できる人の割合が高くなっていったとゆー仮説もこれかも・・・)

・特定地域の感染症の種類と数が時系列的にどのように変化するか?
→病気の種類によって発生パターンがかなり異なる。
→突然大流行する感染症には共通する特徴がある。
①感染が早いため短期間で集団全体が感染する。
②感染者は短期間で死亡するか、完全に回復するかのどちらか。
③回復者は抗体を持つようになり同じ病気にかからなくなる。
④(死亡か回復で)感染者の数が減少し体内でしか生きられない病原菌が死滅して大流行が収束する。
⑤次の大流行は抗体を持たない新生児が感染年齢に達し集団外部から感染者が来るまで起こらない。
(つまり病原菌側からすれば、)
死滅前に抗体を持たない新生児が感染年齢に達する出生率を維持できる大集団でしか継続生存できない。
→なので集団感染症は狩猟採集民や焼畑農業の集落では、はびこりつづけることはできない。
→発生するのは病原菌が外部から持ち込まれた場合。→すぐに全滅するので特有の流行にはならない。
・集団感染症は(集団)農業が始まった1万年前に登場し、数千年前に都市生活が始まり加速度的に増えた。
→天然痘は紀元前1600年頃、おたふく風邪は紀元前400年頃、ハンセン病は紀元前200年頃、
ポリオは1840年、エイズは1959年に最初の患者が確認されてて、どれも比較的最近である。

・病原菌にとっての幸運は農業、森の開墾、都市の台頭、交易路の発展→一大繁殖地ができた。
→人種のるつぼは病原菌のつるぼである。

・群居性の動物が家畜化されてから9000年、病原菌が人間に感染できるよう属性を変化するには充分。
→はしか・結核・天然痘は牛、インフルエンザ・百日咳は豚・アヒル・犬、熱帯熱マラリアは家禽類から・・・
第一段階→動物や家畜からの直接感染
第二段階→動物のものだった病原菌が人間同士で感染する→治療か免疫か全員死亡で絶滅し収束する
第三段階→第二段階からまだ絶滅しておらず将来大量の犠牲者を出すか不明なもの
第四段階→人間だけがかかり、昔から大流行すると知られているもの→自然淘汰されなかった成功者

・チフスはシラミが合衆国で駆逐されたので北米ムササビから人間に感染する新ルートを開拓した
・オーストラリアでヨーロッパウサギ駆除のため導入したウィルスは1年目の致死率99.8%から数年後には
25%まで下がった。→すぐには死なせないように進化したため。
・梅毒菌は1495年には感染から数ヶ月で死亡してたが1546年には現在同様の症状に変化している。
→より長期間、菌を周辺にふりまき続けられるように進化した。

・北米ではコロンブス以降の200年で先住民2000万人が100万人に減少。→95%が死滅
→死因は天然痘、はしか、インフルエンザ、チフスなど10種類以上のヨーロッパからの病原菌
→逆に新大陸からヨーロッパに伝播した致死性の病原菌はひとつもない。(梅毒は不明)
・新大陸にそれまで集団感染症がなかったのは、前述の群居性の動物が家畜化されていなかったから。
・南北アメリカだけでなく世界各地でユーラシア大陸の病原菌により先住民の50~100%が死滅した。
・南北アメリカとオーストラリアではヨーロッパ人に伝播した致死性の病原菌はなかったが、熱帯アジア、
アフリカ、インドネシア、ニューギニアなどではコレラやマラリアや黄熱病があったため、ヨーロッパ人による
植民地支配の確立が南北アメリカより400年遅れた。
・非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人は、より優れた武器、技術、政治機構を持っていたことも確かだが、
家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を先住民に渡すことによって征服できたのである。







m98k at 00:03|PermalinkComments(6) mixiチェック 書斎 | 災害避難とか