2009年11月28日

難波宮地下遺構探訪

文字色が土の色になっておりますが、前回記事の続きであります。

大阪城の南側一帯は、五世紀古墳時代からの遺構が戦後になってたくさん発見され、
特に七世紀中ごろ、大化の改新後の孝徳天皇による「前期難波宮」と、八世紀前半の、
聖武天皇の「後期難波宮」は、期間は短いですが正式な日本の首都として定められたもので、
平城京や平安京にならぶ、それなりの宮殿の遺構が残っています。


じゃーん
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たぶん、上が前期難波宮、下が後期難波宮・・・だったかな・・・寝る


とっ、ともかく、中央大通りから南側の宮殿跡は、史跡公園として整備されているのですが、
その北側、大阪歴史博物館とNHK大阪放送局のある敷地にも、古墳時代や難波宮時代の、
大規模倉庫群などの遺構があり、それらは建物の地下にそのまま保存されているのであります。





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ご覧のとおり、エントランスホールのフロアからも一部が見えるように工夫してあるのですが、
地下に入るにはNHKの通路を通って行くことになり、そちらは一般公開されておらず、
ボランティアガイドによる公式ツアーに申し込まなければ見学することができません。






で・・・
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さっそくツアーに申し込んだのですが、この日の担当のボランティアガイドのお二人、

大阪を代表する、おっちゃんとおばちゃんでした。拍手

「おう、兄ちゃん、どっから来たん、おおっ、イタリヤかいっ、イタリヤゆーたら、
おっちゃん、ペペロンチーノ知ってるで、がははは」

「なにゆーてんのん、おばちゃんなんか、ミラノ行ったことあるんよ、
ミラノゆーたらナポリタンがおいしいねん、なあ、わははは」

「どっちゃでもええわい、ところで兄ちゃん、日本語わかるんかいっ、
なに、ほとんどわからんてかっ・・・ほな英語は・・・そうか、わかるか、
じつはなあ、このおばはん、こんな顔してるけど英語得意なんやで、
ほな、あんじょう案内したってやっ」

「こんな顔は余計やわいっ、まあ、英語ならまかしてといてやっ、
へろう、あいらぶゆー、さんきゅーやっ、わははは」

「ところで、あんたトシいくつや・・・」

と、完璧なまでの関西標準会話によるお二人のやりとりが、永遠に続きそうでしたので、

「あのう、これ20分のコースですよね、そろそろ行かないと・・・」

「まかしとかんかいっ、わてら30分でも40分でも、話しだしたら止まれへんから。」






(長い中略)







で・・・にっこり
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中央部にも見える丸いタイル、これらの下に柱の遺構があるとゆーマークだそうです。



で、NHK側の事務室階段から地下一階に降りると・・・
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このような真横に窓のある通路があり、広大な地下遺構を見ることができます。


「このあたり、戦争前は軍の施設が多かったから、発掘調査もできんかったんやけど、
工事もできんかったから、きれいに残ってたんや、あんた、戦争ってわかるか、
わーるどうぉーせかんど、ムッソリーニ、ヒトラー、トージョー、どかんどかん。」





って、どこが英語やねんっにっこり






(長い後略)






ちなみに倉庫群の遺構はこんな感じでした。
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なんでも、パイプルーフとゆー、特別な工法だそうで・・・
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遺構のあるのは地下一階部分のみ、その下、地下二階や地下三階には、駐車場とかがあるそうです。

まあ、遺構の皮一枚を残して、その上下の空間を無駄なく使おうとゆーのは、
いかにも関西人らしいとゆーか、合理的とゆーか、なかなかのものであります。にっこり




ちなみに、今回案内いただいたボランティアガイドの方、遺構や歴史に関する知識は豊富で、
けっこう詳しく教えていただきました。やや英語まじりの生粋の大阪弁で・・・拍手



三回シリーズでお送りした今回の大阪城周辺案内、わたくしにとっても充実した一日でありました。にっこり

その後、なんばパークスとか、なんばCITYとかにも案内したのですが、
画像を撮る気力はすでになく、日本橋筋の電気街まで案内する時間もありませんでした。




さあて、明日はどこへ連れていってあげようかね・・・
どんな遊びを教えてあげようかね、はたまた、
どんな日本人を紹介してあげようかね・・・げひげひ・・・ドクロ










at 01:01│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック その他アウトドア 

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