2017年11月22日

MIRAIZA・・・

とーとつですが・・・MIRAIZA・・・であります・・・



じゃーん

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そう、大阪城天守閣の・・・




お隣にある・・・

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旧帝国陸軍・第四師団司令部庁舎を改修して先月オープンしたばかりの・・・





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MIRAIZA OSAKA-JOであります。



大阪城は江戸末期には徳川幕府の外交上・防衛上の拠点となり、明治になってからも第四師団の
前身である大阪鎮台時代からずっと陸軍の拠点だったのですが、当時東京市を抜いて東洋一の大都市
となっていた大阪市が陸軍と交渉、昭和6年にその一部を市民の寄付により公園として整備し一般開放、
本丸御殿の大阪市への移管ということもあり、その際の寄付金で天守閣の再建とあわせて建設された、
今となっては貴重な現存するロマネスク様式の司令部庁舎であります。

その後は昭和15年に中部軍管区司令部となり、戦時中は再び大阪城全域が立ち入り禁止になり、
戦後は全域が史跡公園となったのですが、この建物は米軍の接収から大阪市警視庁(のちの大阪府
警察本部)庁舎などを経て、平成13年まで大阪市立博物館として使われてました。

師団司令部として専用設計された堅固な造りで天守閣とともに米軍の猛爆にも耐えたのですが、
戦後の内部改修などで今の耐震基準に合致しなくなり長年放置されていたのを今回耐震補強して、
集客施設としてリニューアルオープンしたとゆー次第。

なにせ師団司令部ですから公開されている設計図にはない極秘の地下指揮所とか地下通路とか、
様々な都市伝説があり、万城目学氏の小説「プリンセス・トヨトミ」では天守閣の地下とされてますが、
この司令部の地下深くにも・・・
って、わたくしは大戦末期にあわてて掘られた地下室や地下通路ぐらいしか知りませんが・・・


閑話休題


今回はいつもの職場の同期会で行ったのですが、今も建物の一部には・・・

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独特なアーチなどは一部に残ってました。




今回はじつにひさしぶりのイタ飯でした・・・

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って、食べる前に撮ればいいものを・・・げふっ








m98k at 01:22│Comments(6) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック その他アウトドア | 糧食、飲料

この記事へのコメント

1. Posted by donchan   2017年11月22日 11:46
第四師団は、「またも負けたか八聯隊、それでは勲章、九聯隊(くれんたい)」の八聯隊が属していた師団ですか?
世が世なら、八聯隊にリクルートされてたのかなぁ。
2. Posted by 98k   2017年11月22日 12:39
donchanさん
コメントありがとうございます。記事にするのが遅くなりました。ぺこぺこ
「またも負けたか八聯隊、それでは勲章、九聯隊(くれんたい)」については諸説あるようですが、確かに第四師団の基幹部隊ですね。
武士と農民中心の部隊に比べて商人中心の部隊ですから、その違いを誇張した里謡が起源のようです。
結果的には負け戦をしていない「強い連隊」なのですが、ゴーストップ事件や今回記事の関一市長の「大阪城奪還作戦」のように、
当時の陸軍相手に大阪人がけっこうやり合ってて、その揶揄対象にしていた、というのがわたくしの見解です。
そりゃあ、江戸幕府や明治政府の権力の象徴が大阪城にあった軍隊ですから、大阪人も京都人も当時はうまくやってたんでしょう。
まあ、その後はそんなことを言ってられない時代になってしまいましたが・・・
(連隊の)「元戦車隊小隊長福田中尉(司馬遼太郎)は、次のように説明している。」との記事があったので参考引用しておきます。
 大阪はもともと商人の町だから、幕府の威光も恐れず、大名の権力にも関知しない、独特の生き方の伝統をもっていた。
こうした環境に育ってきた若者を、いきなり軍隊に徴収し、国家のため、天皇のために戦い、かつ死ねという。
 その理屈が実感としてどうしてものみ込めない。
これがかりに東北の若者なら、つねに領主の圧政に屈してきた伝統に育ってきたから、「天皇は領主よりもずっと偉いのだ」、といえば簡単に通じる。
しかし大阪人には、いくらいってもわかりかね、「えらい迷惑なこっちゃ」、といった意識がどこかに染み着き、つねにその不合理につまづかざるを得ない。
従って、むろん戦争に弱いのは当たり前だ・・・・・・というわけである。

3. Posted by donchan   2017年11月22日 13:58
八聯隊の話から大阪市民の気質まで、ありがとうございます。
それでは、たまには真面目な(?)話を。大阪では、太閤贔屓の傾向が強いので徳川は不人気ですが、実は近世大坂の市街地を形成した(ということは、今の大阪の中心地形成ですが)のは、大坂の陣の後の松平忠明の城下町建設のおかげというのは、有名な話です。また、徳川家光が上京した折に大坂にも滞在(?)、街の地子(固定資産税?)を免状したのも知られており、大坂町民は深く感謝したとか。しかも、徳川幕府は武家の都市江戸を商品経済から守るためもあって、大坂に諸国の物資の集散をまとめ、商業中心地として保護育成した。近代の経済都市大阪の基礎は、徳川幕府の経済政策のおかげと言っていいほど(因みに、この辺り大阪市公認歴史書『新修大阪市史』からの受け売りです)。この辺が京都人の根深い反徳川意識と違うところかもしれませんね(尤も、京都の方は、東京は好きで大阪は大嫌いだという識者の指摘もあります)。
余計なことですが、大阪の兵隊が弱いのは、周りにいる人たちの言動を見ていれば十分に推測可能ではないかと(^O^)。
4. Posted by 98k   2017年11月22日 15:24
donchanさん
そうなんですよね、太閤贔屓で徳川憎し!!!のあまり、松平忠明などの功績を過小評価したいのが大阪人の特徴ですね。
日本一の大阪城石垣も大阪では長年豊臣時代のものと信じられてて、戦後の調査で徳川時代のものと判明した時も、
大阪市はしばらくその事実を公表しませんでしたからね・・・
ちなみに生粋の京都人は反徳川意識というより、京都人以外すべて「お上りさん」という意識だそうで、
その上で適当に付き合ってうまく立ち回ることで生き延びてきたとか・・・
さらにちなみに大阪の兵隊は弱いのではなく、勝算や必要性があれば勇敢に戦うけど、そうでなければ適当に命令に従っておく、
というのが正解のような気がします。極めて合理的ですが軍としては極めて使いにくい兵隊ですね。


5. Posted by donchan   2017年11月22日 16:05
合理的かどうかは?のところもありますが、適当にというのは、確かに、たしかに🤗
6. Posted by 98k   2017年11月22日 16:10
donchanさん
そう、我々の周りにいる人たちの言動を見れば・・・確かにてきとー・・・

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