2025年02月07日
地球グルメ大図鑑とブデチゲ考察?
ええ、まずは・・・

地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から
裏表紙

奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく
目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・
まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ
)
→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」
→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」
の原点だったんですね、調理器具はミルク缶を使ってましたが(98k談)
・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)
→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました
①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵を鍋に入れて部隊仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか
)
まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなどの
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんね
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤
(香港)略
・平壌冷麺
と大同江醸造所の7種類のビール
(北朝鮮)略
・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの
)略
・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー
)略
・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ
)
→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される
→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい
→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます
)
・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い
・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる
・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です
食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい
とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました


地球グルメ大図鑑~世界のあらゆる場所で食べる美味・珍味~のご紹介から

裏表紙


奥付

そう、

こんな注意書きのある大図鑑であります わくわく

目次


米国の項では51州すべて、さらには南極の各基地グルメまでありましたが・・・

まずは目次のアジア→東アジア→日本の項にあったグルメ?をメモ
・竹のウォータースライド(流しそうめん)
・鉄道駅のごちそう(200種類の駅弁を揃える東京駅の駅弁屋)
・伝統の職人技が光るぺろぺろキャンディ(飴細工)
・寿司の元祖(琵琶湖のふなずし)
・エンタメ・レストラン(主役が料理ではない飲食店)
・海軍カレー(日本のカレーライス)
・洋食(日本生まれの西洋料理)
→ハンバーグ、オムライス、ナポリタン、サンド、タコライス
・渋柿を甘くする技(干し柿)
・高級フルーツ(企業の夏冬2回の贈答競争で繁栄を謳歌しているフルーツ

→でんすけすいか、太陽のタマゴ(マンゴー)、美人姫(イチゴ)、ルビーロマン(ブドウ)、夕張キング(メロン)
・相撲力士の鍋料理(ちゃんこ鍋)
・巨大な稲わらの構造物(わらアート)
(グルメではないけど食材に関する珍しいモノつーことでしょうね)
各項目に説明、写真、由来、レシピなどがあり、実際に現地で体験する方法も書いてあって、
食べ歩きガイドブックとしても使えるようになってました
と、世界中のグルメ?が紹介されてましたが、特に琴線に触れた項目から・・・
・正真正銘のモンゴル式バーベキュー「ボードグ」

→モンゴルの戦士は馬で移動するので重い調理器具を持ち運ぶのは不可能だった
→そんな遊牧生活に適した調理法として彼らは動物の体を調理器具として使った
→山羊やマーモットの腹から肉と骨と内蔵を取り出し肉(肝臓と腎臓を含む)にスパイスをふり、
熱く焼いた石と野菜と一緒に詰め戻し穴を塞ぎ直火で焼く
→焼け残った毛をナイフでこそげ落とし2時間ほどで首の穴から脂が滴るようになったら食べ頃で、
腹が大皿の役割も兼ねている
→チンギス・ハンもボードグで勝利の宴会をしていた(モンゴルシェフ連盟会長談)
まさに調理器具の要らない究極のアウトドア料理で、わたくしの大好きなモンゴル料理
「羊の石焼き」

・米軍基地で生まれた鍋物ブデチゲ(韓国)

→今や韓国で一番人気を誇るフュージョン料理
→部隊鍋を意味するブデチゲは米国人が捨てた食料から生まれたものだった
→残飯から生まれた米国帝国主義の名残を屈折した形で伝える一品となった
→朝鮮戦争中のソウル市民は食料不足で米軍基地のゴミ箱から缶詰の豆、チーズ、
スパム、ハムなど加工食品の残飯を集めてキムチ、野菜、インスタント麺と一緒に鍋へ
→朝鮮戦争後も米国製品の規制は続き、米軍基地の食材を扱う酒保闇市が増えた
(多くの市民には米国産の加工肉が唯一の手が届く肉だった)
→1980年代に米国製品の規制が撤廃されブデチゲは人気の大衆料理として進化した
→とりわけ大学周辺に多いが高級地区にもブデチゲに特化したレストランがある・・・
(で、大好きなブデチゲの考察?)
わたくしは、韓国軍兵士が米軍経由のスパムなどの缶詰とキムチやインスタント麺などを
ひとつの鍋に入れて、部隊の仲間で一緒に食べてたのを懐かしみ、退役後にも仲間と再現、
それがやがて貧乏学生から一般市民に拡がったと理解してたのですが本書のような説もあり、
ホントはどうだったのか(ヒマなので)考察?してみました

①ブデチゲの基本食材はスパムなどの加工肉とキムチとスープ別添のインスタント麵だけど、
スープ別添の袋麺は1962年の明星食品と東洋水産が世界初なので、今のスタイルで初めて
食べられたのは、いくら早くても1962年以降になるはず
(ちなみに朝鮮戦争時なら1950年~53年、戦後もっとも古いとされるインスタント麺の記録
(第一次南極観測隊に採用された「長寿麺」)でも朝鮮戦争から3年後の1956年)
②さらにインスタント麵の海外への本格的な輸出はベトナム戦争の拡大(1968年)以降とされ、
それまでは在外邦人向けが中心、アジア各国に急速に出回ったのもこれ以降のはず
③ただし明星食品が韓国に製造プラントを輸出したのは、スープ別添の翌年1963年なので、
それ以降なら韓国にスープ別添のインスタント麵が普及していた可能はある
④以上から、韓国軍兵士がブデチゲとして食べたのは朝鮮戦争当時ではなくベトナム戦争当時、
おそらくは1968年以降で早くても1963年以降に、米軍経由のスパム缶詰と自前のキムチと
スープ別添のインスタント麵を鍋に入れて部隊仲間とひとつの鍋をつつきあったのがルーツ、
と考えるほうが妥当ではないか・・・
と推察したのですが、いかがでしょう?
(ちなみにブデチゲ以前の韓国では一人鍋が基本で、ひとつの鍋を分けあって食べるのは、
日本人と同じ下品な食べ方だったので、当時の大人たちからは軽蔑されてたとか

まあ、スパムなど缶詰の加工肉、白菜キムチ、スープ別添の袋麺、あとは玉ねぎなどの
常温保存できる具材があればクーラーボックスがなくても、どこでも鍋宴会が楽しめて、
お腹いっぱいになりますから、わたくしもブデチゲとしての存在を知るずっと以前から
似たようなキャンプ鍋を楽しんでたので、諸説があるのも当然かも知れませんね
閑話休題
わたくしの琴線に触れた項目を続けます・・・
・香辛料のコニャック・XO醤

・平壌冷麺


・ブルネイのアンブヤット(サゴヤシの樹幹から取った粉をゼラチン状にしたもの

・ボルネオ島サバ州にしかないバンバンガン(オニオンスープ味のマンゴー

・ある独裁者の推し麺(タイのパッタイ

→独裁者が1939年に国名をシャムからタイにするなど制定した国家規則のひとつがパッタイ
→コメの消費量を抑えるため麺類を奨励しパッタイのレシピと屋台を普及させ他の屋台を禁止した
→ライスヌードルは中国人がタイに持ち込んだとされるがパッタイはタイの国民食になった
・ジンバブエのモパネワーム(蛾の幼虫で10cmになる)
→タンパク質の含有量は牛肉の3倍、旨みはよく焼いたステーキと評される

→熟練した摘み手なら1日に25~50キロは採集できる
→内臓を指で絞り出して天日干し、好みで燻製、炙り焼、酢漬け、フライに
→モパネの葉3キロで1キロのモパネワームが育てられるので牛肉よりサスティナブル
・オーストラリア軍のFRED
→1940年代初頭に導入され缶切り・栓抜き・スプーンの機能を持つがスプーンが小さい

→Field Ration Eating Deviceの略だがFucking Ridiculous Eating Device(クソばかげた食器)とも
→2020年現在も軍の配給パックに標準装備されている(←なぜか持ってます

・ガンパウダーラム(ニュージーランド)
→18世紀の英国海軍の水兵は毎日支給されるラム酒を火薬に垂らし火をつけて確認していた
→湿った火薬が燃えれば充分なアルコール濃度のラム酒と証明された(プルーフの起源)
→アルコール濃度57%がネイビーストレングス(海軍の強さ)とされ燃えるかどうかの分かれ目
→オマージュとして誕生したガンパウダーラムは51.6%でネイビーストレングスに近い

・パイソンのペミカン(カナダ)
→パイソンの肉を焚火で乾燥させてから細かく挽き獣脂と混ぜる
→1ポンド(454g)あたり3500㌔㌍あり10年は常温保存できたので探検隊にも使われた
→ビーバー猟の必需品となりミシシッピ川北側のパイソンはほぼ絶滅した
→ペミカンは今もカナダのスーパーマーケットで購入できる

・クロンダイクの生活物資リスト(カナダ・ユーコン準州)
→1896年にクロンダイクで金鉱が発見され北米各地から人々が殺到した
→ユーコン準州は不毛地帯だったので1年分の食料を持参するよう法律で定めていた
→キャンプ用品を含めると900kgになったので小分けにして何度も往復して持ち込んだ
で、カナダ最大だった百貨店の1898年発行カタログから1年間に必要な食料品と日用品のリスト
(著作物の一部なので公開に問題があれば非公開設定にします)

いやあ、じつに興味深い内容です

食料のメインは小麦粉とベーコンで砂糖、豆、ロールドオーツも大きな比重を占めてますね
で、このリスト合計で600kg弱ですからキャンプ道具や衣類などが300kg強つーことになります
水や燃料は現地調達でしょうが必需品のラム酒やバーボンはどうしてたんだろ???
・南極観測基地の食生活(中国の長城基地など各国は略)
→日本の昭和基地では屋外での食事会が恒例でメニューは「流しそうめん」
→本来は半分に割った竹にそうめんを流すが南極では氷山に水路を掘って流す
→リュージュのコースを選手ではなくそうめんが滑る様子を想像してほしい

とか、料理や食材だけでなく食に関するエピソードも満載で大いに楽しめました

2025年02月01日
EDCグッズの更新
先月で阪神淡路大震災から30年が経ちました
当時わたくしの自宅や職場の被害は軽微だったので、阪神地区の自宅で被災した職員らに
支援物資を手配したり、大阪市内に設置された一時避難所を手伝ったぐらいでしたが、
徒歩で避難されて来られた方々から直接、貴重なお話を聴かせていただきました
当サイトでも東日本大震災の直後に、それまでのアウトドア経験と皆さんからのコメントで
災害避難についてのまとめを記事にしています
何度も書いてますが災害避難では、まず確保すべきモノの優先順位を意識して行動すること、
(基本は①酸素②シェルター③水④火⑤食料の順、別に情報の確保も重要)
そしてこれらの確保のために常に持つべき(EDCすべき)モノと自宅などに備蓄すべきモノを
定期的にチェック更新して過不足なく揃えておくこと、が大事だと思っています
つーことで・・・
今回はひさしぶりにEDCグッズを更新しました!!!
そう、

自分へのお年玉として新しいショルダーバッグが来たもので・・・
まずは

ペットボトルホルダーと我が一族の紋章を付け替えて・・・
メインポケットには今回とりあえずこれだけに厳選

左から時計回りに、
携帯電話→財布(各種カードや救急絆創膏なども入ってます)→コインケース(クルマのキーや
免許証などで運転時のみ)→キーホルダーであります
で、キーホルダーには、

上から時計回りに、
自宅と実家と車庫の鍵→LUMINTOP EDC01(wing-MOD5000k)ライト(充電式リチウムAAA)
→たこ焼き専用?チタン爪楊枝→笛→ミニバール→ビクトリノックス クラシック
バックアップライトがNITECOREのTIKIから替わってますが、あとは昨年とほぼ同じ
フロントポケットには、

左から時計回りに、
折り畳み傘→ACEBEAMのH16ライト→眼鏡拭き→マスク2→歯間ブラシ2種とトレイルミックス
→エコバッグであります
(エコバッグの中にサイズの異なるレジ袋を詰め込んであり、買い足し以外にも災害時などの
・水筒用・防水用・呼吸用・便器用としても使う予定)
愛用の折り畳み傘が壊れたので更新、最近トレイルミックスをいただいたので飴がわりに、
あとは昨年とほぼ同じかな
バックポケットには、

左上から時計回りに、
ポケットティッシュ→携帯ポンチョ→ダクトテープ・紙マッチ・ライターのセット
→細引き→鎮痛解熱剤など常備薬のセットであります
ウェットティッシュや大きなポリ袋、レスキューシート、手袋、アルコールスプレーなど、
嵩張るものは思い切って別のバッグに移動しました
そう、昨年チェック時からEDCバッグが小さくなったのでEDCグッズも減らしてみた次第
上記まとめ記事にあるEDCグッズ一覧に較べるとやや頼りないですが、最近は外出といっても
徒歩圏内が殆どだし(徒歩圏内でもママチャリだし
)、行先もせいぜいスーパーか量販酒屋か
飲食店か医院ぐらいなので短時間だし、まあいいかと・・・
もちろん行先によってEDCバッグも内容も替えるつもりで、いちおー用意はしてるのですが、
いったん身軽になると再び重くて大きいEDCグッズを持ち歩けるのかどーだか・・・
当時わたくしの自宅や職場の被害は軽微だったので、阪神地区の自宅で被災した職員らに
支援物資を手配したり、大阪市内に設置された一時避難所を手伝ったぐらいでしたが、
徒歩で避難されて来られた方々から直接、貴重なお話を聴かせていただきました
当サイトでも東日本大震災の直後に、それまでのアウトドア経験と皆さんからのコメントで
災害避難についてのまとめを記事にしています
何度も書いてますが災害避難では、まず確保すべきモノの優先順位を意識して行動すること、
(基本は①酸素②シェルター③水④火⑤食料の順、別に情報の確保も重要)
そしてこれらの確保のために常に持つべき(EDCすべき)モノと自宅などに備蓄すべきモノを
定期的にチェック更新して過不足なく揃えておくこと、が大事だと思っています
つーことで・・・
今回はひさしぶりにEDCグッズを更新しました!!!
そう、

自分へのお年玉として新しいショルダーバッグが来たもので・・・

まずは

ペットボトルホルダーと我が一族の紋章を付け替えて・・・

メインポケットには今回とりあえずこれだけに厳選

左から時計回りに、
携帯電話→財布(各種カードや救急絆創膏なども入ってます)→コインケース(クルマのキーや
免許証などで運転時のみ)→キーホルダーであります
で、キーホルダーには、

上から時計回りに、
自宅と実家と車庫の鍵→LUMINTOP EDC01(wing-MOD5000k)ライト(充電式リチウムAAA)
→たこ焼き専用?チタン爪楊枝→笛→ミニバール→ビクトリノックス クラシック
バックアップライトがNITECOREのTIKIから替わってますが、あとは昨年とほぼ同じ
フロントポケットには、

左から時計回りに、
折り畳み傘→ACEBEAMのH16ライト→眼鏡拭き→マスク2→歯間ブラシ2種とトレイルミックス
→エコバッグであります
(エコバッグの中にサイズの異なるレジ袋を詰め込んであり、買い足し以外にも災害時などの
・水筒用・防水用・呼吸用・便器用としても使う予定)
愛用の折り畳み傘が壊れたので更新、最近トレイルミックスをいただいたので飴がわりに、
あとは昨年とほぼ同じかな
バックポケットには、

左上から時計回りに、
ポケットティッシュ→携帯ポンチョ→ダクトテープ・紙マッチ・ライターのセット
→細引き→鎮痛解熱剤など常備薬のセットであります
ウェットティッシュや大きなポリ袋、レスキューシート、手袋、アルコールスプレーなど、
嵩張るものは思い切って別のバッグに移動しました
そう、昨年チェック時からEDCバッグが小さくなったのでEDCグッズも減らしてみた次第
上記まとめ記事にあるEDCグッズ一覧に較べるとやや頼りないですが、最近は外出といっても
徒歩圏内が殆どだし(徒歩圏内でもママチャリだし

飲食店か医院ぐらいなので短時間だし、まあいいかと・・・
もちろん行先によってEDCバッグも内容も替えるつもりで、いちおー用意はしてるのですが、
いったん身軽になると再び重くて大きいEDCグッズを持ち歩けるのかどーだか・・・

2025年01月30日
2025年01月18日
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
とーとつですが・・・
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり高齢恒例になった、もと職場の同期会で楽しんできました
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね
と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました
ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです
で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが
トラウトサーモンマリネとマイクロセロリ

芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります
わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね
今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め
)約4倍の時間を要し、
帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???
バルセロナで一番おいしいパエリア!!!
つーことで水曜日、すっかり
わたくし大阪駅の西側エリアは中央郵便局がJPタワーになってから初めてだったので、
まずはそのあたりの様子からメモ・・・

西梅田駅から西への地下通路ができてたのね・・・

で、すぐにJPタワー方面への案内があり、

見上げれば高いビル・・・

JPタワー内のKITTE OSAKAに入り、ビル地下を縦断して地上に上がれば、


大阪駅西口に直結するINOGATE OSAKAイノゲート大阪へ・・・
で、

その2階から5階までが「おっさん(03)をはじめとするすべてのオフィスワーカー向けに、
大阪の老舗や路地裏の名店から海外の有名レストランまで大集結した」とゆー、
「バルチカ03(おっさん)」なのでありますね

と、迷う覚悟で早めに出たら早く着いたので、ちと付近を散策・・・




梅田スカイビルまでの北側エリアも西側エリアもどんどん変わってきてますね
もとは鉄道貨物などの物流拠点、さらに昔は大阪七墓のひとつだったのですが・・・
自由に鑑賞できるアート作品も・・・


いくつかあるようですが・・・
ま、ひとつだけ・・・

で、バルチカ03(おっさん)の3階に上がれば・・・

確かに大阪の老舗バー「サンボア」も入ってました

ちなみに帰りがけに二次会と称し、ここでさらに飲んだくれた輩もいたようです

で、こちらが「バルセロナで一番おいしいパエリア」とゆーお店・・・



チリンギート・エスクリバであります
バルセロナと東京にしかなかったのが今回はじめて大阪にも出店したのだとか・・・
ま、おっさん(おばはん)の泥酔画像をアップしても当サイトのアクセス数が落ちるだけなので、
以下てきとーにコース料理のみ、さくさくっとご紹介
日本人らしく、まずはセルベッサ(スーパードライ)で乾杯して、

スペイン産オリーブのシトラスマリネ

イベリコ豚の生ハムとクリスピーブレッドの「エアバッグ」


フレッシュマッシュルームのサラダ

ピンボケですが


芳酵アボガドのワカモレディップとトルティーヤチップス

ここらあたりでスパークリングワインに切り替えて・・・
そーいや「本日のサングリア」を頼むのを忘れてたな うぐぐぐ

フライドポテトのブラバスとアイオリソース添え「バタータスブラバス」


海老のアヒージョ
などタパスやピンチョスをたっぷり味わったところで、いよいよシメつーかメインの・・・

「バルセロナで一番おいしい」パエリアであります

わたくしバルセロナではパエリアを食べる機会がなく、期待してたのでありますね

今回のメンバーは6人、2~3人でシェアするスタイルだったので・・・

オーソドックスなミックス・パエリアと、

イカスミ・パエリアの2種類にしました
とーぜん、どちらも6人で仲良く?シェアしあって

完食であります・・・げふっ
「本日のサングリア」を忘れてたのは残念でしたが、じつに楽しかったです
で、セルベッサとスパークリングワイン数杯だけですっかり出来上がったわたくし、
往路は30分ちょいで着いたのに、帰路は(四つ橋線往復も含め

帰宅したのは「サンボア」で飲み続けてた3人と変わらなかったようです
加齢とともに酔いやすくなるそうですが、わたくしの場合は飲むと歩くのがつらい状態が
常態化しており、お店で飲んで帰宅するのがますます困難になってきてますね
それでも、たまには街に出て飲みたいのですが、自転車は昨年11月から飲酒運転の取り締まりが
さらに厳しくなったようだし、電車がある時間帯にタクシーつーのも抵抗があるし・・・
さてさて、どうしたものか???

2025年01月10日
自分へのお年玉2025
とーとつですが自分へのお年玉2025であります
まずは・・・


乾電池型・直接充電・リチウムイオン充電池の追加であります
ロワジャパンの単三型と単四型それぞれ4本ずつのセットを買ってみました
ご覧のとおり1本あたり500円ほどで100均のアルカリ電池だと20本は買えるお値段ですが、
スペックには1000回は繰り返し使えるとあり、充電に要する電気代はほぼ無視できるので、
単純に考えると、コストはアルカリ電池の1/50・・・つーことになるはず
どちらにも二股の充電コードが付いてたのが便利です

(ちなみに充電には1A以上が推奨されてましたが使用中のは一応2Aです)
(1/13追記です)
自宅に3台あるAM/FMラジオで試してみると、AMもFMも聴けたラジオ、FMだけ聴けたラジオ、
AMもFMも聴けなくなったラジオに分かれました
ネット検索してみると、3.7vから1.5vに降圧するための電池内蔵の変圧器からのノイズが、
アナログの無線機やラジオには影響するとありました
ま、ラジオにより差が出る理由はわかりませんでしたが、いちおー追記しておきます
で、自分へのお年玉のふたつめは、


広角レンズ対応のレンズフードであります
(35mmフィルム換算)28mm以上の広角レンズに使える(ケラれない)とあったので購入しました
で、こちらが(35mmフィルム換算)28mm~300mmズームに付いてた純正レンズフード・・・

せっかくの小型軽量・高倍率ズームレンズなのに、フードを付けっぱだと長くなり嵩張るし、
いちいちフードを脱着するのは面倒だし、レンズ保護にはプラ製でハメ込み式つーのも
やや不安だったし・・・
そう、わたくしレンズをよくぶつけるので保護用としてフードかキャップは必須アイテム、
フードを付けっぱだと収納時にいちいちキャップを付けなくても済みます
で、今回のは・・・


最大径は同じ(72mm)ですが、かなり短くなって付けっぱでもそんなに嵩張りません
(じつは広角対応のラバーフードも探してたのですが、今回はたまたま品切れでした)
さらにプラ製からアルミ製に、ハメ込み式からしっかりした「ねじ式」
になったので、
強度的にも少しは増したかと期待していますメメクラゲに刺されても大丈夫
まあ泥酔してぶつけたらフードどころかレンズもカメラ本体も危ないでしゅが
で、お年玉の最後は(配送料の関係で)買い合わせた安物ショルダーバッグ


モンベルのランバーパックMでも大きすぎるような軽いお出かけ用に買ってみました
重さは280gでサイズは29×20×9cm、容量はランバーパックMのメインポケット部分だけと、
ほぼ同じぐらいですね
で、届くと同時にボトムのクッションを自作

ま、自作といっても古いマットをサイズに合わせてカットしただけでしゅが

内容物の保護だけでなく置いた際に安定しますし、わたくし全てのリュックやバッグに
底敷を入れることにしています
ま、メイン以外のポケットにはマチがなく薄物しか入らないし、ショルダーベルトはペラペラ、
生地も縫製もデザインも安っぽい感じ(お値段相当か
)でしたが・・・
ともかく色合いだけは許せるかと・・・
これでEDCするショルダーバッグも、お出かけ先に応じて・・・


3サイズ揃ったことだし、今年こそ頻繁に外出してリハビリせねばなるまいてベジテ
って、今日も一歩も自宅を出ず(飲みつつ)この記事を書いただけ・・・ひっく

まずは・・・


乾電池型・直接充電・リチウムイオン充電池の追加であります
ロワジャパンの単三型と単四型それぞれ4本ずつのセットを買ってみました
ご覧のとおり1本あたり500円ほどで100均のアルカリ電池だと20本は買えるお値段ですが、
スペックには1000回は繰り返し使えるとあり、充電に要する電気代はほぼ無視できるので、
単純に考えると、コストはアルカリ電池の1/50・・・つーことになるはず
どちらにも二股の充電コードが付いてたのが便利です

(ちなみに充電には1A以上が推奨されてましたが使用中のは一応2Aです)
(1/13追記です)
自宅に3台あるAM/FMラジオで試してみると、AMもFMも聴けたラジオ、FMだけ聴けたラジオ、
AMもFMも聴けなくなったラジオに分かれました
ネット検索してみると、3.7vから1.5vに降圧するための電池内蔵の変圧器からのノイズが、
アナログの無線機やラジオには影響するとありました
ま、ラジオにより差が出る理由はわかりませんでしたが、いちおー追記しておきます
で、自分へのお年玉のふたつめは、


広角レンズ対応のレンズフードであります
(35mmフィルム換算)28mm以上の広角レンズに使える(ケラれない)とあったので購入しました
で、こちらが(35mmフィルム換算)28mm~300mmズームに付いてた純正レンズフード・・・

せっかくの小型軽量・高倍率ズームレンズなのに、フードを付けっぱだと長くなり嵩張るし、
いちいちフードを脱着するのは面倒だし、レンズ保護にはプラ製でハメ込み式つーのも
やや不安だったし・・・
そう、わたくしレンズをよくぶつけるので保護用としてフードかキャップは必須アイテム、
フードを付けっぱだと収納時にいちいちキャップを付けなくても済みます
で、今回のは・・・


最大径は同じ(72mm)ですが、かなり短くなって付けっぱでもそんなに嵩張りません
(じつは広角対応のラバーフードも探してたのですが、今回はたまたま品切れでした)
さらにプラ製からアルミ製に、ハメ込み式からしっかりした「ねじ式」

強度的にも少しは増したかと期待していますメメクラゲに刺されても大丈夫
まあ泥酔してぶつけたらフードどころかレンズもカメラ本体も危ないでしゅが

で、お年玉の最後は(配送料の関係で)買い合わせた安物ショルダーバッグ



モンベルのランバーパックMでも大きすぎるような軽いお出かけ用に買ってみました
重さは280gでサイズは29×20×9cm、容量はランバーパックMのメインポケット部分だけと、
ほぼ同じぐらいですね
で、届くと同時にボトムのクッションを自作


ま、自作といっても古いマットをサイズに合わせてカットしただけでしゅが


内容物の保護だけでなく置いた際に安定しますし、わたくし全てのリュックやバッグに
底敷を入れることにしています
ま、メイン以外のポケットにはマチがなく薄物しか入らないし、ショルダーベルトはペラペラ、
生地も縫製もデザインも安っぽい感じ(お値段相当か

ともかく色合いだけは許せるかと・・・

これでEDCするショルダーバッグも、お出かけ先に応じて・・・


3サイズ揃ったことだし、今年こそ頻繁に外出してリハビリせねばなるまいてベジテ
って、今日も一歩も自宅を出ず(飲みつつ)この記事を書いただけ・・・ひっく
