2025年05月16日
京都八景亡者の戯れ2025春
とーとつですが・・・
5月14日、恒例の史跡サークルの同期会に参加してきました
毎年ほぼ変わらぬ光景ですが今回もさくさくっとメモしておきます

三条大橋

対岸には鴨川の川床

で、上流の突き当りが鴨川デルタ・・・見えてませんが・・・

高瀬川

「やまや」にも何となく京都風情が・・・
高瀬川沿いの木屋町通を北上します

押小路を過ぎれば・・・


高瀬川一之舟入りで・・・

その向かいが・・・

高瀬川の源流で角倉了以の別邸から山縣有朋の第二無鄰菴だった、いつもの「がんこ二条苑」

いつもの下駄箱に靴を入れて・・・


今回はじめて蔵を改装した部屋に案内されました




前回よりワンランクアップした飲み放題コース・・・


ビールからハイボールに切り替え、さらに何杯かお替りしたところで・・・
何故かコース画像も食べた記憶もぷっつりと消えてました
でも奇跡的に、



小川治兵衛作の名庭は酩酊しつつも撮影してたようです



今年もツツジが満開でした
で、恒例の(半世紀前の女子大生たちとの)記念撮影も無事に終了して三々五々で解散、
わたくしは、この日たまたま四条河原町ミュンヘンでのSF研究会の同窓会と重なっており、
遅れて会場に向かおうと、むかし覚えた数え歌を思い出し・・・
まるたけえびすにおしおいけ
あねさんろっかくたこにしき
しあやぶったか・・・
そう、二条通から四条通までは木屋町を南に押小路、御池通、姉小路、三条通、六角小路、
蛸薬師通、錦小路と下れば1kmちょいなのですが、何せ完全に出来上がってたもので、


三条大橋まで戻るのがやっと、今回はあきらめて京阪電車で帰宅しました
ううっ、四条大橋は「遠すぎた橋」やった・・・
思い出のP.S
そーいや学生時代には、何度も今出川通から四条通まで歩きましたねえ
そう、鴨川べりを黒髪の乙女と二人きりで
・・・ではなく、
飲んだくれて酔い覚ましにふらふらと・・・でもなく、
(わたくし学生時代には殆ど飲めませんでしたから
)
市電代バス代(入学当初は25円!!!)まで使い果たし、通学定期のある阪急・四条烏丸駅まで、
それはもう哀しく侘しく一人きりで、とぼとぼと・・・
5月14日、恒例の史跡サークルの同期会に参加してきました
毎年ほぼ変わらぬ光景ですが今回もさくさくっとメモしておきます

三条大橋

対岸には鴨川の川床

で、上流の突き当りが鴨川デルタ・・・見えてませんが・・・

高瀬川

「やまや」にも何となく京都風情が・・・

高瀬川沿いの木屋町通を北上します

押小路を過ぎれば・・・


高瀬川一之舟入りで・・・

その向かいが・・・

高瀬川の源流で角倉了以の別邸から山縣有朋の第二無鄰菴だった、いつもの「がんこ二条苑」

いつもの下駄箱に靴を入れて・・・


今回はじめて蔵を改装した部屋に案内されました




前回よりワンランクアップした飲み放題コース・・・


ビールからハイボールに切り替え、さらに何杯かお替りしたところで・・・
何故かコース画像も食べた記憶もぷっつりと消えてました

でも奇跡的に、



小川治兵衛作の名庭は酩酊しつつも撮影してたようです



今年もツツジが満開でした
で、恒例の(半世紀前の女子大生たちとの)記念撮影も無事に終了して三々五々で解散、
わたくしは、この日たまたま四条河原町ミュンヘンでのSF研究会の同窓会と重なっており、
遅れて会場に向かおうと、むかし覚えた数え歌を思い出し・・・



そう、二条通から四条通までは木屋町を南に押小路、御池通、姉小路、三条通、六角小路、
蛸薬師通、錦小路と下れば1kmちょいなのですが、何せ完全に出来上がってたもので、


三条大橋まで戻るのがやっと、今回はあきらめて京阪電車で帰宅しました
ううっ、四条大橋は「遠すぎた橋」やった・・・

思い出のP.S
そーいや学生時代には、何度も今出川通から四条通まで歩きましたねえ
そう、鴨川べりを黒髪の乙女と二人きりで

飲んだくれて酔い覚ましにふらふらと・・・でもなく、
(わたくし学生時代には殆ど飲めませんでしたから

市電代バス代(入学当初は25円!!!)まで使い果たし、通学定期のある阪急・四条烏丸駅まで、
それはもう哀しく侘しく一人きりで、とぼとぼと・・・

2025年05月12日
マルチポケットショルダーバッグ
とーとつですが・・・
昨日、ショルダーバッグを買ってきました

置いてあるのは大きさ比較用「98k様 ご愛用」ライト
そう、

ユニクロのマルチポケットショルダーバッグ・オリーブであります
公式ホームページの仕様では、横36cm×縦26.5cm×マチ11cm,
ショルダーの長さ:61cm~115cm,容量:13リットルとなってました
商品名のとおりフロントに2、サイドに2、インナーに3のマルチポケット仕様で、

サイドポケットの片側はマチが大きめでホック止め、

もう片側にはマチがなくホックもありませんがファスナーが付いてて、

マチが拡がるようになっており、そのままでは500mlペットボトルがギリギリのサイズ
(もう片側はかなり余裕)でしたが、マチを広げると開口部はかなり大きくなります
荷物が少ない時にサイドポケットの片側だけでもペタンコになるのは嬉しいです
インナーの3ポケットにマチはなく、上に見える大ポケットは中綿入りでした

さっそく断熱マットで底敷きを作ってセットしてあります
(ボトムにも薄い中綿が入ってましたが底敷き追加でさらに安定させるのが98k流
)
各所に薄い中綿が入ってクッション性もそれなりなのに、量ってみると重さは300gもなく、
A4ファイルが入る大きさで、この軽さつーのも嬉しい限り・・・
そう、わたくしこのサイズではアルファのカメラバッグや、ウェストルーパーのカメラバッグ、
コンドルのレスポンスバッグなどを持ってるのですが、カメラバッグは中綿が分厚いので
大きさの割に容量が小さくて重く、レスポンスバッグもふだん使いにはちと大袈裟なので、
お気楽に使えるA4サイズのショルダーバッグを探してたので、これでめでたしめでたし
と、昨日いそいそと近所のユニクロで買って帰り奥様に見せたら、さんざん試してみて、
「気に入ったから母の日のプレゼントにもらっておくわ、ありがと」と・・・うぐぐぐ
あなたはわたくしの母親ではなく息子たちの母親ではなかったのか・・・うぐぐぐ
でもまあ、考えてみれば・・・
重いものを持ち歩く脚力を回復する努力をせず
バッグの買い替えとかで対応しよう
とゆーよーな姿勢は・・・高齢者としていかがなものか・・・ぷつん
昨日、ショルダーバッグを買ってきました

置いてあるのは大きさ比較用「98k様 ご愛用」ライト

そう、

ユニクロのマルチポケットショルダーバッグ・オリーブであります
公式ホームページの仕様では、横36cm×縦26.5cm×マチ11cm,
ショルダーの長さ:61cm~115cm,容量:13リットルとなってました
商品名のとおりフロントに2、サイドに2、インナーに3のマルチポケット仕様で、

サイドポケットの片側はマチが大きめでホック止め、

もう片側にはマチがなくホックもありませんがファスナーが付いてて、

マチが拡がるようになっており、そのままでは500mlペットボトルがギリギリのサイズ
(もう片側はかなり余裕)でしたが、マチを広げると開口部はかなり大きくなります
荷物が少ない時にサイドポケットの片側だけでもペタンコになるのは嬉しいです
インナーの3ポケットにマチはなく、上に見える大ポケットは中綿入りでした

さっそく断熱マットで底敷きを作ってセットしてあります

(ボトムにも薄い中綿が入ってましたが底敷き追加でさらに安定させるのが98k流

各所に薄い中綿が入ってクッション性もそれなりなのに、量ってみると重さは300gもなく、
A4ファイルが入る大きさで、この軽さつーのも嬉しい限り・・・
そう、わたくしこのサイズではアルファのカメラバッグや、ウェストルーパーのカメラバッグ、
コンドルのレスポンスバッグなどを持ってるのですが、カメラバッグは中綿が分厚いので
大きさの割に容量が小さくて重く、レスポンスバッグもふだん使いにはちと大袈裟なので、
お気楽に使えるA4サイズのショルダーバッグを探してたので、これでめでたしめでたし
と、昨日いそいそと近所のユニクロで買って帰り奥様に見せたら、さんざん試してみて、
「気に入ったから母の日のプレゼントにもらっておくわ、ありがと」と・・・うぐぐぐ

あなたはわたくしの母親ではなく息子たちの母親ではなかったのか・・・うぐぐぐ

でもまあ、考えてみれば・・・
重いものを持ち歩く脚力を回復する努力をせず


とゆーよーな姿勢は・・・高齢者としていかがなものか・・・ぷつん

2025年05月06日
姫路OFF会ふたたび
とーとつですが・・・
昨年7月が最後となった姫路OFF会ですが、この連休中はアジトが使えるとのことで、
wingさんからお誘いがあり、ひさしぶりにメンバーが集まったのでメモしておきます
恒例により川端号が大阪で98k、神戸でwingさんをピックアップしてコンビニに立ち寄り、
姫路アジトに着いたのは5月3日の夕方でした


まずは持ち寄り品や買い出し品で、ばくばくごくごく・・・
ただし20年にわたる学習成果により、今回は酔いつぶれる前に・・・



寝床をセットしてたのでありますね これぞホモ・サピエンスの進化の証し!!!
って、約1名がもうシュラフに入ろうとしてましゅが・・・
で、7時前にはBullittさんも到着して盛り上がり、9時過ぎには仕事中の赤チャリさんを拉致、
この日のフルメンバー5人が揃ったところで・・・

おなじみ「てんじく」に行って、まずは乾杯!!

(飲まない2人と飲みたいけどクルマ帰宅で飲めない1人はソフトドリンク)


だから食べる前に撮ればよいものを・・・
と、アジトに戻ってからは、いちおー




ライトOFF会らしい雰囲気になってきましたが・・・
ま、そんな世俗とは一切関係なく・・・

孤高に「おしごと」の続きをされてる方もおられました・・・
で、日付が変わり翌朝から所用のあるBullittさんが帰宅、残る4人のヲタ話やバカ話は延々と
朝の4時前まで続きましたが、今回もじつに楽しかったですねえ
と、翌4日に全員がシュラフから出揃ったのは昼前でした

(wingさん撮影画像)
三々五々でコーヒーや残りものなんぞでまったりしてから、遅めの昼食へ・・・
で、この日は、




ステーキ・ガストのビーフとチキンでした ばくばくばく
恒例によりコンビニで甘味やアイスなんぞを買い足して・・・

またまた延々とヲタ話やバカ話が続きました
たまたまメタ認知のハナシになれば、4人とも出会ってから服装センスが全く変わっておらず、
これは4人ともしっかり自我が確立されてるからなのだ、とか・・・
ま、わたくしは半世紀前から同じセンスつーか同じ払下げ品を着てましゅが・・・
このメンバーでの付き合いは20年近く続いてるのですが、仕事や性格や家庭環境はバラバラ、
ライト好きが共通といっても深さも指向もバラバラなのですが、話題が尽きることはなく、
お会いする度に新鮮で、毎回楽しませてもらってます
と、連休中なのでクルマの混み具合を考慮して、この日は夜遅くに解散つーことになり・・・
待ちに待った夕食であります

(wingさん撮影画像)
そう、ペヤングやきそば「超超超超超超大盛りペタマックスにんにくMAX」であります
ペタマックスの内容量は844gですが麺そのものは660gなので4人なら軽く完食・・・
と思ってましたが、660gに添付のソースや具材と2.2リッターの熱湯を追加して作るので、
総重量は一時3kg超になるわけで、いくらかは湯切りしても完成すれば・・・

かなり不安になるボリュームに
(完成重量は1.7kgで通常の蒸し麵は1玉200gですから麺量的には8.5人前ぐらい?)
一気に食べようとしましたが、ともかく先入れと後入れのにんにくパンチが強烈で、

ソースもふつーのペヤングとは全く別物の「どろどろ辛口にんにくソース」だったので、
やがて脂汗つーか冷や汗つーか、怪しい体液が体中から噴き出してきました
で、最後の1人前とゆーところで、ついに全員がギブアップ・・・

ええい、ままよと、わたくしとwingさんが口いっぱいにかき込んで・・・

ともかく完食であります げふっ
上記リンク記事では「3人で半分が限界だった」とありましたから、偉業を達成???
記事にもあるとおり、にんにく味・辛味・塩味が強烈で1人前でも飽きるような味付け、
確かに大量に食べるにはやや不向きな商品コンセプトだったかもですね・・・げふっ
ま、せっかくなので記念写真を撮ってもらいました・・・

(wingさん撮影画像)
じつは作り笑いで
、モールスキンシャツは体液まみれで脱ぎ捨ててますね
口から鼻からもとい体中から、麺とにんにくが溢れそうでした
って、良い子の皆さん、特に高齢者の皆さんは決して真似しないように・・・
と、さすがに10時半に出発するまで殆ど動けず喋れず、口にするのはお茶のみでした
川端号に送っていただき深夜帰宅してからも食欲はなく、ビール1缶だけで就寝しましたが、
翌朝のトイレや寝室には自分でも感じるぐらい強烈なにんにく臭が溢れてました
まさに締切厳禁・換気必須・喫食後外出厳禁の「やきそば」体験でした どっとはらい
つーことで・・・
次回OFF会の夕食は、ふつー味のペタマックスでキマリですね げひげひ
昨年7月が最後となった姫路OFF会ですが、この連休中はアジトが使えるとのことで、
wingさんからお誘いがあり、ひさしぶりにメンバーが集まったのでメモしておきます
恒例により川端号が大阪で98k、神戸でwingさんをピックアップしてコンビニに立ち寄り、
姫路アジトに着いたのは5月3日の夕方でした


まずは持ち寄り品や買い出し品で、ばくばくごくごく・・・
ただし20年にわたる学習成果により、今回は酔いつぶれる前に・・・



寝床をセットしてたのでありますね これぞホモ・サピエンスの進化の証し!!!
って、約1名がもうシュラフに入ろうとしてましゅが・・・
で、7時前にはBullittさんも到着して盛り上がり、9時過ぎには仕事中の赤チャリさんを拉致、
この日のフルメンバー5人が揃ったところで・・・

おなじみ「てんじく」に行って、まずは乾杯!!


(飲まない2人と飲みたいけどクルマ帰宅で飲めない1人はソフトドリンク)


だから食べる前に撮ればよいものを・・・
と、アジトに戻ってからは、いちおー




ライトOFF会らしい雰囲気になってきましたが・・・
ま、そんな世俗とは一切関係なく・・・

孤高に「おしごと」の続きをされてる方もおられました・・・
で、日付が変わり翌朝から所用のあるBullittさんが帰宅、残る4人のヲタ話やバカ話は延々と
朝の4時前まで続きましたが、今回もじつに楽しかったですねえ
と、翌4日に全員がシュラフから出揃ったのは昼前でした

(wingさん撮影画像)
三々五々でコーヒーや残りものなんぞでまったりしてから、遅めの昼食へ・・・
で、この日は、




ステーキ・ガストのビーフとチキンでした ばくばくばく
恒例によりコンビニで甘味やアイスなんぞを買い足して・・・

またまた延々とヲタ話やバカ話が続きました
たまたまメタ認知のハナシになれば、4人とも出会ってから服装センスが全く変わっておらず、
これは4人ともしっかり自我が確立されてるからなのだ、とか・・・

ま、わたくしは半世紀前から同じセンスつーか同じ払下げ品を着てましゅが・・・

このメンバーでの付き合いは20年近く続いてるのですが、仕事や性格や家庭環境はバラバラ、
ライト好きが共通といっても深さも指向もバラバラなのですが、話題が尽きることはなく、
お会いする度に新鮮で、毎回楽しませてもらってます
と、連休中なのでクルマの混み具合を考慮して、この日は夜遅くに解散つーことになり・・・
待ちに待った夕食であります


(wingさん撮影画像)
そう、ペヤングやきそば「超超超超超超大盛りペタマックスにんにくMAX」であります

ペタマックスの内容量は844gですが麺そのものは660gなので4人なら軽く完食・・・
と思ってましたが、660gに添付のソースや具材と2.2リッターの熱湯を追加して作るので、
総重量は一時3kg超になるわけで、いくらかは湯切りしても完成すれば・・・

かなり不安になるボリュームに

(完成重量は1.7kgで通常の蒸し麵は1玉200gですから麺量的には8.5人前ぐらい?)
一気に食べようとしましたが、ともかく先入れと後入れのにんにくパンチが強烈で、

ソースもふつーのペヤングとは全く別物の「どろどろ辛口にんにくソース」だったので、
やがて脂汗つーか冷や汗つーか、怪しい体液が体中から噴き出してきました

で、最後の1人前とゆーところで、ついに全員がギブアップ・・・

ええい、ままよと、わたくしとwingさんが口いっぱいにかき込んで・・・

ともかく完食であります げふっ
上記リンク記事では「3人で半分が限界だった」とありましたから、偉業を達成???

記事にもあるとおり、にんにく味・辛味・塩味が強烈で1人前でも飽きるような味付け、
確かに大量に食べるにはやや不向きな商品コンセプトだったかもですね・・・げふっ
ま、せっかくなので記念写真を撮ってもらいました・・・

(wingさん撮影画像)
じつは作り笑いで

口から鼻からもとい体中から、麺とにんにくが溢れそうでした

って、良い子の皆さん、特に高齢者の皆さんは決して真似しないように・・・
と、さすがに10時半に出発するまで殆ど動けず喋れず、口にするのはお茶のみでした
川端号に送っていただき深夜帰宅してからも食欲はなく、ビール1缶だけで就寝しましたが、
翌朝のトイレや寝室には自分でも感じるぐらい強烈なにんにく臭が溢れてました
まさに締切厳禁・換気必須・喫食後外出厳禁の「やきそば」体験でした どっとはらい
つーことで・・・
次回OFF会の夕食は、ふつー味のペタマックスでキマリですね げひげひ

2025年05月01日
偉大な発明図鑑・・・
風薫る五月になり、はじめての記事は・・・

身近すぎて気づかない「偉大な発明図鑑」のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

わたくし、こんな図鑑を眺めるのも、けっこう好きなのでありますね
著者・訳者紹介

奥付

目次であります


そう、全部で79品目あり、わたくしにも(62,68,70を除き
)おなじみのモノばかりでした
ま、「ビクトリノックス」が創業者の母親の名前(ビクトリア)とイノックス(ステンレス)の
合成語だっとか、知らなかったこともいくつかありましたが、サンドイッチ諸説とか、
わたくしが知っていることも多く、突っ込んだ内容が少ないのは残念と言えば残念でしたが・・・
確かにそれぞれの発明について突っ込んで書けば、そのエピソードだけでも一冊の本になる
でしょうから、この程度のツッコミが適当なのかも知れませんね

身近すぎて気づかない「偉大な発明図鑑」のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

わたくし、こんな図鑑を眺めるのも、けっこう好きなのでありますね

著者・訳者紹介

奥付

目次であります


そう、全部で79品目あり、わたくしにも(62,68,70を除き

ま、「ビクトリノックス」が創業者の母親の名前(ビクトリア)とイノックス(ステンレス)の
合成語だっとか、知らなかったこともいくつかありましたが、サンドイッチ諸説とか、
わたくしが知っていることも多く、突っ込んだ内容が少ないのは残念と言えば残念でしたが・・・
確かにそれぞれの発明について突っ込んで書けば、そのエピソードだけでも一冊の本になる
でしょうから、この程度のツッコミが適当なのかも知れませんね
2025年04月22日
体験的女優論
とーとつですが・・・

「体験的女優論」とゆー本の読書記録であります
著者略歴と奥付

そう、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫が2021年4月から2024年5月まで
「日刊ゲンダイ」に毎週連載していた記事をまとめた本であります
上の略歴に本文から少し補足すると・・・
1948年に名古屋市に生まれ子どもの頃から両親の影響で邦画・洋画に親しんでいたとあり、
1967年に大学進学で上京、1972年に徳間書店に入社して配属は「週刊アサヒ芸能」編集部、
やがて雑誌「アニメージュ」編集部の時代にスタジオジブリ創設に関わり・・・となります
著者の学生時代は70年安保に向け揺れ動いていた頃、いっぽう宮崎駿は彼の8歳年上ですから、
学生時代は60年安保の最中、わたくしの学生時代は70年安保のいわば「焼け跡派」になるので、
著者の世代は宮崎駿の世代とわたくしの世代の中間になり、本書に登場する映画やテレビドラマ、
監督さんや女優さんたちには、けっこう親近感がありました
例によって目次のみ


「体験的女優論」なので目次には女優が並んでますが、女優名はいわば索引のようなもので、
内容は映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との関わりなど
多岐に渡っており、まさに映画ファンとしての面目躍如、特にわたくしが放送当時には殆ど
観てなかった「優れたテレビドラマ」の紹介が興味深く新鮮だったので、本書で秀作とされてた
邦画と合わせて、いずれ観てみたいと思った次第
以下、思いつくままの読後メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・最初に好きになった女優はヘイリー・ミルズで初めて英語でファンレターを出した
⇒当時は中学生で返事はなかったが後年ジブリ映画の世界配給でディズニー本社に行った際に、
好きなディズニー作品を聞かれヘイリー・ミルズ作品と言ったら後日、本人から手紙が来た!!!
⇒ファンレターを出してから35年ぶりにもらった返事だった
・宮崎駿は「陽のあたる坂道」などの芦川いづみの大ファンで、ルパン三世のクラリスから
風立ちぬの菜穂子まで、すべてのヒロインに投影されている
⇒木之内みどりもその流れを感じさせる女優で、クラリスの飼ってる犬の名前もテレビドラマ
「刑事犬カール」から絶対に取っていると僕は思っている
(発想の影に好きな女優への想いがあるのもジブリ作品の魅力)
・梶芽衣子は野良猫ロックシリーズ(1970~71)で大好きになる
⇒このシリーズに影響を与えたのは「冒険者たち」(1967)だと思っている
・1972年の春に徳間書店に入社したが夏に盲腸破裂で緊急手術、高熱で入院が続いていた
⇒「女囚701号さそり」(1972)は篠原とおる原作からのファンで、どうしても映画が観たくて、
⇒こっそり病院を抜け出しタクシーで公開初日の映画館に行った
⇒上映が終了した瞬間に気を失い運ばれたが救急車だとバレるのでタクシーで病院に戻った
⇒その夜からさらに高熱になり苦しんだが医者に本当のことは言えなかった
⇒退院して最初に買いに行ったのは梶芽衣子が映画で着ていたコート(表紙絵)と映画LPレコード
・宮崎駿は倍賞千恵子が映画デビューしてから「下町の太陽」あたりまでは、おそらく観ている
⇒当時の青春スターは日活なら吉永小百合、東映なら本間千代子、松竹が倍賞千恵子らで、
宮崎駿の大好きな工場で働く若者の映画が多かったがブルーカラーは倍賞千恵子がうまかった
⇒ハウルの動く城のソフィーも帽子職人なので提案したと思うがファンなので大賛成した
⇒彼女の歌も大好きで歌うときは高音なので娘も老婆もやれると思って出演を依頼した
⇒ジブリ作品は吉岡秀隆に「天空の城ラピュタ」DVDをプレゼントされて以来よく観てたそうで
快く引き受けてくれたが、映画のイメージとは異なり細かいことを気にしない明るい人だった
・「家族」(1970)は山田洋二監督の最高傑作
・サントリーCMシリーズ(少し愛して、ながーく愛して)は大原麗子の本当の意味での代表作
・風吹ジュンとゲド戦記(略)
・おもひでぽろぽろと今井美樹(略)
・加藤登紀子と紅の豚
⇒ジーナが登場することになった時点で宮崎駿は加藤さんだといった
(宮崎駿は彼女の歌をカセットテープが緩むぐらい聞き込んでいる)
⇒高畑勲の「おもひでぽろぽろ」は声を事前に録って、それを参考に絵を描くプレスコ方式
⇒その直後の「紅の豚」だったので「俺もプレスコやってみたい」と宮崎駿が言い出した
⇒加藤さんのロシア料理店で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンを撮影した
⇒客もスタッフになじみの人ばかりで印象深い収録になった
⇒「時には昔の話を」はスタジオ録音したが声がハスキーになり・・・(以下略)
・「崖の上のポニョ」のフジモトの名前は加藤登紀子の夫の藤本敏夫から
⇒英語版でのフジモトのキャラクター説明は難しかったので・・・(以下略)
・神代辰巳、岸田理生、寺山修司・・・(略)
・テレビのシナリオライターで最も好きなのは山田太一
⇒男たちの旅路、岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たち、早春スケッチブック・・・
⇒「欠点を鋭く指摘して人に恥ずかしい思いをさせるなんてことは、実に下劣なことです
素晴らしいのは、誰にも恥ずかしい思いをさせないような人格だ」
⇒このセリフは山田太一の寺山修司批判でもあると思う(二人は学生時代の親友)
⇒その後「北国の春」をデュエットし、超人と凡人が自分を乗り越えようと必死に歌う
⇒平凡な生活を批判して最後は普通の人をフォローして終わらせているのがすごい
⇒どちらも否定しない最後の言葉は山田太一の寺山修司へのリスペクトであると思う
・山田太一と寺山修司とアフォリズム(略)
・八千草薫のエッセイ集「まあまあふうふう」(馬馬虎虎⇒良い加減の意味⇒略)
・若大将シリーズで星由里子がマドンナの時代(1961~1968)は中学・高校時代と重なる
⇒当時は名古屋にいたが若大将シリーズで、それまでの大学生のイメージが払拭された
⇒東京の大学に行けばスポーツ、歌、ギターで夏は海、冬はスキーで恋するイメージに
⇒大食漢の設定をはじめ加山雄三に合わせたキャラクターだったが大きな影響を受けた
⇒高校まで憧れていて、その先の大学生活をイメージしていた
⇒ところが加山雄三の慶応義塾大学に入ってみるとギターもスポーツもなく学生運動に
⇒映画の中だけと実感したがギターも恋愛も影響は大きく、気分的には冷めていったが
写真集やレコードはいまだに全部持っている
⇒思春期の鈴木にとって星由里子の澄ちゃんは永遠のマドンナ
・「男はつらいよ」のテレビシリーズが好きで学生時代の定食屋で毎週欠かさず観ていた
⇒長山藍子のさくらが印象的だったので映画がいいとは思わなかったが、だんだん倍賞千恵子の
さくらがいいと思うようになっていった⇒マドンナとさくらのやりとりがいい
⇒映画シリーズの本当のマドンナは倍賞千恵子のさくらで彼女がいるから寅さんも・・・
・小津安二郎「麦秋」の「私でよかったら」のセリフ
⇒山田洋次「寅次郎相合い傘」でも高畑勲「おもひでぽろぽろ」でも好みなので使っている
・今村昌平の作品
⇒安保闘争にも高度経済成長にも寄り添っていないものばかりで逆に刺激的だった
⇒週刊アサヒ芸能での仕事と今村監督の仕事は人間臭い業界を徹底的に調べる点で共通していた
・ATGの1000万円映画シリーズ⇒今村昌平の「人間蒸発」から
⇒その露口茂が声を担当した「シャーロック・ホームズの冒険」(1985~1995)は僕も宮崎駿も
大好きで「耳をすませば」(1995)のバロンの声をお願いしたがセリフについて質問攻めに・・・
・今村監督初のカラー映画が「神々の深き欲望」(1968)
⇒近代合理主義⇒資本主義・社会主義・サルトルの実存主義とストロースの構造主義
⇒レヴィ・ストロースのテーマを映像として具現化したのが「神々の深き欲望」
・「もののけ姫」(1997)のテーマと舞台設定を1995年に宮崎駿から聞いて「神々の深き欲望」
を思い出したので「今村さんの映画みたいですね」と言ったら、宮さんの顔つきが変わり、
「それって、神々の深き欲望だよね」とすぐに返ってきた
⇒あれだけ映画タイトルを覚えない人が覚えていたのだから、よほど印象に残ってたはず
⇒どちらも南の島から来た日本人の原型をシシ神の前後と近代化の前後で探す試み
⇒「太陽の王子ホルスの大冒険」と同年の公開なので高畑勲に勧められ観た可能性が高い
⇒高畑は論理で考えるが宮崎には概念がなく抽象化されない
⇒今村は観念的で、その観念の裏付けのために調べ尽くす
⇒宮崎は全部を妄想や想像で発想して調べない
⇒物事の核心テーマを、自分の妄想をコラージュして掴み取って描ける稀有な人
⇒その意味で「もののけ姫」は観念的な「神々の深き欲望」に勝ったと密かに思っている
・とか、続きは「新映画道楽 体験的女優論」で・・・
・あとがきより
⇒この夏に76歳になった(2024)
⇒堀田善衛の「生き延びることだけが勇者ではない」に倣い残り少ない人生を大事に・・・
・・・
こういった感じで映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との
関わりなどから、映画に登場する女優についての「体験的女優論」が展開されてましたが、
自分がファンになった女優たちへの思い入れだけでなく、監督や脚本家などへの思い入れや
作品に対する鋭い考察についても興味津々、最後まで一気に読みました

「体験的女優論」とゆー本の読書記録であります
著者略歴と奥付

そう、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫が2021年4月から2024年5月まで
「日刊ゲンダイ」に毎週連載していた記事をまとめた本であります
上の略歴に本文から少し補足すると・・・
1948年に名古屋市に生まれ子どもの頃から両親の影響で邦画・洋画に親しんでいたとあり、
1967年に大学進学で上京、1972年に徳間書店に入社して配属は「週刊アサヒ芸能」編集部、
やがて雑誌「アニメージュ」編集部の時代にスタジオジブリ創設に関わり・・・となります
著者の学生時代は70年安保に向け揺れ動いていた頃、いっぽう宮崎駿は彼の8歳年上ですから、
学生時代は60年安保の最中、わたくしの学生時代は70年安保のいわば「焼け跡派」になるので、
著者の世代は宮崎駿の世代とわたくしの世代の中間になり、本書に登場する映画やテレビドラマ、
監督さんや女優さんたちには、けっこう親近感がありました
例によって目次のみ


「体験的女優論」なので目次には女優が並んでますが、女優名はいわば索引のようなもので、
内容は映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との関わりなど
多岐に渡っており、まさに映画ファンとしての面目躍如、特にわたくしが放送当時には殆ど
観てなかった「優れたテレビドラマ」の紹介が興味深く新鮮だったので、本書で秀作とされてた
邦画と合わせて、いずれ観てみたいと思った次第
以下、思いつくままの読後メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・最初に好きになった女優はヘイリー・ミルズで初めて英語でファンレターを出した
⇒当時は中学生で返事はなかったが後年ジブリ映画の世界配給でディズニー本社に行った際に、
好きなディズニー作品を聞かれヘイリー・ミルズ作品と言ったら後日、本人から手紙が来た!!!
⇒ファンレターを出してから35年ぶりにもらった返事だった

・宮崎駿は「陽のあたる坂道」などの芦川いづみの大ファンで、ルパン三世のクラリスから
風立ちぬの菜穂子まで、すべてのヒロインに投影されている
⇒木之内みどりもその流れを感じさせる女優で、クラリスの飼ってる犬の名前もテレビドラマ
「刑事犬カール」から絶対に取っていると僕は思っている

(発想の影に好きな女優への想いがあるのもジブリ作品の魅力)
・梶芽衣子は野良猫ロックシリーズ(1970~71)で大好きになる

⇒このシリーズに影響を与えたのは「冒険者たち」(1967)だと思っている
・1972年の春に徳間書店に入社したが夏に盲腸破裂で緊急手術、高熱で入院が続いていた
⇒「女囚701号さそり」(1972)は篠原とおる原作からのファンで、どうしても映画が観たくて、
⇒こっそり病院を抜け出しタクシーで公開初日の映画館に行った
⇒上映が終了した瞬間に気を失い運ばれたが救急車だとバレるのでタクシーで病院に戻った
⇒その夜からさらに高熱になり苦しんだが医者に本当のことは言えなかった

⇒退院して最初に買いに行ったのは梶芽衣子が映画で着ていたコート(表紙絵)と映画LPレコード

・宮崎駿は倍賞千恵子が映画デビューしてから「下町の太陽」あたりまでは、おそらく観ている
⇒当時の青春スターは日活なら吉永小百合、東映なら本間千代子、松竹が倍賞千恵子らで、
宮崎駿の大好きな工場で働く若者の映画が多かったがブルーカラーは倍賞千恵子がうまかった
⇒ハウルの動く城のソフィーも帽子職人なので提案したと思うがファンなので大賛成した
⇒彼女の歌も大好きで歌うときは高音なので娘も老婆もやれると思って出演を依頼した
⇒ジブリ作品は吉岡秀隆に「天空の城ラピュタ」DVDをプレゼントされて以来よく観てたそうで
快く引き受けてくれたが、映画のイメージとは異なり細かいことを気にしない明るい人だった
・「家族」(1970)は山田洋二監督の最高傑作
・サントリーCMシリーズ(少し愛して、ながーく愛して)は大原麗子の本当の意味での代表作
・風吹ジュンとゲド戦記(略)
・おもひでぽろぽろと今井美樹(略)
・加藤登紀子と紅の豚
⇒ジーナが登場することになった時点で宮崎駿は加藤さんだといった
(宮崎駿は彼女の歌をカセットテープが緩むぐらい聞き込んでいる)
⇒高畑勲の「おもひでぽろぽろ」は声を事前に録って、それを参考に絵を描くプレスコ方式
⇒その直後の「紅の豚」だったので「俺もプレスコやってみたい」と宮崎駿が言い出した
⇒加藤さんのロシア料理店で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンを撮影した
⇒客もスタッフになじみの人ばかりで印象深い収録になった
⇒「時には昔の話を」はスタジオ録音したが声がハスキーになり・・・(以下略)
・「崖の上のポニョ」のフジモトの名前は加藤登紀子の夫の藤本敏夫から
⇒英語版でのフジモトのキャラクター説明は難しかったので・・・(以下略)
・神代辰巳、岸田理生、寺山修司・・・(略)
・テレビのシナリオライターで最も好きなのは山田太一
⇒男たちの旅路、岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たち、早春スケッチブック・・・
⇒「欠点を鋭く指摘して人に恥ずかしい思いをさせるなんてことは、実に下劣なことです
素晴らしいのは、誰にも恥ずかしい思いをさせないような人格だ」
⇒このセリフは山田太一の寺山修司批判でもあると思う(二人は学生時代の親友)
⇒その後「北国の春」をデュエットし、超人と凡人が自分を乗り越えようと必死に歌う
⇒平凡な生活を批判して最後は普通の人をフォローして終わらせているのがすごい
⇒どちらも否定しない最後の言葉は山田太一の寺山修司へのリスペクトであると思う
・山田太一と寺山修司とアフォリズム(略)
・八千草薫のエッセイ集「まあまあふうふう」(馬馬虎虎⇒良い加減の意味⇒略)
・若大将シリーズで星由里子がマドンナの時代(1961~1968)は中学・高校時代と重なる
⇒当時は名古屋にいたが若大将シリーズで、それまでの大学生のイメージが払拭された
⇒東京の大学に行けばスポーツ、歌、ギターで夏は海、冬はスキーで恋するイメージに
⇒大食漢の設定をはじめ加山雄三に合わせたキャラクターだったが大きな影響を受けた
⇒高校まで憧れていて、その先の大学生活をイメージしていた
⇒ところが加山雄三の慶応義塾大学に入ってみるとギターもスポーツもなく学生運動に
⇒映画の中だけと実感したがギターも恋愛も影響は大きく、気分的には冷めていったが
写真集やレコードはいまだに全部持っている
⇒思春期の鈴木にとって星由里子の澄ちゃんは永遠のマドンナ

・「男はつらいよ」のテレビシリーズが好きで学生時代の定食屋で毎週欠かさず観ていた
⇒長山藍子のさくらが印象的だったので映画がいいとは思わなかったが、だんだん倍賞千恵子の
さくらがいいと思うようになっていった⇒マドンナとさくらのやりとりがいい
⇒映画シリーズの本当のマドンナは倍賞千恵子のさくらで彼女がいるから寅さんも・・・
・小津安二郎「麦秋」の「私でよかったら」のセリフ
⇒山田洋次「寅次郎相合い傘」でも高畑勲「おもひでぽろぽろ」でも好みなので使っている
・今村昌平の作品
⇒安保闘争にも高度経済成長にも寄り添っていないものばかりで逆に刺激的だった
⇒週刊アサヒ芸能での仕事と今村監督の仕事は人間臭い業界を徹底的に調べる点で共通していた
・ATGの1000万円映画シリーズ⇒今村昌平の「人間蒸発」から
⇒その露口茂が声を担当した「シャーロック・ホームズの冒険」(1985~1995)は僕も宮崎駿も
大好きで「耳をすませば」(1995)のバロンの声をお願いしたがセリフについて質問攻めに・・・
・今村監督初のカラー映画が「神々の深き欲望」(1968)
⇒近代合理主義⇒資本主義・社会主義・サルトルの実存主義とストロースの構造主義
⇒レヴィ・ストロースのテーマを映像として具現化したのが「神々の深き欲望」
・「もののけ姫」(1997)のテーマと舞台設定を1995年に宮崎駿から聞いて「神々の深き欲望」
を思い出したので「今村さんの映画みたいですね」と言ったら、宮さんの顔つきが変わり、
「それって、神々の深き欲望だよね」とすぐに返ってきた
⇒あれだけ映画タイトルを覚えない人が覚えていたのだから、よほど印象に残ってたはず
⇒どちらも南の島から来た日本人の原型をシシ神の前後と近代化の前後で探す試み
⇒「太陽の王子ホルスの大冒険」と同年の公開なので高畑勲に勧められ観た可能性が高い
⇒高畑は論理で考えるが宮崎には概念がなく抽象化されない
⇒今村は観念的で、その観念の裏付けのために調べ尽くす
⇒宮崎は全部を妄想や想像で発想して調べない
⇒物事の核心テーマを、自分の妄想をコラージュして掴み取って描ける稀有な人
⇒その意味で「もののけ姫」は観念的な「神々の深き欲望」に勝ったと密かに思っている
・とか、続きは「新映画道楽 体験的女優論」で・・・
・あとがきより
⇒この夏に76歳になった(2024)
⇒堀田善衛の「生き延びることだけが勇者ではない」に倣い残り少ない人生を大事に・・・
・・・
こういった感じで映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との
関わりなどから、映画に登場する女優についての「体験的女優論」が展開されてましたが、
自分がファンになった女優たちへの思い入れだけでなく、監督や脚本家などへの思い入れや
作品に対する鋭い考察についても興味津々、最後まで一気に読みました