2025年11月10日
日本文化の核心
とーとつですが・・・

日本文化の核心~「ジャパン・スタイル」を読み解く~であります
著者紹介

奥付

例によって目次のみの紹介




目次の項目と小見出しからもわかるとおり、これらの視点になるほどと納得しました
こんな観点から日本文化、ジャパン・スタイルを考える、という本ははじめてでしたし、
日本文化に限らず、この著者の観点から各国の文化を学ぶのも面白そうだとも思いました
以下とても全てはメモできなかったので、「はじめに」だけの概要メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・1970年代の終わりころ、渋谷の壁の穴で「たらこスパゲティ」をはじめて食べて感動し、
これで日本は何とかなる、と確信した
⇒そのうち各地の小さなラーメン屋が独特のラーメンを作り、コム・デ・ギャルソンやイッセイらが
世界にないモードを提供し、井上陽水・忌野清志郎・桑田佳祐らの独特の曲と日本語のポップスや、
大友克洋の「AKIRA」連載も頼もしく、日本は何とかなると感じた
(著者が横須賀功光や十文字美信に国宝級の美術品を撮ってもらい講談社「アート・ジャパネスク」
全18巻を編集制作していた頃)
・その10年後、日本は低迷し民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、お笑い芸人が
テレビを占めて選挙にも立候補し、何でも「かわいい」の時代に・・・
⇒司馬遼太郎は文芸春秋「この国のかたち」連載で「日本はダメになるかも」と呟いていた
・さらに10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらし、
日本はバブルが崩壊したまま「かわいい」文化を蔓延させ、そこにインターネットが登場
⇒これで日本は再び文化力を発揮すると期待したがアメリカン・テクノロジーの追随ばかり
・たらこスパゲティや独特ラーメン、アニメ、日本語ラップなどが語ろうとしていたものを、
小泉・竹中劇場の新自由主義やグローバル資本主義に席巻されるマネー主義が軽々と蹂躙した
・Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか
⇒それをあきらかにするための日本文化や哲学は殆ど解説されなかった
・本書は日本文化の真骨頂・正体・核心・ディープな特色がどこにあったのかについて、
新しい切り口で解説してみようと試みたもの(目次参照)
・断言するが日本文化は一見わかりにくい文脈や表現に真骨頂がある
⇒定家の和歌、道元の禅(中略)芭蕉の俳諧、鴎外の小説(後略)などに何かを感じるなら、
わかりやすくしようと思わず、彼らの放ったコンセプトそのままに日本文化を会得すべき
・プラトンのイデア、カントの理性批判(中略)コルトレーンのジャズ、ウォーホルのポップ
アート(後略)などは何によって「わかった」と言えたのか
⇒それらがわかるのなら日本の哲学や美もわかるはず
・手がかりは「ジャパン・フィルター」(目次参照)
・日本文化の正体は必ず「変化するもの」にある
⇒神や仏、和歌や国学、常磐津や歌舞伎、日本画や昭和歌謡、セーラー服やアニメではなく、
それが「変化するところ」に日本文化の正体があらわれる
⇒それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通じてで、これがジャパン・スタイル
・いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画に浸って「変化の境目」に詳しくなることが必要
⇒白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は「変化の境目」を雄弁に語っている
⇒スペイン継承戦争がわからなければバロックが見えてこないのと同じこと
・ところが日本文化はいつのまにか「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・スーパーマリオ」に
寄りかかってしまった
⇒それなら村田珠光・九鬼周造・柳宗悦・岡潔は必読で、せめて山本兼一「利休にたずねよ」、
岩上尚史「芸者論」、中村昇「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい
・日本は一途で多様な文化をつくってきたが、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める
必要があるのに、日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎた
・安易な日本論ほど日本をミスリードしていく
⇒本書がその歯止めの一助になればと思っている・・・
・・・
本文各講では特に「日本文化を理解するために最低限は知っておくべき」と紹介されていた
本などの概要になるほどと納得しましたが、とてもメモする気力はなく一文だけ・・・
「きらきらとぎらぎら、さらさらとざらざら、こんこんとごんごん、くらくらとぐらぐら、
これらのちがいがわかるのは日本人だけ」で「おもかげ」と「うつろい」の文化・・・
以下略

日本文化の核心~「ジャパン・スタイル」を読み解く~であります
著者紹介

奥付

例によって目次のみの紹介




目次の項目と小見出しからもわかるとおり、これらの視点になるほどと納得しました
こんな観点から日本文化、ジャパン・スタイルを考える、という本ははじめてでしたし、
日本文化に限らず、この著者の観点から各国の文化を学ぶのも面白そうだとも思いました
以下とても全てはメモできなかったので、「はじめに」だけの概要メモです
(著作物からの個人メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・1970年代の終わりころ、渋谷の壁の穴で「たらこスパゲティ」をはじめて食べて感動し、
これで日本は何とかなる、と確信した
⇒そのうち各地の小さなラーメン屋が独特のラーメンを作り、コム・デ・ギャルソンやイッセイらが
世界にないモードを提供し、井上陽水・忌野清志郎・桑田佳祐らの独特の曲と日本語のポップスや、
大友克洋の「AKIRA」連載も頼もしく、日本は何とかなると感じた
(著者が横須賀功光や十文字美信に国宝級の美術品を撮ってもらい講談社「アート・ジャパネスク」
全18巻を編集制作していた頃)
・その10年後、日本は低迷し民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、お笑い芸人が
テレビを占めて選挙にも立候補し、何でも「かわいい」の時代に・・・
⇒司馬遼太郎は文芸春秋「この国のかたち」連載で「日本はダメになるかも」と呟いていた
・さらに10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争が新たな大矛盾をもたらし、
日本はバブルが崩壊したまま「かわいい」文化を蔓延させ、そこにインターネットが登場
⇒これで日本は再び文化力を発揮すると期待したがアメリカン・テクノロジーの追随ばかり
・たらこスパゲティや独特ラーメン、アニメ、日本語ラップなどが語ろうとしていたものを、
小泉・竹中劇場の新自由主義やグローバル資本主義に席巻されるマネー主義が軽々と蹂躙した
・Jポップや日本アニメや日本現代アートに何がひそんでいるのか
⇒それをあきらかにするための日本文化や哲学は殆ど解説されなかった
・本書は日本文化の真骨頂・正体・核心・ディープな特色がどこにあったのかについて、
新しい切り口で解説してみようと試みたもの(目次参照)
・断言するが日本文化は一見わかりにくい文脈や表現に真骨頂がある
⇒定家の和歌、道元の禅(中略)芭蕉の俳諧、鴎外の小説(後略)などに何かを感じるなら、
わかりやすくしようと思わず、彼らの放ったコンセプトそのままに日本文化を会得すべき
・プラトンのイデア、カントの理性批判(中略)コルトレーンのジャズ、ウォーホルのポップ
アート(後略)などは何によって「わかった」と言えたのか
⇒それらがわかるのなら日本の哲学や美もわかるはず
・手がかりは「ジャパン・フィルター」(目次参照)
・日本文化の正体は必ず「変化するもの」にある
⇒神や仏、和歌や国学、常磐津や歌舞伎、日本画や昭和歌謡、セーラー服やアニメではなく、
それが「変化するところ」に日本文化の正体があらわれる
⇒それはたいてい「おもかげ」や「うつろい」を通じてで、これがジャパン・スタイル
・いったんは日本神話や昭和歌謡や劇画に浸って「変化の境目」に詳しくなることが必要
⇒白村江の戦いや承久の乱や日清戦争は「変化の境目」を雄弁に語っている
⇒スペイン継承戦争がわからなければバロックが見えてこないのと同じこと
・ところが日本文化はいつのまにか「わび・さび・フジヤマ・巨人の星・スーパーマリオ」に
寄りかかってしまった
⇒それなら村田珠光・九鬼周造・柳宗悦・岡潔は必読で、せめて山本兼一「利休にたずねよ」、
岩上尚史「芸者論」、中村昇「落語哲学」はちゃんと読んだほうがいい
・日本は一途で多様な文化をつくってきたが、何が一途なのか、どこが多様なのかを見極める
必要があるのに、日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎた
・安易な日本論ほど日本をミスリードしていく
⇒本書がその歯止めの一助になればと思っている・・・
・・・
本文各講では特に「日本文化を理解するために最低限は知っておくべき」と紹介されていた
本などの概要になるほどと納得しましたが、とてもメモする気力はなく一文だけ・・・
「きらきらとぎらぎら、さらさらとざらざら、こんこんとごんごん、くらくらとぐらぐら、
これらのちがいがわかるのは日本人だけ」で「おもかげ」と「うつろい」の文化・・・
以下略

2025年11月04日
シートポストとサドルを軽量化!?
とーとつですが・・・
ダホン・ミューSP9のシートポストとサドルを軽量化???しました!!!

左が元のシートポストで右が新しい軽量シートポスト
そう、過日wingさんから「リタイアをきっかけに断捨離を決意しましたので・・・」と、
とーとつにいただいたシートポストであります
ま、彼の決意が、いつまで保つかは別として・・・物欲物欲
と、さっそく量ってみると

もとのは547g

今回いただいたのは340gで、その差は207gでした
「超軽量サドルを買ってセットで替えれば輪行の際にラクですよ」とおっしゃってましたが、
わたくし新しいサドルを買う気などさらさらなく、押し入れに入れておこうとした際に、
たまたま目に入ったのが・・・

右側のリコールされたブリヂストン・シルヴァF8Fに付いてたサドルでした
で、

もとのダホンのサドルは385g、

ブリヂストンのサドルは328gで、その差は57g・・・
このセットにすると207g+57g=264gは軽くなるのでありますね
ま、ミューは10kgほどですから重量比で約3%、500mlペットボトル半分ほどの軽量化ですし、
回転パーツではないので走りへの影響は少ないでしょうが、輪行に少しでも軽いのは有難いこと
さらに、

シルヴァF8Fのサドルはダホンのより薄く細いタイプで、6年間こちらに馴染んでたので、
今回シートポストとあわせ、ダホンのオリジナルと付け替えてみた次第
ただまあ、新しい軽量シートポストは、

サドルの前後や角度の調整が2か所になり、ややめんどーになりましたが・・・
翌日の試走であります

10月中旬以降、腹がつかえて下げていたサドル位置が、ほぼ戻ってます




やはり乗り慣れてたサドルだけあって、すぐに馴染みました
クッション性やどっしりした座り心地はダホンのほうがいいけど、サイクルパンツを履けば
あまり苦にならないし、やはりサドルは薄くて細い方が漕ぎやすいですね
ま、軽量シートポストの強度が、増えた体重に耐えられるのかどーかは不安だけど・・・
ダホン・ミューSP9のシートポストとサドルを軽量化???しました!!!

左が元のシートポストで右が新しい軽量シートポスト
そう、過日wingさんから「リタイアをきっかけに断捨離を決意しましたので・・・」と、
とーとつにいただいたシートポストであります
ま、彼の決意が、いつまで保つかは別として・・・物欲物欲

と、さっそく量ってみると

もとのは547g

今回いただいたのは340gで、その差は207gでした
「超軽量サドルを買ってセットで替えれば輪行の際にラクですよ」とおっしゃってましたが、
わたくし新しいサドルを買う気などさらさらなく、押し入れに入れておこうとした際に、
たまたま目に入ったのが・・・

右側のリコールされたブリヂストン・シルヴァF8Fに付いてたサドルでした
で、

もとのダホンのサドルは385g、

ブリヂストンのサドルは328gで、その差は57g・・・

このセットにすると207g+57g=264gは軽くなるのでありますね
ま、ミューは10kgほどですから重量比で約3%、500mlペットボトル半分ほどの軽量化ですし、
回転パーツではないので走りへの影響は少ないでしょうが、輪行に少しでも軽いのは有難いこと
さらに、

シルヴァF8Fのサドルはダホンのより薄く細いタイプで、6年間こちらに馴染んでたので、
今回シートポストとあわせ、ダホンのオリジナルと付け替えてみた次第
ただまあ、新しい軽量シートポストは、

サドルの前後や角度の調整が2か所になり、ややめんどーになりましたが・・・
翌日の試走であります

10月中旬以降、腹がつかえて下げていたサドル位置が、ほぼ戻ってます





やはり乗り慣れてたサドルだけあって、すぐに馴染みました
クッション性やどっしりした座り心地はダホンのほうがいいけど、サイクルパンツを履けば
あまり苦にならないし、やはりサドルは薄くて細い方が漕ぎやすいですね

ま、軽量シートポストの強度が、増えた体重に耐えられるのかどーかは不安だけど・・・

2025年11月01日
世界は経営でできている
ええ、

「世界は経営でできている」とゆー98kらしくない本のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介

奥付

目次




そう、目次の末尾にもありますが、各章のタイトルと小見出しはすべてパロディ・・・
本文も全編がこんな感じのお茶目な書き方で、さらに全タイトルにとても身近な例があり、
それで納得させる手法が面白かったのですが省略して、てきとーな要点メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・日常は経営で溢れている
⇒あらゆる人間活動の不条理劇は経営という概念への誤解から
(ウェイターとキッチンの例、派遣役員と営業成績の例etc)
・本来の経営は「価値創造(他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、
中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的を妨げる対立を解消して、
豊かな共同体を創り上げること」
⇒この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者になる
⇒幸せを求めない人間、他者と関わらない人間は存在しないから
⇒他者から奪い自分だけ幸せになることも、自分を疲弊させ他者のために生きることも間違い
(倫理的な間違いではなく論理的な間違い)
・本書の主張
①誰もが人生を経営してるのに、それに気づく人は少ない
②誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされている
③誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない
⇒意味不明でも本書を読めば様々な比喩から真の経営の姿を共有できるはず
・本書はこうした問題意識に基づいて書かれた「令和冷笑体エッセイ」である
・経営の本質は現代人には必須教養だが経営者や経営学者でも本質を誤解している
⇒すべての人が経営概念を転換すれば日本も世界も、もう一度豊かになれる・・・
1より
・年収が高くても支出を抑制できなければ誰でも貧乏になる(貧困ではなく貧乏)
⇒貧乏を恐れ文化的・健康的・教育的支出をケチるのが一番の無駄遣い
⇒貧乏とはお金・時間・知識・信頼といった資源の収入と支出のバランス(均衡と調和)が
崩れた状態で、どれかのバランスが崩れると他の資源の収支も狂う
(信頼と借金・発展途上国と経口補水液・貸与奨学金とバイト・最新スマホと割賦金etc)
・アンバランスの原因は自分の行動の目的が明確化されていないから
⇒自問自答すれば「思い込み無駄遣い」と「優先順位付け間違い」から脱することができる
⇒目的に対して過大すぎる手段も貧乏をもたらす
・人間は将来に備えて最低限の栄養で生きるより、リスクがあっても楽しい生活を選ぶ
⇒これを精神力で抑えている人もいるが修行僧でもなければ精神的な貧困に陥っているだけ
⇒例えば仕事を問題解決ゲームとして楽しめばゲーム代や酒代は要らない
⇒貧乏は社会問題だが個人として経営できる部分があることを知っておくこと
2より
・家では気を休めたい、リラックスしたい⇒これは夫婦共通
⇒妻は夫に飲みかけコップの整理整頓を要求、夫は家では整理整頓を考えたくない⇒対立
⇒整理整頓が目的ではなく「コップが散らからず余計なことを考えなくていい」ことが大事
⇒余計なことを考えなくてコップが散らからなければ解決する問題
⇒夫がマイ水筒を持ち歩く、余裕があれば家事代行サービスなど、解決の糸口が見える
⇒共働き家庭ならお金があるかわりに余暇時間を夫婦で奪い合い、
⇒片働き家庭なら時間があるかわりにお金を夫婦で奪い合うが、
⇒このような価値創造と問題解決のマインドを持てば奪い合いから脱出できる
・親子関係も兄弟姉妹関係も同様で、幸せな家庭は経営によって創り出せるのだ
3より
・恋愛⇒目的に対し過大すぎる手段、目的と手段の転倒、短期志向と近視眼
⇒すべて経営の失敗
・恋愛相手は普通の人でいい、と言っても普通(平均以上)の人の数は・・・
⇒正規分布の大きな母集団での確率は、ひとつの要素において総数の1/2になる
⇒身長や収入など普通のこだわり要素が10あれば確率は1/1024、20なら1/1048576になる
⇒さらに「自分を好きになる確率」を掛けるが「全て普通」は激レアなので競争率が高く
確率はさらに低くなる
⇒こだわり要素を減らすマッチング対処か、気が合えば最良と思い込むクリエイティブ対処
・恋愛は手段にすぎず、その先の目的は自分と相手の幸せ
⇒目標に向かい恋愛関係を創造することで奪い合いの悲劇から抜け出せる
⇒恋愛も経営なのだ
4より
・教科書や参考書に熱心にカラフルな蛍光ペンを入れているときの脳波を測定すれば、
記憶をつかさどる海馬より視覚をつかさどる後頭葉のほうが活性化している
⇒本末転倒で経営の失敗
⇒勉強の最終目的を設定し忘れている
5より
・虚栄、虚勢を張るという手段は尊敬を得るという目的に対して不合理
⇒尊敬を「限りある資源」から「無限に生み出せる価値」に変えればいい
⇒試しに著者を尊敬して著書をSNSで発信してくれれば、私もそんな皆さんを尊敬する
⇒めでたく相互尊敬が生まれ友情が育まれる
・自己愛が強い人は相手の自己との共通部分は尊敬できるはず
⇒その相手を尊敬すれば「自分を理解してくれた」という点で自分を尊敬してくれる
⇒めでたく相互尊敬が生まれ友情が育まれる
⇒友情とは相手に自分の分身を見つけ自己愛から他己愛へと至る感情なのである
7より
・とことん幸福を追求したい強欲な人
⇒合理的に強欲を追求する
⇒ある程度のお金を稼いだところで、お金より時間と健康が大事になる
⇒さらには社会貢献など精神的満足が大事になる
⇒まともな論理力なら誰でもいずれはこの結論に至る
12より
・老後の思いやりと居場所は奪い取るものではなく創造するもの
⇒思いやることによって相手からも配慮してもらう、互いに居心地のいい居場所・・・
・・・・・
そう、老後を迎えた皆さん、これから老後を迎える皆さんに・・・と、自戒も込めて・・・

「世界は経営でできている」とゆー98kらしくない本のご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介

奥付

目次




そう、目次の末尾にもありますが、各章のタイトルと小見出しはすべてパロディ・・・
本文も全編がこんな感じのお茶目な書き方で、さらに全タイトルにとても身近な例があり、
それで納得させる手法が面白かったのですが省略して、てきとーな要点メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・日常は経営で溢れている
⇒あらゆる人間活動の不条理劇は経営という概念への誤解から
(ウェイターとキッチンの例、派遣役員と営業成績の例etc)
・本来の経営は「価値創造(他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、
中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的を妨げる対立を解消して、
豊かな共同体を創り上げること」
⇒この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者になる
⇒幸せを求めない人間、他者と関わらない人間は存在しないから
⇒他者から奪い自分だけ幸せになることも、自分を疲弊させ他者のために生きることも間違い
(倫理的な間違いではなく論理的な間違い)
・本書の主張
①誰もが人生を経営してるのに、それに気づく人は少ない
②誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされている
③誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない
⇒意味不明でも本書を読めば様々な比喩から真の経営の姿を共有できるはず
・本書はこうした問題意識に基づいて書かれた「令和冷笑体エッセイ」である
・経営の本質は現代人には必須教養だが経営者や経営学者でも本質を誤解している
⇒すべての人が経営概念を転換すれば日本も世界も、もう一度豊かになれる・・・
1より
・年収が高くても支出を抑制できなければ誰でも貧乏になる(貧困ではなく貧乏)
⇒貧乏を恐れ文化的・健康的・教育的支出をケチるのが一番の無駄遣い
⇒貧乏とはお金・時間・知識・信頼といった資源の収入と支出のバランス(均衡と調和)が
崩れた状態で、どれかのバランスが崩れると他の資源の収支も狂う
(信頼と借金・発展途上国と経口補水液・貸与奨学金とバイト・最新スマホと割賦金etc)
・アンバランスの原因は自分の行動の目的が明確化されていないから
⇒自問自答すれば「思い込み無駄遣い」と「優先順位付け間違い」から脱することができる
⇒目的に対して過大すぎる手段も貧乏をもたらす
・人間は将来に備えて最低限の栄養で生きるより、リスクがあっても楽しい生活を選ぶ
⇒これを精神力で抑えている人もいるが修行僧でもなければ精神的な貧困に陥っているだけ
⇒例えば仕事を問題解決ゲームとして楽しめばゲーム代や酒代は要らない
⇒貧乏は社会問題だが個人として経営できる部分があることを知っておくこと
2より
・家では気を休めたい、リラックスしたい⇒これは夫婦共通
⇒妻は夫に飲みかけコップの整理整頓を要求、夫は家では整理整頓を考えたくない⇒対立
⇒整理整頓が目的ではなく「コップが散らからず余計なことを考えなくていい」ことが大事
⇒余計なことを考えなくてコップが散らからなければ解決する問題
⇒夫がマイ水筒を持ち歩く、余裕があれば家事代行サービスなど、解決の糸口が見える
⇒共働き家庭ならお金があるかわりに余暇時間を夫婦で奪い合い、
⇒片働き家庭なら時間があるかわりにお金を夫婦で奪い合うが、
⇒このような価値創造と問題解決のマインドを持てば奪い合いから脱出できる
・親子関係も兄弟姉妹関係も同様で、幸せな家庭は経営によって創り出せるのだ
3より
・恋愛⇒目的に対し過大すぎる手段、目的と手段の転倒、短期志向と近視眼
⇒すべて経営の失敗
・恋愛相手は普通の人でいい、と言っても普通(平均以上)の人の数は・・・
⇒正規分布の大きな母集団での確率は、ひとつの要素において総数の1/2になる
⇒身長や収入など普通のこだわり要素が10あれば確率は1/1024、20なら1/1048576になる
⇒さらに「自分を好きになる確率」を掛けるが「全て普通」は激レアなので競争率が高く
確率はさらに低くなる
⇒こだわり要素を減らすマッチング対処か、気が合えば最良と思い込むクリエイティブ対処
・恋愛は手段にすぎず、その先の目的は自分と相手の幸せ
⇒目標に向かい恋愛関係を創造することで奪い合いの悲劇から抜け出せる
⇒恋愛も経営なのだ
4より
・教科書や参考書に熱心にカラフルな蛍光ペンを入れているときの脳波を測定すれば、
記憶をつかさどる海馬より視覚をつかさどる後頭葉のほうが活性化している
⇒本末転倒で経営の失敗
⇒勉強の最終目的を設定し忘れている
5より
・虚栄、虚勢を張るという手段は尊敬を得るという目的に対して不合理
⇒尊敬を「限りある資源」から「無限に生み出せる価値」に変えればいい
⇒試しに著者を尊敬して著書をSNSで発信してくれれば、私もそんな皆さんを尊敬する

⇒めでたく相互尊敬が生まれ友情が育まれる

・自己愛が強い人は相手の自己との共通部分は尊敬できるはず
⇒その相手を尊敬すれば「自分を理解してくれた」という点で自分を尊敬してくれる
⇒めでたく相互尊敬が生まれ友情が育まれる

⇒友情とは相手に自分の分身を見つけ自己愛から他己愛へと至る感情なのである
7より
・とことん幸福を追求したい強欲な人
⇒合理的に強欲を追求する
⇒ある程度のお金を稼いだところで、お金より時間と健康が大事になる
⇒さらには社会貢献など精神的満足が大事になる
⇒まともな論理力なら誰でもいずれはこの結論に至る
12より
・老後の思いやりと居場所は奪い取るものではなく創造するもの
⇒思いやることによって相手からも配慮してもらう、互いに居心地のいい居場所・・・
・・・・・
そう、老後を迎えた皆さん、これから老後を迎える皆さんに・・・と、自戒も込めて・・・
2025年10月27日
半径5メートルのフェイク論
とーとつですが・・・

「半径5メートルのフェイク論」であります
表表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介と奥付

そう、1年ほど前に出た本ですが、ますますファクトチェックが重要になってきている、
最近の政治情勢もあり、自戒を込めて読後メモをアップしておきます
目次





(以下てきとーなメモですが著作物のメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・著者が大学の新入生へのはじめての授業で黒板に書く質問
①青少年の刑法犯罪は増加の一途をたどっている
②生活保護費の不正受給が蔓延しているため財政が逼迫している
→「どちらも怪しい」と答える若者もいるが少数派、殆どはそう思っていた
→どちらも犯罪白書や厚生労働省サイトですぐ見抜けるフェイクだがSNSで誤認識していた
(事実は)
①戦後青少年刑法犯罪のピークは昭和39年前後と昭和60年前後で、その後は減り続けている
②生活保護費の不正受給は全体受給額の0.4%、逆に捕捉率は20%以下(欧米の半分の水準)
・この誤認識を「世界はアホになった」と笑うペシミズムでは言論人の責務は果たせない
→「世界はこのままでよいはずがない」と考える皆さんを読者にフェイクについて考えたい
(以下はランダムな読後メモ)
・人間はファクト(事実)とナラティブ(物語)で生きている
→現実は事実ではなく解釈で成立している
→だから世界は解釈次第とシニカルに冷笑して終わらせてよいのか
・(南方戦線で戦死した兵士たちは、敗戦が明らかになってからも戦争を続けたエリートたちに
よって強いられた、戦況好転にはまったく意味のない犠牲であったことが事実であっても)
「米軍の本土上陸を1秒でも遅らせるための犠牲で、その上に戦後の平和と豊かな暮らしがある」
との解釈ならば、遺族はなんとか生きていける(無意味な死では納得して生きていけない)
・「お父様はお星さまになったの」は、僅かな間でも子どもを支えるかもしれない
→これらと「コロナウィルスは中国による世界支配の道具である」との違いは何か
・フェイクは「合理的に考える人々の共有データと乖離したナラティブ」の位置づけにある
→恣意的にデータを渉猟して現実解釈をコントロールしナラティブをつくる
・フェイクとフェイクのようなもの、誤解、不十分情報思考・・・明確にするのは大変
→真実と嘘の勧善懲悪二分法に安易に陥ることを避けてフェイクを切り分ける
→答えではなく大中小、濃淡、悪の度合いで現実とフェイクを考える・・・
・教育基本法の冒頭にある宣言
→「教育とは社会に適応する人間ではなく、社会を創造する人間を育てること」
→日本の公教育は「社会に適応する人間」をつくっているのでフェイクにも鈍感
・最適解が常に存在すると過信する者、解がないと不安になる者を「可能な限り育てない」ために、
大学がこの世に存在すると思っている
→大学は反社会性を担保しながら、社会に適応ではなく社会をクリエイトする者を育てる
ための言葉を提供する所
→「社会貢献するのが大学の目的」は、先人が守ってきたものを危険にさらすフェイク
・戦争の反対語は平和ではなく対話
→戦争反対、プーチンに死を、だけで終わらせては戦争は終わりにくい
→毅然とした態度をとり続けることと独自ルートで対話することを同時に行うことが不可欠
・多数決は当日の気象計測結果に過ぎず、民主主義の途中で行う確認作業のひとつ
→「多数決で可決されたものが民意でありデモで反対するのはテロ行為」はフェイク
→より出来の良い合意を目指す民主主義と多数決はあまり関係がない
→なので選挙結果だけでなく様々な気象計測(世論調査、議論、リコール、デモ、集会など)を
素材に連続確認作業を行うことで、かろうじて浮上してくるのが「民意のようなもの」
・フェイクを公言する人物にアメリカ国民7000万人が投票し、日本のスーパーエリート官僚が
前代未聞の行政文書改竄をしても誰も責任を問われなかった
→こんなことは不条理なので「民主主義はもうオワコン」というフェイク
→不条理だからこそ民主主義が必要
①生まれる条件が選択できない全ての個人の尊厳(これに論証責任はない)
②単独では生きられない自己の存在意味を確認させてくれる協働
③そのステージとしての社会
→この合意形成をするのに最も無理せず危険性の低いシステムがデモクラシー
(多数者を決めることではなく多くの弱者の協力を引き出す社会を守ることが目的)
→デモクラシーは楽しく暮らし死ぬまで生きるための工夫であり、娯楽でもコンテンツでもない
→そんなものが終わるはずがない
・敗北は自己責任というネオ・リベのフェイク
→自己責任は「限定された選択肢」を押しつけられた場合には問う必要も意味もないもの
・人間は不完全情報で生きている以上、森羅万象に責任など取れるわけがない
→責任を取るべき者は、自分たちが勝つためのゲームルールをつくる市場の勝者であり、
それを修正しない監視者(政治家)であり、戦争の決断をした統治エリートたち
→病や不運で経済が立ち行かなくなった者と、満州国をでっち上げた者とを、
同じ「自己責任」でくくってよいはずがない
・「日本は大きな政府だから財政破綻の危機」というフェイク
→教育拠出金は2.8%でOECD中ほぼビリケツ、私立大学は79%でOECD平均(17%)の4倍、
独立法人化以後の地方国立大学教育学部教授の研究費は都市部私立大学教授の私の1/5程度
→教育と住宅は自分でという高度成長が基本の小さい政府が成長も賃上げもない今も継続中
・「公務員の多さと高賃金、生活保護が税金の無駄」というフェイク
→2021年時点の雇用者全体に占める公務員比率は4.55%でOECD中で最低、自治体が半分に
なるといわれる未来には、さらに減って賃金カットもすすむだろう
→生活保護の捕捉率は世界水準の半分以下で生活保護費は政府予算全体の2.5%に過ぎない
・「大きな政府をスリムにして痛みを伴う改革で均衡財政を実現」というフェイク
→協働の基盤になる社会を維持する時代に応じた財政出動が必要で今の政府は小さすぎる
・「均衡財政(プライマリーバランス)を死守しないと国家は崩壊する」というフェイク(略)
・「憲法は(国民を取り締まる)法律の親玉である」というフェイク
・「憲法には国の歴史と伝統から発する国柄を書くべき」というフェイク
→憲法は政府から人々を守るために書かれた約束事→近代憲法の基本原則である立憲主義
・「民主ワイマール憲法がヒトラーの独裁を生み出した」というフェイク
→冤罪で選挙後の国会議場から共産党議員81人などを排除し議決に必要な2/3とした
→偽りの多数派で全権委任法を通過させ、憲法を緊急停止して独裁権力を掌握した
→政府権限の悪用、警察権力の行使、反対者の排除、ルールの捻じ曲げで生まれたもの
→ワイマール憲法に従って独裁できたわけではない
→憲法停止条項自体が危険なのではなく、厳密につくらなかったから悪用された
→ヒトラー独裁を生んだのは民主政治ではなく、たかをくくっていた議会のリーダーたち
・「棄権や白票も政治意思の表現」というフェイク
→沈黙・棄権・白票は今のままでよい、異論がないという意思表示
→100人中99人が棄権すれば1票で多数決は可能になる
→理想の候補者がいなくても鼻をつまんで(マシな候補者に)投票する以外に道はない
・「基本政策が異なる政党が協力するのは野合」というフェイク
→これは政党の綱領と公約の区別をしないパターンのフェイク
→綱領は夢や未来ビジョンの内向きの共有、公約・マニフェストは次の選挙までの4年間に
達成する予定の外向きの立法工程表
→綱領は異なっても公約=4年間の協力項目で合意する共闘(政党連合)は無責任な野合ではない
→できる協力をやろうとしない政党のほうが無責任
・・・
その他の項目は目次から推測できますので、興味を持たれた方はご一読を・・・
そう、これらの項目に限らず、少し調べれば逆の事実に近づける項目も多いはず・・・
と、改めて自戒を込めて・・・

「半径5メートルのフェイク論」であります
表表紙カバー裏にあった惹句

著者紹介と奥付

そう、1年ほど前に出た本ですが、ますますファクトチェックが重要になってきている、
最近の政治情勢もあり、自戒を込めて読後メモをアップしておきます
目次





(以下てきとーなメモですが著作物のメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・著者が大学の新入生へのはじめての授業で黒板に書く質問
①青少年の刑法犯罪は増加の一途をたどっている
②生活保護費の不正受給が蔓延しているため財政が逼迫している
→「どちらも怪しい」と答える若者もいるが少数派、殆どはそう思っていた
→どちらも犯罪白書や厚生労働省サイトですぐ見抜けるフェイクだがSNSで誤認識していた
(事実は)
①戦後青少年刑法犯罪のピークは昭和39年前後と昭和60年前後で、その後は減り続けている
②生活保護費の不正受給は全体受給額の0.4%、逆に捕捉率は20%以下(欧米の半分の水準)
・この誤認識を「世界はアホになった」と笑うペシミズムでは言論人の責務は果たせない
→「世界はこのままでよいはずがない」と考える皆さんを読者にフェイクについて考えたい
(以下はランダムな読後メモ)
・人間はファクト(事実)とナラティブ(物語)で生きている
→現実は事実ではなく解釈で成立している
→だから世界は解釈次第とシニカルに冷笑して終わらせてよいのか
・(南方戦線で戦死した兵士たちは、敗戦が明らかになってからも戦争を続けたエリートたちに
よって強いられた、戦況好転にはまったく意味のない犠牲であったことが事実であっても)
「米軍の本土上陸を1秒でも遅らせるための犠牲で、その上に戦後の平和と豊かな暮らしがある」
との解釈ならば、遺族はなんとか生きていける(無意味な死では納得して生きていけない)
・「お父様はお星さまになったの」は、僅かな間でも子どもを支えるかもしれない
→これらと「コロナウィルスは中国による世界支配の道具である」との違いは何か
・フェイクは「合理的に考える人々の共有データと乖離したナラティブ」の位置づけにある
→恣意的にデータを渉猟して現実解釈をコントロールしナラティブをつくる
・フェイクとフェイクのようなもの、誤解、不十分情報思考・・・明確にするのは大変
→真実と嘘の勧善懲悪二分法に安易に陥ることを避けてフェイクを切り分ける
→答えではなく大中小、濃淡、悪の度合いで現実とフェイクを考える・・・
・教育基本法の冒頭にある宣言
→「教育とは社会に適応する人間ではなく、社会を創造する人間を育てること」
→日本の公教育は「社会に適応する人間」をつくっているのでフェイクにも鈍感
・最適解が常に存在すると過信する者、解がないと不安になる者を「可能な限り育てない」ために、
大学がこの世に存在すると思っている
→大学は反社会性を担保しながら、社会に適応ではなく社会をクリエイトする者を育てる
ための言葉を提供する所
→「社会貢献するのが大学の目的」は、先人が守ってきたものを危険にさらすフェイク
・戦争の反対語は平和ではなく対話
→戦争反対、プーチンに死を、だけで終わらせては戦争は終わりにくい
→毅然とした態度をとり続けることと独自ルートで対話することを同時に行うことが不可欠
・多数決は当日の気象計測結果に過ぎず、民主主義の途中で行う確認作業のひとつ
→「多数決で可決されたものが民意でありデモで反対するのはテロ行為」はフェイク
→より出来の良い合意を目指す民主主義と多数決はあまり関係がない
→なので選挙結果だけでなく様々な気象計測(世論調査、議論、リコール、デモ、集会など)を
素材に連続確認作業を行うことで、かろうじて浮上してくるのが「民意のようなもの」
・フェイクを公言する人物にアメリカ国民7000万人が投票し、日本のスーパーエリート官僚が
前代未聞の行政文書改竄をしても誰も責任を問われなかった
→こんなことは不条理なので「民主主義はもうオワコン」というフェイク
→不条理だからこそ民主主義が必要
①生まれる条件が選択できない全ての個人の尊厳(これに論証責任はない)
②単独では生きられない自己の存在意味を確認させてくれる協働
③そのステージとしての社会
→この合意形成をするのに最も無理せず危険性の低いシステムがデモクラシー
(多数者を決めることではなく多くの弱者の協力を引き出す社会を守ることが目的)
→デモクラシーは楽しく暮らし死ぬまで生きるための工夫であり、娯楽でもコンテンツでもない
→そんなものが終わるはずがない
・敗北は自己責任というネオ・リベのフェイク
→自己責任は「限定された選択肢」を押しつけられた場合には問う必要も意味もないもの
・人間は不完全情報で生きている以上、森羅万象に責任など取れるわけがない
→責任を取るべき者は、自分たちが勝つためのゲームルールをつくる市場の勝者であり、
それを修正しない監視者(政治家)であり、戦争の決断をした統治エリートたち
→病や不運で経済が立ち行かなくなった者と、満州国をでっち上げた者とを、
同じ「自己責任」でくくってよいはずがない
・「日本は大きな政府だから財政破綻の危機」というフェイク
→教育拠出金は2.8%でOECD中ほぼビリケツ、私立大学は79%でOECD平均(17%)の4倍、
独立法人化以後の地方国立大学教育学部教授の研究費は都市部私立大学教授の私の1/5程度
→教育と住宅は自分でという高度成長が基本の小さい政府が成長も賃上げもない今も継続中
・「公務員の多さと高賃金、生活保護が税金の無駄」というフェイク
→2021年時点の雇用者全体に占める公務員比率は4.55%でOECD中で最低、自治体が半分に
なるといわれる未来には、さらに減って賃金カットもすすむだろう
→生活保護の捕捉率は世界水準の半分以下で生活保護費は政府予算全体の2.5%に過ぎない
・「大きな政府をスリムにして痛みを伴う改革で均衡財政を実現」というフェイク
→協働の基盤になる社会を維持する時代に応じた財政出動が必要で今の政府は小さすぎる
・「均衡財政(プライマリーバランス)を死守しないと国家は崩壊する」というフェイク(略)
・「憲法は(国民を取り締まる)法律の親玉である」というフェイク
・「憲法には国の歴史と伝統から発する国柄を書くべき」というフェイク
→憲法は政府から人々を守るために書かれた約束事→近代憲法の基本原則である立憲主義
・「民主ワイマール憲法がヒトラーの独裁を生み出した」というフェイク
→冤罪で選挙後の国会議場から共産党議員81人などを排除し議決に必要な2/3とした
→偽りの多数派で全権委任法を通過させ、憲法を緊急停止して独裁権力を掌握した
→政府権限の悪用、警察権力の行使、反対者の排除、ルールの捻じ曲げで生まれたもの
→ワイマール憲法に従って独裁できたわけではない
→憲法停止条項自体が危険なのではなく、厳密につくらなかったから悪用された
→ヒトラー独裁を生んだのは民主政治ではなく、たかをくくっていた議会のリーダーたち
・「棄権や白票も政治意思の表現」というフェイク
→沈黙・棄権・白票は今のままでよい、異論がないという意思表示
→100人中99人が棄権すれば1票で多数決は可能になる
→理想の候補者がいなくても鼻をつまんで(マシな候補者に)投票する以外に道はない
・「基本政策が異なる政党が協力するのは野合」というフェイク
→これは政党の綱領と公約の区別をしないパターンのフェイク
→綱領は夢や未来ビジョンの内向きの共有、公約・マニフェストは次の選挙までの4年間に
達成する予定の外向きの立法工程表
→綱領は異なっても公約=4年間の協力項目で合意する共闘(政党連合)は無責任な野合ではない
→できる協力をやろうとしない政党のほうが無責任
・・・
その他の項目は目次から推測できますので、興味を持たれた方はご一読を・・・
そう、これらの項目に限らず、少し調べれば逆の事実に近づける項目も多いはず・・・
と、改めて自戒を込めて・・・

2025年10月22日
10月の堺浜と大和川
とーとつですが・・・
今年わたくしが自転車でポタリングしたのは4月・・・しかも数回だけでした
そう、それまでは寒さを口実に、それ以降は猛暑を口実に、もちろんウォーキングにも行かず、
ひたすら食べて吞むだけの日々が続き、10月も中旬になり、ようやく涼しくなってきて、
ふと気づけば体重が春から較べて5kg以上も増えてました
昨年は運動不足による筋肉量減少と過食による脂肪量増加のバランス?で体重が安定してたのに、
今年の夏には筋肉量が5kg減って脂肪量が10kg増えたのかっ???
これではいかん!!!とポタリングを再開しようとしたのですが・・・
腹が邪魔してハンドルに手が届かねえ!!! うぐぐぐ
とてもロードバイクには乗れそうもなく、恒例によりミニベロのサドルを下げて・・・
10月10日「体育の日」(今は10月の第二月曜でスポーツの日になったけど)にあわせて、
なんと半年ぶりに漕いできました・・・

ええ、サドルがハンドルより、かなり低くなっております うぐぐぐ
ま、この日は・・・


スマホによる記念撮影だけで早々に退散、

いつもの公園でサギさんと戯れて帰りましたが、散策してた欧米系のカップルが、
さかんに写真を撮ってました
おそらく奈良のシカさんと同じで、人馴れしているサギさんが珍しいのでしょうね
で、10月13日には愛用のミラーレスカメラに14-150(28-300)レンズを付けて・・・
まずは大和川で・・・

カモさんたちを撮り・・・
堺浜では毎回恒例の記念写真・・・

もちろん突端の東屋ではたっぷりと休憩・・・

天候は晴れたり曇ったりでした・・・




この日はちょうど大阪・関西万博の最終日だったので、


開催期間中だけの万博会場への巡行船、おそらく最終日の最終便で満席でした・・・
で、大和川まで戻ってきたら・・・


けっこうカモメさんたちがいたので・・・
翌14日には75-300(150-600)ズームも持って出かけました



まだサドルは低いままであります
この日も突端の東屋でたっぷりと休憩・・・




人工砂浜のある海岸まで戻ると、

めずらしく船が侵入してきました


検索すると大阪府港湾局の旅客船兼監督船「はまでら」でした・・・

人工砂浜の視察のようですね 誰を乗せてたんだろ・・・
で、15日は六甲連山と神戸の街並みがきれいに見えたので1枚だけ・・・

つーことで、ほぼ一週間の休憩
を経て、昨日21日に重い腰を上げ・・・
大和川では、




ま、堺浜では


カラスさんとサギさんしか撮れませんでしたが、いろんなトリさんが飛んでました
って、今がちょうど・・・




繁殖時期だったのね
今年わたくしが自転車でポタリングしたのは4月・・・しかも数回だけでした
そう、それまでは寒さを口実に、それ以降は猛暑を口実に、もちろんウォーキングにも行かず、
ひたすら食べて吞むだけの日々が続き、10月も中旬になり、ようやく涼しくなってきて、
ふと気づけば体重が春から較べて5kg以上も増えてました
昨年は運動不足による筋肉量減少と過食による脂肪量増加のバランス?で体重が安定してたのに、
今年の夏には筋肉量が5kg減って脂肪量が10kg増えたのかっ???
これではいかん!!!とポタリングを再開しようとしたのですが・・・
腹が邪魔してハンドルに手が届かねえ!!! うぐぐぐ
とてもロードバイクには乗れそうもなく、恒例によりミニベロのサドルを下げて・・・
10月10日「体育の日」(今は10月の第二月曜でスポーツの日になったけど)にあわせて、
なんと半年ぶりに漕いできました・・・

ええ、サドルがハンドルより、かなり低くなっております うぐぐぐ
ま、この日は・・・


スマホによる記念撮影だけで早々に退散、

いつもの公園でサギさんと戯れて帰りましたが、散策してた欧米系のカップルが、
さかんに写真を撮ってました
おそらく奈良のシカさんと同じで、人馴れしているサギさんが珍しいのでしょうね
で、10月13日には愛用のミラーレスカメラに14-150(28-300)レンズを付けて・・・
まずは大和川で・・・

カモさんたちを撮り・・・
堺浜では毎回恒例の記念写真・・・

もちろん突端の東屋ではたっぷりと休憩・・・

天候は晴れたり曇ったりでした・・・




この日はちょうど大阪・関西万博の最終日だったので、


開催期間中だけの万博会場への巡行船、おそらく最終日の最終便で満席でした・・・
で、大和川まで戻ってきたら・・・


けっこうカモメさんたちがいたので・・・
翌14日には75-300(150-600)ズームも持って出かけました



まだサドルは低いままであります

この日も突端の東屋でたっぷりと休憩・・・




人工砂浜のある海岸まで戻ると、

めずらしく船が侵入してきました


検索すると大阪府港湾局の旅客船兼監督船「はまでら」でした・・・

人工砂浜の視察のようですね 誰を乗せてたんだろ・・・
で、15日は六甲連山と神戸の街並みがきれいに見えたので1枚だけ・・・

つーことで、ほぼ一週間の休憩
を経て、昨日21日に重い腰を上げ・・・大和川では、




ま、堺浜では


カラスさんとサギさんしか撮れませんでしたが、いろんなトリさんが飛んでました
って、今がちょうど・・・




繁殖時期だったのね

