2025年04月18日
ひさしぶりの堺浜ソロポタ
この10日間ブログ記事を更新できなかったけど、いちおーは生きてて・・・
昨日の4月17日、ひさしぶりに堺浜をソロ・ポタリングしてたのでメモしておきます

まずは大和川右岸の歩行者・自転車道を下流へ

恒例により、すぐに休憩
ちなみに

上流側は国道26号線までで歩行者・自転車道が途切れています
新なにわ筋で阪堺大橋を渡り左岸側の歩行者・自転車道へ

この先が新しく整備された区間で理想的な歩行者・自転車道になってます



河口付近にあるJ-GREEN堺(サッカーのナショナル・トレセン)が、


「大和川リバーサイドサイクルライン」の起点になるようです
恒例により、あちこちで休憩もとい記念撮影




してたのですが・・・
この日は天気晴朗なれども波高く・・・

向かい風になると遅々として進みませんでした
帰り道にはトリさんなんかも撮ったりして休憩・・・








新なにわ筋を北に向かえば僅か10kmで淀川リバーサイドサイクルラインであります
ま、わたくしは向かうこともなく、前週まで延々と花見をやってた公園の定位置へ・・・

と、この日は走行距離約24km・走行時間約1時間20分・平均速度約15km/hでした
古池や呑兵衛どもが花宴跡 98k
昨日の4月17日、ひさしぶりに堺浜をソロ・ポタリングしてたのでメモしておきます

まずは大和川右岸の歩行者・自転車道を下流へ

恒例により、すぐに休憩

ちなみに

上流側は国道26号線までで歩行者・自転車道が途切れています
新なにわ筋で阪堺大橋を渡り左岸側の歩行者・自転車道へ

この先が新しく整備された区間で理想的な歩行者・自転車道になってます



河口付近にあるJ-GREEN堺(サッカーのナショナル・トレセン)が、


「大和川リバーサイドサイクルライン」の起点になるようです
恒例により、あちこちで休憩もとい記念撮影




してたのですが・・・
この日は天気晴朗なれども波高く・・・

向かい風になると遅々として進みませんでした
帰り道にはトリさんなんかも撮ったりして休憩・・・








新なにわ筋を北に向かえば僅か10kmで淀川リバーサイドサイクルラインであります
ま、わたくしは向かうこともなく、前週まで延々と花見をやってた公園の定位置へ・・・

と、この日は走行距離約24km・走行時間約1時間20分・平均速度約15km/hでした
古池や呑兵衛どもが花宴跡 98k
2025年04月08日
2025お花見決戦シリーズ
とーとつですが・・・
2025春・お花見決戦シリーズ!!!(の飲食)メモであります
ま、決戦会場はすべて同じ公園の同じ池畔でしたが・・・
初戦の4月1日は、もと職場の同期6人で・・・

タイ土産の乾き物や差し入れのドライフルーツなんぞでスーパードライお花見バージョンと
サッポロ・黒ラベルをかぱかぱ・・・

やがて高級な(差し入れ)シャンパーニュ地方のスパークリングワインで乾杯!!!

全員揃ったところで、あらためて乾杯・・・ひっく

この日のメインディッシュへ・・・
さらに、

チーズや乾き物で(差し入れ)高級ワインをば・・・

次々と空けて・・・あとはどーなときゃーなろたい ぷつん
中には寝落ちして転倒、池までコロコロ転がっていった輩も約1名いましたが、
奇跡的に「お池にはまってさあ大変」の直前に取り押さえられてました
ま、そのまま「沼の主」になってもよかったのでしゅが・・・どっとはらい
と、この日は11時前から3時過ぎまで、ずっと薄曇りでしたが七分咲きといったところ・・・
皆さん、高級な差し入れをありがとね ばくばくごくごく
第二戦の4月4日は、中学の同期8人と某同期(Y田さん)の飲み仲間6人の計14人が集合・・・
前夜に飲んでたお店で声かけしてたそうで、じつに賑やかになりました



この日の大阪は満開予想日でしかも晴天、まさにお花見日和でした

わたくしとS井さんは場所取りを兼ねて10時前からかぱかぱと・・・
やがて皆さんも三々五々、持ち寄りで集まってきて・・・

メンバーが増える都度、乾杯を繰り返し・・・

持ち寄った大量の飲み物・食べ物で、飲めや歌えの大騒ぎ
皆さん、すっかり出来上がり

あとは野となれヤマトなれ・・・ヤマト王権の首都が邪馬台国なのか・・・ぷつん
と、この日も・・・

「ちょっと、ひと泳ぎしてくるわ」
「まだ死んだらあかん、人生はこれからや!!!」

「なんでやねん!!!」
と、大阪人らしくボケ・ツッコミで遊ぶ者、延々と古い関西ローカルのCMソングを
がなり立てる者、加川良の「白い家」を静かに口ずさむ者もいましたが・・・
(ちなみにわたくしがライブに行ったのは店が姫松交差点の南東側に移転してからです)
いっぽうでは、

何かの前撮りでしょうか、素敵なおねいさんも立ち寄ってくれてました
インバウンド客も多く、たまたま声をかけた3人組は何と思い出のバルセロナからでした!!!
「おおっ、ビバ・カタルーニャ!!! ピカソ・ミロ・レモンセルベッサ!!!」とか勝手に盛り上がり、
未開封で残った寿司や唐揚なんぞをプレゼントして、さらに盛り上がりました
この日は10時から6時まで8時間の長丁場となりましたが、わたくしの記憶は断片的です
ともかく皆さん、いっぱいの食べ物や飲み物をありがとね!!!
で、4月7日の最終決戦は、もと職場の同僚3人がじつにひさしぶりに集まって、

しんみりと昔の苦労話なんぞを・・・
この日の池畔の桜花は・・・

そろそろ散り初めでしたが・・・
芝生の桜花は、

まだまだ満開でした・・・
お二人には帰りにお土産までいただき恐縮です
と、今年は同じ会場での三連戦となりましたが、わたくし、もうあちこちに出かけるのが
億劫になってきているのかも知れませんね・・・ううっ
2025春・お花見決戦シリーズ!!!(の飲食)メモであります

ま、決戦会場はすべて同じ公園の同じ池畔でしたが・・・

初戦の4月1日は、もと職場の同期6人で・・・

タイ土産の乾き物や差し入れのドライフルーツなんぞでスーパードライお花見バージョンと
サッポロ・黒ラベルをかぱかぱ・・・

やがて高級な(差し入れ)シャンパーニュ地方のスパークリングワインで乾杯!!!

全員揃ったところで、あらためて乾杯・・・ひっく

この日のメインディッシュへ・・・
さらに、

チーズや乾き物で(差し入れ)高級ワインをば・・・

次々と空けて・・・あとはどーなときゃーなろたい ぷつん
中には寝落ちして転倒、池までコロコロ転がっていった輩も約1名いましたが、
奇跡的に「お池にはまってさあ大変」の直前に取り押さえられてました
ま、そのまま「沼の主」になってもよかったのでしゅが・・・どっとはらい
と、この日は11時前から3時過ぎまで、ずっと薄曇りでしたが七分咲きといったところ・・・
皆さん、高級な差し入れをありがとね ばくばくごくごく
第二戦の4月4日は、中学の同期8人と某同期(Y田さん)の飲み仲間6人の計14人が集合・・・
前夜に飲んでたお店で声かけしてたそうで、じつに賑やかになりました




この日の大阪は満開予想日でしかも晴天、まさにお花見日和でした

わたくしとS井さんは場所取りを兼ねて10時前からかぱかぱと・・・
やがて皆さんも三々五々、持ち寄りで集まってきて・・・

メンバーが増える都度、乾杯を繰り返し・・・

持ち寄った大量の飲み物・食べ物で、飲めや歌えの大騒ぎ

皆さん、すっかり出来上がり

あとは野となれヤマトなれ・・・ヤマト王権の首都が邪馬台国なのか・・・ぷつん
と、この日も・・・

「ちょっと、ひと泳ぎしてくるわ」
「まだ死んだらあかん、人生はこれからや!!!」

「なんでやねん!!!」
と、大阪人らしくボケ・ツッコミで遊ぶ者、延々と古い関西ローカルのCMソングを
がなり立てる者、加川良の「白い家」を静かに口ずさむ者もいましたが・・・

(ちなみにわたくしがライブに行ったのは店が姫松交差点の南東側に移転してからです)
いっぽうでは、

何かの前撮りでしょうか、素敵なおねいさんも立ち寄ってくれてました

インバウンド客も多く、たまたま声をかけた3人組は何と思い出のバルセロナからでした!!!
「おおっ、ビバ・カタルーニャ!!! ピカソ・ミロ・レモンセルベッサ!!!」とか勝手に盛り上がり、
未開封で残った寿司や唐揚なんぞをプレゼントして、さらに盛り上がりました
この日は10時から6時まで8時間の長丁場となりましたが、わたくしの記憶は断片的です

ともかく皆さん、いっぱいの食べ物や飲み物をありがとね!!!
で、4月7日の最終決戦は、もと職場の同僚3人がじつにひさしぶりに集まって、

しんみりと昔の苦労話なんぞを・・・
この日の池畔の桜花は・・・

そろそろ散り初めでしたが・・・
芝生の桜花は、

まだまだ満開でした・・・
お二人には帰りにお土産までいただき恐縮です
と、今年は同じ会場での三連戦となりましたが、わたくし、もうあちこちに出かけるのが
億劫になってきているのかも知れませんね・・・ううっ

2025年04月03日
新・古代史
とーとつですが、新年度はじめての記事は・・・

新・古代史~グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権~
とゆー本の(「はじめに」と「おわりに」の
)ご紹介であります
表紙カバー裏にあった惹句

末尾にあった主な参考文献と著者と奥付


2024年3月放送の「NHKスペシャル~古代史ミステリー~」取材班のディレクター2人、
夫馬直実・田邊宏騎の両氏が取材をもとに番組で取り上げなかった背景や視点を加えて
共同執筆された本だそうで、番組を興味深く視聴してたので借りてみた次第です
例によって目次の紹介のみ



ま、内容は目次から想像いただくとして・・・素人にもわかりやすく読めました
この番組以外にも歴史探偵やフロンティアなどいくつかの番組でも紹介されてた「最新研究と
グローバルヒストリーの観点からの」古代史アプローチ、つーのが新鮮でした
以下、日本の古代史については(虚実取り混ぜ
)当ブログでもいくつか紹介してますので、
今回は「はじめに」と「おわりに」から、てきとーにメモしておきます
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「はじめに」より
・これまで取材班は「戦国時代×大航海時代」や「幕末×欧米列強」といったテーマで、
グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた
・今回は弥生時代から古墳時代の日本と中国や朝鮮半島の国々が織りなした激動の時代に
焦点を当てる⇒「卑弥呼×三国志」
⇒古代史には現在も様々な学説・解釈が存在するので特定の説を支持する意図はない
⇒それよりも苦心している国内外の研究者の努力と挑戦が本書から垣間見えたら幸い・・・
・・・
(つーことで最新研究からも論理的で説得力のある異説がいくつも出てくる現状が客観的に
紹介されてて、このあたりがSNSなどとは根本的に違う部分ですね
邪馬台国についても九州説と近畿説については論理的で説得力のある両説の説明がされてたし、
出雲・山陰説や岡山・吉備説はじめ国内だけでも100以上も候補地があることや、さらには
ジャワ島説やエジプト説など海外説まであることも紹介されてました)
・・・
(「本章」よりのメモは省略⇒概要は目次から)
ただし全く知らなかった第9章最後の「日本の誕生」部分のみメモしておきます
・倭国がいつ日本になったのか
(7世紀後半の天武天皇・持統天皇の頃、701年の大宝律令制定の頃など諸説がある中で)
⇒2011年に中国の西安郊外で墓誌(石板)が見つかった
⇒678年2月に死亡し10月に葬られた百済人の軍人についての884文字の記述
⇒その中に663年の白村江の戦いの後の状況が記されており、吉林大学考古学院の教授は
⇒「生き残った日本は扶桑に閉じ籠り罰を逃れている」という内容として、日本という国号が
初めて使われた事例ではないかと考えた
⇒この読み解きが正しければ7世紀には倭国に代わって日本と名乗り始めていたことになり、
これまでの定説が覆ることになる
⇒ただし「日本」は中国から見て「日の出るところ」を意味し新羅を指して使用されることも
ある言葉で国号とは考えられないとする異論もあり、今後の慎重な議論が期待されている
(日本も大和も大倭も倭も日本語の読みはヤマトだそうですが、白村江(そーいやこの地名、
昔は中国語読みと朝鮮語読みと日本語読みの混ざった「はくすきのえ」と習ってましたが、
今は中国語読みに由来する「はくそんこう」になってますが何故なんだろ?)を戦った百済軍人の
墓誌に「日本」という漢字が国号として使われていたとすれば、確かに興味深いですね)
・・・
番組プロデューサー山崎啓明氏による「おわりに」より
・日本という国の始まりをグローバルな歴史の文脈で捉え直してみると、
⇒ユーラシア大陸の大変動と古代日本の大変動が深く結びついていることに驚かされる
・邪馬台国の卑弥呼が生きた三世紀に中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代に突入、
六世紀の隋の建国まで国家分断状態が続いた
⇒ヨーロッパでも四世紀末にはローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡、
これはヤマト王権が前方後円墳を築き日本列島の大半を支配下に収めようとしていた頃
・それらに共通する変動要因の一つがユーラシア大陸の中央部で勃興した遊牧民族の騎馬戦術
⇒鞍、鐙、轡といった馬具の発明は画期的で大陸を席巻した
⇒東では遊牧民族の匈奴が漢軍を叩きのめし屈辱的な和睦に
⇒同じく遊牧民族の高句麗が朝鮮半島を南下し百済を圧迫、倭国軍と戦った
⇒西では遊牧民族のフン族アッティラが東ヨーロッパに進出して、ゲルマン民族の大移動、
地中海世界を制覇したローマ帝国の衰退へとつながった
⇒この騎馬戦術を積極的に導入して東アジアのパワーバランスを塗り替えようとしたのが
倭王が率いるヤマト王権だった
・勢力図が塗り替わると世界観も変化する
⇒中国の歴史書も紀元前一世紀に完成した「史記」では皇帝の偉業がハイライトだったが、
⇒三世紀の魏志東夷伝や五世紀の宋書夷蛮伝になると倭国や朝鮮半島、遊牧民の動向など、
中国の周辺世界の記述が増えてくる
⇒地政学的なリスクの高まりとともに「中華」の概念が生まれてくる
⇒領土を脅かす外敵がいたからこそ必要とされた概念だったのではないか
・ユーラシア大陸の大変動を国造りの好機と見たのが古代日本のリーダーたち
⇒卑弥呼はなぜ呉ではなく魏を選んだのか
⇒高句麗と敵対していた倭の五王が、なぜ宋に官位を要求し朝鮮半島の軍事指揮権を手中に
収めようとしたのか
⇒グローバルヒストリーによって邪馬台国やヤマト王権の外交政策やリーダー像も変わるだろう
・古代史では論争が続いているテーマがあるが本書は謎に決着をつけることを目指していない
⇒考古学的な調査や科学的な分析から明らかになった事実や研究者の見解をわかりやすく丁寧に
紹介することがねらい・・・
・・・
うーむ、まさにねらいどおりで科学的な説明も各見解の解説もわかりやすかったです
さらに深く知りたければ末尾にあった「参考文献」を読めばいいし・・・
って、何冊かは読んでブログ記事にメモしたような気もするけど記憶が・・・

新・古代史~グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権~
とゆー本の(「はじめに」と「おわりに」の

表紙カバー裏にあった惹句

末尾にあった主な参考文献と著者と奥付


2024年3月放送の「NHKスペシャル~古代史ミステリー~」取材班のディレクター2人、
夫馬直実・田邊宏騎の両氏が取材をもとに番組で取り上げなかった背景や視点を加えて
共同執筆された本だそうで、番組を興味深く視聴してたので借りてみた次第です
例によって目次の紹介のみ



ま、内容は目次から想像いただくとして・・・素人にもわかりやすく読めました
この番組以外にも歴史探偵やフロンティアなどいくつかの番組でも紹介されてた「最新研究と
グローバルヒストリーの観点からの」古代史アプローチ、つーのが新鮮でした
以下、日本の古代史については(虚実取り混ぜ

今回は「はじめに」と「おわりに」から、てきとーにメモしておきます
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
「はじめに」より
・これまで取材班は「戦国時代×大航海時代」や「幕末×欧米列強」といったテーマで、
グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた
・今回は弥生時代から古墳時代の日本と中国や朝鮮半島の国々が織りなした激動の時代に
焦点を当てる⇒「卑弥呼×三国志」
⇒古代史には現在も様々な学説・解釈が存在するので特定の説を支持する意図はない
⇒それよりも苦心している国内外の研究者の努力と挑戦が本書から垣間見えたら幸い・・・
・・・
(つーことで最新研究からも論理的で説得力のある異説がいくつも出てくる現状が客観的に
紹介されてて、このあたりがSNSなどとは根本的に違う部分ですね
邪馬台国についても九州説と近畿説については論理的で説得力のある両説の説明がされてたし、
出雲・山陰説や岡山・吉備説はじめ国内だけでも100以上も候補地があることや、さらには
ジャワ島説やエジプト説など海外説まであることも紹介されてました)
・・・
(「本章」よりのメモは省略⇒概要は目次から)
ただし全く知らなかった第9章最後の「日本の誕生」部分のみメモしておきます
・倭国がいつ日本になったのか
(7世紀後半の天武天皇・持統天皇の頃、701年の大宝律令制定の頃など諸説がある中で)
⇒2011年に中国の西安郊外で墓誌(石板)が見つかった
⇒678年2月に死亡し10月に葬られた百済人の軍人についての884文字の記述
⇒その中に663年の白村江の戦いの後の状況が記されており、吉林大学考古学院の教授は
⇒「生き残った日本は扶桑に閉じ籠り罰を逃れている」という内容として、日本という国号が
初めて使われた事例ではないかと考えた
⇒この読み解きが正しければ7世紀には倭国に代わって日本と名乗り始めていたことになり、
これまでの定説が覆ることになる
⇒ただし「日本」は中国から見て「日の出るところ」を意味し新羅を指して使用されることも
ある言葉で国号とは考えられないとする異論もあり、今後の慎重な議論が期待されている
(日本も大和も大倭も倭も日本語の読みはヤマトだそうですが、白村江(そーいやこの地名、
昔は中国語読みと朝鮮語読みと日本語読みの混ざった「はくすきのえ」と習ってましたが、
今は中国語読みに由来する「はくそんこう」になってますが何故なんだろ?)を戦った百済軍人の
墓誌に「日本」という漢字が国号として使われていたとすれば、確かに興味深いですね)
・・・
番組プロデューサー山崎啓明氏による「おわりに」より
・日本という国の始まりをグローバルな歴史の文脈で捉え直してみると、
⇒ユーラシア大陸の大変動と古代日本の大変動が深く結びついていることに驚かされる
・邪馬台国の卑弥呼が生きた三世紀に中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代に突入、
六世紀の隋の建国まで国家分断状態が続いた
⇒ヨーロッパでも四世紀末にはローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡、
これはヤマト王権が前方後円墳を築き日本列島の大半を支配下に収めようとしていた頃
・それらに共通する変動要因の一つがユーラシア大陸の中央部で勃興した遊牧民族の騎馬戦術
⇒鞍、鐙、轡といった馬具の発明は画期的で大陸を席巻した
⇒東では遊牧民族の匈奴が漢軍を叩きのめし屈辱的な和睦に
⇒同じく遊牧民族の高句麗が朝鮮半島を南下し百済を圧迫、倭国軍と戦った
⇒西では遊牧民族のフン族アッティラが東ヨーロッパに進出して、ゲルマン民族の大移動、
地中海世界を制覇したローマ帝国の衰退へとつながった
⇒この騎馬戦術を積極的に導入して東アジアのパワーバランスを塗り替えようとしたのが
倭王が率いるヤマト王権だった
・勢力図が塗り替わると世界観も変化する
⇒中国の歴史書も紀元前一世紀に完成した「史記」では皇帝の偉業がハイライトだったが、
⇒三世紀の魏志東夷伝や五世紀の宋書夷蛮伝になると倭国や朝鮮半島、遊牧民の動向など、
中国の周辺世界の記述が増えてくる
⇒地政学的なリスクの高まりとともに「中華」の概念が生まれてくる
⇒領土を脅かす外敵がいたからこそ必要とされた概念だったのではないか
・ユーラシア大陸の大変動を国造りの好機と見たのが古代日本のリーダーたち
⇒卑弥呼はなぜ呉ではなく魏を選んだのか
⇒高句麗と敵対していた倭の五王が、なぜ宋に官位を要求し朝鮮半島の軍事指揮権を手中に
収めようとしたのか
⇒グローバルヒストリーによって邪馬台国やヤマト王権の外交政策やリーダー像も変わるだろう
・古代史では論争が続いているテーマがあるが本書は謎に決着をつけることを目指していない
⇒考古学的な調査や科学的な分析から明らかになった事実や研究者の見解をわかりやすく丁寧に
紹介することがねらい・・・
・・・
うーむ、まさにねらいどおりで科学的な説明も各見解の解説もわかりやすかったです
さらに深く知りたければ末尾にあった「参考文献」を読めばいいし・・・
って、何冊かは読んでブログ記事にメモしたような気もするけど記憶が・・・

2025年03月29日
スタジオジブリ全作品集(増補改訂版)
とーとつですが・・・

「スタジオジブリ全作品集」増補改訂版のご紹介であります
裏表紙カバー

奥付

そう「君たちはどう生きるか」の公開により増補改訂された最新版であります
例によって目次と・・・

今回は惹句がわりに「はじめに」と「各作品ページの読み方」もご紹介

こんな感じでジブリ側の立場から全作品が紹介されてて、制作秘話や注目ポイントなど、
知らなかったこと、気づかなかったこともけっこうあって熟読しました
作品紹介以外の読み物も興味深く、特に全く知らなかったのが、北米での配給を手がけた
GKIDS創設者兼CEOであるエリック・ベックマンからの寄稿内容でした
以下、その部分からのランダムなメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ディズニー社がジブリ作品を扱っていた1999年、2年前に共同で立ち上げたニューヨーク
国際子ども映画祭NYICFFで「魔女の宅急便」英語吹き替え版をプレミア上映した
⇒観客は魅了され涙を流しながら私に話しかけてきた
⇒翌年の日本アニメ特集のオープニングで「天空の城ラピュタ」英語吹き替え版をプレミア上映、
この時に初めてジブリの関係者(スティーブン・アルバート)と会った
・「崖の上のポニョ」が出品されていたロサンゼルス映画祭でスティーブン・アルバートから
ランチに招待され、映画芸術としてのアニメーションとか、アメリカのアニメーション映画は
事実上企業の商品だとか、実写映画のようにアニメーションでもインディペンデントが繁栄できる
環境づくりに貢献したいとか、いつものように延々と語りまくってたら、ジブリ作品の劇場権を
扱ってみないかと誘われた
⇒となりのトトロ、風の谷のナウシカ、千と千尋の神隠し、天空の城ラピュタ、魔女の宅急便、
もののけ姫・・・どれも重要で象徴的な傑作だったので、もちろんイエスと即答した
⇒35mmニュープリントを作りニューヨークIFCセンターで大掛かりに4週間、チケットは完売し、
その他の主要都市でも定期上映したがプレスにも観客にも好評でジブリも大満足だった
・スティーブン・アルバートの後任ジェフ・ウェクスラーから「コクリコ坂から」の配給を
やってみないかとの打診があった
⇒それまでは既存作品の劇場公開のみで新作はいつもディズニーだったので、これはジブリが
自分たちに映画を託すことを物語っている
⇒アカデミー賞でいくらか成功を収め、ジブリライブラリー作品でも良い仕事をしてきたが、
こちらはごく小さな会社でディズニーは世界一のアニメーション・スタジオ・・・
⇒それでもスタジオジブリが私たちを信じてくれたおかげで、多くの海外アニメーションの
アメリカ公開に繋がり、2016年末までに長編アニメーション部門にノミネートされた作品は
合計9本になった
・「かぐや姫の物語」は映画の最高傑作だと思うが誰もが受け入れるわけではない
(個人的にはその人の死に対する考え方(死を受け入れるかどうか)によると思う)
⇒トロント国際映画祭でのプレミア上映で私の真後ろにいた若いカップルの男性が映画のラストで
我慢できずにおいおいと泣き出し、あまり親しくなさそうな女性が懸命に慰めようとしていた
⇒それは胸に刺さる光景だった
⇒劇場を出てからTwitterでプレスの反応をチェックすると、
「この映画が私に何をもたらしたか、とても語り尽くせない」
「圧倒された」
「詳細を書く前に気持ちを落ち着かせる必要があるが、この作品は最高傑作だ」
「大泣きしてマスカラまみれの顔でトロントの街をふらふら歩き回っている」
といったものばかりで否定的なレビューはひとつもなかった
⇒この年のアカデミー賞にノミネートされ翌年は「思い出のマーニー」がノミネートされた
・2017年にはジブリライブラリー作品のホームビデオ権を打診されて権利を得た
⇒GKIDSはユニバーサル・ホームビデオと組んでいたがジブリ作品の契約合意ができず、
自分たちで全作品を再オーサリングして新しいジャケットにボーナス映像を入れて販売した
⇒最初の年でこれまでのディズニー年間売り上げの倍になり社内でも誰もがファンになり、
作品リリースに全身全霊を注いでいる⇒これは大きな配給会社ではできないこと
・その後の3年間でジブリに限らず日本アニメの観客が爆発的に増えた
(細田守の「未来のミライ」は、はじめてゴールデングローブ賞にノミネート、ジブリ以外で
はじめてのアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネート、新海誠の「天気の子」は
800万ドル近い興行収入を上げたがコロナで全米の映画館が閉館して公開が終了した)
・2019年1月にはジブリでは決してなかったデジタル・プラットフォーム化の打診があった
⇒1年後に配信、コロナで多くが家での視聴となり新しい観客がジブリと出会うことになった
・「君たちはどう生きるか」については別稿にまかせるが・・・
⇒スタジオジブリが私たちを信頼してくれたこと、この作品に関われたことに感謝している
⇒宮崎駿を他のアニメーション作家と較べないようにスタッフにメモした
⇒素晴らしい映画監督とさえ比較しないで欲しいとも・・・比較するならアインシュタイン、
マイケル・ジョーダン、ゴッホ、モーツァルトといった人たちで100年にひとりの逸材だと
⇒トロント映画祭プレミア上映のイントロダクションで「モーツァルトがまだ作曲している
時代に生きていることを、皆さんは幸せに思うべきだ」と、メモを渡したわけでもない
ギレルモ・デル・トロが全く同じことを言ってくれて本当に嬉しかった
・私は初め「君たちはどう生きるか」を大きな映画祭だけで上映して、それから予告編や
宣伝で盛り上げていこうと考えていた
⇒そうすれば限られた人数だけが作品を見るようコントロールできるからだ
(複雑な映画ゆえに公開前に少数でも否定的なレビューが出たらマイナスインパクトになる)
⇒しかし作品に衝撃を受けた配給部門のチャンス・ハスキーは、観客や批評家がこの作品を
理解できると信じるべきだと主張した
⇒アニメーションを見ない層からの支持も必要で、その強化には数ヶ月かかるだろうとも
⇒私は配給チームを信じることにし、多くの映画祭やイベントに参加して拡大公開の3週間前に
ニューヨークとロサンゼルスで試写会を開いた
⇒結果は報われ「君たちはどう生きるか」は全米初登場1位となった
・・・
ジブリ側への寄稿なので中にはヨイショもあるのでしょうが、北米での売り手側の熱意が
ひしひしと伝わってきて感動しました

「スタジオジブリ全作品集」増補改訂版のご紹介であります

裏表紙カバー

奥付

そう「君たちはどう生きるか」の公開により増補改訂された最新版であります
例によって目次と・・・

今回は惹句がわりに「はじめに」と「各作品ページの読み方」もご紹介

こんな感じでジブリ側の立場から全作品が紹介されてて、制作秘話や注目ポイントなど、
知らなかったこと、気づかなかったこともけっこうあって熟読しました
作品紹介以外の読み物も興味深く、特に全く知らなかったのが、北米での配給を手がけた
GKIDS創設者兼CEOであるエリック・ベックマンからの寄稿内容でした
以下、その部分からのランダムなメモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
・ディズニー社がジブリ作品を扱っていた1999年、2年前に共同で立ち上げたニューヨーク
国際子ども映画祭NYICFFで「魔女の宅急便」英語吹き替え版をプレミア上映した
⇒観客は魅了され涙を流しながら私に話しかけてきた
⇒翌年の日本アニメ特集のオープニングで「天空の城ラピュタ」英語吹き替え版をプレミア上映、
この時に初めてジブリの関係者(スティーブン・アルバート)と会った
・「崖の上のポニョ」が出品されていたロサンゼルス映画祭でスティーブン・アルバートから
ランチに招待され、映画芸術としてのアニメーションとか、アメリカのアニメーション映画は
事実上企業の商品だとか、実写映画のようにアニメーションでもインディペンデントが繁栄できる
環境づくりに貢献したいとか、いつものように延々と語りまくってたら、ジブリ作品の劇場権を
扱ってみないかと誘われた
⇒となりのトトロ、風の谷のナウシカ、千と千尋の神隠し、天空の城ラピュタ、魔女の宅急便、
もののけ姫・・・どれも重要で象徴的な傑作だったので、もちろんイエスと即答した
⇒35mmニュープリントを作りニューヨークIFCセンターで大掛かりに4週間、チケットは完売し、
その他の主要都市でも定期上映したがプレスにも観客にも好評でジブリも大満足だった
・スティーブン・アルバートの後任ジェフ・ウェクスラーから「コクリコ坂から」の配給を
やってみないかとの打診があった
⇒それまでは既存作品の劇場公開のみで新作はいつもディズニーだったので、これはジブリが
自分たちに映画を託すことを物語っている
⇒アカデミー賞でいくらか成功を収め、ジブリライブラリー作品でも良い仕事をしてきたが、
こちらはごく小さな会社でディズニーは世界一のアニメーション・スタジオ・・・
⇒それでもスタジオジブリが私たちを信じてくれたおかげで、多くの海外アニメーションの
アメリカ公開に繋がり、2016年末までに長編アニメーション部門にノミネートされた作品は
合計9本になった
・「かぐや姫の物語」は映画の最高傑作だと思うが誰もが受け入れるわけではない
(個人的にはその人の死に対する考え方(死を受け入れるかどうか)によると思う)
⇒トロント国際映画祭でのプレミア上映で私の真後ろにいた若いカップルの男性が映画のラストで
我慢できずにおいおいと泣き出し、あまり親しくなさそうな女性が懸命に慰めようとしていた
⇒それは胸に刺さる光景だった
⇒劇場を出てからTwitterでプレスの反応をチェックすると、
「この映画が私に何をもたらしたか、とても語り尽くせない」
「圧倒された」
「詳細を書く前に気持ちを落ち着かせる必要があるが、この作品は最高傑作だ」
「大泣きしてマスカラまみれの顔でトロントの街をふらふら歩き回っている」
といったものばかりで否定的なレビューはひとつもなかった
⇒この年のアカデミー賞にノミネートされ翌年は「思い出のマーニー」がノミネートされた
・2017年にはジブリライブラリー作品のホームビデオ権を打診されて権利を得た
⇒GKIDSはユニバーサル・ホームビデオと組んでいたがジブリ作品の契約合意ができず、
自分たちで全作品を再オーサリングして新しいジャケットにボーナス映像を入れて販売した
⇒最初の年でこれまでのディズニー年間売り上げの倍になり社内でも誰もがファンになり、
作品リリースに全身全霊を注いでいる⇒これは大きな配給会社ではできないこと
・その後の3年間でジブリに限らず日本アニメの観客が爆発的に増えた
(細田守の「未来のミライ」は、はじめてゴールデングローブ賞にノミネート、ジブリ以外で
はじめてのアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネート、新海誠の「天気の子」は
800万ドル近い興行収入を上げたがコロナで全米の映画館が閉館して公開が終了した)
・2019年1月にはジブリでは決してなかったデジタル・プラットフォーム化の打診があった
⇒1年後に配信、コロナで多くが家での視聴となり新しい観客がジブリと出会うことになった
・「君たちはどう生きるか」については別稿にまかせるが・・・
⇒スタジオジブリが私たちを信頼してくれたこと、この作品に関われたことに感謝している
⇒宮崎駿を他のアニメーション作家と較べないようにスタッフにメモした
⇒素晴らしい映画監督とさえ比較しないで欲しいとも・・・比較するならアインシュタイン、
マイケル・ジョーダン、ゴッホ、モーツァルトといった人たちで100年にひとりの逸材だと
⇒トロント映画祭プレミア上映のイントロダクションで「モーツァルトがまだ作曲している
時代に生きていることを、皆さんは幸せに思うべきだ」と、メモを渡したわけでもない
ギレルモ・デル・トロが全く同じことを言ってくれて本当に嬉しかった
・私は初め「君たちはどう生きるか」を大きな映画祭だけで上映して、それから予告編や
宣伝で盛り上げていこうと考えていた
⇒そうすれば限られた人数だけが作品を見るようコントロールできるからだ
(複雑な映画ゆえに公開前に少数でも否定的なレビューが出たらマイナスインパクトになる)
⇒しかし作品に衝撃を受けた配給部門のチャンス・ハスキーは、観客や批評家がこの作品を
理解できると信じるべきだと主張した
⇒アニメーションを見ない層からの支持も必要で、その強化には数ヶ月かかるだろうとも
⇒私は配給チームを信じることにし、多くの映画祭やイベントに参加して拡大公開の3週間前に
ニューヨークとロサンゼルスで試写会を開いた
⇒結果は報われ「君たちはどう生きるか」は全米初登場1位となった
・・・
ジブリ側への寄稿なので中にはヨイショもあるのでしょうが、北米での売り手側の熱意が
ひしひしと伝わってきて感動しました

2025年03月23日
情報分析力
とーとつですが・・・

「情報分析力」とゆー本を読んだので脳の外部記憶としてメモしておきます
著者紹介

日本では数少ないロシア軍事の専門家(あとは自衛隊・防衛研究所の研究者ぐらい?)で、
今回の著書はその情報分析のやり方について解説した「ビジネス書」だそうです
奥付

初版発行と同時に図書館予約して今は3月なので、けっこう人気があるようです
例によって目次の紹介




以下思いつくままの個人メモですので正しくは本書をお読みくださいね
(著作物の読後メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・本書は書店の(国際情勢や安全保障の棚ではなく)ビジネス書の棚に並ぶだろう
⇒だが私が朝起きて読むのは経済紙ではなくロシア軍の機関紙「赤い星]
⇒今回は私がロシア軍事をどうやって分析しているかというお話
・ロシア軍のウクライナ侵略は「まさかそれはないだろう」と思われていた例
⇒だが半年ほど前から(集結の事実や高官のメッセージなどで)多くの専門家に指摘されていた
⇒問題は「情報がなかった」のではなく「情報分析のやり方」にあった
⇒情報分析のやり方によって(100%の予測はできないが)「事態の幅」は予測できる
⇒ウクライナ侵略は本来その「幅」に含まれるべき事態だった・・・
・インターネット上にはあらゆる国際情報が溢れている(略)
(少し前まで外交官や商社マンなど専門家のみが知る情報が低コストで入手可能になった)
(衛星画像などは軍事大国の一部高官や分析官だけが知る情報だった)
⇒インターネット上で入手できないのは「その生情報が何を意味するか」を知る方法
(企業の決算報告書は数秒でダウンロードできるが、それで兆候を読めるのは投資家のみ)
⇒個人がこの能力を持つのは簡単ではないが本書でそのギャップを縮めたい
・インターネット上の生情報の氾濫はフェイクの弊害を拡げた
⇒外交や安全保障から私の好きな料理レシピまで玉石混合で偽情報も多いが、
⇒カレーを作ったことがある人なら「3分でできるカレーレシピ」は怪しいと思うはず
⇒これが「一定の相場感」で情報分析のやり方を知れば偽情報の確率は大幅に下がる
・情報は食材でそれを料理して食べられるようにしたのがインテリジェンス(情報資料)
⇒インテリジェンスには敵国の高官を買収して得たような極秘情報もあるが、これは超高級料亭で
出される料理(インテリジェンス)で分析は求められず「素材そのものを味わう」食べ方
⇒本書は「スーパーの食材による普通の朝ご飯の作り方」だが、そのやり方を知らないと
それなりの朝ご飯は食べれられない
・本書の構成
⇒第1章はウクライナ侵略の情報分析の実際とその影響のスケッチ
⇒第2章は情報分析の手法や考え方でここまでが入門編
⇒第3章は情報の取り方
⇒第4章は情報分析の具体的なメソッド
⇒第5章は分析をまとめる方法
⇒第6章は情報分析で陥りやすい罠
(以下はランダムに一部のみメモ)
第1章より
・2021年の秋から2022年の初頭にかけ「ロシア軍は侵攻するのか?」との質問を多く受けた
⇒私の答えは「侵攻するかどうかはわからないが大規模な戦争能力は整いつつある」だった
⇒「意図」のような曖昧なことは横に置き把握しやすい「能力」を分析の出発点にした
⇒それで「可能行動」を考えると「やろうとしていること」の上限が見えてくる
(実際に両軍の「能力」は、この間に広がり続けていた)
・当時の分析
⇒ロシア軍の海兵隊や空挺部隊を含む全地上兵力は36万人でうち15万人が集結していた
⇒全地上兵力のうち徴兵の20万人は戦地に送らないとの建前が過去には概ね守られていた
⇒以上から15万人は実戦に投入できる兵力のほぼ上限でロシア全土から派遣されていた
⇒こんな集結は毎年秋の大演習でもなかったことで投入可能な戦闘チームのほぼ全力だった
⇒これらのバックグラウンドを知らずに15/36の情報を得ても意味はない⇒情報処理が重要
・私の夕食に奥さんが毒を入れている可能性
⇒そんなはずがないという性善説で食べているが前夜に刃傷沙汰があれば違った推測になるかも
⇒軍事の情報分析は性悪説になりがちで毒が入ってるかもしれない、致死性はどの程度なのか、
可能行動の範囲内で何をするか、といった相手の意図にまつわる曖昧さが立ちはだかる
⇒ウクライナ侵攻の意図が確定できたのは開戦の3日前(ドンパス地方の独立国家承認)だった
(第2次ミンスク合意を完全に破棄することを意味していたから)
・料理に毒を入れた人が食べる人に教えてくれることはない
⇒分析対象が発する情報は「政治的な語り(ナラティブ)」
⇒「実際に考えていること」と「そう信じさせたいこと」の区別が曖昧になっている
⇒ナラティブを分析しているうちにそれに溺れてしまう危険性に注意すること
・戦略レベルの意図は理解できても戦術レベルは別かも知れないことも重要
(ウクライナ侵略でも主攻方向はキーウではなくドンパス地方という欺瞞作戦を展開した)
(このレベルになると戦術や作戦の専門家しか分析できず私の専門外で現在はやっていないが)
⇒キーウでの攻防などは戦略レベルでも重要なので専門家に頼ることを推奨している
第2章より
・1979年のスリーマイル島の原発事故
⇒137個の警告灯が一斉に点灯してクリスマスツリー状態になり情報の有用性が損なわれた
・情報(インフォメーション)と情報資料(インテリジェンス)の区別が重要
⇒集められた食材(情報)を調理(処理)し食べられる料理(情報資料)にすること
⇒役に立つ情報資料にするのはクリエイターよりエディターの仕事
①バックグラウンド情報⇒ロシアの政治、経済、社会状況などの情報(バレエ情報は不要?
)
②分析のコアとなる情報⇒ロシア軍の人事、部隊再編、装備調達などの情報
(定点観測を続けることで違いを取り出せる)
③足で稼ぐ情報⇒文字や画像データでは把握しきれない体験的な情報⇒①②の分析が深まる
・身銭を切った情報(分析対象に入れ込む)
⇒ロシア軍の衛星画像
(私は米国マクサー社だが米軍や自衛隊が優先され個人には遅れたり配信がなかったりする)
⇒自分用の図書館⇒集めた本で仮説ができる、余白にメモできる、付箋を貼れる・・・
・新しいガジェット
⇒大きな組織なら情報の収集と分析は分けるべきだが個人では自分でやるしかない
⇒限りがあるのだから、いろんな工夫をすべき
・エミュレーターになる(分析対象を模倣して考える)
⇒B-1爆撃機の予算復活の例(ミサイルより空爆を警戒するロシア軍になって考えた結果)
⇒いつでもスイッチを切って自分たちの側に立つことが重要(できない人も多い)
第3章より
・情報収集の目的⇒何のために誰に向けて⇒その解像度を合わせること
⇒ロシア軍が北方領土へ新型戦車を配備した場合の情報資料の例
⇒外務省には何両ぐらいか性能は日本のと較べてどうか、国際法上の違反はないかなど、
政治外交レベルでの比較的マクロなレベルの資料になり装甲性能など解像度が高すぎても
あまり意味はない
⇒陸上自衛隊の機甲科や対戦車研究者にはマクロな高解像度が必要で政治レベルの意味はない
・国家インテリジェンスの手法(略)
⇒大本営発表にもある程度の事実はあり、それをどうやって深読みするか
⇒個々の情報はアテにならなくても傾向の変化は読み取れる
(ウクライナでの両軍の公式戦況報告は勝敗ではなく報告量の増減というメタ情報としてみる)
⇒軍事力には抑止力の側面があり知られていないと意味はない⇒それを集める
・公開情報の読み方(略)
⇒戦況報道の中の事実、戦況報告の変化、知らせたい抑止力、冠婚葬祭、議会予算資料など
(ロシアの国防予算は開戦で3倍になったが伴う財政赤字はGDPの0.8%で財政破綻しないとか)
(国後島と択捉島の兵舎建替入札の仕様書からの配備兵力がロシア側の説明と一致したとか)
(侵攻の少し前から「ウクライナ政府」から「キエフ政権」に言い方が変わったとか)
(人民日報の「面積読み」とかロシア国営メディアの女優のゴシップとか)
⇒SNS情報などは体系化が重要
・ネットワークで「沼の主」を召喚する
⇒シベリア鉄道の映像を見て私なら「T-80が31両で1個戦車大隊か」ぐらいは読み解けるが、
「沼の主」なら「これはT-80改良型のT-80BVMで極東でこの戦車を持ってるのは太平洋艦隊の
第155海軍歩兵旅団の戦車大隊だけだったはず」と瞬時にわかり、戦争が始まってからは、
「このT-80BVMの光学照準器は古いバージョンなので精密機器の生産に支障が出ているのでは」
と分析している人もいて度肝を抜かれた
⇒こういう知識は自衛隊の人は別にして趣味の世界に属し解像度は異様に高いが視野は狭い
⇒ところが分析者と趣味的知識(オタク的知)がうまく結合するとマクロな相乗効果を生む
⇒ベリングキャットもオタクを活用するバーチャル組織を作り上げマレーシア航空機の撃墜が
親ロシア派による地対空ミサイルの誤射であったことを解明した
⇒重要なのは自分で沼に潜るのではなく必要な際に主を召喚できるネットワークを作ること
・情報の収集⇒分析⇒資料化(文章化)のスパイラルで体系化する(出典は重要)
第4章より
・冷戦時代のソ連はアメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍事衛星写真で中庭にある小さな建物に、
多くの人が出入りしていたので高官が会議する地下重要施設(の出入口?)と判断していた
⇒冷戦後にソ連軍の代表団が行ってみるとホットドッグ店やハンバーガー店の入る建物だった
⇒ソ連時代のロシア国防省では食事時間も食堂も厳格に決まっており適当に買いに出ることは
なかったから勘違いしていた
(今はデリバリーもありその顧客リストから連邦保安庁の組織構成がバレてたけど
)
⇒情報収集にカネをかけ優秀な分析官たちが分析しても、相手の行動様式がわからないと
とんちんかんな結論になってしまう例で、これはアメリカの分析官も同じ
⇒今ならAIに分析させるが自分が分析方法を理解してないと・・・(以下略)
第5章(情報分析のための文章術でメモは省略)
⇒分析者の文章は作品ではなく資料なのであくまで顧客本位で・・・
第6章より
・慢心、予算制限、予断(ミラーイメージの罠⇒エミュレーターを持つ)・・・
⇒ウクライナについての分析も、みんなが偏っており私も日本に偏っている
・一次資料を読めることと、それが事実なのかは別
⇒事情通で終わる(分析できない⇒アウトプットが見えていない)
・ヘンな専門家に注意すること
⇒予断、断定、占い師的な「偏な専門家」、事情通タイプで分析できない「変な専門家」、
エミュレーターのスイッチが切れなくなった専門家(自分の分析に陰謀論が入る)・・・
終章より
・アメリカの孤立主義的な路線は長期的に維持される可能性が高い
⇒なので直近の歴史が続くという予見はもう持てない
⇒10年20年スパンの不確実性は高まっているし、30年後40年後は遠い世界に
⇒「それはないだろう」が「ある」時代になり情報分析がより重要になる
・情報の不確実性も増していく
⇒統制されない情報の氾濫や情報チャンネルの多様化・・・
⇒半世紀前の「情報化時代」はテレビ新聞など何らかのオーソリティを経由した情報の氾濫
⇒今は深い専門家の知見とそれとは関係のないインフルエンサーの「それっぽい話」が全く
同列で流れてくる時代
⇒事実はややこしくて面白くないのでバズるのは往々にしてわかりやすくて面白い後者
・今はAIが公式情報を自動文字化してニュース発信しているが偽情報でも誤情報でも可能
⇒これが情報にある程度の信頼が置けた「情報化時代」との最大の違い
⇒自分が分かっていることには気づけるので自分自身が情報分析力を持つこと
⇒そのためには定点観測と専門家の本、地道だがAIが信用できるまではそれしかない
・情報分析で最も厄介なファクターは人間⇒こだわりとか信念とか恐怖とか・・・
⇒この「合理的ではないが人間らしいと多くの人が認める行動様式」を人間性と呼べば、
優れた文学作品は人間性のスケッチだと思う
⇒今も参照にしているのがウラジミール・ソローキンのSF小説「親衛隊士の日」
⇒ロシアで読み継がれるドストエフスキーの思考様式や50代以下の世代なら日本のサブカルチャー
⇒分析対象を最もよく描き、影響を与えている文学は何かを考える
⇒こうした人間性の洞察が不確実な時代の情報分析の基礎になるのではないか・・・
・・・
まあ、わたくしが情報(インフォメーション)を分析して情報資料(インテリジェンス)にすることは
今後もないでしょうし、この記事も情報(インフォメーション)をてきとーにメモしただけですが、
確かに文章化することによって情報を整理できる、とゆーことはあるかもですね
それと情報の氾濫の中から誤情報や偽情報を取り除くことの重要性も今回再認識しました
本文にもありましたが半世紀前にテレビや新聞など何らかのオーソリティを経由した情報が
氾濫しだしたのが、今やオーソリティとは何の関係もない情報が全く同列で氾濫しており、
そちらのほうがわかりやすくて面白いのでバズる、とゆー現象は確かに実感しています
もちろんマスメディアにも誤情報や意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、それでも公開には
一定のファクトチェック手続きを経ているはずで、これが他のSNS情報との大きな違いですね
各国政府や自治体の公式発表にも意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、全く事実がなければ
権威そのものが失墜するので、大本営発表からでも得られる情報はあるわけですね
なので、これら以外の情報はあくまでメタ情報の部分として全体から方向を掴む程度で利用、
面白いけど事実とはまったく関係がないという前提を常に意識しておこうと思っています

「情報分析力」とゆー本を読んだので脳の外部記憶としてメモしておきます
著者紹介

日本では数少ないロシア軍事の専門家(あとは自衛隊・防衛研究所の研究者ぐらい?)で、
今回の著書はその情報分析のやり方について解説した「ビジネス書」だそうです
奥付

初版発行と同時に図書館予約して今は3月なので、けっこう人気があるようです
例によって目次の紹介




以下思いつくままの個人メモですので正しくは本書をお読みくださいね
(著作物の読後メモなので公開に問題があれば非公開設定にします)
はじめにより
・本書は書店の(国際情勢や安全保障の棚ではなく)ビジネス書の棚に並ぶだろう
⇒だが私が朝起きて読むのは経済紙ではなくロシア軍の機関紙「赤い星]
⇒今回は私がロシア軍事をどうやって分析しているかというお話
・ロシア軍のウクライナ侵略は「まさかそれはないだろう」と思われていた例
⇒だが半年ほど前から(集結の事実や高官のメッセージなどで)多くの専門家に指摘されていた
⇒問題は「情報がなかった」のではなく「情報分析のやり方」にあった
⇒情報分析のやり方によって(100%の予測はできないが)「事態の幅」は予測できる
⇒ウクライナ侵略は本来その「幅」に含まれるべき事態だった・・・
・インターネット上にはあらゆる国際情報が溢れている(略)
(少し前まで外交官や商社マンなど専門家のみが知る情報が低コストで入手可能になった)
(衛星画像などは軍事大国の一部高官や分析官だけが知る情報だった)
⇒インターネット上で入手できないのは「その生情報が何を意味するか」を知る方法
(企業の決算報告書は数秒でダウンロードできるが、それで兆候を読めるのは投資家のみ)
⇒個人がこの能力を持つのは簡単ではないが本書でそのギャップを縮めたい
・インターネット上の生情報の氾濫はフェイクの弊害を拡げた
⇒外交や安全保障から私の好きな料理レシピまで玉石混合で偽情報も多いが、
⇒カレーを作ったことがある人なら「3分でできるカレーレシピ」は怪しいと思うはず
⇒これが「一定の相場感」で情報分析のやり方を知れば偽情報の確率は大幅に下がる
・情報は食材でそれを料理して食べられるようにしたのがインテリジェンス(情報資料)
⇒インテリジェンスには敵国の高官を買収して得たような極秘情報もあるが、これは超高級料亭で
出される料理(インテリジェンス)で分析は求められず「素材そのものを味わう」食べ方

⇒本書は「スーパーの食材による普通の朝ご飯の作り方」だが、そのやり方を知らないと
それなりの朝ご飯は食べれられない

・本書の構成
⇒第1章はウクライナ侵略の情報分析の実際とその影響のスケッチ
⇒第2章は情報分析の手法や考え方でここまでが入門編
⇒第3章は情報の取り方
⇒第4章は情報分析の具体的なメソッド
⇒第5章は分析をまとめる方法
⇒第6章は情報分析で陥りやすい罠
(以下はランダムに一部のみメモ)
第1章より
・2021年の秋から2022年の初頭にかけ「ロシア軍は侵攻するのか?」との質問を多く受けた
⇒私の答えは「侵攻するかどうかはわからないが大規模な戦争能力は整いつつある」だった
⇒「意図」のような曖昧なことは横に置き把握しやすい「能力」を分析の出発点にした
⇒それで「可能行動」を考えると「やろうとしていること」の上限が見えてくる
(実際に両軍の「能力」は、この間に広がり続けていた)
・当時の分析
⇒ロシア軍の海兵隊や空挺部隊を含む全地上兵力は36万人でうち15万人が集結していた
⇒全地上兵力のうち徴兵の20万人は戦地に送らないとの建前が過去には概ね守られていた
⇒以上から15万人は実戦に投入できる兵力のほぼ上限でロシア全土から派遣されていた
⇒こんな集結は毎年秋の大演習でもなかったことで投入可能な戦闘チームのほぼ全力だった
⇒これらのバックグラウンドを知らずに15/36の情報を得ても意味はない⇒情報処理が重要
・私の夕食に奥さんが毒を入れている可能性

⇒そんなはずがないという性善説で食べているが前夜に刃傷沙汰があれば違った推測になるかも
⇒軍事の情報分析は性悪説になりがちで毒が入ってるかもしれない、致死性はどの程度なのか、
可能行動の範囲内で何をするか、といった相手の意図にまつわる曖昧さが立ちはだかる
⇒ウクライナ侵攻の意図が確定できたのは開戦の3日前(ドンパス地方の独立国家承認)だった
(第2次ミンスク合意を完全に破棄することを意味していたから)
・料理に毒を入れた人が食べる人に教えてくれることはない

⇒分析対象が発する情報は「政治的な語り(ナラティブ)」
⇒「実際に考えていること」と「そう信じさせたいこと」の区別が曖昧になっている
⇒ナラティブを分析しているうちにそれに溺れてしまう危険性に注意すること
・戦略レベルの意図は理解できても戦術レベルは別かも知れないことも重要
(ウクライナ侵略でも主攻方向はキーウではなくドンパス地方という欺瞞作戦を展開した)
(このレベルになると戦術や作戦の専門家しか分析できず私の専門外で現在はやっていないが)
⇒キーウでの攻防などは戦略レベルでも重要なので専門家に頼ることを推奨している
第2章より
・1979年のスリーマイル島の原発事故
⇒137個の警告灯が一斉に点灯してクリスマスツリー状態になり情報の有用性が損なわれた
・情報(インフォメーション)と情報資料(インテリジェンス)の区別が重要
⇒集められた食材(情報)を調理(処理)し食べられる料理(情報資料)にすること
⇒役に立つ情報資料にするのはクリエイターよりエディターの仕事
①バックグラウンド情報⇒ロシアの政治、経済、社会状況などの情報(バレエ情報は不要?

②分析のコアとなる情報⇒ロシア軍の人事、部隊再編、装備調達などの情報
(定点観測を続けることで違いを取り出せる)
③足で稼ぐ情報⇒文字や画像データでは把握しきれない体験的な情報⇒①②の分析が深まる
・身銭を切った情報(分析対象に入れ込む)
⇒ロシア軍の衛星画像
(私は米国マクサー社だが米軍や自衛隊が優先され個人には遅れたり配信がなかったりする)
⇒自分用の図書館⇒集めた本で仮説ができる、余白にメモできる、付箋を貼れる・・・

・新しいガジェット
⇒大きな組織なら情報の収集と分析は分けるべきだが個人では自分でやるしかない
⇒限りがあるのだから、いろんな工夫をすべき
・エミュレーターになる(分析対象を模倣して考える)
⇒B-1爆撃機の予算復活の例(ミサイルより空爆を警戒するロシア軍になって考えた結果)
⇒いつでもスイッチを切って自分たちの側に立つことが重要(できない人も多い)
第3章より
・情報収集の目的⇒何のために誰に向けて⇒その解像度を合わせること
⇒ロシア軍が北方領土へ新型戦車を配備した場合の情報資料の例
⇒外務省には何両ぐらいか性能は日本のと較べてどうか、国際法上の違反はないかなど、
政治外交レベルでの比較的マクロなレベルの資料になり装甲性能など解像度が高すぎても
あまり意味はない
⇒陸上自衛隊の機甲科や対戦車研究者にはマクロな高解像度が必要で政治レベルの意味はない
・国家インテリジェンスの手法(略)
⇒大本営発表にもある程度の事実はあり、それをどうやって深読みするか
⇒個々の情報はアテにならなくても傾向の変化は読み取れる
(ウクライナでの両軍の公式戦況報告は勝敗ではなく報告量の増減というメタ情報としてみる)
⇒軍事力には抑止力の側面があり知られていないと意味はない⇒それを集める
・公開情報の読み方(略)
⇒戦況報道の中の事実、戦況報告の変化、知らせたい抑止力、冠婚葬祭、議会予算資料など
(ロシアの国防予算は開戦で3倍になったが伴う財政赤字はGDPの0.8%で財政破綻しないとか)
(国後島と択捉島の兵舎建替入札の仕様書からの配備兵力がロシア側の説明と一致したとか)
(侵攻の少し前から「ウクライナ政府」から「キエフ政権」に言い方が変わったとか)
(人民日報の「面積読み」とかロシア国営メディアの女優のゴシップとか)
⇒SNS情報などは体系化が重要
・ネットワークで「沼の主」を召喚する

⇒シベリア鉄道の映像を見て私なら「T-80が31両で1個戦車大隊か」ぐらいは読み解けるが、
「沼の主」なら「これはT-80改良型のT-80BVMで極東でこの戦車を持ってるのは太平洋艦隊の
第155海軍歩兵旅団の戦車大隊だけだったはず」と瞬時にわかり、戦争が始まってからは、
「このT-80BVMの光学照準器は古いバージョンなので精密機器の生産に支障が出ているのでは」
と分析している人もいて度肝を抜かれた

⇒こういう知識は自衛隊の人は別にして趣味の世界に属し解像度は異様に高いが視野は狭い
⇒ところが分析者と趣味的知識(オタク的知)がうまく結合するとマクロな相乗効果を生む
⇒ベリングキャットもオタクを活用するバーチャル組織を作り上げマレーシア航空機の撃墜が
親ロシア派による地対空ミサイルの誤射であったことを解明した
⇒重要なのは自分で沼に潜るのではなく必要な際に主を召喚できるネットワークを作ること

・情報の収集⇒分析⇒資料化(文章化)のスパイラルで体系化する(出典は重要)
第4章より
・冷戦時代のソ連はアメリカ国防総省(ペンタゴン)の軍事衛星写真で中庭にある小さな建物に、
多くの人が出入りしていたので高官が会議する地下重要施設(の出入口?)と判断していた
⇒冷戦後にソ連軍の代表団が行ってみるとホットドッグ店やハンバーガー店の入る建物だった
⇒ソ連時代のロシア国防省では食事時間も食堂も厳格に決まっており適当に買いに出ることは
なかったから勘違いしていた
(今はデリバリーもありその顧客リストから連邦保安庁の組織構成がバレてたけど

⇒情報収集にカネをかけ優秀な分析官たちが分析しても、相手の行動様式がわからないと
とんちんかんな結論になってしまう例で、これはアメリカの分析官も同じ
⇒今ならAIに分析させるが自分が分析方法を理解してないと・・・(以下略)
第5章(情報分析のための文章術でメモは省略)
⇒分析者の文章は作品ではなく資料なのであくまで顧客本位で・・・
第6章より
・慢心、予算制限、予断(ミラーイメージの罠⇒エミュレーターを持つ)・・・
⇒ウクライナについての分析も、みんなが偏っており私も日本に偏っている
・一次資料を読めることと、それが事実なのかは別
⇒事情通で終わる(分析できない⇒アウトプットが見えていない)
・ヘンな専門家に注意すること
⇒予断、断定、占い師的な「偏な専門家」、事情通タイプで分析できない「変な専門家」、
エミュレーターのスイッチが切れなくなった専門家(自分の分析に陰謀論が入る)・・・
終章より
・アメリカの孤立主義的な路線は長期的に維持される可能性が高い
⇒なので直近の歴史が続くという予見はもう持てない
⇒10年20年スパンの不確実性は高まっているし、30年後40年後は遠い世界に
⇒「それはないだろう」が「ある」時代になり情報分析がより重要になる
・情報の不確実性も増していく
⇒統制されない情報の氾濫や情報チャンネルの多様化・・・
⇒半世紀前の「情報化時代」はテレビ新聞など何らかのオーソリティを経由した情報の氾濫
⇒今は深い専門家の知見とそれとは関係のないインフルエンサーの「それっぽい話」が全く
同列で流れてくる時代
⇒事実はややこしくて面白くないのでバズるのは往々にしてわかりやすくて面白い後者
・今はAIが公式情報を自動文字化してニュース発信しているが偽情報でも誤情報でも可能
⇒これが情報にある程度の信頼が置けた「情報化時代」との最大の違い
⇒自分が分かっていることには気づけるので自分自身が情報分析力を持つこと
⇒そのためには定点観測と専門家の本、地道だがAIが信用できるまではそれしかない
・情報分析で最も厄介なファクターは人間⇒こだわりとか信念とか恐怖とか・・・
⇒この「合理的ではないが人間らしいと多くの人が認める行動様式」を人間性と呼べば、
優れた文学作品は人間性のスケッチだと思う
⇒今も参照にしているのがウラジミール・ソローキンのSF小説「親衛隊士の日」
⇒ロシアで読み継がれるドストエフスキーの思考様式や50代以下の世代なら日本のサブカルチャー
⇒分析対象を最もよく描き、影響を与えている文学は何かを考える
⇒こうした人間性の洞察が不確実な時代の情報分析の基礎になるのではないか・・・
・・・
まあ、わたくしが情報(インフォメーション)を分析して情報資料(インテリジェンス)にすることは
今後もないでしょうし、この記事も情報(インフォメーション)をてきとーにメモしただけですが、
確かに文章化することによって情報を整理できる、とゆーことはあるかもですね
それと情報の氾濫の中から誤情報や偽情報を取り除くことの重要性も今回再認識しました
本文にもありましたが半世紀前にテレビや新聞など何らかのオーソリティを経由した情報が
氾濫しだしたのが、今やオーソリティとは何の関係もない情報が全く同列で氾濫しており、
そちらのほうがわかりやすくて面白いのでバズる、とゆー現象は確かに実感しています
もちろんマスメディアにも誤情報や意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、それでも公開には
一定のファクトチェック手続きを経ているはずで、これが他のSNS情報との大きな違いですね
各国政府や自治体の公式発表にも意図的な誘導や隠蔽はあるでしょうが、全く事実がなければ
権威そのものが失墜するので、大本営発表からでも得られる情報はあるわけですね
なので、これら以外の情報はあくまでメタ情報の部分として全体から方向を掴む程度で利用、
面白いけど事実とはまったく関係がないという前提を常に意識しておこうと思っています