2025年01月10日
自分へのお年玉2025
とーとつですが自分へのお年玉2025であります
まずは・・・


乾電池型・直接充電・リチウムイオン充電池の追加であります
ロワジャパンの単三型と単四型それぞれ4本ずつのセットを買ってみました
ご覧のとおり1本あたり500円ほどで100均のアルカリ電池だと20本は買えるお値段ですが、
スペックには1000回は繰り返し使えるとあり、充電に要する電気代はほぼ無視できるので、
単純に考えると、コストはアルカリ電池の1/50・・・つーことになるはず
どちらにも二股の充電コードが付いてたのが便利です

(ちなみに充電には1A以上が推奨されてましたが使用中のは一応2Aです)
(1/13追記です)
自宅に3台あるAM/FMラジオで試してみると、AMもFMも聴けたラジオ、FMだけ聴けたラジオ、
AMもFMも聴けなくなったラジオに分かれました
ネット検索してみると、3.7vから1.5vに降圧するための電池内蔵の変圧器からのノイズが、
アナログの無線機やラジオには影響するとありました
ま、ラジオにより差が出る理由はわかりませんでしたが、いちおー追記しておきます
で、自分へのお年玉のふたつめは、


広角レンズ対応のレンズフードであります
(35mmフィルム換算)28mm以上の広角レンズに使える(ケラれない)とあったので購入しました
で、こちらが(35mmフィルム換算)28mm~300mmズームに付いてた純正レンズフード・・・

せっかくの小型軽量・高倍率ズームレンズなのに、フードを付けっぱだと長くなり嵩張るし、
いちいちフードを脱着するのは面倒だし、レンズ保護にはプラ製でハメ込み式つーのも
やや不安だったし・・・
そう、わたくしレンズをよくぶつけるので保護用としてフードかキャップは必須アイテム、
フードを付けっぱだと収納時にいちいちキャップを付けなくても済みます
で、今回のは・・・


最大径は同じ(72mm)ですが、かなり短くなって付けっぱでもそんなに嵩張りません
(じつは広角対応のラバーフードも探してたのですが、今回はたまたま品切れでした)
さらにプラ製からアルミ製に、ハメ込み式からしっかりした「ねじ式」
になったので、
強度的にも少しは増したかと期待していますメメクラゲに刺されても大丈夫
まあ泥酔してぶつけたらフードどころかレンズもカメラ本体も危ないでしゅが
で、お年玉の最後は(配送料の関係で)買い合わせた安物ショルダーバッグ


モンベルのランバーパックMでも大きすぎるような軽いお出かけ用に買ってみました
重さは280gでサイズは29×20×9cm、容量はランバーパックMのメインポケット部分だけと、
ほぼ同じぐらいですね
で、届くと同時にボトムのクッションを自作

ま、自作といっても古いマットをサイズに合わせてカットしただけでしゅが

内容物の保護だけでなく置いた際に安定しますし、わたくし全てのリュックやバッグに
底敷を入れることにしています
ま、メイン以外のポケットにはマチがなく薄物しか入らないし、ショルダーベルトはペラペラ、
生地も縫製もデザインも安っぽい感じ(お値段相当か
)でしたが・・・
ともかく色合いだけは許せるかと・・・
これでEDCするショルダーバッグも、お出かけ先に応じて・・・


3サイズ揃ったことだし、今年こそ頻繁に外出してリハビリせねばなるまいてベジテ
って、今日も一歩も自宅を出ず(飲みつつ)この記事を書いただけ・・・ひっく

まずは・・・


乾電池型・直接充電・リチウムイオン充電池の追加であります
ロワジャパンの単三型と単四型それぞれ4本ずつのセットを買ってみました
ご覧のとおり1本あたり500円ほどで100均のアルカリ電池だと20本は買えるお値段ですが、
スペックには1000回は繰り返し使えるとあり、充電に要する電気代はほぼ無視できるので、
単純に考えると、コストはアルカリ電池の1/50・・・つーことになるはず
どちらにも二股の充電コードが付いてたのが便利です

(ちなみに充電には1A以上が推奨されてましたが使用中のは一応2Aです)
(1/13追記です)
自宅に3台あるAM/FMラジオで試してみると、AMもFMも聴けたラジオ、FMだけ聴けたラジオ、
AMもFMも聴けなくなったラジオに分かれました
ネット検索してみると、3.7vから1.5vに降圧するための電池内蔵の変圧器からのノイズが、
アナログの無線機やラジオには影響するとありました
ま、ラジオにより差が出る理由はわかりませんでしたが、いちおー追記しておきます
で、自分へのお年玉のふたつめは、


広角レンズ対応のレンズフードであります
(35mmフィルム換算)28mm以上の広角レンズに使える(ケラれない)とあったので購入しました
で、こちらが(35mmフィルム換算)28mm~300mmズームに付いてた純正レンズフード・・・

せっかくの小型軽量・高倍率ズームレンズなのに、フードを付けっぱだと長くなり嵩張るし、
いちいちフードを脱着するのは面倒だし、レンズ保護にはプラ製でハメ込み式つーのも
やや不安だったし・・・
そう、わたくしレンズをよくぶつけるので保護用としてフードかキャップは必須アイテム、
フードを付けっぱだと収納時にいちいちキャップを付けなくても済みます
で、今回のは・・・


最大径は同じ(72mm)ですが、かなり短くなって付けっぱでもそんなに嵩張りません
(じつは広角対応のラバーフードも探してたのですが、今回はたまたま品切れでした)
さらにプラ製からアルミ製に、ハメ込み式からしっかりした「ねじ式」

強度的にも少しは増したかと期待していますメメクラゲに刺されても大丈夫
まあ泥酔してぶつけたらフードどころかレンズもカメラ本体も危ないでしゅが

で、お年玉の最後は(配送料の関係で)買い合わせた安物ショルダーバッグ



モンベルのランバーパックMでも大きすぎるような軽いお出かけ用に買ってみました
重さは280gでサイズは29×20×9cm、容量はランバーパックMのメインポケット部分だけと、
ほぼ同じぐらいですね
で、届くと同時にボトムのクッションを自作


ま、自作といっても古いマットをサイズに合わせてカットしただけでしゅが


内容物の保護だけでなく置いた際に安定しますし、わたくし全てのリュックやバッグに
底敷を入れることにしています
ま、メイン以外のポケットにはマチがなく薄物しか入らないし、ショルダーベルトはペラペラ、
生地も縫製もデザインも安っぽい感じ(お値段相当か

ともかく色合いだけは許せるかと・・・

これでEDCするショルダーバッグも、お出かけ先に応じて・・・


3サイズ揃ったことだし、今年こそ頻繁に外出してリハビリせねばなるまいてベジテ
って、今日も一歩も自宅を出ず(飲みつつ)この記事を書いただけ・・・ひっく

2025年01月07日
初詣ミニOFF会!!!
新年早々とーとつですが・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました
迎撃歓迎準備は万端・・・


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて

軽く賀詞交換してダベってから初詣へ・・・

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ

お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ


住𠮷四神に戦果を報告した初詣した後は・・・


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ



ようやく遅めの昼食宴会にありつけました
やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが
で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません
)
7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会
の開始・・・
(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね
)



(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・
4日5日で初詣ミニOFF会を楽しんでたので、忘れないうちにメモしておきます
4日の正午前後にwingさん、赤チャリさん、川端さんとゆーおなじみ関西ライト好き仲間が、
わたくしに実家に集まってくれました


恒例により皆さんからの貢物を巻き上げて


軽く

大海神社で航海???の無事を祈願し・・・

玉ノ井に乙姫様にもらった玉手箱を投げ込んでタイムスリップ


お椀の舟に箸の櫂で茅渟の海に漕ぎ出し、淀川を遡上して平安京で鬼どもをやっつけ



住𠮷四神に


鉄分を補給しつつ・・・
粉浜商店街はじめ、わたくしオススメの飲食店を廻ってみたのですが・・・

さすがに人気店はどこも初詣客で長蛇の列でした
で、とりあえずは・・・

wingさんのカワセミ撮影を名目に住吉公園へ・・・

野鳥好きカメラマン数名が待機してましたが、さすがにすぐには現れてくれず・・・

wingさんはサギさん撮影なんぞでお茶を濁して・・・
わりと待ち時間の少なかった「かつや」へ・・・

こぽこぽこぽ




ようやく遅めの昼食宴会にありつけました

やっと人心地がついたので商店街を散策しつつ戻りました
ちなみに皆さん、はじめての100均ショップに入ると目の色が変わるつーか、まずはライトの
コーナーに直行、その後はバックパック用ハンガーとか非常用シュラフとか携帯ポンチョとか、
大手ショップにはない商品を物色しては購入されてましたねえ・・・
で、回転焼(ちなみに関東では今川焼、姫路では御座候、岸和田ではトラ焼だそうです)とか、
二日酔対策用の梅昆布茶とかも買って・・・




さらに鉄分補給しつつ3時半には無事に戻りました
ま、無事にといいつつ、飲んで3時間は歩いたわたくし、帰りは苦労しましたが

で、満腹した帰宅後も延々と・・・


飲みつつ食べつつ録画を見たりしてヲタ話やバカ話で盛り上がり・・・
(この間に各種ライトも出てましたが画像は一切ありません

7時を過ぎ、ようやく新春「うどん寄せ鍋」宴会

(そーいや年始のニュースで「年越し蕎麦」に対抗して「年明けうどん」を普及しようと、
讃岐のうどん団体が努力してるけど、まだまだ知られてないとかやってましたね




(以上wingさん画像)


wingさんとわたくしは濁り酒や燗酒、赤チャリさんと川端さんはソフトドリンクで、
ひたすら飲み続け食べ続け喋り続けました
もちろん日付が変わってからも・・・

(かもめコーヒー扱いの)めでたいsakuriシュトーレン・ケルクや、

WITTAMERの高級ケーキなんぞで喋り続けてましたが、2時過ぎには翌日に所用が入った
川端さんが帰宅、残る3人はさらに喋り続け、シュラフに潜り込んだのは3時半でした
翌朝、わたくしは9時過ぎ、wingさんは10時過ぎに起きましたが、最近ずっと3時間程度の
不規則睡眠が続いてたとゆー赤チャリさんは、そのまま放置しておくことにして・・・
わたくしが近くのコンビニに行って二人分のサンドイッチとソーセージエッグマフィン、
パックのドリップコーヒーを購入・・・

(マフィンはレンチンして熱々をすぐ食べてしまったので画像がないけど)
二人で遅めの朝食をとりつつ、さらに世間話なんぞでまったり・・・
昼過ぎにはようやく赤チャリさんも目覚めて(糖分不足かずっと半覚醒状態でしたが)、
三人でまたまた残りの甘味と録画でダベリ続け、夕方にはめでたく解散しましたとさ
めでたしめでたし どっとはらい
いやあ、今回もじつに楽しかったです
今回の4人がネット上で知り合い熊野キャンプでリアルに会ってから20年近くになりますが、
ヲタ話やバカ話の話題がいつも新鮮なのが素晴らしいですね
まあトシを重ねるごとに同じハナシの繰り返しが増えてるのかも知れませんが、
わたくしもハナシの内容をすっかり忘れてるので、いつも新鮮なのか・・・

2025年01月01日
2025新年ご挨拶
みなさん、新年あけましておめでとうございます
2025年 元旦

有道佐一画伯の作品より(部分)
と、まずはわたくしの昨年のキャンプ記録をブログ記事から振り返ると・・・
1月6,7、6月13,14、8月7,8、9月27,28、10月5,6、11月23,24でキャンプしてましたが、
1月と10月は姫路と大阪での室内キャンプだったので

たったの4回、しかもすべてが一泊二日とゆー有様でした
そう、キャンプを楽しむには最低でも二泊三日は必要と言い続けてたのに・・・
ま、はじめてのジブリパークやロゴスランドなど、家族旅行での日帰りアウトドア体験は、
それなりに楽しんでましたが、昨年は海外植林ツアーにはもちろん、日帰りハイキングさえ
一度も行かず、ポタリングの回数もほんの数えるほど・・・
まさに「ほぼ室内で過ごした1年」でした

一昨年春の落車骨折から療養生活が続き、一昨年秋のボルネオツアーでの歩行挫折を経て、
このままではいかん、今年こそアウトドアに出かけてリハビリしよう、と・・・
昨年の年頭に決意表明してたのでしゅが

やれまだ寒いだの、もう梅雨だの、やれ猛暑だの、まだ残暑が続くだのと言ってるうちに、
また寒くなってしまい、結局は自宅を一歩も出ず昼から飲んだくれる日々が続き・・・

ロードバイクはもう何年も漕いでおらず、リハビリ目的の散歩もずっと途絶えたままで、
おそらく近年では最も歩行距離や走行距離の少ない1年ではなかったかと・・・

でも、飲食量は減らず運動量が極端に減った1年だったのに、なぜか体重は変わらず・・・
そうか、筋肉が減って脂肪が増えてバランスが取れてたのかっ!!! それはよかった
って、よろこんでる場合かっ!!!
このままでは今年はいよいよ寝たきりになって(それでも飲み続けて)るかも知れません
でも今年の3月には当ブログサイトの開設20周年を迎えるので記念キャンプもやりたいし、
せめて連泊キャンプ宴会を楽しめる程度にまではリハビリしておかなければ・・・
と、本年も年頭にあたり、いちおーの決意表明をしておきます

つーことで・・・
当ブログサイトもアウトドア記事どころか記事更新そのものが少なくなってますが、
今しばらくは続けようと思っておりますので、
本年も引き続きご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます

趣味の物置小屋98kスタッフ一同

そう、今年はモノ作りの原点に立ち返り最先端の職人を採用・・・

2024年12月25日
忘れられた日本史の現場を歩く
ええ、クリスマスから年末に向けて世間が慌ただしい中、わたくしはひっそりと、
忘れられた日本史の現場を歩いて・・・
・・・おられた方の写真エッセイ集を紹介しておきます
表紙

表紙カバー裏にあった惹句

著者(撮影者)紹介と奥付

恒例により目次のみご紹介


そう、日本史の表舞台にはまず登場しない「歴史の現場」を訪れた写真エッセイ集で、
わたくしが名前だけでも知ってたのは「大阪七墓」ぐらいでした
以下、わたくしの興味からのランダムな読書メモです
(紹介できないのが残念ですが写真作品も興味津々でした)
・遊女、からゆきさん、あめゆきさん・・・
→船泊(港)や宿場、都市の墓地周辺には色街が形成され、今もその名残をとどめている
・1920年(大正9年)に初めて国勢調査が行われ、無国籍者の存在が公のものとなった
→サンカ、木地師など100年前の日本では、今よりはるかに多様な生き方が存在していた
・戦国時代末期から近代にかけての色街の痕跡については、ある程度の記録が残ってるが、
古代から中世にかけての色街や遊女に触れている書物は少ない(鎌倉時代の吾妻鏡など)
→古代の官道沿いの宿場遊女たちは傀儡女、白拍子と呼ばれていた
・平安時代後期の傀儡子記より
→男は狩猟・操り人形・幻術など、女は淫らな歌や踊りで・・・
→今様、田楽、神歌、辻歌、催馬楽など・・・
→彼らは土地を持たずに流離う
→芸能に秀でており天幕と敷物の家に住み北方の騎馬民族のような異貌
(インドを発祥とし中東、ヨーロッパ、南米にも広がったロマとする研究もある)
・後白河法皇が撰した梁塵秘抄(今様)
→法皇の今様の師匠が傀儡女の乙前で岐阜県大垣市青墓町(東山道の宿場)の出身
・大阪七墓(江戸時代初期の再開発で大坂三郷の外縁部にまとめられた墓地)
→梅田・飛田・千日前・(最古の)南浜・(天神橋)葭原・小橋・蒲生の7ヶ所
→2020年、うめきた2期の開発区域から1500体以上の人骨や副葬品が見つかった
→1887年(明治20年)に有縁墓は移転してるので、この全ては遊女などの無縁仏
→梅田兎我野には今もラブホテルが立ち並び、飛田遊郭は今や外国人の観光スポットに
・福島県浪江町津島は天明の飢饉で地区が全滅した
→浄土真宗の信者が北陸から入植し、美しい里山風景の原型を作り上げた
→戦後には満洲からの引揚者も入植した→電気が通ったのは1959年(昭和34年)
→2011年の原発事故で無人となり水田は荒れ地に戻っている・・・
おわりにより
・(著者は)20代から30代は世界中を流離っていた
→東南アジア(特にタイがお気に入り)では女性だけでなく
時が止まった雰囲気に居心地の
良さを感じ、長く滞在はしていたものの暮らすことはなかった
→年を重ね、生まれ育った日本を巡りたいと思ったのも本にまとめた理由の一つ
・今回は40代から50代にかけての自分探しの旅でもあった
→歴史に埋もれた事象を辿りながら日本の素晴らしさを感じずにはいられなかった
・・・
特に平安時代の傀儡女や白拍子、大正時代に公になったサンカや木地師などの生き方について
の記述には興味津々でした
もちろん専門家による研究もあるのでしょうが、前回記事の狩猟採集民の文明と同様に、
ほんの100年前まで日本でも多様な生き方があったんですね
そーいや世界が国家(国民)中心になったのも僅か400年前からで、それまで人類の殆どは
国家や国境とは関係なく自由に生きてたんですよね
なので国家→国家同盟→同盟同士の対立という、今の道筋だけではないはずなのに・・・
と人類の迷走は来年も続きそうですが、殆どの時代、殆どの問題は戦争なしに解決してきた
のですから希望を持って、個人でできることから手を付けていきましょう!!!
来年が少しでも平和で良い年になりますように・・・
忘れられた日本史の現場を歩いて・・・
・・・おられた方の写真エッセイ集を紹介しておきます
表紙

表紙カバー裏にあった惹句

著者(撮影者)紹介と奥付

恒例により目次のみご紹介


そう、日本史の表舞台にはまず登場しない「歴史の現場」を訪れた写真エッセイ集で、
わたくしが名前だけでも知ってたのは「大阪七墓」ぐらいでした
以下、わたくしの興味からのランダムな読書メモです
(紹介できないのが残念ですが写真作品も興味津々でした)
・遊女、からゆきさん、あめゆきさん・・・
→船泊(港)や宿場、都市の墓地周辺には色街が形成され、今もその名残をとどめている
・1920年(大正9年)に初めて国勢調査が行われ、無国籍者の存在が公のものとなった
→サンカ、木地師など100年前の日本では、今よりはるかに多様な生き方が存在していた
・戦国時代末期から近代にかけての色街の痕跡については、ある程度の記録が残ってるが、
古代から中世にかけての色街や遊女に触れている書物は少ない(鎌倉時代の吾妻鏡など)
→古代の官道沿いの宿場遊女たちは傀儡女、白拍子と呼ばれていた
・平安時代後期の傀儡子記より
→男は狩猟・操り人形・幻術など、女は淫らな歌や踊りで・・・

→今様、田楽、神歌、辻歌、催馬楽など・・・
→彼らは土地を持たずに流離う
→芸能に秀でており天幕と敷物の家に住み北方の騎馬民族のような異貌
(インドを発祥とし中東、ヨーロッパ、南米にも広がったロマとする研究もある)
・後白河法皇が撰した梁塵秘抄(今様)
→法皇の今様の師匠が傀儡女の乙前で岐阜県大垣市青墓町(東山道の宿場)の出身
・大阪七墓(江戸時代初期の再開発で大坂三郷の外縁部にまとめられた墓地)
→梅田・飛田・千日前・(最古の)南浜・(天神橋)葭原・小橋・蒲生の7ヶ所
→2020年、うめきた2期の開発区域から1500体以上の人骨や副葬品が見つかった
→1887年(明治20年)に有縁墓は移転してるので、この全ては遊女などの無縁仏
→梅田兎我野には今もラブホテルが立ち並び、飛田遊郭は今や外国人の観光スポットに

・福島県浪江町津島は天明の飢饉で地区が全滅した
→浄土真宗の信者が北陸から入植し、美しい里山風景の原型を作り上げた
→戦後には満洲からの引揚者も入植した→電気が通ったのは1959年(昭和34年)
→2011年の原発事故で無人となり水田は荒れ地に戻っている・・・
おわりにより
・(著者は)20代から30代は世界中を流離っていた
→東南アジア(特にタイがお気に入り)では女性だけでなく

良さを感じ、長く滞在はしていたものの暮らすことはなかった
→年を重ね、生まれ育った日本を巡りたいと思ったのも本にまとめた理由の一つ
・今回は40代から50代にかけての自分探しの旅でもあった
→歴史に埋もれた事象を辿りながら日本の素晴らしさを感じずにはいられなかった
・・・
特に平安時代の傀儡女や白拍子、大正時代に公になったサンカや木地師などの生き方について
の記述には興味津々でした
もちろん専門家による研究もあるのでしょうが、前回記事の狩猟採集民の文明と同様に、
ほんの100年前まで日本でも多様な生き方があったんですね
そーいや世界が国家(国民)中心になったのも僅か400年前からで、それまで人類の殆どは
国家や国境とは関係なく自由に生きてたんですよね
なので国家→国家同盟→同盟同士の対立という、今の道筋だけではないはずなのに・・・
と人類の迷走は来年も続きそうですが、殆どの時代、殆どの問題は戦争なしに解決してきた
のですから希望を持って、個人でできることから手を付けていきましょう!!!
来年が少しでも平和で良い年になりますように・・・
2024年12月18日
フロンティア最古の巨石遺跡の謎・視聴メモ
正確な番組タイトルはフロンティア「最古の巨石遺跡が語る文明の起源」
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから
、
「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた
→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた
・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!
(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!
6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!
しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた
うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから

「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた

→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた

・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!

(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!

6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!

しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた

うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
