2006年08月
2006年08月24日
内蒙古紀行 植林編1
やっと中国・内蒙古自治区クブチ沙漠の植林基地、恩格貝までやってきました。
わたくし、ここに90年代から、ちまちまと木を植えております。
まずは、今年新しくできた、ビジターセンターの展示パネルから・・・
画像が見にくいですが、上が1990年、下が2004年の現地であります。
わたくしがはじめて行った時は、下のパネルの中央右側に見える逆コの字型の建物、
レンガ造りの研究、宿泊棟なんですが、これが一番大きな人工物で、その周辺の植林したポプラ以外は
まだまだ上のパネルのような地肌が見えてました。
それが十数年の植林で、噴水の手前に新しくできたホテルから見渡せる、ご覧の範囲までは、
再び緑の大地に生まれ変わり、農作も可能になってきたのであります。
で、次のパネル
右のおじいさんが、わたくしの尊敬する故・遠山正瑛先生、
左は江沢民、1996年当時の国家主席であります。
遠山先生は、鳥取大学の砂丘研究所を退官されてから、
中国西北部の沙漠緑化にたった一人で取り組まれ、
このクブチ沙漠に来られたのが1990年、
わたくしが現地ではじめてお会いした時には、
すでに90歳を越えておられましたが・・・
朝は誰よりも早く、スコップ担いで植林地に、
我々、日本からの短期ボランティアと話すのが本当にうれしそうで、
「わしは80歳でタバコを、90歳で酒をはじめた。100歳になったら女遊びを・・・がははは」
といっておられましたが、一昨年、98歳の生涯を閉じられました。
「わしはこのクブチ沙漠に骨を埋めるんじゃ」とも、よくいっておられましたが、
中国政府の手によって、現地に立派な銅像や御廟が完成していました。
晩年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞も受賞され、
NHKのプロジェクトXでも取り上げられた人物ですが、
ずっと日本との往復は我々と同じエコノミークラス、
しかも北京と包頭の往復は硬座の夜行列車!
これは、さすがのわたくしでも疲れるんですが、
先生は、週に何度も北京や日本へ往復されてました。
何度か同行した機内では、トイレ前でタバコを吸ってて中華航空のおねいさんに叱られ、
「先生、こっちで吸わないとだめじゃないすかぁ。」
「おおっ、タバコまだあるか、1本くれい。」と、もらいタバコして、
わたくしにまで延々と夢を語るような、本当に気さくで無邪気な方でした。
(ま、中華航空も、とうとう全面禁煙になってしまいましたが・・・ううっ)
先生の活動に賛同した日本の企業、労働組合、大学や高校をはじめ、華道の草月流、仏教等様々な宗教団体など、いろんな団体の協力や外務省の援助もありましたが、
大多数の個人の手によって、今では300万本の森になっております。
今では、遠山先生の日本沙漠緑化実践協会を離れた多くの人たちが、
中国各地の荒漠地で独自の活動をしておられ、わたくしも鯨飲馬食ツアーでちまちまと・・・
国家主席との会談と前後して、中国でも緑化政策が本格化し、包頭からの道路も整備され、
あちこちで緑が見られるようになってきました。
おかげでここは有名な観光地になり、中国のあちこちからも観光客が・・・
で・・・
この「恩格貝はあなたを歓迎します。」の横断幕・・・
よく見ると・・・
「熱烈歓迎日本朋友光臨恩格貝」の横断幕の裏を使ってるんですね。
うーむ、日本からの植林ボランティアが多い時には裏返すのか・・・
それとも、もう使わなくなってしまったのか・・・
ちょっと前までは、その都度、それぞれのボランティア隊の名前を書いた、
歓迎の横断幕を掲げてくれてたんですが・・・
さすが合理的というか、現実的というか・・・
ま、関心が高まり、中国人観光客が増えているのは、一番いいことなのですが。
内蒙古紀行 植林編2以降では、実際の植林現場などを紹介する予定です。
P.S
この、もとは森林だったクブチ沙漠、中国では10番目ぐらいのちっちゃな沙漠ですが、
四国ぐらいの面積があります。
(ちなみに北京市と天津市を足すと、やはり四国ぐらいになります。)
そのうち緑化できたのは、僅かに大阪市内ぐらいの面積です。
我々日本人だけで緑化するには、あと百年はかかるでしょうが、ま、ちまちまと・・・
わたくし、ここに90年代から、ちまちまと木を植えております。
まずは、今年新しくできた、ビジターセンターの展示パネルから・・・
わたくしがはじめて行った時は、下のパネルの中央右側に見える逆コの字型の建物、
レンガ造りの研究、宿泊棟なんですが、これが一番大きな人工物で、その周辺の植林したポプラ以外は
まだまだ上のパネルのような地肌が見えてました。
それが十数年の植林で、噴水の手前に新しくできたホテルから見渡せる、ご覧の範囲までは、
再び緑の大地に生まれ変わり、農作も可能になってきたのであります。
で、次のパネル
右のおじいさんが、わたくしの尊敬する故・遠山正瑛先生、
左は江沢民、1996年当時の国家主席であります。
遠山先生は、鳥取大学の砂丘研究所を退官されてから、
中国西北部の沙漠緑化にたった一人で取り組まれ、
このクブチ沙漠に来られたのが1990年、
わたくしが現地ではじめてお会いした時には、
すでに90歳を越えておられましたが・・・
朝は誰よりも早く、スコップ担いで植林地に、
我々、日本からの短期ボランティアと話すのが本当にうれしそうで、
「わしは80歳でタバコを、90歳で酒をはじめた。100歳になったら女遊びを・・・がははは」
といっておられましたが、一昨年、98歳の生涯を閉じられました。
「わしはこのクブチ沙漠に骨を埋めるんじゃ」とも、よくいっておられましたが、
中国政府の手によって、現地に立派な銅像や御廟が完成していました。
晩年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞も受賞され、
NHKのプロジェクトXでも取り上げられた人物ですが、
ずっと日本との往復は我々と同じエコノミークラス、
しかも北京と包頭の往復は硬座の夜行列車!
これは、さすがのわたくしでも疲れるんですが、
先生は、週に何度も北京や日本へ往復されてました。
何度か同行した機内では、トイレ前でタバコを吸ってて中華航空のおねいさんに叱られ、
「先生、こっちで吸わないとだめじゃないすかぁ。」
「おおっ、タバコまだあるか、1本くれい。」と、もらいタバコして、
わたくしにまで延々と夢を語るような、本当に気さくで無邪気な方でした。
(ま、中華航空も、とうとう全面禁煙になってしまいましたが・・・ううっ)
先生の活動に賛同した日本の企業、労働組合、大学や高校をはじめ、華道の草月流、仏教等様々な宗教団体など、いろんな団体の協力や外務省の援助もありましたが、
大多数の個人の手によって、今では300万本の森になっております。
今では、遠山先生の日本沙漠緑化実践協会を離れた多くの人たちが、
中国各地の荒漠地で独自の活動をしておられ、わたくしも鯨飲馬食ツアーでちまちまと・・・
国家主席との会談と前後して、中国でも緑化政策が本格化し、包頭からの道路も整備され、
あちこちで緑が見られるようになってきました。
おかげでここは有名な観光地になり、中国のあちこちからも観光客が・・・
で・・・
この「恩格貝はあなたを歓迎します。」の横断幕・・・
よく見ると・・・
「熱烈歓迎日本朋友光臨恩格貝」の横断幕の裏を使ってるんですね。
うーむ、日本からの植林ボランティアが多い時には裏返すのか・・・
それとも、もう使わなくなってしまったのか・・・
ちょっと前までは、その都度、それぞれのボランティア隊の名前を書いた、
歓迎の横断幕を掲げてくれてたんですが・・・
さすが合理的というか、現実的というか・・・
ま、関心が高まり、中国人観光客が増えているのは、一番いいことなのですが。
内蒙古紀行 植林編2以降では、実際の植林現場などを紹介する予定です。
P.S
この、もとは森林だったクブチ沙漠、中国では10番目ぐらいのちっちゃな沙漠ですが、
四国ぐらいの面積があります。
(ちなみに北京市と天津市を足すと、やはり四国ぐらいになります。)
そのうち緑化できたのは、僅かに大阪市内ぐらいの面積です。
我々日本人だけで緑化するには、あと百年はかかるでしょうが、ま、ちまちまと・・・
2006年08月22日
モンゴル紀行から内蒙古紀行へ
えーっ、モンゴル国4日目の朝、空港道路を空港に向かいます。
二日目に植林したところでは、ウランバートル市役所造園部の方が、
きちんと手入れをしてくれておりました。
で、空港へのゲート
空港のある地名の「ボヤント・オハ―」と書かれてますが、
ウランバートルのボヤント・オハー空港は、建国800年を記念して、今年から・・・
「チンギス・ハーン空港!」になったのであります。きっぱりと
ビールといい、ヴォトカといい・・・ま、中国の大熊猫ブランドみたいなもんか・・・
で、そのチンギス・ハーン空港であります。
空港前の丘には、住宅街が拡がってました。
これがモンゴル国で最後の画像、いよいよお別れであります。(やっとTシャツが変わっているぞ!)
思い起こせば、この下の駐車場でM.M.P(モンゴリア・ミリタリー・プログラム)のナランさんと、
固い握手を交わしてから、あっという間の4日間でした。
きっと、また来るからね、バイルタェ(さようなら)、バイルラー(ありがとう)、モンゴル!
で、いきなり北京であります。
なんか空の高さが一変したなあ・・・
で、夜の内蒙古自治区、包頭行きの国内線に搭乗するまで、僅かな時間があったので、
歴代皇帝が天に祈ったという、北京の天壇公園を見学したのですが・・・
なにやら怪しげなものが・・・
皇帝が全国から集めさせた、天から降ってきた石(隕石)だそうでありますが・・・
ど、どう見ても怪しかったです・・・
閉園間際に短時間だったので、全体の一割も見学できませんでしたが、その後、
市内のレストランで、久しぶりの本格中華を急いで食べました。
ちなみに、レストランの男子用トイレにあったアウトドア用品の広告であります。
フランスのペツル、スペインのバフ、スウェーデンのプリムス、イタリアのガルモント。
ううっ、滅多に買えない高級品ばっかり・・・
原創頭灯→オリジナルヘッドランプ、多功能頭巾→マルチパーパスバイザーなんでしょうね。
モンゴルではキリル文字ばかりだったので、漢字を見るのがうれしいです。
で、北京から包頭までは、夜行列車で行った時は延々15時間かかったんですが、
今回は国内線ジェットで、僅か1時間で到着であります。
包頭から黄河を渡って、クブチ沙漠の緑化基地である恩格貝までは、
これも昔は未舗装の悪路をバスで5時間以上かかったのが、
今回は2時間足らずで着きました。
ただ、深夜にバスで大平原を突っ走る間じゅう、
ずっと、空中を横に走るカミナリが左右で光り続け、鳴り続け、
時々、近くに落雷したりして、とてもこの世のものとは思えない音と光が、
漆黒の闇の中で続いてました。
内蒙古の1日目は、とんでもない自然現象の歓迎を受けたのであります。
二日目に植林したところでは、ウランバートル市役所造園部の方が、
きちんと手入れをしてくれておりました。
で、空港へのゲート
ウランバートルのボヤント・オハー空港は、建国800年を記念して、今年から・・・
「チンギス・ハーン空港!」になったのであります。きっぱりと
ビールといい、ヴォトカといい・・・ま、中国の大熊猫ブランドみたいなもんか・・・
で、そのチンギス・ハーン空港であります。
空港前の丘には、住宅街が拡がってました。
思い起こせば、この下の駐車場でM.M.P(モンゴリア・ミリタリー・プログラム)のナランさんと、
固い握手を交わしてから、あっという間の4日間でした。
きっと、また来るからね、バイルタェ(さようなら)、バイルラー(ありがとう)、モンゴル!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国境線・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、いきなり北京であります。
で、夜の内蒙古自治区、包頭行きの国内線に搭乗するまで、僅かな時間があったので、
歴代皇帝が天に祈ったという、北京の天壇公園を見学したのですが・・・
なにやら怪しげなものが・・・
皇帝が全国から集めさせた、天から降ってきた石(隕石)だそうでありますが・・・
ど、どう見ても怪しかったです・・・
閉園間際に短時間だったので、全体の一割も見学できませんでしたが、その後、
市内のレストランで、久しぶりの本格中華を急いで食べました。
ちなみに、レストランの男子用トイレにあったアウトドア用品の広告であります。
ううっ、滅多に買えない高級品ばっかり・・・
原創頭灯→オリジナルヘッドランプ、多功能頭巾→マルチパーパスバイザーなんでしょうね。
モンゴルではキリル文字ばかりだったので、漢字を見るのがうれしいです。
で、北京から包頭までは、夜行列車で行った時は延々15時間かかったんですが、
今回は国内線ジェットで、僅か1時間で到着であります。
包頭から黄河を渡って、クブチ沙漠の緑化基地である恩格貝までは、
これも昔は未舗装の悪路をバスで5時間以上かかったのが、
今回は2時間足らずで着きました。
ただ、深夜にバスで大平原を突っ走る間じゅう、
ずっと、空中を横に走るカミナリが左右で光り続け、鳴り続け、
時々、近くに落雷したりして、とてもこの世のものとは思えない音と光が、
漆黒の闇の中で続いてました。
内蒙古の1日目は、とんでもない自然現象の歓迎を受けたのであります。
2006年08月20日
モンゴル紀行 酒池肉林編
あは
関西空港から北京への中華航空の軽食と、燕京ビールであります。2本おかわりしました。
うーむ、これで当分、日本食ともお別れであります。関西空港で、ざるそば定食を食べたばかりだったけど、おいしくいただきました。げふっ
あはは
北京市内の「広東風北京料理」と、12年ものの紹興酒で1日目の夕食であります。何本おかわりしたか、覚えておりません。
ビールはここも燕京でした。何本飲んだかは、覚えておりません。あははは。
翌日の早い朝食は、ドイツ系からスイス系に経営者が変わった空港近くのホテルで、洋風中華風取り混ぜてのバイキングでした。ここの焼きたてパンはいつもおいしいです。
北京からウランバートルの機内での軽食は、熱々の中華風ハンバーガー、さすがに射撃を控えてるので、ビールは我慢しました。えらいぞ、98k!
そして昼食抜きで撃ちつづけ・・・
あははは
モンゴルで1日目の夕食は、とてもおいしい「チンギスビール」とロシア風ディナー!
空腹のため、まず飲み食いして、ジョッキが間に合わずにちがう種類のジョッキがでてきたころに、やっと撮った画像であります。
ロシア圏はビールがイマイチ、と聞いてましたが、これは旨かった。
ちなみに昼食をたらふく食べた他の隊員たちから、ステーキいっぱいもらいました。ぐふふ
レストランでの夕食を終えて撮った、午後九時半ごろのウランバートル市内であります。
ようやく陽が傾きかけております。
ホテルに帰って、11時すぎにようやく暗くなりました。
でも、空にはまだ残光が・・・
ホテルの部屋では、柿ピーと、空港で買ったシーバスリーガル500mlペットボトル、なくなれば、このペットに現地の酒を詰め替えて旅を続けます。
市内でも、標高が1500m近いため、けっこう酔いが廻ります。ぐびぐび
で、画像はありませんが、翌朝の朝食はホテルのロシア風バイキング、わたくし、バイキングというのがとても好きであります。がつがつ
で、
モンゴル二日目の昼に、やっとモンゴル料理が・・・
包み物の中身も、ヒツジ、ヒツジ、たまに野菜、ヒツジ、ヒツジであります。
ウランバートル最大のデパートに立ち寄ったのですが・・・
パラソルの下は、露天の「公衆電話屋」さんであります。
なにやら、影の千人隊長に似た看板も・・・
で、モンゴル二日目の夕食であります。
ヒツジ、ヒツジ、野菜、ご飯であります。このヒツジ、シンプルな塩茹でで、旨かったです。
わたくし、基本的に、シンプルな肉が好きです。
この大きな塊も、他の隊員たちから次々とお恵みが・・・
がは、がは、がははは、いくらでも食べられます。がつがつ
ヒツジとチンギスビールの夕食後は、柿ピーやほていの焼き鳥、岩塩、キャビアを肴に、
満天の星空の下、黒チンギスヴォトカのお湯割りをかぱかぱと・・・
「ほぉのぼのあかりぃてぇ、なぁがるるぎんがぁ、
おぉりおんまいたぁちぃ、すぅばるはさざめぇくぅ・・・とくらあ!」
「おう、次は高原列車いこう、高原列車・・・
きぃしゃのまどかぁらぁ、はんけちふればぁ、まぁきばのおとめぇが・・がははは」
モンゴル三日目は、朝、昼、夜ともにロシア風でしたが、やはりヒツジが多かったです。
ま、ずっとチンギスビールは追加してましたが・・・
この日の夕食は、わたくしと息子にはちとボリューム不足でしたので、
持参したカレーうどんのカップ麺をお夜食に食べました。
カレーうどんやラーメンが、わたくしにとっては日本の味なのであります。
モンゴル国最後の夜、他の若手隊員(といっても今回はわたくしと同世代・・・ううっ)が、
高級クラブで豪遊したらしいのですが、お値段は一人20ドルだったそうです。
うぐぐぐ、行けばよかった・・・
モンゴル4日目の朝の、ホテルでの食事を最後に、昼の中華航空の機内食から、
再び、中華料理に戻るのであります。
中国、内蒙古自治区でも、酒池肉林は続きます。
あは、あは、あははは・・・げふっ
うーむ、これで当分、日本食ともお別れであります。関西空港で、ざるそば定食を食べたばかりだったけど、おいしくいただきました。げふっ
あはは
ビールはここも燕京でした。何本飲んだかは、覚えておりません。あははは。
二日酔いマーク
翌日の早い朝食は、ドイツ系からスイス系に経営者が変わった空港近くのホテルで、洋風中華風取り混ぜてのバイキングでした。ここの焼きたてパンはいつもおいしいです。
北京からウランバートルの機内での軽食は、熱々の中華風ハンバーガー、さすがに射撃を控えてるので、ビールは我慢しました。えらいぞ、98k!
そして昼食抜きで撃ちつづけ・・・
あははは
空腹のため、まず飲み食いして、ジョッキが間に合わずにちがう種類のジョッキがでてきたころに、やっと撮った画像であります。
ロシア圏はビールがイマイチ、と聞いてましたが、これは旨かった。
ちなみに昼食をたらふく食べた他の隊員たちから、ステーキいっぱいもらいました。ぐふふ
ようやく陽が傾きかけております。
でも、空にはまだ残光が・・・
ホテルの部屋では、柿ピーと、空港で買ったシーバスリーガル500mlペットボトル、なくなれば、このペットに現地の酒を詰め替えて旅を続けます。
市内でも、標高が1500m近いため、けっこう酔いが廻ります。ぐびぐび
また二日酔いマーク
で、画像はありませんが、翌朝の朝食はホテルのロシア風バイキング、わたくし、バイキングというのがとても好きであります。がつがつ
で、
ウランバートル最大のデパートに立ち寄ったのですが・・・
なにやら、影の千人隊長に似た看板も・・・
で、モンゴル二日目の夕食であります。
わたくし、基本的に、シンプルな肉が好きです。
この大きな塊も、他の隊員たちから次々とお恵みが・・・
がは、がは、がははは、いくらでも食べられます。がつがつ
ヒツジとチンギスビールの夕食後は、柿ピーやほていの焼き鳥、岩塩、キャビアを肴に、
満天の星空の下、黒チンギスヴォトカのお湯割りをかぱかぱと・・・
「ほぉのぼのあかりぃてぇ、なぁがるるぎんがぁ、
おぉりおんまいたぁちぃ、すぅばるはさざめぇくぅ・・・とくらあ!」
「おう、次は高原列車いこう、高原列車・・・
きぃしゃのまどかぁらぁ、はんけちふればぁ、まぁきばのおとめぇが・・がははは」
またまた二日酔いマーク
モンゴル三日目は、朝、昼、夜ともにロシア風でしたが、やはりヒツジが多かったです。
ま、ずっとチンギスビールは追加してましたが・・・
この日の夕食は、わたくしと息子にはちとボリューム不足でしたので、
持参したカレーうどんのカップ麺をお夜食に食べました。
カレーうどんやラーメンが、わたくしにとっては日本の味なのであります。
モンゴル国最後の夜、他の若手隊員(といっても今回はわたくしと同世代・・・ううっ)が、
高級クラブで豪遊したらしいのですが、お値段は一人20ドルだったそうです。
うぐぐぐ、行けばよかった・・・
翌朝はめずらしく元気!
モンゴル4日目の朝の、ホテルでの食事を最後に、昼の中華航空の機内食から、
再び、中華料理に戻るのであります。
中国、内蒙古自治区でも、酒池肉林は続きます。
あは、あは、あははは・・・げふっ
2006年08月17日
とーとつに、緑の炎!
えーっ、モンゴル紀行番組をまた中断して、久しぶりの・・・・
おまけライター!ネタであります。
わたくし、七月末のモンゴル紀行の際に、あちこちの免税店で買い貯めたタバコがなくなったら、
禁煙しようと決意しておりました。ややきっぱりと・・・
その買い貯めたタバコがなくなった一昨日朝、飲み物を買いに入ったコンビニで、
こっ、こんなものを発見してしまいました。
緑の火がつくターボライター!
あは
あはは
わははは
がははははは
ついでに、横にあったやつも・・・
なは
なはは
なははは
ぐははははは
これ、どちらもガス注入式で、緑はガスの色ではありません。
いったん、オレンジ色の炎になり、徐々にきれいな緑の炎になります。
うーむ、どんな仕組みになってるんだろう・・・
もういっぽうのライターも、フタをあけ、あけたフタをテコにして、電子着火する、
という面白いアクションが楽しめます。
よかった、よかった・・・
って・・・
禁煙の決意はどこへいったんぢゃ! ううっ
おまけライター!ネタであります。
わたくし、七月末のモンゴル紀行の際に、あちこちの免税店で買い貯めたタバコがなくなったら、
禁煙しようと決意しておりました。ややきっぱりと・・・
その買い貯めたタバコがなくなった一昨日朝、飲み物を買いに入ったコンビニで、
こっ、こんなものを発見してしまいました。
緑の火がつくターボライター!
あは
あはは
わははは
がははははは
ついでに、横にあったやつも・・・
なは
なはは
なははは
ぐははははは
これ、どちらもガス注入式で、緑はガスの色ではありません。
いったん、オレンジ色の炎になり、徐々にきれいな緑の炎になります。
うーむ、どんな仕組みになってるんだろう・・・
もういっぽうのライターも、フタをあけ、あけたフタをテコにして、電子着火する、
という面白いアクションが楽しめます。
よかった、よかった・・・
って・・・
禁煙の決意はどこへいったんぢゃ! ううっ
2006年08月15日
モンゴル紀行 キャンプ乗馬編
8月14日夜のTV東京系番組、「カンブリア宮殿」で、前回記事で紹介した、
「モンゴル建国800年記念騎馬隊イベント」をやってましたね。
このイベント、日本のH.I.Sの社長がプロデュースしてたんですねえ。
そういえばアナウンスもモンゴル語と英語と日本語でしたし、
馬乳酒のコーナーには、「お腹が痛くなることがあります。」
と日本語の注意書きもありました。
ま、今年は日本の首相や元首相が次々と訪問し、共同制作映画の大作も撮影中、
さらに日本の大手旅行代理店が観光に力を入れているというのは、
モンゴル国にとっては頼もしい限りなんでしょうが・・・
どこかみたいに日本人が大挙して押し寄せ、リゾートホテルが乱立して環境破壊、
という図式にならないように願うばかりです。
といいつつ、テレルジというところで、乗馬とゲル(テント)泊を大挙して楽しんできました。
ま、植林を終えたモンゴル二日目の夕方から、翌日の午前中いっぱいという、
非常に日本人らしい、短い期間でしたが・・・
これが宿泊した、テレルジのゲルであります。
で、下の画像の方が、このゲルの主、影の千人隊長であらせられます。
じゃーん!
まっ、またおんなじTシャツやないかいっ・・・
しかし、このコンバースのキャップ、再帰反射テープがストロボでよく光るなあ・・・
夜10時すぎの画像でありますが、夕暮れになると気温がどんどん下がり、明け方には5度ぐらいになります。
さすがのわたくしも、クールTシャツ一枚では寒くなってきたので、
ストーブに火を点けようとしたのですが・・・
キャンプ場の女の子が通りがかりにやってくれました。
どのスタッフも、純朴で気立てがよくて働き者で・・・
朝の六時前にも別の女の子が来てくれましたが、
ゲルは羊のフェルトを巻いてあるので断熱性が高く、
朝夕2回の薪で充分暖かでした。
ちなみにマイナス50度にもなる真冬は、
フェルトを五重ぐらいに重ねて巻くそうです。
さて、夜もやっと更けてきて、ゲルの門前で持ち寄り大宴会をおっぱじめ、
「黒チンギス」ヴォトカとほていの焼き鳥ですっかりでき上がり、
「こぉがらしとだえてぇー」と絶叫していたわたくし・・・
突如、隊員のみんなに・・・
「たっ、たらいまより、わたくひ、懐中電灯の照射比較をやってきまひゅ!」
「な、なんじゃ、そりゃ?・・・ま、そっとしておいたほうがいいぞ・・・」
で、たぶん世界初の、ゲルへの照射比較画像であります!
完全に出来上がっていたので、どうやって撮ったのかも覚えておりませんが、
左がSuperFireのSF-501、右やや下がFENIXのL0Pのはずであります。
もちろん、距離等のデータは一切不明・・・
じつはこの夜の三時ごろ、おしっこに出たわたくしは、すごい星空を見たのですが、
IXY50の手持ちで撮影を試みる気力は残っておりませんでした。ううっ
alaris540さんが居たら、きっと喜んだだろうなあ・・・
さて、翌日は朝から乗馬であります。
サラブレッドやアラブ種に較べて、ちと、ちっちゃいような・・・
初心者は引き綱で、騎馬軍団の影の千人隊長といわれるわたくしは、
小学生のインストラクターから鞭を取り上げて借りて、
(ま、ただの結び目のあるロープでしたが・・・)
単騎で草原を疾駆したのですが、馬も鞍もちっちゃくて、
やがてお尻の皮がズルズルに・・・
(その状態で数日間、悪路の続く長時間のバスは、まさに地獄でした。)
このあたりは川に近いので、森もあって、まわりにはお花がいっぱい。
そして乗馬コースになっている草原には、見渡す限り・・・
ドイツ山岳兵徽章エーデルワイスが咲いていました。
この一面のエーデルワイスの中を、馬で駆け巡ったんですが・・・
これって・・・もし日本でやると・・・
「モンゴル建国800年記念騎馬隊イベント」をやってましたね。
このイベント、日本のH.I.Sの社長がプロデュースしてたんですねえ。
そういえばアナウンスもモンゴル語と英語と日本語でしたし、
馬乳酒のコーナーには、「お腹が痛くなることがあります。」
と日本語の注意書きもありました。
ま、今年は日本の首相や元首相が次々と訪問し、共同制作映画の大作も撮影中、
さらに日本の大手旅行代理店が観光に力を入れているというのは、
モンゴル国にとっては頼もしい限りなんでしょうが・・・
どこかみたいに日本人が大挙して押し寄せ、リゾートホテルが乱立して環境破壊、
という図式にならないように願うばかりです。
といいつつ、テレルジというところで、乗馬とゲル(テント)泊を大挙して楽しんできました。
ま、植林を終えたモンゴル二日目の夕方から、翌日の午前中いっぱいという、
非常に日本人らしい、短い期間でしたが・・・
これが宿泊した、テレルジのゲルであります。
で、下の画像の方が、このゲルの主、影の千人隊長であらせられます。
じゃーん!
しかし、このコンバースのキャップ、再帰反射テープがストロボでよく光るなあ・・・
さすがのわたくしも、クールTシャツ一枚では寒くなってきたので、
ストーブに火を点けようとしたのですが・・・
どのスタッフも、純朴で気立てがよくて働き者で・・・
朝の六時前にも別の女の子が来てくれましたが、
ゲルは羊のフェルトを巻いてあるので断熱性が高く、
朝夕2回の薪で充分暖かでした。
ちなみにマイナス50度にもなる真冬は、
フェルトを五重ぐらいに重ねて巻くそうです。
さて、夜もやっと更けてきて、ゲルの門前で持ち寄り大宴会をおっぱじめ、
「黒チンギス」ヴォトカとほていの焼き鳥ですっかりでき上がり、
「こぉがらしとだえてぇー」と絶叫していたわたくし・・・
突如、隊員のみんなに・・・
「たっ、たらいまより、わたくひ、懐中電灯の照射比較をやってきまひゅ!」
「な、なんじゃ、そりゃ?・・・ま、そっとしておいたほうがいいぞ・・・」
で、たぶん世界初の、ゲルへの照射比較画像であります!
左がSuperFireのSF-501、右やや下がFENIXのL0Pのはずであります。
もちろん、距離等のデータは一切不明・・・
じつはこの夜の三時ごろ、おしっこに出たわたくしは、すごい星空を見たのですが、
IXY50の手持ちで撮影を試みる気力は残っておりませんでした。ううっ
alaris540さんが居たら、きっと喜んだだろうなあ・・・
さて、翌日は朝から乗馬であります。
サラブレッドやアラブ種に較べて、ちと、ちっちゃいような・・・
初心者は引き綱で、騎馬軍団の影の千人隊長といわれるわたくしは、
小学生のインストラクターから鞭を取り上げて借りて、
(ま、ただの結び目のあるロープでしたが・・・)
単騎で草原を疾駆したのですが、馬も鞍もちっちゃくて、
やがてお尻の皮がズルズルに・・・
(その状態で数日間、悪路の続く長時間のバスは、まさに地獄でした。)
このあたりは川に近いので、森もあって、まわりにはお花がいっぱい。
そして乗馬コースになっている草原には、見渡す限り・・・
ドイツ山岳兵徽章エーデルワイスが咲いていました。
この一面のエーデルワイスの中を、馬で駆け巡ったんですが・・・
これって・・・もし日本でやると・・・