2010年11月
2010年11月19日
冬季洞窟キャンプのお誘い
そう、寒くなった12月に、寒くなって人気のなくなったキャンプ場で宴会して、
寒さで入洞者のいなくなった洞窟を照射しまくろう、とゆー企画なのであります。
で今回は、九州OFF会でTOMOさんからいただいた、五島うどんの「地獄だき」が宴会のメインですので、
別名「地獄キャンプ!!!」とゆーことで・・・
まあ、その意味だけではなく、12月の現地はけっこう冷えそうですから、
本当に地獄のキャンプになるかも知れません・・・
場所は二年前の記事で紹介した、奈良県天川村の鍾乳洞群のお近くのキャンプ場・・・
二年前は11月23日でしたが、今回は12月11日からの一泊を予定しております。
で、前回は11月でしたが、それでも寝る前の外気温がマイナス3℃でした・・・
しかも日陰には、前週に降った雪がきっぱりと残っておりました・・・
で、今回は12月とゆーことなのですが・・・
まあ、あれから二年も経って、地球の温暖化がどんどん進んでることだし、
もはや12月といっても積雪などはなく、じゅうぶん川で泳げるぐらい温かくなってる・・・
とゆーよーなことは多分ないので、防寒装備とライトは各自で充分ご用意くださいね。
ただし、洞窟内の気温は一年を通じてあまり変わりませんので、外よりはかなり温かく、
Tシャツ短パン、もしくは白装束で充分なのであります。ややきっぱりと・・・
興味のある方は、コメント投稿フォームのメルアド欄にメルアド記入(この場合コメントに反映されます)のうえ、
この記事にコメントいただくか、左バーにあるわたくしのプロフィールからメッセージをお願いします。
こちらから詳細をメールでお知らせします。
なにせ12月11日ですので、他のキャンパーも少ないでしょうが、いちおー予約の関係もありますし、
食餌量の関係もありますので、参加可能性のある方は早めのご連絡をお願いします。
それでは・・・
洞窟キャンプで会いましょう!!!
2010年11月15日
ニッポンのアウトドア作法と・・・
じつは今月のはじめ、わずか一週間ほどではありましたが、タイからの留学生が、
我が家にホームステイしてたのであります。
ちなみに今回の留学生の二歳年上のお兄さんが、一昨年のメリディアンキャンプに、
うちにホームステイしてた留学生とともに参加したもう一人の留学生と、
バンコク・チュラロンコン大学の日本語学科で、同じクラスの友人だそうで、
この先輩が二年前に、ニッポンで怪しいライトマニアたちとキャンプした話は、
お兄さんから聞いていたとかで、まさかそのおうちにホームステイするとは、とびっくりしてました。
いやあ、あの子も、もう大学生になったんですねえ・・・わははは
今回は、ホームステイしてた先の娘さんが、ホームステイ先から、予定外に早く帰国することになり、
ホームステイする部屋がなくなるとゆーことで、次のホームステイ先の都合がつくまでの間、
我が家に臨時でホームステイすることになった次第で・・・うっ、ややこしいな・・・
で、我が家も、長男は下宿中で、次男は下宿をいったん出たものの、
10月から、あちこちでホームステイとかしつつ、五大陸を放浪中なので、
ホームステイできる部屋が、12月に次男が帰国するまでは空いており・・・
って、こっちもややこしいな・・・
とっ、ともかくそんな次第で、わたくしがニッポンのアウトドアを案内したのは僅か数時間、
しかもご近所だけだったのですが・・・
まずは、ニッポンのアウトドアにおける、正しい挨拶の仕方から伝授・・・
「ニッポンのアウトドアでは、人に出会っても、森の神様に出合っても、森のくまさんに出遭っても、
あわてず騒がず、まずは二礼二拍手一礼をするのぢゃぞ!」
ま、これは敬虔な仏教徒の多いタイでの習慣もあり、わりとすんなり受け入れてました。
「こちらが正式なニッポンのアウトドアウェアとワンタッチタープじゃ、
キャンプの際の必需品なので、きちんと画像を記録しておくように・・・」
「ウォーキングや山歩きも、このように整列して、フォーマルなアウトドアウェアで、静々と歩くのが正式・・・」
「こちらのキャップをよく観察しなさい。鏡を中心に、松と白鷺を頭にのっけるのが、
ニッポンの正しいアウトドアキャップなのじゃぞ。
ま最近では、鏡のかわりに明るいヘッドランプを装着するのが一般的になっておるが・・・」
「こちらの山ガールのウェアは、白無垢打掛といってのう、冬山で目立たないスノーホワイトじゃが、
よく見ると、鶴や鳳凰といったニッポンではおなじみの鳥さんの迷彩柄になっておるのじゃ。」
「しかも、見てのとおり、そのままシュラフにもなるフード付きじゃぞ・・・げひげひ」
「この子のウェアが、ラフティングなどハードなウォータースポーツの正式ファッション、
激流の中でも目立つ色彩で、あちこちにラインが付いてて、すぐにレスキューできるとゆー・・・」
ぼかっ、べきっ、ぐしゃっ
ううっ、おわびに日本の懐石料理のフルコースをご馳走します・・・
って、いつの間にあんたも来てるの??? もう、ビール持ってるし…
で、これがアウトドアライフによる、正しい腹の出方・・・
わわっ、もういいましぇん・・・
2010年11月11日
某SF研究会・創立40周年!!!
某SF研究会・創立40周年記念行事!!!
とゆーのに参加してきたのであります。ややきっぱりと
40周年といえば、創立されたのは1970年、大阪万博の年であります。
こんにちわぁ、こんにちわぁ、せかいのぉ、くにからぁ、
1970円のぉ、背広着てぇぇぇ・・・って、知らないだろうなあ・・・
つーことで、話はとーとつに変わりますが・・・
以前のコメント欄でもちらっと紹介した映画で、「踊る大捜査線」や「少林少女」、「UDON」などの、
本広克行監督の作品に、「サマータイムマシンブルース」とゆーのがあります。
舞台は大学のSF研究会とカメラ部が共同で使っている部室、そこに突然タイムマシンが現れて・・・
とゆー、ま、青春ラブコメSFなんですが、面白いタイムパラドックスもあって、好きな作品であります。
この作品、時代設定は現在(2005年作品)なんですが、カメラ部とSF研究会にも所属していたわたくし、
「昔と雰囲気が変わってないなあ・・・」と懐かしく見てたのであります。
SF研とゆーと、文化系サークルの中でも比較的マイナーとゆーかマニアックとゆーか、
はたまたネクラとゆーかヲタ系とゆーか・・・そんな伝統が今でも受け継がれているよーな気もして、
なんか今回参加するのがちと気恥かしいような、はたまた・・・
うれしいような・・・こわいような・・・どきどきしちゃう、私の胸・・・
かわゆかったなあ、山本リンダ・・・そーいや「リンダリンダリンダ」のじょしこーせーもよかったな・・・あれは別の監督作品やったな・・・
えーっ今週はちと、家庭でバタバタしてまして、わたくしかなりハイになっておりますね・・・
閑話休題・・・
わたくし、創立まもない頃に入会したメンバーで、さすがにあれから40年ちかく経過してますし、
特に最近のわが母校は、まじめでスマートなやつが多いと聞いてましたので、
もうあんな雰囲気は残ってないかも、でも逆に、現役じょしだいせーがいっぱいいるかもと、
期待と不安を胸にしつつ会場に向かったのであります。
古い家並みの残る京都の街中を一人でとぼとぼ歩いて行くと・・・
記念行事の会場・・・
は、この旅館の北側にある、教職員会館を改装した立派なホテルでした・・・ほっ
で、地下にある大ホールに入れば、すでに百数十名の卒業生たちでいっぱい・・・
40年といえば、ほぼ三世代が集まっているのですが、やはり圧倒的に男性が多かったですねえ・・・
みなさん、そこそこフォーマルな感じで、いかにも創立記念行事らしい雰囲気であります。
で、現会長の「開会の辞」で、いよいよ多彩なイベントのはじまり・・・
のはずだったのですが・・・
現会長、舞台に上がった途端、頭の中が真っ白になったとかで、長時間の沈黙が続き、
「うっ、うぐぐぐ、とっ、ともかく、はっ、はじめますっ・・・はぁはぁ、ううっ」といったきり、舞台袖でばったり・・・
さすがにこれには、参加者全員が唖然とするやら、昔の自分を思いだして苦笑いするやら、
たちまち、場の雰囲気がなごやかになりました。
もし計算ずくの演出だったとしたら大したものなのですが、その後の現役スタッフの自己紹介も・・・
「ふっ、ふだんの活動は、今も読書会でありますっ、でっ、でも、誰も読んでこないんですう!!
たっ、たまには、まじめに読んできてくれいっ、ひぃーっ」
「わっ、わたくし、また留年が確定しましたっ、秋からどーなるかわかりましぇん、えーん」
「ご、ご覧のとおり、現役じょしはほとんどいましぇん、もちろんわたくし、彼女いましぇん。
娘さんでも、お孫さんでもいいですう。だっ、だれか紹介してくださいっ、うううっ」
とか・・・みんな悲痛な叫びばかり・・・
って、この状況・・・
昔とちっとも変ってないやないかいっ!!
それでも、それ以外の出し物は、さすがにSF研究会、最先端の映像技術や音響効果を駆使して・・・
古い機関誌(同人誌)やその付録などを展示してあるだけ・・・
これ以外には、顧問の先生や歴代会長などの一言コメントだけとゆー、
いたってシンプルな構成とゆーか、手抜きとゆーか・・・
まあ、ここらあたりのいい加減さも、「サマータイムマシンブルース」の世界と一緒で、
かえってほっとした次第なのであります。あは
それでも、食べ物と飲み物の量だけは、たっぷりと用意されており、みんながつがつと貪り喰ってました。
ま、このあたりは見事に客層を分析把握しており、わたくしもうれしい限りでありました。
で最後は、ずっと後輩にあたる、エンタープライズ号「カーク船長」とのツーショットでお別れ・・・
「Live long and prosper! 長寿と繁栄を!」
で、記念行事終了後は、五年から十年ぐらいずつの世代グループに別れ、
分散しての二次会となったのですが、一回生のときの四回生、四回生のときの一回生と、
人間関係は途切れずに続いているわけですから、創設当時のメンバー以外は、
「ううっ、ぼっ、ぼくたちはどっちに行ったらいいんでしょう・・・おろおろ・・・」
と、先輩に聞いてくるやつがいたり、中にはあちこちハシゴしたやつもいたようで、
ま、このあたりの優柔不断さとゆーか、いい加減さとゆーのも、しっかりと受け継がれておりました。
で今回は、わたくしの参加した創立世代グループの、会場にあった古い記念写真を特別公開・・・
じゃーん
ま、三十何年か前の写真ですから、当時の美少年、美少女の面影は、
いまやカケラも残ってないとは思われますが、いちおーモザイクなんぞをかけてみました・・・
これ、わたくしの学年の「追い出しコンパ」の時の記念写真なんですよね・・・
わたくし、学生時代のアルバムが、引っ越しのどさくさ以来、ずっと行方不明のままなので、
ほんとうに懐かしかったです。
で、この夜はおおいに盛り上がり、携帯電話を失くす者、記念品のペーパーウェイトを置き忘れる者、
靴を履き間違える者、はたまた三次会以降、行方不明になる者などが続出・・・
って、きみたちねえ・・・
まったく進歩とゆーものがないんかいっ!!!
感謝と期待と気遣いのP.S.
今回、わざわざ名簿を調べて連絡いただいたS本さん、現役生をそそのかした創設者のK山さん、
そして、そそのかされて記念行事をやらされた現役生のみなさん、ありがとうございました。とても楽しかったです。
次の50周年から100周年までは参加するつもりですので、お世話(介護)をよろしくお願いします。
ところで、携帯電話を失くしたK原さん、結局見つかったの? えっ、二次会以降の記憶がないって???
5年後の追記です。
性懲りもなく創立45周年記念行事にも行ってきました。あははは
2010年11月07日
ついに一眼レフを???
わは、
わははは、
前回のわらしべ長者テレビに続き、
ついに一眼レフも購入しました!!!
きっぱりと、うちの奥様が・・・
しかも、わたくしの知らないあいだに・・・ううっ
じゃーん
ボディは皮張り、
標準レンズは見事なブリリアンカット・・・
しかも・・・
さらに超小型の一眼レフとセットなのであります・・・
大きさは・・・
背景のFENIX LD10が長さ10cmですから、
まさに、超小型、超軽量!!!
ところで・・・
この「BIDEL」とゆーブランド、わたくし、よく知らないのですが・・・
ま、「FM2」とゆーモデルは、どこかであったよーな気も・・・
なんでも、手作りフェアで買ってきたとか・・・
カメラ買う時は、わたくしに相談しなさいって、
いつもいってるのに・・・ったく、もう・・・
そもそも・・・
液晶モニター、ついてないし・・・
って、
この穴、ひょっとして全部・・・
光学式ファインダーだったのかっ!!!
2010年11月03日
わらしべテレビ・・・
こちらもまあ、いわゆるひとつの・・・
わらしべテレビであります。ややきっぱりと
9月のニャん丸さんの記事へのコメントにも書かせてもらってたのですが、
なんとなく、あちらと似たような状況が我が家でも発生しまして・・・
じゃーん
このラック、2007年の夏に買った、東芝のレグザZ2000シリーズの37インチ液晶テレビにあわせて、
2009年11月に、てきとーにパーツを揃えて作ったもの・・・
その上部構造物が、きっぱりとなくなっております。 なははは
じつは・・・
実家の母親が、エコポイントがついてるあいだに、台所と居間にある古いブラウン管アナログテレビを、
地上デジタルの液晶テレビに買い替えておきたい、とゆーことで、
過日、大型家電店へ一緒に行って、特に画面サイズをあれこれ見たのであります。
どーせ買うならでっかいやつ、と、日ごろからいってたのでありますが、ふだんは一人で見るとゆー、
母親の視聴環境から、居間には37インチ程度、台所には26インチ程度がいい、とゆーことになり、
レグザ購入当時は奥様のお許しがでずに、泣く泣く37インチにしてたわたくし、
これを実家に廻して、新規購入した大きいのを我が家に持ってくることにしたのであります。
ま、うちの奥様からも、実家に廻すのなら仕方がない、とようやくご承認をいただき・・・
このたび、晴れてですね・・・
じゃーん
我が家にも、やっと46インチのテレビが・・・
ご覧のとおり、きらきらと輝いております。って、ストロボの反射ですが・・・
ま、ソニーBRAVIAの中でもEX700シリーズとゆー、お安いシリーズの46インチであります。
同じBRAVIAでも高級品になると、3Dとか4倍速とかになるのですが、こちらは2Dで倍速・・・
それでもいちおー、今流行りのLEDバックライト仕様・・・なのでありますが・・・
このお安いシリーズでは、LEDを並べてあるのは画面の上端と下端のみ、
んで、その少ない光源を、せっせと導光板と拡散シートで拡げようとゆー、
まさに省エネとゆーか、省LEDとゆーか、せこいとゆーか、安物とゆーか・・・
これより上のグレードでは裏面全面にLEDバックライトを装備、しかもくっきり見えるクリアブラックパネル仕様・・・
ううっ、ほんとはそっちが欲しかったのですが、ま、高級グレードは数年後に3Dソフトが普及してから・・・
とゆーことで、いちおー「つなぎ」として、今回はこれにした次第であります。
エコポイント36000点を考慮すると、実質100k未満のお買い物となり、
3年前のフルハイビジョン仕様では最安37インチだった、レグザZ2000シリーズの、
ほぼ半値で46インチのフルハイビジョン仕様テレビが入手できたことになります。
しかも、ソニーの大型テレビの液晶パネルは、全てシャープ製の国産品とのこと・・・
いやあ、時代の流れ、とゆーか大型液晶テレビの値崩れは早いですねえ・・・
それでも、ネット通販の最安価格からは20kほどお高く、買った家電店のネット通販価格からでも、
まだ5kほどお高かったのですが、ま、わたくしの持ち出しとゆーことでもなかったし・・・
これぞ、わらしべ長者テレビ!!! むひひひ
って、なんとゆー親孝行な息子でありましょう・・・ぼかっ、べきっ、ぐしゃ
やや言い訳のP.S.
今回は、一人暮らしの叔母の分もあわせて、合計三台二軒分の地デジ化、液晶化でありました。
しかも二軒とも、ほぼ同時にホットカーペットがぶっ壊れ、冬を目前にして、あわててまとめて購入、となった次第で、
じつは叔母と母親の二人を、当日家電店へ送迎したのであります。
叔母の視聴環境も、やはり37インチが限度でしたから、我が家の37インチはどこかで必要だったのであります。
それに我が家は全員そろうと、一家四人で一台のテレビですから、やはり37インチではちと小さい・・・
で、我が家の37インチを実家に運び、購入した三台の配送先は、それぞれ実家と我が家と叔母の家を指定、
で、異なる購入者のエコポイントをまとめての申請や、古いブラウン管テレビ三台のリサイクル手続き、
ホットカーペットの運送から家具を片付けての設置、テレビの置き場所の確保にアンテナの確認と・・・
それなりにわたくしも活躍したのですから、テレビ画面の対角線が9インチばかり伸びても・・・くどくど・・・
さいわい、叔母の家は共同視聴ケーブル、実家は古いUHFアンテナでもなんとか電波が入ったので、
アンテナ工事はしなくて済みました。アンテナ工事、衛星含むとテレビ本体の実質価格より高くなるので・・・
じゃあ、実家の衛星放送視聴をどうするか、前の道路には光ケーブルがきてるのですが、
けっこう工事代や毎月の使用料が要るようですし、テレビ見るだけならもったいないし・・・
それに我が家でも、録画用のハードディスクがぶっ壊れ、ま、レグザ以外には接続できなかったようですが、
もちろんDVDやブルーレイのレコーダー、プレーヤーなどはなく、パソコンにつなぐか、
それなら今はADSL回線のパソコンとあわせて、すべて光ケーブルにするか・・・
さすがに、配送のおにいさんに、S-VHSレコーダーにつないでもらおうとしたら、
「最新のテレビに、S端子なんてありませんよ。」といわれてしまったし・・・
ま、眼鏡なしで見られる3D機器とソフトが成熟するまでは、なんとか先史時代の装備で・・・くどくど・・・
それにしても、家電店で最新の3Dソフトを最新のテレビで見ましたが、すごいですね。
海中をお魚さんが泳いでて、画面の中でも立体的に見えるんですが、近くのお魚さん、
ほんとに画面から飛び出して、こちらへ泳いでくるんですね。これにはびっくりしました。
3DはUSJのターミネーターなど、特別な場所で楽しむものだと思ってましたが、
これからは、ふつーの映画館やふつーの家庭で、3Dがふつーに見られるんですね・・・
いやあ、ほんとに時代の流れは早いもので、3D専用チャンネルがいくつか出てきたら、
わたくしもシステム全体の入れ替えを真剣に考えねばならないと、今回つくづく思った次第であります・・・
また、その頃になると、おそらく昔の名画だって高精細の3Dにリメイクされるだろうし・・・
こりゃあ、老後の楽しみがまた増えたとゆーものですぞ、TOMOさんや・・・げほげほ
あっ、その頃になると、こっちの視力が高精細ではなくなってるのかっ・・・ごほごほ