2011年03月
2011年03月30日
災害避難について6
前回は、かなりお気楽な「非常用装備だけ?OFF会」の報告をさせていただきましたが、
また災害避難についての記事にもどります。
「災害避難について」1,2では、ともかく急いで安全な場所に一時避難する、
そして数日間救援を待つ、といった前提で、いつも持ち歩く(EDCする)ものや、
自宅や職場などに非常持ち出し袋として常備しておくべきものについて書きました。
(ひまぱのぱさんの記事にありましたが、EDCに問題のあるナイフ類や工具類については、
たしかに非常持ち出し袋に入れておくべきかも知れませんね。)
「災害避難について」3では、避難所での生活についてもわずかに触れましたが、
きわめて限られた範囲の知識と経験しかないため、あまり役立つことは書けませんでした。
そして「災害避難について」4,5では、停電などにより帰宅困難となった場合や、
危険な被災地域から脱出する場合の、長距離歩行避難の装備などについて書きました。
今回は、被災地での避難生活が長期になる場合のポイントや装備について考えたいと思います。
すでに何度か書いてますが、わたくし自身は災害避難や避難生活などの経験はありません。
ただ、山歩きやキャンプの経験から、あやうく遭難しかけたり、迷走台風の直撃で、
家族でテントを守ったりといった、いろんなアウトドア経験はありますので、それらの中から、
避難生活の際に少しでも役立つことがあればと、思いつくままメモにしています。
4 長期の避難生活について
自宅が全壊するなどして、体育館など指定避難所での集団生活となったものの、
まだインフラ復興のメドや仮設住宅も決まらず、とりあえず最低限の生活物資などは、
指定避難所には届けられるようになった場合、選択肢が分かれてくることになります。
そのまま指定避難所で生活するか、危険の去った自宅跡や近くの空き地で生活するか、
親戚や知人、自治体などを頼って離れた場所で生活するか、といった選択であります。
もちろん被災の程度、家族構成や仕事、健康状態や季節などでも選択は変わってきますが、
ここでは支援物資の配給を受けながら、自宅跡や近くの空き地などで生活する場合を想定します。
まず必要になるのはシェルターです。
自宅の被災の程度が比較的軽く、周囲の状況も安全であれば、上下水道、ガス、電気などの、
インフラがない状況であっても、シェルターとしてはハードシェルターがあることになります。
当然、散乱した家具などを整理し、壊れた部分を仮補修し、シェルターとしての機能を確保します。
阪神淡路大震災では、地震で落ちた屋根瓦や割れた窓ガラスのかわりに、
あちこちでブルーシートによる仮補修が見られました。
もちろん今回の大震災のように、まだ余震が続く状況では、壊れかけた建物は危険ですし、
ましてや津波発生の危険性も残る中では、安全な高台でもない限りは戻ることはできません。
今回の大震災では、津波の被害があまりにも広く大きく、まだ避難所にも充分な物資が届かず、
まだまだ街も泥で覆われた状態、さらに余震も寒さも続いているからでしょうが、
建物被害が軽微だった地域以外では、自宅跡などで暮らしている方は少ないようです。
ただ、これからは暖かくなりますし、瓦礫の撤去や街並みの整理なども進んできますので、
余震の可能性が低くなれば、避難所での集団生活から自宅に戻られる方も増えるでしょう。
自宅などのハードシェルターが使えない場合は、クルマやテントがシェルターとなりますが、
小型乗用車などでの長期の生活は、心身ともにストレスが大きくなるといわれています。
地震などの経験をすると、屋外でテント生活をするのは不安かも知れませんし、
特にテント生活の経験のない方には抵抗があると思いますが、クルマ生活よりはるかに快適です。
テントというソフトシェルターは、遊牧民にとってはごく普通の住居ですし、
軍隊や登山隊などの長期遠征でも昔から使われており、生活の場としても機能するものです。
以前紹介した本にもありましたが、自宅やホテルなどのハードシェルでしか寝たことのない人は、
テントなどのソフトシェルで寝ることに強い抵抗があるようですが、経験さえあれば、
シートだけで野宿するのとは異なり、テントも安心できるシェルターであることがわかるはずです。
結局、テント生活も、前々回までで紹介した長距離歩行と同じで「慣れ」ておくことが重要だと思います。
話がちと逸れますが、大戦中、太平洋の島々で戦った米兵と日本兵を比較した場合、
米軍兵士の多くが「キャンプ慣れ」していたことも、大きな差のひとつであった、
というような記事を読んだことがあります。
小さい頃からトムソーヤの冒険などを読み、ボーイスカウトやサマーキャンプなどで、
アウトドアでのキャンプ生活に慣れている米兵と、昼間は野良仕事で夜は自宅の畳の上、
食事はともかく米を炊いて、という生活しか知らなかった当時の日本兵では、
長期のアウトドア生活になると大きな差がでてきた、といったような記事だったと記憶しています。
もちろん、キャンプ生活に合わせた糧食などの兵站システムを持っていた米軍と、
補給線が途絶えがちだった日本軍との兵站の違いが大きいのでしょうが、
「キャンプ慣れ」の差も、たしかにあったのではないかとわたくしは思っています。
そう、テント生活でも慣れと工夫で、快適に健康を維持することができますので、
まずは整備されたキャンプ場で、そしてできれば、インフラの何もない場所でのキャンプも、
一度は家族単位で経験しておくことは、災害への備えとしても、とても大切だと思います。
装備については当サイトの「ファミリーキャンプ入門」カテゴリが少しは参考になるかと思います。
同カテゴリで何度か書いている「七つ道具」は、非常用装備としても役立つはずですので、
キャンプ経験を何度か重ねて、「七つ道具」を被災した場合でも使えるように保管しておけば、
一時避難から戻った場合の、長期の避難生活への備えにもなると思います。
キャンプ用の装備というのは、特に山岳用の場合、かなりハードな条件での使用にも、
ある程度は耐えられるように作られていますが、やはり耐久性という点では、
日常的に家庭で使われるものとは異なるものもあります。
そのあたりと、生活物資として避難生活で最低限入手できるものを把握できれば、
極端に寒い地域や季節でない限り、テントでの避難生活は充分可能だと思いますし、
特に核家族や単身の場合には、集団生活のストレスから解放されることも重要かも知れません。
もちろん、家族の健康状態や周囲の復旧状況、医療などの支援状況によって、
テント生活の可否を判断することはいうまでもありませんが・・・
(この項、次回に続きます。)
2011年03月27日
非常用装備だけ?OFF会
(災害避難についての「まとめ記事」はこちらです。)
今回はちと気持ちを切り替えて、お気楽な「非常用装備だけ?」OFF会の報告記事であります。
まあ、非常用装備を揃える際の参考程度に・・・も、ならないとは思いますが・・・
じつは岡山洞窟OFF会を企画していた頃、wingさんがこちらのレーション記事に触発されたとかで、
米軍のMRE(戦闘糧食)をワンカートン12パック購入され、「いつかこれでレーションOFFをやりましょう。」
といった話が、関西のまむしの4兄弟ライト仲間であり、日帰りでやろうということになってました。
で、今回の大震災後、急きょ中止した岡山洞窟OFF会のかわりに、
「自分の非常災害用装備の見直しもしたいので、それだけのOFF会をしませんか。」
という、川端さんからのお誘いがあり、
「じゃあ各自、非常用の装備だけ持って歩いてみましょう。
で、もちろん昼食はMREのみ、暗くなったらライト照らして歩く、とゆーことで・・・」
そう、たしかそんな目的で集まった・・・ような気もするのですが・・・
集合場所はwingさん宅、集合メンバーはwingさんのほか、関西のまむしの四兄弟ライト仲間である、
red-bicycleさん、川端さん、98kの、いつもの四人であります。
みんなの装備を参考にしたいといっていた川端さん、さっそくwingさん宅で全員の装備をチェック・・・
「まず赤チャリさんのは・・・おっ、このリュック、買ったばかりのファウデの15リッターモデルですね。
かなりちっちゃくまとまってるんですねえ・・・で、中身はと・・・ざらざらざらざら・・・って、
アメばっかりやないかっ!、えっ、赤穂の塩飴ですとっ、そりゃまあ、おいしいんでしょうが・・・
あとは・・・ごろごろごろ・・・って、甘いミルクティーばっかりやないかっ!
まあ、あなたの場合は糖分さえあれば、灼熱のサハラ沙漠でも、酷寒のシベリアでも、
どこまでも自転車で走り続けるんでしょうが・・・一般人にはまったく参考にならないな・・・
で、wingさんのは・・・ザ・ノースフェイスの25リッターですね・・・
あんたの中身は・・・いやいや、出さなくても結構です・・・
どーせライトばっかりなんでしょ、まあライトと電池さえあれば、数カ月は生きてる人ですから・・・
こちらも参考にならないのは、はじめからわかってましたが・・・
98kさんは・・・ううっ、やはり、あのアリスパックできましたかっ!
あのねえ・・・最低限の装備って、いってたでしょうがぁぁぁぁ・・・
いえ、もう、どんな中身で、何をしようとしてるのかは想像がつきます、
で、どーせ数歩歩いただけで、重いから荷物を替われだの、大休止しようだの、
そろそろキャンプ宴会だのゆーんでしょ、ったくもう・・・ぶつぶつ・・・」
とまあ、ひとりでよくしゃべること・・・
とりあえず、ダブってる装備は置いていくことにして、全員wingさんのMREを1パックずつ入れて・・・
(赤チャリさんは赤穂の塩飴を全部出して、かわりにMREを・・・)
神戸から有馬温泉まで?六甲山の縦断目指して? ともかく出発であります。
赤チャリさん、背中の非常用装備より、前のカメラバッグの方がはるかに重そうでしたね・・・
散り初めの梅林を抜け・・・
振り返れば、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸の街並みが・・・
震災後16年、見事に復興しています。
「ふぁーっ、天気もいいし、いつものお気に入りの場所で、ちと・・・」
「ZZZZZZZ・・・・・」
って、いきなりお昼寝しないでくださいっ、wingさんっ!
といいつつ、他のメンバーも・・・
「ZZZZZZZZ・・・・・・・」
「ありゃりゃ、ちょっとお昼寝してるあいだに、お昼を過ぎちゃいましたね。」
「まだ登り始めて1キロほどですが、そろそろMRE昼食にしましょうか・・・」
「では、見晴らしのいい、このあたりでとりあえず・・・」
眼下に神戸の街が一望できる絶景ポイントにシェルターを設置・・・
今回シェルターにしてるのは、モンベルのモノポールシェルターであります。
これは自然に溶け込む多色刷!モデルですので、70デニールのナイロンタフタ、
本体重量だけで、ちょうど1kgになりますが、これが単色のモデルになると、
30デニールのナイロンリップストップになり、重さは670gとかなり軽量になります。
ご覧のとおり、両手のストックを両面ファスナーでポール代わりにすれば、付属のポールは不要。
最低4隅をペグダウンまたは石やブロックなどで固定する必要があり、ボトムはありませんが、
240cm四方で大人二人がゆったりと眠ることができ、家族四人でも何とか眠ることができます。
また、一人用のシェルターとしても、靴を履いたままで中で充分生活できますから、
悪天候や疲労で数日間停滞する場合なども、テントとタープを持つよりはるかに軽く、
シートだけよりはるかに快適だと思います。ただし眠る部分には防水シートなどが必要ですが・・・
ちなみに今回は暖かかったので、風を通すために裾を少し開けてますが、
寒い時は密閉することもでき、強風時はポールの代わりに木の枝などから吊るすこともできます。
で、とりあえずMREパックをひとつずつ開けて、4人で試食していくことに・・・
では、さっそく準備を・・・
そう、このイスやテーブルは、わたくしが構築した、個人携行用宴会装備システムであります。
川「って・・・予定調和とゆーか、お二人はいつもの宴会モードになるような気がしますが・・・」
赤「さりげなく、ビールもどきとカップ、ショットグラスまで並んでますね、しかもきっちり二人分・・・」
9「わははは、まあ、ステンレストレーは100均の何が溶けだすかわからない安物ですが、
スプーンとフォークは、第二次大戦当時の米軍の実物、これがなかなかレアな品でして・・・」
川「いやいや、レアとかそーゆー問題じゃなく、今日は非常用の最低限装備だけといったはず・・・」
w「まあまあ、このビールもどき、うちの近くの自販機で安売りしてたもので、ついつい・・・
ま、とりあえずですね・・・ぷしゅ・・・こぽこぽこぽ・・・んぐんぐんぐ・・・ぷはぁ」
と、わたくしとwingさんが宴会モードにはいったところで、川端さんと赤チャリさんがMREを開封して、
同梱のフレームレスヒーターで、メインディッシュを温めてくれました。
ちなみに、上記リンク記事にあるように、画面右側のわたくしのイスは、オーナーベルグのスチール製、
660gで0.98kの安物ですが、左側wingさんの座っているやつは同じオーナーベルグでも、
アルミ製で背もたれつき、330gで2.8k以上する高級品であります。帰りにすり替えよっと・・・同じ生地だし・・・げひげひ・・・
で、次々とMREを試食・・・
MRE1食分のパックには、だいたいこんな感じで、メインディッシュからデザート、飲み物まで入ってます。
ちなみに今回のは、賞味期限内だけど品質保持確認シールの色が変わってたやつを、
コレクション用として販売されてたものだそうで、あくまで食べるときは自己責任であります。
まあ、24種類あるMREのうち、今回の4種類については川端さんの記事をご覧くださいね。
わたくしとwingさんはこの時点でもう、すっかり宴会モードになってましたので・・・
あは、いつもながらですが・・・食べる前に撮ればいいものを・・・
ちなみに手前の紙パックワインは、わたくしの非常用宴会システムに入っていたもの、
いやあ、いつでもどこでも宴会ができるとゆーのは、とても重要なこと・・・でもないですが・・・
ちなみにプラのスプーンはMREの1パックにひとつずつ同梱されているもので、
基本的にMREパックと水さえあれば、喫食可能となっているのでありますが、
そこはやはり雰囲気、セパレートトレーとアルミのカトラリーは必須なのでありますね・・・むひひひ
w「いかにもアメリカ的な味付けでしたが、一番まずいといわれているベジタリアン用でも、
まあまあ食べることができましたね。
ただ、デザートや飲み物の、この独特の甘さだけはどうにもなじみませんねえ・・・」
赤「いや、わたくしはこの甘さがクセになりそうです。いやあ、じつにおいしい甘さだなあ・・・」
9「うーむ、赤チャリさんにはぴったりかも知れませんが、やはり和風の甘さも・・・ごそごそごそ・・・」
川「なんであんこ餅なんか持って来てるんですか、まあ、いただきますが・・・」
9「いやいや、これも行動食とゆーことでですね、赤チャリさん、よかったらもっとどうぞ・・・」
赤「うーん、やはり和風のやさしい甘さもいいなあ・・・ばくばくばく・・・」
w「結局、糖分さえたっぷりなら、何でもいいんですよね、あなたの場合・・・」
川「わたくしは本物の非常食、フリーズドライのあべかわ餅を持ってきましたよ。しかも皆さんの分も・・・」
9「いやあ、これはこれは・・・ところで川端さんは今回、ほんとに非常用装備だけで来られたんですよね。」
川「ほんとにって・・・まあ、いまさらとゆー感じもしますが、ざっとこんなもんです。」
9「うーむ、じつにコンパクトにまとまってますね、ほうほう、塩ビパイプの中身は小型のバールですか・・・
ところで下に敷いてるのはMPIのオールウェザーブランケットですよね。しかもオリーブドラブの・・・じゅるじゅる」
川「ああ、これ、98kさんにと、余分に買ってたやつなんで、よかったら・・・」
9「ううっ、ありがとうございます。フリーズドライのあべかわ餅といい、この御恩は一生忘れ・・・」
川「はいはい、その言葉をもう何度聞かされたか・・・で、いつも酔っ払って、すっかり忘れるんですよね。」
9「ZZZZZZZZZZZ・・・・・・」
川「ありゃ、もうシェルターの中で寝てるぞ・・・ったくもう・・・」
まあ、その後も3人で、キネティックライト(だったっけ・・・)のランタン化とかしてたようですが、
わたくしはビールもどきとワインでけっこう出来上がって、あまり覚えていないのですが・・・
どうやら、みなさんはこの崖から飛び降りたようで・・・その後どうなったことやら・・・
いやいや、けっしてわたくしが高級ライト欲しさに突き飛ばしたわけではありません・・・たぶん・・・
(おしまい)
それからのP.S.
その後、wingさんちのお近くのすし屋さんで、日本酒のお相伴にあずかったわたくし、
wingさんちに再びお邪魔するころには完全に酩酊状態、さらに高級ワインまでいただいてしまい、
あとはどうなったのか・・・ほんとによく覚えてません。
ただ、誰かにマッサージしてもらいながら、リオさんや森のプ~さん、cinqさんなんかと話してたような・・・
でも、そんな遠くの人たちとお話しできるはずもないし・・・やはり夢の中の出来事だったんですねえ・・・
で、恒例により、またまたwingさんと赤チャリさんからもお土産をいただいて・・・
ふと気がついたら、深夜に自宅でラーメンを食べてた・・・とゆー次第なのであります。うぐぐぐ・・・
震災後はこちらでもいろいろとあって、気持ち的にもかなり後ろ向きになっていたのですが、
いつものメンバーで歩いて、話して、ひさしぶりにお酒も飲んで、かなり前向きになることができました。
被災されているみなさんや、救援活動に従事されているみなさんには申し訳ないお気楽ぶりでしたが、
ほんとうに気持ちの切り替えができた一日でした。
今回も誘っていただいた川端さん、ご自宅へお招きいただいたwingさん、
いつもながら遠距離をお付き合いいただいたred-bicycleさん、あらためてありがとうございました。
これからもぼちぼちと頑張っていきましょう!!
2011年03月24日
災害避難について5
(災害避難についての「まとめ記事」はこちらです。)
昨日になりますが、3月23日のサンケイ新聞の朝刊、大阪版では8面の上段に、
今の日本人のこころを、ほんとうに癒してくれるような写真が掲載されてました。
タイのバンコクで、僧侶が地面に置いた日の丸の周囲にろうそくを立てて、
この大震災の犠牲者の冥福を祈ってくれている写真であります。
その周囲には、老若男女いろんな人たちが集い、やはり白装束でろうそくを持って、一緒に祈ってくれてました。
ほんとうにありがたいことだと思いました。
おそらくはロイターの報道カメラマンの撮影でしょうが、写真としても素晴らしい作品で、
わたくしも一生に一度はこのような、人を癒せる写真を撮ってみたいとも思った次第です。
一人でも多くの方にご覧いただきたいと思い、ついつい紹介させていただきました。
さて、前回からの続き、長距離歩行避難の際のポイントと装備についてであります。
前回、装備としては靴と服装について述べましたが、今回はそれ以外の装備について考えてみましょう。
一時的な災害避難用に、いつも持ち歩くべき(EDC)装備や非常持ち出し袋の中身については、
こちらの記事で述べましたが、長距離歩行避難となると、直近のシェルターに避難するのとは、
また異なる装備が必要になってきます。
一時避難用のEDCとして、手袋、ツールナイフ、鞄またはリュック、パラコード、ライト、レスキューシート、
ライター、ジップロックのビニール袋(水筒)、アメ、ラジオ、バンダナ、ティッシュ、救急セット、
そして自宅や職場の非常持ち出し袋には、それに追加する水と食料と燃料と書きました。
これらは長距離歩行避難用にも必要ですが、さらに追加変更して、以下の装備が必要と思われます。
まず、前回記事で書いた長距離歩行用の靴と服装、目的地までの地図やコンパスが必要となります。
それらが手元にない場合は、よりリスクが高くなることを考えて、最終判断をしてください。
以下同様ですが、水、食料については、歩行中の水分補給、カロリー補給ということになり、
じっと停滞するときとは異なる行動食(エナジーバーやスポーツドリンクなど)のほうがいいでしょう。
さらにライトについても、停電で全く明かりのない夜間の長距離歩行を前提とした場合は、
急いで短距離を移動して、その一時避難先で救助されるまでの数日間を過ごす場合とは異なり、
少なくとも一晩中、足元だけでなくある程度進行方向も照らせるようなライトが必要です。
いくら地図やコンパスを持っていても、道標や目標物を照らして確認できなければ暗闇での歩行は危険です。
また燃料については、重量を少しでも軽減するため、40kmの歩行程度では置いていきましょう。
これ以外にも、歩行用のストックがあれば、足に来る疲労がかなり軽減されますし、
公園やバス停のベンチで仮眠する前提であれば、レスキューシート以外にも、
断熱マットやシュラフがあった方がいいのでしょうが、このあたりは体力とのかねあい、
崩壊の危険のない建物があれば、そこでレスキューシートにくるまり、お尻の下にリュックを敷いて、
膝を抱えて(ダンボール等の断熱材があれば、もちろん横になって)仮眠するのが一番ですし、
落ちている棒きれなどをストック代わりにする方法もあります。
また、ルート上の一部でも電力が供給されている場合には、自販機やコンビニが使えますし、
脱出先での当面の生活を考えても、ある程度の現金とキャッシュカード、通帳なども必携だと思います。
以上、瓦礫などで通行不能となっている場合の装備までは想定していませんが、
そんな場合に備えて工具などを装備するより、ふだんからルート上の危険個所や、
それを回避するためのエスケープルートを調べておく方が、はるかに重要だと思います。
P.S.
富士山など、ご来光を見るための夜間登山も盛んですが、あれはあくまで整備された登山道を、
整備された案内板に従って歩く一般登山で、しかも疲労度が高まる行程の後半は、
明るい中を歩くわけですから、分岐の多い市街地を道標も目標物も見えない真っ暗な中、
寸断された全行程を歩く夜間の長距離歩行避難とは難易度がちがうと思います。
山のベテランでも、はじめて夜間登山する場合は、慣れたルートでもかなり慎重になりますし、
ましてや知らないルートなら、入念な事前調査と可能な場合は昼の下見をするでしょう。
その意味では、比較的安全な時(計画停電時など)に歩いておくことも必要ですが、
真の闇が拡がり、道路も瓦礫で寸断されている状況の想定はなかなか困難だと思います。
ですから、広域的な災害時や悪天候時、あるいは体力が消耗している時などの夜間歩行は、
できるかぎり避けるべきですし、最初に述べたように、他の選択肢がない場合の手段だと思います。
40km、10時間程度なら、冬でも明るいうちに走破できる範囲ですから、長距離を歩行避難する場合も、
山の縦走と同じく、「朝早くから行動し、明るいうちに目的地に到着する」ことが基本です。
2011年03月22日
災害避難について4
(災害避難についての「まとめ記事」はこちらです。)
道路、空港、港、鉄道などの輸送インフラがどんどん復旧しています。
また、楽八さんのmixi記事で知りましたが、台湾で各TV局合同のチャリティ生番組が放映され、
四時間で20億円を超える義援金が集まったそうで、他にも世界中で支援の輪が拡がっています。
九日ぶりに救出されたお二人といい、明るい話題は気持ちを前向きにさせてくれますね。
直接被害に遭わなくても、なにせ未曾有の大惨事、どうしても気持ちが沈みがちになりますが、
自分にできることを考えつつ、前向きな気持ちに切り替えて、明るくやっていきましょう。
こちらでも、3月19日から予定していた岡山・洞窟OFF会は相談のうえ延期したのですが、
先日、川端さんからのご提案で、わたくし、wingさん、red-bicycleさんが賛同して、
「災害用非常装備だけで、歩いてみて食べてみて、自分の装備を再点検する」OFF会をやりました。
気分の切り替えもでき、いろいろ参考になりましたので、追ってその内容も紹介するつもりです。
さて、前回からの続きになりますが、公共交通などが止まり帰宅困難となった場合、
あるいは被災地から徒歩で脱出する場合などは、長距離の歩行を余儀なくされます。
ただし、前回も書いたとおり、その判断は山歩きでいえば遭難しかけた時の状況と同じですから、
強行突破するか、エスケープルートをとるか、引き返すか、とどまる(ビバークする)かについては、
その危機的状況と自分の体力や装備の状況を見極め、もっとも安全な方法をとるべきです。
そのうえで、どうしても長距離を歩いて脱出(帰宅)しなければならなくなった場合の、
基本的なポイントや装備について、以下で考えてみます。
3 長距離歩行避難のポイントと装備
長距離を歩く・・・といっても、どんな状況下で、どの程度を歩くのかは様々ですが、
ここでは地震で被災し停電した状況下で、東京都心部から郊外の住宅地へ、あるいは、
大阪から京都、神戸といった別の都市圏への脱出を考えて、おおむね40km程度を歩く、
といった想定で考えてみます。
わたくしが一日で歩いた最も長い距離は、有名な六甲全山縦走56km、15時間・・・
といいたいのですが、全山縦走はテント担いで二泊三日でチャレンジしただけ、
しかも途中で二日酔いのため挫折して引き返したとゆー情けない結果・・・
実際には、六甲山系の菊水山の西側、菊水ルンゼからスタートして、宝塚までが最長であります。
まあ、それでも距離は40kmほどありますし、全山縦走となると、登りだけでも標高差3000m、
上高地から奥穂高岳までの1.7倍、富士山五合目から山頂までの2倍だそうであります。
この56kmを平均15時間(早い人は9時間!)で歩くのですから、ほぼ平地なみの歩行速度です。
わたくしも、菊水ルンゼを朝出発して、夕方には宝塚に着きましたから、ほぼ同じ速度になります。
このような場合は、できる限りの軽装備、簡単な食料と水、雨具ぐらいで歩くことになりますが、
おにぎり二合分と副食で1kg、水が2リッターで2kg、雨具やエマージェンシーキットで2kg、
その他非常食やリュック、水筒なんかを含めても、総重量は7~8kg程度にしかなりません。
この程度の荷重なら、山歩きに慣れておれば、かなりアップダウンがあっても平地なみに歩ける、
ということなんですね・・・今のわたくしにはとても無理ですが・・・
ええ、先ほどのハナシは、あくまで学生時代のハナシで、今すぐこんな長距離は歩けない・・・
そう、基本的に長距離歩行は「慣れ」なのであります。
震災前の新聞記事に、東京マラソンの制限時間が7時間、時速6kmほどであり、初心者が、
いきなりフルマラソンに参加するのは無理でも、半年ほどかけて徐々に距離を延ばしていけば、
だれでも完走できるようになりますよ、という専門家のお話がありましたが、それと同じことだと思います。
つまり、ふだんから長距離を歩くことに慣れておくことが重要になります。
身体が慣れれば、重いリュックを担いでも、かなり長距離を歩けるようになるはずです。
ただし、長距離をできるだけ疲れないように、安全に歩くことへの「慣れ」が目的ですから、
いわゆるウォーキングエクササイズとは正反対の歩き方になります。
胸を張らない、腕を大きく振らない、踵から着地しない、つま先で蹴りださない・・・etc・・・
そう、日本では「ナンバ歩き」、アメリカン・ネイティブでは「フォックス・トロット」として伝わる、
伝統的な長距離歩行の際の、きわめて用心深い歩き方であります。
これらの正しい歩き方については、専門のサイトなどをご覧いただきたいのですが、
わたくしの経験上は、①重心を低く、②べた足に近く、③少し前かがみに、④小股で内股で、
といった感じで歩くと、荷重があってもアップダウンがあっても、安全に長く歩ける気がします。
「安全に歩く」というのは、状況に変化があっても、とっさの場合でも対応できるということ。
ふだん歩くのは舗装された平坦路ですし、ましてや走るのはもっと限定された条件に限られます。
ところが被災した道路や線路というのは、いたるところが寸断され、いつ路肩が崩れるかといった、
きわめて危険な状況になるでしょうし、これは山歩きでは、ケモノ道や藪漕ぎのような状況、
あるいは浮き石があったりガレ場があったりという状況に似ていると思われます。
そんな状況では、大手を振って、胸を張って歩くのではなく、むしろその逆になりますし、
足元や周りに常に注意を払いながら慎重に歩くことになり、夜間の場合は尚更です。
また、ちょっとしたミスが命取りになりますから、冷静な判断のできる余力がなくなる前に、
こまめに休憩する、場合によっては仮眠する、水分補給やカロリー補給も、
喉が渇く前に、バテる前に、が原則であります。
で、歩行に関する装備としては、まず最初に靴の選択が重要であります。
避難の際には、基本は舗装路になると思いますが、瓦礫やガラスの破片があったり、
舗装が寸断されてたり、水没していたりと、あらゆる路面状況が想定されますので、
ソールが硬めのウォーキングシューズでローカットかミッドカット、ただし10kg以内の荷重なら、
慣れないミッドカットやハイカットは、かえって歩きにくい場合もありますので、
山歩きをされてない方には、わたくしはローカットのハイキングシューズをお薦めします。
少し慣れた方なら、アプローチシューズというジャンルの、ミッドカットのゴアテックスブーティ仕様、
重い荷重が前提なら、ハイカットの本格的なやつ、ということになります。
ちなみに、山道に特化したソールパターンは、舗装路では疲れる場合もありますので、
災害避難用として用意するのであれば、アウトドアショップでよく相談されるほうがいいでしょう。
また障害物の危険性を考えると、スチールや樹脂のトゥカップの入った安全靴やブーツもありますが、
やはり慣れていないとつらいですし、長距離歩行には向いていないので、わたくしはオススメできません。
もちろん、いくら足に合った靴でも、ふだんから履き馴らしておくことがポイントであります。
次に服装ですが、これは日帰りハイキングと同じで、速乾性の化繊下着に速乾性のシャツ、
今の季節なら保温用の薄手の中綿入り中間着に防水・透湿性のあるアウタージャケット、
という基本のレイヤードシステムでいいでしょう。
ただし、災害避難用となると、アウターにはノーメックスなどの難燃性素材も考えられますが、
火災に対する装備については、また別項で考えたいと思います。
それと中間着の中綿素材についてですが、以前のシュラフに関する記事にも書き、
過日のOFF会でもwingさんと話していたのですが、やはりダウンと化繊では一長一短があります。
同じ重さなら、ダウンははるかにロフトがあるけど、濡れてしまうと保温力が極端に落ちる、
化繊はメンテフリーで濡れてもある程度ロフトはあるけど、その分収納サイズが嵩張る、
ということで、山歩きやキャンプの際には、その状況に応じて使い分けるのですが、
災害避難用と割り切るなら化繊、ただし、非常用で絶対に濡らさない、少しでも小さく収納したい、
ということであればダウンの選択もありかと思います。
事実、こちらの記事で紹介したサバイバル登山家は、やはり小さくなってロフトが大きい、
ということで小型のダウンシュラフと薄手の防水性のあるシュラフカバーを併用されているようです。
(この項、次回に続きます。)
2011年03月17日
災害避難について3
(災害避難についての「まとめ記事」はこちらです。)
日本登山医学会が今回の大震災にあたって、急きょブログサイトを立ち上げられました。
低体温症カテゴリや、水カテゴリなど、おおいに災害避難の際の参考になると思います。
テレビ報道による現在の状況では、ビルの屋上や高台などに一時避難されていた人たちが、
全国から集まった自衛隊、警察、消防の方々や、地元の方々の手によって、
次々と無事救助され、地元の仮設避難所や病院などに収容されているようです。
ただ、インフラ被害の規模が大きく、多くの避難所で水、食料、燃料、医薬品などが不足、
また、行政そのものが潰滅的打撃を受け、情報収集や救援が行きとどかない事情もあるようです。
空港や港、道路、鉄道などインフラの復旧も本格的になってきましたが、現在のところ、
充分な物資や人員を供給するのには、もう少しだけ時間がかかるようです。
ただ、たとえば道路にしても、当初の瓦礫でまったく歩けない状況から歩けるようになり、
さらに重機が入って一部はクルマも走れるようになってきてるのが映像からも確認できます。
道路、港、鉄道などの輸送インフラが一部でも使えるようになれば、
物資供給や復旧支援は、等比級数的に拡大していきます。
こちら大阪からだけでも、毎日ひとケタずつ、支援物資や支援要員の数が増えております。
全国的にも同様ですから、あとしばらく助け合って頑張ってください。
さて、今の多くの被災者の災害避難状況は、極端な物資不足の寒い仮設避難所での生活、
ということになるのでしょうが、わたくしが阪神淡路大震災で避難所のお手伝いをしたのは、
神戸や阪神間から徒歩で脱出されてきた方々向けに、大阪市内北部に設置された、
遠い親戚宅など長期の避難先に落ち着くまで、とりあえず宿泊していただく避難所でしたので、
物資も要員もインフラも比較的豊富な中での被災者対応でした。
ですから、今回のような状況下での避難所生活については、わたくしには、
あまりお役に立つようなことは書けませんので、実際に経験されているwingさんや川端さん、
ぜひ参考になるような追加コメントをお願いします。
わたくしのキャンプでの避難経験や、当時の避難所での経験からは、
①体育館など広い避難所では、小型の自立式ドームテント(フライシートは屋内なので不要)
があればプライバシーが確保できて暖かくて落ち着く。②毛布などの寝具と板張りの床の間に、
断熱マットを敷くと格段に快適に眠れる。③被災者は落ち着いたりあわてたり、
夜と昼が逆転したり、食事が不規則になったりしてるので、話しを聴くなど丁寧なケアが必要。
④なんといっても温かい食事、温かいお風呂、乾いて清潔な衣服で、夜でも明るい照明が一番。
(ともかく夜は真っ暗という経験をされて、暗闇には極度に敏感になられてました。)
といったところが、避難所でのポイントだったかと思います。
いっぽう今回、東京都心部などでは、停電などの影響で帰宅困難者も多く発生したようで、
実際にHiguさんやalaris540さんも、停電で帰宅困難となり苦労されたようです。
(まあ、Higuさんの疲労原因は大量のライトと予備電池のEDCでしたし、alaris540さんの場合、高級折りたたみ自転車をEDCされてますから、
苦労というよりも経費節約とトレーニングといった要因が大きかったと思われますが・・・)
大規模災害時の帰宅については、以前、川端さんが詳しく長期連載されてましたが、
わたくしもキャンプや山歩きの経験から、災害時の帰宅にあたってのポイントを述べてみます。
今回のように、帰宅にいつもの交通ルートが使えないことが分かった場合、
まず多くの交通情報を収集し、可能な代替ルートを探すでしょう。
その上で、全部または一部に、かなりの距離の徒歩区間が含まれる場合、
そのルートのおおよその状況や所要時間と、自分の装備や体力によって、
「とどまるか、強行帰宅するか。」の決定をすることになります。
そこにとどまる方がはるかに危険な場合などは、むろん選択の余地はありませんが、
山歩きでトラブルが発生したときの「先に進むか、ルートを変えるか、引き返すか」の判断同様、
「どの方法が一番安全か」を、まず基準にしなければなりません。
職場や関係先に戻る、宿泊施設や仮設避難所を探す、知人宅を頼る。といった選択肢もあります。
安全な建物内で仮泊できる場合は、前回紹介したモノをEDCしておればなんとかなります。
仮眠施設のない職場だとしても、これは仮眠しつつ朝まで仕事するようなもの、
野外で仮泊するのとは大きな違いですので、できるだけそちらの選択肢も考えましょう。
そのうえで、何とか帰宅できる、あるいはなんとしても帰宅せねば危険、となったとき、
「夜間に長距離を歩く」最低限の装備と体力と知識が必要になってきます。
(以下、次回に続きます。)