2011年09月
2011年09月29日
余呉湖でキャンプ!!!その2
キャンプ初日の夜になって、赤チャリさんが自転車で到着し(確か参加者の中では一番遠距離のはずなんですが・・・)、
結局、今回の参加者は大人12名、子ども5名の合計17名となりました。
わたくしの川下り仲間や子どもたち、それにお仕事疲れが続いていた川端さんは日付が変わる前に就寝、
残ったメンバーで、wingさんの白、ロゼ、赤のスパークリングワインを(赤チャリさんは甘い飲み物を)、
かぱかぱやってたのですが、今回はwingさんが職場の仲間をお一人、同行されてました。
まあ、この方の趣味とゆーのがですね、わたくしの琴線に触れるとゆーか、なんとゆーか・・・
(特にボルトアクションライフルがお好きなようでしたので、仮にボルトアクションさん、と呼ばせていただきますが・・・)
このボルトアクションさん、ほかにもレシプロ機や戦争映画にも造詣が深く、わたくしの友人ともかなりマニアックな話を・・・
ちなみにライトの趣味はないそうですが、ま、これは時間の問題かと・・・
とゆー次第で、おおいに盛り上がり、みなさんが2時前に寝てからも、わたくし一人で余韻を楽しんで飲んでました。
つーことで、とーぜん翌朝は二日酔い・・・つーか、まだまだ酩酊状態でした・・・
ゆっくりと寝たかったのですが、早く寝た子どもたちは(大人たちも)六時前から大騒ぎ、仕方なく起きてみると・・・
余呉湖の湖面が朝日を受けて・・・
まだ朝霧が立ち込めていました・・・
さて、この日の午前中のイベントは、古戦場で名高い、賤ヶ岳への初登頂!!!であります。
賤ヶ岳の標高は、現地の案内板では432m、国土地理院の地形図では421.1mとなっていましたが、
いずれにしても余呉湖畔の標高が130mほど(ちなみに琵琶湖畔は100m弱)ありますので、
山頂までは300mほどの高低差、距離にして1.5kmのコースであります。
全員で登頂する予定だったのですが、二日酔いや朝から飲んだくれてる者、仕事疲れでぐったりしてる者、
中にはサンダルしかない者もおり、はじめてのコースということもあり、子どもたちと一緒に残る必要もあって、
結局、登ったのはwingさんとその友人のボルトアクションさん、わたくしの友人夫婦とわたくしの5人だけでした。
ハイキングガイドなどの「標準コースタイム」は、標高差100mにつき10分程度で設定されているらしいのですが、
ま、わたくしの健脚を持ってすればですね、標準タイムの半分の15分ぐらいで・・・
結局、みなさんの足をひっぱりつつ、40分以上かかってしまいました・・・ひいひい・・・
さらにこの日の夜には足がつったりして、節制と山歩きトレーニング再開の必要性を痛感した次第・・・ううっ
ちなみにその間に赤チャリさんは、一周6kmの余呉湖周回道路を・・・いったい何周してたんだろ・・・
周回道路を途中まで散策していたメンバーが、何度も赤チャリさんに追い抜かれたといってましたが・・・
急な登りにひいひいいいつつ、ようやく小休止を許してもらった、ほぼ中間地点の峠であります。
ここの峠は、余呉湖から琵琶湖に通ずる昔の要衝・・・
ここからそのまま琵琶湖側に下りると、琵琶湖北端の港、飯浦港なのであります。
戦国時代、軍事物資を京の都などに大量に輸送できる手段は、琵琶湖の湖上輸送しかありませんから、
琵琶湖沿岸の港やその周辺は、ポーツマスや旅順、パールハーバーなどと同様の軍事拠点だったんでしょうねえ・・・
で、我々は琵琶湖側へ下りずに、なんとか賤ヶ岳の山頂へ・・・ひいひい・・・
じゃーん
賤ヶ岳山頂から見る余呉湖の全景であります。
案内板にあるとおり、ここが「賤ヶ岳の七本槍」で有名な古戦場であります。
まあ、もっと詳しくお知りになりたい方は、こちらの案内板をクリックして拡大して下さい・・・
羽柴秀吉軍は北陸本線と北陸自動車道、柴田勝家軍は湖西線と奥びわ湖パークウェイで移動したんですね・・・(違)
「ふーむ、今夜は赤チャリさんや川端さんも連れてきて、リオさんのライトなんかを一斉照射、まさに賤ヶ岳の七本ライト、
いやいや、とても七本ではすまないな・・・むひひひ」と、ほくそ笑むwingさん。
「はいはい、お好きなようにして下さい。こっちはキャンプ場で飲んでますから・・・」と、冷静なボルトアクションさん。
「宴会セットを担ぎあげて、今晩はここで大宴会しましょう。もちろん荷物とわたくしを担ぐのはみなさんで・・・げひげひ」と、98kさん。
まあ結局、この日の夜はさすがに飲み疲れてて、周回道路での照射だけだったんですが・・・
で、こちらが賤ヶ岳山頂から望む琵琶湖側の様子・・・
小さく浮かんでいるのが竹生島、奥の山並みが比良山系、さらにその奥に比叡山がかすかに見えています。
で、真下に見えるのが飯浦港で、まさに琵琶湖の最北端であります。
と、のんびりと山頂からの眺めを楽しんでから、余呉湖の湖畔に下りてくると・・・
「がははは、こっちこっち・・・」
下半身を水没させて、チャリを担いでスクワットしてる赤チャリさん・・・
で、しばらく甘いものを食べてたかと思ったら・・・
今度は湖に潜って、向こう岸まで無呼吸で・・・って、あんたは特殊潜航艇かっ!!!
まあ、超人はそのままにして・・・とりあえずキャンプサイトに戻り、まずは昼食とビールであります。
宴会場の向こうに見えるのは、今はモロコの養魚場と化した25mプールであります。
で、トイレを済ませて一瞬遅れて戻ってきたwingさん、ボルトアクションさんに、
「午後はクルマで温泉に行くので、キミは飲まずに運転するんだぞ! わたしは今から飲むから・・・じゅるじゅる」
「あっ、わたしはもう、一足先に98kさんと飲んでますよ。こんなのは早い者勝ちです。きっぱりと」
「ううっ、下山後の冷たいビールを楽しみにしてたのにぃ・・・えーん」
と、泣く泣くビールなしの昼食を済ませたwingさんに、ようやく向こう岸から帰ってきた?赤チャリさんが、
「あれっ、わたし、甘い飲み物しか飲みませんが・・・運転しなくていいんですか?」
「わわわわっ、その手があったんだ・・・ぐっ、ぐやじい・・・」と歯ぎしりするwingさん・・・
さて、このあと御一行は、wingさんらの運転で、お近くの温泉リゾート「北近江の湯」に向かったのでありますが・・・
(さらに次号に続きます。)
2011年09月27日
余呉湖でキャンプ!!!その1
先週末からの連休、琵琶湖の北にある余呉湖の湖畔でキャンプ(正確にはキャンプ宴会)してきました。
いつも川下りキャンプでお世話になっている、和歌山県、三重県、奈良県にまたがる熊野川流域が、
台風12号で未曾有の被害状況となり、今は復旧の真っ最中で、復旧のお役に立つような技術も体力もないわたくしには、
熊野市などへの義援金で後方支援することぐらいしかできず、いずれ何かのお手伝いに行こうとは思っているのですが、
今回はとりあえず、台風被害の少なかった滋賀方面で、キャンプ(宴会)を楽しんできました。
例によってキャンプ中はほぼ酩酊状態、ロクな画像もありませんが、まあ、てきとーにご紹介を・・・
今回のキャンプサイトは、以前は青少年野外活動センターだったところで、団体用のファイアー広場や、
炊事棟、屋根付き食事スペースなどはあるのですが、それらの施設が老朽化陳腐化し、長年放置されていたのを、
とりあえずトイレと水場だけを新設して、キャンピングカーなどの車中泊をメインにしたお安いキャンプ場にしているところ・・・
まあ、「トイレと水道さえあれば・・・」という、我々にはまさにぴったりのキャンプサイトでした。
台風15号の影響で、芝生のテントサイトには、まだぬかるんだ部分も残ってましたが・・・
でっかい常設タープの下はタイル敷き!!!
しかも、残っていたテーブルや椅子も自由に使えて、たちまち大宴会場の完成であります。
とりあえずテントを設営してマットとシュラフを拡げ、焼き物や鍋物なんぞの用意をすれば、あとは野となれヤマトなれ・・・
「まあまあまあ・・・ぷしゅ・・・こぽこぽこぽ・・・」
「いやいやいや・・・これはどーも・・・んぐんぐんぐ・・・くはぁ・・・」
と、いつものパターンになりました。
今回もいつもどおり、わたくしの川下り仲間と関西のライト仲間でのキャンプだったのですが、
特にライト仲間のみなさんは、お仕事が多忙だったようで、ぎりぎりまで都合がつきませんでした。
で、一日目のメインディッシュのひとつ・・・
現地で仕入れた近江牛の炭火焼であります。今、思い出しても・・・じゅるじゅるじゅる・・・
まあ、そんなに高級品は買えなかったのですが、ともかく柔らかかったですね・・・
で、夕食後は・・・
まったりとやってたのですが、電源のないサイトでも、wingランタンがいっぱいあれば、ご覧のとおり・・・
って、久しぶりの好天だったため、この頃には気温もぐんと下がってきて、みなさん厚着になってきてますね・・・
「うーん、やはりred-bicycle(赤チャリ)さんは無理だったのかなあ・・・」と、wingさん。
「ふーむ、都合がつけば夕食までに、とメールが入ってたようですが・・・」と、川端さん。
と、その時・・・
しゃぁぁぁぁぁぁぁ・・・
「って、今、湖の周回道路に赤い稲妻が走りませんでした???」
「つーか、稲妻の前方がやたら明るくなってたよーな・・・」
とかいってると・・・
「ぜいぜい、はあはあ・・・いやあ、遅くなりました・・・かなり飛ばしてきたんですが・・・あははは・・・」
「赤チャリさん!!! やっぱりあんたやったんかいっ!!!」
「いやあ、さっき湖の周回道路で、対向車から「眩しいっ!」っていわれましたよ。わははは」
「それにしてもこの気温で、その赤いTシャツ一枚で寒くなかったんですかっ???」
「って、そーいや98kさんも、一人だけ半袖のままですね・・・ほかはダウンとか着てるのに・・・」
「いやいや、赤チャリさんは自転車を漕いで身体がポカポカ、わたくしはこんなのでポカポカしてますから・・・がははは」
と、ようやく関西のライト仲間が四人揃ってからは、リオさんが(わたくしにプレゼントするために)、
わざわざ送って下さった貴重なライトなんぞで遊びつつ、(といいつつ、泥酔してて覚えてませんが・・・)
余呉湖キャンプ初日の夜は更けていったのでありました。
(次号に続きます。)
おことわりP.S.
このブログサイトでは、春と秋の恒例キャンプの開催予定については、たいてい事前にお知らせしていたのですが、
今回は記事冒頭にも書いたとおり、いつもお世話になっている熊野川流域に大きな台風被害があり、
しかもわたくしを除く、関西のライト仲間3人の予定がぎりぎりまでわからず、みなさんへの呼びかけをしなかった次第です。
今回はじめて行ってみて、我々向きのキャンプサイトであることがわかりましたので、次回ここでキャンプする時には、
ライト好きなみなさんをお誘いしますので、その節はよろしくお願いしますね!!!
2011年09月21日
キャンピングマット50mm!!!
過日、ケシュアのテントを購入した際に、じつはこちらのマットも同時購入していたのであります。むひひひ
ダンロップのキャンピングマット、そう、厚みが50mmもあるインフレータブルマットであります。きっぱりと
しかも横幅もたっぷりと68cm・・・と、ネット上ではなってたんですが・・・
ご覧のとおり、収納袋の表示では「183×66×5」になってました。うーむ・・・
こーゆーところにこだわるわたくし、さっそく測ってみたところ、結果は・・・ま・・・びみょーでした・・・
どの状態まで空気を入れて測るのか、ぺしゃんこで測るのか、はたまた耳の部分までかフォームの部分だけか、
などによって横幅は替わるので、まあ、横幅は66cmから68cmぐらい・・・とゆーことにしておきましょう・・・ううっ
で、畳んだ時のサイズは68cmを半分に畳むので34cm、巻いた直径は19cm、ちなみに重さは1180gとなっています。
とーぜんですが折りたたむと、ケシュアの3人用テントより小さいです・・・
で、拡げてやると・・・
インフレータブルマットとしてはかなりの幅と厚み、中のウレタンフォームも高密度に詰め込まれているようで、
思い切り息を吹き込んでやると、わたくしが片足で立っても底にあたらないぐらい、パンパンに硬くなってました。
そう、この幅と厚み、特に横幅がたっぷりと広い、とゆーところが魅力だったのであります。
わたくし最近、インフレータブルのマットを膨らませたり、畳んだりするのが、特に宴会キャンプでは面倒になってきて、
クローズドセルタイプのリッジレスト(旧モデル)を購入したのですが、レギュラーサイズのリッジレストの横幅は51cm・・・
マミータイプのシュラフで、お行儀よく眠るのには充分なんですが、泥酔してTシャツ短パンで大の字になって眠ると、
両腕や足先が直接テントのボトムにあたります。
で、この状態のままで夜中に目覚めたりすると、さすがに両腕や踵なんぞが冷たくなってますので、
やはりこの程度の幅のやつもいつかは欲しかったのであります。
ちなみにこのマット、画像の上側に見えるとおり、側面の耳に黒い面ファスナーが付いており(下側は耳の裏側)、
横に連結したり、何枚も重ねたりできるようになってますから、二枚あれば横幅136cmのマットにしたり、
10cmの厚みのマットにしたりもできるのであります。ま、わたくしの用途では、さすがにそこまでは要りませんが・・・
バルブもしっかりしてて、数日間放置したままでもパンパンのままでした。ま、ほんとは一晩持てばいいんですが・・・
でもやはり重く、膨らませたり畳んだりするのはクローズドセルタイプより面倒なので、二泊以上のオートキャンプ用ですね・・・
って、そのためだけに、わざわざ購入することもなかったわけなんですが・・・
じつはわたくしの持ってるインフレータブルマットとゆーのが、ひとつは年代物のダンロップのダルセパクト、
あとはモデルの異なるコーナンのがふたつで、うち古いダルセパクトがエアマットみたいにスカスカになってきており、
特に寒い時期に四人の場合は、たとえリッジレストを足してもひとつ足りなくなってたのであります。
それに前述のとおり、わたくしが大の字で寝るためにも欲しかったし・・・
まあ、さすがに1180gとゆーのは担ぐにはちと重いので、その場合はリッジレストになるわけですが、これがけっこう嵩張るので、
こっそりとリュックの中に入れて、こっそりと山中でキャンプ宴会するには目立ち過ぎるし・・・
うーむ、やはりここは、95~120cm程度の、もっと軽くて小さくなるインフレータブルマットを探すしかないか・・・
って・・・
こんなふうにして、テントもマットもどんどん増殖していくのね・・・
そうだっ・・・これを機会に・・・
わたくしの使ってきた・・・中学生のときの「段ボール」にはじまる・・・
華麗なるマットの変遷についてですね・・・ぼかっ、べきっ、ぐしゃ
2011年09月18日
世界遺産・白川郷と・・・3
前回、前々回からの続きであります。
大量の飛騨牛ステーキとひさしぶりの日本酒で前後不覚になったわたくし、いったん自室でぐったりしてから、
息子たちに連れられて、再び大浴場に行ったようで、みんなが寝静まる頃には完全に復活してきました。
で、仕方なく深夜に、またもや温泉に浸かり、(キャンプとちがって、これができるのが温泉宿のよさですねっ!!!)
フロント前の縁側テラスでのんびり夜景を眺めたり、(じつは喫煙できるのは、屋外のこのテラスだけ・・・)
自室の居間でテレビや夜景を眺めつつ、持参のスコッチを柿の種なんぞでちびちびやって過ごしました。
で、ふと気付くと・・・
朝になってました・・・
仕方なく、お部屋にも置いてあったコーヒーマシーンで、モーニングコーヒーなんぞを淹れつつ・・・
明るくなった下界を眺めていたのですが・・・
ちょうど橋の向こう側(下流側)左岸の河原に、石で仕切っただけの露天風呂が見えます。
まあ、残念ながら早朝で、しかも今は水着の着用が義務付けられているとか・・・
ですから、あえて800mmデジタルズームにはしませんでした・・・って、おいおい・・・
で、朝風呂に入って胃腸を整え、たっぷりの朝食をたっぷりおかわりして食べた後は、今度はフロント側のリビングで、
ゆったりと食後のコーヒーを味わいましたが、こちらもあえてホテルのロビーみたいに従業員を配さず無人にしてあり、
自宅のリビングのように、好きなようにくつろげたのも、さりげない配慮ですがうれしかったですね。
で、お宿をチェックアウト後に向かったのは・・・
「下呂温泉合掌村」であります。
この施設は、昭和30年代にダムに沈む合掌造りの建物を移築保存したのが始まりとかで、以後次々と移築したようで、
けっこう充実した、見ごたえのある展示内容になってました。
内部も、現実にご当家の方々が住んでおられる白川郷とは違い・・・
(こんなところでバイトしてたのね、赤チャリさん!!!)
(こんなところに移り住んでたのね、川端さん一族!!!)
(絹糸づくりに転職してたのね、wingさん!!!)
と・・・いろんな住民がお住まいでした・・・
まあ、昔の生活がけっこうリアルに再現され、その他の展示物も充実しており楽しめました。
で、これらの合掌造りのひとつが芝居小屋になっており、現在、日本で唯一の影絵芝居の常設小屋になっています。
素敵なおねいさんの前口上に続き、この回の演目「孝子ヶ池」という影絵芝居がはじまりました。
飛騨路にある「孝子ヶ池」にまつわる伝説で、親孝行な息子が病床の母親の願いで、母親の故郷である、
琵琶湖の水を汲みに行った帰りに母親の死を知り、思わず琵琶湖の水の入った瓢箪を落とすと、
そこからとめどなく水が湧き、やがて大きな池になった、といったような戦国時代のお話でした。
プロジェクターを駆使した影絵の仕掛けと生の演技や語りとが合っていて、なかなか面白かったのですが、
わたくしは演目終了後に、ちらっと紹介してくれた手影絵の方にさらに感動してしまいました。
両手だけを使った素朴な影絵なんですが、これが素晴らしくて、とても手だけとは思えないぐらい・・・
まあ、さすがに公演中は著作権の問題があるので撮影禁止、とのことで画像はありませんが・・・
白川郷もそうでしたが、ここでも外国人観光客、特に中国語や韓国語を話している観光客の多さに驚きました。
まあ、こちらの方が東京や大阪などの大都市より、古い日本のよさを知ってもらえるかも知れませんね・・・
で、合掌村をあとに、飛騨川に沿って41号線を南下・・・
せっかくなので、影絵芝居の演題になっていた孝子ヶ池なんぞに立ち寄り・・・
飛騨川の流れを楽しみつつ・・・
途中、道の駅で土産物を物色したり展望台に寄ったりして・・・
やがて、七宗町という町に入りました。
この町は、お茶と「日本最古の石」で有名な町のようで、お茶づくしの遅い昼食を食べたあとに・・・
「日本最古の石博物館」に行きました。ま、そのまんまのネーミングですが・・・
こちら、紀和町鉱山資料館の地底探検エレベーターと同じ仕掛けで、あちらは地下400mの坑道まで降りました?が、
こちらはなんと、20億年前まで遡れるタイムマシンになっているとゆー・・・
まあ、エレベーターの仕掛けは、こちらのほうが少しは凝っていましたが・・・
で、エレベーターでタイムスリップした20億年前の世界には・・・
20億年前の石が展示されてました・・・まあ、そのまんまの展示ですが・・・
で、石の上、中央に小さく貼ってある赤い矢印部分・・・
この小さな礫(れき)が、20億年前に生成されたものと判明したそうです・・・うーむ・・・
で、この町のマスコットキャラクターも・・・
レッキーくん・・・だそうです・・・
(おしまい)
2011年09月16日
世界遺産・白川郷と・・・2
前回記事からの続きであります。
白川郷の荻町集落を散策した後は、一路飛騨路を南下し、下呂温泉で一泊しました。
下呂は職場の慰安旅行などで何度か行ったことがあり、とてもいいお湯だったので再訪したのですが、
江戸時代に林羅山により、有馬、草津と並び称された「日本三名泉」のひとつだったんですね。
今回の旅行では、家族でのお祝い事がいくつか重なっていたため、我が家にとってはかなりハイランクの、
「しょうげつ」というお宿にお世話になったのですが、ここは月をテーマにして作られたお宿だそうで、
まさに中秋のシーズンにはぴったりのお宿でした。
外観は高層のホテルでしたが、一歩入ると純和風で、まるで京都の高級料亭!(行ったことないけど・・・)、
玄関で靴を脱いで、畳敷きの廊下を何度か曲がって、はじめて玄関ロビーに至ります。
静かなロビーからは石庭を通じて、眼下に下呂の温泉街を一望できました。
玄関ロビーでお茶とお菓子の接待を受け、さらに襖で仕切られた控えの間を通って奥に案内されると・・・
坪庭のある、和室になったフロントであります。
さすがに月をテーマにしているお宿、というだけあって、あちこちに趣向が・・・
このフロントの反対側が、いろんな種類のソファや書籍、コーヒーマシーンやお茶セットのある広い和室リビングになっており、
さらにその外に気持ちのよさそうな、縁側になったテラスもあったのですが、まずはエレベーターでお部屋へ・・・
客室はワンフロアに3室のみ、というゆったりとした作りで、内部も広かったのですが、とりあえず大浴場へ向かいました。
お部屋のエントランスから直接エレベーターで浴場専用フロアに下りると・・・
このフロアもエレベーターホールがないとゆーか、いきなり月光に照らされた中庭の縁側に出たようなイメージで、
石橋を渡って、いかにも「離れ」といった感じに作られた大浴場の玄関を上がると、ロビーやフロントと同様に、
襖を開けた先に控えの間があり、さらにその奥に脱衣場がありました。
このあたりも見事な演出で、同じビルの館内とは思わせないような工夫に感心しました。
ビルの店内に中庭をしつらえた料理屋などはよく見かけますが、ここはエレベーターを出てから大浴場まで、
すべて本格的な和風建築と日本庭園になっており、不自然さを感じさせないように細かく配慮されてました。
もちろん露天風呂の庭には月見灯籠が配され、のんびりと湯に浸かりながらお月見ができるとゆー作り・・・
下呂のお湯は、「美人の湯」といわれるとおり、ぬるんとしていて透明で、じつに気持ちよく旅の疲れを落とせました。
で、お楽しみの夕食は部屋食ではなく、専用フロアの「お食事処」だったのですが、こちらも大浴場同様の工夫が凝らされ、
それぞれ独立した「離れ座敷」に向かう、という感じになっていて、家族水入らずでくつろげました。
いよいよ(きたきつねさんお待ちかね!の)夕食であります。
先付け、前菜にはじまり・・・(右下の食前酒は、震災復興支援のための東北産の地酒だそうです。)
煮物椀は松茸、名残鱧、車海老の土瓶蒸し・・・
お造りも、いかにも中秋の名月にふさわしいあしらい、背後に見える障子窓も、丸い月見窓になっていました。
焼肴は甘鯛の雲丹焼き・・・
揚げ物も、いかにも秋らしいあしらいだったのですが・・・
なんといっても、今回のメインは・・・
じゃーん
飛騨牛A5等級サーロインステーキの陶板焼き一人前150g!!! 今、思い出しても、じゅるじゅるじゅる・・・
じつはここまでに、息子たちにはご飯を4~5杯おかわりさせ、奥様にはビールをかぱかぱ飲ませて、
わたくしはビール数杯で我慢していたため、数切れしか食べない母親の分や「もっと欲しいのに入らないっ、ぐやじい・・・」
と、地団駄を踏む奥様の分も含め、トータル300g以上がわたくしのものに・・・げひげひ・・・
「お酒とご飯下さいっ!!!」と、満を持して追加注文するわたくし・・・むひひひ・・・
星の宿とゆーお酒・・・だったと思いますが・・・わたくしステーキには日本酒とご飯なのであります。
この後も栗ご飯とかがでて、何杯かおかわりした記憶はあるのですが、日本酒を少し飲むと前後不覚になるわたくし、
その後の画像はまったく残っておりません・・・
(もう一回だけ続きます。)