2012年08月
2012年08月18日
2012中国・植林ツアー報告その3
前回、前々回記事からの続きであります。
中国・内モンゴル自治区にあるクブチ沙漠の緑化基地、恩格貝で早朝から植林したわたくし、昼食後には、
宿舎二階の豪華な会議室で、長期滞在ボランティアの方による「沙漠講座」を一時間ほど拝聴しました。
遠山先生がお元気な頃は、夕食後に毎晩、ご本人による沙漠講座を拝聴したものでしたが、
当時はオンボロ宿舎のオンボロ集会室で、ご本人はずっと咥え煙草で・・・まさに隔世の感ですねえ。
もちろん、若い長期ボランティアの方にも、その遺志はしっかりと引き継がれているようでしたが。
ただ我が隊の代表によると、遠山先生はもともと農業がご専門で、昔はスタッフの中に林業の専門家もいたが、
今はいなくなったので、樹林の循環と利用がこれからの課題とのこと。
たしかにこの後に視察した付近地でも、砂が固定した一帯での農業や畜産は盛んになってるようでしたが、
樹林の方はどちらかというと育てっぱなし、森のサイクルやその利用までは考えられていないようで、
このままではやがて一帯が全滅するかも知れないそうで、まだまだ課題は多いようです。
さて、沙漠講座の後は、周辺のウォッチングであります。
こちらが中国政府によって建てられた故遠山正瑛翁の御廟と立像。中国人観光客も多かったです。
「この地に骨を埋めてほしい。」との遺言どおり、こちらにお骨の一部が祀られています。
こんな、ご本人自筆の碑も完成してました。
ちなみに王明海氏は遠山先生と一緒に恩格貝の緑化事業をはじめた中国の企業家で、
今は恩格貝での温室栽培に専念されているとか・・・
ま、せっかくなので、
はるか植林地を見はるかす遠山先生と・・・ついでに98kさんも・・・
で、今回は沙漠ウォッチングとゆーよりは、砂が固定化された一帯での農業ウォッチング・・・
大規模なビニールハウス群があちこちに作られています。
一棟に家が一軒、それぞれに住居付きなんですね・・・
中の様子。
こちらは果物や野菜でしたが、水を循環させたクロレラ栽培のハウスも多いとか・・・そりゃあ日照量は凄いでしょう・・・
こちらは牧草地。
向こう側に我々が植林した林が拡がっているのがおわかりでしょうか・・・
もとはこのような感じの草原と森林が拡がっていたことでしょう。(木や草の種類はもっと多かったでしょうが。)
それがこの100年ほどの人の営みにより完全な砂沙漠になり、今また人の手で、緑が蘇えっているのであります。
で、周辺の様子を観察して、宿舎に戻ると・・・
夕食であります。
いやあ、ほんとに食材が豊かになりました。
90年代は、一皿目がヒツジとタマネギの炒め物、二皿目がヒツジとジャガイモの炒め物、三皿目も・・・
と、延々と質の悪い獣脂で炒めたヒツジ肉ばかりが続き、ご飯もビールグラスも砂だらけだったのですが、
今回はこれ以外にも、麺類なんぞも次々と出てきました。
で、夕食後は恩格貝ともお別れ、バスで包頭駅を目指します。
玄関まで見送りに来てくれたのは・・・
じょしだいせーのおねいさんたち!!!
そう、彼女たちも大学のボランティアグループで植林していたのでありますね・・・
「ううっ、バスに乗るのは嫌じゃあ・・・こっちのグループに入れてくれい・・・」
と、暴れる98kさんを押し込んだバスは、非情にも恩格貝を離れていきます。
お見送りしてくれた長期ボランティアの方たち・・・いやあ、お世話になりました・・・じょしだいせーたちをよろしくねっ!
やがて・・・
周辺がすっかり緑になった、十数年前の洪水による堰き止め湖にも・・
やはりすっかり緑になった、もとの砂丘にも陽は沈み・・・
黄河を渡る頃にはすっかり暗くなって・・・
夜の包頭駅に到着したのであります。
さて、ここから西安まで南へ約13時間、ほぼ直線で1000km以上の鉄道旅が始まるのでありますが・・・
(以下、次号に続きます。)
2012年08月15日
2012中国・植林ツアー報告その2
前回記事からの続きであります。
8月4日の夜遅くに中国・内モンゴル自治区、クブチ沙漠の緑化基地である恩格貝に到着した御一行、
さっそく翌日の早朝から植林活動であります。
と、その前に・・・
とりあえずは腹ごしらえ・・・
この後、メインディッシュの炒め物なんぞも出てきましたが、ま、朝食は比較的シンプルでした・・・
こちらが宿舎の恩格貝賓館
6年前は貸切バスが殆どでしたが、今回は高級乗用車が多かったですねえ・・・
それに玄関の電光掲示板がなくなって、二階の各部屋にはエアコンが付いてるな・・・
で、この日の玄関横には・・・
そう、なんとこのクブチ沙漠で・・・
「魅力恩格貝杯」争奪の沙漠ラリーが開催されていたのであります。
で、こちらがスペシャルステージ図で、画像をクリックして拡大していただくとわかりますが、
中央の赤い星印が宿舎の恩格貝賓館、下半分が植林地で、さすがにコースからは外れているようです・・・
この航空写真の撮影時期は不明ですが、90年代初頭までは、すべてがこのスペシャルステージのような沙漠でした。
この画像からも、道路沿いに植林が進んでいる様子がおわかりになると思います・・・
んで、
玄関前で記念撮影の後は・・・
本日の植林地に向かって、バスで出発であります。
90年代には、もちろん舗装路などはなく、周辺の緑もまばらでしたが、今ではこんなに育ってます。
こちらは90年代半ばに華道・草月流のボランティアのみなさんが植えた「草月の森」
植えてから20年近く経って、今や鬱蒼とした森になってますが、密植しているため間伐の必要があり、
さらに木材として利用するためには剪定も必要なんですが、その費用や手間が大変で手つかずのままです。
このままではいずれ森自体が全滅してしまいますが、最近になって、政府が樹木の伐採を一切禁止したとか・・・
まあ、伐採をいったん認めてしまうと、あちこちで勝手に切られてしまう恐れもあるので難しいところですが、
専門家による間伐や剪定は特別に認めるなど、何らかの工夫が必要なんでしょうね・・・
ちなみにポプラは成長が早く、日本のような湿潤な気候では建築材には向きませんが、乾燥した中国・西北部では、
きちんと剪定をすれば、充分建築材として使えるそうであります。
バスで15分ほどで、本日の植林地付近に到着、舗装路を外れて徒歩で現場に向かいます。
中央オレンジ色の給水車から、延々とホースを引っ張って・・・ホースが届かないところはバケツリレーで・・・
ここにがしがし穴を掘って、横たわっているポプラの苗木を植えます。本日の目標は17人で150本・・・
現地の長期ボランティアが、あらかじめ看板を立ててくれてました。
ちなみに、自分たちの手で植えるのは、この日の午前中の150本だけですが、今回は合計1000本の植林、
残りは長期ボランティアと現地の人たちに植えてもらうのであります。
で、隣には・・・
2010年に、うちの奥様が参加した第14次隊の植林地があり、奥様のプレートの付いたポプラも生意気に残ってました。
さらにその隣には・・・
2004年の第7次隊の植林地があり、一部はけっこう大きくなってました。
ええ、わたくしのプレートの付いたポプラも・・・かなり成長は遅いですが、なんとか育ってくれてました。
8年も経つと、僅かな地形の差や風による砂の移動などで著しい個体差が出てくるのであります。ううっ
で、長期ボランティアの方から、穴の掘り方や植え方を教えていただきます。
今回は、日本製スコップの長さプラスこぶし二つ分ぐらいの深い穴をひざまずいて掘り、
そこに2mほどに成長した、(蒸散を防ぐために)枝葉を落とした苗木を埋めて位置を決め、
こんな形にすり鉢状に埋め戻して、その後、給水車のホースでたっぷりと水をやります。
このように土手にしておけば雨水を溜めやすいのですが、少しでも傾斜がある場合には逆に、
高い方から雨水が流れ込むように形状を変えるなど、それなりの工夫がまた楽しいのであります。
この日は明け方に少し雨が降り、表面はすでに乾いているものの、まだ砂が湿っているのがおわかりでしょうか。
通常であれば表面から50cm程度は乾いており、これが次々と崩れて、どうしても大きな穴になるのですが、
今回はすぐに湿った層になり、小さくて深い穴を掘ることができました。
次々と元気に穴を掘り進めていく、今回参加者では最年少のSくん・・・
ひとつ穴を掘っては記念撮影と称し、たっぷり休憩をとる98kくん・・・
この日は明け方の雨のせいでめずらしく湿気があり、汗まみれになりました。早くビールが飲みたいぞ・・・がるるる・・・
ちなみに、わたくしが「手に汗を握って」いたスコップの・・・
その汗の塩分を求めてやってきたチョウチョさん・・・わたくしの使ったスコップにいっぱい・・・あははは
ともかく、ようやく予定の本数を植えることができました。ひいひい
ちなみにその奥は見渡す限りの沙漠、まさに植林の最前線なのであります。
何度も書きましたが、ここは人類の営みにより沙漠化したところ、もともとは草原と森林だったのであります。
人間が100年で沙漠化したのだから100年かけて緑に戻し、農業もできるようにして自然と共存していく、
というのが故遠山正瑛翁の考えで、わたくしもその考えに共感、ちまちまとお手伝いをしている次第です。
で、植林後には成長した木の剪定方法の説明があったのですが、時間の関係上、剪定作業まではできずに・・・
とーとつに昼食であります。
以前は道路事情も悪く、植林地までボンカレーなんぞを運んでもらってたのですが、今は宿舎に戻っての豪華昼食。
ま、せっかくなので・・・
いやあ、一仕事したあとのビールのうまいこと・・・って、わたくしあまり植えてませんが・・・
今回は高齢者や初めての参加者も多かったため、午後からは長期ボランティアによる沙漠講座があり・・・
それにしても立派な会議室ができてましたね・・・なんでも最近、ここでミスコンも行われたとか・・・
うーむ、その時に来たかったなあ・・・じゅるじゅる
(と、さらに次回に続きます。)
2012年08月12日
2012中国・植林ツアー報告その1
さる8月4日から8月10日までの一週間、中国・内モンゴルでの植林をメインにしたツアーに参加してきました。
まあ、植林ツアーとはいっても実際の植林作業は半日ほど、あとは中国北西部の自然や文化を知る旅で、
わたくしにとっては、しょくりんツアーとゆーより、しょくよくツアー、ま、いつもどおり食べ物が中心ですが・・・
さくさくっと、旅のご報告をさせていただきます・・・
ちなみに今回のツアーは沙漠地帯が多く、カメラはペンタックス(リコーイメージング)のWG-2GPSにしました。
なにせ12m防水で微粒子状の砂にも強いはず、しかも小型軽量でGPS付きですから、まさにうってつけでした。
で、初日の4日は11:30に関西空港に集合、13:50発の北京行きに乗るので、それまでけっこう時間があります。
離陸して安定飛行に入れば、すぐに機内食が出るのでしょうが、まあ、ちょうど昼時だし・・・
せっかくなので・・・
大阪ではすっかりメジャーになったラーメン店、神座(かむくら)の餃子・ラーメンセットおにぎり付きを・・・
いやあ、関西空港にまで支店を出しているとは知りませんでした。
野菜たっぷりであっさりしてて、しかもコクとうまみのある独特のスープ、けっこうクセになる味なのであります。
で、出国手続きや手荷物検査も(奇跡的に)すんなりと通過し、ツアー中に消費する酒と煙草を関空の免税店で購入、
(昨年のモンゴルツアーでは、さらにお安い韓国・仁川空港で買うつもりで、結局お目当て商品がなかったもので・・・)
いそいそと搭乗口に向かったのですが、北京からの到着予定が一時間以上も遅れているとかで・・・
ま、せっかくなので・・・
とーぶん飲めない、日本のよく冷えた生ビールなんぞを・・・ひっく
結局、一時間半ほど遅れて搭乗便が到着・・・
乗るのは、このぴかぴかの日航機・・・
ではなく、
やや薄汚れた、こちらの中華航空機であります。やはりこちらのほうが、ややお安いんでしょうか・・・
で、離陸して安定飛行に入ると、さっそく機内食が・・・
ま、せっかくなので・・・
いやあ、中華航空の機内食もなかなかのもの、燕京ビール2本で完食であります。ひっく
で、大阪から北京までは3時間ちょっとのフライトなのですが、北京時間は日本時間より一時間遅れるので、
本来の北京到着は16:00の予定、それから空港内レストランで豪華北京料理の夕食宴会後、
のんびりと19:15発の内モンゴル自治区・包頭(バォトゥ)行きに搭乗予定だったのですが、
なにせ関空出発が二時間ほど遅れたもので、急きょ夕食大宴会はキャンセル・・・
かわりに現地旅行社が手配してくれたマクドナルドの袋を片手に、いそいそと搭乗口へ・・・
ま、せっかくなので、ビールだけは搭乗口の手前で自分で手配して・・・
箱の中味はやや中華味のチキンサンドでしたが、やはりマクド味、年配の隊員には食べない方もおられ、
おかげでわたくしの標準一食分は、なんとかいただくことができました。げふっ
北京から包頭までは一時間半弱のフライトですが出発がやや遅れ(巨大な新北京空港ですが、それでも、
超過密ダイヤのようで、滑走路前には旅客機の渋滞が発生してました。やはり中国パワーは凄い・・・)
結局、包頭空港に着いたのは夜の9時過ぎでした。
で、息つく間もなく空港から貸切バスに乗り継ぎ・・・
六年前に較べて、一段と明るくきれいになった包頭市街地を抜けて・・・
やがて黄河を渡り、二時間ほど黄土高原を突っ走ると、クブチ沙漠の緑化基地、恩格貝(エンゲイベイ)に到着。
クブチ沙漠は面積が四国ほどの、中国では6番目の大きさの沙漠ですが、もとは草原と森林だったところ、
それが近年の人類の営み(農業や鉄鋼生産のための取水、過放牧など)により沙漠化が進んでいたところ、
ここに90年代初頭から、日本人ボランティアが木を植えて、沙漠化の拡大を阻止しようとしているのであります。
で、90年代にはなかった立派な宿舎(恩格貝賓館)のロビーに入ります・・・
(現在では、沙漠に森ができたということで、一大観光地になっているのであります。)
北京時間では夜の11時過ぎですが、東京時間ではすでに日付が変わってしまってるのですが・・・
日本からの長期ボランティアのみなさんが、わざわざお迎えして下さいました。
で、
みんなで寄せ書きする記念フラッグの手渡しを受ける今回の隊長・・・
さらにもちろん・・・
恒例の蒙古族の歓迎の儀式で、パイチュウ(コーリャンの蒸留酒で50度以上!!!)を飲み干す隊長・・・
前回、6年前にわたくしが参加した時は、深夜の到着ということで翌日の夕食時に延期してもらったのですが、
やはり本来は到着時の儀式、この後、全員に次々と杯が回され、結局自室に入ったのは午前一時前、
その後、手早くシャワーを浴びて(奇跡的に生ぬるいお湯が使えました!!!)、ま、せっかくなので・・・
宿舎内の売店が無くなってたので、かなり離れた屋外の売店まで買いに走った冷たいビールと、
関空の免税店で買い求めた、おなじみのシーバスリーガル500mlペットなんぞを、
やはりわたくしの旅の常備品である柿ピーでですね・・・ひっく
それにしても、このビールのキャッチフレーズ・・・とゆーのか、なんとゆーのか・・
なんとなく凄そう・・・
と、結局、ツアー初日は昼過ぎから午前三時過ぎまで、断片的にずっと飲んで食べてたのでありますね。わははは
(以下、二日酔いの次号に続きます。)
2012年08月04日
内モンゴルに行ってきます!!!
わたくし、明日(正確には本日)から一週間、中国・内モンゴル植林ツアーに参加してきます。
つーことで、一週間ほど記事の更新ができませんが、とーとつに身罷ったわけではありませんのでご安心を・・・
で、昨夜からビールもどきをかぱかぱ飲みつつ、ようやく出発準備に着手したのですが・・・ひっく
部屋中に転がってるキャンプ道具なんぞを、てきとーに集めてと・・・うぃーっ・・・
ま、だいたい、こんなもんか・・・
さすがにタープは要らないか・・・代わりにヘリノックスチェアを追加しようか・・・ひっく・・・
で、留守中よろしければ、この記事のコメント欄にでも、罵詈雑言励ましのお便りなんぞをお願いしますね。
ま、コメントへの返信はできないと思いますが・・・
つーことで・・・
では、行ってきまーす!!!
って、ほんとに必要なものは揃ったのか・・・食糧はいっぱい入れたけど、なにか足りないよーな気も・・・
ところでパスポートはどこにいったんや・・・そーいや、スケジュール表も・・・集合時間は何時だっけ・・・ま、いいか・・・ひっく
2012年08月02日
モールスキンシャツ再び・・・
えーっ、わたくしが長年愛用している西ドイツ陸軍のモールスキンシャツについては、こちらの記事で、
最近になって長袖タイプを買ったものの、わたくしにはきつかった・・・といったよーなことを書きましたが・・・
その後、大阪・心斎橋にあるエスアンドグラーフをたまたま再訪することがありまして・・・
ええ、その際に、偶然にも入荷していたのであります・・・
じゃーん
そう、左のやつであります。ぬははは
めずらしくXLサイズが入荷してたのですが、色合いからもおわかりのとおり、こちらは未使用デッドストック品・・・
そう、右の中古品なら1k、デッドストック品でもふつーは2kなのですが、XLサイズは約3kもしました。ううっ
ちなみに右の中古品は、上記リンク記事で紹介したとおり・・・
1987年製で、よく見れば、首周りサイズと思われる表示が、39/40となってますね・・・
で、今回のデッドストック品のほうは、
1991年製で、首周りサイズと思われる表示は、41/42・・・これで日本ではXLサイズになるのね・・・
ま、スリムな中古品のほうは、TOMOさんの高級ブランド品とのトレード用として大事に保管しておくとして・・・
わたくしの首周りには、たとえ41/42サイズでも、まだちと苦しいような気もしますが・・・
ま、'90年代から愛用している画像中央の半袖タイプと同サイズと思われますし(タグが擦り切れてサイズ不明)、
一番上のボタン以外は、なんとか留められるようになったので・・・
とりあえず今週末からの中国・内モンゴル植林ツアーで、常時着用するつもりであります。むひひひ