2015年10月
2015年10月29日
ボルネオ行ってきまーす!!!
例によって、直前になってからのパッキング・・・
もっと早くから、周到に準備しておけばよいものを・・・あせあせ
ちなみに一番下にあるのは足首固定用サポーターで、植林作業やトレッキングなど、
足に負担がかかる場合には、まだまだ必要なのであります・・・とほほほ
で、今回パッキングのメイン・・・
奥様の知人から寄付いただいた、現地お土産用「岸和田だんじり」タオルが60枚・・・
と・・・
わたくしの関係先からいただいた、お土産用「大阪マラソン2015」の手拭が10枚・・・
あとは着替え類が少々と・・・
「緊急どこでも宴会セット」!!!
ちなみに今回は、修理から帰って来たばかりのニコン・S9700に加えて、
古いリコー・CX-1も託送荷物の奥底に入れて行きます。
悪天候時の予備として奥様のペンタックス・WG-2を借りてもよかったのですが、
S9700が機能してくれることを期待して、こちらはほんとの「緊急用」・・・
ま、いつもながら不足品はいっぱいあるでしょうが、あとはわたくしの信念である、
人様の好意に甘える
つーことで・・・げひげひ
では、行ってきまーす!!!
2015年10月20日
シングルからマルチへ・・・
ええ、わたくし当面、シングルからマルチへ転換することにしました・・・
???
そう・・・
ビンディングペダルのシューズ側の金具(クリート)であります。
今まではビンディングシューズに最初から付いてた、このシングルモードのクリート(SH51)を使ってて、
こちらはつま先を踏み込んでロック、踵を水平に外側に捩じってリリースするタイプであります。
で、こちらが・・・
今回購入したマルチモードのクリート(SH56)で、Mとゆー刻印がありますね。
こちらは踵を水平に外側に捩じるだけでなく、斜め上外側・内側など、ともかく捩じればリリースするタイプ・・・
ま、見ただけでは違いはよくわかりませんが・・・
SPDペダル購入時にスペシャ屋さんで訊いたところ、どちらも慣れれば、あまり大きな違いはない、
どうしてもシングルモードになじまない場合にマルチモードを購入すればよい、とのことでしたし、
マルチモードは坂道で立ち漕ぎ(ダンシング)した際などに、不用意に外れることがある・・・
とかも書かれてたので、シングルモードのまま使ってて、実際にすっかりなじんでたのですが・・・
わたくし8月に左足首を立ちゴケ骨折して、チタンプレートを埋め込んだり、足首を長期間固定してたりで、
左足の踵を水平に外側へ捩じる、とゆー動作が(当面は)できにくい状態になってしまってるので、
とりあえずはマルチモードのクリートに切り替えてみることにした次第です。
なにせ一度ビンディングペダルに慣れてしまうと、その効率の良さはもちろんですが、フラットペダルでは、
靴がペダルから浮く感じがして、不意にずれたり滑ったりするのが怖くなってたのでありますね。
そう、ちょうどスキー板にビンディングなしで乗ってるのと同じ感覚とゆーか・・・
で、最近マルチモードを選択されたred-bicycle(赤チャリ)さんに使い勝手をお聞きしたところ、
ダンシング姿勢でも、正しいぺダリングをしてる限りは外れることはない、とのことでした。
ま、わたくしが正しいぺダリングをしてるかどうかは別にして、踵を水平に捩じれるようになるまで、
当面はマルチモードにしようかと・・・で、これで問題なければシングルに戻す必要もないし・・・
と、とりあえず従来(画像左)のシングルモードより、さらにシューズが外側に来るよう固定してみました。
ま、違いはよくわかりませんが・・・
ところが・・・
わたくしの左足、まだ運動時には足首固定用のサポーターを装着しておく必要があり・・・
なんと、その状態では・・・
ビンディングシューズを履くことができない・・・
つーことが判明しました・・・
あは・・・
あははは・・・
とゆー次第で、おそるおそるサポーターを外して、安全な自転車道を20kmほど走って試してみると、
確かに、てきとーにもがくだけでも外れて、この点は安心だったのですが、シングルモードに比べて、
ペダルとの接合部がけっこうグラグラして、かなりの遊びがある感じがしました。
これはクリートそのものの遊びが大きいからなのか、わたくしがペダル側のバネを最弱にしてるからなのか、
ま、このあたりはぼちぼちと確かめたいと思ってますが、まだ左足首が瞬時に捻じれない状態なので、
常時サポーターなしで乗るようになっても、当面はこのままにしておくつもりです・・・
ま、8月にはじめての立ちゴケで、はじめて骨折した際は、もちろんシングルモードでしたが、
結果的にはちゃんとリリースされてて、身体だけが飛び出してたんですが・・・ううっ
2015年10月14日
片鉄ロマン街道(湯治)ふらふら
先週の土曜日、8月に落車骨折して以来ほぼ2ヶ月ぶりに、自転車でふらふらしてきました。
ええ、もちろんリハビリを兼ねた湯治(と宴会)が主目的だったのでしゅが・・・
今回ふらふらしてきたのは岡山県の吉井川沿いを走る「片鉄ロマン街道」・・・
ルートは上記リンク先をご覧いただきたいのですが、1919年から1991年まで走ってた「片上鉄道」跡が、
2003年にサイクリングロードとして整備されたもので、片上から柵原手前までの総延長は約34km、
川沿いのもと鉄道敷ですから、緩やかなカーブと直線が続くほぼフラットなコースでしかも温泉もあって、
わたくしのポタリング再開とリハビリ・湯治宴会には最適でしょうと、すでに何度か走ったことのある
red-bicycle(赤チャリ)さんに誘っていただいた次第です。
今回はわたくしと、新ロードバイクの試乗を兼ねて軽くポタリングしてから温泉宴会したいとゆーwingさん、
案内役の赤チャリさんとゆー、おなじみの3人でふらふらしてきました。
土曜日は三連休の初日で渋滞も予想されるため、金曜の夜に帰宅してからwingさんをピックアップ・・・
つーか神戸からは代行運転してもらい、夜食宴会用の飲料食料なんぞをのんびりと買い出しして、
姫路のwing旧邸に着いたのは、すでに日付が変わる直前でした。
翌日は早朝からポタリングなので、軽く飲んで早めに寝る・・・はずだったのですが・・・
飲まないのにわざわざ来てくれた赤チャリさんも交えて、結局はいつもどおりの延々大宴会となり、
翌朝8時の赤チャリ邸集合を約して彼が帰宅した後も、わたくしとwingさんはさらにぐだぐたと飲み続け、
ようやく就寝したのは土曜日の午前3時過ぎでした・・・
とーぜん二人はすっかりと朝寝坊、6時半起床で待ってくれてた赤チャリさんはしびれを切らして、
KHSの折りたたみ小径車「ミニ赤チャリ号」でwing旧邸まで走ってこられました・・・
「ったく・・・ルーフにサイクルキャリアを付けて、なんとかロードバイク3台を積む準備をしてたのに・・・
スバルXVの室内だけだとフルサイズ3台と3人が入るか不安なので折りたたみ小径車で来ましたよ!!!」
「むにゃむにゃ、ま、てきとーに詰め込めばなんとかなったでしょう・・・おえっ」
「そうそう、ロードバイク3台の隙間に赤チャリさんが身体を曲げて寝転んでもよかったし・・・ぐえっ」
「ま、私が運転しなくていいなら、それでもよかったんですが・・・」
「わわわ、今朝の我々はとても運転できる状態ではありましぇん・・・うえっ」
と、赤チャリさんの判断が功を奏し・・・
フルサイズ・ロードバイク2台と小径折りたたみ車1台と座席3人分を確保したXV・・・と・・・
骨折リハビリ中のわたくしの左足であります・・・ (赤チャリさん提供画像)
で、ドイツ・ロマンチック街道の起点でもある・・・
あのノイシュバンシュタイン城を通過して、片鉄ロマン街道を目指します・・・(wingさん提供画像)
って、さっきから人様からの提供画像が続いてますが・・・
じつはこの時、わたくしも撮ろうと「カメラ付き世界地図」で撮影したところ、すべて露光オーバーとなり、
以後モードを変えたり露出補正したりISO感度を変えたりしても二度と戻ることはありませんでした・・・
ストロボ発光や動画撮影だとほぼ適正露出になるのですが、暗い室内でも白トビが目立ちました。
前のニコンP330が一年半ほどでイカれ、保証期間を過ぎてたので泣く泣くS9700に買い替えてまだ半年、
ったく、運が悪いとゆーか、今回はたまたま保証期間中で、しかもボルネオツアー出発前だったので、
まだマシとゆーか・・・でも2台続けて短期間でイカれると、ニコン製コンデジへの不安が生じますね。
とゆー次第で、今回はお二人の撮られた画像を、この記事用にいただいたのでありますね。
ま、以下めんどーなのでどちらの画像か明記しませんが、wingさんはリサイズして送ってくれたので、
クリックしてフルサイズになる画像が赤チャリさんからの提供画像であります。
で、自転車3台と二日酔い2名を積んで、元気な赤チャリさんが運転するXVは1時間ほどで・・・
和気鵜飼谷温泉の駐車場に到着、それぞれの愛車を組み上げます。
片鉄ロマン街道の総延長は約34kmですが、この温泉から遡上すると24km、往復しても48kmほどで、
しかも戻ってすぐに温泉宴会ができるとゆー、まさにリハビリ湯治にはうってつけのスタート地点!!!
ちなみに中央の白いルイガノが新wing号で、右の赤いKHSがミニ赤チャリ号、左が二か月ぶりに乗る、
わたくしのスペシャライズド・新98k号であります。
ま、せっかくなので・・・
温泉前の交通公園で記念写真を撮ってもらいました。
手前の道が片上から続いてきたサイクリングロード、もと片鉄の線路敷で、ここから左へ遡上します。
以下、さくさくっと(人様の)画像でご紹介・・・
いかにも鉄道敷らしい緩やかなカーブ・・・
いかにも鉄道敷らしい直線区間・・・
いかにも鉄道敷らしい緩やかな勾配・・・
いかにも鉄道敷らしい二連の単線トンネル・・・
赤チャリさん、きちんと露出や構図を変えて撮ってくれてますねえ・・・
さらに赤チャリさんは・・・
余裕で加速減速を繰り返して、二人の前になり後ろになり画像を撮ってくれてました・・・
いっぽう、wingさんに撮ってもらった画像は・・・
休憩時と後姿がほとんどで、これはいつものわたくしと同じですね・・・あははは
沿道では、ちょうどコスモスが満開で・・・
地元のコスモスまつりも開催されてました。
ちなみにこの区間は堤防の天端道路で、片上鉄道線はこの堤防のずっと左側を走っていたようで、
他にも一部が宅地化されたり、鉄道橋が撤去されてたりで、2003年に整備されたサイクリングロードは、
忠実に鉄道敷をトレースしているわけではなく、天端道路や一般道の歩道部分も利用しています。
と、のんびり走って、昼過ぎにはサイクリングロードの終点である吉ケ原駅に到着・・・
したんですが・・・
自転車を下りて見学しようとするお二人を制し、赤チャリさんの先導でまず向かってもらったのは・・・
サイクリストにはよく知られた・・・
地元名産のたまご・黄ニラ・津山黒豚を使った、たまごかけごはんと水餃子専門のお店・・・じゅるじゅる
そう・・・
メニューはこれだけなのでありますね・・・
さっそく・・・
この後、熱々の水餃子が出てきました。じゅるじゅる
食べ方は・・・
こちらが5種類のタレ・・・
わたくし、タレを3種類ほど試したところでたまごとごはんがなくなり、ついついおかわりを・・・
って、せっかく減量しようと思ってたのにぃ・・・ 特に黄ニラのタレがおいしかったです。
ちなみにお二人は、一人前をおかわりして仲良く取り分けておられました。
と、ようやくお腹が落ち着いたところで吉ケ原駅まで戻り・・・
まずは柵原鉱山資料館を見学・・・
柵原は硫化鉄鉱の産地として栄えた町で、片上鉄道も当初は鉱石運搬用の鉱山鉄道でした。
内部には昭和の柵原を再現した町並みや地下にある坑内を再現した展示、掘削機械や照明器具など、
片上鉄道の歴史も含めて興味のあるものがいっぱいでしたが、残念ながら展示品の撮影は禁止・・・
唯一、ロビーに横たわっていた・・・
巨大な硫化鉄鉱石の塊り・・・なのかっ???
で、石好きのお二人は、お土産に世界の原石なんぞを買い込み、今は公園になっている駅構内を見学・・・
こちらの車両群は動態展示だそうで、保存会が定期的に乗車会を開催されてるそうです。
と、鉄道跡や鉱山跡を堪能し(残念ながら地下坑道に入ることはできませんでしたが、こちらも定期的に
保存会による坑内見学会があるようです・・・)、のんびりと往路を戻ります。
前からの画像を撮るため片手にカメラを抱えたまま、あっとゆー間に追い越していく赤チャリさん・・・
wingさん撮影の本画像、けっこうスピード感がでてますねえ・・・
で・・・
あっとゆー間に追い抜かれるwingさんと98kさん・・・
と、往路は走行時間だけで2時間ほどかかりましたが、復路は僅かでも下りだったので1時間40分ほどで、
無事に和気鵜飼谷温泉に戻ってきました。ちなみに総走行距離は50km弱でした。
ただし、たっぷり昼食やら、たっぷり休憩やら、たっぷり見学やら、たっぷりダベリングやらを挟んでるので、
10時半に出発したものの、温泉に戻ったのは4時半を過ぎてました。
で、いそいそと自転車を分解・折りたたんでクルマに格納、温泉でのんびりと疲れを癒してから・・・
お待ちかねの夕食宴会であります。じゅるじゅる
じつはこの温泉で、なんとしてもビールで乾杯したかったwingさんとわたくし、なんとしてもクルマ1台に
自転車3台と3人にして、飲まない赤チャリさんに運転をお願いしてた次第。でへへへ
で、
自分のがまだ来ないので先に来たwingさんの料理に伸びる、某98kさんの魔手・・・
ちなみにこちらが・・・
飲まない赤チャリさんの天丼セットであります。さくさく熱々で、けっこうおいしかったとか・・・
で、温泉を後にした御一行、途中のSAでスイーツなんぞを味わって姫路に戻り、またまた夜食宴会用の、
飲料やつまみを買い込んでwing旧邸に戻り、またまた延々とダベり続けてたのですが・・・
この日は日付が日曜日に変わる頃に赤チャリさんが自転車で帰宅・・・
市販のLEDミニマグを自転車用に新調されたそうで、ダブル・ミニマグになって明るいですねえ・・・
赤チャリさんが帰宅してからも、しばらく二人でダベってたのですが、さすがに1時前には就寝しました。
で、翌朝は9時過ぎまで爆睡、まったりとコーヒーや熱いスープで朝食後は、家の片づけなんぞを・・・
(つーか、わたくし好みの宴会仕様にお部屋をすっかり模様替え・・・げひげひ)
ちなみにこちら、wing旧邸の物置小屋からひっぱり出してきた・・・
自転車の前照灯?で、レストアすればルイガノ用とスペシャ用になりそうですね・・・むひひひ
さらにちなみに・・・
わたくしのXV、ロードバイク2台なら、この程度のスペースで収まることが判明しました。
工夫すれば、なんとかロードバイクを3台積んで3人乗車もできるかも知れませんね・・・
とまあ、すっかり午後になってから出発、wingさんが行きたかったとゆー姫路の自転車屋さんに立ち寄り、
またまた延々とパーツなんぞを品定め、ようやく遅い昼食にありついたのは3時前でした。
生パスタのお店で、こちらはwingさんのクリームソース系、向かいが98kさんのペペロンチーノ系・・・
で、
クリームソース系にも伸びる、某98kさんの魔手・・・
と、帰りは渋滞もありましたが日暮れ頃には(代行運転で)神戸wing邸に到着、日暮れ過ぎには、
(仕方なく自分で運転して)大阪まで無事に帰宅しました。
さすがに今回はサポーター固定したままでは踵を回せないので、ビンディングシューズも持参せず、
左足は充分に踏み込むこともできませんでしたし、立ち漕ぎ(ダンシング)も左足に力が入らず不安でした。
今後はぼちぼちとリハビリしていって、もとに戻していきたいものですね・・・
ま、もともとの脚力自体もたいしたことなかったし・・・
とゆー次第で、今回もwingさんと赤チャリさんにはお世話になりました。
代行運転から現地案内、さらには今回画像の撮影と選択・提供まで・・・ううっ・・・
ちなみに露出制御がイカれたS9700、翌日に西梅田にあるニコン・サロンまで持ち込んで修理を依頼、
ま、10月30日からのボルネオ植林ツアーには、何とか間に合いそうです。ほっ
2015年10月05日
某SF研究会・創立45周年!!!
一昨日、5年前の40周年から、なんと5年ぶりに(ま、当たり前ですが・・・)参加してきました。
ええ、某SF研究会の創立45周年記念祝賀会であります。
わたくしと某SF研究会との関わりなどについては上記リンク記事をご覧いただくとして・・・
今回もさくさくっと・・・画像を中心に紹介していきましょう・・・
5年前と同じく京都市営地下鉄の丸太町駅で下車、堀川通下立売あたりを目指して歩きます。
今回はこちら側から・・・できれば敷地内を通って・・・落車骨折リハビリ中のため・・・じゅるじゅる
憧れの某女学院であります。じゅるじゅる
ちょうど入学説明会開催中で、ほんとに中に入れそうだったのですが時間が・・・じゅるじゅる
さらに西に歩いていくと、ようやく祝賀会の会場・・・
ではなく、こちらはまだ京都府庁ですね・・・ひいひい
その向かいのビルが・・・
うーむ、こちらも違うなあ・・・ひいひい・・・
ここでもないし・・・それに、いまさら生き方探求つーのもなあ・・・うぐぐぐ・・・
で、このあたりには古い町並みがあったのですが道路拡幅されてて・・・
前回も通り過ぎた旅館、路地がずいぶん短くなってましたが、今回もまた通り過ぎて・・・ひいひい・・・
何とか定刻ぎりぎりに、会場のホテルに到着であります。やれやれ・・・
まずは全員で(酔っぱらう前に)記念撮影であります。
なにせ創立45周年ですから三世代、その子どもたちも含むと四世代が集まってます。
(プリントからの粗い接写画像で、いちいちモザイク処理してませんが、問題があるようなら削除しますのでお知らせください。)
ちなみにこちらが40周年の際の記念写真・・・
ええ、現役生以外はなんと全員、5歳は更けてますね・・・ま、これも当たり前ですが・・・
記念撮影に続いて、現会長のK村さんによる開会宣言であります・・・
現在3回生で現SF研では唯一の女性・・・ええ、女帝として君臨しておられる・・・のでしょうかっ???
ちなみに彼女、自転車競技部にも所属されてるそうで、ロードバイクで落車骨折したてのわたくし、
もっとゆっくりお話ししたかったのですが、なにせ現会長でみなさんのお世話に追われてて、
わたくしが独り占めするわけにもいかず・・・でも、今回はお世話いただきありがとね!
続いて、このSF研の創設者で初代会長でもあるK山さんのご挨拶であります・・・
たしか、わたくしが入学した際には3回生ぐらいで、卒業する際にも3回生ぐらいだったような気が・・・
ええ、今でも現役の3回生として君臨しておられる・・・のでしょうかっ???
会長時代、NHK「若い広場」に小松左京氏らとともに出演した際のエピソードなんぞを披露されてました。
放送局でのビデオテープ収録がようやく一般的になった頃で(もちろん大部分の番組はモノクロ)、
まだまだ家庭用の録画機器などは存在せず、放映時に記念にテレビ画面を写真撮影していたとか・・・
ハードディスクやブルーレイに簡単に高画質録画できる現在とは、まさに隔世の感がありますねえ・・・
で、乾杯の後は、古い8ミリフィルムからダビングした懐かしい映像を次々とプロジェクターで上映・・・
じつは今回、幹事としてお世話いただいたS本さんが、このサイトの上記40周年記事を読まれてて、
「古い機関誌とかの展示だけで、SF研らしい最新技術による映像とかは一切なかった・・・あははは」
とゆー部分に触発されて、今回は苦労して映像にまとめられたとか・・・ほんとにありがとね!!!
で、エンディングは2020年の50周年へ繋ぐとゆーことで、同年開催予定の東京オリンピックをテーマに・・・
ええ、映像はまぼろしの1940年版のポスター、音楽は1964年版の「東京五輪音頭」でしたが・・・
さすがに映像は撮れませんでしたので、貴重な展示品のうち、コンベンション関係の一部をご紹介・・・
1974年に京都で開催された第13回日本SF大会MIYACONのプログラムブックとレポートであります・・・
ええ、ここで我がSF研がプロレスショーをやって
で、こちらは同年に東京で開催された・・・
第2回日本SFショーのプログラムブック・・・
こちらは・・・
やはり同年東京で開催の第6回SFフェスティバルEDOCONのプログラムブック・・・
いやあ、1974年にはいろんなSF関係の催し物が開催されてたんですねえ・・・
で、その翌年の1975年・・・
神戸で開催された第14回日本SF大会SHINCONのプログラムブックとレポート・・・
こちらはさらにその翌年1976年に東京で開催された・・・
第15回日本SF大会TOKON6のプログラムブックであります・・・
で、こちらは1978年1月号の京阪神Lマガジン・・・なんですが・・・
そう、学園祭(EVE祭)でのSF研プロレスショーが有名になり、紹介されたのでありますね・・・
この後、全国の大学でプロレス同好会なんぞが結成され、アマチュア・プロレスなる言葉も生まれました。
初代会長のK山さん、「まじめな研究会が、こんな方向で有名になるとは思わなかった・・・」とか、
嘆息されてましたが、ショーではずっとレフリー役をやってて、いちばん生き生きしてたような気もします・・・
創立間もないころは、SFといえばまだまだマイナーな世界でしたが、この頃にはスターウォーズ第一作や、
宇宙戦艦ヤマト第一作などが爆発的にヒットしてて、SF全体としてある程度メジャーになっていきました。
ま、それでもSF小説をメインに読み込むとゆーのはやはりマイナーな存在で、活字人口が減った現在では、
さらにマイナーな世界に戻ったようで、現役の会員はほぼ創設時と同じ8名しかいないそうですが、
まじめに読書会をやってるようで、映像情報が溢れる今となっては、本来の姿なのかも知れません。
ま、当時SFを楽しむとゆーのは、今でいえばコミケに出かけるのと同じぐらいの感覚だったでしょうか・・・
すでに何度か書いてますが、当時のSF研究会やSFコンベンションとかに集まる連中の中でも、
特に非社交的で自分の世界を持ってて、分厚い眼鏡かけて本ばっかり読んでるようなタイプから、
「お宅、今度の新作どう思う?」とか、実際に話しかけられることがあり、これがいつの間にか、
SFの世界だけに浸りきっているタイプが「あいつ、ほんまにお宅やなあ・・・」と呼ばれるようになって、
これが今の「ヲタク」の語源ではないかと、わたくしも信じているのでありますね・・・
閑話休題
とまあ、三波春夫の東京五輪音頭で5年後の堅い約束!をして、ホテルでの祝賀会は大団円となり、
その後は5年刻みぐらいのグループに分かれて、これまた恒例の2次会へ・・・
京都の地下鉄は東西線と南北線しかなく、しかも土日のバスやタクシーは観光客で渋滞するので、
地下鉄に乗車するまでけっこう歩き、降車してからもけっこう歩くことになります。ひいひい・・・
で、今回予約してくれてたのは、四条通柳馬場小路上ルにある、けっこうおしゃれなイタリアン・レストラン・・・
とはいっても、やはり学生向きのお店のようで、飲み放題メニューには、「一気飲み禁止」とか、
「店で嘔吐された場合はクリーニング代として5000円・・・」とか書かれてました・・・
「うーむ、嘔吐で5000円なら、お漏らしとかしたら、いったいどうなるんやろ・・・」
「そうそう、最近おしっこの切れも悪くなってるしなあ・・・」
と、このグループでは健康の話題が中心でしたが、いざ飲み放題となると、ついつい学生時代に戻り、
ふだんはお高くて飲めないカクテルなんぞをラストオーダーまで次々と注文、結局へろへろになって、
またまた記念品の手拭なんぞを忘れるやつが続出・・・
って、キミたちねえ・・・5年前にも書いたけどねえ・・・
まったく進歩とゆーものがないんかいっ!!!
そう、進歩したわたくしは、一度は失くした手拭もしっかりと・・・(S本さんに探してもらって・・・)
ええ、どうやって大阪まで持ち帰ったのかは、まったく覚えてましぇんが・・・