2017年09月
2017年09月10日
バルセロナ紀行5 サグラダ・ファミリアとか
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
バルのはしご(2軒だけでしたが)ですっかり廻ってしまい、カフェテリアで酔いを醒まして・・・
ふらふらと住宅街にある地下鉄駅へ・・・
ちなみにバルセロナの地下鉄にも・・・
自転車を載せるスペースがあり、そのまま持ち込めるようになっています。
カタルーニャ語とスペイン語で「6月から9月の朝夕ラッシュ時を除く」と書いてある・・・のでしょうか?
と、ちと調べてみると6月はカタルーニャ語でJUNY、スペイン語でJUNIO、フランス語ではJUINでした。
まさにスペイン語でもフランス語でもない、文法も単語も異なる独自の言語なんですね・・・
とか、感心しつつ地下鉄を下りて駅の階段を上がると・・・
135年間、ずっと建築中のサグラダ・ファミリア教会であります。
ま、せっかくなので・・・
ティエリーさんに記念写真を撮ってもらいました・・・
この教会については、それこそ画像や情報がいっぱいありますし、我々は街を歩きたかったので、
周辺をぐるっと案内してもらいました。
ただしティエリーさんによると、この教会は内部が素晴らしいとのことでしたが・・・
ま、さくさくっと・・・
こうすると、建築中であることが隠れますね・・・
以下、時計回りに・・・
ちなみに完成予定は2026年だそうです。
で、こちらは建築現場の作業所・・・
昔は現場ですべての石材加工などをしていたそうですが、だんだん敷地が狭くなってきて、
現在ではほとんど他で加工したものを持ち込んで建設しているとか・・・
さらにティエリーさんによると、この作業所の左側道路の地下にスペイン高速鉄道AVEが通ってて、
その建設にあたっては教会建設側とAVE建設側でずっと揉めてて、反対運動も激しかったそうで、
最終的には大規模な耐震隔壁を地下に設置することで決着したそうです。
ちなみに、市内を走るタクシーは黒と黄色のこのタイプがほとんどでしたが・・・
ティエリーさんに教えてもらったのですが、このエンブレムに注目・・・
日本ではなじみのない、フィアットならぬセアット(SEAT)というブランド・・・
カタルーニャに本拠を置く自動車メーカーだそうで、タクシーとパトカーはほぼ全車がSEATでした。
昔はフィアットのライセンス生産で今はVW傘下だそうですが、カタルーニャ愛に満ちてますねえ・・・
と、帰りは二両連結のバスに乗りました。
(スペインの)闘牛場の前で、ちょうど同型車とすれ違いました。
まさに大型バスの二両連結で、幹線のバス路線を走っているようです。
と、ステイ先の最寄バス停でティエリーさんとはお別れ、ほんとにありがとうございました。
ティエリーさんが個人でやっている「カタルーニャ観光」のホームページはこちらです。
日本語も(大阪語も)堪能で、とても丁寧な対応でしたので、きっぱりと宣伝しておきます。
で、夕食まで時間があったので、ティエリーさんに教えてもらった近くのショッピングセンターへ・・・
ゆっくり買い物をしたいという奥様とも別れ、わたくしはセンター内の食品スーパーで缶ビールなんぞを
買い求めて、しばらくセンター内をふらふらしました。
こちらスポーツショップのアウトドア用品売り場・・・まあ、そんなに目立ったものはなかったです。
こちらは寿司屋さんのようでしたが・・・
なんか変ですね・・・
と、一人でふらふらと海岸へ・・・
夜の8時だというのに、人出もまだまだこれから・・・という感じでした・・・
こちらはヨットハーバー・・・
海岸沿いの遊歩道・・・
こちらは海岸沿いの飲食店街・・・
これからようやくお楽しみ・・・という感じで、どんどん人が集まってきてました。
こちらは・・・
「そごう」が撤退した後にできたカジノだそうです。
と、ステイ先に戻ると、ステイ先のご親戚が立ち寄られてて、下宿中の留学生も一緒に・・・
みんなで記念撮影・・・
その後は下宿している米国からの留学生2人と我々の4人で夕食・・・
二人とも短期留学でスペイン語を勉強中、たまたま同じ下宿になったそうで、一人は明日の早朝から
TGVと直通になったAVEでパリへ出かける予定で、予約したタクシー会社のストを心配してました。
もう一人も明日にはいったん帰国するそうで、まだパッキングしてないのが心配とか・・・
二人とも、とてもまじめな学生で将来の夢や、やりたいことを持ってるけど、なかなか現実は厳しいです、
とも言ってましたが、まあ、若いうちはあちこち旅して、いろんな経験をすることも大事なこと、
おじさんのような歳になると、なかなか思いどおりの行動はできないもんじゃぞ・・・げほげほ・・・
とか、楽しくお話ししました。いやあ、やはり若い頃の一人旅っていいですねえ・・・
と、せっかくなので記念撮影・・・
わははは、しあわせじゃあ!!!
って、二人が手にしているのは、うちの奥様のオカリナとカリンバ(親指ピアノ)!!!
こんなの持って来てたのね・・・と、この後も演奏会とかで盛り上がりました・・・
明日早朝の出発とかパッキングとかで大変なのに付き合ってくれてありがとうね!!!
(次号に続きます。)
2017年09月09日
バルセロナ紀行4 バルめぐり!!!
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
モンジュイック城から下りてきたらお昼を過ぎてたので、135年間ずっと建築中の教会は後回しにして、
念願の「バル(BAR)めぐり!!!」に連れて行ってもらうことにしました。
じつは旧市街を歩いているときにも、あちこちにバルがあり、ティエリーさんに訊いてたのですが、
バルとして飲食営業するのは早くても1時からで、2時からのところも多いとのことでした。
(このあたりはイタリアのバールとは異なるところで後述します。)
さらに旧市街周辺のバルは観光客向けが多いので、もっと地元らしいバルに行きましょう、
と、案内してくれたのは、ティエリーさんが以前住んでいたという市内北西側の住宅街。
で、地下鉄の路線を乗り換えて市内北西部へ・・・
最寄り駅で下ります。
地上に出ると・・・
一階は店舗か事務所で二階以上は住宅になったビルが整然と並んでいる街区で、
いかにも都心の住宅街という感じ、確かにこのあたりには観光客も来ないでしょう。
なかなか素敵な駐輪スペース・・・
と、まずはティエリーさんオススメ一軒目のバルへ・・・
わーい、しあわせじゃあ!!!
時刻はご覧のとおり午後2時過ぎ、近所から軽く飲食する人たちが集まってきています。
ちなみにイタリアではバール、スペインではバルで語源は同じ英語のBARからきているそうですが、
入ってみると、かなり感じが異なりました。
イタリアのバールは基本的に喫茶軽食という感じで、トスカーナでは何度か朝食などに利用しました。
スペインのバルは基本的に居酒屋という感じで、朝はカフェテリア営業している店もあるようですが、
バルとしての営業は1時か2時からで、そのまま深夜までやってる店もあるし、夜からの営業まで
いったん閉める店もあるようです。
ティエリーさんによると、バルセロナの事業所の窓口業務は昼までが多く、デスクワークとかなら、
1時か2時ぐらいからバルで飲んで食べて私用を済ませたりして、夕方にいったん職場に戻り、
7時か8時ぐらいまで管理業務などの仕事をして帰宅するか、バルで軽く飲んで食べてから、
9時か10時ぐらいから本格的なレストランに行ったり、バルをはしごしたり、映画や観劇やスポーツなど
遊びに出かける、というパターンだそうで、バルは生活に不可欠な存在なんですね。
まあ、バールでもバルでもお酒もコーヒーも飲めるしレストランやカフェを兼ねている店も多いですが、
バルセロナでは別にカフェテリアも多かったので、やはりバルは居酒屋がメインなんでしょうね。
また、注文や支払いの方法も、バールとバルでは異なってました。
バルの店内はカウンター席と簡単なテーブル席が一般的で、表にテラス席のある店も多いようです。
閑話休題
テーブル席に座り「とりあえずビール」とティエリーさんに伝えたのですが「はいはい」というだけで、
いっこうにオーダーに行く様子がありません。
やはりイタリアのリストランテと同じで、ウェイターを呼ばずに来るのを待ってるんですね。
「この時間帯にバルに入るということは、それなりの飲食を楽しむ時間があるということ。
決して急いではいけません。あまり時間がない場合はカウンター席を利用します。
それより余裕があるならテーブル席へ、さらにゆっくりするならテラス席へ、が基本です。
それぞれの担当が確認してますので、タイミングをみてウェイターが来ます。とはいいつつ・・・
あんたはせっかちといわれる日本人の中でも、特にせっかちといわれる大阪人やったな・・・」
「わははは、そのとおり。全国調査で大阪の平均歩行速度は東京を抜いて日本一じゃ!!! いらいら・・・」
と、例外的にオーダーに行ってもらって・・・
まずはビールで乾杯!!!
で、カウンターの手前にあるのが冷菜のタパスで、向うの爪楊枝に刺してあるのが、
さらにお手軽なピンチョス、どちらもバルのはしごには欠かせないつまみ・・・
と、ティエリーさんオススメのピンチョスをまたまたオーダーしてきてもらい・・・
テーブルに届いた頃には、すでに一杯目のビールが空いてました。
さすが日本一「いらち(せっかち)」の大阪人!!! ぱちぱちぱち って、よろこんでる場合かっ!!!
と、さらにオーダーしてもらってたティアリーさんオススメの温菜のタパスも出てきたのですが・・・
二杯目のビールがなかなか出て来ません。いらいらいら・・・
「こんなにゆっくり出てくるなら、タパスもピンチョスもおいしいし、種類もいっぱいありそうなので、
ここでまったりと腰を据えて、片っ端から食べ続けて飲み続けましょう!!!」
「いや、バルでは軽く食べて飲んで、次々と別のバルに移るのが地元の楽しみ方ですよ。」
「うーむ・・・どうしようかな・・・といいつつ、2杯目が来ましたね。ぐびぐび・・・」
と、おいしいピンチョス各種とタパス各種でかぱかぱ飲みつつ、ティエリーさんに伺います。
「バルセロナはトスカーナよりかなり西なのに標準時間は同じ、ということもあるのでしょうが、
昼食や夕食の開始時間がトスカーナより、さらに1時間は遅い感じですがいかがでしょう?
日本となら2~3時間ぐらいズレている気がします。ステイ先の夕食は9時からだそうですし。」
「9時ならかなり早いですね。もっと遅くから外へ飲食に出たり遊びに行ったりするのが普通です。」
「わたしが入院してた時の夕食なんか4時半からでしたよ。」と、うちの奥様。
「あははは、4時半というと、バルセロナでは昼食を食べ終える時間ですね。」
「まあ、わたくしが2年前に立ちゴケ骨折で入院した時は、さすがに6時からになってましたが・・・
ティエリーさんもご存知のとおり、日本なら仕事帰りに飲む時でも遊ぶ時でも、まあ6時か7時から、
で、いくら遅くとも平日なら12時か1時には帰宅して寝ますよね・・・
こちらも仕事や学校は朝9時からでしょ? 毎晩遅くから飲んだり遊んだりして、いつ寝るのか・・・
そうか、そのために長い昼休みのシエスタ(お昼寝)があるんですねっ!!!」
「いやいや、長い昼休みにお昼寝するのは農家など一部だけで、都市ではみんな起きてます。」
「えーと、夜は遅くまで飲んで遊ぶし、長い昼休みも寝ないとなると、いったい、いつ寝てるの???」
「だから・・・仕事中とか、授業中とか・・・あははは」
と、少し落ち着いたところで・・・
次の店に向かいます。
こちらはたっぷりと時間がある人たちですね・・・
ティエリーさんオススメ2軒目のバルへ・・・
バルセロナでもバルには必ずサッカーなどの中継用の大画面テレビがありました。
同じバルといっても、つまみはまったく別種類で、こちらは肉類やチーズがウリのようです。
まあ、一軒目でけっこう食べたので・・・
こちらでは軽く乾き物のタパスと赤ワインを一杯だけ・・・
で、最初はバルを延々とはしごするつもりだったのですが、前夜の睡眠不足と歩き疲れからか、
2軒はしごしてビール2杯とワイン1杯だけで、けっこう廻ってきました。ひっく
「さて、次のオススメのバルは交差点を渡ったところに・・・」
「いや、もうけっこう廻ってきました・・・建築中の教会にも行かないといけないし・・・げふっ」
と、次に案内してもらったのは、ま、サンドイッチなどがメインのカフェテリアですね・・・
こちらは日本と同じセルフサービス式で、やはりティエリーさんオススメの・・・
新鮮なミルクを使って専用のマシーンで淹れる名物のドリンク・・・
と、その左に見えている、やはり専用マシーンを使った・・・
地元(といっても隣の州ですが)名物バレンシア・オレンジの搾りたてジュース!!!
ちなみに一杯分で、小ぶりでしたが6個のバレンシア・オレンジを投入してました。
見てると皮むきも全自動で、まさに果汁だけを抽出する専用マシーンなんですね・・・
と、こちらも地元名物のデザート(出来上がってて名前忘れたけど・・・)
いやあ、どれもおいしかったです。
ティエリーさんのカタルーニャへの愛情あふれるお話が続きます。
「うちではテレビも新聞もインターネットもカタルーニャ語なので、カタルーニャ独自の文化に浸ってますね。」
「ロードバイクはいかがです? ブエルタ・ア・エスパーニャとか・・・」
「あれはあくまでスペインのレースです。カタルーニャには独自のロードレースの大会があり、みんなそちらで
大いに盛り上がってますね。自転車もサッカーも大人気で盛んですが、こちらでは何といっても・・・」
と、見せていただいた資料がこちら・・・
そう、スペインの闘牛に対してカタルーニャでは「人間の塔」で、やはり一時期、弾圧されていたのが、
今では最大のイベントとして一番盛り上がっているとか・・・
ちなみにこちらのお店・・・
ゲーム機やタバコの自販機もあり、飲み物や食べ物のテイクアウトもできて、日本でいえば、
喫茶店とコンビニの機能もあるようで、これはイタリアのバールに近いですね・・・
と、我々にとっては遅めの昼食となりましたが、この後はいよいよ・・・
135年間ずっと建築中のサグラダ・ファミリア教会へ・・・
(次号に続きます。)
2017年09月08日
バルセロナ紀行3 モンジュイック城
(期間限定のお知らせ)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月26日は旧市街から(8月17日にテロ事件のあった)ランブラス通りを歩いた後・・・
通り沿いにある有名なオペラ劇場「リセウ大劇場」前から・・・
ふたたび地下鉄へ・・・
ティエリーさんの案内でモンジュイックの丘にあるモンジュイック城へ向かいます。
2駅で地下ケーブルカー(Funicular Montjuic)に乗り換え・・・
ま、一部地表にも出ましたが・・・
けっこう急角度のケーブルカーでした。
丘の中腹にあるモンジュイック公園駅から山頂へは・・・
バスもあるようでしたが・・・
やはりここは・・・
けっこう待ち行列のあった・・・
ゴンドラ・リフト(Teleferic Montjuic)にて・・・
ま、せっかくなので・・・
ティエリーさんに記念写真を撮ってもらいました。
ゴンドラからは・・・
バルセロナの街が一望できました。
中央には135年間ずっと建築中の・・・
あの有名な教会も・・・さすがにデカいですね・・・ま、この教会についてはのちほど・・・
で、真ん中あたりで90度ターンすると・・・
今度は海側が一望できます。まさに城塞にふさわしい地形ですね。
山頂駅に到着・・・
すぐ前が・・・
モンジュイック城であります。
近代まで要塞や刑務所として使われていたため・・・
比較的新しい砲もありました。
こちらは旧式の榴弾砲ですが・・・
確かにここからなら・・・
港や地中海も・・・
バルセロナの市街地も射程内に収まりますね。
ま、せっかくなので記念写真・・・
ちなみに海側も市街地側も狙えるよう、360度の旋回式になってますね。
城の側面に廻ります。
この辺り、独裁政権時代には多くの政治家などが銃殺されたところだそうです。
今はスポーツやライブのイベント会場になってるようです。
ちなみに現在、城にはためいているのは・・・
カタルーニャの州旗であります。
こちら側からは市内がよく見えます。
先ほどもゴンドラから見た、135年間ずっと建築中のサグラダ・ファミリア教会・・・
ローリスさん宅のお隣さんもずっと建築中とはいえ、こちらに較べればまだまだですね・・・
こちらもアントニオ・ガウディ作のグエル公園・・・
木が茂っててよく見えませんが、市街地から山の中腹の白い建物までが公園です。
もともと、この一帯を芸術的な住宅地に開発して60戸の分譲をする予定でしたが、結局買ったのは、
スポンサーのグエルとガウディ本人の二人だけで、のちに芸術的な公園として寄付されたそうです。
闘牛場でしょうか・・・
ちなみに闘牛はスペインの文化でカタルーニャの文化ではないとか・・・
そういえば、あちこちの表示もスペイン語とカタルーニャ語の併記ですし、ティエリーさんによると、
カタルーニャ語はフランス語やイタリア語に近く、バルセロナではスペイン語を話さない人も多い、
テレビもラジオも新聞もインターネットも、今はすべてカタルーニャ語版があり、自分もすでに長く
カタルーニャ語で暮らしているが、スペインとはまったく異なる文化圏ですよ、とのことでした。
またアラゴン・カタルーニャ連合王国時代には地中海の大部分を支配していたが、その後は負け続きで、
結局はスペインに(北部の一部はフランスに)支配されてしまい、自治権を与えられたり奪われたり、
独自の文化や言語も禁止されていたけど、'90年代以降、ようやく認められるようになったとも・・・
ちなみに城の内部(有料)には、今は見るべきものがない、ということでしたのでパスしました。
(後日調べると、以前は充実した軍事博物館があったようですが、今は縮小されているとか・・・)
などと、お話を聞きつつ再びゴンドラ・リフトに乗って下界へ下ります。
「ほら、ゴンドラの真下の公園に見える、あの彫像・・・」
「あれはサルダーナというカタルーニャの伝統舞踊で、フラメンコとは対照的な静かな踊りです。
この踊りもスペイン政府によって長年禁止されてたので、今ではカタルーニャの象徴とされてます。」
と、ゴンドラを下りて・・・
ケーブルカーに乗り換えたのですが・・・
「さて、次は135年間ずっと建築中の教会へ行きましょうか。」
「いや、その前に喉も乾いたし、お腹もすいてきたので、そろそろ・・・」
と、ついに念願のバルめぐりに連れて行ってもらうことに・・・じゅるじゅる・・・
(次号に続きます。)
2017年09月07日
バルセロナ紀行2 旧市街散策
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月26日は朝からバルセロナの旧市街を散策しました。
スペイン・カタルーニャ州の州都バルセロナ・・・
今や世界でも有数の観光都市で、うちの奥様がイタリア・トスカーナでのホームステイからの帰りに
ぜひ寄ってみたいと4泊5日(実際には予期せぬ欠航で3泊4日に)の日程を追加してたのであります。
まずはステイ先から歩いてすぐの地下鉄最寄駅へ・・・
券売機の使い方を説明してくれてるのは、今回うちの奥様がネットで一日ガイドをお願いしていた、
なんとフランス人!!!・・・のティエリーさん。
バルセロナでは数少ない政府公認ガイドでスペイン語やカタルーニャ語はもちろん英語、日本語など、
多くの言語を自由に操れ、しかも大阪の
(ご本人から連絡があり修正しました。ご本人は「書き直さなくてもええで!!!」とのことでしたが・・・)
もちろん、フランス人としてはただ一人の政府公認ガイドであります。
で、さっそく大阪語で尋ねてみました・・・
「ところであんた、フランス語は話せるんかいな?」
「フランス語はあきまへん・・・って、ちゃうちゃう、さっきからフランス人やて言うてるやないかっ!!!」
と、大阪語の高度な活用法「一人ボケ・ツッコミ」もできるという、まさに語学の達人!!!
世界中を旅するのが好きで、若い頃はあちこちで語学教師をしながら暮らしたけど中年になってからは
大好きなバルセロナに定住して、その素晴らしさを伝える個人ガイドの仕事をしているとのことでした。
また、カタルーニャへの思いが充分に伝わらないので団体客や大手旅行社の仕事はすべて断ってるし、
観光シーズンで最もガイド依頼の多い8月は、自分自身が旅に出たいので毎年自主休業にしてるし、
まあ、あんまり儲かりまへんわ・・・ともおっしゃってました。
カタルーニャの素晴らしさを伝えたいという思いは(おそらく原住のガイド以上に)充分に伝わってきて、
事前のやり取りでも、早めの予約が必要な施設もあるのでと、何度も希望を訊いてくれてたのですが、
わたくしは有名な美術館などの内部見学よりも、むしろ市街を散策して街の歴史と雰囲気を感じたいと
お願いしてて、それなら地下鉄で移動してバルセロナの歴史をメインに案内しましょう、となった次第。
ま、バルセロナもフィレンツェと同じく世界的に有名な観光都市ですから、ネット上には画像や情報が
いっぱいありますので、こちらの記事では、わたくしが面白いと思った部分だけを紹介します。
バルセロナ地下鉄の改札。
日本の自動改札に似てますが、市街なら同一料金なので改札前に切符や回数券を入れてゲートを通過、
出るときには開いてるゲートをそのまま通過するだけです。
一枚の回数券で一度に何人でも使えるので便利ですが、日本の自動改札に慣れてたら間違いなく、
投入口に還ってくる回数券を回収せずにゲートを通過してしまいますね。
ちなみに東京や大阪と同様、市街地を網の目のように走る地下鉄ですが、駅構内にトイレは一切なく、
ティエリーさんに訊いたところ、以前に市議会で駅にトイレを設置すべきとの質問があったのに対し、
当時の市長が「地下鉄の平均乗車時間は短いので我慢できる。だから要らない。」と答えたとか・・・
たしかにフィレンツェなどでも公衆トイレは少なく、街中あちこちにあるバルやカフェテリアを利用する、
という習慣がここでも定着しているんでしょうね・・・
自治体や鉄道事業者の予算が厳しい中、清潔に保つために有料トイレを設置するよりは合理的ですね。
そういえばフィレンツェSMN駅の有料トイレの料金は、バールのコーヒー代とあまり変わりませんでした。
まあ、「トイレだけでコーヒーを飲んでる時間なんかない。」という忙しい日本人には不向きか・・・
さらにちなみに・・・
イタリアでもそうでしたがドアを開けるのは押しボタン式、いくら待ってても開きません。
ラッシュ時とかは車掌さんが開閉するそうですが、秒単位の時刻表で運行していて、
駅の停車秒数でも調整している日本の地下鉄には、やはり不向きかも・・・
と、いったん一駅分だけ地下鉄に乗って、地上へ出ました・・・
レンタル・セグウェイとか・・・
乗り捨て自由のシティ・サイクルとか・・・
自転車とか歩行者とか・・・
歩行者の素敵なおねいさんとか・・・
ま、こんなのもありましたが・・・
そう・・・
ご覧のとおり、車道を狭め歩道を拡幅して専用レーンを設置、クルマ以外の交通手段を優先する街への
転換が進んでいて、道幅の狭い旧市街などはクルマの進入そのものが制限されてるようでした。
大通りでは・・・
バスと・・・
タクシーが多かったです。
ま・・・古い街には・・・
やはりクラッシック・バイクが絵になりますねえ・・・
と、海側から旧市街へ向かいます。
やや上り坂になっているのにお気づきでしょうか・・・
突き当りに見えてきたのが・・・
旧市街へ入る城壁跡・・・はるか昔は城壁の外がすぐに海岸だったとか・・・
そう、ティエリーさんの資料によると・・・
まさに左奥⑨の城門あたりの外側に立っています。(画像をクリックすると拡大します)
ティエリーさんは政府公認ガイドだけあって「一人ボケ・ツッコミ」だけでなく街の歴史にも詳しく、
古代ローマ帝国によって造られた遺構から年代順に、旧市街を案内してくれました。
古代ローマの遺構は大部分が地下に埋まってて、その一部が基礎や壁面として利用されてます。
で、先ほどの資料でローマ神殿のあった中央広場まで緩やかに上っていくと・・・
当時の中央広場のあったところが・・・
左にある市役所前の広場になっています。
市庁舎など広場を囲む建物も歴史があり、まさに歴史の積み重ねですね・・・
玄関前ではデモ隊が気勢を上げてましたが、ティエリーさんによると、いつものことだとか。
デモ隊を眺める通行人とサイクリスト・・・
で、ここの地下には・・・
中央広場にあったローマ神殿の円柱部分が・・・
なんと、
一部そのまま残っているのであります。
たまたま建物の柱の一部として中世以降も奇跡的に残ってたそうで・・・
古い碑文とともに地下まで発掘して保存・公開されています。まさに歴史の積み重ね・・・
で、こちらも地下に保存されていた・・・
古代ローマのロードバイク・・・なのかっ???
こちらは中世の有名な教会・・・
そう、おなじみ「怪獣たちのすむところ」・・・
で、さらに時代が下って・・・
コロンブスがアメリカ大陸から帰国後にイサベル女王に謁見した宮殿の中庭「王の広場」・・・
で・・・
有名な門と手形と碑文・・・だったはずですが、説明を聞き逃してしまいました。
有名な航海日誌の重要な部分の写し・・・だったはずですが・・・
こちらも有名な教会と広場・・・
こちらは1888年開催のバルセロナ万国博にあわせて改築されたそうで・・・
その前は・・・
もっとシンプルだったそうです。よく見れば窓や入口の位置はそのままですね・・・
と、ようやく旧市街を抜けてきました。
ローマ時代の城壁と水道橋の一部を利用しています。
そう、冒頭で紹介した資料の・・・
ちょうど右端③の城壁・水道橋部分で、これでローマ時代の旧市街を横断したことになります。
その間に古代ローマからロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと各時代の遺構や建物がありました。
バルセロナも、今回の旅で歩いたカターニャやシラクーサ、フィレンツェやルッカ、ピサなどと同じく、
旧市街を歩くと、古くからの都市の歴史を感じさせてくれます。
今回は極めて短時間でしたが、ティエリーさんの効率的な案内で、その概要を知ることができました。
と、新市街へ出たところがメインストリートの「ランブラス通り」で、この通りを・・・
有名なミロのモザイク・タイルのあるところまで歩きました。
そう・・・
この3週間後の8月17日に暴走車によるテロ事件があり、多くの方々が亡くなられたルートです。
フィレンツェやピサでは完全武装した警備の兵士もいましたが、クルマだけなら爆弾や銃と異なり、
簡単に入手できますし、人通りの多い道路での暴走を防ぐことなど、どの街でも不可能でしょう。
日本にいるとテロを意識することはまずありませんが、暴走事件や暴走事故は発生していますから、
ヨーロッパに限らず人通りの多い歩道では、クルマの暴走にも注意するしかないですね。
あらためて、ここのテロで亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
(次号に続きます。)
2017年09月06日
バルセロナ紀行1 やっとバルセロナへ!!!
(期間限定のお知らせ)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
「トスカーナの休日」カテゴリのタイトルも、今回から一応「バルセロナ紀行」になります・・・
フィレンツェからスペイン・バルセロナへの搭乗予定便が大幅に出発遅延の末、ついに欠航となり、
フィレンツェで丸一日の足止め、さらに翌日も空港では、雷雨の影響からか臨時便の出発時刻が
きても搭乗案内もなく、しかも何の表示も出ませんでした。
後の便が次々と離陸していく中、前日のキャンセル便に搭乗予定だった人たちだけが取り残され、
ずっと同一行動でしたから顔見知りもでき、わざわざ遅延情報を提供してくれる人もいました。
航空会社からの説明がないうえ、空港のフリーWiFiも繋がりにくく電話とSMSのみ、しかもバルセロナとの
連絡だけで、そちらにも情報は入ってなかったので、この情報提供はありがたかったです。
で、出発時刻をかなり過ぎてから、やっと搭乗案内のアナウンスがあり、この時はキャンセル仲間から、
一斉に歓声が上がってました。そりゃあ一日遅れのうえ今日も飛ぶのか不安でしたからねえ・・・
ようやく雷雨が止み青空も見え始めた頃、やっと臨時便の機内へ・・・
ところが、雷雨待機の影響で滑走路が混みあってたのでしょうか・・・
すっかり日が傾いても、いっこうに離陸しません。
結局、この日も予定より2時間以上遅れ、遅い日没とともにようやく離陸・・・
今度こそ本当にトスカーナとお別れであります。
ま、雲海のうえは・・・
ずっと夕焼けが続いてました・・・そりゃあ、ずっと真西に飛び続けてますから・・・
イタリア・トスカーナ州・フィレンツェからスペイン・カタルーニャ州・バルセロナへは、
ほんのちょっと地中海をかするだけ・・・ではなく、地中海をほぼ横断するんですね・・・
わたくし、なにせヨーロッパははじめてで、まったく地理的な感覚がありませんでした。
で、夜遅くになり、丸一日以上の遅れでバルセロナ空港に到着・・・
機長から無事着陸のアナウンスがあった時にも、機内からは歓声と拍手が沸いてました。
搭乗予定便の欠航でご迷惑をおかけしていた旅行社の現地スタッフに空港から案内していただき、
バルセロナで四日間(本来なら五日間の予定でしたが)お世話になるお宅へ・・・
そう、バルセロナではうちの奥様が、ネットで短期ステイできるお宅をお願いしていたのであります。
お宅は港に近いバルセロナ・オリンピック(1992年開催)の選手村として建築された集合住宅の一画で、
オリンピックではバレーボール選手の宿泊に使われていたという、中庭付きの広い一階部分でした。
で、ご家族が少なくなってからは2部屋を留学生向けの下宿にされてて、夏休みの長期帰省とかで、
一時的に空き部屋が出た場合に、短期ステイも受け入れておられるようです。
そういえばバルセロナのあちこちに「今年はオリンピック開催25周年!」のポスターが貼ってありました。
ちなみに、この時のバルセロナ・オリンピックと、わたくしとの関係なんですが・・・
わたくしのカヤックのうち一艇は、この時のスラローム競技の優勝艇だったかを、その年に市販化した、
「パーセプション・リフレックス」モデルで、もう25年前になるんですねえ・・・
ま、今では腹回りがきつくて乗れませんが・・・
閑話休題
到着が一日遅れの深夜になり、しかも旅行社を通じての要請などしていなかったにもかかわらず、
「夕方からずっと待機でお腹が空いてるでしょう。」と、軽食を用意して待ってくれてました。
いやあ、これはありがたかったですね。
と、結局・・・
ホテルや空港での待機と移動だけで深夜になってしまった(一日遅れの)バルセロナ初日でしたが、
最後に歓待を受けたので、ま、「終わりよければすべてよし」ということで・・・
(次号に続きます。)