2020年01月

2020年01月26日

「阪堺電車177号の追憶」と上町線の謎???

今回はご近所を走る阪堺電車を題材にした小説のご紹介・・・と、

阪堺電車の上町線に関する、わたくし懸案の謎???についてであります。

まずは・・・

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「阪堺電車177号の追憶」山本巧次著 早川書房 2017年9月発行・・・


裏表紙・・・

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ひょんなことから阪堺電車の上町線についてネットで調べてて、この小説を知ったのですが、
今回ようやく読むことができた次第。


(2022年1月追記です)

たまたま撮ったモ161号(帝塚山4丁目停留所付近にて)

PC200661

ちなみに定期運用されている電車としては日本最古となった阪堺電気軌道のモ161型ですが、
実際に製造された車両は161号から176号までで、177号とゆー車両は存在しません。
(ただし、この小説が評判になり1日だけ177号に書き換えた同型車両がほんまに走ったようで、
阪堺はんも、なかなか粋なことをしはりますな・・・)


例によって目次のみ・・・

DSCN5091

小説作品なのでストーリーなんぞは紹介できませんが、昭和8年から平成29年まで、177号の
独白ではじまる各章が、その時代を反映した軽いミステリー仕立てになってて、各章の登場人物も
さりげに何人かが繋がっていたりと、とてもほっこりさせてくれる佳作・・・だったんですが・・・

何せ全編の舞台が阪堺電車の車中と沿線、しかも殆どが住吉交差から僅か数停留所の範囲内!!!
ええ、この辺りに長年住む者としては、沿線の情景描写がたまりませんでした。

車両や沿線はもちろん、時代も人物もストーリーも丁寧に描き込まれており、なじみのない方でも
充分に楽しめますが、身近な沿線住民からすれば、まさに珠玉の貴重な作品ですね。

わたくし作品では第三章つまり昭和34年ぐらいからしか実記憶がないのですが・・・

小学生の頃のテリトリーつーか遊びに行く範囲といえば、西は国道26号線まで、東は阿倍野筋
(当時は十三軒道路とか13号線とか呼んでましたね)まで、南はせいぜい細井川あたりまで、
北は塚西、姫松あたり(今で言う南港通り)まででしたから、まさにこの作品の舞台そのものですね。

たまに自転車で大和川まで行ったり長居公園まで行ったりするのは大冒険でしたし、上町線で
天王寺に出たり、南海で難波に出たりする際は、たいてい大人と一緒でした。

もちろん、その後の行動範囲は広がりましたが、天王寺に出る際は今でも上町線まで歩きますし、
自転車でふらふらしてても、必ず一度や二度は阪堺線・上町線の軌道を渡ったり並走したりします。
(ちなみに自転車で軌道を渡る際は直角に近い角度で渡らないと、必ずコケます。)
さらに息子たちが小さい頃は、せがまれてよく住吉交差まで行き交うチン電を見に行ってましたし、
数回の宿替えはありましたが、チン電はずっと身近な存在なのであります。

で、わたくしが小学生の頃の沿線風景は、大邸宅と商店と下町が混在してたものの、何となく
棲み分けてたような感じだったのが、中学生になる頃から大邸宅の跡地やそれまであった空き地に
一度に何十軒もの建売住宅ができたりして、古くからあった長屋以外にも小住宅や集合住宅が
一気に増えました。まさに高度成長期の真っ只中だったんですね。

当時の住吉大社はじめ神社やお寺の境内は荒れ放題、広大な邸宅の庭池跡も放置されたままで
探検したり秘密基地を作ったりの毎日、住吉公園や万代池公園で遊ぶよりずっと面白かったです。

また紀州街道・熊野街道・住吉街道などの沿道には、重厚な家並みも所々に残ってたのですが、
やはりバブル前後からでしょうか、特に表通りはすっかり様変わりしてしまいました。

ま、今は神社やお寺もきれいに整備され(秘密基地は作れなくなったけど)、街並みや道路も
明るくなって(探検する場所がなくなったけど)、住吉大社や粉浜商店街の外国人観光客も増え、
休日には史跡めぐりや撮り鉄のみなさんを数多く見かけますし、これはこれでよかったかと・・・
ただし住民は(わたくしも含め)高齢者が目立つようになりましたが・・・げほげほ

と、身近な存在のチン電と沿線の生活を、この作品であらためて振り返ることができました。



で、この阪堺電車に関する、わたくしの疑問つーのが・・・

上町線が高野線を跨いだのはいつなのか???であります!!!

ま、それが分かったからどーだ、つーこともないのですが・・・

とりあえずウィキの記述を時間軸で整理してみると・・・(カッコ内は現駅名・現停留所名)

・南海・高野線が(汐見橋)から(堺東)まで開業したのが1900年9月3日
・同線の住吉駅が(住吉東)駅に改名したのが同年9月11日
・上町線が天王寺南詰から上住吉(神ノ木)まで馬車鉄道で開業したのが1900年11月29日
・上住吉(神ノ木)から下住吉(住吉)まで馬車鉄道で延伸開業したのが1902年12月27日

つーことなんですが・・・

まず、高野線の開業から僅か3ヶ月後に馬車鉄道がその上を跨いだ!!!とは考えられないので、
・当時終点だった上住吉(神ノ木)停留所は高野線東側の地上にあったのではないか???
(「マッサン」竹鶴政孝がウィスキーの研究をすることになる摂津酒造の北隣あたり???)
で、開業の2年後には上住吉(神ノ木)から下住吉(住吉)までの区間を延伸開業してるので・・・
・この間に高野線を跨ぐ工事をして上住吉(神ノ木)停留所も高架上西側(現在地)に移設した???
と推測したのですが、上住吉(神ノ木)停留所を延伸後に高野線東側から西側(現在地)に移設した
といったハナシは、ネット上では見当たりませんでした。

仮に最初から上町線が高野線を跨いでて終点の上住吉(神ノ木)停留所も現在地だったとしても、
・電車でも難所になってる急なスロープを果たして馬車で上下できたのだろうか???
はたまた、
・下住吉(住吉)まで上町台地を下る急なスロープも馬車で上下できたのだろうか???
とゆー疑問が残ります。

ちなみにウィキでは、
・上町線の改軌・電化・複線化工事が完成したのは1910年で開業は10月1日
となってますので、遅くともこの時点では上町線が高野線を跨いでいたのは間違いないでしょうし、
電化・複線化されて対面式のホームを持った神ノ木停留所が高架の西側に存在していたことも、
間違いないのでしょうが、この間、つまり1900年の馬車鉄道開業から1910年の電化複線化まで
10年の間で、いつ路面電車が鉄道を跨ぐようになったのか、神ノ木停留所は当初どこにあったのか・・・

そう、わたくし・・・

Q1 上町線が最初に高野線を跨いだのはいつだったのか???馬車時代か電車時代か???
Q2 当初の終点、上住吉(神ノ木)停留所はどこにあったのか???地上か高架上か???

とゆー疑問が数年来ずっと頭の中に残っています。(だからどーだとゆーこともないけど・・・)

何せ路面電車が鉄道を跨ぐとゆー世界でも珍しい光景で、撮り鉄の方々も多く来られてますので、
どなたか教えていただければと・・・


2021年1月追記です。
「阪堺電車物語」(長岡靖久著 論創社 2011年11月30日初版第一刷発行)によると、
本文には天王寺西門前から東天下茶屋まで馬車鉄道で開業したのが1900年9月20日で、
上住吉(神ノ木)までは1900年11月、下住吉(住吉)への延伸が1902年12月とありましたが、
各電停データでは、天王寺駅前から東天下茶屋までの開業は
1900年9月20日で本文と同じ
なんですが、
北畠から住吉までは全て1900年11月29日の開業となってました。
これはおそらく本文のほうが正しく、下住吉(住吉)の開業は1902年12月27日でしょう。
ちなみに住吉から住吉公園駅への延伸開業は1913年7月2日だそうです。
残念ながら上町線が高野線を跨いだ時期や上住吉(神ノ木)電停の開業当時の位置についての
記述はありませんでした。

ちなみにウィキによれば天王寺南詰(天王寺駅前)から天王寺西門前(当時は天王寺)への延伸は
1900年9月20日ではなく1900年11月29日から1902年12月27日までの間で、1921年10月21日に
その区間を大阪市電に譲渡したとなってましたが、はてさて・・・
同じくウィキには天王寺(西門前)から下住吉(住吉)間の馬車鉄道による旅客営業を廃止し、
改軌および電化・複線化工事に着手したのが1908年1月31日、電車の運転を開始したのが
前述のとおり1910年10月1日とありますから、少なくとも
1902年12月27日から1908年1月31日
までは
上住吉(神ノ木)~下住吉(住吉)間でも、単線の馬車鉄道が走ってたことになりますが、
1900年11月29日から南海高野線を跨いだ高架上に終点の上住吉(神ノ木)があったとしても、
それをわざわざ単線の馬車鉄道用から複線の電車用に作り直したのか???
それとも当初から改軌・電化・複線化を見越した現在の高架にしてたのか???
やはり謎は解けないままであります。




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2020年01月23日

最新版!!!98k式!!!部隊鍋(プテチゲ)

ぽんぽこぽこぽこ ぽんぽんぽん ぽこぽこぽんぽんぽん

さて、きょうの料理の時間は・・・

キャンプ宴会以外でも週に一度は作ってて、毎回進化してるのに長らく紹介してなかった・・・


最新版!!! 98k式!!!部隊鍋(プテチゲ)であります!!!


①材料4人前(今回は一般的な分量だったので表記しました。)

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野菜など・・・
・白菜 1/2個
・にら 1束
・玉ねぎ 大1個
・白ネギ 2本
・鍋用もやし 1袋
・エノキ 1パック
・シメジ 1パック
・にんにく 2房(2粒ではありません)
・木綿豆腐 1丁

肉・魚介類など・・・
・ボロニア・ソーセージ 300g1本
(スパム缶より安くて、けっこう美味しいのでオススメです)
・ウインナ・ソーセージ(贅沢にシャウエッセン) 1袋(6本)
・ちくわ 4本
・アサリむき身 約50g
・豚肉(しゃぶしゃぶ用) 約300g
・冷凍水餃子 12個

調味など・・・
・キムチ鍋の素 1本
・白菜キムチ(なるべく熟成したもの) 約400g
・(好みにより唐辛子・チーズ・麺スープ・白出汁などを追加)

〆として・・・
・中華太麺 4玉
・(好みによりご飯・卵・餅などを追加)

以上であります。


②作り方

・食べやすい大きさに切った白菜の白い部分、白ネギの青い部分、にんにく、ちくわ、しめじ、あさり、
玉ねぎを、旨みを出すため先に鍋に入れ、周囲に木綿豆腐をそぉっと並べる。
・キムチ鍋の素と定量よりやや多めの水を鍋に加えて強火で煮込む。
・旨みが出たら食べやすい大きさに切ったボロニア・ソーセージ、シャウエッセンを並べ中火に。
・ソーセージ類の旨みも出たら、白菜キムチ(汁ごと)、にら、もやし、えのき、豚肉の順に乗せ弱火に。


③食べ方

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・ともかく、がつがつ食べる。ただし、周囲に入れた豆腐は崩さないように掬い取る。
・味が濃くなってきたら白ネギの白い部分、白菜の青い部分、熱湯かスープを追加。
・その後に水餃子や入りきらなかった食材を適宜投入し、ひたすら食べ続ける。


④〆方

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・中華太麺を2回ぐらいに分けて投入、ひたすら食べる。こんな場合は熱湯かスープを追加。
(この太麺、かなり煮込んでもぶよぶよにならないので、最近ハマってます。)
・それでも足りない場合は、ご飯を入れ、とき卵を上からかけて雑炊にする。


今回は約1名が口内炎だったため辛味は控えめでしたが、通常は唐辛子を大量追加します・・・

そう、この日はわたくしの実家で学生時代のサークル仲間4人での新年会だったのであります。

ちなみに、この日の飲み物は、いただきものの本物ビールを手始めに・・・

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いただきものの高級な日本酒が各種・・・


そして・・・

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わたくしが用意した、安物ウィスキーと白酒(バイチュウ)とビールもどきでした。

そーいや、安物マッコリを買うのを忘れてたな・・・


(donchanさんからコメントをいただいて補足追記しました。)

部隊鍋プテチゲは在韓米軍から流れてきたスパム缶とインスタントラーメンと常備食だったキムチを
ひとつの鍋にぶち込んで、部隊の仲間でつつき合った韓国軍兵士の鍋料理がルーツだそうで、
これが除隊した兵士から学生など若者に広がり、当時は一人鍋が常識だった大人たちから、
「日本人みたいな下品な食べ方」とひんしゅくを買ったそうですが、やがて全国に普及したようです。

ともかく安くて手軽で腹いっぱいになることが重要で、スープもインスタントラーメンに付いてる
粉末スープとキムチの汁だけ、スパム缶とありあわせ材料をぶち込んで煮込むのが基本です。

そう、これって、わたくしが50年以上前からキャンプでやってた基本料理だったんですね。
ま、当時スパム缶はあまり流通せず高かったし、わたくしは魚肉ソーセージでしたが・・・
キムチの汁を入れれば美味しくなる、でも大量のキムチは日本ではそれなりのお値段になるので
ラーメンの粉末スープ、粉唐辛子、にんにく、日持ちするタマネギなどで麺鍋にして食べてました。

クーラーボックスなど贅沢な、担いで行くキャンプではキムチは保存食であり生鮮食品であり、
常温で発酵がすすんで食べにくくなっても鍋に入れればいい出汁になる・・・
とゆーことを経験したのも担いで行くキャンプでした。まさに部隊鍋だったんですね。

で、最新版の98k式では今回のような材料を使ってますが、基本のスパム缶かソーセージ、麺、
そしてキムチさえ押さえておけば、バリエーションは無限なのでありますね。じゅるじゅる




m98k at 01:23|PermalinkComments(2) mixiチェック 糧食、飲料 | キャンプ・川下り

2020年01月20日

ツールボックスとか・・・

とーとつですが、お世話になっている方からのいただきものであります。



ご本人がお仕事で愛用されてて、わたくしも「それ、いいなあ」と言い続けてた・・・

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そう、

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トラスコ中山の・・・




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プロツールボックス・ODグリーンであります。




このシリーズは、ごくふつーのシンプルなツールボックス・・・

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なんですが・・・

お値段と軽さに較べた丈夫さ、プロユースでの信頼性・・・ついでに色合い・・・
と、トータルバランスではベストの製品ではないかと以前から思ってました。

ただネットでは以前より値上がりしてたのと、書き込みで少し気になる点があったので、
購入するか悩んでたのですが(いただいたので価格は別として)、気になってた点が・・・

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まずハンドル部の端仕舞・・・


そう、

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フタの凹んでる部分に雨水とかが溜まった場合、そのまま内部に浸水する構造なんですね・・・
ま、完全防水の「プロテクター」シリーズも出てますから、アウトドアでのハードな使用とかには、
そっちを使ってね!!!つーことなんでしょうが、さらにお高く重く外寸も大きくなることだし・・・


で、こちらをアウトドアでも使う予定のわたくしは、とりあえず・・・

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フタの裏側に同色の!!!ビニールテープをペタペタと貼ってみました・・・




さらにもう一ヶ所・・・

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鍵穴部分からも漏水の可能性があるので・・・




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やはり同色のビニールテープを・・・ええ、キャンプ宴会で鍵をかけることなんかないし・・・

ご本人は、屋内作業に使ってるので浸水は考えてなかったけど、屋外で使うならパテ盛りですね、
とおっしゃってましたが、わたくしはとりあえずテープペタペタだけ・・・
ま、これで浸水するようなら二ヶ所ともパテ盛りを考えないといけませんね。


ともかく、

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2019年4月製造の自衛隊納入品(のメーカー)だし、丈夫さは信頼できそうです。

そう、アウトドアに限らずソフトキャリーとかに入れて航空貨物として預ける場合にも、
100均プラケースでは実際に何度か破損したことがあったので、絶対に壊したくないモノ
(ライトとか酒とかライトとか酒とか)用には最適かと・・・

いやあ、じつに嬉しいものをいただきました。


で、さらに、こんなのも・・・

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おでかけウェット「アウトドアボーイ」つーのと・・・




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カーキ色パッケージのアルミホイルであります。
さすがに中のアルミホイルはアルミ色だそうですが・・・

いやあ、どれもわたくしの琴線に触れるものばかり・・・うるうる
いつもお世話になっているY川さん、ほんとにありがとうございました。

ま、ビニールテープで浸水した場合はパテ盛り作業をよろしくです!!! むひひひ




m98k at 01:20|PermalinkComments(0) mixiチェック キャンプ・川下り | その他アウトドア

2020年01月16日

マレーシア ボレ!!!

とーとつですが月曜日に日帰りで!!!マレーシアへ行ってきました。


???


まずは大阪駅にあるモンベルでwingさんと待ち合わせして・・・今回は二人とも物欲に惑わされず・・・

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大阪駅から関空特急「はるか」で関西空港へ・・・ではなく駅の北側から歩いて・・・

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まずは梅田スカイビルを目指します・・・

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んで、その足元にあるのが・・・

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マレーシア料理のお店マレーシア ボレであります。



店内もさりげにそれらしい雰囲気でした。

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そう、昨年10月のボルネオ島「チームフラッシュ光・下見ツアー」の反省会(単なる飲み会ともゆー)
だったのでありますね。

所用のあったS田さんを除く5人が集まることになり、せっかくなのでマレーシア料理のお店にしようと、
今回はじめて利用させていただいた次第。

予約してたのは、とーぜん一番お安い飲み放題コースで・・・

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まずは懐かしい揚げたてクルポ(えびせん)で乾杯!!!

「いやあ、チームフラッシュ光ツアー、じつに楽しかったですね。また行きたいなあ・・・」

「今回もN嶋さんにはお世話になったなあ・・・クチンの屋台料理も旨かったし・・・」

「次回は植林ボランティアも少しはスケジュールに入れたいですね。」

「ライト照射がメインなら、モンゴル大草原のゲルの夜も素晴らしいですよ。
人工光が少ないのはボルネオと同じですが湿度がほぼゼロなので、驚くほど遠射できます。」

「やはり日本が寒い2月ぐらいにボルネオつーのが魅力ですな。熱いシャワーは欲しいけど・・・」

「そう、マリオット・リゾートみたいな豪華ホテルもいいな・・・そーいやムルも再訪したいなあ・・・」

「豪華ホテルもいいけど次回パックツアーを企画するなら料金設定も重要な要素でしょう。」

「うぐぐぐ・・・」

とか、最初のクルポで生ビールを何杯かおかわりしてると・・・

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生春巻き・・・こちらはボルネオでもスプリング・ロールかな、と思ってネット翻訳してみると、
Gulung bunga segarと出ましたが、ピリ辛ソースがビールに絶妙でした。


さらに生ビールをおかわりするもの、ワインに切り替えるものとか、かぱかぱやってると・・・

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揚げ物2種・・・揚げ物もゴレンなのでボルネオではアヤン・ゴレンとイカン・ゴレンですね。
ちなみに英語ではフライドチキンとフライドフィッシュケーキか・・・


続いてかぱかぱ飲んでると、

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鶏の黒胡椒炒め・・・ボルネオではやはりアヤン・ゴレンかな・・・もちろんサラワク・ペッパーで・・・
そーいや今回、カエル料理を別に注文するのを忘れてたな・・・



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海鮮ピリ辛太麺・・・ま、ミーゴレン・イカンつーところでしょうか・・・
太麺の食感がクバ国立公園一日目の夕食にクチン郊外で食べた太麺と同じで嬉しかったです。


って、

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急に色合いが変わりましたが・・・



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ええ、約1名がこんなのを照射してました。




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ココナッツミルクたっぷりのチキンカレー、ボルネオではアヤン・カリとナシですね。


と、この頃になると醸造酒から蒸留酒に切り替えるものが続出、わたくしも怪しくなってきて・・・

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確かココナッツプリンだったと思うのですが最後のデザートが出てきても、まだ飲み物を追加・・・
してたような記憶が・・・


と、結局・・・

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クルポを追加注文して、またハイボールなんぞを延々と飲んでたようです・・・ひっく

と、店を出て昔の梅田貨物駅の地下道を歩いてたあたりで、わたくしの記憶はぷっつりと・・・
確か9時前にはお店を出たはずなのに自宅に帰ったら11時を過ぎてました。
ええ、恒例により地下鉄・西梅田~住之江公園間を何往復もしてたようです。あははは

今回はじめてのお店でしたが本格的なマレーシアのニョニャ料理で、とても美味しかったですし、
食材などはハラル認証されたものを使っておられるそうで海外からのお客さんも多かったです。
料理も取りやすいよう2人前と3人前に分けてくれてましたし、店長さんの料理を出すタイミングや
さりげない飲み物オーダーのタイミングがじつに絶妙で、最後まで気持ちよく飲食できました。

まあ、呑み放題であんだけかぱかぱ飲んでたら、お店としては上客とは呼べないでしょうが・・・




m98k at 01:16|PermalinkComments(4) mixiチェック フラッシュライト・ランタン | 糧食、飲料

2020年01月11日

古代の鉄と神々・・・

とーとつですが古代の鉄と神々・・・であります。


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「古代の鉄と神々」真弓恒忠著 2018年7月10日 筑摩書房・ちくま学芸文庫刊

・・・なんですが、学生社より初版が出たのは1985年、増補改訂版が出たのは1997年で、
増補改訂版から21年後の一昨年に復刊された・・・つーことになります。

以前「高師小僧」についてネットであちこち眺めてた際に、本書についての記述もあったのですが、
「残念ながら絶版で入手は困難・・・」とかあって、読むのはあきらめていたところ、昨年になって
復刊されたことを知り、さらに今年になって、ようやく借りることができたとゆー次第。

裏表紙に惹句がありました。

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そう、昨年春、龍田古道を歩いた際にも気になってたのですが、やっと読むことができました。



例によって目次だけご紹介・・・

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神話や祭祀の中から古代製鉄の痕跡を見出していく・・・というだけでも面白いですし、


なにせ著者は・・・

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まさに専門の研究者で門外漢の書いた仮説なんぞとは異なる説得力がありました。

もちろん科学的な説明もあり、たとえば・・・
鉄の溶融点は1525℃、それに対し銅は1100℃なので弥生時代は溶融点の低い青銅器の時代・・・
とされてたのを、銅は溶融しなければ製品にはならないが、鉄は700~800℃で可鍛鉄さえ得れば、
後は熱してたたいてを繰り返せば鍛造できるので「ふいご付きタタラ」がなくても製鉄は可能だし、
700℃~800℃なら弥生土器の焼成温度と同じとかいわれると、なるほどと納得しました。

なので弥生時代から日本では鉄器を作っていたけど、青銅器や土器と異なり鉄器は錆びるので
現物が残っていないだけで、古代製鉄の痕跡は各地の神話や祭祀などに残っている・・・
と、実地も含めて検証されておられるので、じつに興味深かったです。

(2022/6の追記です。内容の一部をメモしてましたので・・・)

鉄の古語

1テツ、タタラ、タタール、韃靼系ヒッタイト語のタクタク、タツタツより外来語

2
サヒ、サビ、サム、ソホ、ソブ系朝鮮半島ではソボロ、ソブリ、ソハル、スウロ、ソウラ、ソウルで
本来サ行音は砂や小石の意だったが精錬鉄が貴重であったためサ・シ・ソの一音だけでも鉄を意味する。
外来語
スサノオノミコトが八岐大蛇退治に使ったのが韓鋤剣(カラサヒノツルギ)で神別名は鋤持神(サヒモチカミ)

3サナ、サヌ、サニ、シノ、シナ系倭言葉でサナは果実の核の部分、カナサナとは外皮を鉄でまとった形状のもの、
すなわち鈴、鐸
(さなぎ)で植物由来の褐鉄鉱(高師小僧)
→サナに接頭語のイを付けて男女の神を表すギとミを付けたのが「イザナギ」と「イザナミ」
→この両神を祀った多賀神社も褐鉄鉱の産地で信濃・埴科・更科・仁科の地名も褐鉄鉱由来

4
ニフ、ニブ、ニビ、ネウ古代では硫化水銀を朱、四塩化鉛を丹、褐鉄鉱・赤鉄鉱・酸化鉄を(赤編に者)
分類していたが一括して丹と読んだ由で産鉄地も含め全て「丹生の地」、ニブ、ミブ、ネワも同じ。

5
ヒシ、ヘシ、ベシ、ペシヒシ、ヘシは鉄に金編に族竿の先に装着した鉄片のこと。
飯石川、揖斐川のイは発声上のもので本来はヒシ川、ビシ川、マレー語でbesiは鉄、ヤミ語でwasayは手斧、
スールー語
basi、アーチェ語besoy、バタック語bosi、ハワイ・スンダ・マヅーラ語wesi,bosi,boseなど、
いずれも鉄を意味する南方系海洋民の言葉で、その古代鉄文化は九州から朝鮮半島西岸、山東半島まで達し、
漢民族から「東夷」として怖れられた。そのことを示すのが「史記」に記す蚩尤
(しゆう)

→山東半島の蚩尤は兵主神となり朝鮮半島南西海岸に渡来した南方系海洋民から百済系の韓鍛冶へ。
いっぽうイタテ神を祀るのは新羅系の韓鍛冶で土着の倭鍛冶の奉ずるオオナムチの神とこれらの神も融合して、
鉄の祖神スサノオノミコトになった。つまり高師小僧を使う原始的な倭鍛冶と砂鉄を使う高度な韓鍛冶の融合。

「さなぎ」のダミーである土鈴や銅鐸で褐鉄鉱の生育を祈ったのは、さらに古代からの祭祀であるが弥生時代に
農耕神となってからも続いている。

高師小僧(植物由来の褐鉄鉱)から砂鉄(磁鉄鉱)

・豊葦原の瑞穂の国→葦原が水田に適するだけでなく葦から生成する褐鉄鉱が農具に不可欠であったから

・オオナムチの神→三輪大社から出雲大社へ→大穴持命=大国主命=洞穴に座す神=鉄穴の神

・金山彦・金山媛の神→イザナミが火の神カグツチを生んで病になったので呼んだ神→灼熱の溶鉄の神格化

・みすずかる信濃→中央も出雲も砂鉄になったのにシナノはずっと芽刈→諏訪大社の御柱神事に鉄鐸を使う

・高師小僧・鳴石(なりわ)・鈴生り=泉南郡岬町鍛冶屋谷では壷石→黄土(はにふ)の岸と血沼(ちぬ)の海

・沼沢や湿地に面した斜面で鈴や鐸を打ち鳴らし同類を埋めてスズの豊作を祈る→アメノウズメノミコト

・鉄穴流しと藤蔓→砂鉄採取の必需品

・朝日さす夕陽かがやく木の下に・・・鉄穴師の犬・山師・山伏・修験道→吉野熊野の霊場はすべて鉱山地帯

→山伏の山岳信仰の発端は鉄探し→法螺貝、三鈷杵などは鉱脈探索の呪術

・スサノオ(砂洲から砂鉄を集める男)とオオナムチ(芽刈)の合体神話

・神功皇后の西征→45世紀のサヒ新羅は鉄の国、忠州鉄山が西征でいう谷那鉄山で百済を支援し手に入れた
→その後、高句麗とも争奪戦を繰り返し最終的に新羅が統一、高句麗、百済の製鉄技術者が倭へ。

・神武天皇の東遷→稲作と鉄をもたらした物語→新旧鉄文化の交代劇

・中央構造線→紀伊半島の東端、五十鈴川に伊勢神宮、西端、紀ノ川河口に国縣神宮

・北緯3432分の太陽の道→日置氏の足跡で鉄の伝承地

・金屋子神→播磨国宍粟郡岩鍋から出雲国野義郡非田へ白鷺に乗って行ったら鉄の湧くこと限りなし・・・

・犬上、犬養、犬飼→犬を束ねる者→犬とは砂鉄を求めて山野を跋渉する者で狩猟者ではない

・弘法大師の三鈷と高野明神とふたつの丹生川

・富貴、伊吹→シャフト炉型タタラの筒の意

・住吉大神が丹生川上から播磨の国へ遷座した(播磨国風土記)→褐鉄鉱から磁鉄鉱へ移った

加古川河口から明石にかけての海浜は砂鉄の宝庫であった

・蛇と百足と三人立の説話→ニ荒山の蛇は鉄で赤城山の百足は銅、鉄文化が銅文化の優位に立った説話

・オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶は砂鉄を採取し磁鉄鉱による製鉄を行った()点では、

褐鉄鉱によるスズの精錬から見れば進歩的であった。

・この争いが洩矢神(鉄輪=鉄鐸)とタケミナカタ神(藤枝=砂鉄)のあらそい。

・タケミナカタは諏訪では洩矢神を敗ったが、オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶が、

兵主神やイタテ神による韓鍛冶を用いてさらに進歩した大和に勢力を譲ったのが出雲の国譲り

 

上垣内憲一氏の解説より

・考察の根幹は諏訪大社の鉄鐸(すず)を振り鳴らす神事が沼沢の褐鉄鉱の生成を願ったものとしたこと

・伊勢神宮の五十鈴川も三輪大社の三輪山も鉄の産地

・皇室の祖「ホノニニギノミコト」のホは稲穂とされてきたが、天孫降臨神話の「ホアカリノミコト」のホは

火で「稲と鉄」が皇室祭祀の両輪

 

住吉大神が遷座したとされる姫路に関する記述

・姫路市の中心にある射楯兵主神社現在の田寺・新在家・辻井のあたりが風土記でいう「因達の里」で、
そこに鎮座するイタテ神(イタケル神)は新羅系製鉄技術者が祀った神のひとつ、
いっぽう兵主神は中国では鉄沙をもって兵器を作る鉄神・武神だが、漢民族から「東夷」として怖れられていた
鉄文化を持って山東半島に達した南方系海洋民の蚩尤(しゆう)であり、その鉄文化は朝鮮半島南西海岸にも
渡来していたので、こちらは百済系製鉄技術者の祀った神と考えられるが、この二神を合わせて祀るのは
全国でも姫路の射楯兵主神社のみで、まさに古代タタラ製鉄の中心地であった。
・その約2キロ東の市川右岸にある阿保神社阿保は穴穂、穴太と同じく産鉄地である。
・その約2キロ下流の右岸に阿成の地名と安師神社穴師鉄穴師は製鉄技術者である。
・左岸約3.5キロに姫路市別所町別所別所は産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・別所の西北、姫路市花田町小川。風土記では「少川の里」が「私の里」になった由来は、この地の私部の祖が
多々良公であったからとされており、まさに「タタラの里」であった。
・射楯兵主神社の西約3キロ姫路市今宿にも別所の地名があり、産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・その北方、姫路市山吹は風土記では「韓室の里」韓室(からむろ)とは、タタラ溶鉱炉の異称である。
・姫路市北部の広峰山頂にある広峰神社は牛頭天王を祀るが、これは鉄神スサノオノミコトと附会する。



で、ここからがわたくしの独自説・・・

著者は日本の鉄器は弥生時代に稲作とともに普及したとされてますが、はるか稲作以前から
5000年も8000年も続いてきた縄文時代つーのは、何せ農耕なんかしないヒマな時代ですから
(農耕革命で人類は毎日働かなければならなくなった、と「サピエンス全史」でもいってましたね。)
集落周辺に茂ってる葦を鈴なりの高師小僧なんぞと一緒に、ヒマな奴が河原でガンガン燃やして、
(キャンプ宴会とかしてたら)たまたま燃え滓にぐちゃぐちゃの不思議な塊が残ってて、ヒマなので
たたいて伸ばして遊んでたら、サヌカイトや黒曜石より丈夫で鋭利な刃物ができちゃった!!!
つーことぐらいは(ヒマな縄文時代だからこそ)、充分に考えられるハナシ・・・何せ豊葦原の国だし・・・
で、縄文時代でも黒曜石などの交易は全国規模だったので、この技術も全国に普及してたけど、
争いも農耕もなかったので、みなさん細々と楽しくやってたのが稲作以降は大規模になった・・・
そう、ヒッタイトなんかより古い鉄器の起源は、じつは縄文時代の日本刀だったのだ!!!

わはは、まいったか!!! ま、こちらはあくまで門外漢の仮説でしゅが・・・



つーことで追記・・・

「縄文人でもできる、日本刀の作り方」であります。

①湿地や沼地だったところで高師小僧や鬼板なんぞを集めてくる。
(今は天然記念物とかに指定されている地域もあるので注意)

②風通しのいい河原で石と土で露天タタラを作りガンガン焚火をして中にぶち込む。
(今は焚火や直火禁止の河川敷もあるので注意)

③さらに上からも薪を足してガンガン温度を上げる。(風向きに注意)

④ぐちゃぐちゃの醜い塊ができたら河原の石でガンガンたたいて伸ばす。

⑤石組みの焚火にぶち込んで熱してはたたいて、これを何度も繰り返す。

⑥それなりの形になったら河原の石でガシガシ刃を研いで、縄文日本刀の完成じゃあ!!!

と、可鍛鉄を得るだけでも一昼夜はかかりそうなので、どなたか一緒にやりましょう!!!
(わたくしは働かずに傍らで飲んだくれてますが・・・)



m98k at 01:11|PermalinkComments(2) mixiチェック 書斎 | その他アウトドア