2020年11月

2020年11月28日

大仏鉄道遺構めぐり!!!

はじめての大仏鉄道遺構めぐり・・・ひさしぶりのハイキングでした。

そう、前回記事のとおり以前から興味があったのですが、一昨日、はじめて巡りました。

メンバーはいつものダッシュP18乗りの友人と奈良ソムリエの資格を持つ友人の計3人で、
学生時代からの史跡サークル仲間であります。

JR加茂駅に9時半すぎに集合、まずは駅前広場にある・・・

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蒸気機関車の動輪前からスタート!!!




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木津川市になる前の加茂町長が鉄分好きで、私費で建立して市に寄贈されたそうです。
前回記事で紹介した研究会の活動にも関わっておられたようで、遺構めぐりコースにも
あちこちに案内板が整備されてました。


おさらいのため、同所にあった大仏鉄道の説明板・・・

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つーことで、今回はこの路線に沿った遺構めぐりコース約13kmを歩きます。
120年前に10年間だけ走ってた廃線遺構つーのがロマンですねえ。


ちなみに駅前広場の反対側に当時から残ってる遺構が・・・

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「ランプ小屋」で、当時の蒸気機関車の照明はオイルランプだったので、その整備小屋。
可燃物のオイルも大量に保管してたので頑丈なレンガ造りだったんでしょうか・・・


大仏線も加茂駅からしばらくは現在の関西本線(JR大和路線)と並走してました。

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あちこちに案内板があるのがありがたいですね。さすが鉄分好きの元町長・・・
そーいや琵琶湖東岸の某市長も東大自転車競技部の出身で周辺の市町村や県に働きかけ、
「ビワイチ」サイクリングコースの整備が一層進んだとか・・・

自治体の首長が趣味を地域に活かす、つーのは、わたくし個人的には大好きなんですが、
やはり行政としては、首長が変わってもブレないコンセプトがないと迷惑なだけ・・・
ま、サイクリングコースや廃線敷めぐりとかなら、大いに良しとしましょう!!!


と・・・

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1937年製C57 56の静態展示。前照灯はバッテリーライトでしょうか・・・
(追記です。初期はオイルランプ、近代型は蒸気によるタービン発電だったようです。)




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路傍の石灯籠を観察したりして・・・



関西本線(JR大和路線)の踏切を渡ります。

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線路左側の草むらが廃線跡でしょうか、盛り土が2車線分になってますね・・・


いったん大仏線から離れて大きく迂回・・・

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路傍の石地蔵なんぞを観察しつつ・・・




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観音寺橋台へ・・・



加茂駅から約3kmで・・・

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観音寺橋台に到着であります。

奥が関西本線(JR大和路線)で、まだ大仏線と並走してますが、この辺りを過ぎると本線は
トンネルを抜けて木津へ、いっぽう大仏線は山を越え丘を越え奈良までほぼ一直線・・・
そう、ほぼ一直線とはいいつつ、山あり谷ありの難所でしたから、平坦な路線ができると、
僅か10年で廃線になったんですね・・・


観音寺橋台にあった案内図であります。

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現路線は木津駅へ湾曲してから平坦路を奈良駅へ、大仏線は難所をまっすぐに奈良駅へ・・・
つーのがよく分かりますね。



で、すぐ近くにある・・・

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観音寺小橋台であります。


竹林を抜け・・・

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じゅるじゅる・・・




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かなり鬱蒼としてきて・・・



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とーとつに小さな祠がありました。



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右側の盛り土が大仏線跡で・・・

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道路には枕木とガイドレールを利用した柵が残ってました。
そう、「まぼろしの五新線」にもありましたねえ。懐かしいなあ・・・


で、こちらが・・・

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鹿背山橋台・・・勾配を少なくするための盛り土や築堤をあちこちで築いたのでしょうが、
今はどこも自然の一部になってました。




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こちらも枕木とガイドレールを利用してますね。



こちらがおそらく廃線敷でしょうが・・・

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遺構を続けて見るため、いったん築堤の下に降ります。




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梶ヶ谷隧道であります。築堤を渡る通路用アンダーパスですね。




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ポータルのレンガはイギリス積みで・・・



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内部は長手積み???



反対側のポータルであります。

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この築堤の上を真っ赤なイギリス製の蒸気機関車が走ってたんですねえ・・・



で、しばらく行くと赤橋で・・・

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こちらはイギリス積み・・・


と、再び廃線跡に上がりました。

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奥がスタートした加茂駅方面で、左手には新しい道路と公園があり・・・




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きれいなトイレや東屋に大仏線のモニュメントや案内板もありました。



すでにお昼近くになってたので・・・

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わたくしが最近ハマってるテキーラとポロショコラで、はじめての大休止・・・
この組み合わせは友人二人にも好評でした。ぐびぐび


ちなみに位置関係はこんな感じ。

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当時の路線図を見ると、まさに加茂と奈良を結ぶ直線コースだったんですね。


さらに廃線跡を進みます。ひいひい

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梅谷からは県道44号線となり廃線跡モニュメントのある歩道を歩きます。ひいひい

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で、右に見えてきたのが・・・



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らせん型の配水塔で・・・



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大仏鉄道へのオマージュでしょうか・・・



で、この配水塔を越えると、ようやく・・・

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京都府から奈良県に入りますが、びみょーなアップダウンはずっと続きます。
確かに非力な蒸気機関車には大変な難路線だったんでしょうね。
ええ、非力なわたくしにも大変な難コースでしたが。ひいひい




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県境を越えると「国境食堂」つーのがあり・・・



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ステーキハウスも併設されてたのですが、ここで昼食宴会をすると途中挫折は自明なので、
泣く泣く歩き続けました。ひいひい



沿道には、こんなお店もありました。

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そう、アウトドアで喫茶・軽食を楽しむお店なんですね。じゅるじゅる・・・


さらに、こんなお店も・・・


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ツリーハウスでもCAFE&SWEETSが楽しめるのだろうか・・・じゅるじゅる・・・


で、こちらが・・・

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大仏線唯一のトンネルだった「黒髪山トンネル」のあった峠・・・



そう、今は拡幅されて切り通しになってますが、

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当時はトンネルだったんですね。ちなみに上を跨ぐ歩道橋は奈良で一番の高さだとか・・・

できるだけ上まで登って、どうしても登れないところで仕方なく短いトンネルを掘るのが、
昔の鉄道の敷設方法なので、今も残るローカル線なんかは風情があるんですね。

途中でいくつかの遺構を見過ごしてますが「鹿川隧道」は、ここの案内板で・・・

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ちなみにこの黒髪山には・・・

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奈良市のキャンプフィールドがあるんですね・・・



奈良ドリームランド跡・・・

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園内を一周してた蒸気機関車の高架でしょうか・・・ま、こちらも廃線遺構ですね・・・
わたくしが小さい頃は関西で最大の遊園地だったはず・・・懐かしいなあ・・・



で、こちらの鴻ノ池あたりから・・・

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県道44号線は大仏線の廃線敷から大きく外れるので・・・


遺構めぐりコースは興福院(こんぶいん)へ・・・

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そう、大仏線は興福院の前あたりを通ってたのでありますね。

ちなみにこの間にある遺構「鴻池橋台の基礎部」は見つけられませんでした。


で、興福院から南下していくと・・・

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ようやく大仏駅のあった「大仏鉄道記念公園」に到着であります。ふう
ちなみに大仏線は動輪の右手あたりからナナメに来てたようで、延伸後は石碑あたりから
やはりナナメに抜けて佐保川を渡っていたようであります。


そう、この大仏駅まで開通した2年後には奈良駅までの1kmほどを延伸したので・・・

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このあたりに佐保川を渡る鉄橋の遺構があるはずなのですが見つけられませんでした。

と、大仏線はJR奈良駅まで延伸してから廃線になったのですが、ここから先は遺構もなく
「JR奈良より近鉄奈良のほうが飲み屋が多い」つーことで、一行は近鉄奈良駅前へ・・・

たまたま奈良ソムリエさん御用達のお店が閉まってたので、以前正倉院展の帰りに見つけて
すっかりお気に入りになってた大和醸造の直営店へ・・・

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で、まずは濃くて美味しかったIPA(インディア・ペールエール)のLサイズで乾杯!!!

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で、やはり美味しかった「太陽のピザ」をばくばくと・・・

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って、今回も食べる前に撮ればいいものを・・・ばくばくがつがつ


続いてダッシュP18乗りさんはSAISONのLサイズつーのを・・・

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わたくしはSTOUTのLサイズを、奈良ソムリエさんはSTOUTのMサイズを・・・


もちろん、お安い各種ピザも次々と追加しました

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だから食べる前に撮ればいいものを・・・げふっ

と、今回は9時半過ぎにJR加茂駅を出て2時半過ぎに近鉄奈良駅に着きましたから休憩も含め、
所要時間は約5時間、遺構めぐりコースは約13kmでしたが、途中で迷ったりもしたので、
おそらくそれ以上は歩いたでしょう。

なだらかな勾配の廃線敷がメインですが、何せ難所が多くて廃線になった路線ですから、
それなりにアップダウンもあり、途中からけっこう脚にきてました。

以前も書きましたが自転車でそれなりに漕いだ際に痛くなる部分と歩いて痛くなる部分は
けっこう異なるんですね。
少しは歩行にも慣れないと・・・ま、寒くなって自転車漕ぎもご無沙汰してるけど・・・




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2020年11月24日

大仏鉄道物語

とーとつに・・・「大仏鉄道物語」・・・であります。

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大仏鉄道研究会・著 関西印刷出版部・飛鳥書房 平成21年9月1日第二版第一刷発行



恒例により目次のみご紹介・・・

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ちなみに大仏鉄道研究会つーのは・・・

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鉄分好きの方たちの集まりのようですね。

本書によると、大仏鉄道とは明治時代の一時期に存在した関西鉄道・大仏線の通称で、
加茂駅から奈良駅まで約9km(奈良駅に乗り入れるまでは手前の大仏駅まで約8km)
の区間とのことでした。

ちなみに表紙絵の赤い蒸気機関車ですが、当時の関西では私鉄間の競争が激しかったので、
少しでも乗客の目を惹こうと、実際に関西鉄道で走ってたカラーリングだそうです。
今のラッピング列車とかと同じ発想だったんですねえ・・・

この区間は勾配が急で難所も多く平坦路線が大阪や奈良に直結されると、開業後わずか9年で
廃止され、しかも廃止時期が国有化の直前であったため、殆ど資料も残っておらず、まさに
「まぼろしの鉄道」になっていたようです。
このあたりは「まぼろしの五新線」とは対照的ですねえ・・・

で、それを僅かに残る資料や遺構、聞き取りなどから調査して、遺構の保存や観光スポット
としての活用に、研究会として取り組まれてるんですね。

ええ、これだけでもコアな廃線マニアにはたまらない路線なんでしょうねえ。
といいつつ、廃線敷(の中でも特に廃トンネルの照射)が好きなわたくしも、本書を読んで、
ともかく一度は行ってみたくなった次第。

当時の遺構もまだいくつか残ってるようで、巻末にあった遺構めぐりマップによると、
ハイキングコースとしては12kmほどのようです。

以前からネット情報とかでも興味はあったのですが、近々に史跡好きの友人たちと一緒に
歩いてみることになりました。

おそらく舗装路ばかりで輪行ポタリングでも楽しめそうですが、まずは徒歩で・・・
そう、徒歩だと駅前に着けば(自転車をたたむことなく)すぐに飲めるし・・・
それに市街地部分が多いので、途中で飲めそうな店もあるだろうだし・・・

さてさて、次回記事は廃線敷の完歩記事になるか途中挫折の飲んだくれ記事になるか・・・
みなさん、どーかお楽しみに・・・



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2020年11月21日

2020秋(こっそりと)熊野キャンプ・後編

前回記事からの続きであります。

結局13日の夜は1時過ぎに就寝、わたくしは10時間ほど飲み続けてたことになります。

で、14日の朝の様子・・・

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さすがにまだ土曜日の朝、広大な河原の隣にはバイクのソロキャンパーだけでした。

で、ケシュアのポップアップテントで寝ていた川端さん、いつもは早起きなんですが、
この日はどーゆーわけか起きてませんでしたし、深夜にクルマに倒れ込んでたwingさんは、
とーぜん爆睡中、最初に起きたのは車中泊にハマってる赤チャリさんとわたくしの二人。

二人だけでまったりとコーヒー(赤チャリさんは甘い紅茶)タイム後の朝食であります。

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熱々ハムステーキ・マフィンと熱々コーンポタージュスープ・・・

で、すっかり日が昇り、かなり暑くなってから・・・
「ううっ、頭の中で地球が廻ってるぞ・・・」と頭を抱えながら起きてきたwingさんと、
「ひさしぶりのキャンプであまり熟睡できませんでした。」と起きてきた川端さんも、
持参されてた甘いパンと熱いコーヒーで軽い朝食。

10時半には恒例の湯ノ口温泉へ出発、今回はわたくしのクルマで移動しました。

「えっと、どっちがアクセルやったかな・・・えいっ」

「わっ、芝生で急発信しないで下さい!!!」

「ひさしぶりの山道で分岐点を忘れてるな・・・ここかっ、えいっ」

「わわっ、急ハンドルと同時に急加速しないで下さい!!!」


とか、みなさん楽しい山岳ドライブで・・・

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無事?に湯ノ口温泉に到着・・・

泉質を選ぶ川端さんも、この温泉は大丈夫とのことで、四人でまったりと湯治・・・

とーぜん入浴後は・・・

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フルーツ牛乳を飲むwingさんと、それを撮りつつビールを飲む98kさん。
そう、帰りは「安心の赤チャリ運転代行」にお願いしてたのでありますね。げひげひ

ま、

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穴があれば照射してみるとゆー、みなさんでしたが・・・


昼過ぎにはテントサイトに戻り・・・
                                                                                 (wingさん提供画像)
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わたくし特製のシャウエッセン・ペペロンチーノ・アーリオ・オーリオ・パスタ・・・
ま、いつもこれなんですが、トスカーナから送ってくれる「素」があるもので・・・

「って、wingさん、画像ばかり撮ってないで、しっかりと混ぜてくださいよ!!!
茹汁で乳化させたオイルを、いかにパスタと絡ませるかがポイントなんですから!!!」

とか指示しつつ飲みつつ、まったりと昼食宴会・・・


とーぜん、その後も・・・

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川端さんが持参された高級・芋けんぴや・・・




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超高級・手づくり京金平糖をはじめ・・・




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わたくしが持参した掘りたて・京落花生を茹でたり・・・




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wingさんが持参したドローンを・・・




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ラジコンカー大会での上位入賞経験を持つ赤チャリさんが操縦したりして・・・

タープの下で、みなさんはライト談義、わたくしは覚醒と半覚醒と飲食をくりかえしてると、
あっとゆー間に暗くなり・・・


これまた恒例のプテチゲ(部隊鍋)夕食宴会に突入・・・

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今回は赤ウインナーが残ってたのでスパム代わりのボロニアソーセージは入れませんでしたが、
赤ウインナーは鍋に入れると、特に皮の食感がイマイチになりました。
やはり焼くか炒めるのが一番ですね。



「部隊鍋には赤ワインでしょう」と・・・

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ようやく蘇生されたwingさんが出してきたイタリア・ワイン・・・


川端さんが大量に持参されてたトッポギ・・・

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やはりわたくしのダッカルビパンを意識して食材を選んでくれてたんですね・・・
そーいや、wingさんも赤チャリさんもキムチを持参されてたようだし・・・
ま、今回はご飯を炊かなかったので出番はありませんでしたが・・・

昼はTシャツ1枚でも暑いぐらいでしたが、夜になると急激に温度が下がり、この夜も全員が
ドームタープ内に移動して、ライト談義とヲタ話が続きました。


で、珪藻土かんてき(七輪)の炭も消えかかる頃・・・

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赤チャリさんがいそいそと取り出してきたのは・・・

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なんと風船プリン!!! これは知りませんでした・・・


針(実際には川端さんのチタン製爪楊枝!!!)をプチンと刺すと・・・

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球形のプリンになり、添付のカラメルソースでいただきました。

さすがに土曜日の夜で、周辺でも家族連れがキャンプしてたので11時には就寝しましたが、
今回はずっと風もなく好天で、この夜も星空が見事でした。



で、15日の陽が差す直前の様子・・・

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さすがに前日よりキャンパーは増えてましたが、まだ充分に間隔はありました。
やはり連休を避けて通常の金土日にしたのは正解でしたね。
そう、一泊だと移動日だけになるし・・・


で、この日も遅くまで起きてこなかった川端さんのケシュアテント1人用・・・

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ま、この日は「ひさしぶりに熟睡できました」とのことでしたが・・・



奇跡的に二日間とも早起きした98kさんのダンロップテント3人用・・・

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ええ、呼気で濡れた内部も乾かすため、朝からメッシュもフルオープンにしてました・・・
ま、この選択が撤収時の危機を・・・



で、広い河原に陽があたりはじめると、たちまち・・・

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タープやフライシート、黒いクルマなどから、もうもうと水蒸気が発生・・・
ちなみにwingさんは動画でも撮られてました。


この日のコーヒー(と甘い物)タイム後の朝食は・・・

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昨夜のプテチゲ(部隊鍋)スープを薄めた中華太麺!!! 寒い朝は熱い麺類が温まりますね。

で、赤チャリさんから「98kさん、麺を箸で持ち上げてください。」とポーズ注文が・・・

                      (wingさん提供画像)
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そう、麺類では定番となった「箸上げ」ですね。ま、これはあまり映えませんが・・・

とか、まったりと朝食を終え、その後も甘いものなどでダベり続けてましたが、わたくし、
すっかり乾いたテントを撤収しようと、フライを外して中のマットを持ち上げると・・・

                         (以下wingさん提供画像)
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「わわっ、マットの下からムカデさんがっ!!!」

「おおっ、それは獲らねば、もとい撮らねば・・・わくわく」と喜ぶwingさん


ええ、

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けっこう大きなムカデさんで、フルオープンにしてたドアから入ったんですね。
知らずに口に入れたり、もとい掴んだりしてたら、痛い目に遭うところでした。
やはりメッシュだけでも閉めておくべきでしたね。

ま、ムカデさんには・・・

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子どももいる芝生だと危険なので、河原の低水位敷へ帰ってもらいましたが・・・


と、昼前には完全撤収して途中で昼食を食べてから解散しよう・・・と決めたのですが、
ぐだぐだヲタ話をしてたら昼を過ぎ、2個分だけ残ってたハムステーキ・マフィンと・・・

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wingさんの巨大ベーコン・ブロック、赤チャリさんの食パンと玉子を2回に分けて調理、
ベーコンエッグサンドにして、ちょうど4人分の昼食にしました。
もちろん黒胡椒はサラワク・ペッパーであります。

で、わたくしは311号で上富田から阪和道へ、夜しか走らない赤チャリさんは暗くなってから
仮眠しつつ168号を北上することに、wingさんと川端さんは、しばらくのんびりしてから
吉備湯浅インターを目指して311号の途中から山道で帰ることになりました。

暗くなれば走らないことにしているわたくしは一番早く、2時半に現地を出発したのですが、
通常の日曜日にもかかわらず吉備湯浅インターまで14kmの渋滞!!!、帰宅したのは7時半で、
金曜日の往路は3時間だったのに日曜日の帰路には5時間もかかりました。
こんなことならwing号を追従して山道を行けばよかった・・・ううっ
ま、こんなご時世なので、近くでアウトドアを楽しむ方が増えてるのかも知れませんね。

とまあ、ライトOFF会とは言いながら今回は照射画像やライト画像が一切ありませんが、
メスティン以外にも、いろんないただきものもありますので、いずれまた・・・
でもキャンプから帰ると、どーゆーわけか新しいモノが欲しくなるんですよね。

wingさん、赤チャリさん、川端さん、
ひさしぶりのキャンプOFFで、とても楽しかったです!!!
いつもながら、今回も色々とありがとうございました。
感染状況が落ち着いたら、いつものキャンプ仲間に加えて、このサイトでお誘いしている
ライト好きの方々にも来てもらい、大人数でのOFF会をやりましょう!!!



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2020年11月19日

2020秋(こっそりと)熊野キャンプ・前篇

恒例の熊野キャンプに行ってきました。ええ、今回はこっそりと・・・

こんなご時世でキャンプOFF会は自粛してたのですが、いつもの関西ライト仲間から・・・

「少人数でもキャンプで思い切り照射したいなあ・・・」
「でも有料キャンプ場は冬キャンブームで予約がいっぱいみたいだし・・・」
「それに遊園地などを避けたファミリーキャンプも増えてるようですよ・・・」
「うーむ、我々は夜間がメインなので、お隣で距離が近いと迷惑かもなあ・・・」
「たとえ広いサイトでも大人数で集まるのは、しばらく避けたいですねえ・・・」

といった話があり、それならば今回は、いつものキャンプ仲間にも声をかけずに、さらに
当サイトでのお誘いもせずに4人だけで、こっそりと熊野の河原へ、つーことに・・・

そう、飲食会合は4人までと大阪のGoToイートも推奨してるし、連休を避けて通常の週末ならば、
まずは3密になることもあるまいと・・・アルマイト処理を決定した次第。

と、前置きが長くなりましたが・・・

わたくしが現地に着いたのは13日の金曜日!!!の午後2時半、深夜から仮眠しつつ来られた
red-bicycle(赤チャリ)さんは午前中に、川端さんは午後早くに到着されてたようで、さっそく
わたくしのイベントタープとテーブルをセットして(飲まない二人を差し置いて)・・・

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遅めの(一人)昼食宴会であります。ぐびぐび、ばくばく

「って、お二人とも昼食は???」

「いや、わたしは甘いものさえあれば・・・」と赤チャリさん・・・

「わたしはスナック類さえあれば・・・」と川端さん・・・

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「そりゃまあ、甘い物もスナック類もいただきますが・・・ばくばく、ごくごく」


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と、3本目のビールが空き、炎のランタン!!!を点灯する頃になってもwingさんが来ません。
ちなみにこのランタン、夜になって遠くから見ると、焚火のようにも見えました・・・

「それにしてもwingさん遅いですね、休みは取れたと言ってたのに・・・」

「まあ、彼は無視して夕食の焼き物を始めましょうか・・・」

とか言いつつも待ってると完全に暗くなってから、ようやくwing号が到着。

「いやあ、ひさしぶりのキャンプで朝からあれこれ準備してたら出遅れて・・・あは」

「ったく、で、今回の焼き物は自分の分を各自用意つーことで事前連絡してましたが???」

「いや、どうせ98kさんがいっぱい持ってくるだろうと・・・」と赤チャリさん

「そう、加齢で食餌量が減ってるのに気づかず大量購入されると予測・・・」と川端さん

「そうそう、98kさんの一人前計算は通常の4人前ですからね、ごくごく」とwingさん

「いやいや、今回は通常の1人前しか持って来てませんよ・・・ぶつぶつ・・・」

と、わたくしが持参したミスジ肉を一人あたり数切れずつ、一瞬で食べ終えると・・・

「あはは、さすがに足りませんね、じつはプルコギ・セットつーのを買ってきました。」

「おおっ、さすがは赤チャリさん!!! わたくしのダッカルビパンに合わせたんですね!!!
では、持参した茄子も追加してと・・・じゅうじゅう」

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この後、セットのカット野菜を投入し焼き肉タレも追加して、はぐはぐ、もぐもぐ・・・

「焼き物といえば赤ウインナーと焼き鳥を持参しました。んぐんぐ」とwingさん

「では、冷えてきたことだしドームタープと珪藻土カンテキ(七輪)をお願いします。
わたくしはここで飲み続けてるので、中で準備ができたら呼んでねっ!!!うぃーっ」


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「ふむふむ、タコさんウインナーと焼き鳥には・・・ひっく」


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「やっぱ、ストレートのアイリッシュ・ウィスキーでしょ、かぱかぱ」

「で、こうやって水を数滴たらすと味が変わるんですよね、ぐびぐび」

と、wingさんも駆けつけ三杯どころか、この夜はけっこう飲み続けておられました。
やはり二人とも長期にわたるキャンプ宴会自粛の反動が現れたんでしょうね。

と・・・

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ボトルが半分になる頃には、ボルネオ仲間からいただいた和歌山県太地町産「鯨ハム」つーのを
辛子マヨネーズで食べたり・・・とても旨かったです・・・ありがとね!!!ちかこさん!!!


赤チャリさんはダイソーのメスティン大小で、なにやらごそごそと・・・

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って、メスティン料理ブームで、今や100均でも各サイズが出てるんですね・・・
ちなみに小サイズは3人の分もお土産にいただいたので、わたくし帰宅してからすぐに、
トランギアのラージメスティンに入れました。
ええ、実家にあるはずの古い普通サイズが見つからないので助かりました。ありがとね!!!


で、今回の中味は・・・

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なんと焼きリンゴ!!!
そう、赤チャリさんらしい甘味たっぷりの味付けで、こちらも旨かったです。


で、めずらしくすっかり出来上がってたwingさん

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タープ内の蟲さんなんかを撮ってたのですが、やがてふらふらと消えました。

けっこう時間が経過し、もう寝たのかなと思ってると、ふらふらとタープに戻ってきて、

「いやあ、あまりに星がきれいなので、新調した三脚で星空を撮影してました。ひっく
でも「星空AFモード」つーのがイマイチ不調でしたね。うぃーっ」

「それはカメラのせいではなく、あんたがふらふらのせいでは・・・げふっ」



と、wingさんから提供いただいた(翌日の夜の?)画像・・・

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いやあ、泥酔状態にしては、なかなか見事な作品じゃないすかっ!!!
焚火の大きな光量をクルマでカットして、煙だけ浮き上がらせてるし・・・



ちなみに今回の我々のサイトがこちら・・・
                     (こちらもwingさん提供画像)
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日差しの強い昼は右の遮熱イベントタープでビールをかぱかぱ、冷え込む夜は左のドームタープで
夜風を防いで炭火で暖まりながらウィスキーをかぱかぱ、つーのがわたくしの定番・・・

今回はじめてキャンプで使った大容量の充電式ランタンですが、二泊三日なら最大照度でも
充分に持ちました。前のタイプは二日目にはやや暗くなり電池残量も少なくなってましたが。

と、みなさんのライト談義や照射比較は、深夜になっても延々と続いてたのですが、
わたくしはひたすら、かぱかぱ、ごくごく、でヘロヘロでした・・・

ええ、2020秋(こっそりと)熊野キャンプの第一夜は、このように更けていったのでありますね。

(次回に続きます)




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2020年11月13日

万葉集講義・・・

ええ、わたくし最近・・・

自由な日本語の書展や、奈良の正倉院展に行ったりしてたので・・・

今回は奥様が図書館から借りてた「万葉集講義」とゆー本のご紹介。

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万葉集講義~最古の歌集の素顔~

上野 誠著 中央公論新社 中公新書2608 2020年9月25日発行の最新刊であります。




例によって目次のみ・・・

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タイトルといい目次といい一見するとカタそうですが、ズブの素人でも面白く読めました。

また「最古の歌集の素顔」つーことで、当時の「ヤマト言葉・やまと歌」と漢字表記の関係や、
中国文化の東アジアでのグローバル化の中で、たまたま辺境メンバーだった日本・・・
といった見方についても、とても興味深かったです。

例によって、わたくしの読後メモから一部をご紹介・・・



「はじめに」よりのメモ

・東アジア漢字文化圏の文学・宮廷文学・律令官人文学・京と地方をつなぐ文学という性格
・言葉の一部に古代朝鮮語に由来するものはあり、前書きや序文は漢文、渡来人の歌も多いが
歌は日本語で詠まれたもので、ミステリー本にあるような「朝鮮語で書かれたもの」ではない。
・宮廷貴族の文学だが「全日本」を志向しているのが一つの性格をかたちづくっている。
・歌はホモ・サピエンスが普遍的に有している文化で、ウタウ・カタル・ハナスなどは
口から耳への情報を伝える方法の一つで、意味情報伝達と音楽情報伝達の二つの側面がある。
・歌は音楽情報伝達の側面が大きく、万葉集は五音句と七音句に整えられた歌で中心は短歌体。
・これは宮廷で歌われていた歌のかたちで、その後の「やまと歌」の伝統を形成することになる。


各章の冒頭に「前章のまとめ」があったので、それら中心のメモ・・・

第一章のまとめ(のまとめ)
①日本語を母語としていた人びとは漢字によって統合された東アジア漢字文化圏の一員となった。

(例として巻11の2514解説よりメモ)
・原文
雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者
・仮の訓読み
なるかみの すこしとよみて ふらずとも われはとどまらむ いもしとどめば
・意味
雷が少し鳴る(ぐらいで)雨が降らなくても、恋人が引き留めるなら、私は留まりましょう
・漢文の書き下し文
雷神 小動して 零らずと雖も 吾まさに留らむとす 妹留むれば

→この歌は中国語を母語として少し文語に通じている人なら、中国語で音読しても意味は
通じるだろうし、日本語を母語として漢文を学習している人も、返り点をつけて書き下し文で
訓めるだろう。だが奈良時代のやまと歌として読むためには、奈良時代の日本語の知識が必要。

→雷鳴は神が鳴る音だったので「雷神」はヤマト言葉では「ナルカミ」で、助詞の「ノ」を添え、
小は「スコシ」か「シマシ」、動は「トヨミ」で今ならドヨメキ、助詞の「テ」を添え・・・
と、「なんとなく」決定していくが、これは歌だからできること。
→なるべく五音か七音で歌の型にあわせて訓んでゆけば「なんとなく」訓めるのである。

(ひらがなカタカナが普及するとヤマト言葉を漢字のみで記した万葉集を読むのが難しくなり、
平安時代の文人たちでも、その殆どが読めなくなっていた。)

②万葉集は東アジア漢字文化圏の辺境の歌集で、表記方法は文脈によって決定するという、
きわめて不安定で、まったく法則性のない方法であった。

③歌が漢字で記されるようになると、一回生起的な感情を表現するものとなってゆく。
→つまり個人のものとなって「作者」が誕生した。

一回生起的な感情を残そうという欲求が生まれ、これが歌集を生み出す原動力になった。


第二章のまとめ(のまとめ)
①万葉集の巻1と2は基本的に歌によって宮廷の歴史を振り返る歌集

②当時の指標である「日本書紀」の流れに沿って歌を並べている

③巻1の1から27まで解説したが、すべて天皇と皇族の儀礼や宴、行幸に関わるもの

④宮廷社会で役割を果たす宮廷文学で、若菜摘みや行幸や狩りや国見など(野外宴会!!!)の賛歌


第三章のまとめ(のまとめ)
①万葉集は律令国家形成期の文学で、国家は漢字によって運営される法治国家を希求していた。

②漢字を学んだ律令国家の官人の地方赴任は、宮廷の文化と歌を伝えることになった。

③都からの国司と地方の郡司たちは歌でも交流した。

④律令官人には高い儒教的倫理規範が求められており、その文化は精神世界にまで及んだ。


第四章のまとめ(のまとめ)
①万葉集は宮廷文学で貴族文学だが、身分や性差を越えた心の交流が期待されており、
天皇から庶民まであるが、それはあくまで上位者の下位者に対する慈悲を指すものだった。

②都と地方の関係は支配と被支配など一方的なものでなく、交流と共感もあったはず。
→実質的に地方を治めていたのは地方の有力者で、エリート官僚の地方出向と同じく、
盛んに交流し共感を得ないとやっていけないし、地方の有力者も見返りを期待。

③地方赴任と上京者の増大には宮廷や都の文化を地方に浸透させる役割と、地方への関心を
喚起するという役割の二つの側面があった。
したがって防人歌も東歌も、浸透から生まれた地方文化の精華ということもできる。

④地方赴任の拡大から家族友人への文通も増大、読まれることを前提とした「書簡文学」も
万葉集において誕生している。

第五章のまとめ(のまとめ)
①各巻の形成について(略)
(本文より個人メモ)
・核となった巻1と巻2は明らかに「歴史による分類志向」で、歴史志向が顕著なのは1~6
個人の日記も一つの歴史志向と言えるので末4巻も歴史志向
・巻8と巻10は「四季による分類志向」が顕著
・「地理による分類志向」は畿内の長歌の巻13、東歌の巻14、巻16の末尾部、巻20の防人歌、
・「発想・技巧による分類志向」は巻11と12に顕著
・歌を年代順に並べることによって歴史を実感したいと分類して編纂したのが巻1と2で、
歌を楽しむ人が増えるとさらに広まり、四季や発想・技巧への関心も高まった。
・さらに地方赴任や地方からの上京によってもたらされた諸情報が地理への関心を高めていった。

②巻1から6までは歴史志向で編纂されており、これは全体に及ぶ志向性である
→歴史志向は「ものごと」への関心であり、そこから四季や発想・技巧などの「あや」へ、
関心が拡がっていったと見てよい。
→「古今和歌集」以降の「やまと歌」は「あや」の文学で、なかんずく四季の文学として、
その伝統を形成していくことになる。

第六章のまとめ(のまとめ)
①日本文学史1300年の歴史は「やまと歌」が中心で「古今和歌集」がその規範。
古今和歌集が万葉集から引き継いだのは短歌体という歌体、恋情発想、四季の文学という性格。

②古今和歌集の両序文は905年の「やまと歌の復興宣言文」のようなもので日本回帰精神の反映、
やがて、やまと歌は唐風文化に対する日本文化のシンボルになってゆく。

③古今和歌集は、やまと歌が隆盛を極めた万葉集から100年の暗黒時代を経て、やまと歌を
復興しようという歴史認識に基づくもの。

④万葉集の名義(タイトルについての論争→略)


終章のまとめ(・・・はなかったので、てきとーに他の章も含めてのメモ)

・言葉を使って生きるということは言葉に支配されるということ
・日本語を使って生きるということは日本語に支配されるということ
・漢字を使って生きるということは漢字に支配されるということ
(例→紀行文に使う気候・寄港・寄稿は日本語の文脈で判断するしかないが、漢字にしないと
ひらがなやローマ字では文脈を判断できない。その日本語で私たちは思考しているのだから、
漢字を抜きには思考できない→日本語は漢字を取り入れて発展した言語だから)

・日本の歌は、五世紀以前から歌い継がれた(万葉集から推定はできても)知りえない歌と、
六世紀前半に成立した中国「文選」の古典詩文を踏まえた歌の二つの源がある。

・万葉集は日中が同じ文化基盤を有していた時代の文学で、当時の機構は全て隋唐から
→グローバリズムの波→同調重圧が強くなる→ローカル化への同調重圧(日本回帰志向)も
強くして心のバランスをとってゆく。

・これは明治時代の正岡子規の俳句短歌の革新運動と同じで欧化に対する心のバランス
→「あや」を追求する前の自由な万葉歌を重視→近代の万葉礼賛はここにはじまる
→岡倉天心も内村鑑三も江戸後期の国学者の古典研究も同様
→戦時中にも万葉集がもてはやされたが、戦後もアメリカ文化の大波の中で右派も左派も
万葉集を持ち上げた。

・つまり外来文化の同調重圧が高まれば万葉集は脚光を浴びるが、それは日本的側面のみ。
(じつは六世紀前半の中国詩の文学理論にも、その源があるのだが。)

・今、万葉集に風が吹いているとすれば日常生活に押し寄せるネット化とAI化の重圧からだろう。
→ただしグローバル化の中での日本回帰、万葉回帰をあからさまに否定したくない。
→いつの時代でも文化の辺境に生きる私たちは、そうやって心のバランスをとってきたのだから
・いっぽうで、やみくもな礼賛に対しては「文選なくして万葉集なし」といいたい。

・今、本書を世に問う理由は、万葉集そのものが東アジア漢字文化圏(というグローバル化へ)
の同調重圧の中で、もがき苦しんだ先祖の文学であったということを、少しでも多くの人に
知ってほしかったから・・・


「あとがき」よりのメモ・・・

・日本は漢字を学ぶことによって歴史を持つ国になり、東アジア漢字文化圏の一員になったが、
辺境メンバーだったので、漢字も儒教も仏教も律令も、この国に入ると、みんなグダグダになって
日本化してしまうのである。(中略)

・私は今、(神棚も仏壇もマリア様もの)なんでも教→無限寛容教の信者であった祖母、父、母、
そして(子どもの頃にお世話になった)ゼノ修道士に対して謝りたい。

・外側からやって来た文化を受け入れて、やがて彼我の差をなくしてしまうのが、日本文化の
特性だということを「万葉集」を40年間研究して、ようやくわかりましたよ、と。

・冥界にいる皆様方の知的レベルに、ようやく追いつきましたよ、と。

・・・と、最後に報告されてたのには、すっかり胸が熱くなりました。




m98k at 00:03|PermalinkComments(2) mixiチェック 書斎 | わからないもの