2020年12月
2020年12月30日
風に吹かれて山頭火・・・
年末にとーとつですが・・・
今回はめずらしく画集のご紹介であります。
さらにとーとつに奥付・・・
そう、日本画家・池田遙邨の山頭火をテーマにした小画集で、講談社1996年4月25日第一刷発行。
画集なので内容は紹介できませんが、とりあえず表紙・・・
ちなみに表紙に使われているのは、
「行き暮れて なんとここらの 水のうまさは 山頭火」とゆー作品・・・
裏表紙であります。
裏表紙に使われているのは、
「まっすぐな道でさみしい 山頭火」とゆー作品・・・
巻末にあった掲載図版の一覧・・・
最晩年の遙邨が、惹かれていた山頭火の句からイメージして描いた作品だそうですが、
わたくしも山頭火は好きです。ま、素敵なおねいさんはもっと好きですが・・・
四季折々の自然・安宿・野宿・酒・水・飯、そして人を愛でつつも、時には愚痴になり、
自分を愛でつつも憎み続け責め続け・・・時代を超えて親しみを感じますねえ・・・
ちなみに、わたくしが惹かれた山頭火の句は、こちらの記事の後半で紹介しています。
つーことで、来年こそ良い年になりますよーに・・・どっとはらい
今回はめずらしく画集のご紹介であります。
さらにとーとつに奥付・・・
そう、日本画家・池田遙邨の山頭火をテーマにした小画集で、講談社1996年4月25日第一刷発行。
画集なので内容は紹介できませんが、とりあえず表紙・・・
ちなみに表紙に使われているのは、
「行き暮れて なんとここらの 水のうまさは 山頭火」とゆー作品・・・
裏表紙であります。
裏表紙に使われているのは、
「まっすぐな道でさみしい 山頭火」とゆー作品・・・
巻末にあった掲載図版の一覧・・・
最晩年の遙邨が、惹かれていた山頭火の句からイメージして描いた作品だそうですが、
わたくしも山頭火は好きです。ま、素敵なおねいさんはもっと好きですが・・・
四季折々の自然・安宿・野宿・酒・水・飯、そして人を愛でつつも、時には愚痴になり、
自分を愛でつつも憎み続け責め続け・・・時代を超えて親しみを感じますねえ・・・
ちなみに、わたくしが惹かれた山頭火の句は、こちらの記事の後半で紹介しています。
つーことで、来年こそ良い年になりますよーに・・・どっとはらい
2020年12月27日
ポロショコラ専用ケースと専用フォーク!!!
ええ・・・
わたくしの愛してやまないポロショコラですが・・・
ついに専用ケースと専用フォークを入手しました!!! ややきっぱりと・・・
じゃーん
ま、某セリアにあった「カーゴランチボックス・ロング」とゆー100均商品なんですが・・・
なんと・・・
このサイズ感!!!
まさにポロショコラ専用ケース!!!だったのでありますね。
好みの色合いだしMADE IN JAPANのポリプロピレン製で耐熱140℃・耐冷-20℃だし・・・
ま、耐熱・耐冷性能はポロショコラの持ち運びには、あまり関係ないでしゅが・・・
ともかくぴったりサイズなので、リュックやバッグに放り込んでもこれで型崩れしません。
本来はランチボックスだそーですが、ポロショコラは1本で825kcalありますから、
ランチボックスとしての機能も充分に果たしているかと・・・
さらにタテ・ヨコはジャストサイズで、高さには少しゆとりがあるので・・・
このようにセリアの折りたたみスプーンとフォークも一緒に入るのであります。
ま、ポロショコラにスプーンは使わないので、実際にはフォークか爪楊枝と紙おしぼりを
人数分入れることになりますが・・・
ちなみにセリアの折りたたみスプーンとフォーク、以前は燕三条の全金属製でナイフもあり、
どれもひとつで100円でしたが、今は2点セットで100円になってて、
発売元は三条市の会社ですが、MADE IN CHINAのハイブリッドになってるんですね。
まあまあしっかりしてるし以前の全金属製よりお安く軽くなって、色合いもまあまあだし、
これはこれで、まあまあお気に入りに・・・
つーことで・・・
「わらしべ長者」をめざして、またまた大人買いしましたとさ!!!
そう、これをあちこちでプレゼントしてると、やがて高級チタン製とかに・・・げひげひ
わたくしの愛してやまないポロショコラですが・・・
ついに専用ケースと専用フォークを入手しました!!! ややきっぱりと・・・
じゃーん
ま、某セリアにあった「カーゴランチボックス・ロング」とゆー100均商品なんですが・・・
なんと・・・
このサイズ感!!!
まさにポロショコラ専用ケース!!!だったのでありますね。
好みの色合いだしMADE IN JAPANのポリプロピレン製で耐熱140℃・耐冷-20℃だし・・・
ま、耐熱・耐冷性能はポロショコラの持ち運びには、あまり関係ないでしゅが・・・
ともかくぴったりサイズなので、リュックやバッグに放り込んでもこれで型崩れしません。
本来はランチボックスだそーですが、ポロショコラは1本で825kcalありますから、
ランチボックスとしての機能も充分に果たしているかと・・・
さらにタテ・ヨコはジャストサイズで、高さには少しゆとりがあるので・・・
このようにセリアの折りたたみスプーンとフォークも一緒に入るのであります。
ま、ポロショコラにスプーンは使わないので、実際にはフォークか爪楊枝と紙おしぼりを
人数分入れることになりますが・・・
ちなみにセリアの折りたたみスプーンとフォーク、以前は燕三条の全金属製でナイフもあり、
どれもひとつで100円でしたが、今は2点セットで100円になってて、
発売元は三条市の会社ですが、MADE IN CHINAのハイブリッドになってるんですね。
まあまあしっかりしてるし以前の全金属製よりお安く軽くなって、色合いもまあまあだし、
これはこれで、まあまあお気に入りに・・・
つーことで・・・
「わらしべ長者」をめざして、またまた大人買いしましたとさ!!!
そう、これをあちこちでプレゼントしてると、やがて高級チタン製とかに・・・げひげひ
2020年12月24日
土鍋風アルミ鍋22cmとか・・・
めりいくりすます、みすたあ98k!!!
つーことで、まずは土鍋風アルミ鍋22cmであります!!!
そう、サンタさんにお願いしても(ずっと飲んだくれてて、いい子にしてなかったから)
プレゼントしてくれないだろうし、自分で買ってきました。あははは
じゃーん
フタに菜箸が置けるので、フタを開けると同時に味見ができます。
ま、左手にフタ、右手に菜箸を持って味見すると、ヨダレが鍋に入りますが・・・じゅるじゅる
アルミ鍋つーのは、ともかく軽くて熱伝導率が高いのが特徴ですね。
ステンレス鍋や鉄鍋は丈夫だけど重いし、土鍋は割れやすく内側だけ洗うのにも気を遣うし、
特に土鍋をアウトドアに持ち出すことはないので、「土鍋風」なのもお気に入りです。
ちなみに・・・
はり底はステンレス鋼で底の厚さは2.7mm、ま、鍋物には充分でしょう。
はり底のおかげでIHにも対応、おなじみコーナンのLIFELEXブランドであります。
とか、そんなことより今回のポイントは、22cmとゆーサイズだったのでありますね。
このシリーズには18cmサイズと25cmサイズもあったのですが・・・
そう、わたくしキャンプ宴会用の大鍋はいくつか持っており、巨大な中華鍋もあるのですが、
十数年来ずっと愛用しているステンレス鍋は4~5人用だし、それよりも大きい多人数用は、
今では殆ど使うことがなくなったので、2~3人用サイズの鍋が欲しかった次第。
ま、1~2人用には・・・
SOTOの鍋型スモーカーST-125つーのを兼用してましたが、二人鍋としてはやや小さめで、
二人で生煮えの肉を奪い合う凄絶な状況が頻発してましたし・・・
いっぽうフライパン兼用で使う「ダッカルビパン」では、2~3人用にはちと大きかったし、
こちらの・・・
鋳鉄製すき焼き鍋はサイズ的にはあまり変わらないのものの、アウトドアで使うには、
やはり重くて扱いにくいし・・・ま、分厚い鋳鉄なので焼き物にはぴったりなのですが・・・
それに・・・
ダッカルビパン同様、すき焼き以外の鍋物には、やや深さが足りませんでした。
つーことで2~3人の鍋宴会に、ぴったりサイズのを以前から探してたのでありますね。
アルミ製で軽くて持ち運びも便利、土鍋風で雰囲気もあって2~3人にはぴったりサイズ、
2人だと余裕の容量なので、生煮え状態の肉を奪い合うこともないだろうし・・・
ちなみにサーモスの炒め鍋つーのもフライパンになるしサイズ的にもよかったのですが、
焼き物用と鍋物用は別々にしようと、とりあえず今回はこちらにしてみた次第。
ただし平底でそれなりに厚みもあるので、焼き物も楽しめるのではないかとも・・・
って、やはり兼用しようとしてますねえ・・・洗い物とかめんどーだし・・・
で、せっかくなので、これに色合いをあわせた食器セットもついでに購入・・・
スキレット風のプラボウルと・・・
シェラカップ風のプラカップであります。
どちらもダイソーにあった100均商品で、同じポリエチレン製なんですが売り場は別々で、
さらにボウルは耐熱140℃、カップは耐熱80℃になってました。どう違うんだろ・・・
ま、それぞれを鍋物と焼き物の取り皿にしてもいいし、カップは飲み物用にしてもいいし、
飯椀にも汁椀にも使えるし、ともかく色合いがぴったりだったので・・・
どどんと二人分を揃えました。そう、100均商品はいつ廃盤になるか分からないし・・・
この組み合わせなら・・・
ひとまとめにスタックできるし・・・
さらに・・・
ぴったりの黒い収納袋も昨年の京都環境フェスティバルで、もらってたことだし・・・
いやあ、今回はじつにいいクリスマスプレゼントになりました。
ま、自分でちまちまと買い揃えたんだけど・・・
(当日の追記です)
さっそくクリスマスに二人鍋・・・ま、冬キャンではなく自宅ですが・・・
まさにぴったりサイズでした!!! ええ、これで肉を奪い合うこともな・・・がるるる
2020年12月21日
コンダスの女王シェルピ・カンリの装備と食料
前回記事でサバイバルの実話本を紹介しましたが、ま、その続きつーか・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・
編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。
神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・
まずは(1)幕営具!!!であります。
テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・
一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・
(3)炊事用具の続きから・・・
テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる
当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・
(5)器具他の続き・・・
動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・
ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・
ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・
ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・
10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。
当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。
食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・
特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・
当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・
ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・
粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・
缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。
ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。
いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・
今回は昔のカラコルム遠征隊のキャンプ装備と食料のお話であります。
1978年に刊行された「コンダスの女王 シェルピ・カンリ」とゆー本・・・
編著者は隊長の平井一正氏 神戸新聞出版センター 昭和53年5月25日発行・・・
そう、昭和51年(1976年)8月、神戸大学山岳部の遠征隊がカラコルム山脈の未踏峰だった
シェルピ・カンリ(7654m)に初登頂した際の記録で、ひょんなことから最近読んだのですが、
特に巻末にあった遠征隊の装備・食料リストが、とても懐かしくて興味深かったので、
今回はその一部を紹介させていただきます。
ちなみに当時の隊員は以下10名の方々であります。
神戸大学山岳部のOB9名と現役学生1名による遠征隊で30歳前後が中心だったんですね・・・
現在は60代後半から80代後半になる方々で、わたくしが山歩きにハマってた時期とほぼ重なり、
当時わたくしも使っていたモノや、わたくしが憧れていたモノがいっぱいでした・・・
まずは(1)幕営具!!!であります。
テントはカマボコ型とウィンパー型がメインで、ウィンパーの3人用でも7kgになってますね。
2人用の吊テントつーのは、当時は最新だったダンロップの吊り下げ式でしょうか・・・
ただし吊テントはキャラバン用や連絡将校用で、高所用はまだまだウィンパーの独壇場。
この後、遠征隊でも急速にドーム型テントが主流になっていくんですよね。
最近のキャンプブームでは、広くて風にも強いカマボコ型が、一体型タープ・テントとして、
再び脚光を浴びてるようですね。やはりテントについても時代は廻るのか・・・
さらに竹ペグ200本を日本から持ち込んだ、つーのも時代ですねえ・・・
たわしは、とーぜんテントの雪払い用・・・
(2)の登攀用具は省略して・・・
(3)炊事用具・・・
一次隊が高所でのケロシン(灯油)ストーブの不完全燃焼とカーボン詰まりに苦労したので、
ABC(アタックベースキャンプ)以上ではプロパンガスを、BC以下ではケロシンを使用した
と本文にありましたが、200gカートリッジが50本とあり、ラジウス等に慣れていた隊員たちも
やがて不完全燃焼が起きないプロパンを愛用するようになったとのこと・・・
キャンピングガスのブタンバーナーがようやく出回ってた時代なので、鉄製の大型ボンベから
小型カートリッジへプロパンガスを詰め替えて使ってたんでしょうか。
でも1本200g入り230gで今のOD缶とほぼ同じだし、800gボンベ直結型コンロは別にあるし、
キャンピングガスのバーナーやランタン用のプロパン・カートリッジが当時からあったのか・・・
とか、興味は尽きません。
わたくしも当時は先輩から引き継いだプリムス製の灯油ストーブを愛用してましたが、
やがてキャンピングガス→EPI→イワタニプリムスと、OD缶仕様がメインになりました。
コールマンのガソリンバーナーやランタンも併用してましたが、アウトドアでの遊びが、
ファミリーキャンプ中心になる頃から、カセットボンベ式(CB缶)がメインに・・・
そう、バーナーは灯油やガソリンからCB缶とOD缶の使い分けへ、ランタンはガソリンと
CB缶とOD缶の併用から(その前はローソクでしたが)、やがて乾電池式LEDが主流になり、
さらに今ではモバイルバッテリーを兼ねた充電式LEDに完全に移行しました。
そう、これならソーラーパネルを併用すれば、永遠にキャンプ宴会が続けられるし・・・
(3)炊事用具の続きから・・・
テルモスにメタクッカーにスイスメタ・・・マミヤプレスにニコンF2にニコマート他・・・
どれも懐かしいなあ・・・うるうる
当時の酸素ボンベ(川崎重工)つーのは4ℓサイズで6.3kgとあり、やはり相当重いですね。
現在の高所用はチタン製で軽くてコンパクト、一般人でも健康で資金とヒマさえあれば、
誰でもエベレストの頂上に立てる時代だそうなので、みなさんいかがでしょう・・・
(5)器具他の続き・・・
動画撮影はベル&ハウエルの16mmとフジカシングル8、他の機材についても、もちろん、
ソーラーパネルやリチウムイオン電池はないので乾電池1200本を持ち出したんですね。
単一200本、単二400本、単三600本で、乾電池だけで総重量は56kg・・・
フィルムは計380本で総重量は30kg、電卓2台で500g・・・時代ですねえ・・・
ちなみにヘッドランプの共同装備は4個になってますが、これは個人装備の予備用。
とーぜんLEDは存在せずライト類はすべてフィラメント仕様なんですね。
さらに通信機器としては3種類のトランシーバー8台と短波受信用ラジオ2台のみ・・・
サーチライト(防水ライト)300g×2つーのは、いったい何だったんでしょう???
と、さらに興味は尽きません。
(6)雑品類(7)医薬品と続き、(8)は隊員用個人装備・・・
ウールの肌着にアクリルの肌着、網シャツにウールの登山シャツにパンツ10枚・・・
(6)雑品類にはパキスタン国旗×2、日本国旗×3、ローソク40本とかも・・・
(8)個人用装備の続き・・・
ウールのニッカーズボンにヤッケにジャンパーに半身用の(重い)「エヤーマット」・・・
キャラバン用の軽登山靴に(ヒマラヤンシューズ)とありますが、あのキャラバンシューズ?
ちなみにパキスタン連絡将校用の個人装備は当時の登山規定上の義務だったようです。
以下・・・
ハイポーター6人分、中間ポーター11人分の個人装備も当時の規定で同様に準備・・・
ちなみにキャラバン時の一般ポーターは50人以上だったようです。
とまあ、懐かしい44年前の大学海外遠征隊の装備ですが、酸素ボンベと圧力鍋以外は、
当時の国内での冬山装備と基本的には同じだったようです。
今の遠征隊なら衛星からネット接続できる電子機器とソーラーパネルは必須でしょうが、
担ぎ上げる手間はフィルムと乾電池だけ考えても、随分と便利になったものです。
で、以下は日本から持ち出した食料リストであります・・・
10人分だそうですが、ベースキャンプまでのキャラバン中は現地調達した食料が中心で、
日記によると、カパルからのキャラバン出発が6月16日、仮ベースキャンプ入りが6月25日、
ベースキャンプ設営が6月30日、初登頂成功が8月10日、ベースキャンプの撤収が8月17日、
カパルへのキャラバン到着が8月22日となっており、「仮ベースキャンプから撤収までを
日本食とし、670人/日分を用意した。」とありましたから、10人の約2ヶ月分でしょうか。
当時のアルファ米の赤飯は不評だったようですね。
食塩620g入り467個つーのは何かの間違い? 岩塩より使いやすいとも・・・
特注ベーコン真空パックに、瓶詰めのつくだ煮や塩辛、つけもの各種・・・
当時とすれば最新の行動食なんでしょうが、主食は米とアルファ米、おかずは乾燥肉に
乾燥野菜と缶詰、フリーズドライもありますが、やはり重い缶詰が圧倒的ですね。
レトルト食品が見当たらないのは、缶詰ほどの強度がなかったから?
ボンカレーが1969年、ククレカレーが1971年の発売ですから、出回ってたはずなんですが・・・
最年少の現役学生だった食料係は、出発前に缶詰が多すぎると隊長から非難されてたけど、
旨い旨いと言って缶詰ばかり食べてたのは隊長だったとか・・・
ま、確かに当時の乾燥野菜や乾燥肉つーのは、決して旨いものではなかったでしょうし、
フリーズドライやレトルトの技術も、今とは比較にならなかったでしょう。
砂糖85kgを現地購入つーのも、考えてみれば凄いハナシで、お茶に使ったんでしょうか・・・
粉ジュースの評価がBつーのも時代ですねえ・・・
またウィスキー30本とありますが、これは隊によって大きく異なるそうで、本隊の場合は、
仮ベースキャンプに到着した時点で、殆ど底をついていたとか・・・
缶ビール(ロング缶?)が450ml入りになってるけど・・・覚えてないなあ・・・
さらにピース缶入り15000本、ハイライト5000本つーのも時代です。
ちなみにどちらも「特にうまいと思ったもの」に評価されてますね。
いやあ、じつに懐かしくて興味深かったです。
本文も単なる記録としてだけでなく、紀行文としても読み応えがありましたが、
巻末にあったこの装備リストと食料リストは、大人数・長期キャンプの糧食・飲料計画や、
災害時に備えたストック計画にも参考になるのでは・・・と思った次第。
そう、現在のキャンプ装備や保存食・行動食の原点は、まさにこの頃でしたので・・・
2020年12月18日
本当にあった奇跡のサバイバル60
以前、災害に備える「ローリングストック法」とかを紹介しましたが、今回は・・・
本当にあった奇跡のサバイバル60・・・
とーゆー本のご紹介・・・
著者 タイムズ ベア・グリルス(まえがき) 訳者 河野純治
日経ナショナル・グラフィック社 2013年12月24日 第1版第1刷発行
例によって目次のみ
有名なエピソードもありましたが、わたくしが知らなかった事実もけっこうありました。
例えば「世界が揺れた日」つーのは、1923年9月の関東大震災の日に横浜港に停泊していた
オーストラリアの遠洋定期船エンプレス・オブ・オーストラリア号の乗組員と乗客のハナシで、
海上や埠頭が炎に包まれる中、埠頭の消火作業や、ロープやはしご、救命ボートによる陸地に
残された生存者の救出活動を続け、3日後に戦艦山城から派遣された潜水要員の作業によって
港から脱出できても、帰国せずそのまま沖合に停泊、救命ボートによる危険な救出作業を続け、
合計12日間で数千名の命を救ったというもので、今回まで知りませんでした。
ほかにも「カヌー奇襲大作戦」つーのは、1942年のファルトボートを使った英海軍による
フランクトン作戦のハナシで、二人艇6艇12人のコマンド隊員がビスケー湾上の潜水艦から発進、
夜のみ漕いでジロンド川を97kmも遡上し、ボルドー港に停泊するドイツ艦船を爆薬で沈めて港を閉塞、
作戦は成功したものの、12人のうち生還したのは僅か2名という過酷なサバイバル・・・
などなど、むしろ知らないエピソードの方が多かったですね。
そう、大脱走やキリング・フィールド、アポロ13、セブンイヤーズ・イン・チベットなどなど
映画になったハナシは知ってましたが、他にも様々なサバイバルがあったんですねえ・・・
さらに各項ごとに置かれた状況・危険要因・使った装備などが一覧表にまとめられており、
どの項も概要だけでしたが、とても興味深く読めました。
極限状態でのサバイバルつーのは、ぬるい日常生活に浸っているわたくしにとっては、
(脱獄や戦争や難破や誘拐も含め)映画や読み物として楽しむのは限りなく魅力的ですし、
そんな状況になった場合に備えてサバイバルの技術や知識や装備を身につけておくことも
必要とは思ってますが、むしろ大事なのは、そんな状況に自分や家族を含む社会の環境が、
将来にわたって陥らないように、できる範囲で努力を続けることなんでしょうね。
ま、これからも疑似サバイバル体験は大いに楽しみたい、とは思ってますが・・・
本当にあった奇跡のサバイバル60・・・
とーゆー本のご紹介・・・
著者 タイムズ ベア・グリルス(まえがき) 訳者 河野純治
日経ナショナル・グラフィック社 2013年12月24日 第1版第1刷発行
例によって目次のみ
有名なエピソードもありましたが、わたくしが知らなかった事実もけっこうありました。
例えば「世界が揺れた日」つーのは、1923年9月の関東大震災の日に横浜港に停泊していた
オーストラリアの遠洋定期船エンプレス・オブ・オーストラリア号の乗組員と乗客のハナシで、
海上や埠頭が炎に包まれる中、埠頭の消火作業や、ロープやはしご、救命ボートによる陸地に
残された生存者の救出活動を続け、3日後に戦艦山城から派遣された潜水要員の作業によって
港から脱出できても、帰国せずそのまま沖合に停泊、救命ボートによる危険な救出作業を続け、
合計12日間で数千名の命を救ったというもので、今回まで知りませんでした。
ほかにも「カヌー奇襲大作戦」つーのは、1942年のファルトボートを使った英海軍による
フランクトン作戦のハナシで、二人艇6艇12人のコマンド隊員がビスケー湾上の潜水艦から発進、
夜のみ漕いでジロンド川を97kmも遡上し、ボルドー港に停泊するドイツ艦船を爆薬で沈めて港を閉塞、
作戦は成功したものの、12人のうち生還したのは僅か2名という過酷なサバイバル・・・
などなど、むしろ知らないエピソードの方が多かったですね。
そう、大脱走やキリング・フィールド、アポロ13、セブンイヤーズ・イン・チベットなどなど
映画になったハナシは知ってましたが、他にも様々なサバイバルがあったんですねえ・・・
さらに各項ごとに置かれた状況・危険要因・使った装備などが一覧表にまとめられており、
どの項も概要だけでしたが、とても興味深く読めました。
極限状態でのサバイバルつーのは、ぬるい日常生活に浸っているわたくしにとっては、
(脱獄や戦争や難破や誘拐も含め)映画や読み物として楽しむのは限りなく魅力的ですし、
そんな状況になった場合に備えてサバイバルの技術や知識や装備を身につけておくことも
必要とは思ってますが、むしろ大事なのは、そんな状況に自分や家族を含む社会の環境が、
将来にわたって陥らないように、できる範囲で努力を続けることなんでしょうね。
ま、これからも疑似サバイバル体験は大いに楽しみたい、とは思ってますが・・・