2021年05月

2021年05月12日

大阪市電が走った街 今昔・・・

外出が少なくなり今年になってからずっと・・・になりますが・・・

「大阪市電が走った街 今昔~水の都の路面電車 定点対比~」

辰巳 博著・福田清二編 JTBキャンブックス 2000年12月初版発行

とゆー本を眺めてて、様々な思い出が蘇ってるので紹介させていただきます。


表表紙であります。

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昭和41年 旧大阪市庁舎前に停車する1601型・・・だそうです。



裏表紙であります。

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大正橋の今昔(昭和42年と平成12年)・・・だそうです。


例によって目次のご紹介・・・

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開業時期ごとにまとめた各路線主要停留所付近の今昔を、同位置から同画角で写真対比させ、
その写真に解説やエピソードが付くという構成で、分かりやすく面白かったです。




奥付であります。


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編者で現況の撮影者は、鉄道同好会OBの方だったんですね。



偶然ですが校友会誌・本年新年号の・・・


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「サークルいま、むかし」とゆーコーナーで鉄道同好会が取り上げられてて、

DSCN9034

なんとご本人が載ってました。現在もOB会の副会長をされてるんですね。お元気で何より!!!
学生時代は「撮り鉄」で日本写真印刷に就職、写真集の編集制作に携わっておられたとか。



DSCN9067

OB会の活動も盛んなようです。
SF研究会OBも、史跡同好会OBも、洛嶺会OBも、がむばらないといけませんね・・・


閑話休題


市電の路線図であります・・・

DSCN9009

戦後最盛期の昭和34年には大阪市内だけでなく守口市や堺市まで、まさに縦横無尽に
走り廻ってたんですね。

昭和44年に最後の路線が廃止されてますから、一人で乗った記憶は殆どありませんが、
父親が市電の車掌をしてたので、小さい頃に(おそらく非番の日に)一緒に乗せてもらい、
市内あちこちに連れて行ってもらった記憶は、朧げながら残ってます。

ちなみに京都の市電は(トシがバレますが)ずっと烏丸線で通学してたのが最終年次で廃止、
卒業までの1年間は四条烏丸から烏丸今出川の間は主にバス通学でした。
市電代(当時25円!!!)がなくなり、よく賀茂川べりなんぞを歩きましたねえ・・・



で、こちらが「大阪市街電車唱歌」・・・通称「市電唱歌」・・・

DSCN8832


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明治41年にできた一期と二期の路線だけですが、それでも21番まであり、父親からもらった
市電廃止記念誌に付いてたソノシートで!!!、わたくし全てを覚えてました。

九番の歌詞にありますが、明治時代の住吉や浜寺は「大阪」から、わざわざ見に行くような
郊外のリゾート地で有名観光地だったんですね。

ちなみに学生時代の小松左京氏による現代史講義で「覚えてる一番長い歌は?」と質問され、
「大阪の市電唱歌でしょうか、21番まで覚えてます。」と答えると、
「おおっ、それは面白い。ちょっと歌ってみて!!!」と言われたのも懐かしい思い出です。
複雑な情報も歌にすれば覚えられるので、人類は文字ができるまで情報を歌にして残してきた、
といった講義の一部だったと、今でも覚えています。


さらに閑話休題


どの停留所も沿線風景が懐かしく写真紹介できないのが残念ですが、どうしても一枚だけ・・・
(問題があるようなら、すぐに削除します。)

DSCN9010

三宝線、
住之江公園前の昭和35年と平成12年の沿線風景の対比であります。
そう、まさに今のわたくしの定番ポタリングルート!!!

もちろん、この現況写真から、さらに20年が経過してますので状況は変わってますが、
わたくしの記憶する市内なら阿倍野筋以東、南海本線沿線なら大和川以南の風景と同じで、
まさに一面の田畑だったんですね。感無量でした。

大阪市内の幹線道路や大きな橋は、もともと市電を通すため市電の収益で整備されたもの、
それがモータリゼーションの波で邪魔者扱いされるようになり、やがて廃止に至ったのは、
まさに高度成長期の悲哀ですね。

地下鉄やバスと違って乗り降りしやすく人に優しい路面電車は、新しい都市交通手段として
再び見直されてるようですが、大阪でも思い切って復活させてほしいものですね。
路面電車がのんびり走り、堀川で乗合船が行き来する街つーのは、じつに絵になりますし・・・


(追記)
じつは本書、たまたま図書館で見つけて熟読、貸出期間を延長して毎日眺めてたのですが、
見かねた奥様がメルカリで購入してプレゼントしてくれたもの。
ずっと手元に置いておきたかったので、大変ありがたいことであります。ぺこぺこ



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2021年05月05日

植林ボランティア団体・澤井代表の評伝!!!

とーとつですが・・・

わたくしも設立当初から参加して中国西北部・モンゴル・アマゾン・ボルネオの各地で
現地の子どもたちと木を植え育てる活動をしていた非営利の海外植林ボランティア団体、
N.GKS(エヌ・ジクス)」の主宰者・澤井代表の評伝が出版されます。




アッと驚く! 90歳 ー実録「澤井敏郎」評伝ー  藤本 博 著

産経新聞生活情報センター 2021年5月8日第1刷発行  ISBN 978-4-909053-09-1


表紙カバー

P5040012

表紙写真は澤井代表が昔からお得意の「生たまご立て」・・・




裏表紙カバー

P5040023

こちらは植林活動の原点となった中国・内モンゴル自治区・クブチ沙漠・・・
と、右上はお得意のスプーン曲げ・・・ともかく常識をひっくり返すことが大好きです


著者は京都・洛南地域の地方紙記者として、30年にわたり澤井代表を取材してきた方で、
2018年に退職後は、洛南の歴史遺産ではなく洛南の今を生きる人物遺産を克明に記録して、
地域に遺すことをライフワークにされてるとのことでした。(「あとがき」にかえてより)

構成としては澤井代表が退職後にはじめた「沙漠・熱帯雨林緑化活動編」は本編の2割程度で、
軍国少年だった少年時代、競技かるたに明け暮れた学生時代、連珠や切手収集など他の趣味
についても書かれてますが、本編の約半分を割いていたのは、やはり現役時代・・・

そう、昭和の高度成長期に企業戦士として戦い続けてきた生き様が克明に描かれてました。
例えば、澤井代表が1954年の就職時に役員から提示された勤務条件・・・
①休日は月1日、年間350日出勤
②月給税込み1万円、残業など手当は一切なし
③月3~4回の徹夜勤務
というもの・・・
これが当時の成長産業としては、特に並外れたものではなかったそうで、戦後経済発展の原動力が
まさに「人力」だったことがわかります。

もちろん「アッと驚く」エピソードは現役時代以外でも、遠山正瑛翁との運命の出会いなど
植林ボランティア活動でも満載でした。

特に著者が絶句したのが2009年のアマゾン植林ツアー(わたくしは仕事の都合がつかず不参加)
だったそうで、出発4日前の「もらい事故」で右上腕部と左母指付根を骨折する重傷を負い、
緊急手術して入院しなければ一生動かなくなるかもと医師から宣告されたにもかかわらず、
ギプス固定だけして車椅子で出発したというエピソードで「この人は尋常の人間ではない」
とさえ思ったとのこと・・・

すでに綿密な現地との調整も終えてベテランの幹部やツアコンも参加してるし、わたくしも含め
周囲から手術と入院を勧めたのですが頑として拒否、見送りに行った空港でも、わたくしが
「せめて現地では無理をしないように」と忠告したら「無理をしないと目的は達成できない」
と返してましたからねえ・・・まさに昭和の企業戦士の生き様ですね。


本著は本人が残している膨大な資料と記憶を約2年かけ丹念に取材して検証、さらに取捨選択して
著者の思いも含めた評伝ですので、とても要約などはできませんが、全体の読後感だけ・・・

戦中の幼少期から戦後の混乱期を経験し、高度成長期に企業戦士として戦い抜いた世代には、
それぞれ波乱万丈の人生があったのでしょうが、わたくしとほぼ同世代の著者からみても、
澤井代表の生き方というのは、やはり驚きだったようで、本のタイトルにもあるとおり、
全編が驚きの眼をもって捉えられており、それが新鮮な視点で最後まで飽きませんでした。

入念な取材に基づいた、一般には知り得ない事実もあって、構成も
文章も馴染みやすく
著者の思いも伝わってきて興味深く読めました。
さすがベテラン記者の著作ですね。

ちなみにAmazonでも取り扱うようなので、興味のある方はご一読を・・・
(もとN.GKS会員など関係者には、澤井代表から直接郵送するとのことでした。)



m98k at 11:55|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 沙漠緑化・熱帯雨林再生 | 書斎