2021年10月
2021年10月30日
世界の食に学ぶ・・・
とーとつですが・・・
世界の食に学ぶ・・・
国際化の比較食文化論であります。
編者・執筆者・発行所・発行年月日については以下のとおり・・・
執筆者のうち奥野克己という方が、ボルネオのジャングルを移動しながら暮らしていたプナン族
の研究者でもあり、たまたま著書検索で出会えた一冊であります。
例によって目次のご紹介・・・
この本では第2章1「エジプトのパン」を担当されてたようで、プナン族の食についての
紹介はありませんでしたが、中東ムスリムの食についても研究されてるんですね。
以下わたくしの読後メモから部分抜粋・・・
第1章
・清潔と不潔・血は穢れ?
・鼠食・犬食・鯨食(鯨は食べるけどイルカは食べない女子大生)
・食の生産(狩猟)カテゴリーである、
ペット(食用禁止)・家畜(食用禁止だが去勢すれば可)・獲物(山野の動物で可食)・野獣
(接触不可なので食べられない)の四分類は、
・人間の生産(性・生殖)カテゴリーである、
姉妹(性関係禁止)・実のイトコ(未婚の性関係可だが結婚禁止)・友人(結婚可)・遠い他人
(結婚可能性はない)の四分類に対応する
(リーチ「言語の人類学的側面」現代思想3-4 1976)
→イトコとは結婚しないが恋人ならOK、牛や豚は食べないがビーフやポークならOK
・南太平洋やアフリカでは肥えていることは他者と食物を分け合う協力的な人格を表し、
痩せた身体はケチで反社会的とみなされていた
・家族的集団は食の消費単位であり食に関する労働分業の基本的単位でもあった
→食は家族に限らず社会との関わりにおいても重要で言語に次ぐコミュニケーションの媒体
→フィジーの海岸での共食の例
・赤頭巾ちゃんの「パンケーキと小さなバター壺」は出来事が移行する時空間の境界に現れる
→宗教的にセンターの教会はパンの集積と分配の中心で、その両側から見れば境界(中間点)
・穀物・甘さ・甘いがワイルドなチョコレート
・教区(コミュニティ)のパブから(若者は)自転車に乗って離れたカフェや居酒屋へ行くように
・アメリカのコーヒー党とイギリスの紅茶党→ボストン茶会事件から
・レストランの語源はレストア(回復)センター→健康に良い食事を提供する施設
→個人の病状に合わせたアラカルト・メニューと個室→割り勘→個人主義の理念
・旅行者の食事と宿はキリスト教会だったが、鉄道ができてメニューが選べるレストランに
・パブ、ビヤホール、居酒屋では静かに飲むことは期待されていない
→カフェ(コーヒー・ハウス)やレストランでは静かにふるまうことが期待されている
・前菜とデザートは正式な食事の入口と出口で軽くて甘い「時間の境界」
・ティーブレイクもカフェもレストランも時間と空間の狭間(日本では辻)で出会いと合流の場
→欧米の食文化は変化したが集合点(中心・境界)での飲食はコミュニケーションの場として存続
・ニューギニア高地南部フォレ人のカニバリズム(食人)とクールー病
・ミクロネシア・チュークのアニプン(土を食べる)→人も動植物も土から土への食物連鎖
・狩猟採集→牧畜放牧農耕→都市文明→産業社会という発展は暮らしの進歩だったのか
→グローバル化は人口増加(食糧生産)と生命連鎖循環のバランスとアンバランスの修復の問題
→牧畜や農耕で人口は増加したが病気による死亡率も増加した
→地域の病原菌への適応(西アフリカのマラリア適応・北西ヨーロッパのHIV適応など)
→20世紀後半以降の交通の発達、熱帯雨林の伐採、急速な人や物の移動が多くの病気を拡大
・北アメリカ先住民の主食はトウモロコシ・かぼちゃ・豆、南米ではジャガイモが代表的
→どれも西洋では長年食べなかったが戦争や飢饉で広がった
→アイルランドで主食になっていたジャガイモの疫病により10年間で100万人が死んだ
→オーストラリアやニュージーランドへの移民の契機になった
→ジャガイモは政治経済のグローバル化によりもたらされた作物であっただけでなく
人の移動のグローバル化まで促した食品
・エビ・バナナなどのプランテーションと環境破壊と貧富差の拡大
・ハンバーガー・ホットドック・サンドイッチ・パイは小麦で肉や野菜を挟んだもの
→赤肉は狩猟牧畜で男性的、パンは白肉(魚鶏)や野菜に近く女性的→食の二元論
・緑の革命(1980年代~)とその対抗運動
→ヒッピーの自然食と東洋趣味がヤッピー世代になりエスニック料理へ
・食は農業政治経済だけでなくローカルでの生存の仕方と暮らしと文化に関わるもの
第2章
1エジプトのパン
・慣れ親しんだ日本のマクドナルドは日本人学生にとっては「日本のもの」だった
→世界各地その文化での工夫を経てるのでグローバル食品とは言い難い食べ物
・食べ物の扱い方はコミュニケーションツールとして社会関係の繊細なバロメーター
→社交を開始し維持し、時には破壊することにつながる
・人類史において栽培植物は大転換で穀類と根菜類に大きく二分される
→穀類のほうが労力と頭脳(生産技術)が必要で食品学的には保存と移動に違いが現れる
・小麦の野生種は紀元前7000年あたりの「肥沃な三日月地帯」から
→紀元前3500年あたりの古代エジプトでパンの遺物→最高の加工食品だった
・パンがヨーロッパに伝わることで社会的な重要性が付加される
→「ブレッド&バター」はそのまま「生計」を意味する
→パン作りや管理、小麦の収穫が飢饉に直結→違反には重罰
・パンは発酵パンと無発酵パン(種なしパン)の二種類
(小麦は熱でアルファ化する必要があり米と異なり粒での調理が難しいので粉にする)
→発酵で炭酸ガスとアルコールが発生→気泡ができ膨張する→香りとふんわり感
→ユダヤ教では7日間の「種なしパン祭り」→酵母を持ち出せなかった出エジプト記から
→キリスト教でもパンとワインは重要な意味を持つ
・エジプトの自家製パン「エイシュ・シャムシー」について
→発酵パンなのでアルコールが含まれるがイスラムとの関係では一切不問
→ムスリムにとって弱者救済や施しは規範上の義務
→アラブの慣習による歓待共食は面子にかかわる重要な社会的評価
→突然の訪問や出会いによる偶発的な共食と計画的な共食がある
→予定された共食では量と質が重要で面子のやりとりが展開
→共食における社会的範疇の遠近→ホストとゲストの入れ子判断へ
(ホストは第1範疇ゲストをもてなし第1範疇ゲストは第2範疇ゲストのホストになり・・・)
・エイシュ・シャムシーは自家製から露店販売という次の社会システムへ移行中
・中東では7~8世紀から多文化・移動が当たり前で固有の価値や意味を編み出してきた
→人的ネットワークによる世界化→現代の一極集中型グローバル化とは別の世界化
2インドの浄・不浄観と社会
・インドからポルトガルへは四大スパイス(胡椒・シナモン・クローブ・ナツメグ)がもたらされ、
ポルトガルからは新大陸の唐辛子・トマト・ジャガイモ・カシューナッツ・パイナップル
といった現在のインド料理に欠かすことのできない新食材がもたらされた。
・イギリスはアッサム地方で茶葉のプランテーション、他の植民地にもインド人労働者を移動
→各国で定住、さらに独立後も出稼ぎや移住でインドの食も大きな変化を遂げている
・ヒンドゥ教徒の右手は食べ始めたら不浄となるので、おかわりなどには給仕が必要
→食べかけの食事や皿も不浄でバラモン階級では家族でも共有されることはない
→バラモン階級には異階級や異教徒との共食や食物の授与も厳しく制限される
→共食や食物の授与は、それを行なう者同士の特別な親密性や共同性の現れになる
・浄性を極限まで高めるのが沐浴と断食
→ただしヒンドゥの断食はイスラムのラマダンよりゆるやかで日常食を食べない程度
→断食は浄性を高めるので自己献身や贖罪のみならず社会運動や政治活動の一環でもある
・インドではイスラムの影響もあり豚肉に対しても強い禁忌がある
→肉食といえば鶏肉、羊肉、山羊肉が中心
→バラモン階級は厳格な菜食主義を貫くことが多いが地域やカーストによっても異なる
・ジャイナ教徒は土の中の微生物を殺さないため根菜類も食べない
→インドで長く外食文化が育たないのは様々な集団による食の禁忌が大きく影響している
・インドの菜食主義は不殺生が根拠なので乳製品は豊富
・ヒンドゥの牛は神聖なだけでなく支配者のイギリス人(キリスト教徒)への倫理的対抗や
ムスリムとの対立によって政治的・経済的に強化され広まった側面もある
・1970年代の農村からの女性運動と結びついた禁酒運動が広がった
→富裕層だけでなく中間層の若者にも禁忌感は薄れつつある
→労働者を中心とした禁酒法と密造酒の是非論争
・食の浄・不浄と同じくらい基礎となる熱い・冷たいという分類がある→アーユルヴェーダ
→自分に合った風・胆汁・粘液のバランスがよいのが健康
→季節や居住環境、体調に合わせた適切な食物→食材の熱い・冷たいが大きく関係する
・ヒッピーの求めた「インド的なるもの」が現代インド・ミドルクラスの消費対象に
・イギリス植民地期から各地に広がったインド料理は北インドを中心としたムガル料理が多い
→ムガル帝国がインドにもたらしたペルシャ・中央アジア・北インドのフュージョン料理
→イギリス植民地期に「カレー」という料理分類が確立
→とろみのあるソースや汁気を帯びたあらゆる料理をカリルまたはカレーと総称
→その都度挽いて調合する香辛料がイギリス本国ではあらかじめ配合され粉末状に
→その利便性が世界各地にインド料理が広がるきっかけに→料理本・小説にも
・インドのマクドナルドは牛肉・豚肉を一切使わず肉食と菜食のスタッフで制服を分けている
(それ以前に進出したケンタッキー・フライドチキンは牛肉を扱うとの噂で暴徒に襲われた)
→現地の食文化への対応は今やグローバル企業の重要な戦略
→インド化された中華料理以外に各国の料理も
→グローバルな食を求めることで新たな自己アイデンティティを確立しようとする新中間層
→カースト下位集団では肉食を放棄して地位向上を目指すサンスクリット化も進展
3広州の広東料理
・中華は山東、淮揚、四川、広東の四大料理に北京、安徽、湖南、福建を加え八大料理
→食をめぐる観念や習慣の地方差も大きい
・広東料理にも①粤(えつ)料理、②潮州料理、③客家料理の三種類がある
①粤語(日本では広東語)を話す広府人(広州から香港あたり)の料理で比較的甘い、飲茶など
→チャーシュー、シューマイ、ワンタンは広東語
②潮州人の料理で海鮮が有名、比較的あっさりしてて日本人に合う
→米の形を残す粥、エビ・カニ・魚などの壷煮、牛肉料理、ヌードル、茶
③北方から来たとされる客家人の料理で一般的にやや脂っこく塩辛い
→もとは山間部で鶏肉と豚肉、魚は少ない。広西の客家は辛く客家料理には入れない
・食は広州にあり
→1759年の鎖国令から100年近く広州が貿易を独占し様々な食材が広州に
→何でも食べるといわれるが禁忌にはうるさく特に熱い・冷たいで二分→陽と陰
・食は広州にあり、味は西関にあり
→観光政策の一環で1990年代から西関らしい建物を建設し西関の粤料理を提供するように
・広州の外食でのテーブルマナー
①人数を告げ応じたテーブルへ案内される
②お茶の種類をオーダーする
③食事前にお茶で皿や椀を洗う(儀礼的)
④「いただきます」はないが目上の人が箸をつけてから食べ始める
⑤スープから、宴会には必ず鶏肉、酒は一人で飲まず目上から順に乾杯しながら一気飲み
⑥招かれた場合、北方では料理を少し残し南方では残さないが人と場合による
⑦北方では皿に料理を置くが南方では皿は骨など食べかす用なのでおかずは全て椀に
・共食は交流を促進するが同時に葛藤を孕むこともあるのでマナーの理解は重要
4阪神淡路大震災後の神戸定住のベトナム人
・1995年1月17日の夜の鷹取中学校校庭での神父と定住ベトナム人の会話
→避難していたベトナム人が持ち出したストーブと食材でBBQしながら、やって来た神父に
「こういう時こそ食べなあかんよ」と少しでも食べるように勧めてくれた
・避難場所では日本人との反目もあったが仮設住宅を拒否してテント生活を続けた
→職住近接で昼は自宅で温かいご飯を食べなあかんから→これは本質的な欲求
・エスニシティの形成
→中国系と非中国系に分かれ中国系の多くは広東語を話し華僑の協力もあった
・ベトナム人の豚料理
→ベトナムと沖縄の食材の類似性
→韓国・朝鮮料理と豚肉食文化のつながり
・日本の粘り気のあるご飯もカレーも最初は食べにくかった→定住で変化
→ハーブ類も手に入りにくく、やがて「移民の味」が作り出されていく
→帰国時に故郷には生きた鶏を捌く音や包丁の音があり日本では静かだったことに気づいた
・ベトナム料理店も増え「アジアンなナガタ」がアピールされ始めている
第3章
1グローバル経済と食環境の変化
・東アフリカの事例を中心に
→ナイロビでは食のグローバル化がすすむ
→イタリア料理、中華料理、インド料理にはケニア特有の事情や歴史的背景もある
→イギリス植民地時代の鉄道建設に多くのインド人労働者→コミュニティ形成
→隣国のエチオピア・ソマリアはイタリアが植民地化を目指し、今もその子孫が暮らす
→中国のアフリカ進出で中華料理も勢いを増している
・食材・食文化のローカルな多様性
→メイズ(白トウモロコシ)や豆類の栽培、ウシ、ヤギ、果樹、根茎、養蜂、かつては狩猟
→食生活、季節行事、さまざまな人生儀礼に登場する
→輸出に向け単一栽培すれば効率は上がるが自給は不可能になり市場への依存度が増す
・映画「ダーウィンの悪夢」(2004年フランス・オーストリア・ベルギー)
→ビクトリア湖畔ムワンザのナイルパーチ(日本などへの白身魚)→都市がコスモポリタン化
→大型外来種は固有食材と生物多様性を奪い貧困に、男性労働者増で性感染症が増え・・・
→フィリピンのバナナ、エチオピアのコーヒーも同じ
・ケニア中央高地のコーヒー栽培からの脱却
・多品種作物栽培が維持できた理由→土地分合ができなかったから
・コーヒー・カカオ・コメ・綿花・コショウの暗黒物語(ジャンピエールポリス作品社2009年)
→食品のグローバル化と都市化の正負両面を我々も自覚すべき
2地球環境の変化と食生活
・グローバル化が進んだ現在、食料の獲得はアグリビジネスなどの企業活動、食糧市場への投機、
政府や国際機関の開発支援などにより大きく変容している
・自然環境も完結したエコ・システムではなくグローバルとローカルの結節点として捉える
→1993~94の米不足は日本だけの問題で緊急輸入→気候変動による長期・世界規模なら・・・
・南太平洋の楽園は厳しい環境のうえに作られたもの→今後の変化に対応できるか・・・
・東南アジアの水田やマングローブ伐採によるエビの養殖
→稲作より高い現金収入が得られるがグローバル経済に依存することになる
→価格競争→維持管理の低下→水質汚濁・病害虫→生業の漁獲量減少・農業被害へ
・輸出用食糧の生産は水や土の脆弱化を招き生業を奪い気候変動の影響を受けやすい
・南太平洋の国々では輸入食品だけで暮らす人も多い→出稼ぎ労働・移民による送金
→移民先ではフュージョン・フードの食文化に(ノニ・ジュースなど)
・南太平洋における伝統食の見直しと身土不二(地産地消)の動向→日本も島国
3イタリアのスローフードに学ぶ
・オーガニック、地産地消、フードマイレージ、食育、スローフード
→スローフードは工業生産的、効率的、画一的、環境破壊的なファストフードに対置した語で
より自然と調和し多様な文化を尊重して豊かな生活につながるような食をめざす運動
→イタリア北部ピエモンテ州の小さな町ブラから
→ワイン中心の農業と皮産業だったが1970年代に後者は消滅、前者は大量生産型の商品に
→地元産ワインの復興や流通促進をはじめたのが後のスローフード協会の会長
・1989年のスローフード宣言
①味覚の教育
②食の伝統的生産と生物学的多様性の保護
③新たな食モデルの推進と国際的な意見交換の場づくり
→具体的には雑誌の出版、味覚教育プロジェクト、食の保護プロジェクト、伝統食の品評会、
生産者たちのフォーラムの開催、研究教育機関としての大学の開校など
→日本ではライフスタイルのひとつといったイメージだが、地域振興課題と結びついた
社会的・政治的な運動で食品の流通や生産の場にまで広がっている
→生産・加工・調理された食を食べる側の消費者も、生産プロセスの最終地点であり、
料理人や販売者も含め、そのすべてが「共生産者」という考え→新たな食モデル
→マクドナルドの消費者は食材の産地や製造方法は知らないし関心もない
→緑の革命による食糧増産は一方で生態系破壊と都市と農民の格差を拡大、各地で蓄積していた
固有の知識や文化も消滅していった。
→世界スローフード協会もあるがイニシアチブは各支部、組織の運営も地域の固有性に合わせる
・フードマイレージ→各食品の流通距離を可視化しようとする取り組み
・有機農業・フェアトレード運動なども・・・
→スローフード運動の中心にあるのは「旨いものを食べる喜び」なので関心を集めた
→生産・加工・流通まで含めた「食のコミュニティ」にかかわるもの
・イタリアの食糧自給率はフランス・ドイツ・スペインより低く小規模な農家や小売店は廃業、
それでも有機農業面積はヨーロッパ最大でアグリツーリズムも盛ん
・イタリアの食とは?
(以下は執筆者が1986年から執筆現在まで断続的に訪れているローマ近郊の町の例だそうで
わたくしが2017年にホームステイしてたトスカーナ州ルッカ近郊の町の家庭とは若干の相違点も
ありましたが、やはり共通点のほうがはるかに多かったです)
①起き抜けはエスプレッソのみで個食
②10時ぐらいにバールのカプチーノやカフェラテで少量の菓子パンやクッキー(個食か同僚と)
子どもたちは登校前に牛乳とシリアルで菓子パンや果物を持って登校するが全て個食
③1時過ぎから家族で正餐としての昼食(3~4時間の昼休みに自宅で)
パスタかスープの第一皿→肉または魚に野菜の第二皿とパンとワインが基本
(前菜にチーズやハムが出たり食後に果物やケーキが出ることも多い)
・最近では昼休みも短くなり小中学校では給食が浸透、特に都市部では帰宅せずバールの
パニーニなどで済ませることもあるが、そんな家庭では夕食が正餐になる
④日曜祝日には結婚して家を出た子どもたちと家族が親の家に訪れ大人数で豪華な昼食
→天気が良ければ遠縁の農園を借りたりして野外にテーブルを出しての昼食
(この日曜の習慣がマンマ中心に食卓に集まるイタリアのイメージに)
⑤いつも家族とではなく友人との会食のひとつが夕食
→帰宅後、家族との夕食前に近所のバールへ行き友人と会話を楽しむ
→そのまま一緒に居酒屋(オステリア)へ行き夕食を済ませるか誰かの家に集まっての会食
→もともと自宅での夕食は昼食の残り物か保存食など簡単なもの
→居酒屋の食についてもうるさく、珍しいワインや食べ物が手に入ると集まって会食
→農場での会食は男だけが多いが調理レベルは高く夕食は家族以外と会食する重要な機会
・昼に家族と食べる正餐はパスタと煮込みなど屋内調理、夜に友人と食べる軽食は焼き物などで
バーベキューなど屋外での調理も可能なもの→煮物は女性、焼き物は男性
・誰かと一緒でないと食事とは見なされない
→一人で気軽に食べられるレストランが少なく一人旅や一人暮らしにとっては不便
→イタリア語で「宴席饗宴」を意味する言葉は「共に生きる」
→美食家ではない一般の人たちの会話に突然、食べ物の話題が入ることが多い
→誰もがそれで盛り上がる→食に関する関心の高さ
・近在の農家が出店する市場メルカートが、どこの町でも都市でも現在も存在する
・スーパーより市場や小売店の知り合いから購入する方が安心する
・都市暮らしでも、たいてい親戚や知り合いが農地を持ってるのでワインや野菜を分けてもらう
だけでなく、日曜日などにそこで食事しブドウの収穫やソーセージ作りなどを手伝ったり、
近くに山菜やキノコを採りに出かけたりしている。
・都市近郊なら会社勤めでも畑を持っているものも多く、自分や親戚のためにトマトやオリーブ
自家製の瓶詰めトマトやオリーブ油などを作っている。
→イタリアでは食の消費者は生産や流通と全くは切り離されていない
→消費者と生産者の距離はまだ比較的近くグローバル化は広がりつつあるが、多少高くても
「顔の見える」食を好む態度はスローフードの「食のコミュニティ」につながっている
・イタリア料理に限らず「○○国の料理」の概念は国民国家の成立以降
→1861年にイタリア王国が成立したが帰属意識は薄くピザ・マルゲリータでナショナリズム
→1891年の「料理の学とおいしく食べる技法」(イタリア各地の料理を収集分類したレシピ集)
→聖書と並び家庭に一冊はあるほど普及し食の平均化をもたらした。
(例ナポリ地方のトマトとパスタの組み合わせ料理がイタリア料理として全国に)
・19世紀末からのアメリカへの移民もイタリア料理の重要な契機
→食の相互扶助やアイデンティティの拠り所、レストランのイメージの具体化
・一方で地域的な食の多様性は消滅しているが、きわめて重要な意味と可能性を持つもの
→イタリアにイタリア人はいない、いるのはローマ人、ミラノ人、ナポリ人など・・・
→イタリア人は4年に一度(のワールドカップに)だけ出現する
→都市化が進み小規模な町の過疎化も進行しているが自分の町への愛着は強い
→これが食をめぐる生産者と消費者のつながりを支えており彼らは地域そのもの
・食のあり方は社会のあり方でもあり、イタリアでは町への愛着も食への関心も高かった
→地域と食の結びつきを再生する動きもスローフードと同じく盛んになってきている
・食がますますグローバル化し画一化・匿名化している現在、どんな食が自分たちにとって
喜びなのかという食の原点に立ち戻って、今後の食と暮らしをもう一度考え直す時期にきている
世界の食に学ぶ・・・
国際化の比較食文化論であります。
編者・執筆者・発行所・発行年月日については以下のとおり・・・
執筆者のうち奥野克己という方が、ボルネオのジャングルを移動しながら暮らしていたプナン族
の研究者でもあり、たまたま著書検索で出会えた一冊であります。
例によって目次のご紹介・・・
この本では第2章1「エジプトのパン」を担当されてたようで、プナン族の食についての
紹介はありませんでしたが、中東ムスリムの食についても研究されてるんですね。
以下わたくしの読後メモから部分抜粋・・・
第1章
・清潔と不潔・血は穢れ?
・鼠食・犬食・鯨食(鯨は食べるけどイルカは食べない女子大生)
・食の生産(狩猟)カテゴリーである、
ペット(食用禁止)・家畜(食用禁止だが去勢すれば可)・獲物(山野の動物で可食)・野獣
(接触不可なので食べられない)の四分類は、
・人間の生産(性・生殖)カテゴリーである、
姉妹(性関係禁止)・実のイトコ(未婚の性関係可だが結婚禁止)・友人(結婚可)・遠い他人
(結婚可能性はない)の四分類に対応する
(リーチ「言語の人類学的側面」現代思想3-4 1976)
→イトコとは結婚しないが恋人ならOK、牛や豚は食べないがビーフやポークならOK
・南太平洋やアフリカでは肥えていることは他者と食物を分け合う協力的な人格を表し、
痩せた身体はケチで反社会的とみなされていた
・家族的集団は食の消費単位であり食に関する労働分業の基本的単位でもあった
→食は家族に限らず社会との関わりにおいても重要で言語に次ぐコミュニケーションの媒体
→フィジーの海岸での共食の例
・赤頭巾ちゃんの「パンケーキと小さなバター壺」は出来事が移行する時空間の境界に現れる
→宗教的にセンターの教会はパンの集積と分配の中心で、その両側から見れば境界(中間点)
・穀物・甘さ・甘いがワイルドなチョコレート
・教区(コミュニティ)のパブから(若者は)自転車に乗って離れたカフェや居酒屋へ行くように
・アメリカのコーヒー党とイギリスの紅茶党→ボストン茶会事件から
・レストランの語源はレストア(回復)センター→健康に良い食事を提供する施設
→個人の病状に合わせたアラカルト・メニューと個室→割り勘→個人主義の理念
・旅行者の食事と宿はキリスト教会だったが、鉄道ができてメニューが選べるレストランに
・パブ、ビヤホール、居酒屋では静かに飲むことは期待されていない
→カフェ(コーヒー・ハウス)やレストランでは静かにふるまうことが期待されている
・前菜とデザートは正式な食事の入口と出口で軽くて甘い「時間の境界」
・ティーブレイクもカフェもレストランも時間と空間の狭間(日本では辻)で出会いと合流の場
→欧米の食文化は変化したが集合点(中心・境界)での飲食はコミュニケーションの場として存続
・ニューギニア高地南部フォレ人のカニバリズム(食人)とクールー病
・ミクロネシア・チュークのアニプン(土を食べる)→人も動植物も土から土への食物連鎖
・狩猟採集→牧畜放牧農耕→都市文明→産業社会という発展は暮らしの進歩だったのか
→グローバル化は人口増加(食糧生産)と生命連鎖循環のバランスとアンバランスの修復の問題
→牧畜や農耕で人口は増加したが病気による死亡率も増加した
→地域の病原菌への適応(西アフリカのマラリア適応・北西ヨーロッパのHIV適応など)
→20世紀後半以降の交通の発達、熱帯雨林の伐採、急速な人や物の移動が多くの病気を拡大
・北アメリカ先住民の主食はトウモロコシ・かぼちゃ・豆、南米ではジャガイモが代表的
→どれも西洋では長年食べなかったが戦争や飢饉で広がった
→アイルランドで主食になっていたジャガイモの疫病により10年間で100万人が死んだ
→オーストラリアやニュージーランドへの移民の契機になった
→ジャガイモは政治経済のグローバル化によりもたらされた作物であっただけでなく
人の移動のグローバル化まで促した食品
・エビ・バナナなどのプランテーションと環境破壊と貧富差の拡大
・ハンバーガー・ホットドック・サンドイッチ・パイは小麦で肉や野菜を挟んだもの
→赤肉は狩猟牧畜で男性的、パンは白肉(魚鶏)や野菜に近く女性的→食の二元論
・緑の革命(1980年代~)とその対抗運動
→ヒッピーの自然食と東洋趣味がヤッピー世代になりエスニック料理へ
・食は農業政治経済だけでなくローカルでの生存の仕方と暮らしと文化に関わるもの
第2章
1エジプトのパン
・慣れ親しんだ日本のマクドナルドは日本人学生にとっては「日本のもの」だった
→世界各地その文化での工夫を経てるのでグローバル食品とは言い難い食べ物
・食べ物の扱い方はコミュニケーションツールとして社会関係の繊細なバロメーター
→社交を開始し維持し、時には破壊することにつながる
・人類史において栽培植物は大転換で穀類と根菜類に大きく二分される
→穀類のほうが労力と頭脳(生産技術)が必要で食品学的には保存と移動に違いが現れる
・小麦の野生種は紀元前7000年あたりの「肥沃な三日月地帯」から
→紀元前3500年あたりの古代エジプトでパンの遺物→最高の加工食品だった
・パンがヨーロッパに伝わることで社会的な重要性が付加される
→「ブレッド&バター」はそのまま「生計」を意味する
→パン作りや管理、小麦の収穫が飢饉に直結→違反には重罰
・パンは発酵パンと無発酵パン(種なしパン)の二種類
(小麦は熱でアルファ化する必要があり米と異なり粒での調理が難しいので粉にする)
→発酵で炭酸ガスとアルコールが発生→気泡ができ膨張する→香りとふんわり感
→ユダヤ教では7日間の「種なしパン祭り」→酵母を持ち出せなかった出エジプト記から
→キリスト教でもパンとワインは重要な意味を持つ
・エジプトの自家製パン「エイシュ・シャムシー」について
→発酵パンなのでアルコールが含まれるがイスラムとの関係では一切不問
→ムスリムにとって弱者救済や施しは規範上の義務
→アラブの慣習による歓待共食は面子にかかわる重要な社会的評価
→突然の訪問や出会いによる偶発的な共食と計画的な共食がある
→予定された共食では量と質が重要で面子のやりとりが展開
→共食における社会的範疇の遠近→ホストとゲストの入れ子判断へ
(ホストは第1範疇ゲストをもてなし第1範疇ゲストは第2範疇ゲストのホストになり・・・)
・エイシュ・シャムシーは自家製から露店販売という次の社会システムへ移行中
・中東では7~8世紀から多文化・移動が当たり前で固有の価値や意味を編み出してきた
→人的ネットワークによる世界化→現代の一極集中型グローバル化とは別の世界化
2インドの浄・不浄観と社会
・インドからポルトガルへは四大スパイス(胡椒・シナモン・クローブ・ナツメグ)がもたらされ、
ポルトガルからは新大陸の唐辛子・トマト・ジャガイモ・カシューナッツ・パイナップル
といった現在のインド料理に欠かすことのできない新食材がもたらされた。
・イギリスはアッサム地方で茶葉のプランテーション、他の植民地にもインド人労働者を移動
→各国で定住、さらに独立後も出稼ぎや移住でインドの食も大きな変化を遂げている
・ヒンドゥ教徒の右手は食べ始めたら不浄となるので、おかわりなどには給仕が必要
→食べかけの食事や皿も不浄でバラモン階級では家族でも共有されることはない
→バラモン階級には異階級や異教徒との共食や食物の授与も厳しく制限される
→共食や食物の授与は、それを行なう者同士の特別な親密性や共同性の現れになる
・浄性を極限まで高めるのが沐浴と断食
→ただしヒンドゥの断食はイスラムのラマダンよりゆるやかで日常食を食べない程度
→断食は浄性を高めるので自己献身や贖罪のみならず社会運動や政治活動の一環でもある
・インドではイスラムの影響もあり豚肉に対しても強い禁忌がある
→肉食といえば鶏肉、羊肉、山羊肉が中心
→バラモン階級は厳格な菜食主義を貫くことが多いが地域やカーストによっても異なる
・ジャイナ教徒は土の中の微生物を殺さないため根菜類も食べない
→インドで長く外食文化が育たないのは様々な集団による食の禁忌が大きく影響している
・インドの菜食主義は不殺生が根拠なので乳製品は豊富
・ヒンドゥの牛は神聖なだけでなく支配者のイギリス人(キリスト教徒)への倫理的対抗や
ムスリムとの対立によって政治的・経済的に強化され広まった側面もある
・1970年代の農村からの女性運動と結びついた禁酒運動が広がった
→富裕層だけでなく中間層の若者にも禁忌感は薄れつつある
→労働者を中心とした禁酒法と密造酒の是非論争
・食の浄・不浄と同じくらい基礎となる熱い・冷たいという分類がある→アーユルヴェーダ
→自分に合った風・胆汁・粘液のバランスがよいのが健康
→季節や居住環境、体調に合わせた適切な食物→食材の熱い・冷たいが大きく関係する
・ヒッピーの求めた「インド的なるもの」が現代インド・ミドルクラスの消費対象に
・イギリス植民地期から各地に広がったインド料理は北インドを中心としたムガル料理が多い
→ムガル帝国がインドにもたらしたペルシャ・中央アジア・北インドのフュージョン料理
→イギリス植民地期に「カレー」という料理分類が確立
→とろみのあるソースや汁気を帯びたあらゆる料理をカリルまたはカレーと総称
→その都度挽いて調合する香辛料がイギリス本国ではあらかじめ配合され粉末状に
→その利便性が世界各地にインド料理が広がるきっかけに→料理本・小説にも
・インドのマクドナルドは牛肉・豚肉を一切使わず肉食と菜食のスタッフで制服を分けている
(それ以前に進出したケンタッキー・フライドチキンは牛肉を扱うとの噂で暴徒に襲われた)
→現地の食文化への対応は今やグローバル企業の重要な戦略
→インド化された中華料理以外に各国の料理も
→グローバルな食を求めることで新たな自己アイデンティティを確立しようとする新中間層
→カースト下位集団では肉食を放棄して地位向上を目指すサンスクリット化も進展
3広州の広東料理
・中華は山東、淮揚、四川、広東の四大料理に北京、安徽、湖南、福建を加え八大料理
→食をめぐる観念や習慣の地方差も大きい
・広東料理にも①粤(えつ)料理、②潮州料理、③客家料理の三種類がある
①粤語(日本では広東語)を話す広府人(広州から香港あたり)の料理で比較的甘い、飲茶など
→チャーシュー、シューマイ、ワンタンは広東語
②潮州人の料理で海鮮が有名、比較的あっさりしてて日本人に合う
→米の形を残す粥、エビ・カニ・魚などの壷煮、牛肉料理、ヌードル、茶
③北方から来たとされる客家人の料理で一般的にやや脂っこく塩辛い
→もとは山間部で鶏肉と豚肉、魚は少ない。広西の客家は辛く客家料理には入れない
・食は広州にあり
→1759年の鎖国令から100年近く広州が貿易を独占し様々な食材が広州に
→何でも食べるといわれるが禁忌にはうるさく特に熱い・冷たいで二分→陽と陰
・食は広州にあり、味は西関にあり
→観光政策の一環で1990年代から西関らしい建物を建設し西関の粤料理を提供するように
・広州の外食でのテーブルマナー
①人数を告げ応じたテーブルへ案内される
②お茶の種類をオーダーする
③食事前にお茶で皿や椀を洗う(儀礼的)
④「いただきます」はないが目上の人が箸をつけてから食べ始める
⑤スープから、宴会には必ず鶏肉、酒は一人で飲まず目上から順に乾杯しながら一気飲み
⑥招かれた場合、北方では料理を少し残し南方では残さないが人と場合による
⑦北方では皿に料理を置くが南方では皿は骨など食べかす用なのでおかずは全て椀に
・共食は交流を促進するが同時に葛藤を孕むこともあるのでマナーの理解は重要
4阪神淡路大震災後の神戸定住のベトナム人
・1995年1月17日の夜の鷹取中学校校庭での神父と定住ベトナム人の会話
→避難していたベトナム人が持ち出したストーブと食材でBBQしながら、やって来た神父に
「こういう時こそ食べなあかんよ」と少しでも食べるように勧めてくれた
・避難場所では日本人との反目もあったが仮設住宅を拒否してテント生活を続けた
→職住近接で昼は自宅で温かいご飯を食べなあかんから→これは本質的な欲求
・エスニシティの形成
→中国系と非中国系に分かれ中国系の多くは広東語を話し華僑の協力もあった
・ベトナム人の豚料理
→ベトナムと沖縄の食材の類似性
→韓国・朝鮮料理と豚肉食文化のつながり
・日本の粘り気のあるご飯もカレーも最初は食べにくかった→定住で変化
→ハーブ類も手に入りにくく、やがて「移民の味」が作り出されていく
→帰国時に故郷には生きた鶏を捌く音や包丁の音があり日本では静かだったことに気づいた
・ベトナム料理店も増え「アジアンなナガタ」がアピールされ始めている
第3章
1グローバル経済と食環境の変化
・東アフリカの事例を中心に
→ナイロビでは食のグローバル化がすすむ
→イタリア料理、中華料理、インド料理にはケニア特有の事情や歴史的背景もある
→イギリス植民地時代の鉄道建設に多くのインド人労働者→コミュニティ形成
→隣国のエチオピア・ソマリアはイタリアが植民地化を目指し、今もその子孫が暮らす
→中国のアフリカ進出で中華料理も勢いを増している
・食材・食文化のローカルな多様性
→メイズ(白トウモロコシ)や豆類の栽培、ウシ、ヤギ、果樹、根茎、養蜂、かつては狩猟
→食生活、季節行事、さまざまな人生儀礼に登場する
→輸出に向け単一栽培すれば効率は上がるが自給は不可能になり市場への依存度が増す
・映画「ダーウィンの悪夢」(2004年フランス・オーストリア・ベルギー)
→ビクトリア湖畔ムワンザのナイルパーチ(日本などへの白身魚)→都市がコスモポリタン化
→大型外来種は固有食材と生物多様性を奪い貧困に、男性労働者増で性感染症が増え・・・
→フィリピンのバナナ、エチオピアのコーヒーも同じ
・ケニア中央高地のコーヒー栽培からの脱却
・多品種作物栽培が維持できた理由→土地分合ができなかったから
・コーヒー・カカオ・コメ・綿花・コショウの暗黒物語(ジャンピエールポリス作品社2009年)
→食品のグローバル化と都市化の正負両面を我々も自覚すべき
2地球環境の変化と食生活
・グローバル化が進んだ現在、食料の獲得はアグリビジネスなどの企業活動、食糧市場への投機、
政府や国際機関の開発支援などにより大きく変容している
・自然環境も完結したエコ・システムではなくグローバルとローカルの結節点として捉える
→1993~94の米不足は日本だけの問題で緊急輸入→気候変動による長期・世界規模なら・・・
・南太平洋の楽園は厳しい環境のうえに作られたもの→今後の変化に対応できるか・・・
・東南アジアの水田やマングローブ伐採によるエビの養殖
→稲作より高い現金収入が得られるがグローバル経済に依存することになる
→価格競争→維持管理の低下→水質汚濁・病害虫→生業の漁獲量減少・農業被害へ
・輸出用食糧の生産は水や土の脆弱化を招き生業を奪い気候変動の影響を受けやすい
・南太平洋の国々では輸入食品だけで暮らす人も多い→出稼ぎ労働・移民による送金
→移民先ではフュージョン・フードの食文化に(ノニ・ジュースなど)
・南太平洋における伝統食の見直しと身土不二(地産地消)の動向→日本も島国
3イタリアのスローフードに学ぶ
・オーガニック、地産地消、フードマイレージ、食育、スローフード
→スローフードは工業生産的、効率的、画一的、環境破壊的なファストフードに対置した語で
より自然と調和し多様な文化を尊重して豊かな生活につながるような食をめざす運動
→イタリア北部ピエモンテ州の小さな町ブラから
→ワイン中心の農業と皮産業だったが1970年代に後者は消滅、前者は大量生産型の商品に
→地元産ワインの復興や流通促進をはじめたのが後のスローフード協会の会長
・1989年のスローフード宣言
①味覚の教育
②食の伝統的生産と生物学的多様性の保護
③新たな食モデルの推進と国際的な意見交換の場づくり
→具体的には雑誌の出版、味覚教育プロジェクト、食の保護プロジェクト、伝統食の品評会、
生産者たちのフォーラムの開催、研究教育機関としての大学の開校など
→日本ではライフスタイルのひとつといったイメージだが、地域振興課題と結びついた
社会的・政治的な運動で食品の流通や生産の場にまで広がっている
→生産・加工・調理された食を食べる側の消費者も、生産プロセスの最終地点であり、
料理人や販売者も含め、そのすべてが「共生産者」という考え→新たな食モデル
→マクドナルドの消費者は食材の産地や製造方法は知らないし関心もない
→緑の革命による食糧増産は一方で生態系破壊と都市と農民の格差を拡大、各地で蓄積していた
固有の知識や文化も消滅していった。
→世界スローフード協会もあるがイニシアチブは各支部、組織の運営も地域の固有性に合わせる
・フードマイレージ→各食品の流通距離を可視化しようとする取り組み
・有機農業・フェアトレード運動なども・・・
→スローフード運動の中心にあるのは「旨いものを食べる喜び」なので関心を集めた
→生産・加工・流通まで含めた「食のコミュニティ」にかかわるもの
・イタリアの食糧自給率はフランス・ドイツ・スペインより低く小規模な農家や小売店は廃業、
それでも有機農業面積はヨーロッパ最大でアグリツーリズムも盛ん
・イタリアの食とは?
(以下は執筆者が1986年から執筆現在まで断続的に訪れているローマ近郊の町の例だそうで
わたくしが2017年にホームステイしてたトスカーナ州ルッカ近郊の町の家庭とは若干の相違点も
ありましたが、やはり共通点のほうがはるかに多かったです)
①起き抜けはエスプレッソのみで個食
②10時ぐらいにバールのカプチーノやカフェラテで少量の菓子パンやクッキー(個食か同僚と)
子どもたちは登校前に牛乳とシリアルで菓子パンや果物を持って登校するが全て個食
③1時過ぎから家族で正餐としての昼食(3~4時間の昼休みに自宅で)
パスタかスープの第一皿→肉または魚に野菜の第二皿とパンとワインが基本
(前菜にチーズやハムが出たり食後に果物やケーキが出ることも多い)
・最近では昼休みも短くなり小中学校では給食が浸透、特に都市部では帰宅せずバールの
パニーニなどで済ませることもあるが、そんな家庭では夕食が正餐になる
④日曜祝日には結婚して家を出た子どもたちと家族が親の家に訪れ大人数で豪華な昼食
→天気が良ければ遠縁の農園を借りたりして野外にテーブルを出しての昼食
(この日曜の習慣がマンマ中心に食卓に集まるイタリアのイメージに)
⑤いつも家族とではなく友人との会食のひとつが夕食
→帰宅後、家族との夕食前に近所のバールへ行き友人と会話を楽しむ
→そのまま一緒に居酒屋(オステリア)へ行き夕食を済ませるか誰かの家に集まっての会食
→もともと自宅での夕食は昼食の残り物か保存食など簡単なもの
→居酒屋の食についてもうるさく、珍しいワインや食べ物が手に入ると集まって会食
→農場での会食は男だけが多いが調理レベルは高く夕食は家族以外と会食する重要な機会
・昼に家族と食べる正餐はパスタと煮込みなど屋内調理、夜に友人と食べる軽食は焼き物などで
バーベキューなど屋外での調理も可能なもの→煮物は女性、焼き物は男性
・誰かと一緒でないと食事とは見なされない
→一人で気軽に食べられるレストランが少なく一人旅や一人暮らしにとっては不便
→イタリア語で「宴席饗宴」を意味する言葉は「共に生きる」
→美食家ではない一般の人たちの会話に突然、食べ物の話題が入ることが多い
→誰もがそれで盛り上がる→食に関する関心の高さ
・近在の農家が出店する市場メルカートが、どこの町でも都市でも現在も存在する
・スーパーより市場や小売店の知り合いから購入する方が安心する
・都市暮らしでも、たいてい親戚や知り合いが農地を持ってるのでワインや野菜を分けてもらう
だけでなく、日曜日などにそこで食事しブドウの収穫やソーセージ作りなどを手伝ったり、
近くに山菜やキノコを採りに出かけたりしている。
・都市近郊なら会社勤めでも畑を持っているものも多く、自分や親戚のためにトマトやオリーブ
自家製の瓶詰めトマトやオリーブ油などを作っている。
→イタリアでは食の消費者は生産や流通と全くは切り離されていない
→消費者と生産者の距離はまだ比較的近くグローバル化は広がりつつあるが、多少高くても
「顔の見える」食を好む態度はスローフードの「食のコミュニティ」につながっている
・イタリア料理に限らず「○○国の料理」の概念は国民国家の成立以降
→1861年にイタリア王国が成立したが帰属意識は薄くピザ・マルゲリータでナショナリズム
→1891年の「料理の学とおいしく食べる技法」(イタリア各地の料理を収集分類したレシピ集)
→聖書と並び家庭に一冊はあるほど普及し食の平均化をもたらした。
(例ナポリ地方のトマトとパスタの組み合わせ料理がイタリア料理として全国に)
・19世紀末からのアメリカへの移民もイタリア料理の重要な契機
→食の相互扶助やアイデンティティの拠り所、レストランのイメージの具体化
・一方で地域的な食の多様性は消滅しているが、きわめて重要な意味と可能性を持つもの
→イタリアにイタリア人はいない、いるのはローマ人、ミラノ人、ナポリ人など・・・
→イタリア人は4年に一度(のワールドカップに)だけ出現する
→都市化が進み小規模な町の過疎化も進行しているが自分の町への愛着は強い
→これが食をめぐる生産者と消費者のつながりを支えており彼らは地域そのもの
・食のあり方は社会のあり方でもあり、イタリアでは町への愛着も食への関心も高かった
→地域と食の結びつきを再生する動きもスローフードと同じく盛んになってきている
・食がますますグローバル化し画一化・匿名化している現在、どんな食が自分たちにとって
喜びなのかという食の原点に立ち戻って、今後の食と暮らしをもう一度考え直す時期にきている
2021年10月24日
京洛の森のアリスと満月珈琲店
とーとつですが「京洛の森のアリス」と「満月珈琲店」のご紹介・・・
ええ、たまたま「洛南つながり」つーことで著者と作品の存在を知り、
「たまには若い女性が読んでる本も読まねばなるまいてペジテ」と・・・
まずはこちら・・・
京洛の森のアリス全3巻・・・
望月麻衣著 文芸春秋 文春文庫 2018年2月~2019年6月発行
もうひとつの京都とゆー異次元に入り込み様々な冒険を通じて成長していく少女のお話しで、
若い女性読者に向けた「生き方指南」もあちこちに感じられて好感が持てました。
「ジブリ作品のようなファンタジーを書きたいと思った」と、あとがきで書いておられましたが
確かにそのイメージもあり、ジブリ作品つーのは作家の憧れにもなってるんですね。
京都を舞台にしたファンタジーといえば、奈良出身で京都大学の大学院在学中にデビューした
森見登美彦の作品がすぐに思い浮かぶのですが、
著者は北海道出身で京都在住、2016年の京都本大賞を受賞されてるんですね。
読後になんとなく筒井康隆の「愛のひだりがわ」(荒廃した近未来が舞台の旅物語)を
思い出しましたが、少女の成長物語つーことでイメージが重なったのかも・・・
おそらく著者が理想としているであろう、ノスタルジーに満ちた不思議な京都の街があって、
(わたくしがイメージしたのは映画「DISTINY 鎌倉ものがたり」の京都バージョン・・・)
そこへ縁あって入り込んだ主人公「ありす」が、「不思議の国のアリス」のアリスはもちろん、
「オズの魔法使い」のドロシーのような、はたまたジブリ作品の少女のような大活躍をする、
つーのが(読者の多くは若い女性なんでしょうが、年老いたわたくしにも)、とても心地よく
全巻を一気に楽しめました。
いっぽうこちら・・・
満月珈琲店の星詠み
著者 望月麻衣 画 桜田千尋 文芸春秋 文春文庫 2020年7月10日第1刷
裏表紙にあった惹句
例によって目次のみ・・・
こちらは著者がハマっておられる占星術について、京都を舞台にしたファンタジーにしたい
と書かれたようで、京都市街のあちこちに(悩みを抱える人の前に)満月の夜だけに現れる
不思議な珈琲店に人生の岐路にある人たちが導かれるようにふらりと立ち寄り・・・
とゆーお話し・・・
各章それぞれが別の主人公のお話になってますが、それらがさりげに繋がっているとゆーのは、
わたくしの好きな手法のひとつで、もちろん占星術についての解説的な部分も多かったのですが、
夜の京都が舞台になると不思議としっくりしましたし、登場人物はそれぞれ現代的な悩みを抱えた
若い女性が中心で、彼女たちへの「生き方指南」も多かったけど、それが占星術というアイテムで、
無理なく伝わるので押し付けにならず、こちらも気持ちよく読めました。
やはり京都という街は、ファンタジーの題材としても奥が深そうです。
2021年10月21日
キャンプ飯シリーズ!!!
とーとつですが・・・
エースコック・スーパーカップのキャンプ飯シリーズであります。
牛だしカレー・ラーメン!!!
と・・・
豚塩味・焼きそば!!!
で、どこが「キャンプ飯」か???つーと・・・
①箱絵(カップ絵)のアルプスらしき絵
②野性的なウマさ!との表記
③肉の旨み×ワイルドスパイス(エスビー食品監修)仕上げ
・・・といったあたり、ま、今のキャンプ・ブームに乗った商品なんでしょうが、
「キャンプ飯」とゆー言葉が、商品名にも使われるようになったつーのは、
ベテランキャンパーとしてうれしい限り、今後の新商品にも期待したいものであります。
ちなみにどちらも試食してないので感想はいずれ追記します・・・
(約1ヶ月後に記事末尾に追記しました)
ま、せっかくなので、今回はこちらもご紹介・・・
日清食品のチルド「鶴橋風月」焼きそば2人前であります・・・
こちらは少し前に試食してみました。(例によって画像を撮る前にばくばくと・・・)
水を指示どおり加えたら大量に加えたキャベツの水分とでベチャベチャになりましたし、
「極太麵」とゆーほどの太さでもなかったですが、ソースは美味しかったです。
以前これのカップ版を食べましたが、カップ焼きそばだとホンモノの焼きそばとは別物、
と割り切れるのですが、このようなチルド食品となると・・・びみょーですね。
(後日の試食追記です)
まずは「豚塩味焼きそば」から・・・
いつもは刻んだキャベツと玉ねぎをぎゅうぎゅうに詰め込むのですが・・・
今回は少量のキャベツのみで・・・
まさに豚塩味のカップ焼きそばでしたが、ワイルドスパイスはなかなかのものでした。
で、こちらが「牛だしカレーラーメン」・・・
こちらは独特なお味のカレースープでワイルドスパイスがさらにコクと風味を増す感じ、
麺の食感もよく、わたくしの知るカレー味カップ麺の中では、けっこう上位に入りました。
カレーのとろみで冷めにくいのはもちろん、カレーうどんと異なり待ち時間が3分なので、
さらに熱々を食べることができ、特に寒いキャンプで温まるにはオススメですね。
エースコック・スーパーカップのキャンプ飯シリーズであります。
牛だしカレー・ラーメン!!!
と・・・
豚塩味・焼きそば!!!
で、どこが「キャンプ飯」か???つーと・・・
①箱絵(カップ絵)のアルプスらしき絵
②野性的なウマさ!との表記
③肉の旨み×ワイルドスパイス(エスビー食品監修)仕上げ
・・・といったあたり、ま、今のキャンプ・ブームに乗った商品なんでしょうが、
「キャンプ飯」とゆー言葉が、商品名にも使われるようになったつーのは、
ベテランキャンパーとしてうれしい限り、今後の新商品にも期待したいものであります。
ちなみにどちらも試食してないので感想はいずれ追記します・・・
(約1ヶ月後に記事末尾に追記しました)
ま、せっかくなので、今回はこちらもご紹介・・・
日清食品のチルド「鶴橋風月」焼きそば2人前であります・・・
こちらは少し前に試食してみました。(例によって画像を撮る前にばくばくと・・・)
水を指示どおり加えたら大量に加えたキャベツの水分とでベチャベチャになりましたし、
「極太麵」とゆーほどの太さでもなかったですが、ソースは美味しかったです。
以前これのカップ版を食べましたが、カップ焼きそばだとホンモノの焼きそばとは別物、
と割り切れるのですが、このようなチルド食品となると・・・びみょーですね。
(後日の試食追記です)
まずは「豚塩味焼きそば」から・・・
いつもは刻んだキャベツと玉ねぎをぎゅうぎゅうに詰め込むのですが・・・
今回は少量のキャベツのみで・・・
まさに豚塩味のカップ焼きそばでしたが、ワイルドスパイスはなかなかのものでした。
で、こちらが「牛だしカレーラーメン」・・・
こちらは独特なお味のカレースープでワイルドスパイスがさらにコクと風味を増す感じ、
麺の食感もよく、わたくしの知るカレー味カップ麺の中では、けっこう上位に入りました。
カレーのとろみで冷めにくいのはもちろん、カレーうどんと異なり待ち時間が3分なので、
さらに熱々を食べることができ、特に寒いキャンプで温まるにはオススメですね。
2021年10月16日
大阪ミナミde観劇と・・・
ひさしぶりに大阪ミナミの繁華街で観劇と食事を楽しみ、新ライトまでゲットしてきました。
???
ええ、まずは大阪松竹座の十月花形歌舞伎「GOEMON」へ・・・
じつにひさしぶりの道頓堀であります。
おなじみのカニさんにも、まだまだ陰りが見えます・・・
って、たまたま朝の10時半だったからでしゅが。
と、道頓堀川に架かる戎橋であります。
こちらにもまだ陰りが・・・って、もういいか・・・
そう、このあたりコロナ前には、平日でもインバウンド客で朝から賑わってたのですが、
まだまだ人通りは激減したままでした。
で、今では道頓堀で唯一の芝居小屋となった大阪松竹座であります。
昔は「見物四時に賑ふは道頓堀の五芝居」とか市電唱歌にも歌われたもんじゃが・・・
ま、わたくしは昔から芝居より映画や寄席ばっかりでしたが・・・げほげほ
と、この日の演目は・・・
片岡愛之助・今井翼らによる「GOEMON」であります!!!
かなり席数制限してましたが開演時にはほぼ指定席は満席になりました。
もちろん公演中は撮影禁止ですので、せめてリーフレットでも・・・
そう、歌舞伎とフラメンコが合体した演目で、明智光秀の家臣の娘とスペイン・イエズス会の
神父の間に生まれたのが石川五右衛門、とゆー設定で主に京都が舞台、歌舞伎の祖といわれる
出雲の阿国や、百地三太夫のもとで一緒に修行した霧隠才蔵らとともに、宿敵・豊臣秀吉に
立ち向かうとゆーお話・・・
って、愛之助は豊臣方の大谷吉継ではなかったのか???
はたまた銀行の悪を暴く金融庁エリート検査官ではなかったのか???
閑話休題・・・
お芝居は理屈抜きにとても面白かったです。
わたくし古典歌舞伎の面白さは分かりませんがテレビで観た「風の谷のナウシカ」とかの、
いわゆる新作歌舞伎やスーパー歌舞伎つーのは、出雲の阿国らカブキモノたちが始めた頃の、
ミュージカルつーか、まさに歌舞伎の原点つー感じで、ズブの素人でも楽しめました。
と、幕間を含み3時間40分の観劇の後は・・・
すぐ隣にある「はり重グリル」で・・・
まずは一杯・・・ぷはぁ
ま、
「はり重」はすき焼きの老舗なんですが、この日はステーキランチセットとデザート・・・
そーいや昔は、ここのお安い切り落とし肉を買って帰るのが楽しみだったなあ・・・
と、食後は戎橋筋をふらふら歩きます。
最近のガチャには面白そうなのがあるなあ・・・
特にこの「卵かけご飯ライト」なんか・・・じゅるじゅる
と、ずっと見てると奥様が「特別にやってもいいよ」と100円玉を3枚くれたので・・・
わーい
あははは、愉快愉快・・・
電源はLR41が2個で電池交換できるのもお気に入り。
キャンプ宴会で、このLEDライトの灯りを頼りに卵かけご飯を食べるとか・・・
ただまあ・・・
こんなシリーズはコンプリートで揃えたくなるのが、わたくしには命取りなんですが・・・
とまあ・・・
帰りには蓬莱本店で定番の焼売なんぞを買いましたとさ・・・どっとはらい
道頓堀でお芝居を観てお食事をして、戎橋筋をぶらぶら歩き蓬莱の豚まんや焼売をお土産に、
南海電車でおうちに帰る・・・
そう、昭和の大阪ディープサウスで暮らす一家のような楽しい一日でした。
???
ええ、まずは大阪松竹座の十月花形歌舞伎「GOEMON」へ・・・
じつにひさしぶりの道頓堀であります。
おなじみのカニさんにも、まだまだ陰りが見えます・・・
って、たまたま朝の10時半だったからでしゅが。
と、道頓堀川に架かる戎橋であります。
こちらにもまだ陰りが・・・って、もういいか・・・
そう、このあたりコロナ前には、平日でもインバウンド客で朝から賑わってたのですが、
まだまだ人通りは激減したままでした。
で、今では道頓堀で唯一の芝居小屋となった大阪松竹座であります。
昔は「見物四時に賑ふは道頓堀の五芝居」とか市電唱歌にも歌われたもんじゃが・・・
ま、わたくしは昔から芝居より映画や寄席ばっかりでしたが・・・げほげほ
と、この日の演目は・・・
片岡愛之助・今井翼らによる「GOEMON」であります!!!
かなり席数制限してましたが開演時にはほぼ指定席は満席になりました。
もちろん公演中は撮影禁止ですので、せめてリーフレットでも・・・
そう、歌舞伎とフラメンコが合体した演目で、明智光秀の家臣の娘とスペイン・イエズス会の
神父の間に生まれたのが石川五右衛門、とゆー設定で主に京都が舞台、歌舞伎の祖といわれる
出雲の阿国や、百地三太夫のもとで一緒に修行した霧隠才蔵らとともに、宿敵・豊臣秀吉に
立ち向かうとゆーお話・・・
って、愛之助は豊臣方の大谷吉継ではなかったのか???
はたまた銀行の悪を暴く金融庁エリート検査官ではなかったのか???
閑話休題・・・
お芝居は理屈抜きにとても面白かったです。
わたくし古典歌舞伎の面白さは分かりませんがテレビで観た「風の谷のナウシカ」とかの、
いわゆる新作歌舞伎やスーパー歌舞伎つーのは、出雲の阿国らカブキモノたちが始めた頃の、
ミュージカルつーか、まさに歌舞伎の原点つー感じで、ズブの素人でも楽しめました。
と、幕間を含み3時間40分の観劇の後は・・・
すぐ隣にある「はり重グリル」で・・・
まずは一杯・・・ぷはぁ
ま、
「はり重」はすき焼きの老舗なんですが、この日はステーキランチセットとデザート・・・
そーいや昔は、ここのお安い切り落とし肉を買って帰るのが楽しみだったなあ・・・
と、食後は戎橋筋をふらふら歩きます。
最近のガチャには面白そうなのがあるなあ・・・
特にこの「卵かけご飯ライト」なんか・・・じゅるじゅる
と、ずっと見てると奥様が「特別にやってもいいよ」と100円玉を3枚くれたので・・・
わーい
あははは、愉快愉快・・・
電源はLR41が2個で電池交換できるのもお気に入り。
キャンプ宴会で、このLEDライトの灯りを頼りに卵かけご飯を食べるとか・・・
ただまあ・・・
こんなシリーズはコンプリートで揃えたくなるのが、わたくしには命取りなんですが・・・
とまあ・・・
帰りには蓬莱本店で定番の焼売なんぞを買いましたとさ・・・どっとはらい
道頓堀でお芝居を観てお食事をして、戎橋筋をぶらぶら歩き蓬莱の豚まんや焼売をお土産に、
南海電車でおうちに帰る・・・
そう、昭和の大阪ディープサウスで暮らす一家のような楽しい一日でした。
2021年10月12日
戦争と農業
戦争と農業・・・
藤原辰史著 集英社インターナショナル新書15 2017年10月11日第1刷発行
例によって目次のみのご紹介
以下わたくしの読後メモからの抜き書きです。
・機械化→生産性の向上→分業と競争→作ることと使うことの分離
1
・20世紀の人口増加を支えた4つの技術(農業機械・化学肥料・農薬・品種改良)
→トラクター(1892~)が農民一人あたりの作業量を上げる
ただし牛馬と異なり肥料は作れず、土壌攪拌が強く、輪作より単一作物栽培、大規模区画
に向いてるので、農地の生産力(地力)を下げ、農村とは別の企業戦略による農業へ
→化学肥料(窒素・リン酸・カリウム)→農業機械とセットで同じ経緯
(レンゲなどマメ科植物の根粒菌や稲妻は空気中の窒素をアンモニアに変え土壌へ浸透させる)
膨大なエネルギー(電力)と資本を要する空中窒素固定法(1909~)で農業の仕組みが変わる
→農薬(1920~)→農業機械、化学肥料と同じ経緯へ
どれも農村外からで生産や使用には大量の環境破壊が必要だが農作業は楽になる
→品種改良とくに遺伝子組み換え技術は農業の特定ライセンス企業への依存へ
2
→第一次世界大戦は初めての銃後も含む総力戦→経済封鎖→欧州全体の食料不足
→アメリカ・キャタピラー社のトラクターから戦車の発想
→化学肥料(アンモニア)→硝酸→火薬
→毒ガス→戦後は大量に余りアメリカ綿花畑の農薬に
→ヨーロッパでは禁止、アフリカ・アジア・ユダヤ人への使用→害虫駆除の発想
→膨大な電力が要る植物工場と出力調整できない原発の関係
(もとは原子力潜水艦内でサラダを作るための原発メーカーGEの開発技術)
→軍事技術からのスピンオフからはもはや逃れようがないが・・・
3
・バッケ・プラン(飢餓計画)
・レニングラード封鎖
・アグリビジネスの南北問題
・スターリニズムを支えた階級的基盤と日本の軍国主義を支えた農本主義的基盤
→「国民を飢えさせない」を名目に基本的人権を制限する、国民の選別
・兵站→日本の戦死者のうち半数は餓死者
・1929年世界恐慌後のファシズム、2009年リーマン・ショック後のヘイトクライムの顕在化
→プロパガンダ、討議より行動、インパクト優先→化学肥料や農薬による農業体系と同じ
・政治の基本は牽引ではなく切り盛り(宰相の宰→料理を等分に切り分けること)
・ギリシャのアゴラ(輸入食料の配分討議の場)
・君主loadの語源(パンを守る人)
・即興的な話し合いと暴力による即効性の違い
→政治の場に即興性がないのにリーダーシップ(即効性)が求められる→議会の儀式化
4
・食べものの特徴は非耐久性(腐りやすい)、自然性(動植物の死骸の塊)、精神依存性
(信仰や家族愛などの気持ちが入り込みやすい)の3つだった
→いまや単なる「モノ」になりつつある
・BSE、鳥インフルエンザ、O157、異物混入・・・すべてフードシステムの問題
・穀物メジャー4社で小麦・大豆・サトウキビ取引の60~73%を占める
・朝日新聞によると世界で生産される食料の1/3にあたる13億トンが捨てられている
・農林水産省によると食品ゴミは家庭系と事業系あわせて1676万トン、うち632万トンは
まだ食べられるのに捨てられる「食品ロス」→世界食糧計画が支援した320万トンの2倍
・ファーストフード肉・大量生産される食品の背景にある過酷さ
5
・20世紀以降の戦争、政治、日常の食事の変質の根っこには、効率を重視した食の仕組みと
それを支える農業の仕組みがある
・食べることの範囲
→大規模な食品企業にとっては消費者の購入がゴール
→本来は生命の長い旅の一部に関わる行為で気の長い行為であり、自然の命を奪い食べて
排泄して自然に還す、生態系の一部を成す存在
→人は生き物の死骸が通過するチューブで、入るまでの世界と出てからの世界も範囲内
→食べることは世界に自分を育ててもらう現象
・食べることも排泄することも発酵食も農業もすべて微生物との共同作業
・北海道・山形・秋田などでは食料自給率が100%を超えている
6
・現代の農業・政治・軍事・教育は大量に作り、迅速に運び、即座に効く、という原則
・迅速・即効・決断の仕組みから遅効性が即効性に先立つ仕組みへ
などなど、農業史の専門家が素人にもわかりやすくまとめられた本でした。
ちなみに目次の最後のほうにある「働く暇を惜しんで食べる」つーのは、
わたくしの現役時代の座右の銘でもあり・・・(以下略)
藤原辰史著 集英社インターナショナル新書15 2017年10月11日第1刷発行
例によって目次のみのご紹介
以下わたくしの読後メモからの抜き書きです。
・機械化→生産性の向上→分業と競争→作ることと使うことの分離
1
・20世紀の人口増加を支えた4つの技術(農業機械・化学肥料・農薬・品種改良)
→トラクター(1892~)が農民一人あたりの作業量を上げる
ただし牛馬と異なり肥料は作れず、土壌攪拌が強く、輪作より単一作物栽培、大規模区画
に向いてるので、農地の生産力(地力)を下げ、農村とは別の企業戦略による農業へ
→化学肥料(窒素・リン酸・カリウム)→農業機械とセットで同じ経緯
(レンゲなどマメ科植物の根粒菌や稲妻は空気中の窒素をアンモニアに変え土壌へ浸透させる)
膨大なエネルギー(電力)と資本を要する空中窒素固定法(1909~)で農業の仕組みが変わる
→農薬(1920~)→農業機械、化学肥料と同じ経緯へ
どれも農村外からで生産や使用には大量の環境破壊が必要だが農作業は楽になる
→品種改良とくに遺伝子組み換え技術は農業の特定ライセンス企業への依存へ
2
→第一次世界大戦は初めての銃後も含む総力戦→経済封鎖→欧州全体の食料不足
→アメリカ・キャタピラー社のトラクターから戦車の発想
→化学肥料(アンモニア)→硝酸→火薬
→毒ガス→戦後は大量に余りアメリカ綿花畑の農薬に
→ヨーロッパでは禁止、アフリカ・アジア・ユダヤ人への使用→害虫駆除の発想
→膨大な電力が要る植物工場と出力調整できない原発の関係
(もとは原子力潜水艦内でサラダを作るための原発メーカーGEの開発技術)
→軍事技術からのスピンオフからはもはや逃れようがないが・・・
3
・バッケ・プラン(飢餓計画)
・レニングラード封鎖
・アグリビジネスの南北問題
・スターリニズムを支えた階級的基盤と日本の軍国主義を支えた農本主義的基盤
→「国民を飢えさせない」を名目に基本的人権を制限する、国民の選別
・兵站→日本の戦死者のうち半数は餓死者
・1929年世界恐慌後のファシズム、2009年リーマン・ショック後のヘイトクライムの顕在化
→プロパガンダ、討議より行動、インパクト優先→化学肥料や農薬による農業体系と同じ
・政治の基本は牽引ではなく切り盛り(宰相の宰→料理を等分に切り分けること)
・ギリシャのアゴラ(輸入食料の配分討議の場)
・君主loadの語源(パンを守る人)
・即興的な話し合いと暴力による即効性の違い
→政治の場に即興性がないのにリーダーシップ(即効性)が求められる→議会の儀式化
4
・食べものの特徴は非耐久性(腐りやすい)、自然性(動植物の死骸の塊)、精神依存性
(信仰や家族愛などの気持ちが入り込みやすい)の3つだった
→いまや単なる「モノ」になりつつある
・BSE、鳥インフルエンザ、O157、異物混入・・・すべてフードシステムの問題
・穀物メジャー4社で小麦・大豆・サトウキビ取引の60~73%を占める
・朝日新聞によると世界で生産される食料の1/3にあたる13億トンが捨てられている
・農林水産省によると食品ゴミは家庭系と事業系あわせて1676万トン、うち632万トンは
まだ食べられるのに捨てられる「食品ロス」→世界食糧計画が支援した320万トンの2倍
・ファーストフード肉・大量生産される食品の背景にある過酷さ
5
・20世紀以降の戦争、政治、日常の食事の変質の根っこには、効率を重視した食の仕組みと
それを支える農業の仕組みがある
・食べることの範囲
→大規模な食品企業にとっては消費者の購入がゴール
→本来は生命の長い旅の一部に関わる行為で気の長い行為であり、自然の命を奪い食べて
排泄して自然に還す、生態系の一部を成す存在
→人は生き物の死骸が通過するチューブで、入るまでの世界と出てからの世界も範囲内
→食べることは世界に自分を育ててもらう現象
・食べることも排泄することも発酵食も農業もすべて微生物との共同作業
・北海道・山形・秋田などでは食料自給率が100%を超えている
6
・現代の農業・政治・軍事・教育は大量に作り、迅速に運び、即座に効く、という原則
・迅速・即効・決断の仕組みから遅効性が即効性に先立つ仕組みへ
などなど、農業史の専門家が素人にもわかりやすくまとめられた本でした。
ちなみに目次の最後のほうにある「働く暇を惜しんで食べる」つーのは、
わたくしの現役時代の座右の銘でもあり・・・(以下略)