2022年09月

2022年09月05日

ドーナツ経済学が世界を救う

とーとつですが・・・

ドーナツ経済学が世界を救う~人類と地球のためのパラダイムシフト~のご紹介であります

P8231146

ケイト・ラワース著 


裏表紙カバー裏にあった著者略歴

P8231148

著者はザンジバルの農村や国連での実務経験のある経済学者・・・


訳者、発行所、発行年月日については奥付のとおり

P8231149

翻訳版は2018年の発行ですが原著は2017年の発行で数値などは概ね2015年現在のようでした


例によって目次のみのご紹介

P8231150

付録や参考文献を含めると400頁もあるハードカバーの大書で、とても全ては読み切れず、
今回メモしたのは冒頭の「
経済学者になりたいのは誰か?」(序章)部分のみ・・・




とりあえず表紙カバー裏にあった惹句であります

P8231147

つーことなんですね・・・


以下、序章のみの(しかも部分的な)読後メモから・・・
(恒例のてきとーメモなので興味を持たれた方は本書の熟読を・・・)

・この60年間の世界の明るい面
→世界の平均寿命は1950年の48歳から71歳へ、
→1990年以降でみても1日1.9ドル未満で暮らす極度の貧困層は半分に、
→安全な水やトイレを初めて利用できるようになった人は20億人を超える・・・

・ただし、そのほかの面では
→9人に1人は充分な食べ物を得ておらず、2015年で600万人の5歳未満が死亡、
その半数以上は下痢やマラリアなど簡単に治療できる病気が原因、
→1日3ドル未満で暮らす人は世界に20億人、仕事のない若者は7000万人以上、
→2015年で富裕層の上位1%の富が、残り99%の富を上回っている
→地球破壊の加速も人口増加も経済規模の拡大も深刻
→1日の消費額が10~100ドルの中流層が一気に拡大し、消費財の需要も急増する

・ケインズもハイエクも経済学が支配する世界を懸念していたが、広まるばかり

・経済学の単位をとる学生は世界中で同じ米国標準基礎講座「経済学101」を学ぶ
→それは1950年の教科書で1850年の経済理論にもとづいている
→ケインズとハイエクは対立していたが、どちらも不備のある仮説を受け継いだ
→同じことが盲点になり、考え方のちがいに気づけなかった
→仮説の誤りを明らかにし、見落とされた部分に光を当て経済学を見直すこと

・人類の長期的な目標を実現できる経済思考を模索したらドーナツのような図ができた
→同心円状の二本の大小の輪(表紙カバーイラスト)
→ドーナツの範囲が人間にとって安全で公正な範囲
→内側は飢餓や文盲など人類の危険な窮乏(その境界線が社会的な土台)
→外側は気候変動や生物多様性の喪失など危険な地球環境の悪化(その境界線が環境的な上限)


・21世紀の経済学者の七つの思考法(全7章の大まかな案内)

1.目標を変える(GDP⇒ドーナツへ)
→経済学は70年以上、GDPの前進を指標とすることに固執してきた
→所得や富の不平等も、生活環境の破壊も、その固執の中で黙認されてきた
→惑星の限りある資源の範囲内で、すべての人が人間的な生活を営めるようにするという目標
→ドーナツの安全で公正な範囲に、すべての人が収まる経済→ローカルでもグローバルでも

2.全体を見る(自己完結した社会
み込み型社会へ)
主流派の経済学は、きわめて限定的なフロー循環図のみ(サミュエルソン1948年)
その視野の狭さを逆に利用して、新自由主義的な主張を展開している
経済は社会や自然の中にあるもので太陽からエネルギーを得ている
新しい全体像から、市場の力も家計の役割もコモンズの創造性も、新しい視点へ

3.人間性を育む(合理的経済人
社会的適応人へ)
20世紀の経済学の中心にあるのは「合理的な経済人」
利己的で、孤独で、計算高く、好みが一定で、自然の征服者として振る舞う
人間は本来はるかに豊かで、社会的で頼り合って、おおざっぱで価値観が変わりやすく、
生命の世界に依存している
ドーナツの範囲にすべての人を入れる目標の実現性を高める人間性を育むことは可能

4.システムに精通する(
機械的均衡ダイナミックな複雑さへ)
市場の需要と供給が交差した曲線図は19世紀の誤った力学的平衡の喩えにもとづくもの
シンプルなフィードバック・ループで表せるシステム思考図で金融市場の急変動、経済格差を
もたらす構造、気候変動の臨界点まで、様々な問題についての新しい洞察が生まれる

5.分配を設計する(再び成長率は上向く
設計による分配へ)
「不平等ははじめ拡大するが縮小に転じ最終的に成長により解消される」(クズネック曲線)
不平等は経済に必然的に伴うものではなく設計の失敗によることが明らかになった
→価値を広く分配できる方法はたくさんあり、その一つがフローのネットワーク
単なる所得の再分配ではなく富の再分配
土地・企業・技術・知識を支配する力から生ずる富の再分配と、
お金を生み出す力の再分配の方法

6.環境を創造する(成長で再びきれいになるはず
設計による環境再生へ)
20世紀の経済理論では「きれいな環境」は贅沢品で裕福な社会だけに許されるとされてきた
(いずれ成長により解消されるもの→クズネック曲線)
そんな法則はなく、環境破壊は破壊的な産業設計の結果
直線型ではなく循環型の経済で、生命循環のプロセスを人類に完全復帰させられるよう、
環境再生的な設計を生み出せる経済思考

7.成長にこだわらない(成長依存
⇒成長にこだわらないへ)
主流派の経済学では「終わりのない経済成長」が不可欠
自然界に永遠に成長し続けるものはない
その自然に逆らおうとする試みが高所得・低成長の国々で行われている
GDP成長を経済目標から形だけ外すことはできても成長依存を克服するのは易しくない
現在の経済は、繁栄してもしなくても成長を必要としている
必要なのは、成長してもしなくても繁栄をもたらす経済
金銭面でも政治面でも社会面でも成長依存している今の経済を、
成長してもしなくても動じないものに変える発想の転換

・これらの思考法のはじめの一歩を踏み出したばかり、みなさんと未踏の世界へ・・・


とまあ、序章を読む限り経済学には門外漢のわたくしにも分かりやすく、訳文も平易でした。

これだけを読むと夢物語のようにも感じますが、各章では具体手順の説明や論証があり、
今の経済理論の検証にもなっており、これなら見直しも可能では・・・とも思いました。
(もちろん、すべてを読み理解したわけではありませんが・・・)



ま、せっかくなので・・・
「訳者あとがき」からの部分メモも・・・

(日本でも出版する価値があると判断した三つの理由)
1.ドーナツ経済の図
図には思考を左右する力がある
これまでの図は右肩上がりの成長曲線や需要と供給が交差する曲線だった
2011年にドーナツ図が考案発表されて以来、国連など様々な場所で紹介・利用されている

2.楽観的で大胆で説得力のある経済のビジョン
目標は貧困の根絶と環境保全で明確
地球環境を守りながら人類全員を幸せにする、と聞くと絵空事のように感じるが、
本書を読めば、そういう目標こそ理にかなっていることが見えてくる
→「生命の網の中での人類の繁栄」

3.現在の世界が抱える問題の全体像を提示している
主流派の経済学の視野の狭さ
正しい対策のためには問題の全体を知ることが欠かせない
すべての問題は繋がっており、順番に取り組むのではなく同時に取り組むべきと説く
ある問題に変化があれば、別の問題に必ず影響が及ぶから

(同、訳者あとがきより)
わたしたちはふだん経済学の影響をほとんど意識せずに暮らしているが、著者によれば、
経済は経済学で設計されており、知らないうちに経済学の発想や言葉で考えている
したがって経済学しだいで世界は大きく変わる
地球の未来は、新しい経済学を築けるかどうかにかかっている・・・

うーむ、わたくしの不得手な経済学つーのも重要なんですね・・・



m98k at 19:05|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 書斎 | 沙漠緑化・熱帯雨林再生

2022年09月01日

飛行艇時代・・・

9月に入りましたが前回記事からの続きとゆーか、その原作とゆーか、今回は・・・

『映画「紅の豚」原作~飛行艇時代~増補改訂版』の(一部の)ご紹介であります


表紙

P8311160




裏表紙

P8311161




著者、発行所、発行年月日なんぞは奥付のとおり

P8311162




例によって目次のみのご紹介・・・

P8311164

映画の原作となった宮崎駿の漫画「飛行艇時代」第1話~第3話(全話)に加え、映画に出てくる
飛行艇やその背景にある歴史、モデル化の過程などを、さらに増補改訂した本であります。

どの項目も面白く、丹念に読んでメモしましたが、今回記事では原作漫画をメインに・・・


まずはYouTubeで岡田斗司夫が解説していた映画の冒頭シーンの謎・・・
→ポルコのアジトのテーブル上には飲みかけの赤ワインがあるのに、
→テーブルの下にはバケツに冷やされた未開封のシャンパンがある
→アジトの砂浜にはポルコの客船用デッキチェアと同じ柄のバスタオルが敷かれている
→ふだんはランニング短パン姿で裸足のポルコが飛行服に手袋ブーツの完全装備で微睡んでいる
→アジトの浜辺には小さな手漕ぎボートが置いてある・・・

これらの理由が何なのか、ひとつひとつ論証していく過程がじつに面白かったのですが、
ま、おそらく彼の妄想だったんでしょうと思いながら、全3話を読んでいくと・・・

第1話から
→まず「マンマユート団は人質に美少女をさらうので知られていた」との説明書きがあり、
→マンマユートのボスが人質の美少女(カリオストロのクラリスそのまま)を抱きかかえ、
「これでも撃てるかブタ野郎」と叫ぶと、
→「美少女は世界の宝だぞ」と、エンジンやラジエーターを狙って撃ち返すポルコ
→銃撃で不時着水したダボハゼ号にポルコが、
→「ロリコンのマンマユートへ、ムスメと金貨半分をおいてウセロ」と発光信号を送り、
→美少女が銃撃戦の隙にダボハゼ号から着衣のまま海に飛び込み逃げるシーンがあって、
→「イエーイ、ヒロインはこうでなきゃ」と喜ぶポルコが着水、彼女を海から愛機に救出、
→「アドリア海の陽光ですぐに乾きますよ」と、彼女の着衣上下!を主翼上に並べて干し、
エンジンを整備する(ふりをしている?)ポルコ
→「ありがとう」と毛布にくるまりコックピットの後ろに腰掛ける美少女
→「さあ、ご両親の元へお送りしましょう」と、彼女を膝の上に乗せて操縦するポルコ・・・

そう、この帰路の途中に彼女を膝の上に乗せたままアジトに立ち寄る計画(下心)があった
とすれば、映画冒頭シーンのお膳立ては全て辻褄が合ってくるわけで・・・ま、知らんけど・・・


第2話から
(エンジンのオーバーホールのためミラノに向かうことになったポルコ)
→「ついでにパイロットの命の洗濯もするか」と鼻歌混じりで無精ひげを剃るポルコ
→「真っ白なシーツ、美しい女達、ウヒョヒョ」(このセリフは映画にもありましたね)

(ミラノのピッコロ社に着いたポルコ)
→「誰だい、あのカワイコちゃんは?」
→「アメリカに行とったわしの孫じゃ、手を出すなよ」とピッコロ親爺
→製図台の前に座ったまま眠り込んだフィオに、そっと自分のコートをかけてやるポルコ

(マジョーレ湖での調整とテスト飛行を終え、フィオを連れミラノを飛び立つポルコ)
→「(フィオに)手を出すなぁ」と見送るピッコロ親爺
→「ひ孫を楽しみに待ってろ」と飛び去るポルコ
(このセリフは、さすがに映画には使えませんね)
→「わたしの前にはいつもフィオの笑顔があった。彼女は心から飛行を楽しんでいた・・・」
(この漫画でも映画でも、眼鏡式照準器にはフィオの顔が映り込んでいる)

第3話から
(夜、テントは(空賊たちが潜んでたので)臭いので野宿になった、との説明があり)
→やがてフィオは安らかな寝息をたてた
→「イイ子だ、ほんとにイイ子だぜ・・・
(カーチス(漫画ではドナルド・チャック)との対決当日)
→フィオの人気はたいしたものだった。
→みんなが一緒に写真を撮りたがり、空賊共すら歯をみがいて来たのだ・・・

(カーチスとの空中戦と殴り合いでボロボロになりながらも最後に勝利し)
→抱きつくフィオと賞金と幸運のガラガラヘビが描かれたカーチスの方向舵をかかえて、
ワハハハと豪快に笑うポルコ
→前方ハッチにフィオを乗せ、雲上を飛び去る紅い飛行艇のシーンでおしまい・・・

とまあ・・・
漫画ではポルコも空賊たちも明らかに
美少女好きとして描かれており、冒頭の岡田斗司夫説も
まんざら妄想だけではないと、あらためて納得した次第・・・ま、知らんけど・・・

でも、さすがに原作漫画でも最後のポルコのセリフは・・・
「イタリアを訪ねるならミラノのピッコロ社によってほしい、
その玄関にカーチスの方向舵が今もかざってあるから・・・」
と〆てましたから、やはりキマってましたね・・・
映画はもちろん、原作の漫画も素晴らしいエンディングでした。


と、原作漫画とは少し離れますが、これまで気になってた点をもうひとつだけ・・・

・作品中のサボイアS.21(フィオが改造後はS.21F)試作戦闘飛行艇と実機のマッキM33について
→ポルコの飛行艇は宮崎駿が小学生の頃に一度だけ見た写真のイメージだけで描いたもの
→その後に本人がイタリアの本屋で偶然みつけたシュナイダー・トロフィーの本によって、
小学生の頃に見た写真はマッキM33のものだったということが分かった
→さらにその後の(ポルコ機やカーチス機をモデル化した)ファインモールド社の調査により、
ポルコの飛行艇と実機マッキM33の構造が、ほぼ同じであることが判明した・・・

つまり彼がイメージしていた実機は
サボイアS.21ではなくマッキM33だったわけですが、
小学生の頃の写真1枚の記憶だけで、実機構造の飛行艇を正確に描けるとゆーのが凄いですね

やはりヲタクの世界は奥が深いです・・・どっとはらい



m98k at 12:12|PermalinkComments(2) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 書斎 | ミリタリーグッズ