2024年12月
2024年12月25日
忘れられた日本史の現場を歩く
ええ、クリスマスから年末に向けて世間が慌ただしい中、わたくしはひっそりと、
忘れられた日本史の現場を歩いて・・・
・・・おられた方の写真エッセイ集を紹介しておきます
表紙
表紙カバー裏にあった惹句
著者(撮影者)紹介と奥付
恒例により目次のみご紹介
そう、日本史の表舞台にはまず登場しない「歴史の現場」を訪れた写真エッセイ集で、
わたくしが名前だけでも知ってたのは「大阪七墓」ぐらいでした
以下、わたくしの興味からのランダムな読書メモです
(紹介できないのが残念ですが写真作品も興味津々でした)
・遊女、からゆきさん、あめゆきさん・・・
→船泊(港)や宿場、都市の墓地周辺には色街が形成され、今もその名残をとどめている
・1920年(大正9年)に初めて国勢調査が行われ、無国籍者の存在が公のものとなった
→サンカ、木地師など100年前の日本では、今よりはるかに多様な生き方が存在していた
・戦国時代末期から近代にかけての色街の痕跡については、ある程度の記録が残ってるが、
古代から中世にかけての色街や遊女に触れている書物は少ない(鎌倉時代の吾妻鏡など)
→古代の官道沿いの宿場遊女たちは傀儡女、白拍子と呼ばれていた
・平安時代後期の傀儡子記より
→男は狩猟・操り人形・幻術など、女は淫らな歌や踊りで・・・
→今様、田楽、神歌、辻歌、催馬楽など・・・
→彼らは土地を持たずに流離う
→芸能に秀でており天幕と敷物の家に住み北方の騎馬民族のような異貌
(インドを発祥とし中東、ヨーロッパ、南米にも広がったロマとする研究もある)
・後白河法皇が撰した梁塵秘抄(今様)
→法皇の今様の師匠が傀儡女の乙前で岐阜県大垣市青墓町(東山道の宿場)の出身
・大阪七墓(江戸時代初期の再開発で大坂三郷の外縁部にまとめられた墓地)
→梅田・飛田・千日前・(最古の)南浜・(天神橋)葭原・小橋・蒲生の7ヶ所
→2020年、うめきた2期の開発区域から1500体以上の人骨や副葬品が見つかった
→1887年(明治20年)に有縁墓は移転してるので、この全ては遊女などの無縁仏
→梅田兎我野には今もラブホテルが立ち並び、飛田遊郭は今や外国人の観光スポットに
・福島県浪江町津島は天明の飢饉で地区が全滅した
→浄土真宗の信者が北陸から入植し、美しい里山風景の原型を作り上げた
→戦後には満洲からの引揚者も入植した→電気が通ったのは1959年(昭和34年)
→2011年の原発事故で無人となり水田は荒れ地に戻っている・・・
おわりにより
・(著者は)20代から30代は世界中を流離っていた
→東南アジア(特にタイがお気に入り)では女性だけでなく時が止まった雰囲気に居心地の
良さを感じ、長く滞在はしていたものの暮らすことはなかった
→年を重ね、生まれ育った日本を巡りたいと思ったのも本にまとめた理由の一つ
・今回は40代から50代にかけての自分探しの旅でもあった
→歴史に埋もれた事象を辿りながら日本の素晴らしさを感じずにはいられなかった
・・・
特に平安時代の傀儡女や白拍子、大正時代に公になったサンカや木地師などの生き方について
の記述には興味津々でした
もちろん専門家による研究もあるのでしょうが、前回記事の狩猟採集民の文明と同様に、
ほんの100年前まで日本でも多様な生き方があったんですね
そーいや世界が国家(国民)中心になったのも僅か400年前からで、それまで人類の殆どは
国家や国境とは関係なく自由に生きてたんですよね
なので国家→国家同盟→同盟同士の対立という、今の道筋だけではないはずなのに・・・
と人類の迷走は来年も続きそうですが、殆どの時代、殆どの問題は戦争なしに解決してきた
のですから希望を持って、個人でできることから手を付けていきましょう!!!
来年が少しでも平和で良い年になりますように・・・
忘れられた日本史の現場を歩いて・・・
・・・おられた方の写真エッセイ集を紹介しておきます
表紙
表紙カバー裏にあった惹句
著者(撮影者)紹介と奥付
恒例により目次のみご紹介
そう、日本史の表舞台にはまず登場しない「歴史の現場」を訪れた写真エッセイ集で、
わたくしが名前だけでも知ってたのは「大阪七墓」ぐらいでした
以下、わたくしの興味からのランダムな読書メモです
(紹介できないのが残念ですが写真作品も興味津々でした)
・遊女、からゆきさん、あめゆきさん・・・
→船泊(港)や宿場、都市の墓地周辺には色街が形成され、今もその名残をとどめている
・1920年(大正9年)に初めて国勢調査が行われ、無国籍者の存在が公のものとなった
→サンカ、木地師など100年前の日本では、今よりはるかに多様な生き方が存在していた
・戦国時代末期から近代にかけての色街の痕跡については、ある程度の記録が残ってるが、
古代から中世にかけての色街や遊女に触れている書物は少ない(鎌倉時代の吾妻鏡など)
→古代の官道沿いの宿場遊女たちは傀儡女、白拍子と呼ばれていた
・平安時代後期の傀儡子記より
→男は狩猟・操り人形・幻術など、女は淫らな歌や踊りで・・・
→今様、田楽、神歌、辻歌、催馬楽など・・・
→彼らは土地を持たずに流離う
→芸能に秀でており天幕と敷物の家に住み北方の騎馬民族のような異貌
(インドを発祥とし中東、ヨーロッパ、南米にも広がったロマとする研究もある)
・後白河法皇が撰した梁塵秘抄(今様)
→法皇の今様の師匠が傀儡女の乙前で岐阜県大垣市青墓町(東山道の宿場)の出身
・大阪七墓(江戸時代初期の再開発で大坂三郷の外縁部にまとめられた墓地)
→梅田・飛田・千日前・(最古の)南浜・(天神橋)葭原・小橋・蒲生の7ヶ所
→2020年、うめきた2期の開発区域から1500体以上の人骨や副葬品が見つかった
→1887年(明治20年)に有縁墓は移転してるので、この全ては遊女などの無縁仏
→梅田兎我野には今もラブホテルが立ち並び、飛田遊郭は今や外国人の観光スポットに
・福島県浪江町津島は天明の飢饉で地区が全滅した
→浄土真宗の信者が北陸から入植し、美しい里山風景の原型を作り上げた
→戦後には満洲からの引揚者も入植した→電気が通ったのは1959年(昭和34年)
→2011年の原発事故で無人となり水田は荒れ地に戻っている・・・
おわりにより
・(著者は)20代から30代は世界中を流離っていた
→東南アジア(特にタイがお気に入り)では女性だけでなく時が止まった雰囲気に居心地の
良さを感じ、長く滞在はしていたものの暮らすことはなかった
→年を重ね、生まれ育った日本を巡りたいと思ったのも本にまとめた理由の一つ
・今回は40代から50代にかけての自分探しの旅でもあった
→歴史に埋もれた事象を辿りながら日本の素晴らしさを感じずにはいられなかった
・・・
特に平安時代の傀儡女や白拍子、大正時代に公になったサンカや木地師などの生き方について
の記述には興味津々でした
もちろん専門家による研究もあるのでしょうが、前回記事の狩猟採集民の文明と同様に、
ほんの100年前まで日本でも多様な生き方があったんですね
そーいや世界が国家(国民)中心になったのも僅か400年前からで、それまで人類の殆どは
国家や国境とは関係なく自由に生きてたんですよね
なので国家→国家同盟→同盟同士の対立という、今の道筋だけではないはずなのに・・・
と人類の迷走は来年も続きそうですが、殆どの時代、殆どの問題は戦争なしに解決してきた
のですから希望を持って、個人でできることから手を付けていきましょう!!!
来年が少しでも平和で良い年になりますように・・・
2024年12月18日
フロンティア最古の巨石遺跡の謎・視聴メモ
正確な番組タイトルはフロンティア「最古の巨石遺跡が語る文明の起源」
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから、
「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた
→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた
・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!
(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!
6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!
しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた
うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
12月17日に放映されたNHK番組の視聴メモです
そう、こちらの本「万物の黎明」でも取り上げられてたトルコ南東部(メソポタミアの北部)にある、
ギョベックリ・テペなど農耕以前の狩猟採集民の遺跡を紹介する番組で、以前から興味があったので
忘れないうちに概要をランダムにメモしておきます
「昔の人たちは原始的だったと考えがちだが、自分たちが最も優れていると決めつける傲慢な文明観は
この遺跡によって覆された」(トルコの考古学者)
Chapter1「丘に通う考古学者」より
・ギョベックリ・テペ遺跡の紹介
→動物のレリーフや人間の身体を表現したT字型石柱の巨大神殿など
→年代測定により建てられたのは12000年前の新石器時代初頭と判明している
→家畜や栽培植物の痕跡はまったく見られず神殿を築いたのは狩猟採集民だった
→発掘したのはドイツの考古学者クラウツ・シュミット(1990年代半ばからで2014年に60歳で死亡)
・文明の起源は農耕?
→農耕の起源と定住生活の開始はつながっていて文明を築くには農耕が必要というのがこれまでの定説
→しかしここでは狩猟採集民がすべてをやり遂げていた
→定説(狩猟採集では移動するため大きな建物を建てることはなく、1万年前に農耕が始まってから定住し、
やがて貧富の差が生まれて権力者が巨大建造物を造った、という説)は間違っていた
・シリアの新石器時代の集落遺跡などは川の近くにあって今も畑がある農村地帯
→ギョベックリ・テペ遺跡は丘の頂上にあり水利もなく灰や炭などの生活痕跡も発見されない謎
Chapter2「麦を愛でる考古学者」より
・2007年からギョベックリ・テペ遺跡を研究する日本の植物考古学者・丹野研一
→農耕の起源は人類史でも大きなイベントのはずだが研究者は比較的少ない
→様々の遺跡を調べたが10500年前より古い遺跡からは栽培種の麦は見つからなかった
→なのでギョベックリ・テペ遺跡の時代の麦はすべて野生種のはず
→野生種の麦がよく生える場所は各地にある
→すべてを刈らずに種を残し発芽すれば他の雑草さえ刈っておけば翌年も多く収穫できる
→最初はつらい「農耕」ではなく耕さず成長を楽しんでいたのではないか?(プレイファーミング?)
・シュミット博士は現場の研究者にビールのロング缶を振る舞ってくれ、自分も一気に4缶を空けてから、
「この遺跡から植物の痕跡は出土していないが自分はビールを作っていたと思う」と言っていた
→ビールは5500年前のメソポタミア文明からとされてたがギョベックリ・テペ遺跡は11000年以上前
→だが2019年の論文で、それ以前にビールがなかったとは言えない結果が出てきた
・実際に新石器時代イスラエルの洞窟からも醸造の痕跡が発見されている(オーストリアの考古学者)
→ギョベックリ・テペ遺跡からは大量の石の道具が出土している
→麦など穀物を粉砕する石器が最も多く、穀物をすり潰した痕跡も発見された
→今のギョベックリ・テペ遺跡の周辺でも春には野生の穀物が一斉に生える
→おそらくこれが遺跡を築いた理由のひとつだろう
→出土した多くの石桶には160ℓもの水が入る
→石桶と挽いた麦と水で実験するとシチューやビールが簡単にできた
→シュミット博士の解釈では遺跡は狩猟採集民の小集団が集まる聖なる神殿とのことだったが、
→科学的に調理器具や穀物の痕跡から大量のシチューやビールが生産されていたことが確認された
→つまり、この世界最古の巨大建物はビール宴会とセットだったのだ!!!
(きつい仕事と宴会がセットになっている例は伝統的社会にもよく見られる)
Chapter3「新たな巨大神殿」より
(ギョベックリ・テペ遺跡周辺の同時代の遺跡)
・カラハンテペ遺跡
→トルコの研究チームが発掘している
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ巨大遺跡で現在発掘されているのは全体の2.5%
→ギョベックリ・テペ遺跡にはない、通過儀礼に使ったと思われる遺跡もあった
→儀礼だけに使われる神殿(宴会場)だったのか定住集落だったのか?
→日本の考古学者により発見された石器は狩猟用の矢じりや穀物収穫用の鎌先など、神殿建設用ではなく
日常生活に使う普通の石器ばかりだった
→ギョベックリ・テペ遺跡と同じ変わった遺跡だが、人が普通に定住していた
→居住用の建物もあり住居と巨大神殿は同時期に使用されていた
(ギョベックリ・テペ遺跡でも後に住居跡や貯水槽が発見された→特定時期の祭礼場ではなく定住集落?)
→「定住する狩猟採集民のコミュニティ」があったのだ
・カラハンテペ遺跡から1.5km先にあるV字型の長大な石組みの壁跡
→付近で狩猟用の罠も見つかっており、追い込んで動物を効率よく捕まえるためと考えられている
→単体ではなく群れ全体を捕まえるようになった→この先に動物の家畜化がある
→当時の環境はもっと湿潤で周りは森に覆われていたという研究もあるので定住可能だったのかも
→大勢が一緒に暮らすようになり社会秩序を保つ仕組みも必要になったはず
→神殿などにより過去の神話や物語を共有する儀式で絆を強めたのでは
・ハルベトスワン・テペシ遺跡
→日本の研究チームが発掘している
→3年目の今年、岩盤近くで人骨が見つかった→来年以降に他の遺跡との関係性などを分析する
→現在、同時代の遺跡8か所で発掘が行われている→2021年からの「石の丘プロジェクト」
・サイブルチ遺跡
→今も人が住む村の中にあり20km離れたギョベックリ遺跡より数百年後の遺跡
→ヒョウや雄牛と人間のレリーフがあるがギョベックリとは逆で動物より人間がリアルになっている
→カラハンテペ遺跡でも2年後にリアルな人間像が発見された
→ギョベックリから数百年後には人間を宇宙の中心に置き始めたことを反映している
→それまで自然の一部だった人間が自然に力を行使する存在に変わり始めた
「狩猟採集民が高度な遺跡を作って定住していたことが判明して、これまで信じられていた人類の歩みを
考え直さないといけない段階にきている」
「人類の歴史には様々な可能性があって、そのひとつがギョベックリ遺跡であり、たまたま現在の文明も
その可能性のひとつに過ぎない、ということが重要」
云々・・・
いやあ、じつに面白かったです
冒頭にリンクした本に書かれてたとおり、これまでの人類史・文明史を一変させる遺跡のひとつですね
狩猟採集とはいっても、狩猟は今でいう定置網のような感じで季節的に大量捕獲して、採集も季節的に
効率よく収穫できるよう工夫してやってたんですね
それなら農耕や牧畜などの重労働をしなくても済むので、みんなで集まってビールで大宴会!!!
6000年以上も続いた縄文集落のパターンといい、どれもが文明の一形態であって、農耕以降の文明も
産業革命以降の文明も、あくまで文明の一形態に過ぎない、というのは確かに重要な認識で、どの文明が
より優れているのか、より進化しているのかというハナシではないんですね・・・
それにしても・・・
人類は12000年も前の狩猟採集時代から定住してみんなでビール大宴会してたんですね!!!
しかも農耕や牧畜といった重労働はせず、狩猟採集時期以外の1年の殆どをのんびり遊んで暮らしてた
うーむ、現在のわたくしの暮らしそのものやな・・・
あっ、わたくしは一時的な狩猟採集さえせず、たまにビールやつまみを買いに行くだけか・・・
2024年12月11日
エコプロ2024土産のリベリカ珈琲!!!
ま、正確には・・・
エコプロ2024に出展されてたボルネオ熱帯雨林再生プロジェクトのブースで販売されてたのを
植林ボランティア仲間のS田さんが買ってきてくれた土産でありますが・・・
そう、
ボルネオ島サラワク州サバル森林保護区などで、同プロジェクトが村人たちと育成している
稀少種のコーヒーなのでありますね
熱帯雨林の保護や再生のためにも現地で暮らす人たちの生活が豊かになることが重要で、
このプロジェクトのように村人を主体にした持続可能な混農林業(アグロフォレストリー)を
着実に育てていくことも、フェアトレードやエコツーリズムと並んで、自然との共生に繋がると、
わたくしも考えています
皆さんも身近にできることから、何かはじめていただければ・・・
P.S
それにしても・・・今回わざわざ京都から東京のエコプロ2024まで行かれたS田さん、
わたくし用に6パックも買ってきてくれてありがとうね!!!
えっ、うち5パックはフラッシュ光メンバーに渡す分だっけ???
ま、次回の宴会もとい企画会議まで、手つかずで残るのかどーだか・・・げひげひ
エコプロ2024に出展されてたボルネオ熱帯雨林再生プロジェクトのブースで販売されてたのを
植林ボランティア仲間のS田さんが買ってきてくれた土産でありますが・・・
そう、
ボルネオ島サラワク州サバル森林保護区などで、同プロジェクトが村人たちと育成している
稀少種のコーヒーなのでありますね
熱帯雨林の保護や再生のためにも現地で暮らす人たちの生活が豊かになることが重要で、
このプロジェクトのように村人を主体にした持続可能な混農林業(アグロフォレストリー)を
着実に育てていくことも、フェアトレードやエコツーリズムと並んで、自然との共生に繋がると、
わたくしも考えています
皆さんも身近にできることから、何かはじめていただければ・・・
P.S
それにしても・・・今回わざわざ京都から東京のエコプロ2024まで行かれたS田さん、
わたくし用に6パックも買ってきてくれてありがとうね!!!
えっ、うち5パックはフラッシュ光メンバーに渡す分だっけ???
ま、次回の宴会もとい企画会議まで、手つかずで残るのかどーだか・・・げひげひ
2024年12月07日
某SF研究会・創立54周年???
さる11月27日に某大学SF研究会の創立54周年???宴会同窓会に参加してたので、
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます
じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第
会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした
遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・
で、今回宴会同窓会の入場券???
って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日後輩が持参してくれてたもの
SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります
我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・
で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・
「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」
長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・
ごくごくごく
ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い)ひたすら食べて飲んで、
ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました
今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・
たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・
「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは」
「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに
ま、自分も20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは」
と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました
なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね
S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!!
ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・
(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・
そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります
そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね)
忘れないうちに脳の外部記憶としてメモしておきます
じつは14年前の創立40周年式典を皮切りに創立45周年式典と、5年おきに現役学生を中心に
企画開催してくれてたのですが、いよいよ創立50周年記念大式典!!!の年がコロナ禍と重なり、
中止になった経過があり落ち込んでたのですが、ずっとお世話してくれてたS本さんから
「その後も同学年を中心に少人数が大学EVE祭の時期に京都で何回か集まってますので、
98k先輩もよかったら・・・」と古いメルアドにお誘いがあり、喜んで参加してきた次第
会場は四条河原町にある懐かしいミュンヘンの2階、3時の集合でした
遠方からの参加者も多く集合時間までに何名かが大学EVE祭にも行かれてたようですが、
今年のSF研ブースは見つけられなかったとか・・・
で、今回
って、こちらは当時のSF研ブースの入場券で当日後輩が持参してくれてたもの
SF研プロレス・ショーの始まりは第100回記念EVE祭からだったんですね・・・
で、これが大盛況で翌年はブースに使う教室を大きくして入場料も倍にして大儲けしたのね!!!
今年のEVE祭が第149回でしたから49年前と48年前の貴重な資料であります
我々創設時メンバーが初めてのEVE祭出店で手塚治虫の実験アニメーション「ある街角の物語」
などの映画喫茶をやってから数年後になり、偶然プロレスファンの後輩が複数名入会してきて、
単なるノリではじまった怪しいショー(上級生も面白がってノッてたけど)でしたが、
おそらくこれが日本初の「アマチュア・プロレス・ショー」だったはず・・・
で、今回メンバーでは最古参になるわたくしに乾杯音頭の要請があったので・・・
「それでは創立54周年と筒井康隆大先輩が元気で生誕90周年を迎えられたことを祝して、」
長寿と繁栄を、ついでにフォースと共にあらんことを・・・
ごくごくごく
ま、以後は昔の空想科学少年少女たち16名が(隣の料理まで奪い合い)ひたすら食べて飲んで、
ひたすらヲタ話や昔話や近況報告で盛り上がってました
今もSF関係に関わってる後輩も何人かいて、創設者のK山さんも京大SF研の安田さんも
同期のSS木くんも元気と聞いて安心しました
そーいや神大SF研のY本さんらはどうされてるんだろう・・・
たまたま関大SF研とは古いSNSで繋がりがあるので、S本さんに「このメンバーだけでも
LINEグループとかを始めたら便利なのでは?」と提案したのですが・・・
「それが今もガラケーだけとか、SNSとは無縁のメンバーも多くて・・・あはは」
「このSF研の不思議な伝統やね、筒井大先輩はワープロ小説とかネット小説の先駆者やのに
ま、自分も20年前から変わらずブログ形式やから他人のことは言えんけど・・・あはは」
と、さすがに4年以上離れてる後輩には覚えのない顔もありましたが、それでも4回生の時の
1回生が4回生になった時の1回生とは繋がってるわけだし、宴席もそんな感じで並んでました
なにせ当時の趣味が共通だった仲間が集まってるので話題は尽きず、じつに楽しい飲み会でした
このあたりは世代が異なってても楽しい前回記事のライトOFF会と同じですね
S本さんO久保さんはじめお世話になった皆さん、じつに楽しかったです ありがとね!!!
次回も是非誘って下さいね!!!
ええ、メールでも電報でも手旗信号でも、伝書鳩でも太鼓でも狼煙でもいいので・・・
(おまけ)
せっかくなので当日?の宴会スナップ画像も・・・
そう、半世紀ほどタイムスリップした当時の宴会スナップであります
そーいや、この時に宴会場で見知らぬ老女から懐中電灯もとい懐中時計をもらって、その後に
泊った旅館の資料室にあった美女の写真に魅せられ、さらに過去へタイムスリップしたな・・・
(「ある日どこかで(リチャード・マシスン)」より)
(1976年のSF、映画化は1980年でクリストファー・リーヴ主演、SF映画の佳作でしたね)
2024年12月03日
ひさしぶりの野外ライトOFF会!!!
ほぼ2週間ぶりの記事更新となりましたが、わたくしこの間ずっと寝たきり・・・
だったわけではなく、宴会の日々が続いてたのでありますね
つーことで、先々週の週末のハナシになりますが・・・
ひさしぶりの野外ライトOFF会に参加してたので(こちらは飲食中心の)メモであります
主催のwingさん、いつもの川端さん、赤チャリさん、98kに今回初参加のスビマセンおじさん
という5人が奈良の山中にある某公園の駐車場に集合・・・
朝4時半に着いて仮眠していた赤チャリさん、午後2時にほぼ同着した川端さんと三人で・・・
まずはぷしゅ、ごきゅごきゅ、くはあ
って飲んでるのは、この時点ではわたくしだけでしゅが・・・
さっそく赤チャリさんのほぼ自宅兼愛車の現状を視察
運転席・助手席の背もたれ裏にも、さらに増殖したライトがあり、間接イルミネーションも追加
まあ、検問や職務質問には「だって、いきなり皆既日食になったらどうするんですかっ!
周りの人たちにも貸してあげないといけないし・・・」と答えれば済む、のかっ???
と、寒風の中、例によって「(ナビが)道に迷った」wingさんが遅れて到着、
わたくしは急に高級品に替わったビールをかぱかぱやりつつ・・・
皆さんはさっそくライト談義
わたくしは夜のプテチゲ(部隊鍋)の準備をしつつ飲み続け・・・
(この甘口と辛口の同時投入がけっこうイケました)
で、暗くなる頃にはスビおじさんも到着して・・・
皆さんは延々とライト談義・・・
わたくしは炭火と紫外線ライトで焼く???ランプ肉を撮ったりして・・・
せっかくなので恒例の記念写真も・・・
ええ、じつに明るい皆さんです
で、日付が変わる頃に皆さんは山中へ照射比較に出発、わたくしは残って安ウィスキーの
お湯割りを飲んでたのですが、1時前には限界になり車中泊仕様にしたスバル・レックスで
一足先にシュラフに潜り込んでばったり・・・
その後、明るいライトを照射されたような気もしますが、とりあえず寝返りは打てることが
判明したので、今後はこれを基本にさらに段差などを工夫する予定です
(ちなみに比較的近距離で飲まない川端さんとスビおじさんは深夜帰宅されたそうです)
で、とーとつに車中泊組3人の朝食であります
まずは熱いコーヒーや紅茶で目を覚まして・・・
昨日wingさんが公園の売店で買ってくれてた地元産の炊き立てご飯と新鮮な玉子で・・・
めんたいご飯や
卵かけご飯TKGをばくばくばく
これを楽しみにwingさんは辛子明太子や出汁醤油を用意してたんですね
で、胃袋が少し落ち着くとコーヒーや紅茶をお替わりして・・・
ボルネオ産サゴヤシ・ゾウムシの幼虫???をデザートにばくばく!!!
ま、こちらは・・・
わたくしが持参した韓国みやげ(にもらった)チョコレート・ブレッドでしたが
とか、皆さんが持ち寄ったデザートでまったりして9時半には出発、10時半には野鳥好きの
N家さん宅で深夜帰宅してた川端さんと合流、2台に分乗してN家さんのみかん園へ・・・
そう、翌日は健康的にみかん狩りを楽しんだのでありますね
N家さんから摘み取り専用鋏や軍手を借りて基本を教わり、みんなでプチプチと・・・
みかん狩りつーのは、いったん始めると案外夢中になるものですが、さすがにわたくしは
1本の半分ほどで足腰が痛くなって、後は「指示役」に廻りました
「ほれほれ、しっかり摘まないと今日の昼飯は抜きやぞ!!!」
「って、SNSでは「ホワイト案件です」って書いてあったのに・・・ひいひい」
「そんな書き込みに騙される奴がおるから指示役が儲かるのじゃ・・・げひげひ」
とか楽しく物語りつつ虫や鳥を観察しつつ摘んでると、N家さんの奥様がお弁当や味噌汁や
お茶やお菓子を運んできてくれて・・・
みんなで楽しく昼食(食べるのに夢中で食事画像は一切ありません)
で、食後のひとときは・・・
どんぐりを蒔いて20年かけて自然林に戻された側で虫や鳥を観察したり・・・
美味しい「むかご」を集めたりして過ごしました
N家さんのみかん園では栽培中に農薬や化学肥料を一切使わないで、虫や鳥にも優しい農園を
目指しておられるそうですが、なかなか農協などの理解が得られないとか・・・
せっかくなので奥様に記念写真を撮ってもらい・・・
皆さんは作業に戻られました
もちろん「指示役」のわたくしは・・・
搾取者として惰眠を貪ってましたが・・・
皆さんの働きで3時には大量の収穫が・・・げひげひ
と、この後はN家さん宅で「かもめコーヒー」(赤チャリさんは紅茶)やお菓子をご馳走になり、
選別した美味しいみかんをお土産にいただいて、無事に解散した次第
ライトの話に限らず様々なバカ話ができるのもOFF会の楽しみですね
今回もじつに楽しかったです
遅くなりましたが、皆さんお世話いただきありがとうございました
だったわけではなく、宴会の日々が続いてたのでありますね
つーことで、先々週の週末のハナシになりますが・・・
ひさしぶりの野外ライトOFF会に参加してたので(こちらは飲食中心の)メモであります
主催のwingさん、いつもの川端さん、赤チャリさん、98kに今回初参加のスビマセンおじさん
という5人が奈良の山中にある某公園の駐車場に集合・・・
朝4時半に着いて仮眠していた赤チャリさん、午後2時にほぼ同着した川端さんと三人で・・・
まずはぷしゅ、ごきゅごきゅ、くはあ
って飲んでるのは、この時点ではわたくしだけでしゅが・・・
さっそく赤チャリさんの
運転席・助手席の背もたれ裏にも、さらに増殖したライトがあり、間接イルミネーションも追加
まあ、検問や職務質問には「だって、いきなり皆既日食になったらどうするんですかっ!
周りの人たちにも貸してあげないといけないし・・・」と答えれば済む、のかっ???
と、寒風の中、例によって「(ナビが)道に迷った」wingさんが遅れて到着、
わたくしは急に高級品に替わったビールをかぱかぱやりつつ・・・
皆さんはさっそくライト談義
わたくしは夜のプテチゲ(部隊鍋)の準備をしつつ飲み続け・・・
(この甘口と辛口の同時投入がけっこうイケました)
で、暗くなる頃にはスビおじさんも到着して・・・
皆さんは延々とライト談義・・・
わたくしは炭火と紫外線ライトで焼く???ランプ肉を撮ったりして・・・
せっかくなので恒例の記念写真も・・・
ええ、じつに明るい皆さんです
で、日付が変わる頃に皆さんは山中へ照射比較に出発、わたくしは残って安ウィスキーの
お湯割りを飲んでたのですが、1時前には限界になり車中泊仕様にしたスバル・レックスで
一足先にシュラフに潜り込んでばったり・・・
その後、明るいライトを照射されたような気もしますが、とりあえず寝返りは打てることが
判明したので、今後はこれを基本にさらに段差などを工夫する予定です
(ちなみに比較的近距離で飲まない川端さんとスビおじさんは深夜帰宅されたそうです)
で、とーとつに車中泊組3人の朝食であります
まずは熱いコーヒーや紅茶で目を覚まして・・・
昨日wingさんが公園の売店で買ってくれてた地元産の炊き立てご飯と新鮮な玉子で・・・
めんたいご飯や
卵かけご飯TKGをばくばくばく
これを楽しみにwingさんは辛子明太子や出汁醤油を用意してたんですね
で、胃袋が少し落ち着くとコーヒーや紅茶をお替わりして・・・
ボルネオ産サゴヤシ・ゾウムシの幼虫???をデザートにばくばく!!!
ま、こちらは・・・
わたくしが持参した韓国みやげ(にもらった)チョコレート・ブレッドでしたが
とか、皆さんが持ち寄ったデザートでまったりして9時半には出発、10時半には野鳥好きの
N家さん宅で深夜帰宅してた川端さんと合流、2台に分乗してN家さんのみかん園へ・・・
そう、翌日は健康的にみかん狩りを楽しんだのでありますね
N家さんから摘み取り専用鋏や軍手を借りて基本を教わり、みんなでプチプチと・・・
みかん狩りつーのは、いったん始めると案外夢中になるものですが、さすがにわたくしは
1本の半分ほどで足腰が痛くなって、後は「指示役」に廻りました
「ほれほれ、しっかり摘まないと今日の昼飯は抜きやぞ!!!」
「って、SNSでは「ホワイト案件です」って書いてあったのに・・・ひいひい」
「そんな書き込みに騙される奴がおるから指示役が儲かるのじゃ・・・げひげひ」
とか楽しく物語りつつ虫や鳥を観察しつつ摘んでると、N家さんの奥様がお弁当や味噌汁や
お茶やお菓子を運んできてくれて・・・
みんなで楽しく昼食(食べるのに夢中で食事画像は一切ありません)
で、食後のひとときは・・・
どんぐりを蒔いて20年かけて自然林に戻された側で虫や鳥を観察したり・・・
美味しい「むかご」を集めたりして過ごしました
N家さんのみかん園では栽培中に農薬や化学肥料を一切使わないで、虫や鳥にも優しい農園を
目指しておられるそうですが、なかなか農協などの理解が得られないとか・・・
せっかくなので奥様に記念写真を撮ってもらい・・・
皆さんは作業に戻られました
もちろん「指示役」のわたくしは・・・
搾取者として惰眠を貪ってましたが・・・
皆さんの働きで3時には大量の収穫が・・・げひげひ
と、この後はN家さん宅で「かもめコーヒー」(赤チャリさんは紅茶)やお菓子をご馳走になり、
選別した美味しいみかんをお土産にいただいて、無事に解散した次第
ライトの話に限らず様々なバカ話ができるのもOFF会の楽しみですね
今回もじつに楽しかったです
遅くなりましたが、皆さんお世話いただきありがとうございました