2025年04月

2025年04月22日

体験的女優論

とーとつですが・・・

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「体験的女優論」とゆー本の読書記録であります



著者略歴と奥付

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そう、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫が
2021年4月から2024年5月まで
「日刊ゲンダイ」に毎週連載していた記事をまとめた本であります

上の略歴に本文から少し補足すると・・・
1948年に名古屋市に生まれ子どもの頃から両親の影響で邦画・洋画に親しんでいたとあり、
1967年に大学進学で上京、1972年に徳間書店に入社して配属は「週刊アサヒ芸能」編集部、
やがて雑誌「アニメージュ」編集部の時代にスタジオジブリ創設に関わり・・・となります

著者の学生時代は70年安保に向け揺れ動いていた頃、いっぽう宮崎駿は彼の8歳年上ですから、
学生時代は60年安保の最中、わたくしの学生時代は70年安保のいわば「焼け跡派」になるので、
著者の世代は宮崎駿の世代とわたくしの世代の中間になり、本書に登場する映画やテレビドラマ、
監督さんや女優さんたちには、けっこう親近感がありました


例によって目次のみ

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「体験的女優論」なので目次には女優が並んでますが、女優名はいわば索引のようなもので、
内容は映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との関わりなど
多岐に渡っており、まさに映画ファンとしての面目躍如、特にわたくしが放送当時には殆ど
観てなかった「優れたテレビドラマ」の紹介が興味深く新鮮だったので、本書で秀作とされてた
邦画と合わせて、いずれ観てみたいと思った次第

以下、思いつくままの読後メモです
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)

・最初に好きになった女優はヘイリー・ミルズで初めて英語でファンレターを出した
⇒当時は中学生で返事はなかったが後年ジブリ映画の世界配給でディズニー本社に行った際に、
好きなディズニー作品を聞かれ
ヘイリー・ミルズ作品と言ったら後日、本人から手紙が来た!!!
⇒ファンレターを出してから35年ぶりにもらった返事だった

・宮崎駿は「陽のあたる坂道」などの芦川いづみの大ファンで、ルパン三世のクラリスから
風立ちぬの菜穂子まで、すべてのヒロインに投影されている
⇒木之内みどりもその流れを感じさせる女優で、クラリスの飼ってる犬の名前もテレビドラマ
「刑事犬カール」から絶対に取っていると僕は思っている
(発想の影に好きな女優への想いがあるのもジブリ作品の魅力)

・梶芽衣子は野良猫ロックシリーズ(1970~71)で大好きになる
⇒このシリーズに影響を与えたのは「冒険者たち」(1967)だと思っている
・1972年の春に徳間書店に入社したが夏に盲腸破裂で緊急手術、高熱で入院が続いていた
⇒「女囚701号さそり」
(1972)は篠原とおる原作からのファンで、どうしても映画が観たくて、
⇒こっそり病院を抜け出しタクシーで公開初日の映画館に行った
⇒上映が終了した瞬間に気を失い運ばれたが救急車だとバレるのでタクシーで病院に戻った
⇒その夜からさらに高熱になり苦しんだが医者に本当のことは言えなかった
⇒退院して最初に買いに行ったのは
梶芽衣子が映画で着ていたコート(表紙絵)と映画LPレコード

・宮崎駿は倍賞千恵子が映画デビューしてから「下町の太陽」あたりまでは、おそらく観ている
⇒当時の青春スターは日活なら吉永小百合、東映なら本間千代子、松竹が倍賞千恵子らで、
宮崎駿の大好きな工場で働く若者の映画が多かったがブルーカラーは倍賞千恵子がうまかった
⇒ハウルの動く城のソフィーも帽子職人なので提案したと思うがファンなので大賛成した
⇒彼女の歌も大好きで歌うときは高音なので娘も老婆もやれると思って出演を依頼した
⇒ジブリ作品は吉岡秀隆に「天空の城ラピュタ」DVDをプレゼントされて以来よく観てたそうで
快く引き受けてくれたが、映画のイメージとは異なり細かいことを気にしない明るい人だった

・「家族」(1970)は山田洋二監督の最高傑作

・サントリーCMシリーズ(少し愛して、ながーく愛して)は大原麗子の本当の意味での代表作

・風吹ジュンとゲド戦記(略)

・おもひでぽろぽろと今井美樹
(略)

・加藤登紀子と紅の豚
⇒ジーナが登場することになった時点で宮崎駿は加藤さんだといった
(
宮崎駿は彼女の歌をカセットテープが緩むぐらい聞き込んでいる)
⇒高畑勲の「
おもひでぽろぽろ」は声を事前に録って、それを参考に絵を描くプレスコ方式
⇒その直後の「紅の豚」だったので「俺もプレスコやってみたい」と宮崎駿が言い出した
⇒加藤さんのロシア料理店で「さくらんぼの実る頃」を歌うシーンを撮影した
⇒客もスタッフになじみの人ばかりで印象深い収録になった
⇒「時には昔の話を」はスタジオ録音したが声がハスキーになり・・・(以下略)

・「崖の上のポニョ」のフジモトの名前は加藤登紀子の夫の藤本敏夫から
⇒英語版でのフジモトのキャラクター説明は難しかったので・・・(以下
略)

・神代辰巳、岸田理生、寺山修司・・・
(略)

・テレビのシナリオライターで最も好きなのは山田太一
⇒男たちの旅路、岸辺のアルバム、ふぞろいの林檎たち、早春スケッチブック・・・
⇒「欠点を鋭く指摘して人に恥ずかしい思いをさせるなんてことは、実に下劣なことです
素晴らしいのは、誰にも恥ずかしい思いをさせないような人格だ」
⇒このセリフは山田太一の寺山修司批判でもあると思う(二人は学生時代の親友)
⇒その後「北国の春」をデュエットし、超人と凡人が自分を乗り越えようと必死に歌う
⇒平凡な生活を批判して最後は普通の人をフォローして終わらせているのがすごい
⇒どちらも否定しない最後の言葉は山田太一の寺山修司へのリスペクトであると思う

山田太一と寺山修司とアフォリズム(略)

・八千草薫のエッセイ集「まあまあふうふう」(馬馬虎虎⇒良い加減の意味⇒略)

・若大将シリーズで星由里子がマドンナの時代(1961~1968)は中学・高校時代と重なる
⇒当時は名古屋にいたが
若大将シリーズで、それまでの大学生のイメージが払拭された
⇒東京の大学に行けばスポーツ、歌、ギターで夏は海、冬はスキーで恋するイメージに
⇒大食漢の設定をはじめ加山雄三に合わせたキャラクターだったが大きな影響を受けた
⇒高校まで憧れていて、その先の大学生活をイメージしていた
⇒ところが
加山雄三の慶応義塾大学に入ってみるとギターもスポーツもなく学生運動に
⇒映画の中だけと実感したがギターも恋愛も影響は大きく、気分的には冷めていったが
写真集やレコードはいまだに全部持っている
⇒思春期の鈴木にとって星由里子の澄ちゃんは永遠のマドンナ

・「男はつらいよ」のテレビシリーズが好きで学生時代の定食屋で毎週欠かさず観ていた
⇒長山藍子のさくらが印象的だったので映画がいいとは思わなかったが、だんだん倍賞千恵子の
さくらがいいと思うようになっていった⇒マドンナとさくらのやりとりがいい
⇒映画シリーズの本当のマドンナは倍賞千恵子のさくらで彼女がいるから寅さんも・・・

・小津安二郎「麦秋」の「私でよかったら」のセリフ
⇒山田洋次「寅次郎相合い傘」でも高畑勲「おもひでぽろぽろ」でも好みなので使っている

・今村昌平の作品
⇒安保闘争にも高度経済成長にも寄り添っていないものばかりで逆に刺激的だった
⇒週刊アサヒ芸能での仕事と今村監督の仕事は人間臭い業界を徹底的に調べる点で共通していた

・ATGの1000万円映画シリーズ⇒今村昌平の「人間蒸発」から
⇒その露口茂が声を担当した「シャーロック・ホームズの冒険」(1985~1995)は僕も宮崎駿も
大好きで「耳をすませば」(1995)のバロンの声をお願いしたがセリフについて質問攻めに・・・

・今村監督初のカラー映画が「神々の深き欲望」(1968)
⇒近代合理主義⇒資本主義・社会主義・サルトルの実存主義とストロースの構造主義
⇒レヴィ・ストロースのテーマを
映像として具現化したのが「神々の深き欲望」

・「もののけ姫」
(1997)のテーマと舞台設定を1995年に宮崎駿から聞いて「神々の深き欲望」
を思い出したので「今村さんの映画みたいですね」と言ったら、宮さんの顔つきが変わり、
「それって、神々の深き欲望だよね」とすぐに返ってきた
⇒あれだけ映画タイトルを覚えない人が覚えていたのだから、よほど印象に残ってたはず
⇒どちらも南の島から来た日本人の原型をシシ神の前後と近代化の前後で探す試み
⇒「太陽の王子ホルスの大冒険」と同年の公開なので高畑勲に勧められ観た可能性が高い
⇒高畑は論理で考えるが宮崎には概念がなく抽象化されない
⇒今村は観念的で、その観念の裏付けのために調べ尽くす
⇒宮崎は全部を妄想や想像で発想して調べない
⇒物事の核心テーマを、自分の妄想をコラージュして掴み取って描ける稀有な人
⇒その意味で
「もののけ姫」は観念的な「神々の深き欲望」に勝ったと密かに思っている

・とか、続きは「新映画道楽 体験的女優論」で・・・

・あとがきより
⇒この夏に76歳になった(2024)
⇒堀田善衛の「生き延びることだけが勇者ではない」に倣い残り少ない人生を大事に・・・

・・・

こういった感じで映画やテレビドラマの作品、監督、脚本、時代背景や思想、ジブリ作品との
関わりなどから、
映画に登場する女優についての「体験的女優論」が展開されてましたが、
自分がファンになった女優たちへの思い入れだけでなく、監督や脚本家などへの思い入れや
作品に対する鋭い考察についても興味津々、最後まで一気に読みました



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2025年04月18日

ひさしぶりの堺浜ソロポタ

この10日間ブログ記事を更新できなかったけど、いちおーは生きてて・・・

昨日の4月17日、ひさしぶりに堺浜をソロ・ポタリングしてたのでメモしておきます

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まずは大和川右岸の歩行者・自転車道を下流へ





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恒例により、すぐに休憩




ちなみに

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上流側は国道26号線までで
歩行者・自転車道が途切れています




新なにわ筋で阪堺大橋を渡り左岸側の
歩行者・自転車道

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この先が新しく整備された区間で理想的な歩行者・自転車道になってます





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河口付近にあるJ-GREEN堺(サッカーのナショナル・トレセン)が、



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「大和川リバーサイドサイクルライン」の起点になるようです



恒例により、あちこちで休憩もとい記念撮影

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してたのですが・・・


この日は天気晴朗なれども波高く・・・

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向かい風になると遅々として進みませんでした


帰り道にはトリさんなんかも撮ったりして休憩・・・

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新なにわ筋を北に向かえば僅か10kmで淀川リバーサイドサイクルラインであります




ま、わたくしは向かうこともなく、前週まで延々と花見をやってた公園の定位置へ・・・

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と、この日は走行距離約24km・走行時間約1時間20分・平均速度約15km/hでした



古池や呑兵衛どもが花宴跡 98k







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2025年04月08日

2025お花見決戦シリーズ

とーとつですが・・・

2025春・お花見決戦シリーズ!!!(の飲食)メモであります

ま、決戦会場はすべて同じ公園の同じ池畔でしたが・・・

初戦の4月1日は、もと職場の同期6人で・・・

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タイ土産の乾き物や差し入れのドライフルーツなんぞでスーパードライお花見バージョンと
サッポロ・黒ラベルをかぱかぱ・・・



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やがて高級な(差し入れ)シャンパーニュ地方のスパークリングワインで乾杯!!!




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全員揃ったところで、あらためて乾杯・・・ひっく



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この日のメインディッシュへ・・・



さらに、

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チーズや乾き物で(差し入れ)高級ワインをば・・・




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次々と空けて・・・あとはどーなときゃーなろたい ぷつん

中には寝落ちして転倒、池までコロコロ転がっていった輩も約1名いましたが、
奇跡的に「お池にはまってさあ大変」の直前に取り押さえられてました
ま、そのまま「沼の主」になってもよかったのでしゅが・・・どっとはらい

と、この日は11時前から3時過ぎまで、ずっと薄曇りでしたが七分咲きといったところ・・・

皆さん、高級な差し入れをありがとね ばくばくごくごく



第二戦の4月4日は、中学の同期8人と某同期(Y田さん)の飲み仲間6人の計14人が集合・・・
前夜に飲んでたお店で声かけしてたそうで、じつに賑やかになりました

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この日の大阪は満開予想日でしかも晴天、まさにお花見日和でした





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わたくしとS井さんは場所取りを兼ねて10時前からかぱかぱと・・・



やがて皆さんも三々五々、持ち寄りで集まってきて・・・

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メンバーが増える都度、乾杯を繰り返し・・・




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持ち寄った大量の飲み物・食べ物で、飲めや歌えの大騒ぎ



皆さん、すっかり出来上がり

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あとは野となれヤマトなれ・・・ヤマト王権の首都が邪馬台国なのか・・・ぷつん



と、この日も・・・

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「ちょっと、ひと泳ぎしてくるわ」

「まだ死んだらあかん、人生はこれからや!!!」


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「なんでやねん!!!」

と、大阪人らしくボケ・ツッコミで遊ぶ者、延々と古い関西ローカルのCMソングを
がなり立てる者、加川良の「白い家」を静かに口ずさむ者もいましたが・・・
(ちなみにわたくしがライブに行ったのは店が姫松交差点の南東側に移転してからです)


いっぽうでは、

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何かの前撮りでしょうか、素敵なおねいさんも立ち寄ってくれてました

インバウンド客も多く、たまたま声をかけた3人組は何と思い出のバルセロナからでした!!!
「おおっ、ビバ・カタルーニャ!!! ピカソ・ミロ・レモンセルベッサ!!!」とか勝手に盛り上がり、
未開封で残った寿司や唐揚なんぞをプレゼントして、さらに盛り上がりました

この日は10時から6時まで8時間の長丁場となりましたが、わたくしの記憶は断片的です

ともかく皆さん、いっぱいの食べ物や飲み物をありがとね!!!


で、4月7日の最終決戦は、もと職場の同僚3人がじつにひさしぶりに集まって、

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しんみりと昔の苦労話なんぞを・・・


この日の池畔の桜花は・・・

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そろそろ散り初めでしたが・・・



芝生の桜花は、

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まだまだ満開でした・・・

お二人には帰りにお土産までいただき恐縮です


と、今年は同じ会場での三連戦となりましたが、わたくし、もうあちこちに出かけるのが
億劫になってきているのかも知れませんね・・・ううっ



m98k at 17:20|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック その他アウトドア | 糧食、飲料

2025年04月03日

新・古代史

とーとつですが、新年度はじめての記事は・・・

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新・古代史~グローバルヒストリーで迫る邪馬台国、ヤマト王権~
とゆー本の(「はじめに」と「おわりに」の)ご紹介であります




表紙カバー裏にあった惹句

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末尾にあった主な参考文献と著者と奥付

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2024年3月放送の「NHKスペシャル~古代史ミステリー~」取材班のディレクター2人、
夫馬直実・田邊宏騎の両氏が取材をもとに番組で取り上げなかった背景や視点を加えて
共同執筆された本だそうで、番組を興味深く視聴してたので借りてみた次第です



例によって目次の紹介のみ

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ま、内容は目次から想像いただくとして・・・素人にもわかりやすく読めました

この番組以外にも歴史探偵やフロンティアなどいくつかの番組でも紹介されてた「最新研究と
グローバルヒストリーの観点からの」古代史アプローチ、つーのが新鮮でした

以下、日本の古代史については(虚実取り混ぜ)当ブログでもいくつか紹介してますので、
今回は「はじめに」と「おわりに」から、てきとーにメモしておきます
(著作物からのメモなので公開に問題があれば非公開設定にします)

「はじめに」より
・これまで取材班は「戦国時代×大航海時代」や「幕末×
欧米列強」といったテーマで、
グローバルヒストリーの観点から新たな歴史像を描いてきた

・今回は弥生時代から古墳時代の日本と中国や朝鮮半島の国々が織りなした激動の時代に
焦点を当てる⇒「卑弥呼×三国志」
⇒古代史には現在も様々な学説・解釈が存在するので特定の説を支持する意図はない
⇒それよりも苦心している国内外の研究者の努力と挑戦が本書から垣間見えたら幸い・・・

・・・

(つーことで最新研究からも論理的で説得力のある異説がいくつも出てくる現状が客観的に
紹介されてて、このあたりがSNSなどとは根本的に違う部分ですね
邪馬台国についても九州説と近畿説について
は論理的で説得力のある両説の説明がされてたし、
出雲・山陰説や岡山・吉備説はじめ国内だけでも100以上も候補地があることや、さらには
ジャワ島説やエジプト説など海外説まであることも紹介されてました)

・・・

(「本章」よりのメモは省略⇒概要は目次から)
ただし全く知らなかった第9章最後の「日本の誕生」部分のみメモしておきます

・倭国がいつ日本になったのか
(7世紀後半の天武天皇・持統天皇の頃、701年の大宝律令制定の頃など諸説がある中で)
⇒2011年に中国の西安郊外で墓誌(石板)が見つかった
⇒678年2月に死亡し10月に葬られた百済人の軍人についての884文字の記述
⇒その中に663年の白村江の戦いの後の状況が記されており、吉林大学考古学院の教授は
⇒「生き残った日本は扶桑に閉じ籠り罰を逃れている」という内容として、日本という国号が
初めて使われた事例ではないかと考えた
⇒この読み解きが正しければ7世紀には倭国に代わって日本と名乗り始めていたことになり、
これまでの定説が覆ることになる
⇒ただし「日本」は中国から見て「日の出るところ」を意味し新羅を指して使用されることも
ある言葉で国号とは考えられないとする異論もあり、今後の慎重な議論が期待されている

(日本も大和も大倭も倭も
日本語の読みはヤマトだそうですが、白村江(そーいやこの地名、
昔は中国語読みと朝鮮語読みと日本語読みの混ざった「はくすきのえ」と習ってましたが、
今は中国語読みに由来する「はくそんこう」になってますが何故なんだろ?)を戦った百済軍人の
墓誌に「日本」という漢字が国号として使われていたとすれば、確かに興味深いですね)

・・・

番組プロデューサー山崎啓明氏による「おわりに」より
・日本という国の始まりをグローバルな歴史の文脈で捉え直してみると、
⇒ユーラシア大陸の大変動と古代日本の大変動が深く結びついていることに驚かされる

・邪馬台国の卑弥呼が生きた三世紀に中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国時代に突入、
六世紀の隋の建国まで国家分断状態が続いた
⇒ヨーロッパでも四世紀末にはローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡、
これはヤマト王権が前方後円墳を築き日本列島の大半を支配下に収めようとしていた頃

・それらに共通する変動要因の一つがユーラシア大陸の中央部で勃興した遊牧民族の騎馬戦術
⇒鞍、鐙、轡といった馬具の発明は画期的で大陸を席巻した
⇒東では遊牧民族の匈奴が漢軍を叩きのめし屈辱的な和睦に
⇒同じく遊牧民族の高句麗が朝鮮半島を南下し百済を圧迫、倭国軍と戦った
⇒西では
遊牧民族のフン族アッティラが東ヨーロッパに進出して、ゲルマン民族の大移動、
地中海世界を制覇した
ローマ帝国の衰退へとつながった
⇒この騎馬戦術を積極的に導入して東アジアのパワーバランスを塗り替えようとしたのが
倭王が率いるヤマト王権だった

・勢力図が塗り替わると世界観も変化する
⇒中国の歴史書も紀元前一世紀に完成した「史記」では皇帝の偉業がハイライトだったが、
⇒三世紀の魏志東夷伝や五世紀の宋書夷蛮伝になると倭国や朝鮮半島、遊牧民の動向など、
中国の周辺世界の記述が増えてくる
⇒地政学的なリスクの高まりとともに「中華」の概念が生まれてくる
⇒領土を脅かす外敵がいたからこそ必要とされた概念だったのではないか

・ユーラシア大陸の大変動を国造りの好機と見たのが古代日本のリーダーたち
⇒卑弥呼はなぜ呉ではなく魏を選んだのか
⇒高句麗と敵対していた倭の五王が、なぜ宋に官位を要求し朝鮮半島の軍事指揮権を手中に
収めようとしたのか
⇒グローバルヒストリーによって邪馬台国やヤマト王権の外交政策やリーダー像も変わるだろう

・古代史では論争が続いているテーマがあるが本書は謎に決着をつけることを目指していない
⇒考古学的な調査や科学的な分析から明らかになった事実や研究者の見解をわかりやすく丁寧に
紹介することがねらい・・・

・・・

うーむ、まさにねらいどおりで科学的な説明も各見解の解説もわかりやすかったです
さらに深く知りたければ末尾にあった「参考文献」を読めばいいし・・・
って、何冊かは読んでブログ記事にメモしたような気もするけど記憶が・・・




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