2025年06月
2025年06月27日
裏庭剪定メモ
とーとつですが・・・
実家の小さな裏庭を2年前の落車骨折以来ずっと放置してたら、すっかりジャングル化していて、
最近ようやく剪定・伐採し(てもらっ)たのでメモしておきます
(その後どう変化したかなど追加するかもです)
①南側の裏庭
2025.5.2の状況




下草はトタン塀を越え、樫の木は隣家の3階の高さまで達してました
そう、これが2023年4月の落車骨折以来、2年間ほど放置していた結果です
それまでは毎年それなりに自分で(草花は家内が)剪定してたので、ここまで高くはならなかったのに、
日本の大阪における草花や樹木の成長速度もけっこう凄いですね・・・
2025.5.19 次男による剪定(伐採)作業


樫の木も思い切って根元から伐採してもらいました
ええ、今後はまめに剪定できそうにないので残念でしたが・・・
(やはりエンジン・チェーンソーの威力は凄いですね、ノコギリでは枝1本切るのも大変でした)
伐採後の様子

1m以上も枝葉で埋まってしまいましたが、とりあえず枯れるまで1ヶ月ほど放置
(枝葉の下には植木鉢の草花がびっしりと埋まってます)
2025.6.18 次男と次男の友人による撤去作業の結果

土は処分できないので100個以上あった植木鉢の土を樫の木の根元付近から順に盛ってもらったら、
手前から奥まで続いてた石畳を完全に覆い、右上までの石組みも谷筋も埋もれてしまいました
さてさて、雑草などが繁茂しないように、今後どうすればいいのか・・・
(7/1追記です)
母親が元気で毎日手入れしてた頃の写真があったので追加しておきます

あははは、えらい違いですね
②北側の裏庭
同じく2025.5.2の状況です

やはり槙の木も草花もブロック塀の高さに達していました
2025.5.19の次男による剪定作業

槙の木も根元から伐採してもらい、こちらも枯れるまで放置
(南側と同様、枝葉の下には植木鉢の草花がびっしりと埋まってます)
2025.6.18 次男と友人による撤去作業の結果

こちらは槙の木(当初は50cmほど)だけの築山と、ベランダへ上がる階段の石組みに分けた庭でしたが、
やはり大量の植木鉢の土で一体化してしまいました
この庭は半世紀ほど前の改修の際、わたくしが(須弥山をイメージして)職人さんに石組みのイメージを伝え、
元々あった石を組み上げてもらった「石庭」だったのですが、その後に植栽や植木鉢が増殖しており、
植木鉢の土を盛ったら、インド亜大陸の衝突後にできたヒマラヤ山脈のイメージに・・・
と、18日にはレンタルの2トントラックで、予約していた大阪広域環境施設組合・住之江工場へ搬入、
廃棄しましたが、廃棄料金は植木鉢なども含めて重さ530kg、税込み4770円でした
(搬入前後のトラック計量で値段が決まるのは、ボルネオ島のパーム油工場へのアブラヤシ搬入と同じでした)
ちなみに玄関側の植え込みも同じ状況だったので伐採剪定してもらってましたが、こちらは小分けにして
普通ごみに出しましたし、残りの枝葉も何度かに分けて普通ごみに出すとして、その後どうするか・・・
舗装や防草シートは大げさだし、除草剤や塩水には抵抗があるし、やはり重曹水ぐらいかなあ・・・
実家の小さな裏庭を2年前の落車骨折以来ずっと放置してたら、すっかりジャングル化していて、
最近ようやく剪定・伐採し(てもらっ)たのでメモしておきます
(その後どう変化したかなど追加するかもです)
①南側の裏庭
2025.5.2の状況




下草はトタン塀を越え、樫の木は隣家の3階の高さまで達してました
そう、これが2023年4月の落車骨折以来、2年間ほど放置していた結果です

それまでは毎年それなりに自分で(草花は家内が)剪定してたので、ここまで高くはならなかったのに、
日本の大阪における草花や樹木の成長速度もけっこう凄いですね・・・
2025.5.19 次男による剪定(伐採)作業


樫の木も思い切って根元から伐採してもらいました
ええ、今後はまめに剪定できそうにないので残念でしたが・・・
(やはりエンジン・チェーンソーの威力は凄いですね、ノコギリでは枝1本切るのも大変でした)
伐採後の様子

1m以上も枝葉で埋まってしまいましたが、とりあえず枯れるまで1ヶ月ほど放置
(枝葉の下には植木鉢の草花がびっしりと埋まってます)
2025.6.18 次男と次男の友人による撤去作業の結果

土は処分できないので100個以上あった植木鉢の土を樫の木の根元付近から順に盛ってもらったら、
手前から奥まで続いてた石畳を完全に覆い、右上までの石組みも谷筋も埋もれてしまいました
さてさて、雑草などが繁茂しないように、今後どうすればいいのか・・・
(7/1追記です)
母親が元気で毎日手入れしてた頃の写真があったので追加しておきます

あははは、えらい違いですね

②北側の裏庭
同じく2025.5.2の状況です

やはり槙の木も草花もブロック塀の高さに達していました
2025.5.19の次男による剪定作業

槙の木も根元から伐採してもらい、こちらも枯れるまで放置
(南側と同様、枝葉の下には植木鉢の草花がびっしりと埋まってます)
2025.6.18 次男と友人による撤去作業の結果

こちらは槙の木(当初は50cmほど)だけの築山と、ベランダへ上がる階段の石組みに分けた庭でしたが、
やはり大量の植木鉢の土で一体化してしまいました
この庭は半世紀ほど前の改修の際、わたくしが(須弥山をイメージして)職人さんに石組みのイメージを伝え、
元々あった石を組み上げてもらった「石庭」だったのですが、その後に植栽や植木鉢が増殖しており、
植木鉢の土を盛ったら、インド亜大陸の衝突後にできたヒマラヤ山脈のイメージに・・・

と、18日にはレンタルの2トントラックで、予約していた大阪広域環境施設組合・住之江工場へ搬入、
廃棄しましたが、廃棄料金は植木鉢なども含めて重さ530kg、税込み4770円でした
(搬入前後のトラック計量で値段が決まるのは、ボルネオ島のパーム油工場へのアブラヤシ搬入と同じでした)
ちなみに玄関側の植え込みも同じ状況だったので伐採剪定してもらってましたが、こちらは小分けにして
普通ごみに出しましたし、残りの枝葉も何度かに分けて普通ごみに出すとして、その後どうするか・・・
舗装や防草シートは大げさだし、除草剤や塩水には抵抗があるし、やはり重曹水ぐらいかなあ・・・
2025年06月19日
奈良・橿原神宮~飛鳥編
前回記事からの続きであります
当麻寺の次に古い知人と二人で向かったのは橿原神宮でした
この右手にある駐車場にスバルレックスを停めて歩きはじめました


令和22年(西暦2040年)が紀元2700年なんですね・・・

ひいひい

ふうふう

ぜいぜい

今年は紀元2685年(西暦2025年)、知人は紀元2600年(西暦1940年)生まれなので今年で85歳、
わたくしより元気で
しっかりしておられますが、さすがにクルマの所有や運転は自重されてて、
バスやタクシーが激減した郊外ニュータウンでの老夫婦の仮住まいが本当に不便だそうです

こちらが拝殿で背景の山が畝傍山・・・

参拝しました

神武天皇の皇居とされる畝傍橿原宮の推定地に明治天皇によって1890年(明治23年)に創建された
(以上ウィキより)橿原神宮なんですが・・・
神武天皇の畝傍橿原宮での即位が今から2685年前であれば、西暦では紀元前7世紀の初頭になり、
これは従来の年代区分では縄文時代の晩期、放射性炭素年代測定結果による年代区分でも
(2400年問題はあっても)弥生時代の前期にあたります
(今は縄文時代と弥生時代の定義も年代もころころ変化してるようでしゅが・・・)
確かに紀元前9世紀の福岡市板付遺跡(環壕集落)では既に水田や階層差が存在していたことが
確認されてますが、奈良盆地など近畿では紀元前6世紀中頃になって弥生稲作が始まっていたことが
確認されており、それ以前の奈良に水田や階層差(王権)が存在していたのか・・・
(九州北部を出発点とする弥生稲作は鳥取平野では紀元前7世紀に始まっていた可能性はある)
さらにヤマト王権が奈良を支配したのは早くても弥生晩期~3世紀の卑弥呼の?邪馬台国?以降と
されているけど、その1000年も前に奈良にヤマト王権の皇居があった???
しかも奈良の宮殿では最古とされる纏向や鍵・唐古ではなく橿原に???
やはり畝傍橿原宮の存在やその年代については神話の解釈の世界とみるべきでしょうが、
畝傍山の付近に多数の陵墓が存在するのも事実なので、ここも何らかの王権との繋がりの
あった地域であったことは間違いないでしょう
そう、800年前のチンギス・ハーンの陵墓と同じで何らかの関係はあるはず・・・
ちなみに神武天皇が即位したとされる紀元前660年といえばですね・・・
紀元前722年のアッシリア捕囚から紀元前586年のバビロン捕囚で失われたユダヤ10支族の一支族が、
王やアークとともに「東の果ての海沿いの国へ逃れた」(イザヤ書)時期とぴったり重なりますし
神武天皇像や武人埴輪や秦の始皇帝像の「みずら」もユダヤの「もみあげ」とぴったりと・・・
閑話休題
ま、わたくしは宝物館で開催中の・・・

鉄分補給できそうな特別展も観たかったのですが、次の予定もあったので・・・




歌碑やさざれ石を観ただけで神宮をあとにして・・・
明日香村の埋蔵文化財展示室へ・・・

以下、展示物をさくさくっと・・・




















そして飛鳥を翔けた女性たち・・・

と外に出ると、お昼のキッチンカー営業が全て終了してました
仕方なくキッチンカーの先まで駐車場を抜けて・・・



飛鳥水落遺跡の背景に見えるのが甘樫丘・・・
丘陵や古墳や遺跡と民家が水田の間に点在する典型的な飛鳥の風景ですね
と、展示室の次は岡寺へ行きました
この急坂の下にある駐車場にスバルレックスを停めて登りはじめたのですが・・・

坂の途中で脚が痛くなり、紀元2600年生まれ85歳の知人に先導してもらいました

ひいひい

ぜいぜい 待ってくれい

何とか山門は潜ったものの本堂までは上がれず、左の日陰で待つことに・・・
ここでもアジサイが見事で・・・



ちょうど「華手水舎」になってたので涼しげでした・・・



ま、わたくしの脚は萎えたままでしたが・・・うぐぐぐ
30分ほどで日本最古・最大の塑像とされる本尊の観音座像などを拝んできた知人と合流、
彼はすたすたと、わたくしはよたよたと急坂を駐車場まで戻り、次の石舞台古墳へ・・・


殆ど歩けなくなってたわたくしは、ここから駐車場に引き返してクルマで待機

知人は「昔よりずいぶんきれいに整備されてて見違えた」と驚いてました
で、竹内街道へ帰る道すがら、かなり遅めの昼食をご馳走になり・・・

各所でわたくしへのお土産も買っていただいてたようで有難く頂戴しました
で、こちらは奈良県の産品を扱う「あすか夢の楽市」で買ってくれた西瓜なんですが・・・

インボイス対象??? ふるさと仕入品??? 熊本県???
で、和歌山県産??? 小玉西瓜「ひとりじめ」??? JA紀州???
ええ、奈良産で有名な「大和西瓜」がなかったそうです どっとはらい
当麻寺の次に古い知人と二人で向かったのは橿原神宮でした
この右手にある駐車場にスバルレックスを停めて歩きはじめました


令和22年(西暦2040年)が紀元2700年なんですね・・・

ひいひい

ふうふう

ぜいぜい

今年は紀元2685年(西暦2025年)、知人は紀元2600年(西暦1940年)生まれなので今年で85歳、
わたくしより元気で

バスやタクシーが激減した郊外ニュータウンでの老夫婦の仮住まいが本当に不便だそうです

こちらが拝殿で背景の山が畝傍山・・・

参拝しました

神武天皇の皇居とされる畝傍橿原宮の推定地に明治天皇によって1890年(明治23年)に創建された
(以上ウィキより)橿原神宮なんですが・・・
神武天皇の畝傍橿原宮での即位が今から2685年前であれば、西暦では紀元前7世紀の初頭になり、
これは従来の年代区分では縄文時代の晩期、放射性炭素年代測定結果による年代区分でも
(2400年問題はあっても)弥生時代の前期にあたります
(今は縄文時代と弥生時代の定義も年代もころころ変化してるようでしゅが・・・)
確かに紀元前9世紀の福岡市板付遺跡(環壕集落)では既に水田や階層差が存在していたことが
確認されてますが、奈良盆地など近畿では紀元前6世紀中頃になって弥生稲作が始まっていたことが
確認されており、それ以前の奈良に水田や階層差(王権)が存在していたのか・・・
(九州北部を出発点とする弥生稲作は鳥取平野では紀元前7世紀に始まっていた可能性はある)
さらにヤマト王権が奈良を支配したのは早くても弥生晩期~3世紀の卑弥呼の?邪馬台国?以降と
されているけど、その1000年も前に奈良にヤマト王権の皇居があった???
しかも奈良の宮殿では最古とされる纏向や鍵・唐古ではなく橿原に???
やはり畝傍橿原宮の存在やその年代については神話の解釈の世界とみるべきでしょうが、
畝傍山の付近に多数の陵墓が存在するのも事実なので、ここも何らかの王権との繋がりの
あった地域であったことは間違いないでしょう
そう、800年前のチンギス・ハーンの陵墓と同じで何らかの関係はあるはず・・・
ちなみに神武天皇が即位したとされる紀元前660年といえばですね・・・

紀元前722年のアッシリア捕囚から紀元前586年のバビロン捕囚で失われたユダヤ10支族の一支族が、
王やアークとともに「東の果ての海沿いの国へ逃れた」(イザヤ書)時期とぴったり重なりますし
神武天皇像や武人埴輪や秦の始皇帝像の「みずら」もユダヤの「もみあげ」とぴったりと・・・
閑話休題

ま、わたくしは宝物館で開催中の・・・

鉄分補給できそうな特別展も観たかったのですが、次の予定もあったので・・・




歌碑やさざれ石を観ただけで神宮をあとにして・・・
明日香村の埋蔵文化財展示室へ・・・

以下、展示物をさくさくっと・・・




















そして飛鳥を翔けた女性たち・・・


と外に出ると、お昼のキッチンカー営業が全て終了してました

仕方なくキッチンカーの先まで駐車場を抜けて・・・



飛鳥水落遺跡の背景に見えるのが甘樫丘・・・
丘陵や古墳や遺跡と民家が水田の間に点在する典型的な飛鳥の風景ですね
と、展示室の次は岡寺へ行きました
この急坂の下にある駐車場にスバルレックスを停めて登りはじめたのですが・・・

坂の途中で脚が痛くなり、紀元2600年生まれ85歳の知人に先導してもらいました


ひいひい

ぜいぜい 待ってくれい

何とか山門は潜ったものの本堂までは上がれず、左の日陰で待つことに・・・
ここでもアジサイが見事で・・・



ちょうど「華手水舎」になってたので涼しげでした・・・



ま、わたくしの脚は萎えたままでしたが・・・うぐぐぐ
30分ほどで日本最古・最大の塑像とされる本尊の観音座像などを拝んできた知人と合流、
彼はすたすたと、わたくしはよたよたと急坂を駐車場まで戻り、次の石舞台古墳へ・・・


殆ど歩けなくなってたわたくしは、ここから駐車場に引き返してクルマで待機

知人は「昔よりずいぶんきれいに整備されてて見違えた」と驚いてました
で、竹内街道へ帰る道すがら、かなり遅めの昼食をご馳走になり・・・

各所でわたくしへのお土産も買っていただいてたようで有難く頂戴しました
で、こちらは奈良県の産品を扱う「あすか夢の楽市」で買ってくれた西瓜なんですが・・・

インボイス対象??? ふるさと仕入品??? 熊本県???
で、和歌山県産??? 小玉西瓜「ひとりじめ」??? JA紀州???
ええ、奈良産で有名な「大和西瓜」がなかったそうです どっとはらい
2025年06月15日
奈良・当麻寺編
とーとつですが・・・6月13日の金曜日、仏滅の日に・・・
当麻寺⇒橿原神宮⇒明日香村の埋蔵文化財展示室⇒岡寺⇒石舞台古墳と巡ってきました
たまたま梅雨の中休みだったので、東京から来阪中の知人のアッシー君(古語)として・・・
わたくしが中高大生の頃の隣人で、テレビの黎明期から東京でテレビマンをされてたのが、
体調を崩されて退職、帰阪されてた時期で、よく名所旧跡や発掘現場などの取材に当時の愛車
スバル360で連れて行ってもらってたので、今回わたくしも愛車スバル・レックスで・・・
まずは現在所用のため仮住まいされてる河南町のニュータウンへ立ち寄りました
昔からの歴史好きで、あちこち行きたいけど今はバスやタクシーの便が極端に悪くなり、
クルマがないと殆ど動けないそうで、これは郊外ニュータウン共通の悩みかもですね
前回来阪時には日本最古の国道とされる竹内街道から近つ飛鳥博物館などを巡りましたが、
今回は竹内峠を越え、まずは過日の新日本風土記でも紹介されてた当麻寺へ・・・
そう、確か半世紀前に彼のスバル360で「お練り」の取材に行ったはず?の名刹であります
ええ、今回行っても(二人とも)記憶が一切残ってませんでしたが・・・
まずは門前右側にあった駐車場にスバル・レックスを停めました

参道からして旧道の風情がありますね



仁王門を潜り・・・
以下さくさくっと・・・

正面が本堂、左にあるのが日本最古、白鳳時代の梵鐘・・・

・・・だそうですが、正面の本堂から年に一度だけ、ご本尊らが橋を渡って・・・

突き当りに見える娑婆堂まで中将姫を迎えに往復するのが「お練り」行列であります

で、この日だけ本堂と娑婆堂の間に橋が架けられます

(お土産にいただいた絵葉書より)

中将姫もおられましたが・・・詳しくはネット検索して下さいね
さくさくっと・・・




奈良時代の東塔と西塔が揃って現存するのは日本唯一だそうです・・・

せっかくなので奥院の浄土庭園を目指します

ひいひい

こちらが奥院の絵地図・・・二上山への登山口でもあるんですね

ちなみにここまで上れば・・・

東塔と西塔が見事に眺められます
さらにさくさくっと・・・











石組とアジサイが見事な庭でした

ま、こちらはアジサイを積んだ軽トラ越しの撮影ですが・・・






まさに浄土庭園・・・


奥院を出る頃にはすっかり青空になってました・・・


まんだらを ぬけきしぼたん ぼさつかな 青二郎
せっかくなのでシルエットで記念写真


浄土の荘厳 みるぞうれしき・・・

と、当麻寺をあとに橿原神宮を目指しました
(次号に続きます)
当麻寺⇒橿原神宮⇒明日香村の埋蔵文化財展示室⇒岡寺⇒石舞台古墳と巡ってきました
たまたま梅雨の中休みだったので、東京から来阪中の知人のアッシー君(古語)として・・・
わたくしが中高大生の頃の隣人で、テレビの黎明期から東京でテレビマンをされてたのが、
体調を崩されて退職、帰阪されてた時期で、よく名所旧跡や発掘現場などの取材に当時の愛車
スバル360で連れて行ってもらってたので、今回わたくしも愛車スバル・レックスで・・・
まずは現在所用のため仮住まいされてる河南町のニュータウンへ立ち寄りました
昔からの歴史好きで、あちこち行きたいけど今はバスやタクシーの便が極端に悪くなり、
クルマがないと殆ど動けないそうで、これは郊外ニュータウン共通の悩みかもですね
前回来阪時には日本最古の国道とされる竹内街道から近つ飛鳥博物館などを巡りましたが、
今回は竹内峠を越え、まずは過日の新日本風土記でも紹介されてた当麻寺へ・・・
そう、確か半世紀前に彼のスバル360で「お練り」の取材に行ったはず?の名刹であります
ええ、今回行っても(二人とも)記憶が一切残ってませんでしたが・・・

まずは門前右側にあった駐車場にスバル・レックスを停めました

参道からして旧道の風情がありますね




仁王門を潜り・・・
以下さくさくっと・・・

正面が本堂、左にあるのが日本最古、白鳳時代の梵鐘・・・

・・・だそうですが、正面の本堂から年に一度だけ、ご本尊らが橋を渡って・・・

突き当りに見える娑婆堂まで中将姫を迎えに往復するのが「お練り」行列であります

で、この日だけ本堂と娑婆堂の間に橋が架けられます

(お土産にいただいた絵葉書より)

中将姫もおられましたが・・・詳しくはネット検索して下さいね
さくさくっと・・・




奈良時代の東塔と西塔が揃って現存するのは日本唯一だそうです・・・

せっかくなので奥院の浄土庭園を目指します

ひいひい

こちらが奥院の絵地図・・・二上山への登山口でもあるんですね

ちなみにここまで上れば・・・

東塔と西塔が見事に眺められます
さらにさくさくっと・・・











石組とアジサイが見事な庭でした

ま、こちらはアジサイを積んだ軽トラ越しの撮影ですが・・・







まさに浄土庭園・・・


奥院を出る頃にはすっかり青空になってました・・・


まんだらを ぬけきしぼたん ぼさつかな 青二郎
せっかくなのでシルエットで記念写真


浄土の荘厳 みるぞうれしき・・・

と、当麻寺をあとに橿原神宮を目指しました
(次号に続きます)
2025年06月10日
深夜プラス1
昨日、フレデリック・フォーサイスが86歳で亡くなりましたが・・・

ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」とゆー小説のご紹介であります
Bullittさんからwingさん経由でいただいた本で大切にカバーされてます
裏表紙にあった惹句

奥付

昭和51年(1976年)初版の文庫本で、いただいたのは第12刷なので当時のベストセラーですね
単行本の初版は昭和41年(1967年)で、原作の出版は1965年・・・
そう、1964年に亡くなったイアン・フレミングの007シリーズ最終作と同年に出版され、
1971年にはフレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」が出版されて1973年に映画化、
どれも世界的なベストセラーになってますが、この作品の映画化権については早々に
スティーブ・マックィーンが買い取って、死の間際まで映画化を望んでいたとか・・・
さらに1967年の鈴木清順監督作品「殺しの烙印」でも本作を参考にされてたそうですが、
結局、この作品そのものの映画化はなかったようです
もしマックィーンが映画化していたら007やジャッカル同様の名作になってたかもです
まさに「元祖」作品のひとつだったんですね・・・
(Bullittさんによると今は新訳も出ているそうです)
冒険アクション小説も昔から大好きなわたくしですが、この作品は未読でした
以前紹介したマーク・グリーニーの「アーマード生還不能」の元祖つーか、映画でいえば
いわゆるロードムービー、旅の途中で次々と困難(敵の攻撃)が襲いかかるハードボイルドな
アクションもので、さらに登場人物の殆どが殺し屋で一晩だけの旅のオハナシ、とゆー点では、
けっこうカルトな映画ブレット・トレインの元祖とも言えるのでしょうか・・・
ハラハラドキドキで予想外の展開は今でも充分新鮮で、ハンドガンやクルマの選択について
理由がきちんと描かれてるのも嬉しい限りでした

ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」とゆー小説のご紹介であります
Bullittさんからwingさん経由でいただいた本で大切にカバーされてます
裏表紙にあった惹句

奥付

昭和51年(1976年)初版の文庫本で、いただいたのは第12刷なので当時のベストセラーですね
単行本の初版は昭和41年(1967年)で、原作の出版は1965年・・・
そう、1964年に亡くなったイアン・フレミングの007シリーズ最終作と同年に出版され、
1971年にはフレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」が出版されて1973年に映画化、
どれも世界的なベストセラーになってますが、この作品の映画化権については早々に
スティーブ・マックィーンが買い取って、死の間際まで映画化を望んでいたとか・・・
さらに1967年の鈴木清順監督作品「殺しの烙印」でも本作を参考にされてたそうですが、
結局、この作品そのものの映画化はなかったようです
もしマックィーンが映画化していたら007やジャッカル同様の名作になってたかもです
まさに「元祖」作品のひとつだったんですね・・・
(Bullittさんによると今は新訳も出ているそうです)
冒険アクション小説も昔から大好きなわたくしですが、この作品は未読でした
以前紹介したマーク・グリーニーの「アーマード生還不能」の元祖つーか、映画でいえば
いわゆるロードムービー、旅の途中で次々と困難(敵の攻撃)が襲いかかるハードボイルドな
アクションもので、さらに登場人物の殆どが殺し屋で一晩だけの旅のオハナシ、とゆー点では、
けっこうカルトな映画ブレット・トレインの元祖とも言えるのでしょうか・・・
ハラハラドキドキで予想外の展開は今でも充分新鮮で、ハンドガンやクルマの選択について
理由がきちんと描かれてるのも嬉しい限りでした

2025年06月05日
BRUTUSブルータス2025年5月15日号
とーとつですが・・・

BRUTUSブルータス2025年5月15日号にあった、
「珍奇植物~インドアグリーンの新世紀、到来~」とゆー特集記事であります
例によって目次のみ

028~にありましたが、最近のLED照明の進化により砂漠の強烈な紫外線など現地の太陽光が
正確に再現できるようになって、今は日本の室内でも珍奇植物が楽しめるのだとか・・・
フラッシュライトの世界
だけでなく様々な分野でLEDの進化が役立ってるのね
で、中でも当ブログでは062~の特集・・・


「ジャングルプランツの宝庫、ボルネオ島へ」の一部をご紹介
著作物なので詳細は紹介できませんが、このトップページだけでも想像できるかと・・・
(画像も著作物なので公開に問題があれば非公開設定にします)
特集取材のコーディネイターをされたN嶋さんによると、暗くジメジメしたジャングルの
水辺にはまだ知られていない新種が多く、今とても熱いのだとか・・・
今回の取材はボルネオ島でもブルネイの一部と西隣のサラワク北東部だけだったそうですが、
それでも数日間の取材で新種と思われる植物も多く発見したと本文にもありました
この取材に同行した植物探検家の長谷圭祐さん(画像中央)によれば・・・
「強すぎる太陽光や強風、乾燥に適応して進化したのが多肉植物や塊根植物であるなら、
樹冠に遮られて地面に届く弱い光をどうやりくりするか、多すぎる雨、河川の増水をいかに
受け流すかというように、いわば真逆の方向に適応しているのが熱帯雨林の植物たち」
「自生地の撹乱や多種との競争も激しく、華やかな模様の草花が多いパラダイスのように見えて、
実はそれぞれが厳しい淘汰を経て獲得した形質であるというところにロマンを感じる」
とのことでした
わたくし、どちらのマニアの気持ちも分かるような気もしましたが、どちらの条件の光も
作り出せるようになったLED電灯の進化は、まさに珍奇植物界の革命だったんですね
(ちなみに長谷圭祐さんは、あの「天下一植物界」の主催者です)
P.S.
わたくしは植物については全くの素人ですが、近年の開発によりボルネオ島の熱帯雨林が
激減しているのは事実で、毎年発見される動植物の数より毎年絶滅する動植物の数のほうが
はるかに多い、というのもおそらく事実でしょう
かといって身勝手な環境保護論だけで、現地の人たちに経済的に苦しい生活を強いることも、
世界中からパーム油の恩恵や、木材や薬品など熱帯雨林の恩恵をなくすこともできません
やはり個人としてはフェアトレード・アグロフォレストリー(混農林業)・エコツーリズムを
メインに考え、自分ができる範囲をすることだと思うのですが、はてさて・・・

BRUTUSブルータス2025年5月15日号にあった、
「珍奇植物~インドアグリーンの新世紀、到来~」とゆー特集記事であります
例によって目次のみ

028~にありましたが、最近のLED照明の進化により砂漠の強烈な紫外線など現地の太陽光が
正確に再現できるようになって、今は日本の室内でも珍奇植物が楽しめるのだとか・・・
フラッシュライトの世界


で、中でも当ブログでは062~の特集・・・


「ジャングルプランツの宝庫、ボルネオ島へ」の一部をご紹介
著作物なので詳細は紹介できませんが、このトップページだけでも想像できるかと・・・
(画像も著作物なので公開に問題があれば非公開設定にします)
特集取材のコーディネイターをされたN嶋さんによると、暗くジメジメしたジャングルの
水辺にはまだ知られていない新種が多く、今とても熱いのだとか・・・
今回の取材はボルネオ島でもブルネイの一部と西隣のサラワク北東部だけだったそうですが、
それでも数日間の取材で新種と思われる植物も多く発見したと本文にもありました
この取材に同行した植物探検家の長谷圭祐さん(画像中央)によれば・・・
「強すぎる太陽光や強風、乾燥に適応して進化したのが多肉植物や塊根植物であるなら、
樹冠に遮られて地面に届く弱い光をどうやりくりするか、多すぎる雨、河川の増水をいかに
受け流すかというように、いわば真逆の方向に適応しているのが熱帯雨林の植物たち」
「自生地の撹乱や多種との競争も激しく、華やかな模様の草花が多いパラダイスのように見えて、
実はそれぞれが厳しい淘汰を経て獲得した形質であるというところにロマンを感じる」
とのことでした
わたくし、どちらのマニアの気持ちも分かるような気もしましたが、どちらの条件の光も
作り出せるようになったLED電灯の進化は、まさに珍奇植物界の革命だったんですね
(ちなみに長谷圭祐さんは、あの「天下一植物界」の主催者です)
P.S.
わたくしは植物については全くの素人ですが、近年の開発によりボルネオ島の熱帯雨林が
激減しているのは事実で、毎年発見される動植物の数より毎年絶滅する動植物の数のほうが
はるかに多い、というのもおそらく事実でしょう
かといって身勝手な環境保護論だけで、現地の人たちに経済的に苦しい生活を強いることも、
世界中からパーム油の恩恵や、木材や薬品など熱帯雨林の恩恵をなくすこともできません
やはり個人としてはフェアトレード・アグロフォレストリー(混農林業)・エコツーリズムを
メインに考え、自分ができる範囲をすることだと思うのですが、はてさて・・・