モンゴル紀行から内蒙古紀行へ内蒙古紀行 植林編2

2006年08月24日

内蒙古紀行 植林編1

やっと中国・内蒙古自治区クブチ沙漠の植林基地、恩格貝までやってきました。
わたくし、ここに90年代から、ちまちまと木を植えております。

まずは、今年新しくできた、ビジターセンターの展示パネルから・・・
1d0d5a69.jpg
画像が見にくいですが、上が1990年、下が2004年の現地であります。

わたくしがはじめて行った時は、下のパネルの中央右側に見える逆コの字型の建物、
レンガ造りの研究、宿泊棟なんですが、これが一番大きな人工物で、その周辺の植林したポプラ以外は
まだまだ上のパネルのような地肌が見えてました。

それが十数年の植林で、噴水の手前に新しくできたホテルから見渡せる、ご覧の範囲までは、
再び緑の大地に生まれ変わり、農作も可能になってきたのであります。



で、次のパネル
71a96448.jpg

右のおじいさんが、わたくしの尊敬する故・遠山正瑛先生、
左は江沢民、1996年当時の国家主席であります。

遠山先生は、鳥取大学の砂丘研究所を退官されてから、
中国西北部の沙漠緑化にたった一人で取り組まれ、
このクブチ沙漠に来られたのが1990年、
わたくしが現地ではじめてお会いした時には、
すでに90歳を越えておられましたが・・・

朝は誰よりも早く、スコップ担いで植林地に、
我々、日本からの短期ボランティアと話すのが本当にうれしそうで、
「わしは80歳でタバコを、90歳で酒をはじめた。100歳になったら女遊びを・・・がははは」
といっておられましたが、一昨年、98歳の生涯を閉じられました。

「わしはこのクブチ沙漠に骨を埋めるんじゃ」とも、よくいっておられましたが、
中国政府の手によって、現地に立派な銅像や御廟が完成していました。

晩年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞も受賞され、
NHKのプロジェクトXでも取り上げられた人物ですが、
ずっと日本との往復は我々と同じエコノミークラス、
しかも北京と包頭の往復は硬座の夜行列車!
これは、さすがのわたくしでも疲れるんですが、
先生は、週に何度も北京や日本へ往復されてました。

何度か同行した機内では、トイレ前でタバコを吸ってて中華航空のおねいさんに叱られ、
「先生、こっちで吸わないとだめじゃないすかぁ。」
「おおっ、タバコまだあるか、1本くれい。」と、もらいタバコして、
わたくしにまで延々と夢を語るような、本当に気さくで無邪気な方でした。
(ま、中華航空も、とうとう全面禁煙になってしまいましたが・・・ううっ)

先生の活動に賛同した日本の企業、労働組合、大学や高校をはじめ、華道の草月流、仏教等様々な宗教団体など、いろんな団体の協力や外務省の援助もありましたが、
大多数の個人の手によって、今では300万本の森になっております。

今では、遠山先生の日本沙漠緑化実践協会を離れた多くの人たちが、
中国各地の荒漠地で独自の活動をしておられ、わたくしも鯨飲馬食ツアーでちまちまと・・・

国家主席との会談と前後して、中国でも緑化政策が本格化し、包頭からの道路も整備され、
あちこちで緑が見られるようになってきました。

おかげでここは有名な観光地になり、中国のあちこちからも観光客が・・・
6faf1fdc.jpg

23144e9c.jpg


で・・・
866b2e69.jpg

この「恩格貝はあなたを歓迎します。」の横断幕・・・

よく見ると・・・

「熱烈歓迎日本朋友光臨恩格貝」の横断幕の裏を使ってるんですね。

うーむ、日本からの植林ボランティアが多い時には裏返すのか・・・
それとも、もう使わなくなってしまったのか・・・

ちょっと前までは、その都度、それぞれのボランティア隊の名前を書いた、
歓迎の横断幕を掲げてくれてたんですが・・・

さすが合理的というか、現実的というか・・・
ま、関心が高まり、中国人観光客が増えているのは、一番いいことなのですが。にっこり

内蒙古紀行 植林編2以降では、実際の植林現場などを紹介する予定です。


P.S
この、もとは森林だったクブチ沙漠、中国では10番目ぐらいのちっちゃな沙漠ですが、
四国ぐらいの面積があります。
(ちなみに北京市と天津市を足すと、やはり四国ぐらいになります。)
そのうち緑化できたのは、僅かに大阪市内ぐらいの面積です。

我々日本人だけで緑化するには、あと百年はかかるでしょうが、ま、ちまちまと・・・

at 23:45│Comments(4)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 沙漠緑化・熱帯雨林再生 | その他アウトドア

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この記事へのコメント

1. Posted by iigyogyo   2006年08月25日 03:42
まるで、テラフォーミングに匹敵する程の成果ですね!
生まれたばかりの赤ん坊が、立志式を迎える頃に緑が萌える…でも、
百年後となると…がんばれば、なんとか見られるかも?
{注射}…来世辺りで。^笑^
2. Posted by ニャん丸   2006年08月25日 07:22
98kさん、おはようございます♪
砂漠に植林するという行為自体どのくらいの効果があるのだろう?と思っていましたが、こうやって実際の姿を拝見すると、とても意味のあることなのですね!
もちろん、10年やそこらでできることではないので、100年単位で継続しなければならない事なのでしょう。
さて、話は変わって最後の「恩格貝はあなたを歓迎します。」のお写真…写っている人の手の位置が気になります(笑
3. Posted by 川端   2006年08月25日 09:45
遠山正瑛氏、存じ上げなかったのでググってみましたm(_ _)m
84歳で協会設立、やがては国をも動かしますか・・・ 
並大抵のことではありませんね。素直にご尊敬申し上げます。
90年代初頭かぁ・・・
卒業する気も卒業しない気も無くなんとなくでガッコに通い、なんとなーく彼女作ったり別れたり、また作ったり別れたり、、、勉強なんかまったく興味も無かったし、実際しませんでした。
卒業したらしたで就職する気も就職しない気も無く、やはりただなんとなくフラフラしてた頃です。
なにしろ自分の欲求が最優先で、世界は愚か、自分以外のことなんてちっとも考えてませんでしたね。
まあ、いまでも自分の生活で精一杯(^^;正直、家庭内の環境整備さえ儘なってませんが・・・
所詮、その時やりたい、出来る、と思ったことをその時持てる力でやっていくしかないとはいうものの、それだけで遠山氏のような境地に至ることは、きっとないんでしょうね、、、
4. Posted by 98k   2006年08月26日 01:55
中国国民が、一人1本だけでも植えてくれたら、この沙漠、
たった1年で緑の大地になるんですけどねえ・・・。
最近やっと、内蒙古自治区や北京で、その動きがでてきたようです。
日本も終戦直後の状態だったら、とっくに沙漠の国になってたそうです。
一番貧しくて苦しかった、昭和20年代から30年代にかけて、数百億本の
植林をやったんですねえ、我々の先輩たちは・・・
ま、植えたのがスギとヒノキばかりでも、その後の手入れさえしてれば、
花粉や山崩れなどの今の森林荒廃はなかったんですが・・・
放置した原因は、外材輸入と、イワタニさん発明のプロパンガス・・・
でも、そのおかげでみんなが一戸建ての家に住み、薪集めの重労働から開放され、豊かな生活ができるように・・・
それでまた、ボルネオやアマゾンの熱帯雨林がえらいことに・・・
ま、遠山先生や長期ボランティアのような真剣さやひたむきさは、
わたくしには微塵もありませんが!酒池肉林と暗闇でのライトの明るさを楽しみに、気が向いたら、これからもちまちまやってきます。
ところで、LED材料のレアメタル、大部分は内蒙古産なんですね。{にっこり}
で、最後の画像のおじさん、カメラを向けたら、急に手をアソコに・・・{ショック}

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