2010年03月22日
出雲紀行その3
出雲紀行の三回目であります。
たらふく夕食を食べ、めずらしく冷酒まで飲んだわたくし、
宿の中で湯めぐりができる、とゆーのがこの旅館の自慢なのですが、
お腹が苦しくて、なかなか動くことができませんでした。
で、部屋の窓から、露天風呂の湯けむりなんぞをモードを変えて撮ってみました。
(露天風呂は建物の向こう、湯けむりだけで、けっして盗撮ではありましぇん。
)
こちらが夜景モードでの撮影・・・
で、こちらが高感度モードでの撮影・・・
どちらも、手すりにもたれかかっての飲酒手持ち望遠撮影のわりには、
けっこう止まっているでしょう?
まあ、じつは数十枚撮った中の2枚なんですが・・・
で、ひと段落して、宿の中のお風呂をひとめぐりして戻ると、部屋には蒲団が敷かれ、枕元には・・・
うれしい心遣いですねえ・・・もちろん懐中電灯のほう・・・
で、一夜明けたお宿の様子・・・
我々のお部屋は四階でしたが、上から眺めるお庭もなかなかでした。
まあ、横浜のホテルニューグランドに泊って、優雅に港を眺めてた方もおられますが・・・
で、朝食前に、昨夜の湯めぐりで一番気にいったお風呂に再度浸り、
たっぷりの朝食のあとは、上の画像に見えてる一階のロビーで、お庭を眺めながら、
まったりとモーニングコーヒーを楽しんでからお宿を発ちました。
で、この日は、クルマで30分ほどの松江城へと直行・・・
松江とゆー城下町、お城の周辺にもけっこう古い街並みが保存されているのですが、
今回の旅でわたくしが最も期待していたのは・・・
松江城の内堀からスタートする堀川めぐりだったのであります。
ご覧のとおり、電動の屋形船はまだ冬仕様で、こたつも風除けもあって、
寒さは全く感じなかったのですが、外を見るには、ずっと上半身をねじった状態でした・・・
松江城のお濠は、内堀と外堀がつながっており、さらに外堀が河川とつながっているため、
我々の堀川めぐりは40分ほどのコースでしたが、行こうと思えば、
内堀から宍道湖だって日本海だって行けるとゆー、都市部ではめずらしいお濠なのであります。
このサイトの川下りのカテゴリでも書いてますが、わたくし川から眺める景色が大好きであります。
で、今回の出雲ツアーでは、ぜひこの堀川めぐりを試してみたかったのであります。
ま、さくさくっと、画像を紹介していきますね。
出発して間もなく、このあたりは武家屋敷が続き、小泉八雲の旧宅なんかも残っています。
けっこう、観光地として整備されてるようですね。
この先で、内堀から外堀に出ます。
これはたぶん新しいだんじり用の倉庫ですね。なかなか景観に配慮されてますねえ。
このあたり、外堀ではいちばん狭いところ、まるで気分は地獄の黙示録・・・なのかっ???
正面が島根県庁、右のサギはレプリカですが、ほんとにこのあたりで魚を狙っているそうです。
別の船着場、ここからも乗ったり下りたりすることができます。
何かのイベント中のようで、素敵なおねいさんが手を振ってくれました。わーい
昔はいたるところに、堀川に向いた生活があったそうですが、今は殆どが使われておらず、
閉鎖、破壊された階段も多いとか・・・
川に向いた生活をやめたとき、その都市も、その川も、荒廃していったのですが、
柳川市や近江八幡市、この松江市のように、観光による再生も可能なのであります。
ぐだぐだいってるうちに、また内堀に戻ってきました。
橋をくぐって左に曲がれば、最初の船着場で、あっという間の40分間でした。
いやあ、やはりわたくし、こんなのが大好きであります。
そーいや柳川では、こたつ舟に物売り舟が横付けして、熱燗を買って呑んだなあ・・・じゅるじゅる
(出雲紀行は、もう少し続きます。)
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この記事へのコメント
澱みに浮かぶ泡は、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたる試し無し。
とどのつまりはこの世は無常。世にあるものはすべからく儚い。なんてなことを申します。
が、
メッチャ保存状態良さそうですね。銀のナショナル2C(^^)
って、このライト、SUREなんとかの最新型じゃないのかっ???
ちなみに澱みに泡が立ってたら、メタンガスか何かが発生しているわけで、
そんなところに留まってたら、輪廻転生したりします。
泡立つのは瀬、ホワイトウォーターであります。
泡は空気なので、落ちたら身体が浮きません。
やはり留まってると輪廻転生したりします。

5年前、介護福祉士実技試験のため泊まったビジネスホテルに備え付けられていた懐中電灯の電球をTEKTITEに差し換えて遊んだのを思い出しました。
日本のまともな宿泊施設では、探せば必ず非常用懐中電灯がありますが、
ちゃんと枕元に置いてくれてたのは、今回が初めてでした。
よほど怪しい家族と思われてたのでしょうか・・・ううっ

ちなみに沙漠植林での宿泊施設では、まったく見かけませんでした。
しかも、よく停電したので、やはり自前のライトは必需品でした。

