2011年06月19日
2011モンゴル紀行その5
モンゴル植林ツアー報告の5回目であります。
モンゴル二日目の夜に国際的なキャンプ宴会を楽しんだわたくし、翌朝にはキャンプ場とも素敵なスタッフともお別れであります。
でへへへ・・・
わわっ、割り込むんじゃないっ・・・・・・
ううっ、最後はツーショットにしようと思ってたのにぃ・・・
とまあ・・・
朝の放牧で羊さんが移動しはじめたキャンプ場をあとに、バスはウランバートルに戻って、市内見学なのであります。
今回の植林ツアー、日本モンゴル親善協会のイベントにあわせての植林で、出発便や到着便の都合もあり、
かなり変則的なスケジュールとなっており、この日の午後と翌日の午前が施設見学などになったのであります。
ほんとはウランバートルで丸一日の観光日程か自由時間が欲しかったのですが・・・
そう、前回は丸一日がウランバートル観光で、わたくしは息子と抜けだし、モンゴル陸軍射撃プログラムに行ったのであります。
ですからウランバートル市内見学は今回がはじめてで、見学先としては、我が隊の定番コースである自然史博物館をはじめ、
お寺や宮殿などを見学したのですが、恐竜のコレクションで有名な自然史博物館の内部は撮影禁止でしたし、
他の施設も、ちょうど夏休みに入って、モンゴル人は全館無料!ウィークになっており、どこも内部はモンゴルの人でいっぱい、
まあ、街の様子と外観だけでも、さくさくっと紹介させていただきます・・・
新しくなった国会議事堂とスフバートル広場
5年前に来た時は建設中だったんですが、やっと完成したようです。
中央はもちろんチンギス・ハーン、で、手前が影の千人隊長といわれる・・・
ちなみに、広場はまだ整備中でした・・・
広場に面したウランバートル市役所と、背後は建設中の新庁舎・・・
市庁舎以外にも、オペラハウスなど広場周辺の重厚な建物は、殆どが戦後ソ連に抑留された日本兵によって建てられたもので、
建て替えの際に、あちこちから日本語の書かれた部材が出てきて、調べてみると当時の技術では最大限の工夫が、
随所になされていたことが判明したそうで、そのことが最近報道されて、モンゴルで感動を呼んでいるとのことでした。
わたくしの親の世代になりますが、我々が想像できないような過酷な状況の中でも、ベストを尽くされてたんですねえ・・・
で、こちらがモンゴル・チベット仏教の総本山、ガンダン寺
内部に10以上ある、僧堂や寺院の周囲にはマニ車がずらりと・・・
お坊さまも読経代わりにですね・・・(違)
こちらが高さ26.5mの観音様が祀られている観音堂・・・共産政権に破壊され、1996年に再建されたものだそうです。
ガンダン寺を出て、市内を走っていると、こんな看板が・・・
うーむ、ペイントボールゲームもあるのか・・・日本では禁止されてるのになあ・・・ま、実銃ではゲームはできないからな・・・
で、遅めの昼食はロシア料理店へ・・・
タイガービールをモンゴルのロシア料理店で飲めるとは・・・
って、キャビアがずいぶん少ないですが・・・じつは・・・
モンゴル土産とゆーと、食品ではまず岩塩、それに5年前はロシア産のキャビアがとても安かったんですが、
今回もたまたま同じ食品スーパーへ連れて行ってもらったところ、同じキャビアが、なんと5倍以上のお値段に・・・
岩塩もけっこうお高くなっており、小さな袋に小分けして売られていました・・・高騰した理由はわかりませんが・・・
で、この後にボルシチがでて、そのあとのメインディッシュはロシア風ハンバーグ・・・
みなさん、肉の臭いがきつい、とかで残しておられましたが、もちろんわたくしは完食・・・
で、午後からはザイサンの丘にある、ザイサン・トルゴイ(戦勝記念碑)へ
300段ほどの階段を登ります。ひいひい・・・あともう少し・・・
やっと登頂であります。
ふむふむ、みんなでナチスをやっつけて・・・
ソ連軍とモンゴル人は、ずっと仲良く暮らしてたんですね・・・
で、丘の上からは、ウランバートル市内が一望できます。
ご覧のとおり、町はずれには定住型の白いゲルも点在しますが・・・
市内中心部のほうは、まさに100万都市の様相であります。
ちなみに、丘の麓にはこんなのも飾ってありました・・・
そりゃまあ、なにせ対独戦勝利の立役者ですからねえ・・・
ちなみに民主化後、粛清の象徴だったスターリン像は破壊されたそうですが、レーニン像は残してあるそうです。
で、こちらがボクトハーン宮殿の正門、内部は現在博物館になってますが、こちらも、ものすごい人出でした。
中庭ではドキュメンタリー映画でしょうか、仏教儀式の撮影が行われていました。
で、夕方の6時からは、国立劇場で国立民族歌舞団の公演を見学・・・
じつはこの画像、7時半に公演が終わってから撮影したものですが、まだまだ明るかったです。
で、今回は特別サービスで撮影OK、とゆーことで・・・
いろんな踊りあり・・・
歌あり、演奏あり・・・
寸劇あり・・・
アクロバットまでありましたが・・・
なんといっても・・・
左の方のホーミー(喉歌というのか、二重発声歌唱というのか・・・)がわたくしには秀逸でした。
高音部の口笛のようなきれいなメロディーと低音部の伴奏が、見事にお一人の口から出てきます。
なんでも、人と接することが少ない遊牧民がさみしさを紛らわすために、自然の音を真似したのが起源だとか・・・
モンゴル人男性の中でも、ホーミーができるのは1000人に1人といわれており、しかも父親もできる場合が殆どだそうで、
さらに女性でできる方となると、モンゴル全土でも現在たった1人しかおられないとか・・・
全体的に充実したプログラムでしたが、踊りの振り付けなどは、まだまだ社会主義時代のイメージが残っており、
その意味でも懐かしい感じがしましたねえ・・・劇場内部も薄暗くていかめしく、いかにも、とゆー感じでしたし・・・
(モンゴル紀行、次回に続きます。)
トラックバックURL
この記事へのコメント
一方で、明るさや活気もお写真から伝わってきますが。
ところで、モンゴル国民は全員乗馬が巧みで、女・子どもに至るまでカラシニコフの分解組み立てが目をつぶってもできる、という都市伝説の真相はいかがなんでしょう。
キャンプ場のすてきなおねいさんに、カラシニコフ突きつけられませんでした?
そうですね、5年前とでも、かなり様相は変わってましたし、1992年の新憲法制定以降は、AKの分解組み立ても高校の正課ではなくなったでしょうし、
ウランバートル生まれの現地添乗員さんなんか、ガイドやるために乗馬を習った、といわれてました。
5年前は盛んだった、スポーツとしての狼狩りも、狼の減少から下火のようですし、
10代20代の都市住民は、銃や乗馬などとは縁のない生活をしてるのかも知れません。
キャンプ場のすてきなおねいさんは10代20代ですが、たぶん都市住民ではないので、怪しい宿泊客に襲われないよう、
みなさん、ジーンズのポケットから、さりげにトカレフやマカロフが覗いてたりして・・・(違)