2011年06月22日
2011モンゴル紀行その6
さて、モンゴルの歌や踊りを堪能した3日目の夕食は、ウランバートル市内の韓国系のバイキングレストラン・・・
5年前にはじめて来た時には、市内一日観光を抜け出して、陸軍の射撃場でAKMなどを撃ちまくってたので、
その日の昼食会場だったこのレストランには行けず、今回楽しみにしていたのですが・・・
まあ、おいしい白菜キムチとわかめスープとご飯があったぐらいで、あとはふつーの洋食バイキングでした・・・
で、10時前にはホテルに戻り、外国では珍しいホテル内の「サウナ付き大浴場」で入浴しました。
この日のホテルの部屋割、空き部屋の都合からでしょうか、わたくしはなんと・・・
3室続きの部屋に一人、とゆー、なんともぶるじょわな状況に・・・
手前が書斎、真ん中がリビング、奥がツインのベッドルーム・・・
めったにこんな部屋を独占できることはないので、キャンプ宴会で残ったカティサークとミックスナッツをだしてきて、
あっちの部屋で一杯、こっちの部屋でまた一杯と、ご機嫌でやってたのですが、ちょうど11時ごろに・・・
とーとつに全館停電!!
非常用照明もなく、いきなり真っ暗になり、手探りで窓のカーテンをあけると、向かいのアパートも全館停電のようで、
ウランバートルでも停電は珍しいのでしょうか、何人かの住民が、強力ライト型の懐中電灯を片手に、
不安そうに外に出てきてましたが、道路を隔てた反対側のアパートは点灯しており、極めて一部地域の停電のようでした。
「仕方がないなあ・・・へっへっへ」
と・・・なんとなく、うれしくなったりして・・・
まずは貴重品とともにいつも手元に置いている、wingさんからいただいた高輝度LED換装済キーホルダーライトを点灯、
ほんとはこれだけでも、身の回りを整理して脱出などに備えるには充分なのですが・・・
FENIXのMC-10を首からかけ、Higuさんからいただいた電球色CREE換装済LD-10特製ディフューザーキャップ付き!
を、居間のテーブルにどんと立てて、引き続き一人宴会を楽しむことにしました。
「わははは、風情があるなあ・・・これ一つで居間は充分明るいし・・・おっと、冷蔵庫のビールもぬるくならないうちに・・・」
とかやってると、廊下を隔てた向かいの部屋から大声の会話が聞こえ、しばらくしてドアを開く音が・・・
で、こちらもドアを開けてみると、モンゴルのご夫婦のようで、ちゃんと服をきて出て行こうとされてたようです。
「サイバンノー・・・あっ、あーゆー、おっけい???」と、あとのモンゴル語が続かなかったのですが・・・
階段方向をディフューザーレンズを跳ね上げてハイにしたMC-10で照らしてあげると、おおっ、と一瞬驚いて笑顔になり、
たぶん「バイルラー(ありがとう)」といわれたと思うのですが、よく聞き取れませんでした。
で、ふたたび居間に戻り、「ま、これ以上は飲まずに寝た方がいいな・・・」と、いつでも外に出られるように荷物をまとめ、
枕もとにライトをならべて、ようやく横になったところで・・・一斉に灯りが点きました・・・・
この間、一時間もないくらいでしたが・・・テレビも再びついたし、仕方がないので・・・一人宴会を再開したとゆー次第・・・
で、翌朝はとーぜん二日酔い、ウランバートルでも高度は1300m以上ありますから、けっこう廻るのであります・・・
といいつつ、朝食バイキングはしっかりと食べ、この日の午前中は日本人墓地に参拝であります。
ウランバール近郊で立ち入り可能な日本人墓地は2箇所あるそうですが、そのうちのダンバダルジャー墓地に向かいます。
ちょうど朝の通勤・通学時間で、市内中心部に向かう反対車線では、あちこちでバス待ち客が見られましたが、
特にバス停の表示のないところもあったのですが、これは一体、何を待っているのか・・・
ちなみにウランバートルでは、正規のタクシーより白タクのほうがはるかに多いそうです。
で、こちらがダンバダルジャー墓地、三角の明かり取りのある建物は博物館であります。
博物館内の様子・・・
博物館を過ぎ、この広場をさらに登ったところが慰霊碑であります。
みんなで線香を捧げ、合掌します。
ほぼ全員が数珠を持参、様々な宗派の読経の声が一斉に聞こえてきたのはさすがでした。
モンゴルでは約2万人の日本人将兵が戦後、ソ連軍によって強制労働に従事させられ、うち約2000名が、
再び生きて日本に帰ることなく、モンゴルの土になったといわれています。
日本の方向を指し示すプレートを見ていると、わたくし、不覚にも涙がこみ上げてきました。
諸士よ、祖国日本は、
見事に復興しました。
モンゴルに安らかに眠って下さい。
昭和41年8月20日の日付が入った、このような碑文もありました・・・
ゲートの横には、花りんごが咲いていました。
ちなみに、日本モンゴル親善協会では、ここに桜を植林する計画があるそうで、今回のイベントに合わせて、
桜ご専門の樹木医さんも日本から来られてました。
さて、この日の午後がいよいよ子どもたちとの植林イベントの本番、空港道路の植林地へ向かうのですが、
ウランバートル市内に戻ってレストランで昼食をとる余裕はなく、テレルジから流れる川の河原で日本食のお弁当であります。
で、反対側(上流側)を見ると・・・
おおっ、やってる、やってる!
わたくし、モンゴルで川下りとゆーかダッキーとゆーかカヤックとゆーか、そもそもフネ自体を見たのはこれがはじめて・・・
いそいでお弁当をかき込んで、様子を見に行ったのですが・・・
訊けばインターナショナルスクールで集まった世界の若者たち、日本人もいて(阪神タイガースキャップの青年ではなく反対側)
テレルジから4日間かけてウランバートルまで下ってきたそうで、どこまで行くのか、と訊いたら、あと3日間で行けるとこまで、
とのことでした。この川はバイカル湖に注ぐのですが、無事に河口まで下れたのでしょうか・・・
彼らも昼食を終え、出発であります。いいなあ・・・ダッキーもわたくしのより、いいのに乗ってるし・・・
「ボン・ボヤージュ! 良い川下りを! 良いキャンプを! HAVE A NICE TRIP!!!」と、あらん限りの声で見送りました。
さて、昼食後には空港道路まで行って、いよいよ子どもたちとの植林イベントであります。
(次号に続きます。)
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この記事へのコメント
かくいう私も嬉しくなる一人ですが。
そうなんですよね…
ずっと停電が続いていた被災地や、停電が日常茶飯事の国の方には申し訳ないのですが、
我々が子どもの頃は台風などによる停電が結構ありましたから、学校も休校になったりして、
蝋燭や暗い懐中電灯の明かりの中で、なんとなくワクワクしたものですよね。
台風クラブとゆー映画作品が、その雰囲気をよく出してましたが、
ま、台風一過の真っ青な空と、復旧した明るい街の記憶との セットなんでしょうね…
それでライトやアウトドアから離れられないのかも知れませんが、
ずっと停電生活が続くと、とてもそれどころじゃないでしょうね。
いずれにせよ今回は、備えが万全であわてずにすみました。