2012年08月29日
2012中国・植林ツアー報告その7
7日の午後一時半に西安空港を発った機は、予定どおり午後四時前には敦煌空港に着きました。
ちなみに昔のシルクロードでは、ラクダに乗って約40日の行程だったそうです。
で、いきなり・・・
湿度0%、青空100%、どうだ参ったか!!!
・・・の、きわめてシンプルな敦煌空港であります。いやあ、参った参った・・・
ま、せっかくなので・・・
山の上には、少し雲が浮かんでますが・・・
まさに極沙漠(雨の殆どない沙漠)のど真ん中、敦煌の年間雨量は36ミリだそうであります。
さらに、敦煌から西に拡がるタクラマカン沙漠では年間0ミリ、北東に拡がるゴビ沙漠では年間数ミリだそうです。
何回も書きましたが、わたくしたちが植林しているのは、近年の人類の営みによって沙漠化してしまったところで、
現在でも年間雨量が250ミリから300ミリ程度はあるところ、この沙漠をもとの森林と草原の環境に戻せば、
ふたたび農業や畜産も可能になり、人類と自然の共存が持続するはずの沙漠であります。
いっぽう、タクラマカンやゴビなどの極沙漠を緑化しようとすると、地下水や雪解け水を大量に使わねばならず、
やがて地下水脈は涸れ土壌の塩分濃度も上昇するでしょうし、結局は農業もできなくなるはず・・・
でも、今回の旅で見る限り、かなり大規模な緑化や農業開発、工業開発が進んでいるようでした。
貧しい地域に豊かさをもたらすことは、たしかに植林・緑化ボランティアの大きな目的のひとつですが、
極沙漠まで緑化しようというのは、わたくしの趣旨とは異なるのも事実です。
このような動きは、これからも注視していかねばならないと実感した次第であります。
で、一行は敦煌の街には寄らず、空港からそのまま、400km離れた嘉峪関までバスで直行します。
道はあくまでまっすぐ・・・まあ、特に曲げる理由は見当たらないか・・・
ちなみに道の右側(今は北へ向かってるので東側)には・・・
こんな山塊が続いており、年に数回だけ降る雨が、一気に押し寄せて道路を破壊するので、
手前のような堤防とゆーか誘導水路が作られているそうであります。
左側(西側)は、まさにタクラマカン沙漠の入り口・・・ここから数百キロ先には、さまよえる湖、ロプノールが・・・
三枚前の画像の左側にも写ってましたが、南に拡がる5000m級のキレン山脈の氷河の雪解け水が、
沙漠の途中まで流れる川の流域や、それが伏流水となって湧く泉のある場所が「緑のオアシス」・・・
オアシス本来の水環境に見合った範囲の緑化と農業なら、あまり問題はないと思うのですが、今回見る限り、
かなりオーバーワークとゆー感じで、水のリサイクルもあちこちで始まっているとは聞きましたが、
工業用水にも大量に使われており、街も人の暮らしも、どんどん大きくなっているようでした。
もちろん、貧しい地域の人々が豊かになること自体を、我々が止めることなんてできませんが、
その方法がほんとに正しいのか、持続できる別の方法はないのか・・・気になるところであります・・・
小さなオアシスにある古い「道の駅」で、給油を兼ねたトイレ休憩・・・
シルクロードを行くラクダの隊商が寄ったとしても、決して不思議ではないような道の駅でした・・・
ちなみにこちらがトイレ・・・
あえて内部の画像は載せませんが・・・
ドアどころか左右の仕切りもほんの申しわけ程度しかなく、で、便器がずらっと並んでて・・・
こちらが給油中のバス・・・
大きなオアシスやサービスエリアにはふつーのガソリンスタンドもあるのですが、どーゆーわけか、
ここ数日間、どこにもディーゼル油がないそうで、この小さなオアシスの情報を得て給油に寄った次第。
そりゃあ沙漠の真ん中でガス欠になったら、それこそ「一巻の終わり」ですからねえ・・・
さらにバスは走り続け、嘉峪関との中間あたりの大きなオアシス都市、瓜州に入りました。
街の中心に新しい水路や遊水地や緑地が作られ、豊かな水量を誇っていますが、やはりちと心配ですね。
ちなみに瓜州は言葉どおり、全国的に有名な砂地栽培の瓜や西瓜の名産地であります。
で、こちらのホテル「瓜州賓館」で・・・
夕食であります・・・
奥地に行くほど、どんどん料理が辛くなります・・・
で・・・
別の隊員が注文した、瓜州産の高級白酒(パイチュー)
アルコール度数42%、そんなに強いパイチューではなく、やはりかなりの高級品なんですね・・・
ちなみに、我々と同じ頃に敦煌を発ったと思われる欧米人の一行は、このホテルで宿泊のようでした。
そりゃあ、ふつーならそろそろホテルにチェックインする時刻なんですが、我々はさらに嘉峪関までの強行軍。
瓜州からは東へ高速道路を一直線・・・
まさに現代のシルクロードで、行き交う大型トラックが、昔のラクダの隊商とゆーところですね。
今はシルクロードとゆーより、アイアンロード、オイルロードなんでしょうが・・・
で、画像の左側、白い送電塔が続いてますが・・・
見渡す限り、風力発電の風車群だったのであります。
風車の高さは40m以上、こんな百基以上のまとまりが、次から次へと現れます。
いったい、どれだけの資本投下がなされているのでしょう・・・
敦煌からの現地添乗員さんによると、「すべてシコクのミツビシです。」とのことでしたが・・・
意味はよくわかりませんでした。
ま、化石燃料や原子力だけでなく、大規模な風力や太陽光の利用も重要で、沙漠の太陽光や風力なら、
それこそ無限のエネルギー、昔、遠山先生もそんな夢を語っておられましたが、もう現実になっているとは・・・
でも、飛砂などのメンテナンスも大変でしょうし、はるか遠くの大都市までの送電ロスも大きいでしょうし、
どれだけの費用対効果になっているのか、非常に興味のあるところでした。
ちなみに風車群の反対側は・・・
ブルンジ地形というそうで、昔の川床だったところ、こんな光景も延々と続いてました。
で、夜の9時ごろになり、ようやく陽も傾きはじめ・・・
風車群に夕日が沈み、ようやく暗くなってきました・・・
で、高速道路のサービスエリアで、最後のトイレ休憩・・・
新しくてきれいなトイレで、奇跡的に個室にドアがありましたが・・・上半分だけでした・・・
ちなみにこちらがサービスエリアの仮設売店・・・まあ季節限定なんでしょうね・・・
と、この日は早朝から兵馬俑坑へ、午後からは空路と陸路で10時間以上かけての移動・・・
嘉峪関のホテルに到着したのは、すでに日付が変わる直前で、さすがのわたくしも、
シャワーを浴びてビールを飲んだら、部屋の画像も撮らずに、ばったりと就寝してしまいました・・・
(次号に続きます。)
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この記事へのコメント
敦煌。
いいなー。
次は是非、私も連れて行ってくださいね。
まあ、そちらからなら、ハバロフスク行きか大連行きの中古車輸出貨物船にでも潜り込んでいただき、
そこからはヒッチハイクででも行ってみて下さいね!!!
いいなあ。
しかし、大変な強行軍ですね。腰痛持ちの私としては、見ているだけで、こ、腰が....
飛行機のエコノミークラスや中古バスのシートでの長時間はまだしも、だったんですが・・・
この後、敦煌近郊で体験することになった、ラクダの背に一時間、しかも砂丘のアップダウン、とゆーのはきつかったです。
わたくしも腰には一抹の不安を抱えていたのですが、やはり帰国してからやや危ない状態に・・・うぐぐぐ