2012年09月05日
2012中国・植林ツアー報告その9
ライトネタでのコーヒーブレイクを挟んで、中国・植林ツアー報告の続きであります。
ま、今回の記事でも、莫高窟でのライトネタがでてきますが・・・
早朝から、万里の長城では最西端の砦、嘉峪関を見学した御一行、さらに400km南西にある敦煌まで、
前日と同じ現代のシルクロードをバスで7時間かけて戻り、そのまま敦煌・莫高窟へ直行しました。
敦煌・莫高窟(とんこう・ばっこうくつ)・・・
敦煌市街から約25km、鳴沙山という大砂丘の東側断崖に穿たれた700以上の石窟群であります。
わたくし、2004年に蘭州近郊で植林した際に炳霊寺石窟群は訪ねたことがあるのですが、敦煌の莫高窟ははじめて。
西暦350年頃から1000年以上かけて作られた仏教遺跡で、井上靖氏の小説などで日本でもおなじみですね。

この涸れた川の左側に見えるのが鳴沙山の大砂丘、ご覧のとおり、その断崖の下部約2kmにわたって、
延々と石窟群が続いています。
こんな砂丘状態でも下の地層は固まるようで、黄土高原の横穴と同じく、比較的掘りやすいのでしょうね。

ちなみに断崖の外側に見える通路や支柱は、近年になって見学・補強用に作られたものであります。
で、いよいよ窟に入るのですが、残念ながら内部は撮影禁止、カメラはここで添乗員に預けます。
ま、せっかくなので、カメラを預ける前に記念撮影・・・

内部では、敦煌研究院所属の日本語専門のガイドさんが、全員に耳かけ式のレシーバーを配布、
流暢な日本語で二時間ほどかけて、有名な窟を案内・解説してくれたのですが、内部照明は殆どなく、
けっこう明るいフラッシュライトを照射して説明しておられました。
他の隊員たちが、壁画や仏像についてあれこれと質問する中、わたくしはそちらが気になり、
「ねえねえ、そのライトは充電式? どこの製品? ちょっと見せて下さいな・・・じゅるじゅる」
「はいはい、窟の案内が終わってからね・・・」
つーことで、
莫高窟内の画像は一切なく、いきなり外へ出てすぐの画像・・・


うーむ、敦煌研究院のオリジナルモデルだったのね・・・って、かなり使い込まれてますね。
レンズ集光式できれいなスポットになり、遠くの天井画や大きな仏像の部分説明なんかにはぴったり、
LEDは「田」の形をしたのが1個でしたから、前回記事のおまけと違い、けっこう高級品なんでしょうね・・・
まあ、白色LEDなので雰囲気はイマイチでしたが、フィラメントや蛍光灯よりは壁画への影響が少ないのかな・・・
ま、せっかくなので、持参したARC-AAA wingスペシャルと一緒に・・・
(ちなみに他のライトはすべてバスの中でした・・・この日のために持ってきたのにぃ・・・ううっ
)

わははは、しあわせなARC-AAAじゃあ!!!
ちなみにわたくしが首から下げてるのがレシーバー本体、ノイズもなく、彼女の声がよく聞き取れました。
嘉峪関や兵馬俑坑では、各グループの添乗員やガイドが拡声器で一斉に説明するので、混んでくると
大騒音になってましたが、こちらでは鍵を持った研究院のガイドなしでは窟に入れないとゆー仕組みで、
順路も全員が分散するので、狭い窟でも待ち時間がなく、チャンネルもグループ別に設定してあり、
彼女と離れていても、耳元でそっと囁かれたような感じになり、思わずどきどきしてました。
で、窟内の見学を終え、外側を歩いて戻るときの様子・・・

砂丘の断崖に何層にも窟が穿たれているのがおわかりだと思います・・・

この上部には鳴沙山の大砂丘が拡がっています・・・壁面も一部、塗装や吹きつけで補強してるようですね。

こちらは途中の出口、近年補強された外部ですが、最上部には外側の壁画も残ってますね。
で、さらにガイドさんの案内で、研究院付属の工芸美術品店へ・・・

ちなみに彼女が着ているのは敦煌研究院の制服、壁画の花文様がパターン化されてました。

ここでは入らなかった窟の壁画などの説明がありましたが、ここで最も有名な日本人は平山郁夫画伯だそうで、
彼の直弟子が模写した壁画なども展示販売しており、けっこうなお値段でした。
彼女、ここではライトを照射してませんが、ライトを説明対象に正確に向けるのは習慣になってるようですね・・・
ま、模写壁画なんぞは撮影可能でしたので、せめて一部だけでもご紹介・・・


模写のすべてには窟の番号が記されてましたが、備忘のために、わたくしが実際に見学した窟は・・・
29-17-426-427(飛天、上の模写画像)-259(敦煌のビーナス)-257-93(33mの大仏)-148(大涅槃像)
の計8窟・・・だったはず・・・
彼女によると、敦煌に数週間以上滞在して、一日数窟ずつ、じっくりと見学される方もおられるそうですが・・・
壁画や仏像なんぞにあまり興味のないわたくし・・・

早々に店を出て、外で売ってた冷たい青島ビールなんぞをじっくりと・・・でへへへ
すっかり莫高窟(と青島ビール)を楽しんだわたくし、対岸にあるバスの駐車場に向かいます。

途中にあるこちらの広大な建物、莫高窟の内部を忠実に再現した最新の博物館で、なんと入場無料・・・
だそうですが、ほとんどの人はスルーするとのこと。
そりゃあ、ここまで来たら誰でもレプリカではなく本物を見たいとゆーぐらい、設計前でもわかったはず・・・
ま、本物の見学は完全予約制ですから、通りすがりの人が・・・でも、莫高窟を通りすがる人ってどんだけ・・・
で、本物の莫高窟
を見学した御一行は、今度はその奥に拡がっている鳴沙山へ行きました。



ちょっと信じられませんが、この近くに月牙泉という泉があるとかで、こちらも敦煌の有名な観光地。

この大砂丘のいったいどこに泉が・・・みなさんレンタルのスパッツを履いて登ってますが・・・
ま、せっかくなので・・・

我々は後ろに見えるラクダに乗って月牙泉を目指します。ラクダなのでスパッツは不要と判断・・・

こちらがラクダ乗り場、いったい何頭いるのやら・・・
ラクダに乗り、はるか頂上目指して進んで行きます。標高差100m以上はあるぞ・・・ひいひい

実際に頂上から下りてくる人たちもいるし、みんなスパッツ履いてるし・・・びくびく・・・
登りはじめて20分、やっとひとつめのコル(鞍部)に着きました・・・

あの小さな小屋が泉なのかっ???・・・でも、まだまだ先までラクダの列は続いてるし・・・
ここの砂はきわめて粒子が細かく、風が吹くとバンダナでマスクしてても、生地の隙間から侵入してきます。
「カメラは必ずビニール袋に入れてバッグの中へ、たとえ風がないときでも出すのは一瞬だけにして下さい。
それでもレンズが動かなくなるトラブルが多いので、心配な人はカメラを持ち込まないように。」
と、現地添乗員さんがバスの中で、何度も注意していたのですが・・・
そう、わたくしのWG-2 GPSは12m防水、レンズ可動部も完全密閉で各操作部の防水・防塵性能も高く、
ずっと出しっぱなしでも、まったくノントラブルでした・・・あとでシャワーで洗い流せばいいし・・・むひひひ
で、せっかくなので自分の記念写真も・・・

ラクダは馬と歩き方がまったく異なり、前後だけでなく左右の揺れも加わり、長く乗ってるとけっこう疲れます。
で、ピーク付近には大きな休憩所もあったのですが、その少し手前から今度は別ルートへ下りはじめ、
登りはじめてから一時間ほどでやっと泉が見えてきました。結局、スタート地点と同高度にあったのね・・・

泉の位置を知らないわたくしが先頭で5頭ほどが繋がっており、その隊を牽いて歩いてた少年が、
分岐点で何度も止まって話しかけてくるものの、まったく意味がわからず、じつはかなり不安でした。
どうやら、10元くれたら、ここから頂上まで行くよ、とか、ここから遠回りするよ、とか言ってたようで、
いくつものコースがある中、我々の最終目的地は、あらかじめ指示されていたようでした。ほっ

ラクダさんとはここでお別れ、重い荷物でのアップダウン、お疲れさまでした。
でも、これに荷物を積んで何ヶ月も旅するシルクロードとゆーのは、かなりハードなルートだったんですね。
東西を結ぶ海上輸送ルートが確立されてから、敦煌などシルクロード沿いの貿易で栄えたオアシス都市が、
急激に衰退していった理由が実感できました。なにせ、たった一時間でお尻が・・・ううっ

二枚前の画像にある泉と、こちらの泉の間には浅瀬のような跡もあり、この三日月状の泉ももっと広かったようですが、
最近になって、水量が極端に減っているそうです。
やはり地球温暖化が関係しているのか、それとも過剰な緑化や農業開発が原因なのか・・・
我が隊の代表によると、昔ここを訪れた故遠山正瑛先生が、当時のもっと大きな湖を見て、
沙漠での農業を決意されたとのことですが、今の状況をご覧になったら、なんといわれるか・・・
ある意味、日本からの植林ボランティア隊の原点ともいえる泉でありますが、付近での緑化や農業開発のための、
過剰な地下水の汲み上げなどが水位低下の原因だとしたら、ここでの持続可能な発展は見込めないわけで、
遠山先生も、そこまでの沙漠緑化は意図していなかったはず・・・と思いたいところです。
いくら沙漠緑化といっても、現地の水環境とのバランスが大切で、その慎重な見極めが重要なんですね。
といいつつ、ま、せっかくなので・・・

ちなみに後ろに見える道路、この日はとーとつな舗装工事で車両通行止めでした。
で、ここからエントランスまではカートで戻る予定でしたが、結局、20分ほど歩くことに・・・
旅行代理店には舗装工事やカートの運休情報などはまったく入らないそうで・・・いやはや・・・
とか、ぶつぶついってると・・・
やがて・・・

古くからあって文化大革命で破壊され、また最近復元したという寺院建築・・・
(以前は三日月型の大きな湖の中心だったようで、手前の低地もその名残りでしょうか・・・)
・・・の向こうに陽が傾く頃には・・・
何とかエントランスまで帰りつきました・・・

って、わたくしの腕時計(関空で買った煙草のおまけに付いてたもの)を見ると、ちょうど8時だったんですね。
で、街あかりが灯りはじめた敦煌の街に入り・・・

ホテルのレストランで夕食であります。

まだ前菜の段階ですが・・・飲みはじめたので・・・以後の料理画像はありません・・・
ちなみに・・・

こちらの黄河ビールとゆーのは、はじめてでした・・・ええ、冷えてませんでしたが・・・
さらにちなみに・・・

この地方でははじめて、常温の紹興酒を注文してみましたが・・・ええ、イマイチでした・・・
さらに紹興酒の燗を頼んだ隊員には・・・とんでもないものがでてきて・・・
まあ、ビールを冷やしたり紹興酒を飲んだりすることが少ないのでしょう、特に紹興酒を燗するなんて・・・
とまあ・・・さすがにここまで西に来ると(なにせ国が尽きるといわれた嘉峪関より西ですから・・・)
まだまだ昔の怪しい雰囲気は残っており・・・
たとえば部屋に置いてあったブラウン管式テレビのブランドを見ると・・・

あれっ、コニカがテレビなんか出してたっけ・・・いや、よく見るとノキアのロゴか・・・
じつは・・・

コンカ・・・だったり・・・
莫高窟見学の日本人も多いのでしょう、環境配慮のプレートにも日本語表記がありましたが・・・

助詞の使い方とか、なんとなく不思議な感じでしたし・・・
まあそれでも・・・

深夜のお夜食に悩んで・・・
眠るベッドの上には・・・

有名な莫高窟の鹿物語の壁画があったのでありますね。これはきっぱりと
(次号、ツアー報告最終回に続きます。)
ま、今回の記事でも、莫高窟でのライトネタがでてきますが・・・

早朝から、万里の長城では最西端の砦、嘉峪関を見学した御一行、さらに400km南西にある敦煌まで、
前日と同じ現代のシルクロードをバスで7時間かけて戻り、そのまま敦煌・莫高窟へ直行しました。
敦煌・莫高窟(とんこう・ばっこうくつ)・・・
敦煌市街から約25km、鳴沙山という大砂丘の東側断崖に穿たれた700以上の石窟群であります。
わたくし、2004年に蘭州近郊で植林した際に炳霊寺石窟群は訪ねたことがあるのですが、敦煌の莫高窟ははじめて。
西暦350年頃から1000年以上かけて作られた仏教遺跡で、井上靖氏の小説などで日本でもおなじみですね。

この涸れた川の左側に見えるのが鳴沙山の大砂丘、ご覧のとおり、その断崖の下部約2kmにわたって、
延々と石窟群が続いています。
こんな砂丘状態でも下の地層は固まるようで、黄土高原の横穴と同じく、比較的掘りやすいのでしょうね。

ちなみに断崖の外側に見える通路や支柱は、近年になって見学・補強用に作られたものであります。
で、いよいよ窟に入るのですが、残念ながら内部は撮影禁止、カメラはここで添乗員に預けます。
ま、せっかくなので、カメラを預ける前に記念撮影・・・

内部では、敦煌研究院所属の日本語専門のガイドさんが、全員に耳かけ式のレシーバーを配布、
流暢な日本語で二時間ほどかけて、有名な窟を案内・解説してくれたのですが、内部照明は殆どなく、
けっこう明るいフラッシュライトを照射して説明しておられました。
他の隊員たちが、壁画や仏像についてあれこれと質問する中、わたくしはそちらが気になり、
「ねえねえ、そのライトは充電式? どこの製品? ちょっと見せて下さいな・・・じゅるじゅる」
「はいはい、窟の案内が終わってからね・・・」
つーことで、
莫高窟内の画像は一切なく、いきなり外へ出てすぐの画像・・・


うーむ、敦煌研究院のオリジナルモデルだったのね・・・って、かなり使い込まれてますね。
レンズ集光式できれいなスポットになり、遠くの天井画や大きな仏像の部分説明なんかにはぴったり、
LEDは「田」の形をしたのが1個でしたから、前回記事のおまけと違い、けっこう高級品なんでしょうね・・・
まあ、白色LEDなので雰囲気はイマイチでしたが、フィラメントや蛍光灯よりは壁画への影響が少ないのかな・・・
ま、せっかくなので、持参したARC-AAA wingスペシャルと一緒に・・・
(ちなみに他のライトはすべてバスの中でした・・・この日のために持ってきたのにぃ・・・ううっ


わははは、しあわせなARC-AAAじゃあ!!!
ちなみにわたくしが首から下げてるのがレシーバー本体、ノイズもなく、彼女の声がよく聞き取れました。
嘉峪関や兵馬俑坑では、各グループの添乗員やガイドが拡声器で一斉に説明するので、混んでくると
大騒音になってましたが、こちらでは鍵を持った研究院のガイドなしでは窟に入れないとゆー仕組みで、
順路も全員が分散するので、狭い窟でも待ち時間がなく、チャンネルもグループ別に設定してあり、
彼女と離れていても、耳元でそっと囁かれたような感じになり、思わずどきどきしてました。

で、窟内の見学を終え、外側を歩いて戻るときの様子・・・

砂丘の断崖に何層にも窟が穿たれているのがおわかりだと思います・・・

この上部には鳴沙山の大砂丘が拡がっています・・・壁面も一部、塗装や吹きつけで補強してるようですね。

こちらは途中の出口、近年補強された外部ですが、最上部には外側の壁画も残ってますね。
で、さらにガイドさんの案内で、研究院付属の工芸美術品店へ・・・

ちなみに彼女が着ているのは敦煌研究院の制服、壁画の花文様がパターン化されてました。

ここでは入らなかった窟の壁画などの説明がありましたが、ここで最も有名な日本人は平山郁夫画伯だそうで、
彼の直弟子が模写した壁画なども展示販売しており、けっこうなお値段でした。
彼女、ここではライトを照射してませんが、ライトを説明対象に正確に向けるのは習慣になってるようですね・・・

ま、模写壁画なんぞは撮影可能でしたので、せめて一部だけでもご紹介・・・


模写のすべてには窟の番号が記されてましたが、備忘のために、わたくしが実際に見学した窟は・・・
29-17-426-427(飛天、上の模写画像)-259(敦煌のビーナス)-257-93(33mの大仏)-148(大涅槃像)
の計8窟・・・だったはず・・・
彼女によると、敦煌に数週間以上滞在して、一日数窟ずつ、じっくりと見学される方もおられるそうですが・・・
壁画や仏像なんぞにあまり興味のないわたくし・・・

早々に店を出て、外で売ってた冷たい青島ビールなんぞをじっくりと・・・でへへへ
すっかり莫高窟(と青島ビール)を楽しんだわたくし、対岸にあるバスの駐車場に向かいます。

途中にあるこちらの広大な建物、莫高窟の内部を忠実に再現した最新の博物館で、なんと入場無料・・・
だそうですが、ほとんどの人はスルーするとのこと。
そりゃあ、ここまで来たら誰でもレプリカではなく本物を見たいとゆーぐらい、設計前でもわかったはず・・・

ま、本物の見学は完全予約制ですから、通りすがりの人が・・・でも、莫高窟を通りすがる人ってどんだけ・・・

で、本物の莫高窟




ちょっと信じられませんが、この近くに月牙泉という泉があるとかで、こちらも敦煌の有名な観光地。

この大砂丘のいったいどこに泉が・・・みなさんレンタルのスパッツを履いて登ってますが・・・
ま、せっかくなので・・・

我々は後ろに見えるラクダに乗って月牙泉を目指します。ラクダなのでスパッツは不要と判断・・・

こちらがラクダ乗り場、いったい何頭いるのやら・・・
ラクダに乗り、はるか頂上目指して進んで行きます。標高差100m以上はあるぞ・・・ひいひい

実際に頂上から下りてくる人たちもいるし、みんなスパッツ履いてるし・・・びくびく・・・
登りはじめて20分、やっとひとつめのコル(鞍部)に着きました・・・

あの小さな小屋が泉なのかっ???・・・でも、まだまだ先までラクダの列は続いてるし・・・
ここの砂はきわめて粒子が細かく、風が吹くとバンダナでマスクしてても、生地の隙間から侵入してきます。
「カメラは必ずビニール袋に入れてバッグの中へ、たとえ風がないときでも出すのは一瞬だけにして下さい。
それでもレンズが動かなくなるトラブルが多いので、心配な人はカメラを持ち込まないように。」
と、現地添乗員さんがバスの中で、何度も注意していたのですが・・・
そう、わたくしのWG-2 GPSは12m防水、レンズ可動部も完全密閉で各操作部の防水・防塵性能も高く、
ずっと出しっぱなしでも、まったくノントラブルでした・・・あとでシャワーで洗い流せばいいし・・・むひひひ
で、せっかくなので自分の記念写真も・・・

ラクダは馬と歩き方がまったく異なり、前後だけでなく左右の揺れも加わり、長く乗ってるとけっこう疲れます。
で、ピーク付近には大きな休憩所もあったのですが、その少し手前から今度は別ルートへ下りはじめ、
登りはじめてから一時間ほどでやっと泉が見えてきました。結局、スタート地点と同高度にあったのね・・・

泉の位置を知らないわたくしが先頭で5頭ほどが繋がっており、その隊を牽いて歩いてた少年が、
分岐点で何度も止まって話しかけてくるものの、まったく意味がわからず、じつはかなり不安でした。
どうやら、10元くれたら、ここから頂上まで行くよ、とか、ここから遠回りするよ、とか言ってたようで、
いくつものコースがある中、我々の最終目的地は、あらかじめ指示されていたようでした。ほっ

ラクダさんとはここでお別れ、重い荷物でのアップダウン、お疲れさまでした。
でも、これに荷物を積んで何ヶ月も旅するシルクロードとゆーのは、かなりハードなルートだったんですね。
東西を結ぶ海上輸送ルートが確立されてから、敦煌などシルクロード沿いの貿易で栄えたオアシス都市が、
急激に衰退していった理由が実感できました。なにせ、たった一時間でお尻が・・・ううっ

二枚前の画像にある泉と、こちらの泉の間には浅瀬のような跡もあり、この三日月状の泉ももっと広かったようですが、
最近になって、水量が極端に減っているそうです。
やはり地球温暖化が関係しているのか、それとも過剰な緑化や農業開発が原因なのか・・・
我が隊の代表によると、昔ここを訪れた故遠山正瑛先生が、当時のもっと大きな湖を見て、
沙漠での農業を決意されたとのことですが、今の状況をご覧になったら、なんといわれるか・・・
ある意味、日本からの植林ボランティア隊の原点ともいえる泉でありますが、付近での緑化や農業開発のための、
過剰な地下水の汲み上げなどが水位低下の原因だとしたら、ここでの持続可能な発展は見込めないわけで、
遠山先生も、そこまでの沙漠緑化は意図していなかったはず・・・と思いたいところです。
いくら沙漠緑化といっても、現地の水環境とのバランスが大切で、その慎重な見極めが重要なんですね。
といいつつ、ま、せっかくなので・・・

ちなみに後ろに見える道路、この日はとーとつな舗装工事で車両通行止めでした。
で、ここからエントランスまではカートで戻る予定でしたが、結局、20分ほど歩くことに・・・
旅行代理店には舗装工事やカートの運休情報などはまったく入らないそうで・・・いやはや・・・
とか、ぶつぶついってると・・・
やがて・・・

古くからあって文化大革命で破壊され、また最近復元したという寺院建築・・・
(以前は三日月型の大きな湖の中心だったようで、手前の低地もその名残りでしょうか・・・)
・・・の向こうに陽が傾く頃には・・・
何とかエントランスまで帰りつきました・・・

って、わたくしの腕時計(関空で買った煙草のおまけに付いてたもの)を見ると、ちょうど8時だったんですね。
で、街あかりが灯りはじめた敦煌の街に入り・・・

ホテルのレストランで夕食であります。

まだ前菜の段階ですが・・・飲みはじめたので・・・以後の料理画像はありません・・・
ちなみに・・・

こちらの黄河ビールとゆーのは、はじめてでした・・・ええ、冷えてませんでしたが・・・
さらにちなみに・・・

この地方でははじめて、常温の紹興酒を注文してみましたが・・・ええ、イマイチでした・・・
さらに紹興酒の燗を頼んだ隊員には・・・とんでもないものがでてきて・・・
まあ、ビールを冷やしたり紹興酒を飲んだりすることが少ないのでしょう、特に紹興酒を燗するなんて・・・
とまあ・・・さすがにここまで西に来ると(なにせ国が尽きるといわれた嘉峪関より西ですから・・・)
まだまだ昔の怪しい雰囲気は残っており・・・
たとえば部屋に置いてあったブラウン管式テレビのブランドを見ると・・・

あれっ、コニカがテレビなんか出してたっけ・・・いや、よく見るとノキアのロゴか・・・
じつは・・・

コンカ・・・だったり・・・
莫高窟見学の日本人も多いのでしょう、環境配慮のプレートにも日本語表記がありましたが・・・

助詞の使い方とか、なんとなく不思議な感じでしたし・・・
まあそれでも・・・

深夜のお夜食に悩んで・・・
眠るベッドの上には・・・

有名な莫高窟の鹿物語の壁画があったのでありますね。これはきっぱりと
(次号、ツアー報告最終回に続きます。)
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この記事へのコメント
1. Posted by TOMO 2012年09月05日 22:55
うおお、敦厚だ、莫高窟だ。と思ったら縛高窟の写真がない!
え~っ、撮影禁止、そんなあ。
でも、雰囲気は充分うかがえました。ありがとうございます。
でも、ガイドさんもライトに興味を持つ人がいるとは思わなかったでしょうね
え~っ、撮影禁止、そんなあ。
でも、雰囲気は充分うかがえました。ありがとうございます。
でも、ガイドさんもライトに興味を持つ人がいるとは思わなかったでしょうね
2. Posted by 98k 2012年09月05日 23:18
>TOMOさん
わははは、そうでしょうね、なにせ窟の中でもガイドさんの手元ばっかり見てましたからね。
ま、縛高窟、もとい、莫高窟自体は、やはり光に弱い壁画がメインですから、撮影禁止になってるんでしょうね。
ちなみに兵馬俑坑は昔は撮影禁止でしたが、今はフラッシュと三脚の使用以外はOKになってました。
すでに退色してしまったやつと、一応コーティングされたやつばかりなので撮影可能にしたのかも・・・
それにしても・・・
他のライトをバスの荷物室に置いたバッグに入れたままだったのは、返す返すも残念でした。ううっ
わははは、そうでしょうね、なにせ窟の中でもガイドさんの手元ばっかり見てましたからね。

ま、縛高窟、もとい、莫高窟自体は、やはり光に弱い壁画がメインですから、撮影禁止になってるんでしょうね。
ちなみに兵馬俑坑は昔は撮影禁止でしたが、今はフラッシュと三脚の使用以外はOKになってました。
すでに退色してしまったやつと、一応コーティングされたやつばかりなので撮影可能にしたのかも・・・
それにしても・・・
他のライトをバスの荷物室に置いたバッグに入れたままだったのは、返す返すも残念でした。ううっ

3. Posted by combatfox 2012年09月06日 19:24
心なしか、お酒画像が少ない気が( ̄∇ ̄;)(笑 それにしても素敵な風景ですね~なんて、砂漠を見て不謹慎でしょうか?人間が犯してしまった自然は痛々しいですが、大地の営みでできたものは神秘的だと思います。絵画も非常に優雅でいいですね~あぁ~私も神秘的なところ行きたいな~、ところでラクダさんって大きかったですか~私は見たこと無いのですが、砂漠を闊歩するラクダってかっこいいと思います。
4. Posted by 98k 2012年09月06日 22:00
>combatfoxさん
さすがにこの日は、莫高窟見学後の青島ビール以外は、夕食までアルコール類は飲みませんでしたね。
年間降雨量が、植物から蒸散する水分と水面などから蒸発する水分の総合計の60%以下の地域が乾燥地とされており、
地球上の陸地の約4割(日本にはありませんが・・・)を占めるそうです。
うち約3割は、その地にあった植物なら生育が可能な地域で、僅かながらも農業や牧畜もできる地域ですが、
そのバランスが崩れると沙漠化してしまうところです。
わたくしたちが植林している黄土高原の沙漠はこれですが、タクラマカンやゴビは年間降雨量が蒸散蒸発量の5%以下の地域、
これが昔からあった本当の沙漠で、残りの約1割にあたるわけです。
まあ、ここさえも緑化しようという動きがあるわけですが、もともと植物が育たないところでやろうとすると、
地下水の過剰な汲み上げなどでバランスが崩れると心配しているのですが・・・
ちなみにラクダに乗ってターバン巻いて沙漠を疾走する場合、やはりエンフィールド銃で英軍装備になりますね・・・
次回はコスチュームを揃えてご一緒しましょう、ロレンス中尉!!!
さすがにこの日は、莫高窟見学後の青島ビール以外は、夕食までアルコール類は飲みませんでしたね。
年間降雨量が、植物から蒸散する水分と水面などから蒸発する水分の総合計の60%以下の地域が乾燥地とされており、
地球上の陸地の約4割(日本にはありませんが・・・)を占めるそうです。
うち約3割は、その地にあった植物なら生育が可能な地域で、僅かながらも農業や牧畜もできる地域ですが、
そのバランスが崩れると沙漠化してしまうところです。
わたくしたちが植林している黄土高原の沙漠はこれですが、タクラマカンやゴビは年間降雨量が蒸散蒸発量の5%以下の地域、
これが昔からあった本当の沙漠で、残りの約1割にあたるわけです。
まあ、ここさえも緑化しようという動きがあるわけですが、もともと植物が育たないところでやろうとすると、
地下水の過剰な汲み上げなどでバランスが崩れると心配しているのですが・・・
ちなみにラクダに乗ってターバン巻いて沙漠を疾走する場合、やはりエンフィールド銃で英軍装備になりますね・・・
次回はコスチュームを揃えてご一緒しましょう、ロレンス中尉!!!
