2013年11月25日
2013秋・八重の紅葉?前篇
当サイトの過去記事を画像付きで一覧できる「HISTORY VIEW」はこちらです。
今回はとーとつに「八重の紅葉」であります。
???
じつは毎年秋の恒例となった、学生時代のサークルの同窓会で行く京都の散策記事なんですが・・・
今年はNHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映中ですので、記事タイトルも「八重の紅葉」にした次第・・・
って、そんな紅葉あるのかっ???
ま、あちこちのサイトでも紅葉記事がアップされてますが、こちらでもさくさくっと紹介していきましょう。
23日のお昼過ぎ、京阪電車の三条で下車、川端通りを北へ上がって西へ、鴨川を御池通りへと渡ります。
橋から見た、下流側の様子・・・正面が三条大橋であります。
八重さんが上京して(東京ではなく京都です)、新島襄と再婚するまで家族で暮らしていたのが、
「京都ホテルの西南向かひ」にあったという、兄・山本覚馬が新門辰五郎から買った家なのですが、
京都ホテルオークラの西南というと、拡幅された河原町御池の交差点あたり、画像右側(西側)奥になります。
で、河原町通りまでは行かずに、木屋町通りを高瀬川沿いに北へ、もと角倉了以の別邸で、
明治になって山縣有朋の別邸「第二無鄰菴」となった、いつものがんこ二条苑へ・・・
鴨川から角倉了以の開削した高瀬川へ分流する源流に位置し、豪邸と名庭園が有名であります。
後に内閣総理大臣となる長州の山縣有朋ですが、戊辰戦争の際は会津征討総督の参謀ですから、
会津城に籠城してスペンサーライフル(カービンモデル)で戦っていた八重さんの、まさに重要ターゲットの一人、
その宿敵の別邸での宴会なのでありますね。
ま、こちらも毎年恒例なんですが・・・
昼宴会は、お安い会席コースと飲み放題のパックなのであります・・・
いやあ、がんこも、もう50周年なんですね・・・
鍋の中身が、できたての湯葉と豆腐だけ、とゆーのは、ちとさみしかったですが・・・
コーヒーとデザートが出て・・・
完食であります・・・って、まだ刺身醤油でビール飲んでたりして・・・げふっ
今年は大庭園に面した座敷ではなく・・・
中庭に面した座敷でしたが、やはり風情がありますねえ・・・
宴会後は、これも恒例となった泥酔状態での名園散策・・・
お天気はまあまあよかったのですが、紅葉まっ盛りにはまだ少し早い、とゆー感じでした。
右手奥が鴨川から水を取り入れている高瀬川の源流になります。
それにしても・・・
オートモードだと、ひどく眠い画像になりますね、ニコンP330・・・
で、ようやくお店を出たら、すぐ近くのお寺に紅葉が見えたので寄ってみました。
やはり紅葉を見た目どおりに撮るのは難しいですね・・・
(11/27追加です。上の画像、はじめてニコンのおまけソフトでレタッチしてみました。)
(カラーブーストとコントラストの調整だけですが、見た目はこんな感じの、見事な紅葉でした。)
ふらふらと散策してると、こんな看板も・・・
大般若経の版元なんてあるんですねえ・・・
けっこう有名なお茶屋さんです・・・
京都など古い町並みには、行き止まりの路地が多いですね。
行願寺を過ぎ・・・
下御霊神社を過ぎると・・・
京都御苑が見えてきました。
いつもはふらふらと御苑に入るのですが、なにせ今年は「八重の桜」ツアー、さらに寺町通りを北へふらふら・・・
同志社校友会の建物の北側にある・・・
新島襄旧邸であります。
昼宴会が長引いて、内部見学の受付はすでに終了してましたが・・・
ま、外観だけでも・・・
ここで、京都初の洋式キッチンやダイニング、ベッドなどを備えた新婚生活をはじめられたとか・・・
大河ドラマにちなんで、桜の苗木なんぞも植えられてました。
じつは、ここが新島襄が最初に開校した同志社英学校の跡地なのであります。
で、この北側には、わたくし憧れの「禁断の花園」だった、同志社大学の女子寮「松陰寮」があり、
さらにその北側にあるのが京都府立・鴨沂(おうき)高等学校で、その前身は日本最古の旧制高等女学校、
さらにその前身が八重さんが教えていた、これまた日本で最初の女学校、「女紅場」なのでありますね。
ま、せっかくなので・・・
女紅場で八重さんから教えを受けていたといわれる三人娘・・・わっ、ぼかっべきっぐしゃっ
も、もとい、
もう少しだけ、時代が下ってから・・・わっ、ぼかっべきっぐしゃっ
つ、つい最近まで、「禁断の花園」に咲き誇っていた、わたくしの同級生たちであります。
その後、御一行は鴨沂高校の手前で西へ、寺町御門から京都御苑に入り御所を目指します。
ええ、禁断の花園たちに、ぼこぼこにされながら・・・
(後篇に続きます。)
今回はとーとつに「八重の紅葉」であります。
???
じつは毎年秋の恒例となった、学生時代のサークルの同窓会で行く京都の散策記事なんですが・・・
今年はNHKの大河ドラマ「八重の桜」が放映中ですので、記事タイトルも「八重の紅葉」にした次第・・・
って、そんな紅葉あるのかっ???
ま、あちこちのサイトでも紅葉記事がアップされてますが、こちらでもさくさくっと紹介していきましょう。
23日のお昼過ぎ、京阪電車の三条で下車、川端通りを北へ上がって西へ、鴨川を御池通りへと渡ります。
橋から見た、下流側の様子・・・正面が三条大橋であります。
八重さんが上京して(東京ではなく京都です)、新島襄と再婚するまで家族で暮らしていたのが、
「京都ホテルの西南向かひ」にあったという、兄・山本覚馬が新門辰五郎から買った家なのですが、
京都ホテルオークラの西南というと、拡幅された河原町御池の交差点あたり、画像右側(西側)奥になります。
で、河原町通りまでは行かずに、木屋町通りを高瀬川沿いに北へ、もと角倉了以の別邸で、
明治になって山縣有朋の別邸「第二無鄰菴」となった、いつものがんこ二条苑へ・・・
鴨川から角倉了以の開削した高瀬川へ分流する源流に位置し、豪邸と名庭園が有名であります。
後に内閣総理大臣となる長州の山縣有朋ですが、戊辰戦争の際は会津征討総督の参謀ですから、
会津城に籠城してスペンサーライフル(カービンモデル)で戦っていた八重さんの、まさに重要ターゲットの一人、
その宿敵の別邸での宴会なのでありますね。
ま、こちらも毎年恒例なんですが・・・
昼宴会は、お安い会席コースと飲み放題のパックなのであります・・・
いやあ、がんこも、もう50周年なんですね・・・
鍋の中身が、できたての湯葉と豆腐だけ、とゆーのは、ちとさみしかったですが・・・
コーヒーとデザートが出て・・・
完食であります・・・って、まだ刺身醤油でビール飲んでたりして・・・げふっ
今年は大庭園に面した座敷ではなく・・・
中庭に面した座敷でしたが、やはり風情がありますねえ・・・
宴会後は、これも恒例となった泥酔状態での名園散策・・・
お天気はまあまあよかったのですが、紅葉まっ盛りにはまだ少し早い、とゆー感じでした。
右手奥が鴨川から水を取り入れている高瀬川の源流になります。
それにしても・・・
オートモードだと、ひどく眠い画像になりますね、ニコンP330・・・
で、ようやくお店を出たら、すぐ近くのお寺に紅葉が見えたので寄ってみました。
やはり紅葉を見た目どおりに撮るのは難しいですね・・・
(11/27追加です。上の画像、はじめてニコンのおまけソフトでレタッチしてみました。)
(カラーブーストとコントラストの調整だけですが、見た目はこんな感じの、見事な紅葉でした。)
ふらふらと散策してると、こんな看板も・・・
大般若経の版元なんてあるんですねえ・・・
けっこう有名なお茶屋さんです・・・
京都など古い町並みには、行き止まりの路地が多いですね。
行願寺を過ぎ・・・
下御霊神社を過ぎると・・・
京都御苑が見えてきました。
いつもはふらふらと御苑に入るのですが、なにせ今年は「八重の桜」ツアー、さらに寺町通りを北へふらふら・・・
同志社校友会の建物の北側にある・・・
新島襄旧邸であります。
昼宴会が長引いて、内部見学の受付はすでに終了してましたが・・・
ま、外観だけでも・・・
ここで、京都初の洋式キッチンやダイニング、ベッドなどを備えた新婚生活をはじめられたとか・・・
大河ドラマにちなんで、桜の苗木なんぞも植えられてました。
じつは、ここが新島襄が最初に開校した同志社英学校の跡地なのであります。
で、この北側には、わたくし憧れの「禁断の花園」だった、同志社大学の女子寮「松陰寮」があり、
さらにその北側にあるのが京都府立・鴨沂(おうき)高等学校で、その前身は日本最古の旧制高等女学校、
さらにその前身が八重さんが教えていた、これまた日本で最初の女学校、「女紅場」なのでありますね。
ま、せっかくなので・・・
女紅場で八重さんから教えを受けていたといわれる三人娘・・・わっ、ぼかっべきっぐしゃっ
も、もとい、
もう少しだけ、時代が下ってから・・・わっ、ぼかっべきっぐしゃっ
つ、つい最近まで、「禁断の花園」に咲き誇っていた、わたくしの同級生たちであります。
その後、御一行は鴨沂高校の手前で西へ、寺町御門から京都御苑に入り御所を目指します。
ええ、禁断の花園たちに、ぼこぼこにされながら・・・
(後篇に続きます。)