2016年09月12日
西高野街道リベンジと大ヶ塚と猫目
(期間限定のお知らせ)
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代寄付についてのご案内はこちらです。
近所の友人と西高野街道に再挑戦、あわせて大ヶ塚集落を巡ってきました。
前回の挑戦では旧街道を忠実にトレースできず、しかも河内長野駅の手前で挫折してしまったので、
今回は事前にてきとー綿密な調査をして、へらへらと満を持して臨みました。

集合はいつもの住吉大社の太鼓橋前・・・

紀州街道を南下して日本最古の国道「竹ノ内街道」西側の起点、堺の大小路を目指します。
ちなみにこの街道を一緒に走ってきた阪堺電車はここで左にカーブして、再び専用軌道に入ります。
ダベりながらへらへら走ってると、さっそく・・・

大小路を通り過ぎてしまい、いったん宿院から堺東まで戻り・・・

南海高野線の踏切を渡って・・・

竹ノ内街道をしばらく走ると・・・
西高野街道との分岐点に到着・・・

我々のために大きな矢印を・・・って、ちょうど工事中だったのね・・・

西高野街道の説明石柱・・・ぴかぴかで怪しい自転車2台が映ってますね・・・

仁徳天皇陵はすでに何度か紹介してるので、沿線のC11なんぞを・・・
さすが自転車の街・・・

一部ですが車道に専用レーンがあります。クルマの駐停がなければ、これが一番走りやすいですね。
各町では・・・


ふとん太鼓など「祭りの準備」で大わらわでした。
右は大阪府立大学のキャンパス・・・このあたりは現310号線と旧道が重なってますが・・・

中百舌鳥駅前から府大までの旧道は、おそらく2講時目に急ぐ学生たちでいっぱいでした。
府大を過ぎると旧道はまた現310号線を離れ・・・

白鷺公園の西側を通過・・・するのですが・・・


我々は通過せずにまったりと休憩・・・
重い腰を上げ、さらに進んでいくと「右かうや左たきたに」とあったので・・・

ここは今回も迷わず右の道へ・・・
ずっと緩やかな上りが続きます。

前回は画像を撮る余裕もなかったのですが・・・

緩やかな上り具合と、旧街道らしいびみょーな曲がり具合がおわかりでしょうか・・・

わははは、かなり離してやったぞ・・・ひいひい
前回は「右あまの山・左かうや山」とあるのに、いかにもそれらしい右の道を選択し・・・

急坂をひいひい上ってから引き返したのですが、今回は賢明にも左の道を選択しました。
ええ、これが動物の学習能力とゆーものでありますね。わははは
さらに分岐があったのですが・・・

ここには石標もなく、地図と現地を何度も確認したりしてたのですが・・・

あまりウロウロして不審者と思われてもマズいので、とりあえずラクそうな左の道を選択・・・
ま、結果的には左の道もやがて上り坂となり・・・

このお寺の前で合流してました。
この辺りはなだらかな丘陵の中腹で、昔から分岐やアップダウンも多かったんでしょうね。

目印にしていた小学校・・・この手前あたりで中高野街道と合流しています。

このあたりで東高野街道とも合流して一本になり、つきあたりが河内長野駅前であります。
ここまでの距離は約25km・・・

走りながら撮ってますが時速は9.8km/hになってますね・・・
人通りのある市街地では、せいぜいこんなもんですね・・・
で、高野街道はとーぜん河内長野駅前を経て高野山に至るのですが、とーぜん上りもきつくなるので、
我々には駅前がゴール、ま、とりあえずは・・・
じゃーん


わたくしはタンパク質と糖質たっぷりの昼食であります。
運動後30分以内にタンパク質とあわせて糖質も摂るとインスリンが分泌され、糖質と一緒にタンパク質も
筋肉にどんどん供給されるので、筋力アップにはこれが一番・・・なんだそうですが・・・
わたくしのように有酸素運動ばっかりの後でも効果があるのか、はたまた体内脂肪はどうなるのか、
そのあたりはどなたか教えていただきたいのですが、いずれにしても食べ過ぎはいけませんね・・・
と、完食直後はお腹が苦しくて動けなくなり、輪行準備もなかったのでwingさんに救援要請したところ、
「明日なら救援に行けます、それまでずっと食べ続けて下さい。げひげひ」との回答が・・・うぐぐぐ
仕方なく、しばらく自転車を押して駅裏の上り道をふらふらと・・・

駅前には商業ビルやマンションが林立しているのですが、駅裏の橋を渡ると・・・

石川も深い渓谷となっており・・・
川沿いに味わいのある旧道が続いています。

この道をしばらく下流に向かってると・・・

まだお腹が苦しくて表情が険しいですが・・・何とか金刀比羅神社に到着・・・
そう、以前、青チャリさんと道を間違えて来てしまった神社であります。
ここから富田林まではずっと緩やかな下りが続き、食べ過ぎには有難かったですねえ・・・
で、すっかり河川敷が広くなり、PLタワーの見える左岸が富田林の市街地・・・

この後、石川サイクル橋まで帰ったのですが、今回は橋を渡らずに、いったん手前を右折・・・


道路のつきあたり、高台の上にある集落「大ヶ塚」に入ります。

集落へはすべて上り坂となっており、高台の上に400戸ほどの街並みがあるそうです。

高台上は碁盤目状に区切られた街区になってますが、交差点はびみょーにズレてますね・・・
集落の中心には・・・


ひときわ大きなお寺「顕證寺」があります。
で、このお寺の山門を内側から見ると・・・

「真田丸」や「もののけ姫」や黒澤明氏の作品に出てくる「砦の櫓」そのもの・・・
そう、ここは中世から続く環濠集落の中でも、周囲の川を天然の堀として計画的に高台に作られた、
このお寺を中心とする守りの堅固な「砦」集落だったようです・・・
整然とした街区の交差点がびみょーにズレてるのも、矢を防ぐなど防御の工夫かも知れませんね。
高台の周囲を巡る道路と接する交差点も・・・



基本的にすべて行き止まりのT字路で、昔の集落に入る道は北口と南口の二ヶ所のみだったようです。
さらに高台上には・・・

古い神社をはじめ・・・


400戸ほどの集落にしては、けっこう多くの寺院が残ってました。
こちらも「真田丸」なんぞと同じ発想で、戦時には防御拠点として使われたんでしょうか・・・
さらに高台を下りた「二の丸」とも「総構」ともゆーべきあたりには・・・
な、なんと、



こんな工場まで・・・
やはり戦国時代から夜討ちに備えるための「猫目」なんぞを製造してたのか・・・「高性能たいまつ」とか・・・
と、「猫目」ライトのルーツまで垣間見た二人は
、石川サイクル橋まで戻って・・・


石川左岸から大和川右岸に続く「南河内サイクリングロード」をひた走り・・・
ようやく自転車を押して帰れる、いつもの近所の公園までたどりついて・・・


この日は淡麗グリーンラベル・糖質70%オフとコンビニだし巻きでふらふらになりました。
ちなみに総走行距離は65kmで走行時間は4時間ほど、9時出発の5時帰宅でしたから、
休憩や食事や野外宴会に同じ4時間を費やしてたことになりますね。あははは
歴史好きのためのP.S
今回、大ヶ塚にも寄ろうと言ったのは同行した近所の友人でした。
司馬遼太郎氏の「街道を行く」シリーズ「河内みち」編に「自衛の村」と紹介されてたのに興味を持ち、
以前に行ったことがあるけど駆け足だったので、もう一度訪ねてみたいとのことでした。
この作品が書かれた40年以上前には、まだ僅かに古い街並みや雰囲気も残ってたようですが、
さすがに今回行ってみると、街並みはすっかり新しくなってて、古い寺社仏閣や街路の一部などに、
その名残が見られる程度でしたが、確かに「自衛の村」だったんでしようね。
堺をはじめ富田林の寺内町や奈良の今井町、平野の旧村など畿内の大規模な環濠集落はいくつか、
廻ったことがありますが、保存されたり公開されたりしていない集落は今回がはじめてでした。
大和川・石川流域は古代から人が住んでいた豊かな地で舟運などの交通の要衝でもあったので、
住民たちが自衛のために砦化したのも当然でしょうが、高台に作られた大規模集落は知りませんでした。
氏の記述によると、大坂夏の陣で炎上する大坂城もこの高台から見てたようで、その後も各勢力から
何度か襲撃を受けて撃退した記録も残っているそうです。
わたくしは特に近代以降の軍事遺構に興味があるのですが、中世から近世まで続いてた遺構を巡るのも、
その時代時代の防備の変遷高性能たいまつからLEDへとか
を垣間見ることができて興味深いですね。
2017年3月ボルネオ植林ツアーへの参加・苗木代寄付についてのご案内はこちらです。
近所の友人と西高野街道に再挑戦、あわせて大ヶ塚集落を巡ってきました。
前回の挑戦では旧街道を忠実にトレースできず、しかも河内長野駅の手前で挫折してしまったので、
今回は事前に


集合はいつもの住吉大社の太鼓橋前・・・

紀州街道を南下して日本最古の国道「竹ノ内街道」西側の起点、堺の大小路を目指します。
ちなみにこの街道を一緒に走ってきた阪堺電車はここで左にカーブして、再び専用軌道に入ります。
ダベりながらへらへら走ってると、さっそく・・・

大小路を通り過ぎてしまい、いったん宿院から堺東まで戻り・・・

南海高野線の踏切を渡って・・・

竹ノ内街道をしばらく走ると・・・
西高野街道との分岐点に到着・・・

我々のために大きな矢印を・・・って、ちょうど工事中だったのね・・・

西高野街道の説明石柱・・・ぴかぴかで怪しい自転車2台が映ってますね・・・

仁徳天皇陵はすでに何度か紹介してるので、沿線のC11なんぞを・・・
さすが自転車の街・・・

一部ですが車道に専用レーンがあります。クルマの駐停がなければ、これが一番走りやすいですね。
各町では・・・


ふとん太鼓など「祭りの準備」で大わらわでした。
右は大阪府立大学のキャンパス・・・このあたりは現310号線と旧道が重なってますが・・・

中百舌鳥駅前から府大までの旧道は、おそらく2講時目に急ぐ学生たちでいっぱいでした。
府大を過ぎると旧道はまた現310号線を離れ・・・

白鷺公園の西側を通過・・・するのですが・・・


我々は通過せずにまったりと休憩・・・

重い腰を上げ、さらに進んでいくと「右かうや左たきたに」とあったので・・・

ここは今回も迷わず右の道へ・・・
ずっと緩やかな上りが続きます。

前回は画像を撮る余裕もなかったのですが・・・

緩やかな上り具合と、旧街道らしいびみょーな曲がり具合がおわかりでしょうか・・・

わははは、かなり離してやったぞ・・・ひいひい
前回は「右あまの山・左かうや山」とあるのに、いかにもそれらしい右の道を選択し・・・

急坂をひいひい上ってから引き返したのですが、今回は賢明にも左の道を選択しました。
ええ、これが動物の学習能力とゆーものでありますね。わははは

さらに分岐があったのですが・・・

ここには石標もなく、地図と現地を何度も確認したりしてたのですが・・・

あまりウロウロして不審者と思われてもマズいので、とりあえずラクそうな左の道を選択・・・
ま、結果的には左の道もやがて上り坂となり・・・

このお寺の前で合流してました。
この辺りはなだらかな丘陵の中腹で、昔から分岐やアップダウンも多かったんでしょうね。

目印にしていた小学校・・・この手前あたりで中高野街道と合流しています。

このあたりで東高野街道とも合流して一本になり、つきあたりが河内長野駅前であります。
ここまでの距離は約25km・・・

走りながら撮ってますが時速は9.8km/hになってますね・・・
人通りのある市街地では、せいぜいこんなもんですね・・・
で、高野街道はとーぜん河内長野駅前を経て高野山に至るのですが、とーぜん上りもきつくなるので、
我々には駅前がゴール、ま、とりあえずは・・・
じゃーん


わたくしはタンパク質と糖質たっぷりの昼食であります。
運動後30分以内にタンパク質とあわせて糖質も摂るとインスリンが分泌され、糖質と一緒にタンパク質も
筋肉にどんどん供給されるので、筋力アップにはこれが一番・・・なんだそうですが・・・
わたくしのように有酸素運動ばっかりの後でも効果があるのか、はたまた体内脂肪はどうなるのか、
そのあたりはどなたか教えていただきたいのですが、いずれにしても食べ過ぎはいけませんね・・・
と、完食直後はお腹が苦しくて動けなくなり、輪行準備もなかったのでwingさんに救援要請したところ、
「明日なら救援に行けます、それまでずっと食べ続けて下さい。げひげひ」との回答が・・・うぐぐぐ

仕方なく、しばらく自転車を押して駅裏の上り道をふらふらと・・・

駅前には商業ビルやマンションが林立しているのですが、駅裏の橋を渡ると・・・

石川も深い渓谷となっており・・・
川沿いに味わいのある旧道が続いています。

この道をしばらく下流に向かってると・・・

まだお腹が苦しくて表情が険しいですが・・・何とか金刀比羅神社に到着・・・
そう、以前、青チャリさんと道を間違えて来てしまった神社であります。
ここから富田林まではずっと緩やかな下りが続き、食べ過ぎには有難かったですねえ・・・

で、すっかり河川敷が広くなり、PLタワーの見える左岸が富田林の市街地・・・

この後、石川サイクル橋まで帰ったのですが、今回は橋を渡らずに、いったん手前を右折・・・


道路のつきあたり、高台の上にある集落「大ヶ塚」に入ります。

集落へはすべて上り坂となっており、高台の上に400戸ほどの街並みがあるそうです。

高台上は碁盤目状に区切られた街区になってますが、交差点はびみょーにズレてますね・・・
集落の中心には・・・


ひときわ大きなお寺「顕證寺」があります。
で、このお寺の山門を内側から見ると・・・

「真田丸」や「もののけ姫」や黒澤明氏の作品に出てくる「砦の櫓」そのもの・・・
そう、ここは中世から続く環濠集落の中でも、周囲の川を天然の堀として計画的に高台に作られた、
このお寺を中心とする守りの堅固な「砦」集落だったようです・・・
整然とした街区の交差点がびみょーにズレてるのも、矢を防ぐなど防御の工夫かも知れませんね。
高台の周囲を巡る道路と接する交差点も・・・



基本的にすべて行き止まりのT字路で、昔の集落に入る道は北口と南口の二ヶ所のみだったようです。
さらに高台上には・・・

古い神社をはじめ・・・


400戸ほどの集落にしては、けっこう多くの寺院が残ってました。
こちらも「真田丸」なんぞと同じ発想で、戦時には防御拠点として使われたんでしょうか・・・
さらに高台を下りた「二の丸」とも「総構」ともゆーべきあたりには・・・
な、なんと、



こんな工場まで・・・
やはり戦国時代から夜討ちに備えるための「猫目」なんぞを製造してたのか・・・「高性能たいまつ」とか・・・
と、「猫目」ライトのルーツまで垣間見た二人は



石川左岸から大和川右岸に続く「南河内サイクリングロード」をひた走り・・・
ようやく自転車を押して帰れる、いつもの近所の公園までたどりついて・・・


この日は淡麗グリーンラベル・糖質70%オフとコンビニだし巻きでふらふらになりました。
ちなみに総走行距離は65kmで走行時間は4時間ほど、9時出発の5時帰宅でしたから、
休憩や食事や野外宴会に同じ4時間を費やしてたことになりますね。あははは

歴史好きのためのP.S
今回、大ヶ塚にも寄ろうと言ったのは同行した近所の友人でした。
司馬遼太郎氏の「街道を行く」シリーズ「河内みち」編に「自衛の村」と紹介されてたのに興味を持ち、
以前に行ったことがあるけど駆け足だったので、もう一度訪ねてみたいとのことでした。
この作品が書かれた40年以上前には、まだ僅かに古い街並みや雰囲気も残ってたようですが、
さすがに今回行ってみると、街並みはすっかり新しくなってて、古い寺社仏閣や街路の一部などに、
その名残が見られる程度でしたが、確かに「自衛の村」だったんでしようね。
堺をはじめ富田林の寺内町や奈良の今井町、平野の旧村など畿内の大規模な環濠集落はいくつか、
廻ったことがありますが、保存されたり公開されたりしていない集落は今回がはじめてでした。
大和川・石川流域は古代から人が住んでいた豊かな地で舟運などの交通の要衝でもあったので、
住民たちが自衛のために砦化したのも当然でしょうが、高台に作られた大規模集落は知りませんでした。
氏の記述によると、大坂夏の陣で炎上する大坂城もこの高台から見てたようで、その後も各勢力から
何度か襲撃を受けて撃退した記録も残っているそうです。
わたくしは特に近代以降の軍事遺構に興味があるのですが、中世から近世まで続いてた遺構を巡るのも、
その時代時代の防備の変遷高性能たいまつからLEDへとか
