2017年08月26日
トスカーナ紀行10 北アペニン山脈
(期間限定のお知らせ)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月20日は朝から北アペニン山脈へ・・・
アペニン山脈・・・
イタリア半島の中央を縦貫する山脈で、長さは約1,200km。北・中央・南に区分される。
最高峰は中央アペニン山脈にあるコルノ・グランデの標高2,912m。(ウィキペディアより)
・・・ということで、毎年ジロ・デ・イタリアで名勝負が繰り広げられる山岳コースでもあります。
で、わたくし一度、アペニン山脈の峠にも行ってみたいとお願いしてまして、今回もローリスさんに
連れて行ってもらうことになりました。
モンテカルロからルッカを抜けてセルキオ川沿いに北上すると・・・
北アペニン山脈が眼前に迫ってきて・・・
山間部に入ると・・・
ヒルクライマーというか・・・
ダウンヒル好きというか・・・
坂バカというか・・・
って、ローリスさん、めったに洗車しないようで、逆光になるとやや見にくいですが・・・
平日だというのに山岳コース好きのサイクリストたちが次々と現れました。
ローリスさん一家はロードバイクには乗りませんが三大レース(ツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア
ブエルタ・ア・エスパーニャ)の有名選手や名勝負のあった峠などはよく知ってて、これは日本でいえば
最盛期のプロ野球の有名選手や名勝負のようなものなんですね。
ロードレースはサッカーと並ぶ国民的な「見るスポーツ」で、毎年5月のジロ・デ・イタリアなどは
日本の夏の甲子園に似た全国的な風物詩になっているようです。
わたくしもファウスト・コッピの名前ぐらいは知ってましたが、ジロ・デ・イタリアのコース中、その年の
最も高い峠を「チマ・コッピ(コッピ峠)」と呼ぶけど今年は○○峠だった、とか、車中でローリスさんに、
いろいろと教えてもらいました。ええ、彼も全くロードバイクには乗らないのですが・・・
と、セルキオ川にかかる橋を何度か渡り・・・
ダムを過ぎると・・・
ユニークな形の石橋が見えてきました・・・
ま、この橋には帰りに寄りましたので、後半で紹介します。
と・・・
彼らはもう峠を越えてきたんですね・・・
我々は山あいの小さな村に入り・・・
コーヒーブレイク・・・というか・・・
ドルチェブレイク・・・というか・・・
ジェラートブレイク・・・というか・・・
とかで、ともかくまったりしてると・・・
同じく、これからまったりしようというサイクリストが・・・
ま、せっかくなので・・・
って、わたくしと同年配ぐらいの方でしたが、もう峠を越えてきたそうです・・・えらいなあ・・・
で、まったりと村を出て・・・
なかなか迫力のある鎖の吊り橋・・・
その名も「鎖橋」だそうです・・・
小さな峠・・・
こちらはマウンテンバイクですね・・・
大きな峠・・・
けっこう急でしたがグングン上がって来てました。 見てるだけでぜいぜいします。
やや遅れて・・・
さらに遅れて・・・ひいひい、待ってくれい・・・って、日本の誰かさんみたいやな・・・
こちらは下り方向・・・
けっこうビール腹のサイクリストも多く、わたくしもひと安心・・・
コッピのジャージと都市迷彩のジャージ!!! 右にうっすらと橋が見えてますが・・・
さらに山あいの村が見えてきました・・・
村に入ります。
前のクルマの白いリボンは、最近結婚したお祝いのしるし・・・
で、村の麓でクルマを置いて・・・
坂道を上がっていくと・・・
カステルヌォーボ・ディ・ガルファニャーナの街で、城門の奥が旧市街であります。
あらためてグーグルマップで見ると、セルキオ川の上流域にある6本の道が、すべてここに集中しており、
昔からの交通の要衝だったんでしょうね、古くから城塞が築かれていたようです。
で、ローリスさんによると、ここでは定期的に青空マーケットが開かれており、ハムやチーズなど、
地元の新鮮な食料品なども入手できるそうで、我々もお土産用の食料品が欲しいといってたので、
本日はそれもお目当てにして連れて来てくれたようです。
確かに門前広場にも・・・
いろんな露店が出てました。
旧市街に入りました。 けっこうな賑わいです。
興味深いお店もありました・・・じゅるじゅる
ドゥオモの裏側・・・
広場や新市街が一望できました。
ドゥオモの特設ギャラリーで・・・
街の古い写真展をやってるようなので・・・
中に入ります。
大戦中の戦禍から復興するまでの貴重な記録写真でした。
ローリスさんによると、ドイツ軍の爆撃による被害だそうです。
同じく展示されてた当時の戦況図・・・
ドイツ軍が防衛線として築いたのが赤い「ゴシック・ライン」で、青い線が米軍の最終侵攻ライン・・・
途中ノルマンディー上陸を挟み約5か月間、両軍が対峙していました。
ここカステルヌォーボ・ディ・ガルファニャーナはゴシック・ラインの北西に位置していますね。
ドイツ軍による爆撃ということは、ゴシック・ラインが米軍に突破されてから、ということになります。
リボルノ記事でもちらっと書きましたが、米軍の日系人部隊・第442連隊がリボルノに再上陸して、
1945年4月5日からゴシック・ライン突破作戦に参加し、5ヶ月間膠着したままだった戦線を、
僅か32分で突破したのはけっこう有名な話で、その後4月25日にはマッサのドイツ軍を制圧して、
以後はリグリア海沿いにジェノバまで進撃していますから、昔からの交通の要衝だったここでも、
ドイツ軍の反撃を受けていたかも知れません。
記録を調べればわかるでしょうが、72年前にアメリカ国籍の日本人の若者たちが、まさにこのあたりで、
ドイツ軍と戦っていた、と思うと感慨深いものがあります。
いずれにせよ、こんな山あいの美しい街並みが・・・
爆撃で大きく破壊され・・・
見事に復元され賑わっていることに、とても感動を覚えました。
ちなみに次の展示は7月22日から・・・
こちらも見たいけど、クロスバイクで上がってくる自信はないなあ・・・
ま、平和な時代の我々は仲良く・・・
ドゥオモの中を見せてもらったり・・・
自家製蜂蜜の味見をしたり・・・
お目当てのおいしいサルメリアへ向かって・・・
店がブティックに変わってて、がっかりしたけど・・・
めげずに記念写真を撮ったり・・・
移動販売車でチーズやサラミやハムを買ったり・・・
こちらの総菜も・・・
女の子たちが並んでたこちらのドルチェも、どれもおいしそうだなあ・・・じゅるじゅる
と、そろそろお腹が空いてきて、ふらふらしてると・・・
スペシャライズドのMTBに乗ったサイクリストがいました・・・
「はーい、わたくしもスペシャライズドなんですよ、ロードだけど・・・」
とか声をかけると、なんとドイツから来てるとのこと・・・
「ドイツからだと遠いのに、ずいぶん軽装ですね・・・」
「あははは、もちろん近くまではクルマですよ。」
と、アペニン山脈のこの辺りは、けっこう有名な山岳コースになっているようです。
ま、せっかくなので・・・
同じ米国ブランドのバイクに乗るドイツ人と日本人がイタリアの小さな村で記念写真・・・
やはり平和な時代がいいですね・・・
と、その前をさりげに通過した別のサイクリスト・・・
婦人水着なんかの店に入って、僅か数分で出てきて・・・
走り去っていきました・・・一体何をしてたのでしょう???
日焼け止めがなくなり水着の店ならと入ったけどなかった、というのがわたくしの推測ですが・・・
とまあ、市街散策と買い物を楽しんで・・・
下の駐車場まで下りていきました。
旧市街が歩行者専用になっているうえ道幅も狭いので、駐車場があるんですね・・・
と、来た道とは別のルートを通って・・・
山の中の一軒家のトラットリアへ・・・
なんでも近くに地ビールの醸造所があって、その販売店でもあるそうです。
室内席もありましたが・・・
テラス席を用意していただきました。
で、こちらが新鮮作りたての地ビール・・・
いわゆるエールタイプでとてもおいしかったです。
さすがにみなさん、ここでは「まずはビール」でしたが味見だけで、すぐに赤白ワインでした。
もちろん料理はパスタからはじまって・・・
牛肉や各種鶏肉なんぞをみんなで分け合い、最後はコーヒーで締めました・・・
ちなみにこのお店、けっこう知られているようで・・・
スウェーデン車に乗ったイギリス人とか・・・
ドイツ車に乗ったフランス人とか・・・
こちらもドイツ車に乗ったフランス人・・・
イタリア車に乗ったイタリア人と日本人とか・・・
他にもニッサン車やダイハツ車に乗ったフランス人とか、いろんな人が来られてるようでした。
で、食後は・・・
つづら折れの道を・・・
眺めのいい峠へ・・・ここでも数々の名勝負があったんでしょうねえ・・・
と、ふたたびセルキオ川沿いに下りてきて・・・
地元ガルファニャーナのチームジャージですね・・・
来るときに見た「マッダレーナ橋」へ・・・
別名「悪魔の橋」・・・ま、詳しくはネット検索で・・・
けっこう最高部は高いです・・・
反対側のこの膨らみ部分は、下に鉄道を通すために新しく改築されたとか・・・
ま、新しいといっても100年以上前の話ですが・・・
ちょうど列車が通過しました。山間を縫ってパルマまで抜けるようです。
この後はおいしい泉があるということで旧道へ・・・
さすがに暑いですね・・・
泉への道は車両通行止めになってて・・・
めげずに別の旧道へ・・・
鉱山跡だそうです・・・
結局、山を下りてからミネラルウォーターを補給・・・
こんな「泉」が随所にあり、それぞれ味が異なるそうです。
と、夕方早くにはローリスさん宅に帰り、わたくしはアルトパーショへ一人でポタリング・・・
せっかくなので・・・
恒例の窓ガラス記念写真をば・・・
ちなみに・・・
この日も広場ではコンサートか何かの準備をしてました。
と、この日の夕食は当然・・・
アペニン山脈で買ったばかりのハムにチーズにサラミにパン・・・新鮮で旨かったです。
もちろん・・・
にんにくのピクルスなんぞで、延々と食後酒も旨かったです。ひっく
(次号に続きます。)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月20日は朝から北アペニン山脈へ・・・
アペニン山脈・・・
イタリア半島の中央を縦貫する山脈で、長さは約1,200km。北・中央・南に区分される。
最高峰は中央アペニン山脈にあるコルノ・グランデの標高2,912m。(ウィキペディアより)
・・・ということで、毎年ジロ・デ・イタリアで名勝負が繰り広げられる山岳コースでもあります。
で、わたくし一度、アペニン山脈の峠にも行ってみたいとお願いしてまして、今回もローリスさんに
連れて行ってもらうことになりました。
モンテカルロからルッカを抜けてセルキオ川沿いに北上すると・・・
北アペニン山脈が眼前に迫ってきて・・・
山間部に入ると・・・
ヒルクライマーというか・・・
ダウンヒル好きというか・・・
坂バカというか・・・
って、ローリスさん、めったに洗車しないようで、逆光になるとやや見にくいですが・・・
平日だというのに山岳コース好きのサイクリストたちが次々と現れました。
ローリスさん一家はロードバイクには乗りませんが三大レース(ツール・ド・フランス ジロ・デ・イタリア
ブエルタ・ア・エスパーニャ)の有名選手や名勝負のあった峠などはよく知ってて、これは日本でいえば
最盛期のプロ野球の有名選手や名勝負のようなものなんですね。
ロードレースはサッカーと並ぶ国民的な「見るスポーツ」で、毎年5月のジロ・デ・イタリアなどは
日本の夏の甲子園に似た全国的な風物詩になっているようです。
わたくしもファウスト・コッピの名前ぐらいは知ってましたが、ジロ・デ・イタリアのコース中、その年の
最も高い峠を「チマ・コッピ(コッピ峠)」と呼ぶけど今年は○○峠だった、とか、車中でローリスさんに、
いろいろと教えてもらいました。ええ、彼も全くロードバイクには乗らないのですが・・・
と、セルキオ川にかかる橋を何度か渡り・・・
ダムを過ぎると・・・
ユニークな形の石橋が見えてきました・・・
ま、この橋には帰りに寄りましたので、後半で紹介します。
と・・・
彼らはもう峠を越えてきたんですね・・・
我々は山あいの小さな村に入り・・・
コーヒーブレイク・・・というか・・・
ドルチェブレイク・・・というか・・・
ジェラートブレイク・・・というか・・・
とかで、ともかくまったりしてると・・・
同じく、これからまったりしようというサイクリストが・・・
ま、せっかくなので・・・
って、わたくしと同年配ぐらいの方でしたが、もう峠を越えてきたそうです・・・えらいなあ・・・
で、まったりと村を出て・・・
なかなか迫力のある鎖の吊り橋・・・
その名も「鎖橋」だそうです・・・
小さな峠・・・
こちらはマウンテンバイクですね・・・
大きな峠・・・
けっこう急でしたがグングン上がって来てました。 見てるだけでぜいぜいします。
やや遅れて・・・
さらに遅れて・・・ひいひい、待ってくれい・・・って、日本の誰かさんみたいやな・・・
こちらは下り方向・・・
けっこうビール腹のサイクリストも多く、わたくしもひと安心・・・
コッピのジャージと都市迷彩のジャージ!!! 右にうっすらと橋が見えてますが・・・
さらに山あいの村が見えてきました・・・
村に入ります。
前のクルマの白いリボンは、最近結婚したお祝いのしるし・・・
で、村の麓でクルマを置いて・・・
坂道を上がっていくと・・・
カステルヌォーボ・ディ・ガルファニャーナの街で、城門の奥が旧市街であります。
あらためてグーグルマップで見ると、セルキオ川の上流域にある6本の道が、すべてここに集中しており、
昔からの交通の要衝だったんでしょうね、古くから城塞が築かれていたようです。
で、ローリスさんによると、ここでは定期的に青空マーケットが開かれており、ハムやチーズなど、
地元の新鮮な食料品なども入手できるそうで、我々もお土産用の食料品が欲しいといってたので、
本日はそれもお目当てにして連れて来てくれたようです。
確かに門前広場にも・・・
いろんな露店が出てました。
旧市街に入りました。 けっこうな賑わいです。
興味深いお店もありました・・・じゅるじゅる
ドゥオモの裏側・・・
広場や新市街が一望できました。
ドゥオモの特設ギャラリーで・・・
街の古い写真展をやってるようなので・・・
中に入ります。
大戦中の戦禍から復興するまでの貴重な記録写真でした。
ローリスさんによると、ドイツ軍の爆撃による被害だそうです。
同じく展示されてた当時の戦況図・・・
ドイツ軍が防衛線として築いたのが赤い「ゴシック・ライン」で、青い線が米軍の最終侵攻ライン・・・
途中ノルマンディー上陸を挟み約5か月間、両軍が対峙していました。
ここカステルヌォーボ・ディ・ガルファニャーナはゴシック・ラインの北西に位置していますね。
ドイツ軍による爆撃ということは、ゴシック・ラインが米軍に突破されてから、ということになります。
リボルノ記事でもちらっと書きましたが、米軍の日系人部隊・第442連隊がリボルノに再上陸して、
1945年4月5日からゴシック・ライン突破作戦に参加し、5ヶ月間膠着したままだった戦線を、
僅か32分で突破したのはけっこう有名な話で、その後4月25日にはマッサのドイツ軍を制圧して、
以後はリグリア海沿いにジェノバまで進撃していますから、昔からの交通の要衝だったここでも、
ドイツ軍の反撃を受けていたかも知れません。
記録を調べればわかるでしょうが、72年前にアメリカ国籍の日本人の若者たちが、まさにこのあたりで、
ドイツ軍と戦っていた、と思うと感慨深いものがあります。
いずれにせよ、こんな山あいの美しい街並みが・・・
爆撃で大きく破壊され・・・
見事に復元され賑わっていることに、とても感動を覚えました。
ちなみに次の展示は7月22日から・・・
こちらも見たいけど、クロスバイクで上がってくる自信はないなあ・・・
ま、平和な時代の我々は仲良く・・・
ドゥオモの中を見せてもらったり・・・
自家製蜂蜜の味見をしたり・・・
お目当てのおいしいサルメリアへ向かって・・・
店がブティックに変わってて、がっかりしたけど・・・
めげずに記念写真を撮ったり・・・
移動販売車でチーズやサラミやハムを買ったり・・・
こちらの総菜も・・・
女の子たちが並んでたこちらのドルチェも、どれもおいしそうだなあ・・・じゅるじゅる
と、そろそろお腹が空いてきて、ふらふらしてると・・・
スペシャライズドのMTBに乗ったサイクリストがいました・・・
「はーい、わたくしもスペシャライズドなんですよ、ロードだけど・・・」
とか声をかけると、なんとドイツから来てるとのこと・・・
「ドイツからだと遠いのに、ずいぶん軽装ですね・・・」
「あははは、もちろん近くまではクルマですよ。」
と、アペニン山脈のこの辺りは、けっこう有名な山岳コースになっているようです。
ま、せっかくなので・・・
同じ米国ブランドのバイクに乗るドイツ人と日本人がイタリアの小さな村で記念写真・・・
やはり平和な時代がいいですね・・・
と、その前をさりげに通過した別のサイクリスト・・・
婦人水着なんかの店に入って、僅か数分で出てきて・・・
走り去っていきました・・・一体何をしてたのでしょう???
日焼け止めがなくなり水着の店ならと入ったけどなかった、というのがわたくしの推測ですが・・・
とまあ、市街散策と買い物を楽しんで・・・
下の駐車場まで下りていきました。
旧市街が歩行者専用になっているうえ道幅も狭いので、駐車場があるんですね・・・
と、来た道とは別のルートを通って・・・
山の中の一軒家のトラットリアへ・・・
なんでも近くに地ビールの醸造所があって、その販売店でもあるそうです。
室内席もありましたが・・・
テラス席を用意していただきました。
で、こちらが新鮮作りたての地ビール・・・
いわゆるエールタイプでとてもおいしかったです。
さすがにみなさん、ここでは「まずはビール」でしたが味見だけで、すぐに赤白ワインでした。
もちろん料理はパスタからはじまって・・・
牛肉や各種鶏肉なんぞをみんなで分け合い、最後はコーヒーで締めました・・・
ちなみにこのお店、けっこう知られているようで・・・
スウェーデン車に乗ったイギリス人とか・・・
ドイツ車に乗ったフランス人とか・・・
こちらもドイツ車に乗ったフランス人・・・
イタリア車に乗ったイタリア人と日本人とか・・・
他にもニッサン車やダイハツ車に乗ったフランス人とか、いろんな人が来られてるようでした。
で、食後は・・・
つづら折れの道を・・・
眺めのいい峠へ・・・ここでも数々の名勝負があったんでしょうねえ・・・
と、ふたたびセルキオ川沿いに下りてきて・・・
地元ガルファニャーナのチームジャージですね・・・
来るときに見た「マッダレーナ橋」へ・・・
別名「悪魔の橋」・・・ま、詳しくはネット検索で・・・
けっこう最高部は高いです・・・
反対側のこの膨らみ部分は、下に鉄道を通すために新しく改築されたとか・・・
ま、新しいといっても100年以上前の話ですが・・・
ちょうど列車が通過しました。山間を縫ってパルマまで抜けるようです。
この後はおいしい泉があるということで旧道へ・・・
さすがに暑いですね・・・
泉への道は車両通行止めになってて・・・
めげずに別の旧道へ・・・
鉱山跡だそうです・・・
結局、山を下りてからミネラルウォーターを補給・・・
こんな「泉」が随所にあり、それぞれ味が異なるそうです。
と、夕方早くにはローリスさん宅に帰り、わたくしはアルトパーショへ一人でポタリング・・・
せっかくなので・・・
恒例の窓ガラス記念写真をば・・・
ちなみに・・・
この日も広場ではコンサートか何かの準備をしてました。
と、この日の夕食は当然・・・
アペニン山脈で買ったばかりのハムにチーズにサラミにパン・・・新鮮で旨かったです。
もちろん・・・
にんにくのピクルスなんぞで、延々と食後酒も旨かったです。ひっく
(次号に続きます。)