2017年08月28日
トスカーナ紀行12 ピサ
(期間限定のお知らせ)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月22日は早朝からピサへ・・・
ローリスさんの同僚で結婚式・披露宴にも出席されてたシモーナさんが、わざわざ迎えに来てくれました。
アレくんクリくんと我々二人を、まずは山あいのお気に入りの店へ連れて行ってくれて・・・
って、まだ寝ぼけてて画像もボケてますが・・・
おいしい朝食をご馳走になりました。ええ、この後、ようやく目覚めました。
山あいをピサへ向かって進み、シモーナさんによれば・・・
「戦時中に米軍が急いで作った、とても危険なトンネル」・・・を抜けると・・・
いきなり平野部へ下りるつづら折れの狭い道になり・・・
下りたところが・・・
温泉で有名なサン・ジュリアーノ・テルメの街・・・
ここは医療スタッフもいる温泉プール付き五つ星ホテルで、いわば高級湯治場ですね・・・
名前から全体が温泉街のようなイメージがありましたが、見た目はふつうの街でした。
で、平野部を少し走ると・・・
ピサ旧市街の城壁が見えてきました。
新市街側にあるピサ大学の研究所が並ぶ一画にクルマを置きます。
ピサは観光地として有名ですが、周辺地域を含むコムーネの人口が8万6千人、ピサ大学の学生数が
5万7千人で(ウィキペディアより)、まさに大学の街で研究機関も多く、シモーナさんもローリスさんも
マルタさんも、みなさんピサ大学の出身です。
シモーナさんの説明を受けながら・・・
城門を入ると・・・
世界的におなじみの「ピサの斜塔」があります・・・
ま、せっかくの朝早い時間なので・・・
ピサの斜塔に昇る朝日!!!
斜塔は本来は鐘楼ですから、あとはメインの・・・
ドゥオモに・・・
ドゥオモ広場・・・大部分が芝生のドゥオモ広場というのは、トスカーナでははじめてでしたが・・・
で、これでおなじみ3点セットになり・・・
さらにピサのドゥオモ広場では・・・
洗礼堂と・・・
墓所をあわせて5点セットになります。
例によって内部画像などは省略してますので、詳細はネット検索で・・・
まあ斜塔については、目の前にするとやはり感動も大きかったので・・・
斜塔と警備兵・・・
斜塔と警備兵と、通りすがりのおねいさん・・・
斜塔と警備兵と、イベコ・・・
斜塔と警備兵とイベコと、通りすがりの日本人観光客・・・
とかの連作で遊んでたのですが、斜塔の開館時間が近づき、シモーナさんが我々に入館券をプレゼント
してあげるといってくれ、わたくしは斜めになった階段を屋上まで上がる自信がなかったので丁重に
お断りしたのですが、うちの奥様が上がってきました。
以下、うちの奥様の画像から何枚か・・・
向うは地中海で、もともとアルノ川河口の貿易港として栄え、その地位をリボルノに譲ってからは、
大学の街になり、ピサ大学はイタリアでもトップクラスの名門大学だそうです。
おそらく最上階から・・・
ネットフェンスの格子と地平線を比べると、全体が傾いているのが分かりますね・・・
鐘と床面も、びみょーに傾いているようです。
で、うちの奥様が下りて来た時、学帽を被った女子大生が仲間に祝福されている場面に遭遇したので、
訊いてもらったところ、卒業が確定したので、これから初めて斜塔に上がるのだとか・・・
そう、ピサ大学の学生は卒業が決まるまで決して斜塔には上がらない、逆に上がれば卒業できない、
というジンクスがあるようで、シモーナさんも初めて上がったのは卒業の日だったそうです。
さらにジンクスといえば、別の有名な建物で、柱彫刻の凸凹を一生懸命数えている女子大生の
二人連れがいたので、何をしているのか訊いてもらったところ、凸凹の数を二回数えて数が合えば、
その日の試験に合格できるという、ま、こちらはおまじないのようなものらしいです・・・
なにせ13世紀にできたイタリアでも3番目に古い大学ですから、いろんな伝統があるんですね。
と、サマーバカンス中で学生の少ないピサの街を歩きます。
こちらは文学部の校舎だそうです・・・
街中にいろんな学部や単科大学や研究所が散らばってて、オクスフォードやケンブリッジは知らないけど、
おそらく同じような「大学都市」なんでしょうね・・・
ちなみに学生の割合が最も高い日本の都市は京都市だそうで約150万人のうち約20万人が学生、
ピサはほぼ半数が学生ですが、どちらも世界有数の観光都市になっているというのも面白いです。
以下、例により、わたくしが面白いと思ったものをさくさくっと・・・
ピサの斜塔ならぬ斜ごみ箱・・・
学生街には必要不可欠のコピー屋さんは「コピステリア」・・・
ちなみにサマーバカンス中で閉まってました。
ピサ高等師範学校(教育大学)のあるキャバリエリ広場・・・
ちなみに創設者はナポレオン・ボナパルトだそうです・・・
さらにちなみに・・・
ナポレオンの祖先はジェノバ共和国の傭兵隊長としてコルシカ島に赴任したトスカーナの貴族で、
イタリア名をフランス名に替えたのもコルシカ島脱出後、トスカーナとは縁が深い人だったんですね・・・
特徴的なアーケード街・・・
貿易で富をなした豪商が自宅前で競い合って造ったので・・・
一軒一軒異なるアーケードになってます。
自転車・・・
ジョガー
カートを引く尼僧さん
アルノ川を渡ります。
建築時期によって建物の様式が異なるのも面白いです。
こちらも有名なイタリア統一王の像のある広場・・・
で、このあたりで引き返しました。
トリュフ屋さん
チェレステ・カラーのスピナー・・・
ホンモノのチェレステ・・・
この後、ドゥオモ広場まで戻りましたが・・・
すでに観光客でいっぱいになってました。
涼しくて人が少ない早朝を選んでくれたシモーナさんに感謝です。
ドゥオモなどの内部も見学して画像もいっぱい撮ったのですが・・・
例によって省略させていただいて、面白いと思ったものを数枚だけ・・・
こちらでも稀少なラピスラズリを多用してました。やはり豪商の街だったんですね。
ピサ大学教授ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見した香炉・・・
ただし当時の香炉は最初に紹介した墓所に保管してあるとTV番組でやってましたが・・・
と、まったりとピサ市街を歩いて、城門を出る頃には・・・
けっこう暑くなり、さらに観光客も増えてました。
ま、せっかくなので・・・
門を出る前に記念撮影・・・って、恥ずかしがり屋のワンくんなんですね・・・
こちら新市街側にある工学部の校舎・・・なんですが・・・
誰かがここの出身、あるいは働いている、と言われてたような気もするのですが・・・
失念してしまいました・・・えーと、誰だっけ・・・と、失念しつつ・・・
この後はシモーナさんがご主人とやっている「お宿」に向かいます。
(次号に続きます。)
①2017秋の熊野キャンプへのお誘い記事はこちらです。
②日程が重なりますが2017年10月7日に「世界水フォーラムの展望と課題」講演会があります。
7月22日は早朝からピサへ・・・
ローリスさんの同僚で結婚式・披露宴にも出席されてたシモーナさんが、わざわざ迎えに来てくれました。
アレくんクリくんと我々二人を、まずは山あいのお気に入りの店へ連れて行ってくれて・・・
って、まだ寝ぼけてて画像もボケてますが・・・
おいしい朝食をご馳走になりました。ええ、この後、ようやく目覚めました。
山あいをピサへ向かって進み、シモーナさんによれば・・・
「戦時中に米軍が急いで作った、とても危険なトンネル」・・・を抜けると・・・
いきなり平野部へ下りるつづら折れの狭い道になり・・・
下りたところが・・・
温泉で有名なサン・ジュリアーノ・テルメの街・・・
ここは医療スタッフもいる温泉プール付き五つ星ホテルで、いわば高級湯治場ですね・・・
名前から全体が温泉街のようなイメージがありましたが、見た目はふつうの街でした。
で、平野部を少し走ると・・・
ピサ旧市街の城壁が見えてきました。
新市街側にあるピサ大学の研究所が並ぶ一画にクルマを置きます。
ピサは観光地として有名ですが、周辺地域を含むコムーネの人口が8万6千人、ピサ大学の学生数が
5万7千人で(ウィキペディアより)、まさに大学の街で研究機関も多く、シモーナさんもローリスさんも
マルタさんも、みなさんピサ大学の出身です。
シモーナさんの説明を受けながら・・・
城門を入ると・・・
世界的におなじみの「ピサの斜塔」があります・・・
ま、せっかくの朝早い時間なので・・・
ピサの斜塔に昇る朝日!!!
斜塔は本来は鐘楼ですから、あとはメインの・・・
ドゥオモに・・・
ドゥオモ広場・・・大部分が芝生のドゥオモ広場というのは、トスカーナでははじめてでしたが・・・
で、これでおなじみ3点セットになり・・・
さらにピサのドゥオモ広場では・・・
洗礼堂と・・・
墓所をあわせて5点セットになります。
例によって内部画像などは省略してますので、詳細はネット検索で・・・
まあ斜塔については、目の前にするとやはり感動も大きかったので・・・
斜塔と警備兵・・・
斜塔と警備兵と、通りすがりのおねいさん・・・
斜塔と警備兵と、イベコ・・・
斜塔と警備兵とイベコと、通りすがりの日本人観光客・・・
とかの連作で遊んでたのですが、斜塔の開館時間が近づき、シモーナさんが我々に入館券をプレゼント
してあげるといってくれ、わたくしは斜めになった階段を屋上まで上がる自信がなかったので丁重に
お断りしたのですが、うちの奥様が上がってきました。
以下、うちの奥様の画像から何枚か・・・
向うは地中海で、もともとアルノ川河口の貿易港として栄え、その地位をリボルノに譲ってからは、
大学の街になり、ピサ大学はイタリアでもトップクラスの名門大学だそうです。
おそらく最上階から・・・
ネットフェンスの格子と地平線を比べると、全体が傾いているのが分かりますね・・・
鐘と床面も、びみょーに傾いているようです。
で、うちの奥様が下りて来た時、学帽を被った女子大生が仲間に祝福されている場面に遭遇したので、
訊いてもらったところ、卒業が確定したので、これから初めて斜塔に上がるのだとか・・・
そう、ピサ大学の学生は卒業が決まるまで決して斜塔には上がらない、逆に上がれば卒業できない、
というジンクスがあるようで、シモーナさんも初めて上がったのは卒業の日だったそうです。
さらにジンクスといえば、別の有名な建物で、柱彫刻の凸凹を一生懸命数えている女子大生の
二人連れがいたので、何をしているのか訊いてもらったところ、凸凹の数を二回数えて数が合えば、
その日の試験に合格できるという、ま、こちらはおまじないのようなものらしいです・・・
なにせ13世紀にできたイタリアでも3番目に古い大学ですから、いろんな伝統があるんですね。
と、サマーバカンス中で学生の少ないピサの街を歩きます。
こちらは文学部の校舎だそうです・・・
街中にいろんな学部や単科大学や研究所が散らばってて、オクスフォードやケンブリッジは知らないけど、
おそらく同じような「大学都市」なんでしょうね・・・
ちなみに学生の割合が最も高い日本の都市は京都市だそうで約150万人のうち約20万人が学生、
ピサはほぼ半数が学生ですが、どちらも世界有数の観光都市になっているというのも面白いです。
以下、例により、わたくしが面白いと思ったものをさくさくっと・・・
ピサの斜塔ならぬ斜ごみ箱・・・
学生街には必要不可欠のコピー屋さんは「コピステリア」・・・
ちなみにサマーバカンス中で閉まってました。
ピサ高等師範学校(教育大学)のあるキャバリエリ広場・・・
ちなみに創設者はナポレオン・ボナパルトだそうです・・・
さらにちなみに・・・
ナポレオンの祖先はジェノバ共和国の傭兵隊長としてコルシカ島に赴任したトスカーナの貴族で、
イタリア名をフランス名に替えたのもコルシカ島脱出後、トスカーナとは縁が深い人だったんですね・・・
特徴的なアーケード街・・・
貿易で富をなした豪商が自宅前で競い合って造ったので・・・
一軒一軒異なるアーケードになってます。
自転車・・・
ジョガー
カートを引く尼僧さん
アルノ川を渡ります。
建築時期によって建物の様式が異なるのも面白いです。
こちらも有名なイタリア統一王の像のある広場・・・
で、このあたりで引き返しました。
トリュフ屋さん
チェレステ・カラーのスピナー・・・
ホンモノのチェレステ・・・
この後、ドゥオモ広場まで戻りましたが・・・
すでに観光客でいっぱいになってました。
涼しくて人が少ない早朝を選んでくれたシモーナさんに感謝です。
ドゥオモなどの内部も見学して画像もいっぱい撮ったのですが・・・
例によって省略させていただいて、面白いと思ったものを数枚だけ・・・
こちらでも稀少なラピスラズリを多用してました。やはり豪商の街だったんですね。
ピサ大学教授ガリレオ・ガリレイが振り子の等時性を発見した香炉・・・
ただし当時の香炉は最初に紹介した墓所に保管してあるとTV番組でやってましたが・・・
と、まったりとピサ市街を歩いて、城門を出る頃には・・・
けっこう暑くなり、さらに観光客も増えてました。
ま、せっかくなので・・・
門を出る前に記念撮影・・・って、恥ずかしがり屋のワンくんなんですね・・・
こちら新市街側にある工学部の校舎・・・なんですが・・・
誰かがここの出身、あるいは働いている、と言われてたような気もするのですが・・・
失念してしまいました・・・えーと、誰だっけ・・・と、失念しつつ・・・
この後はシモーナさんがご主人とやっている「お宿」に向かいます。
(次号に続きます。)
この記事へのコメント
1. Posted by donchan 2017年08月29日 09:16
まとめて読んだので前回の欄にコメントしてしまいました。
暇な折にどうぞ。
暇な折にどうぞ。
2. Posted by 98k 2017年08月29日 10:41
donchanさん
まとめ読み、ありがとうございます。
前回記事へのコメントに返信させていただきました。
まとめ読み、ありがとうございます。
前回記事へのコメントに返信させていただきました。