2018年01月20日
百舌鳥古墳群ふらふら
内モンゴル・沙漠植林ツアー(5月19日~23日)へのお誘い記事はこちらです。
初ポタ・・・つーことで昨日、百舌鳥古墳群をふらふらしてきました。
百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)は、大阪府堺市にある古墳群。
半壊状態のものも含めて44基の古墳がある。
かつては100基を上回る古墳があったが、第二次世界大戦後に宅地開発が急速に進んだため、
半数以上の古墳が破壊されてしまった。巨大な前方後円墳を擁する古墳群として知られる。
2017年7月31日、文化審議会が古市古墳群と合わせ世界遺産の2019年登録審査候補として
正式に推薦することを決定した。(以上ウィキより一部抜粋)
(追記です。ちょうど昨日、この推薦への政府閣議了解がありましたね。)
ま、それぞれの古墳の詳細についてはネット検索ででも・・・
つーことで、朝10時に大阪市内南部の公園にダッシュP18とシルヴァF8F(2台)が集合、
まずは(三人とも元気なうちに)記念撮影であります。
で、ふらふらと公園を出発、あびこ筋を南下しはじめて間もなく・・・
あびこ観音でさっそく休憩、道中の無事を祈願・・・
立派なクスノキがありました。
で・・・
大和川を渡り、堺市内をふらふらと南下します・・・
道沿いに楠塚公園というのがありました。
もとは金岡神社の御旅所(西宮頓宮)だったそうですが、こちらも見事なクスノキでした。
丸く小高くなってるので、さらに古くは円墳だったのかも知れませんね・・・
あびこ筋を百舌鳥あたりで東へ折れ、まずはニサンザイ古墳に到着。
前方後円墳の形がはっきりと分かりますね・・・
古墳側には・・・
トリさんたちがのんびり羽を休めてました。
ぐるっと一周しました。
墓地側からは後円の形がよく分かります。
あびこ筋に戻り、せっかくなので百舌鳥八幡宮へもお参り・・・
一の鳥居?から二の鳥居?までの参道が長いです。
百舌鳥さんが咥えてるのは何なのか・・・
本殿を下りた池の中にあるのが、左の弁天社と右の水天宮社・・・
なんですが、右側の小さな水天宮社には橋がありません。
でも、
社には真新しいお供え物がありました・・・
舟なんかなかったし池はけっこう深そうだし、どうやって毎日のお供えをしているのか???
「ウェイダーとか履いて、ざばざば渡っているのではないかい・・・」
「いや、長い竿とかを使って三宝ごと取り替えてるんやろ・・・」
「いやいや、神主さんが祈祷すると、池の水が割れて道が現れるんやっ!!!」
「ここの神主さんはモーゼの子孫やったんかっ!!!」
とか、楽しく議論しながら・・・
御廟山古墳に到着であります。
こちらも前方後円墳でこちらは後円側・・・
古墳の立札をズームアップしてみると・・・
宮内庁としては「陵墓参考地」なんですね。
ちなみに・・・
この古墳も、すぐそばまで住宅が建ってました。
記事の冒頭にあるとおり、戦後の宅地開発で古墳群は次々と破壊されてたのですが、
次に廻ったこちら・・・
いたすけ古墳での宅地開発に反対する学者や市民の運動が・・・
その後の全国の文化財保存運動の先駆けとなったそうです。
昭和30年といえば戦後10年目、生きるのに精いっぱいの時代から高度成長へと向かう時期・・・
まあ、よくぞ残してくれたものです。
と、次に廻ったのが・・・
履中天皇陵古墳。全国で3番目の大きさだそうです。
さすがに地上から全容を撮ることはできませんね。
で、履中陵の北側にある大仙公園に入りました。
右の整備計画図にあるとおり仁徳稜と履中陵の間にある公園で、園内にも多くの古墳があります。
案内図の一番下にある七観音古墳・・・
左半分に石積みが復元された円墳で、頂上が展望台になってます。
本来の古墳は、このように石積みで覆われたものが多かったようです。
頂上から履中陵を望みます。
やはり全容は撮れませんでした・・・
で、
公園内各所にある円墳や前方後円墳をふらふらしながら・・・
やはり公園内にある堺市博物館へ・・・
こちらの企画展も楽しみです。
以下、さくさくっと・・・
古墳時代の甲冑・・・
主要部の鉄や金銅を革で覆ったもので、戦国時代の終わりに出てくる当世具足同様、質実剛健で
武士の派手な甲冑とは対照的な実用品ですね。
冑が「衝角付き」になってますが、当時の白兵戦では「頭突き」が有効だったんでしょうか。
これまで廻ってきた百舌鳥古墳群・・・
当時はこんな感じで陪塚も含めて、ずらっと並んでたんですね・・・
右端が最初に行ったニサンザイ古墳で、ほぼ時計回りに廻ってることになります。
で、時代は戦国時代へ・・・
鉄砲足軽の装備・・・ずいぶんとイケメンですが・・・
すでに銃撃戦用の野戦装備になってるので、ボディアーマーと弾薬・食糧の携帯がメインつーのは、
現代の歩兵と変わりませんね。イラストにはありませんが瓢箪や竹筒の水筒も必携でしょう。
堺は刀と鉄砲でも有名ですね・・・
火縄銃の作り方・・・石斧より難しそうです・・・
慶長大筒・・・だったはず・・・でかいです。
江戸時代も中期以降になると、火縄銃も実用品から美術工芸品へ、室内射的用もあったようです。
こちら包丁のできるまで・・・
こちらは道具さえあれば、石斧作りと同じ感じかな・・・
各地方用の鰻さき包丁・・・ぜーんぶ堺で作ってるんですね・・・
これらの刀や鉄砲の加工技術と分業体制が明治以降、堺の自転車づくりに繋がっていきます。
そーいや、この大仙公園に隣接してシマノが管理受託している自転車博物館がありましたね。
堺の町並みのジオラマ・・・
いやあ、よくできてました・・・
で、大幅に省略して企画展の一部もさくさくっと・・・
いやあ、じつに懐かしかったですねえ・・・
と、博物館を出て、さらに公園内の古墳群を巡り・・・
こちらは前方がずいぶんと小さいですね・・・
と、いよいよ公園の北側に隣接する・・・
仁徳天皇陵古墳に到着であります。
ちょうどサギさんがとまってましたが・・・もちろん全景は撮れません。
せめて現地にあった航空写真で・・・
そう、言わずと知れた世界最大の墳墓、我々は左正面にある遥拝所にいます。
で、ピラミッドや秦の始皇帝陵が世界最大の墳墓とも聞いてたので、わいわい議論してると、
近くにいたボランティアガイドの方が教えてくださいました。
面積で世界最大の墳墓が、この仁徳天皇稜古墳、
そして、高さで世界最大の墳墓がエジプト・クフ王のピラミッド、
秦の始皇帝陵は地下部分が大きく、体積で世界最大の墳墓・・・
つーことだったんですね・・・いやあ、長年の疑問が解けてすっきりしました。
と、すっきりしたところで、あびこ筋を引き返して帰路に・・・
で、ご近所まで帰ってくれば、とーぜん・・・
かなり遅めの昼食宴会となりました。ええ、とーぜんかぱかぱと・・・
って・・・
食べる前に撮ればいいものを・・・
ちなみにこちらは餃子6人前の後に出てきた料理の完食画像であります。げふっ
こんなのは「インスタ映えする」とは言わないのかっ???
と、豊中に住む友人は、駅前でシルヴァF8Fをたたんで地下鉄で無事帰宅、
わたくしと近所の友人はいつもどおり自転車を押して無事帰宅・・・したはずです・・・
今回の走行距離は31kmで走行時間は2時間16分、平均速度は13.4km/hになってましたが、
朝9時半に自宅を出発して帰宅したのは3時半でしたので、所要時間はちょうど6時間・・・
博物館の見学時間を除いたとしても、やはり半分以上は休憩と宴会に費やしてますね・・・
まあ今年もずっと、このペースのポタリングになりそうです。あははは
追記です。二か月後の「古市古墳群ふらふら」記事はこちらです。
この記事へのコメント
世界遺産登録も周辺部の開発がたたって、これまではなかなか難しかったとか。
そういえば、日本の古墳の保存事業には、同志社の森浩一先生が活躍してましたね。私の高校の同級生も他学部ながら活動していました。
大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や上石津ミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)さらに古市古墳群の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)などは、
五世紀の「倭の五王」のロマンを掻き立てられます。
そういえば、最後の雄略天皇陵は、高鷲丸山古墳で円墳とか。このあたりで古墳の形態も変化するのでしょうかね。一説には、松原にある大塚陵古墳とか。
当時天皇の称号はないから「大王」だとかいうことを含め98Kさんのうんちくよろしく。
ところで、堺市の博物館の近代の生活用品展示や街並み再現、某市にも同様な施設があったような、なかったような。
詳細な補足コメントありがとうございます。(見やすいように一部改行しました。)
>世界遺産登録も周辺部の開発がたたって・・・
いやいや、古墳に隣接するラブホやパチンコ店のド派手な建築とあわせて申請すれば登録確実です。
いろんな国から大阪に来た人たちがまず驚くのがラブホとパチンコ店とズラリと並んだ自販機の景観ですからね!!!
>同志社の森浩一先生・・・
わたくしは若いので学生時代にはすでに大御所でしたが、donchanさんの時代にはまだ新進気鋭の若手だったんでしょうね・・・
ちなみにわたくしは高校時代に山根徳太郎先生の難波宮跡発掘の撮影に行ってたことがあります。って、トシが・・・
>五世紀の「倭の五王」のロマン・・・
そういえば斑鳩の藤ノ木古墳も、もとは前方後円墳だったようで、この時代は謎が多くて魅力なんでしょうね。
わたくしはあまり興味がないのでウンチクもないのですが、古墳時代の甲冑がけっこう実用的なのに驚きました。
>街並み再現・・・
こちらのスケールは1/20~1/24程度だったでしょうか、造作はもちろん店頭商品や家具まで、どれもがよくできてました。
某市歴博のリアルサイズも含め街並み再現のジオラマは大好きなんですが、博物館によって作り込みに雲泥の差がありますね。
予算の関係も大きいでしょうが学芸員と発注先の能力とセンスの差も大きいでしょうね・・・ぶつぶつ・・・