2018年05月28日
2018・内モンゴル紀行2・オルドス
内モンゴル二日目の朝、包頭市内のホテルを出た一行は高速道路をひたすら南下し、
オルドス市を目指すことになります。
包頭市のシンボル、鹿のモニュメントともお別れし・・・
バスは黄河を渡ります。
ご覧のとおり、今は近くに何本もの橋が架かってますが、植林ツアーの初期には近くに橋はなく、
鉄の箱舟を並べて鉄板を乗せた「浮橋」を渡るので車体を軽くするためバスから降りて鉄板上を歩いたり、
道路でも未舗装部分で何度も砂に埋もれてスタックし、みんなで押したりしてましたが、現在では、
片側4車線の高速道路が平行して何本も走っています。
さらに当時は郊外へ出ると、貧しい家は日干しの泥レンガ作り、ふつーの家は焼きレンガ作り、
金持ちの家になると壁はタイル張りが定番でしたが、今では・・・
どの家も真っ白な壁と赤い屋根で統一され、とてもきれいになってました。
ただ、すべて同じ色で、しかも新しいので不思議に思ってると、旅行社のT橋さんから説明があり、
新しい市長が郊外をクルマで走ってみると、あまりに家屋がみすぼらしかったので、全ての壁を白く、
屋根を赤く塗るよう指示して補助したからで、中味は昔のままとのことでした。
他にも、大規模な緑化でオルドスまでの200kmを見渡す限り植林したけど、あくまで政府要人が
高速道路を走る際に見える範囲だけで、そこに枯れた木があれば急いで緑のペンキを塗ってたとか、
いかにも現代中国らしいエピソードを話してくれてました。
そう、
あの稜線の向こうは砂漠のままなんですよね・・・
グーグルの衛星写真を見ると、すぐにわかるのですが・・・
まあ、砂を固定して道路を守るため、まず道路周辺から植林していくのは確かに基本なんですが、
政府要人に「見える範囲」とゆーのが、やはり現代中国らしいです。
と、料金所をいくつか通過・・・
料金所では何回か抜き打ちで交通警察が車内に入ってきて、シートベルト着用をチェックしてました。
厳しいですが着用率を高めるには有効ですね・・・
イタリアのアウトストラーダではTELEPASSでしたが、中国は日本と同じETCなんですね・・・
ただ後払いではなく先払いで、このETCが全国に普及する前に、すでにスマホを使う最新のITCが
あちこちで導入されているようです。
中国の高速道路は植林ツアー初期には粗末なものでしたが、今や総延長13万kmで、しかも
毎年6000km以上を延伸しているそうで、日本の高速道路の総延長が9000kmですから凄い勢いです。
こちらも現代中国らしいですねえ・・・
と、あちこちに炭鉱(跡?)が見えてくると・・・
いよいよオルドス市の中心部に近づいてきたようです。
(以下ウィキペディアより一部抜粋)
オルドス市は内モンゴル自治区西南部に位置する地級市。
黄河が北に大きく屈曲した地点にあたるオルドス高原に位置する。
2002年2月26日、伊克昭(イフ・ジョー)盟から市となった。
オルドス市の市域は(近代化以前は)遊牧の好適地であるとともに、モンゴル高原から華北、
華北からモンゴル高原に通じる交通上の要衝であり、古くは匈奴と秦・漢が争奪した地帯である。
匈奴の呼韓邪単于は、後漢に従いこの地に王庭をおいた。
15世紀にモンゴル族のオルドス部が移住してきたため、これにちなんで地名の上でもオルドスと
呼ばれるようになった。
オルドスはモンゴル語・テュルク語で「宮廷」を意味する「オルド」が語源であり、この集団は
モンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンの生前の宮廷をチンギスの霊廟として奉祀しており、
現在も成吉思汗陵が存在している。
(ただし実際の墓ではない。もともと移動式のゲルでチンギス・ハーンを祀っていたのを変更して、
周恩来とウランフの後押しで1956年にできた建物であり、遺骸は棺になく弓矢や鞍などが祀られてる。
しかし、棺を担いだオルドスの扎薩克で中国最後のモンゴル王公である奇忠義は人骨の一部が
納められていたとも証言している。)
貧困都市であったが、1990年代から石炭生産に力を入れたことで中国有数の産炭地となり、
石炭バブルによって空前の好景気に沸いた。2000年の西部大開発プロジェクトを受けて開発が進み、
人口も約30万人から200万近くに急増した。
1人当たり域内総生産(GDP)が2007年に北京や上海を抜き、2010年には香港やマカオと並ぶ
中国トップクラスとなり、バブル崩壊まで「中国一豊かな都市」と呼ばれた。
2003年から建設が始まった康巴什新区(カンバシ新区)のような巨大なニュータウンでは、
開発と不動産投資が急速に進みすぎ、人の住まない住宅が増えて鬼城(ゴーストタウン)化も
問題視されるようになっている。
『浙商網・浙江経済報道』の2013年の報道によると、石炭価格の大幅な値下がりにより
市内に35ある炭鉱の半数以上が停止しており、市の成長率は内モンゴル最下位にまで落ち込んだ
と報じられており、1,000億元以上の負債を抱え、不動産市場が崩壊しているオルドス市は危機に
瀕しており、中国の地方政府として初の破産に直面していると報じる中国メディアもあった。
・・・
ちなみに旅行社のT橋さんによると、現在の人口は40万人とのことです。
そう、不動産バブルが崩壊して石炭価格も下落、新築や建築中のまま放置された高層マンションや
高層ビルが立ち並ぶ「最新廃墟都市」で、廃墟好きとしては一度は見ておきたかったのであります。
以下、さくさくっと・・・
まだ郊外ですが・・・
建築途中で放置されてるのがお分かりでしょうか・・・
せっかくなので、動画でもご紹介・・・
この一画も見渡す限り建築中で・・・
どの棟も放置されたままです。
こちらは完成してますが、住んでるのは数世帯だそうです。まさに鬼城・・・
こちらも全ての窓ガラスがないので完成直前のまま・・・
人が住んでる気配は殆どありませんでしたが、街路樹や道路は管理されてました・・・
こちらは商店や事務所・・・
やはり無人・・・
こちらは・・・
官公庁でしょうか・・・
日曜日のせいもあるでしょうが、ほぼ無人でした・・・
オルドス市のシンボルは「馬」・・・
中心部なのでクルマは走ってましたが包頭の比ではなく、住んでる人は少なそうです。
こちらは低層の高級コンドミニアム・・・
やはり殆どが無人でした。
ま、日曜日でしたから・・・
人工湖のほとりや・・・
こちらの、
「オルドス婚礼文化園」とゆー公園施設には人も集まってましたが、やはり包頭の比ではなく、
都市規模のわりには圧倒的に少数でした・・・
こちらは日本でいう「国民体育大会」のために建てられた新しいスタジアム・・・
オリンピックの開会式でもできそうですが、以後の利用はないそうです。
ともかく・・・
日本でもバブル崩壊後に放置された建物やリゾートはありますが、規模が違いました。
この後は、120万人規模で完成しマンションなども完売したけど今は2万人しか住んでいないとゆー
最新の「カンバシ新区」に入って詳細を見る予定だったのですが、ドライバーが道を間違えたようで、
ついに時間切れとなり、たどり着くことはできませんでした。
いやあ、それにしても・・・
と、複雑な思いを抱きながら一行はさらに南下、いよいよ上記ウィキペディアの説明にもあった、
チンギス・ハーン陵(成吉思汗陵)とされるところ???に向かいます。
(以下、次号に続きます。)
この記事へのコメント
未完のマンション群を見ると核戦争後の世界を描いた「北斗の拳」みたいな感じですねぇ。
なんか勿体無いし、何か利用出来ないかと考えてしまいますが焼け石に水なんでしょうね(;´д`)
コメントありがとうございます。
動画にある一画だけでなく、200万都市の大部分が新築または建築中のままで放置されてるんですよね・・・
不動産バブルの崩壊は予測できなかったとしても、石炭需要の落ち込みは予測できたはずなんですが・・・
まあ、夕張など日本の炭鉱町もよく似た状況だったのかも知れませんが、やはり規模が違いましたね・・・