2020年01月11日
古代の鉄と神々・・・
「古代の鉄と神々」真弓恒忠著 2018年7月10日 筑摩書房・ちくま学芸文庫刊
・・・なんですが、学生社より初版が出たのは1985年、増補改訂版が出たのは1997年で、
増補改訂版から21年後の一昨年に復刊された・・・つーことになります。
以前「高師小僧」についてネットであちこち眺めてた際に、本書についての記述もあったのですが、
「残念ながら絶版で入手は困難・・・」とかあって、読むのはあきらめていたところ、昨年になって
復刊されたことを知り、さらに今年になって、ようやく借りることができたとゆー次第。
裏表紙に惹句がありました。
そう、昨年春、龍田古道を歩いた際にも気になってたのですが、やっと読むことができました。
例によって目次だけご紹介・・・
神話や祭祀の中から古代製鉄の痕跡を見出していく・・・というだけでも面白いですし、
なにせ著者は・・・
まさに専門の研究者で門外漢の書いた仮説なんぞとは異なる説得力がありました。
もちろん科学的な説明もあり、たとえば・・・
鉄の溶融点は1525℃、それに対し銅は1100℃なので弥生時代は溶融点の低い青銅器の時代・・・
とされてたのを、銅は溶融しなければ製品にはならないが、鉄は700~800℃で可鍛鉄さえ得れば、
後は熱してたたいてを繰り返せば鍛造できるので「ふいご付きタタラ」がなくても製鉄は可能だし、
700℃~800℃なら弥生土器の焼成温度と同じとかいわれると、なるほどと納得しました。
なので弥生時代から日本では鉄器を作っていたけど、青銅器や土器と異なり鉄器は錆びるので
現物が残っていないだけで、古代製鉄の痕跡は各地の神話や祭祀などに残っている・・・
と、実地も含めて検証されておられるので、じつに興味深かったです。
(2022/6の追記です。内容の一部をメモしてましたので・・・)
鉄の古語
1テツ、タタラ、タタール、韃靼系→ヒッタイト語のタクタク、タツタツより→外来語
2サヒ、サビ、サム、ソホ、ソブ系→朝鮮半島ではソボロ、ソブリ、ソハル、スウロ、ソウラ、ソウルで
本来サ行音は砂や小石の意だったが精錬鉄が貴重であったためサ・シ・ソの一音だけでも鉄を意味する。→外来語
スサノオノミコトが八岐大蛇退治に使ったのが韓鋤剣(カラサヒノツルギ)で神別名は鋤持神(サヒモチカミ)
3サナ、サヌ、サニ、シノ、シナ系→倭言葉でサナは果実の核の部分、カナサナとは外皮を鉄でまとった形状のもの、
すなわち鈴、鐸(さなぎ)で植物由来の褐鉄鉱(高師小僧)。
→サナに接頭語のイを付けて男女の神を表すギとミを付けたのが「イザナギ」と「イザナミ」
→この両神を祀った多賀神社も褐鉄鉱の産地で信濃・埴科・更科・仁科の地名も褐鉄鉱由来
4ニフ、ニブ、ニビ、ネウ→古代では硫化水銀を朱、四塩化鉛を丹、褐鉄鉱・赤鉄鉱・酸化鉄を(赤編に者)と
分類していたが一括して丹と読んだ由で産鉄地も含め全て「丹生の地」、ニブ、ミブ、ネワも同じ。
5ヒシ、ヘシ、ベシ、ペシ→ヒシ、ヘシは鉄に金編に族→竿の先に装着した鉄片のこと。
飯石川、揖斐川のイは発声上のもので本来はヒシ川、ビシ川、マレー語でbesiは鉄、ヤミ語でwasayは手斧、
スールー語basi、アーチェ語besoy、バタック語bosi、ハワイ・スンダ・マヅーラ語wesi,bosi,boseなど、
いずれも鉄を意味する南方系海洋民の言葉で、その古代鉄文化は九州から朝鮮半島西岸、山東半島まで達し、
漢民族から「東夷」として怖れられた。そのことを示すのが「史記」に記す蚩尤(しゆう)。
→山東半島の蚩尤は兵主神となり朝鮮半島南西海岸に渡来した南方系海洋民から百済系の韓鍛冶へ。
いっぽうイタテ神を祀るのは新羅系の韓鍛冶で土着の倭鍛冶の奉ずるオオナムチの神とこれらの神も融合して、
鉄の祖神スサノオノミコトになった。つまり高師小僧を使う原始的な倭鍛冶と砂鉄を使う高度な韓鍛冶の融合。
「さなぎ」のダミーである土鈴や銅鐸で褐鉄鉱の生育を祈ったのは、さらに古代からの祭祀であるが弥生時代に
農耕神となってからも続いている。
高師小僧(植物由来の褐鉄鉱)から砂鉄(磁鉄鉱)へ
・豊葦原の瑞穂の国→葦原が水田に適するだけでなく葦から生成する褐鉄鉱が農具に不可欠であったから
・オオナムチの神→三輪大社から出雲大社へ→大穴持命=大国主命=洞穴に座す神=鉄穴の神
・金山彦・金山媛の神→イザナミが火の神カグツチを生んで病になったので呼んだ神→灼熱の溶鉄の神格化
・みすずかる信濃→中央も出雲も砂鉄になったのにシナノはずっと芽刈→諏訪大社の御柱神事に鉄鐸を使う
・高師小僧・鳴石(なりわ)・鈴生り=泉南郡岬町鍛冶屋谷では壷石→黄土(はにふ)の岸と血沼(ちぬ)の海
・沼沢や湿地に面した斜面で鈴や鐸を打ち鳴らし同類を埋めてスズの豊作を祈る→アメノウズメノミコト
・鉄穴流しと藤蔓→砂鉄採取の必需品
・朝日さす夕陽かがやく木の下に・・・鉄穴師の犬・山師・山伏・修験道→吉野熊野の霊場はすべて鉱山地帯
→山伏の山岳信仰の発端は鉄探し→法螺貝、三鈷杵などは鉱脈探索の呪術
・スサノオ(砂洲から砂鉄を集める男)とオオナムチ(芽刈)の合体神話
・神功皇后の西征→4~5世紀のサヒ新羅は鉄の国、忠州鉄山が西征でいう谷那鉄山で百済を支援し手に入れた
→その後、高句麗とも争奪戦を繰り返し最終的に新羅が統一、高句麗、百済の製鉄技術者が倭へ。
・神武天皇の東遷→稲作と鉄をもたらした物語→新旧鉄文化の交代劇
・中央構造線→紀伊半島の東端、五十鈴川に伊勢神宮、西端、紀ノ川河口に国縣神宮
・北緯34度32分の太陽の道→日置氏の足跡で鉄の伝承地
・金屋子神→播磨国宍粟郡岩鍋から出雲国野義郡非田へ白鷺に乗って行ったら鉄の湧くこと限りなし・・・
・犬上、犬養、犬飼→犬を束ねる者→犬とは砂鉄を求めて山野を跋渉する者で狩猟者ではない
・弘法大師の三鈷と高野明神とふたつの丹生川
・富貴、伊吹→シャフト炉型タタラの筒の意
・住吉大神が丹生川上から播磨の国へ遷座した(播磨国風土記)→褐鉄鉱から磁鉄鉱へ移った
加古川河口から明石にかけての海浜は砂鉄の宝庫であった
・蛇と百足と三人立の説話→ニ荒山の蛇は鉄で赤城山の百足は銅、鉄文化が銅文化の優位に立った説話
・オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶は砂鉄を採取し磁鉄鉱による製鉄を行った(時)点では、
褐鉄鉱によるスズの精錬から見れば進歩的であった。
・この争いが洩矢神(鉄輪=鉄鐸)とタケミナカタ神(藤枝=砂鉄)のあらそい。
・タケミナカタは諏訪では洩矢神を敗ったが、オオナムチの神を中心とする出雲系倭鍛冶が、
兵主神やイタテ神による韓鍛冶を用いてさらに進歩した大和に勢力を譲ったのが出雲の国譲り
上垣内憲一氏の解説より
・考察の根幹は諏訪大社の鉄鐸(すず)を振り鳴らす神事が沼沢の褐鉄鉱の生成を願ったものとしたこと
・伊勢神宮の五十鈴川も三輪大社の三輪山も鉄の産地
・皇室の祖「ホノニニギノミコト」のホは稲穂とされてきたが、天孫降臨神話の「ホアカリノミコト」のホは
火で「稲と鉄」が皇室祭祀の両輪
住吉大神が遷座したとされる姫路に関する記述
・姫路市の中心にある射楯兵主神社→現在の田寺・新在家・辻井のあたりが風土記でいう「因達の里」で、
そこに鎮座するイタテ神(イタケル神)は新羅系製鉄技術者が祀った神のひとつ、
いっぽう兵主神は中国では鉄沙をもって兵器を作る鉄神・武神だが、漢民族から「東夷」として怖れられていた
鉄文化を持って山東半島に達した南方系海洋民の蚩尤(しゆう)であり、その鉄文化は朝鮮半島南西海岸にも
渡来していたので、こちらは百済系製鉄技術者の祀った神と考えられるが、この二神を合わせて祀るのは
全国でも姫路の射楯兵主神社のみで、まさに古代タタラ製鉄の中心地であった。
・その約2キロ東の市川右岸にある阿保神社→阿保は穴穂、穴太と同じく産鉄地である。
・その約2キロ下流の右岸に阿成の地名と安師神社→穴師→鉄穴師は製鉄技術者である。
・左岸約3.5キロに姫路市別所町別所→別所は産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・別所の西北、姫路市花田町小川。風土記では「少川の里」が「私の里」になった由来は、この地の私部の祖が
多々良公であったからとされており、まさに「タタラの里」であった。
・射楯兵主神社の西約3キロ姫路市今宿にも別所の地名があり、産鉄地またはタタラの食糧供給地である。
・その北方、姫路市山吹は風土記では「韓室の里」→韓室(からむろ)とは、タタラ溶鉱炉の異称である。
・姫路市北部の広峰山頂にある広峰神社は牛頭天王を祀るが、これは鉄神スサノオノミコトと附会する。
著者は日本の鉄器は弥生時代に稲作とともに普及したとされてますが、はるか稲作以前から
5000年も8000年も続いてきた縄文時代つーのは、何せ農耕なんかしないヒマな時代ですから、
(農耕革命で人類は毎日働かなければならなくなった、と「サピエンス全史」でもいってましたね。)
集落周辺に茂ってる葦を鈴なりの高師小僧なんぞと一緒に、ヒマな奴が河原でガンガン燃やして、
(キャンプ宴会とかしてたら)たまたま燃え滓にぐちゃぐちゃの不思議な塊が残ってて、ヒマなので
たたいて伸ばして遊んでたら、サヌカイトや黒曜石より丈夫で鋭利な刃物ができちゃった!!!
つーことぐらいは(ヒマな縄文時代だからこそ)、充分に考えられるハナシ・・・何せ豊葦原の国だし・・・
で、縄文時代でも黒曜石などの交易は全国規模だったので、この技術も全国に普及してたけど、
争いも農耕もなかったので、みなさん細々と楽しくやってたのが稲作以降は大規模になった・・・
そう、ヒッタイトなんかより古い鉄器の起源は、じつは縄文時代の日本刀だったのだ!!!
わはは、まいったか!!! ま、こちらはあくまで門外漢の仮説でしゅが・・・
つーことで追記・・・
「縄文人でもできる、日本刀の作り方」であります。
①湿地や沼地だったところで高師小僧や鬼板なんぞを集めてくる。
(今は天然記念物とかに指定されている地域もあるので注意)
②風通しのいい河原で石と土で露天タタラを作りガンガン焚火をして中にぶち込む。
(今は焚火や直火禁止の河川敷もあるので注意)
③さらに上からも薪を足してガンガン温度を上げる。(風向きに注意)
④ぐちゃぐちゃの醜い塊ができたら河原の石でガンガンたたいて伸ばす。
⑤石組みの焚火にぶち込んで熱してはたたいて、これを何度も繰り返す。
⑥それなりの形になったら河原の石でガシガシ刃を研いで、縄文日本刀の完成じゃあ!!!
と、可鍛鉄を得るだけでも一昼夜はかかりそうなので、どなたか一緒にやりましょう!!!
(わたくしは働かずに傍らで飲んだくれてますが・・・)
この記事へのコメント
そんな感じでしょうねd≧∇≦b
そう、キャンプでもずっと雨だったりするとけっこうヒマなので、三日三晩、
釣ったサバフグやめざしを使ったひれ酒を試行錯誤してたり、
タープに溜まる雨水を利用した「全自動食器洗い機」を工夫したりして遊んでましたからね。
ちなみに「めざし酒」は、びみょーな焼き加減に成功すると「ひれ酒」なみに美味しくなりますよ!!!
次回の熊野で(縄文日本刀製作と合わせて)一緒に試しましょう!!!
興味深く、一心にのめり込んでいます。ここ近つ飛鳥は古市古墳群、王陵の谷でもあり、古代の帰化人が定着し人、モノ、情報が集まり、文化芸術振興がなされたと思われます。目に見えるもの、みえないものから推測、検証するのも一考でしょう。いながですか?よろしく!伊藤拝
コメントありがとうございます
近つ飛鳥のあたりも古くから渡来人が住み着いていたようですね
新羅系や百済系や南方系も来て同化していく過程を古い伝承と鉄文化から捉えるというのが面白いですね