2020年11月28日
大仏鉄道遺構めぐり!!!
はじめての大仏鉄道遺構めぐり・・・ひさしぶりのハイキングでした。
そう、前回記事のとおり以前から興味があったのですが、一昨日、はじめて巡りました。
メンバーはいつものダッシュP18乗りの友人と奈良ソムリエの資格を持つ友人の計3人で、
学生時代からの史跡サークル仲間であります。
JR加茂駅に9時半すぎに集合、まずは駅前広場にある・・・
蒸気機関車の動輪前からスタート!!!
木津川市になる前の加茂町長が鉄分好きで、私費で建立して市に寄贈されたそうです。
前回記事で紹介した研究会の活動にも関わっておられたようで、遺構めぐりコースにも
あちこちに案内板が整備されてました。
おさらいのため、同所にあった大仏鉄道の説明板・・・
つーことで、今回はこの路線に沿った遺構めぐりコース約13kmを歩きます。
120年前に10年間だけ走ってた廃線遺構つーのがロマンですねえ。
ちなみに駅前広場の反対側に当時から残ってる遺構が・・・
「ランプ小屋」で、当時の蒸気機関車の照明はオイルランプだったので、その整備小屋。
可燃物のオイルも大量に保管してたので頑丈なレンガ造りだったんでしょうか・・・
大仏線も加茂駅からしばらくは現在の関西本線(JR大和路線)と並走してました。
あちこちに案内板があるのがありがたいですね。さすが鉄分好きの元町長・・・
そーいや琵琶湖東岸の某市長も東大自転車競技部の出身で周辺の市町村や県に働きかけ、
「ビワイチ」サイクリングコースの整備が一層進んだとか・・・
自治体の首長が趣味を地域に活かす、つーのは、わたくし個人的には大好きなんですが、
やはり行政としては、首長が変わってもブレないコンセプトがないと迷惑なだけ・・・
ま、サイクリングコースや廃線敷めぐりとかなら、大いに良しとしましょう!!!
と・・・
1937年製C57 56の静態展示。前照灯はバッテリーライトでしょうか・・・
(追記です。初期はオイルランプ、近代型は蒸気によるタービン発電だったようです。)
路傍の石灯籠を観察したりして・・・
関西本線(JR大和路線)の踏切を渡ります。
線路左側の草むらが廃線跡でしょうか、盛り土が2車線分になってますね・・・
いったん大仏線から離れて大きく迂回・・・
路傍の石地蔵なんぞを観察しつつ・・・
観音寺橋台へ・・・
加茂駅から約3kmで・・・
観音寺橋台に到着であります。
奥が関西本線(JR大和路線)で、まだ大仏線と並走してますが、この辺りを過ぎると本線は
トンネルを抜けて木津へ、いっぽう大仏線は山を越え丘を越え奈良までほぼ一直線・・・
そう、ほぼ一直線とはいいつつ、山あり谷ありの難所でしたから、平坦な路線ができると、
僅か10年で廃線になったんですね・・・
観音寺橋台にあった案内図であります。
現路線は木津駅へ湾曲してから平坦路を奈良駅へ、大仏線は難所をまっすぐに奈良駅へ・・・
つーのがよく分かりますね。
で、すぐ近くにある・・・
観音寺小橋台であります。
竹林を抜け・・・
じゅるじゅる・・・
かなり鬱蒼としてきて・・・
とーとつに小さな祠がありました。
右側の盛り土が大仏線跡で・・・
道路には枕木とガイドレールを利用した柵が残ってました。
そう、「まぼろしの五新線」にもありましたねえ。懐かしいなあ・・・
で、こちらが・・・
鹿背山橋台・・・勾配を少なくするための盛り土や築堤をあちこちで築いたのでしょうが、
今はどこも自然の一部になってました。
こちらも枕木とガイドレールを利用してますね。
こちらがおそらく廃線敷でしょうが・・・
遺構を続けて見るため、いったん築堤の下に降ります。
梶ヶ谷隧道であります。築堤を渡る通路用アンダーパスですね。
ポータルのレンガはイギリス積みで・・・
内部は長手積み???
反対側のポータルであります。
この築堤の上を真っ赤なイギリス製の蒸気機関車が走ってたんですねえ・・・
で、しばらく行くと赤橋で・・・
こちらはイギリス積み・・・
と、再び廃線跡に上がりました。
奥がスタートした加茂駅方面で、左手には新しい道路と公園があり・・・
きれいなトイレや東屋に大仏線のモニュメントや案内板もありました。
すでにお昼近くになってたので・・・
わたくしが最近ハマってるテキーラとポロショコラで、はじめての大休止・・・
この組み合わせは友人二人にも好評でした。ぐびぐび
ちなみに位置関係はこんな感じ。
当時の路線図を見ると、まさに加茂と奈良を結ぶ直線コースだったんですね。
さらに廃線跡を進みます。ひいひい
梅谷からは県道44号線となり廃線跡モニュメントのある歩道を歩きます。ひいひい
で、右に見えてきたのが・・・
らせん型の配水塔で・・・
大仏鉄道へのオマージュでしょうか・・・
で、この配水塔を越えると、ようやく・・・
京都府から奈良県に入りますが、びみょーなアップダウンはずっと続きます。
確かに非力な蒸気機関車には大変な難路線だったんでしょうね。
ええ、非力なわたくしにも大変な難コースでしたが。ひいひい
県境を越えると「国境食堂」つーのがあり・・・
ステーキハウスも併設されてたのですが、ここで昼食宴会をすると途中挫折は自明なので、
泣く泣く歩き続けました。ひいひい
沿道には、こんなお店もありました。
そう、アウトドアで喫茶・軽食を楽しむお店なんですね。じゅるじゅる・・・
さらに、こんなお店も・・・
ツリーハウスでもCAFE&SWEETSが楽しめるのだろうか・・・じゅるじゅる・・・
で、こちらが・・・
大仏線唯一のトンネルだった「黒髪山トンネル」のあった峠・・・
そう、今は拡幅されて切り通しになってますが、
当時はトンネルだったんですね。ちなみに上を跨ぐ歩道橋は奈良で一番の高さだとか・・・
できるだけ上まで登って、どうしても登れないところで仕方なく短いトンネルを掘るのが、
昔の鉄道の敷設方法なので、今も残るローカル線なんかは風情があるんですね。
途中でいくつかの遺構を見過ごしてますが「鹿川隧道」は、ここの案内板で・・・
ちなみにこの黒髪山には・・・
奈良市のキャンプフィールドがあるんですね・・・
奈良ドリームランド跡・・・
園内を一周してた蒸気機関車の高架でしょうか・・・ま、こちらも廃線遺構ですね・・・
わたくしが小さい頃は関西で最大の遊園地だったはず・・・懐かしいなあ・・・
で、こちらの鴻ノ池あたりから・・・
県道44号線は大仏線の廃線敷から大きく外れるので・・・
遺構めぐりコースは興福院(こんぶいん)へ・・・
そう、大仏線は興福院の前あたりを通ってたのでありますね。
ちなみにこの間にある遺構「鴻池橋台の基礎部」は見つけられませんでした。
で、興福院から南下していくと・・・
ようやく大仏駅のあった「大仏鉄道記念公園」に到着であります。ふう
ちなみに大仏線は動輪の右手あたりからナナメに来てたようで、延伸後は石碑あたりから
やはりナナメに抜けて佐保川を渡っていたようであります。
そう、この大仏駅まで開通した2年後には奈良駅までの1kmほどを延伸したので・・・
このあたりに佐保川を渡る鉄橋の遺構があるはずなのですが見つけられませんでした。
と、大仏線はJR奈良駅まで延伸してから廃線になったのですが、ここから先は遺構もなく
「JR奈良より近鉄奈良のほうが飲み屋が多い」つーことで、一行は近鉄奈良駅前へ・・・
たまたま奈良ソムリエさん御用達のお店が閉まってたので、以前正倉院展の帰りに見つけて
すっかりお気に入りになってた大和醸造の直営店へ・・・
で、まずは濃くて美味しかったIPA(インディア・ペールエール)のLサイズで乾杯!!!
で、やはり美味しかった「太陽のピザ」をばくばくと・・・
って、今回も食べる前に撮ればいいものを・・・ばくばくがつがつ
続いてダッシュP18乗りさんはSAISONのLサイズつーのを・・・
わたくしはSTOUTのLサイズを、奈良ソムリエさんはSTOUTのMサイズを・・・
もちろん、お安い各種ピザも次々と追加しました
だから食べる前に撮ればいいものを・・・げふっ
と、今回は9時半過ぎにJR加茂駅を出て2時半過ぎに近鉄奈良駅に着きましたから休憩も含め、
所要時間は約5時間、遺構めぐりコースは約13kmでしたが、途中で迷ったりもしたので、
おそらくそれ以上は歩いたでしょう。
なだらかな勾配の廃線敷がメインですが、何せ難所が多くて廃線になった路線ですから、
それなりにアップダウンもあり、途中からけっこう脚にきてました。
以前も書きましたが自転車でそれなりに漕いだ際に痛くなる部分と歩いて痛くなる部分は
けっこう異なるんですね。
少しは歩行にも慣れないと・・・ま、寒くなって自転車漕ぎもご無沙汰してるけど・・・
そう、前回記事のとおり以前から興味があったのですが、一昨日、はじめて巡りました。
メンバーはいつものダッシュP18乗りの友人と奈良ソムリエの資格を持つ友人の計3人で、
学生時代からの史跡サークル仲間であります。
JR加茂駅に9時半すぎに集合、まずは駅前広場にある・・・
蒸気機関車の動輪前からスタート!!!
木津川市になる前の加茂町長が鉄分好きで、私費で建立して市に寄贈されたそうです。
前回記事で紹介した研究会の活動にも関わっておられたようで、遺構めぐりコースにも
あちこちに案内板が整備されてました。
おさらいのため、同所にあった大仏鉄道の説明板・・・
つーことで、今回はこの路線に沿った遺構めぐりコース約13kmを歩きます。
120年前に10年間だけ走ってた廃線遺構つーのがロマンですねえ。
ちなみに駅前広場の反対側に当時から残ってる遺構が・・・
「ランプ小屋」で、当時の蒸気機関車の照明はオイルランプだったので、その整備小屋。
可燃物のオイルも大量に保管してたので頑丈なレンガ造りだったんでしょうか・・・
大仏線も加茂駅からしばらくは現在の関西本線(JR大和路線)と並走してました。
あちこちに案内板があるのがありがたいですね。さすが鉄分好きの元町長・・・
そーいや琵琶湖東岸の某市長も東大自転車競技部の出身で周辺の市町村や県に働きかけ、
「ビワイチ」サイクリングコースの整備が一層進んだとか・・・
自治体の首長が趣味を地域に活かす、つーのは、わたくし個人的には大好きなんですが、
やはり行政としては、首長が変わってもブレないコンセプトがないと迷惑なだけ・・・
ま、サイクリングコースや廃線敷めぐりとかなら、大いに良しとしましょう!!!
と・・・
1937年製C57 56の静態展示。前照灯はバッテリーライトでしょうか・・・
(追記です。初期はオイルランプ、近代型は蒸気によるタービン発電だったようです。)
路傍の石灯籠を観察したりして・・・
関西本線(JR大和路線)の踏切を渡ります。
線路左側の草むらが廃線跡でしょうか、盛り土が2車線分になってますね・・・
いったん大仏線から離れて大きく迂回・・・
路傍の石地蔵なんぞを観察しつつ・・・
観音寺橋台へ・・・
加茂駅から約3kmで・・・
観音寺橋台に到着であります。
奥が関西本線(JR大和路線)で、まだ大仏線と並走してますが、この辺りを過ぎると本線は
トンネルを抜けて木津へ、いっぽう大仏線は山を越え丘を越え奈良までほぼ一直線・・・
そう、ほぼ一直線とはいいつつ、山あり谷ありの難所でしたから、平坦な路線ができると、
僅か10年で廃線になったんですね・・・
観音寺橋台にあった案内図であります。
現路線は木津駅へ湾曲してから平坦路を奈良駅へ、大仏線は難所をまっすぐに奈良駅へ・・・
つーのがよく分かりますね。
で、すぐ近くにある・・・
観音寺小橋台であります。
竹林を抜け・・・
じゅるじゅる・・・
かなり鬱蒼としてきて・・・
とーとつに小さな祠がありました。
右側の盛り土が大仏線跡で・・・
道路には枕木とガイドレールを利用した柵が残ってました。
そう、「まぼろしの五新線」にもありましたねえ。懐かしいなあ・・・
で、こちらが・・・
鹿背山橋台・・・勾配を少なくするための盛り土や築堤をあちこちで築いたのでしょうが、
今はどこも自然の一部になってました。
こちらも枕木とガイドレールを利用してますね。
こちらがおそらく廃線敷でしょうが・・・
遺構を続けて見るため、いったん築堤の下に降ります。
梶ヶ谷隧道であります。築堤を渡る通路用アンダーパスですね。
ポータルのレンガはイギリス積みで・・・
内部は長手積み???
反対側のポータルであります。
この築堤の上を真っ赤なイギリス製の蒸気機関車が走ってたんですねえ・・・
で、しばらく行くと赤橋で・・・
こちらはイギリス積み・・・
と、再び廃線跡に上がりました。
奥がスタートした加茂駅方面で、左手には新しい道路と公園があり・・・
きれいなトイレや東屋に大仏線のモニュメントや案内板もありました。
すでにお昼近くになってたので・・・
わたくしが最近ハマってるテキーラとポロショコラで、はじめての大休止・・・
この組み合わせは友人二人にも好評でした。ぐびぐび
ちなみに位置関係はこんな感じ。
当時の路線図を見ると、まさに加茂と奈良を結ぶ直線コースだったんですね。
さらに廃線跡を進みます。ひいひい
梅谷からは県道44号線となり廃線跡モニュメントのある歩道を歩きます。ひいひい
で、右に見えてきたのが・・・
らせん型の配水塔で・・・
大仏鉄道へのオマージュでしょうか・・・
で、この配水塔を越えると、ようやく・・・
京都府から奈良県に入りますが、びみょーなアップダウンはずっと続きます。
確かに非力な蒸気機関車には大変な難路線だったんでしょうね。
ええ、非力なわたくしにも大変な難コースでしたが。ひいひい
県境を越えると「国境食堂」つーのがあり・・・
ステーキハウスも併設されてたのですが、ここで昼食宴会をすると途中挫折は自明なので、
泣く泣く歩き続けました。ひいひい
沿道には、こんなお店もありました。
そう、アウトドアで喫茶・軽食を楽しむお店なんですね。じゅるじゅる・・・
さらに、こんなお店も・・・
ツリーハウスでもCAFE&SWEETSが楽しめるのだろうか・・・じゅるじゅる・・・
で、こちらが・・・
大仏線唯一のトンネルだった「黒髪山トンネル」のあった峠・・・
そう、今は拡幅されて切り通しになってますが、
当時はトンネルだったんですね。ちなみに上を跨ぐ歩道橋は奈良で一番の高さだとか・・・
できるだけ上まで登って、どうしても登れないところで仕方なく短いトンネルを掘るのが、
昔の鉄道の敷設方法なので、今も残るローカル線なんかは風情があるんですね。
途中でいくつかの遺構を見過ごしてますが「鹿川隧道」は、ここの案内板で・・・
ちなみにこの黒髪山には・・・
奈良市のキャンプフィールドがあるんですね・・・
奈良ドリームランド跡・・・
園内を一周してた蒸気機関車の高架でしょうか・・・ま、こちらも廃線遺構ですね・・・
わたくしが小さい頃は関西で最大の遊園地だったはず・・・懐かしいなあ・・・
で、こちらの鴻ノ池あたりから・・・
県道44号線は大仏線の廃線敷から大きく外れるので・・・
遺構めぐりコースは興福院(こんぶいん)へ・・・
そう、大仏線は興福院の前あたりを通ってたのでありますね。
ちなみにこの間にある遺構「鴻池橋台の基礎部」は見つけられませんでした。
で、興福院から南下していくと・・・
ようやく大仏駅のあった「大仏鉄道記念公園」に到着であります。ふう
ちなみに大仏線は動輪の右手あたりからナナメに来てたようで、延伸後は石碑あたりから
やはりナナメに抜けて佐保川を渡っていたようであります。
そう、この大仏駅まで開通した2年後には奈良駅までの1kmほどを延伸したので・・・
このあたりに佐保川を渡る鉄橋の遺構があるはずなのですが見つけられませんでした。
と、大仏線はJR奈良駅まで延伸してから廃線になったのですが、ここから先は遺構もなく
「JR奈良より近鉄奈良のほうが飲み屋が多い」つーことで、一行は近鉄奈良駅前へ・・・
たまたま奈良ソムリエさん御用達のお店が閉まってたので、以前正倉院展の帰りに見つけて
すっかりお気に入りになってた大和醸造の直営店へ・・・
で、まずは濃くて美味しかったIPA(インディア・ペールエール)のLサイズで乾杯!!!
で、やはり美味しかった「太陽のピザ」をばくばくと・・・
って、今回も食べる前に撮ればいいものを・・・ばくばくがつがつ
続いてダッシュP18乗りさんはSAISONのLサイズつーのを・・・
わたくしはSTOUTのLサイズを、奈良ソムリエさんはSTOUTのMサイズを・・・
もちろん、お安い各種ピザも次々と追加しました
だから食べる前に撮ればいいものを・・・げふっ
と、今回は9時半過ぎにJR加茂駅を出て2時半過ぎに近鉄奈良駅に着きましたから休憩も含め、
所要時間は約5時間、遺構めぐりコースは約13kmでしたが、途中で迷ったりもしたので、
おそらくそれ以上は歩いたでしょう。
なだらかな勾配の廃線敷がメインですが、何せ難所が多くて廃線になった路線ですから、
それなりにアップダウンもあり、途中からけっこう脚にきてました。
以前も書きましたが自転車でそれなりに漕いだ際に痛くなる部分と歩いて痛くなる部分は
けっこう異なるんですね。
少しは歩行にも慣れないと・・・ま、寒くなって自転車漕ぎもご無沙汰してるけど・・・
この記事へのコメント
1. Posted by donchan 2020年11月28日 10:42
いゃアーお疲れ様でした。大仏鉄道廃線歩き、楽しみにしていました。
廃線歩きは、普通の歩きとは違った難儀さがあるように思いますが、無事完歩、おめでとうございます。
後の健啖ぶりを見るとまだまだ行けそうです。
今度は、秘境の廃線歩き、見つけてください。待っています。
廃線歩きは、普通の歩きとは違った難儀さがあるように思いますが、無事完歩、おめでとうございます。
後の健啖ぶりを見るとまだまだ行けそうです。
今度は、秘境の廃線歩き、見つけてください。待っています。
2. Posted by 98k 2020年11月28日 11:29
>donchanさん
コメントありがとうございます。
ま、山道と違って廃線跡はカーブも勾配も緩やかなので、非力なわたくしも好きなんですが・・・
この路線は難所に苦労して開通したものの平坦路線ができるとすぐに廃線になるぐらいですから、
ずっとアップダウンの勾配区間が続いてて、黒髪山あたりの勾配は25パーミルだったとか・・・ひいひい
ちなみに案内板にありましたが、関西鉄道の白石社長は広軌論者で路線唯一の黒髪山トンネルは広軌対応できるよう設計、
彼の元で働いてたのが嶋安次郎で、後に広軌による弾丸列車を計画、その息子の嶋秀雄が東海道新幹線で実現したんですよね。
まさに新幹線のルーツが、ここ黒髪山に・・・
コメントありがとうございます。
ま、山道と違って廃線跡はカーブも勾配も緩やかなので、非力なわたくしも好きなんですが・・・
この路線は難所に苦労して開通したものの平坦路線ができるとすぐに廃線になるぐらいですから、
ずっとアップダウンの勾配区間が続いてて、黒髪山あたりの勾配は25パーミルだったとか・・・ひいひい
ちなみに案内板にありましたが、関西鉄道の白石社長は広軌論者で路線唯一の黒髪山トンネルは広軌対応できるよう設計、
彼の元で働いてたのが嶋安次郎で、後に広軌による弾丸列車を計画、その息子の嶋秀雄が東海道新幹線で実現したんですよね。
まさに新幹線のルーツが、ここ黒髪山に・・・