2021年10月05日
縁食論~孤食と共食のあいだ~
とーとつですが・・・
縁食論~孤食と共食のあいだ~とゆー本のご紹介であります
藤原辰史 著 ミシマ社 2020年11月22日 初版第1刷発行
裏表紙裏にあった著者紹介・・・
ご専門は農業史・食の思想史だそうで、うちの奥様が図書館から借りてきた本・・・
恒例により朝のラジオ番組で知ったようで恒例により食卓に置いてありました・・・
例によって目次のみ・・・
タイトルどおり、孤食と家族など親密な人が集まって食べる(規制のある)共食とのあいだに
位置する食事を「縁食」と名付け、その例や在り方についてのエッセイ集のような感じで、
気軽に面白く読めました。
ま、縁食に関する話題といっても多岐にわたり、とても全ての概要は紹介できませんが、
たとえば・・・
・第2章1「公衆食堂の小史」にあった大正時代の米騒動について
→第一次世界大戦での英国艦隊による海上封鎖、ドイツUボートによる通商破壊、戦乱など
→欧州全体が食糧不足に→ドイツでは公衆食堂の誕生やセントラルキッチンの復活
→イギリス・フランスでは東南アジア植民地からの大量のインディカ米の輸入
→アジアでのインディカ米の高騰→ジャポニカ米も高騰→投機目的の買い占め
→日本ではシベリア出兵の話もあり軍用思惑による買い占めも重なってさらに高騰
→米騒動へ
→東京市の市設食堂や大阪・自彊館の簡易食堂などが誕生
→市設食堂は後の関東大震災でも炊き出しで活躍→景気回復により消滅
といったようなハナシは今回はじめて知りました。
大正時代の米騒動は日本史だけでなく欧州から派生した世界史の出来事だったんですね。
ほかにもいくつか・・・
・東日本大震災の翌年に登場した「子ども食堂」
→2016年5月には319か所だったのが、2019年6月には3718か所に
→全国の児童館数4000、小学校数2万、中学校数1万と比較しても多い
→地域のボランティアが運営費不足と人員不足に悩みながら無償もしくは安価でやっている
→貧困問題の深刻化もあるが、孤食でも共食でもない、子どもと大人の居場所でもある
・インドのシク教徒の総本山では宗教も人種も階級も職業も国籍も問わず、毎日10万食の
カレーが無料提供されており、働く人の殆どは無償ボランティアで一部は有給のシク教徒
→こんな食堂が世界に僅か7万できれば、世界中の人々が少なくとも一日一食は無償でご飯
にありつける計算になる
→マクドナルドは2013年34000店舗、セブンイレブンは2014年53000店舗で夢の話ではない
→ファーストフード店には民業圧迫だろうが生命活動を圧迫する民業は圧迫されるべき
・食糧不足ではなく毎日廃棄されている食事だけで世界中の飢餓はなくなる
・国連の食糧支援は現地で商品になることもあり無料食堂での食事として提供すべき
・食べることは本来的に消費ではない
→食が商品として大量に売られ捨てられるようになったのは、ここ数百年の間だけ
・食べものを商品化することは数値化することで値段と対応すること
→作られ過ぎると値段が下がるので市場に出る前に廃棄処分になり飢えた人には届かない
→商品になる前に別ルートがあれば・・・そもそも商品化を断念すれば・・・
→食の商品化が多くのシステムを機能不全にしている→賞味期限前の食べ物の廃棄など
・パンデミックで共食が家庭でしかできなくなった
→家族以外の人間関係を深める重要な機会のひとつを停止している
→人間が話したり食べたりする器官はウィルスにとって居心地のいい空間
→居酒屋や子ども食堂など居心地のいい場所はウィルスにとっても居心地のいい場所
→パンデミックで最も危険な場所になった
→文化はバーチャル空間より三密空間のほうが生まれやすいことを移動の制限で学んでいる
→家族が一緒に食事できるようになったという記事もあるが、これまでの残業などの働き方
が異常だった証
→ステイホームの命令形はホームに心地よさを感じない人やホームのない人には深刻な事態
・パンデミックはシングルマザーを直撃している
→自己責任は殆どなく政府の労働者保護への規制緩和と再分配の失敗によるもの
→東京を出て仕事を選ばず働けば非課税や児童手当でやっていけるはずという意見があるが
様々なリスクを無視しており「生きるな」と言っているようなもの
→新型コロナウィルスは人間の不平等をより拡大していく厄災
→子ども食堂やフードバンクは親たちにも精神的な居心地の良さを作っていた
(自分が急病に倒れても、ひとまず子どもたちが食べていける場所がある・・・)
→罪悪感が生じない社会設計のあり方の基本→縁に誘うことはできる
・何の手続きもなく普通に食にアクセスできる社会
・生命維持物質の提供に対し見返り(ありがとう)を求めない社会の設計は、生命維持物質の
生産や消費にも増して重要であり、それが「居心地の良さ」である。
・レイ・オルデンバーグの「サードプレイス」
→一番目は家庭、二番目は職場、三番目は気兼ねのないイニシエーションがいらない場所
→とびきり居心地の良い場所 the great good place
→見知らぬ人同士でも一緒に居られ、食べ物や飲み物を共有しつつ、情報を交換したり、
意見を交わしたりできる場所
→イギリスのパブ、フランスのカフェ、ウィーンのコーヒーハウスなど
(狭い場所が多いのでウィルスや病原菌にとっても「とびきり居心地の良い場所」)
(アメリカには少なかったが、この著書で各地にできた)
→常連意識が生まれて自由に振舞えるものの排除性については鈍感な著書だった
→女性や群れることが嫌いな人は除外されている
→縁食的サードプレイスは共通点もあるが、とりあえず食べ物にありつける場所
→みんなが「くれくれ」なので「有難いと思え」と言われない居心地の良さ
・パンデミックの不況と失業が襲う中、輸出制限による世界的な食糧危機も警告されている
→まさに縁食が必要なときに限って感染しやすいサードプレイスが忌避されている
→子ども食堂は政府の失敗を補う空間であったのに自粛要請・・・
(それでもフードバンクや弁当といった方法で飲食店自体が苦しい中でも救い続けている)
・アウシュヴィッツでの縁食の例(プリーモ・レーヴィ「これが人間か」より)
云々・・・
ええ、著者紹介にあった何冊かを追加で予約しましたので、いずれまた・・・
縁食論~孤食と共食のあいだ~とゆー本のご紹介であります
藤原辰史 著 ミシマ社 2020年11月22日 初版第1刷発行
裏表紙裏にあった著者紹介・・・
ご専門は農業史・食の思想史だそうで、うちの奥様が図書館から借りてきた本・・・
恒例により朝のラジオ番組で知ったようで恒例により食卓に置いてありました・・・
例によって目次のみ・・・
タイトルどおり、孤食と家族など親密な人が集まって食べる(規制のある)共食とのあいだに
位置する食事を「縁食」と名付け、その例や在り方についてのエッセイ集のような感じで、
気軽に面白く読めました。
ま、縁食に関する話題といっても多岐にわたり、とても全ての概要は紹介できませんが、
たとえば・・・
・第2章1「公衆食堂の小史」にあった大正時代の米騒動について
→第一次世界大戦での英国艦隊による海上封鎖、ドイツUボートによる通商破壊、戦乱など
→欧州全体が食糧不足に→ドイツでは公衆食堂の誕生やセントラルキッチンの復活
→イギリス・フランスでは東南アジア植民地からの大量のインディカ米の輸入
→アジアでのインディカ米の高騰→ジャポニカ米も高騰→投機目的の買い占め
→日本ではシベリア出兵の話もあり軍用思惑による買い占めも重なってさらに高騰
→米騒動へ
→東京市の市設食堂や大阪・自彊館の簡易食堂などが誕生
→市設食堂は後の関東大震災でも炊き出しで活躍→景気回復により消滅
といったようなハナシは今回はじめて知りました。
大正時代の米騒動は日本史だけでなく欧州から派生した世界史の出来事だったんですね。
ほかにもいくつか・・・
・東日本大震災の翌年に登場した「子ども食堂」
→2016年5月には319か所だったのが、2019年6月には3718か所に
→全国の児童館数4000、小学校数2万、中学校数1万と比較しても多い
→地域のボランティアが運営費不足と人員不足に悩みながら無償もしくは安価でやっている
→貧困問題の深刻化もあるが、孤食でも共食でもない、子どもと大人の居場所でもある
・インドのシク教徒の総本山では宗教も人種も階級も職業も国籍も問わず、毎日10万食の
カレーが無料提供されており、働く人の殆どは無償ボランティアで一部は有給のシク教徒
→こんな食堂が世界に僅か7万できれば、世界中の人々が少なくとも一日一食は無償でご飯
にありつける計算になる
→マクドナルドは2013年34000店舗、セブンイレブンは2014年53000店舗で夢の話ではない
→ファーストフード店には民業圧迫だろうが生命活動を圧迫する民業は圧迫されるべき
・食糧不足ではなく毎日廃棄されている食事だけで世界中の飢餓はなくなる
・国連の食糧支援は現地で商品になることもあり無料食堂での食事として提供すべき
・食べることは本来的に消費ではない
→食が商品として大量に売られ捨てられるようになったのは、ここ数百年の間だけ
・食べものを商品化することは数値化することで値段と対応すること
→作られ過ぎると値段が下がるので市場に出る前に廃棄処分になり飢えた人には届かない
→商品になる前に別ルートがあれば・・・そもそも商品化を断念すれば・・・
→食の商品化が多くのシステムを機能不全にしている→賞味期限前の食べ物の廃棄など
・パンデミックで共食が家庭でしかできなくなった
→家族以外の人間関係を深める重要な機会のひとつを停止している
→人間が話したり食べたりする器官はウィルスにとって居心地のいい空間
→居酒屋や子ども食堂など居心地のいい場所はウィルスにとっても居心地のいい場所
→パンデミックで最も危険な場所になった
→文化はバーチャル空間より三密空間のほうが生まれやすいことを移動の制限で学んでいる
→家族が一緒に食事できるようになったという記事もあるが、これまでの残業などの働き方
が異常だった証
→ステイホームの命令形はホームに心地よさを感じない人やホームのない人には深刻な事態
・パンデミックはシングルマザーを直撃している
→自己責任は殆どなく政府の労働者保護への規制緩和と再分配の失敗によるもの
→東京を出て仕事を選ばず働けば非課税や児童手当でやっていけるはずという意見があるが
様々なリスクを無視しており「生きるな」と言っているようなもの
→新型コロナウィルスは人間の不平等をより拡大していく厄災
→子ども食堂やフードバンクは親たちにも精神的な居心地の良さを作っていた
(自分が急病に倒れても、ひとまず子どもたちが食べていける場所がある・・・)
→罪悪感が生じない社会設計のあり方の基本→縁に誘うことはできる
・何の手続きもなく普通に食にアクセスできる社会
・生命維持物質の提供に対し見返り(ありがとう)を求めない社会の設計は、生命維持物質の
生産や消費にも増して重要であり、それが「居心地の良さ」である。
・レイ・オルデンバーグの「サードプレイス」
→一番目は家庭、二番目は職場、三番目は気兼ねのないイニシエーションがいらない場所
→とびきり居心地の良い場所 the great good place
→見知らぬ人同士でも一緒に居られ、食べ物や飲み物を共有しつつ、情報を交換したり、
意見を交わしたりできる場所
→イギリスのパブ、フランスのカフェ、ウィーンのコーヒーハウスなど
(狭い場所が多いのでウィルスや病原菌にとっても「とびきり居心地の良い場所」)
(アメリカには少なかったが、この著書で各地にできた)
→常連意識が生まれて自由に振舞えるものの排除性については鈍感な著書だった
→女性や群れることが嫌いな人は除外されている
→縁食的サードプレイスは共通点もあるが、とりあえず食べ物にありつける場所
→みんなが「くれくれ」なので「有難いと思え」と言われない居心地の良さ
・パンデミックの不況と失業が襲う中、輸出制限による世界的な食糧危機も警告されている
→まさに縁食が必要なときに限って感染しやすいサードプレイスが忌避されている
→子ども食堂は政府の失敗を補う空間であったのに自粛要請・・・
(それでもフードバンクや弁当といった方法で飲食店自体が苦しい中でも救い続けている)
・アウシュヴィッツでの縁食の例(プリーモ・レーヴィ「これが人間か」より)
云々・・・
ええ、著者紹介にあった何冊かを追加で予約しましたので、いずれまた・・・
この記事へのコメント
1. Posted by バスウ 2021年10月07日 07:05
一杯のかけそばならぬ、一杯のインスタントラーメンを分け合って食べた小生としては、子供食堂は必須と思います。
自分が生まれた街は夫婦共働きの所帯が多く、お隣さんで食べて来て、今日はうちにおいでとやってました。
『縁食』って良い言葉ですね。
自分が生まれた街は夫婦共働きの所帯が多く、お隣さんで食べて来て、今日はうちにおいでとやってました。
『縁食』って良い言葉ですね。
2. Posted by 98k 2021年10月08日 01:18
>バスウさん コメントありがとうございます。遅レスすみません。
昔の下町のご近所同士の付き合いは、まさにそんな感じでしたね。
今の児童の貧困はひどい状況のようで、同じ著者の「給食の歴史」にもありましたが、休み明けとかに
栄養状態が悪化している児童も多いそうで、学校給食だけが命綱だったんですね。
そんな中で苦労しながらやってた「子ども食堂」が自粛要請で危機に瀕しフードバンクや弁当でしのいでいる・・・
政治のしわ寄せを縁食でカバーしている地域ボランティアの方々には本当に頭が下がる思いです。
ま、わたくしもOFF会キャンプとか、いろんな「縁食」を大事にしたいのですが・・・(^_^;
昔の下町のご近所同士の付き合いは、まさにそんな感じでしたね。
今の児童の貧困はひどい状況のようで、同じ著者の「給食の歴史」にもありましたが、休み明けとかに
栄養状態が悪化している児童も多いそうで、学校給食だけが命綱だったんですね。
そんな中で苦労しながらやってた「子ども食堂」が自粛要請で危機に瀕しフードバンクや弁当でしのいでいる・・・
政治のしわ寄せを縁食でカバーしている地域ボランティアの方々には本当に頭が下がる思いです。
ま、わたくしもOFF会キャンプとか、いろんな「縁食」を大事にしたいのですが・・・(^_^;