2022年02月10日
実力も運のうち・・・
とーとつですが・・・
実力も運のうち~能力主義は正義か?~のご紹介であります。

発行年月日、著者、訳者、発行所については以下のとおり

初版から僅か2ヶ月で13版を重ねるベストセラーで、昨年8月の週刊文春の対談紹介記事で
読んでみたいと書きましたが、大阪の図書館では読めるまで何と200人待ち!!!だったので、
指をくわえて待っていたのですが、昨年の暮れに(本1冊より餃子10人前を選ぶ)わたくしを
不憫に思われた川端さんが貸して下さり、無事に読むことができた次第。感謝感謝
表紙カバー裏にあった惹句であります。

裏表紙カバー裏にあった著者紹介と訳者略歴紹介。

以下、恒例により目次のみのご紹介。
画像で6枚ありますが、順に見ていくと本書の論点の概要が掴めます。






素人にも分かりやすく書かれているとはいえ、政治哲学・倫理学の大著ですから、昨年の暮れに
お借りしていたものの、1月中はライトノベルを読み耽ってて、ずっとほったらかしのまま、
川端さんらとの「らんぷOFF会」の前日に、あわてて徹夜で読んだ次第。
以下、わたくしが理解できた部分のみの読後メモで、読み飛ばしや誤解も多いでしょうし、
ご覧になって興味を持たれた方は本書を熟読されるようお願いします。
序論ー入学すること
・大学入試不正事件→(連邦検事は)裏口(多額の寄付)は合法だが通用口(成績偽装など)は違法と断定
→多額の寄付によって大学は教育の質を向上させることができるから
→どちらも裕福な親を持つ子を優先するのだから、どちらも公正とは言えないはず
→では正門から入れば必ず公正であり正義なのか?
→SAT(大学進学適性試験)の成績は家計所得にほぼ比例している
→裕福な家庭はSAT準備コースに通わせ入試カウンセラーを雇いレッスンを受けさせるから
→さらに授業料は(充分な予算を持つ一握りの大学を除き)貧しいライバルには不利
→なので有名大学に正門から入ったとしても、彼らだけの手柄とは言い切れない
・裕福な家庭が求めるのは子への信託ファンドではなく有名大学が与える「能力主義の威信」
→成功は自分の努力で失敗は自分の責任と思い込んでいる→能力主義は正当なのか・・・
第1章ー勝者と敗者
・外国人嫌悪や独裁への支持の高まり→民主主義の危機
→政党や政治家の殆どが不満の原因を理解していない
→移民や多文化、グローバル化、テクノロジーによる失業への不満と思っている
→テクノクラートにはオープンかクローズか、能力主義による勝者か敗者しかない
→国民の支持を取り戻す前にテクノクラート的統治手法を見直す必要がある
・能力主義は世襲の貴族社会へと硬直化してきた
→勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや事実にそぐわない
→社会的流動性によって不平等を埋め合わせることはもはや不可能
・運命の偶然性を実感することは一種の謙虚さをもたらす
→完全な能力主義はこの感覚を損ない不当な支配へ
・1940~1980のエリートのやったこと
第二次世界大戦に勝利しヨーロッパと日本の再建に貢献、社会保障制度を強化、人種差別を撤廃、
経済成長を牽引して富裕層にも貧困層にもその恵みを施した
・その後のエリートのやっていること
大半の労働者の賃金低迷、1920年代以来なかった程の所得と富の不平等、決着のつかない戦争、
金融の自由化、金融危機、インフラ崩壊、世界最高の受刑率、民主主義の形骸化・・・
→市場主導型グローバリゼーションの難点は分配の正義の問題だけではなく、能力主義的な努力が
日常生活を構成する社会的な絆に及ぼす腐食効果・・・
・能力主義(メリトクラシー)は勝者におごりを、敗者に屈辱を育む(マイケル・ヤング)
第2章ー偉大なのは善良だからー能力の道徳の簡単な歴史
・トイレを直すのには配管工、歯の治療には歯科医を選ぶ
→無能な人物より有能な人物を選ぶ→有効性
→能力以外の偏見で選べば不平が出る→公正性
この能力主義の理想は個人がその責任を負うことを重視する
→成功は功績で苦難は悪事、富は才能と努力のしるしで貧困は怠惰のしるし・・・
→神は善に褒美を与え罪を罰する→不運は犠牲者が招いたもの・・・
・ヨブ記→能力主義の否定
→神への信仰は威厳と神秘を受け入れることで褒美や罰への期待ではない
・初期のキリスト教神学(5世紀イギリスのペラギウス)
→神は正義で全能なのに悪が存在する→悪を自由に選んだ人間の責任→罪に対する罰
→自由意志と個人の責任の擁護者→リベラリズムの先駆者とも
・アウグスティヌス→人間の自由意志を認めることは神の全能性の否定になる
→やがて教会による表面的な儀式に具体化される→感謝と恩恵から自助へ→免罪符へ
・マルティン・ルター→免罪符に対する宗教改革→救済はいかなる努力にも影響されない
→断固たる反能力主義→ジャン・カルヴァン→ピューリタンへ→アメリカへ渡る
→きわめて能力主義的な労働倫理になる→選ばれし者は神の見えざる教会に属している
→神の栄光を称える天職で働くことは救済のしるしなのだから消費せず懸命に働くべし
・プロテスタントの労働倫理と禁欲主義は資本主義的蓄積のための文化的基盤を提供
「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)
・懸命に働く自分は選ばれし者→能力主義的な発想
→カトリックの儀式、ユダヤの契約や戒律にも、その背景はある
→人間は自分に値するものを(努力で)手に入れる→富と健康は神の祝福、大災害は神の罰
・オバマケアへの反対論→善良に暮らしている人の負担を減らすべき(不健康は自己責任)
→歴史の正しい側にいるアメリカが偉大なのはアメリカが善良だから(オバマも)
第3章ー出世のレトリック
・今の「成功」への見解はピューリタンの「救済」と同じ能力主義的倫理の核心
→自分自身の努力と頑張りによって獲得される何か
→自由(自らの運命を努力によって支配する能力)、自力で獲得したものの自分へのふさわしさ
→成功は美徳のしるしであり豊かさは当然受け取るべきもの
・80年代のレーガンやサッチャーの新自由主義→個人の責任と負担へ
・90年代のブレアやクリントン→それをもっと平等な競争にするべき
→人種、階級、宗教、民族、性別、性的指向にかかわらず競争するべき
→それを可能にする教育、医療、保育などの充実・・・
→自らの努力で成功を収めた人はその見返りを得るに値する→富裕層減税と能力主義
→この能力主義と個人の責任、出世のレトリックはポピュリスト的な反発の一因になった
・能力主義に対するポピュリストの嫌悪がトランプ当選やイギリスのEU離脱へ
→能力主義エリート、専門家、知的職業階級が市場主導のグローバリゼーションや外国との
競争の試練にさらしたばかりか、功績を挙げていない人々を軽蔑して見下していると感じた
→彼らにとっての能力主義は今の社会秩序を説明するもので、将来的な目標ではなかった
→自らの立場で市場の厳しい審判を受け入れ、道徳的にも心理的にも市場に取り込まれていた
→その不平等社会への「個人責任で」とのメッセージは、連帯を阻害し自信を失わせた
→「学位が立派な仕事や暮らしへのルート」とのメッセージは、学歴偏重で労働の尊厳を傷つけた
→「社会的政治的問題は専門家に」との主張は、テクノクラート的なうぬぼれで民主主義の腐敗
・懸命に働きルールに従って行動している人が前進できないときに生じる失望
・彼らが大損したと思っているときの落胆→彼らの失敗は彼らの責任になるから
・努力すれば成功すると思っている人の割合と現実の社会的流動性の割合の違い
→アメリカではそう思っている人が多いが現実の流動性は低い、ヨーロッパではその真逆
・1940年代生まれの収入と1980年代生まれの収入の、親の収入との対比(アメリカ)
→40年代生まれは親より増えているが80年代生まれは親より減っている
第4章ー学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
・労働者の学歴を向上させ彼らもグローバル経済の競争で勝利を収められるようにする
→この数十年の間のリベラルで進歩的な政治によってなされた基本的主張
→クローバル経済の変革ではなく、それへの適応→見せかけの結果の平等
・人種差別と闘う、女性に高等教育を、同性愛者の権利向上etc・・・
→能力主義をより能力主義的にする問題では最大の成果を上げた
→拡大する所得不平等の緩和をはじめ能力主義の守備範囲に入らない分野では失敗した
・80年代から90年代に生産性は上昇したのに賃金は上がらなかった
→労働者の知性が足りなかった(教育不足)からではなく、労働者の権利が足りなかったから
・オバマ・チームとケネディ・チームの共通点→アイビーリーグの超エリートを選んだ
→ベトナム戦争の愚行、金融危機での銀行救済などの政治的判断ミス
・スマート(イギリスではクレバー)は人の知性を称賛する言葉だった
→デジタル時代が能力主義とともにやってきてモノや統治手法の描写に用いられるように
→政策が「スマート(賢い)かステューピッド(愚か)か」が「正義か不正義か」や「正しいか
間違いか」などの倫理的、イデオロギー的な対比に取って代わられるようになった
→能力主義の時代では正しいことよりスマートなことのほうが説得力を持つ
・人種差別や性差別が嫌われるようになった時代における最後の偏見が学歴偏重主義
→教育こそが社会問題の解決策であるとし、大学へ行くことの重要性を強調する
→社会的地位の低い集団が否定的に評価され、能力主義のイデオロギーが強まる
→人々は不平等を受け入れ成功は能力の反映だと信じやすくなる
→それが個人の責任だと見なされれば社会的不平等への批判を弱める
・連邦議会の人種や民族やジェンダーは多様化したが学歴や階級は多様性が低下している
→下院の95%上院の全員が大卒者で前職が労働者階級(肉体労働・サービス業・事務職)出身の
議員は下院の2%、イギリス労働党でも1979年には学位を持たないものが41%だったのが
2017年には16%になり肉体労働出身も37%から7%に→労働者の党としての性格も低下
→ドイツ・フランス・オランダ・ベルギーでも同様で能力主義時代の所産
→ヨーロッパは財産資格により参政権が制限されていた19世紀末と同じ状況に
・統治に必要なのは実践知と市民的美徳(共通善)について熟考し効率よく推進する能力
→現在の殆どの大学では、いずれの能力も養成されているとは言い難い→能力主義の神話
→政治的判断能力と名門大学に合格する能力とは殆ど関係がない→能力主義の神話
・政治の分断は学位を持つ(左派に好意的な)ものと持たない(トランプを支持する)ものに
→右派支持と左派支持は逆転したが裕福な有権者は依然として右派を支持している
→イギリスやフランスでも同様の変化
・気候変動は専門家が答えるべき科学的問題ではなく権力・道徳・権威・信頼にまつわる問題
→規制に反対する人たちは科学を否定しているのではなく政府とテクノクラート的エリートを
信頼していないから→事実について意見が一致すれば解決する問題ではない
→能力主義とテクノクラシーの失敗
第5章ー成功の倫理学(哲学・倫理学の難しい部分は省略してます
)
・貴族社会と能力主義社会
→貴族社会では農奴が貧しいのも領主が幸福なのも自分のせいではないと理解していた
→知性、機知、知恵など能力の優劣のせいではないと理解しているから、領主は自己愛に
ブレーキをかけ、農奴は従属的立場を個人的な失敗とは考えなかった
→貧しいのは体制の不正によるもの→個人の問題ではなく階級闘争へ
→能力主義社会では出世できないものに厳しい判決が宣告される→個人が劣っているからと
・能力主義への不満は理念ではなく、それが守られていないことへの不満と考えるのが普通
→しかし能力主義の理想自体が欠陥で、空虚な政治プロジェクトに過ぎないとしたら・・・
・機会が平等になれば正義にかなう社会が成立するか
→能力主義の理想にとって重要なのは流動性であり平等ではない
→不平等の解決ではなく競争の結果によって生ずる不平等の正当化である
・ハイエクの自由市場リベラリズムとロールズの福祉国家リベラリズム
→「才能と努力の許す限り出世できなければならない」→どちらも運によるものなのに
→才能の道徳的恣意性を無視し、努力の道徳的意義を誇張しているだけ
・教師の報酬とヘッジファンドマネージャーの報酬の差→功績と価値が別だから
→報酬は立派な業績に対する賞金ではなく財やサービスの経済的価値を反映した支払金
→自分の才能や努力を市場が反映するかどうかだけ→運の問題
→では価値と功績が無関係と誰もが知れば金持ちは謙虚になり貧乏人は穏やかになるか?
→自分の才能がその時代に稀なものか、ありふれたものかは自分の行いには関係がない
→しかし市場で手にできる所得にとっては、決定的な意味を持っている
→スティーブジョブスやJKローリングの例
・ヨーロッパ福祉国家の正当性が揺らいでいるのも、能力主義に民主主義が対抗できないのも、
それが必要とする連帯にふさわしい共同体意識を生み出せなくなっているから
・泥棒を罰するのは財産制度を守るため→副作用は泥棒は人格が劣悪という烙印
・外科医には雑役夫より高い報酬を払う→副作用は外科医の才能と貢献だけを称賛
→こうした態度は能力主義的態度と区別しにくくなる
・どんな技量や業績に称賛の価値があるかを決めるのは社会通念と個人の価値観の問題
→善の問題であって正の問題ではない
→正を強調すれば社会的評価は個人の道徳観の問題になって、おごりと屈辱になる
・名誉と評価の問題は分配的正義の問題と切り離すことはできない
→古くから名誉や評価の配分は最も重要な政治問題だった
・80~90年代の不運への補償というリベラル派平等主義哲学
→困窮の原因が運の悪さなのか選択の誤りなのかにかかっていた
→怠惰から働かない有能な人には公的支援をしない
→交通事故で大怪我をしても保険に入る経済的余裕があった場合は公的支援をしない
→なので自分は無力者だとアピールして自分でも思い込まないと支援を受けられない
→本人の名誉は傷つき自治を共有できる対等な市民として彼らを尊重することも難しくなる
・能力主義的な態度と規範である個人の選択と責任の強調
→勝者のおごりと敗者の屈辱に
→能力主義エリートは能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかった
第6章ー選別装置
・名門大学を能力主義の教育機関と位置付け、社会の指導者を育てることを目的とすることを
明確に打ち出したのはマンハッタン計画の科学顧問も務めたハーバード大学学長のコナント
→アメリカ社会に世襲の上流階級が生まれ知性と学識が必要な時代には不適切と判断した
→世襲エリートを打ち倒し能力主義エリートに置き換える静かな計画的クーデター
→重視したのは公立学校の選別機能→英才を選抜して奨学金を与える
・能力による流動性社会は世襲の対極にあるものの不平等の対極にあるわけではない
→能力差による不平等を正当化し、奨学金を受ける英才を称賛し、その他大勢を侮辱する
→結果的に学業成績は親の富に比例し社会的流動性は実現せず、推進力にもならなかった
・アメリカ上位100大学の学生の70%超は、所得上位1/4に入る家庭の出身者で、下位1/4に
入る家庭の出身者はわずか3%
・ビッグスリー(ハーバード、イェール、プリンストン)への労働者階級と貧困層からの入学率は
低所得家庭出身学生への授業料・部屋代・食費の無償化後でも1954年と変わっていない
・一流大学の高等教育は社会的な上昇移動には殆ど貢献していない
(州立大学の一部は入りやすく上昇移動もうまく助けているが、あくまで例外)
・学位を持たず、まともな職に就いて人並の暮らしをしたいと願う人たちを能力主義は無視する
→これは民主主義にとっても教育にとっても不健全なこと
→能力による選抜をする大学は難易度が上がる→全国から裕福な学生が集まることになる
(60年代までは自宅に近い大学に通うのが普通→学力も分散していた)
・雇用主は名門大学の選抜機能を信頼し能力主義の栄誉を評価する
→裕福な学生が多いので不平等を拡大した
→彼らにも大きな犠牲(ストレス・完璧主義・自分で勝ち取ったとの思い込み)を与えた
→能力主義的な至上命令(頑張れ、結果を出せ、成功せよ)からの精神的苦痛は大きい
(究極の幸福は金持ちになることで、そのために一流大学に進学せよ)
・ハーバードでは入学後も選別と競争が教育と学習を押しのけてしまっている
→一流大学はくじ引き入試にして職業教育・職業訓練への公的支援を充実すればいいかも
・道徳教育と市民教育の重要性は4年制大学だけの問題ではない
→アメリカ最初の大規模労働組合は工場内に公共問題を学ぶ読書室を設けることを要求した
→19世紀のアメリカ社会が平等を特徴としていたのは社会的流動性より、あらゆる階級と職業に
知性と学習が行き渡っていたことの方が大きい
→能力主義的な選別はこの種の平等を破壊してしまう
・看護師や配管工の卵が経営コンサルタントの卵より、民主主義的議論の仕方を学ぶのに
向いていないと決めつける理由はどこにもない・・・
第7章ー労働を承認する
・グローバリゼーション時代は高学歴者に豊かな報酬をもたらし一般労働者には何もなかった
→生産性は上がったが労働者の取り分は小さくなり、役員と株主の取り分は増える一方
→1970年代後半の大企業CEOの取り分は労働者の30倍、2014年では300倍
→新自由主義と能力主義が不平等への不満を押しのけてきた→2016年以降、怒りと反感へ
・1971年の白人労働者雇用率は93%、2016年は80%→残り20%のうち求職者は僅か
→中年白人男性の絶望死(自殺・薬物摂取・アルコールなど)は10年前から増える一方
→絶望死には学歴による差が大きく、貧困の増加とは関連がない
→低学歴白人労働者階級の生活様式が長年にわたり少しずつ失われてきたことの反映
→労働の世界が選別から漏れた人の尊厳を認めなくなった
→トランプが善戦したのは絶望死の比率が高い地域
・白人農民は税金と政府の配慮がマイノリティと専門職に注がれていると感じている
→アメリカンドリームの列に辛抱強く並んでたら黒人、女性、移民、難民が割り込んできた、
その割込みを許している政府指導者に怒り割り込みをなじると、エリートからは人種差別者、
田舎者、白人のクズと侮辱される
・共通善への価値ある貢献として重要なのは何か、市民として何を負っているか・・・
→トランプ政権の農務長官→福祉を削減し怠け者を困窮させれば労働の尊厳が称えられる
→リベラル派の政策提案→セーフティネットの強化、医療、介護、子育て支援の充実、
最低賃金の引上げetc・・・→それでもトランプに負けたのは何故か?
→怒りでその経済的利益を見過ごしたのか、無視したのか?
→グローバリゼーション時代に取り残されること、貢献できないことを恐れたから
・時代は生産より消費で、消費者は財もサービスも(国を問わず)安値で買いたい時代
→アメリカの生産者はやりがいがあっていい報酬の労働を望む
→新自由主義グローバリゼーションは消費者の幸福のみで生産者の幸福を顧みなかった
・購買力とセーフティネットを増して不平等の埋め合わせをするではなく労働の尊厳の回復
→共通善は消費者の幸福(嗜好)の最大化ではなく嗜好の向上改善→充実した人生へ
・アダムスミスの国富論ではなくキング牧師の(ストライキ中の)清掃作業員への呼びかけ
→「この社会が存続できるなら、いずれ清掃作業員に敬意を払うようになる」
→「仕事をしなければ病気が蔓延するから医者と同じくらい大切」
→「どんな労働にも尊厳がある」
・ヘーゲル哲学の「承認を求める闘い」
→スミス、ケインズとは異なる資本主義的労働の二つの条件
→最低限の賃金を支払うことと共通善への貢献であることが分かるようにすること
・経済成長さえすれば道徳的に賛否両論がある議論の必要がなさそうにみえるが、
→GDPの規模拡大と配分だけでは労働の尊厳を蝕み市民生活を貧しくする
→ロバート・ケネディ以後それを語る政治家はおらず、仕事を奪われるなら大学へ行き
グローバル経済で勝つ術を身につければいい、という理想主義に→2016年に敗北
→ヨーロッパでも極端な国家主義、反移民主義が台頭しグローバリゼーションは失敗
・どんな政治的プロジェクトがそれに代わるべきか?
①保守的には(共和党伝統の)自由主義の擁護を止めること
→GDP上昇、法人税減税、自由貿易推進から、低賃金への賃金補助へ
(コロナ禍でアメリカは失業保険だったがヨーロッパでは企業に賃金の75~90%を補償した
→緊急事態中でも雇用(労働の尊厳)を維持できるから)
→雇用を奪う製造業と鉱業についてもオープンからクローズドへ
②進歩的には金融は生産的でなく金融商品は経済に害を与えてるので税制度を利用し、
投機の抑制と生産的労働の称賛を行うこと
→具体的には給与税を減らし(労働が高価になる)金融取引課税を増やす
→労働より投資に課される税率が低いのは投資が経済成長に貢献しているから?
→つくる者(経済に貢献する者)と受け取る者(納税額より政府から受け取る額が多い者)
→実際の「受け取る者」の筆頭は、実体経済に貢献せず莫大な利益を得ている金融取引業界
結論ー能力と共通善
・機会の均等は不正義を正すために道徳的に必要な手段だが、善き社会の理想ではない
→障壁を破壊するのはいいことだが、それを乗り越えて出世だけを目指していると
民主主義に必要な社会的絆と市民的愛着を養うのが難しくなる
→出世できない人もしかるべき場所で活躍すべき
→機会の平等に代わる選択肢には成果の平等だけでなく条件の平等もある
→地位に無縁な人も尊厳ある暮らしができるようにすること
・社会的に評価される仕事の能力を身につけ発揮し、学びの文化を共有し仲間の市民と、
出世しようがしまいが、尊厳と文化のある生活を送れることが社会の幸福
(1931年、R.H.トーニー「平等論」より)
・議会図書館
→様々な階級の誰もが自分たちの民主主義が提供する自分たちの図書館で本を読んでいる
→これこそがアメリカンドリームである
→人民により蓄積された資源が提供する手段と、それを利用できる知性を持つ大衆
(ジェームス・トラスロー・アダムス「米国史」より)
・40年に及ぶ市場主導グローバリゼーションが不平等を生み別々の暮らしをするようになり、
互いの言い分を聞く力さえ失ってしまった
→多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要である
→それが折り合いをつけ差異を受容し共通善を知る方法
・能力主義的信念は連帯を不可能にする
→才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで自分の手柄ではないと認める
→その謙虚さが冷酷な成功の倫理と能力の専制を超えて、怨嗟の少ない寛容な公共生活へ
向かわせてくれる・・・
解説(本田由紀)より一部メモ
・日本語訳では功績主義メリットクラシーが能力主義と読み替えらている
→功績は顕在化し証明された結果であり、能力は人間の中にあって功績を生み出す原因
→これが混同されるのが日本社会の特徴
→日本はメリット(功績)の専制より能力の専制で、内在する能力という幻想・仮構に支配
されている点で、問題が(アメリカより)根深いと考えている・・・
以上、あわてて読んだ際の思いつきメモですが、新自由主義グローバリゼーションなどの
問題点とされていたものを「能力主義の台頭」という点から見てるのが、とても斬新でした。
実力も運のうち~能力主義は正義か?~のご紹介であります。

発行年月日、著者、訳者、発行所については以下のとおり

初版から僅か2ヶ月で13版を重ねるベストセラーで、昨年8月の週刊文春の対談紹介記事で
読んでみたいと書きましたが、大阪の図書館では読めるまで何と200人待ち!!!だったので、
指をくわえて待っていたのですが、昨年の暮れに(本1冊より餃子10人前を選ぶ)わたくしを
不憫に思われた川端さんが貸して下さり、無事に読むことができた次第。感謝感謝
表紙カバー裏にあった惹句であります。

裏表紙カバー裏にあった著者紹介と訳者略歴紹介。

以下、恒例により目次のみのご紹介。
画像で6枚ありますが、順に見ていくと本書の論点の概要が掴めます。






素人にも分かりやすく書かれているとはいえ、政治哲学・倫理学の大著ですから、昨年の暮れに
お借りしていたものの、1月中はライトノベルを読み耽ってて、ずっとほったらかしのまま、
川端さんらとの「らんぷOFF会」の前日に、あわてて徹夜で読んだ次第。
以下、わたくしが理解できた部分のみの読後メモで、読み飛ばしや誤解も多いでしょうし、
ご覧になって興味を持たれた方は本書を熟読されるようお願いします。
序論ー入学すること
・大学入試不正事件→(連邦検事は)裏口(多額の寄付)は合法だが通用口(成績偽装など)は違法と断定
→多額の寄付によって大学は教育の質を向上させることができるから
→どちらも裕福な親を持つ子を優先するのだから、どちらも公正とは言えないはず
→では正門から入れば必ず公正であり正義なのか?
→SAT(大学進学適性試験)の成績は家計所得にほぼ比例している
→裕福な家庭はSAT準備コースに通わせ入試カウンセラーを雇いレッスンを受けさせるから
→さらに授業料は(充分な予算を持つ一握りの大学を除き)貧しいライバルには不利
→なので有名大学に正門から入ったとしても、彼らだけの手柄とは言い切れない
・裕福な家庭が求めるのは子への信託ファンドではなく有名大学が与える「能力主義の威信」
→成功は自分の努力で失敗は自分の責任と思い込んでいる→能力主義は正当なのか・・・
第1章ー勝者と敗者
・外国人嫌悪や独裁への支持の高まり→民主主義の危機
→政党や政治家の殆どが不満の原因を理解していない
→移民や多文化、グローバル化、テクノロジーによる失業への不満と思っている
→テクノクラートにはオープンかクローズか、能力主義による勝者か敗者しかない
→国民の支持を取り戻す前にテクノクラート的統治手法を見直す必要がある
・能力主義は世襲の貴族社会へと硬直化してきた
→勤勉で才能があれば誰もが出世できるというアメリカ人の信念は、もはや事実にそぐわない
→社会的流動性によって不平等を埋め合わせることはもはや不可能
・運命の偶然性を実感することは一種の謙虚さをもたらす
→完全な能力主義はこの感覚を損ない不当な支配へ
・1940~1980のエリートのやったこと
第二次世界大戦に勝利しヨーロッパと日本の再建に貢献、社会保障制度を強化、人種差別を撤廃、
経済成長を牽引して富裕層にも貧困層にもその恵みを施した
・その後のエリートのやっていること
大半の労働者の賃金低迷、1920年代以来なかった程の所得と富の不平等、決着のつかない戦争、
金融の自由化、金融危機、インフラ崩壊、世界最高の受刑率、民主主義の形骸化・・・
→市場主導型グローバリゼーションの難点は分配の正義の問題だけではなく、能力主義的な努力が
日常生活を構成する社会的な絆に及ぼす腐食効果・・・
・能力主義(メリトクラシー)は勝者におごりを、敗者に屈辱を育む(マイケル・ヤング)
第2章ー偉大なのは善良だからー能力の道徳の簡単な歴史
・トイレを直すのには配管工、歯の治療には歯科医を選ぶ
→無能な人物より有能な人物を選ぶ→有効性
→能力以外の偏見で選べば不平が出る→公正性
この能力主義の理想は個人がその責任を負うことを重視する
→成功は功績で苦難は悪事、富は才能と努力のしるしで貧困は怠惰のしるし・・・
→神は善に褒美を与え罪を罰する→不運は犠牲者が招いたもの・・・
・ヨブ記→能力主義の否定
→神への信仰は威厳と神秘を受け入れることで褒美や罰への期待ではない
・初期のキリスト教神学(5世紀イギリスのペラギウス)
→神は正義で全能なのに悪が存在する→悪を自由に選んだ人間の責任→罪に対する罰
→自由意志と個人の責任の擁護者→リベラリズムの先駆者とも
・アウグスティヌス→人間の自由意志を認めることは神の全能性の否定になる
→やがて教会による表面的な儀式に具体化される→感謝と恩恵から自助へ→免罪符へ
・マルティン・ルター→免罪符に対する宗教改革→救済はいかなる努力にも影響されない
→断固たる反能力主義→ジャン・カルヴァン→ピューリタンへ→アメリカへ渡る
→きわめて能力主義的な労働倫理になる→選ばれし者は神の見えざる教会に属している
→神の栄光を称える天職で働くことは救済のしるしなのだから消費せず懸命に働くべし
・プロテスタントの労働倫理と禁欲主義は資本主義的蓄積のための文化的基盤を提供
「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)
・懸命に働く自分は選ばれし者→能力主義的な発想
→カトリックの儀式、ユダヤの契約や戒律にも、その背景はある
→人間は自分に値するものを(努力で)手に入れる→富と健康は神の祝福、大災害は神の罰
・オバマケアへの反対論→善良に暮らしている人の負担を減らすべき(不健康は自己責任)
→歴史の正しい側にいるアメリカが偉大なのはアメリカが善良だから(オバマも)
第3章ー出世のレトリック
・今の「成功」への見解はピューリタンの「救済」と同じ能力主義的倫理の核心
→自分自身の努力と頑張りによって獲得される何か
→自由(自らの運命を努力によって支配する能力)、自力で獲得したものの自分へのふさわしさ
→成功は美徳のしるしであり豊かさは当然受け取るべきもの
・80年代のレーガンやサッチャーの新自由主義→個人の責任と負担へ
・90年代のブレアやクリントン→それをもっと平等な競争にするべき
→人種、階級、宗教、民族、性別、性的指向にかかわらず競争するべき
→それを可能にする教育、医療、保育などの充実・・・
→自らの努力で成功を収めた人はその見返りを得るに値する→富裕層減税と能力主義
→この能力主義と個人の責任、出世のレトリックはポピュリスト的な反発の一因になった
・能力主義に対するポピュリストの嫌悪がトランプ当選やイギリスのEU離脱へ
→能力主義エリート、専門家、知的職業階級が市場主導のグローバリゼーションや外国との
競争の試練にさらしたばかりか、功績を挙げていない人々を軽蔑して見下していると感じた
→彼らにとっての能力主義は今の社会秩序を説明するもので、将来的な目標ではなかった
→自らの立場で市場の厳しい審判を受け入れ、道徳的にも心理的にも市場に取り込まれていた
→その不平等社会への「個人責任で」とのメッセージは、連帯を阻害し自信を失わせた
→「学位が立派な仕事や暮らしへのルート」とのメッセージは、学歴偏重で労働の尊厳を傷つけた
→「社会的政治的問題は専門家に」との主張は、テクノクラート的なうぬぼれで民主主義の腐敗
・懸命に働きルールに従って行動している人が前進できないときに生じる失望
・彼らが大損したと思っているときの落胆→彼らの失敗は彼らの責任になるから
・努力すれば成功すると思っている人の割合と現実の社会的流動性の割合の違い
→アメリカではそう思っている人が多いが現実の流動性は低い、ヨーロッパではその真逆
・1940年代生まれの収入と1980年代生まれの収入の、親の収入との対比(アメリカ)
→40年代生まれは親より増えているが80年代生まれは親より減っている
第4章ー学歴偏重主義ー容認されている最後の偏見
・労働者の学歴を向上させ彼らもグローバル経済の競争で勝利を収められるようにする
→この数十年の間のリベラルで進歩的な政治によってなされた基本的主張
→クローバル経済の変革ではなく、それへの適応→見せかけの結果の平等
・人種差別と闘う、女性に高等教育を、同性愛者の権利向上etc・・・
→能力主義をより能力主義的にする問題では最大の成果を上げた
→拡大する所得不平等の緩和をはじめ能力主義の守備範囲に入らない分野では失敗した
・80年代から90年代に生産性は上昇したのに賃金は上がらなかった
→労働者の知性が足りなかった(教育不足)からではなく、労働者の権利が足りなかったから
・オバマ・チームとケネディ・チームの共通点→アイビーリーグの超エリートを選んだ
→ベトナム戦争の愚行、金融危機での銀行救済などの政治的判断ミス
・スマート(イギリスではクレバー)は人の知性を称賛する言葉だった
→デジタル時代が能力主義とともにやってきてモノや統治手法の描写に用いられるように
→政策が「スマート(賢い)かステューピッド(愚か)か」が「正義か不正義か」や「正しいか
間違いか」などの倫理的、イデオロギー的な対比に取って代わられるようになった
→能力主義の時代では正しいことよりスマートなことのほうが説得力を持つ
・人種差別や性差別が嫌われるようになった時代における最後の偏見が学歴偏重主義
→教育こそが社会問題の解決策であるとし、大学へ行くことの重要性を強調する
→社会的地位の低い集団が否定的に評価され、能力主義のイデオロギーが強まる
→人々は不平等を受け入れ成功は能力の反映だと信じやすくなる
→それが個人の責任だと見なされれば社会的不平等への批判を弱める
・連邦議会の人種や民族やジェンダーは多様化したが学歴や階級は多様性が低下している
→下院の95%上院の全員が大卒者で前職が労働者階級(肉体労働・サービス業・事務職)出身の
議員は下院の2%、イギリス労働党でも1979年には学位を持たないものが41%だったのが
2017年には16%になり肉体労働出身も37%から7%に→労働者の党としての性格も低下
→ドイツ・フランス・オランダ・ベルギーでも同様で能力主義時代の所産
→ヨーロッパは財産資格により参政権が制限されていた19世紀末と同じ状況に
・統治に必要なのは実践知と市民的美徳(共通善)について熟考し効率よく推進する能力
→現在の殆どの大学では、いずれの能力も養成されているとは言い難い→能力主義の神話
→政治的判断能力と名門大学に合格する能力とは殆ど関係がない→能力主義の神話
・政治の分断は学位を持つ(左派に好意的な)ものと持たない(トランプを支持する)ものに
→右派支持と左派支持は逆転したが裕福な有権者は依然として右派を支持している
→イギリスやフランスでも同様の変化
・気候変動は専門家が答えるべき科学的問題ではなく権力・道徳・権威・信頼にまつわる問題
→規制に反対する人たちは科学を否定しているのではなく政府とテクノクラート的エリートを
信頼していないから→事実について意見が一致すれば解決する問題ではない
→能力主義とテクノクラシーの失敗
第5章ー成功の倫理学(哲学・倫理学の難しい部分は省略してます

・貴族社会と能力主義社会
→貴族社会では農奴が貧しいのも領主が幸福なのも自分のせいではないと理解していた
→知性、機知、知恵など能力の優劣のせいではないと理解しているから、領主は自己愛に
ブレーキをかけ、農奴は従属的立場を個人的な失敗とは考えなかった
→貧しいのは体制の不正によるもの→個人の問題ではなく階級闘争へ
→能力主義社会では出世できないものに厳しい判決が宣告される→個人が劣っているからと
・能力主義への不満は理念ではなく、それが守られていないことへの不満と考えるのが普通
→しかし能力主義の理想自体が欠陥で、空虚な政治プロジェクトに過ぎないとしたら・・・
・機会が平等になれば正義にかなう社会が成立するか
→能力主義の理想にとって重要なのは流動性であり平等ではない
→不平等の解決ではなく競争の結果によって生ずる不平等の正当化である
・ハイエクの自由市場リベラリズムとロールズの福祉国家リベラリズム
→「才能と努力の許す限り出世できなければならない」→どちらも運によるものなのに
→才能の道徳的恣意性を無視し、努力の道徳的意義を誇張しているだけ
・教師の報酬とヘッジファンドマネージャーの報酬の差→功績と価値が別だから
→報酬は立派な業績に対する賞金ではなく財やサービスの経済的価値を反映した支払金
→自分の才能や努力を市場が反映するかどうかだけ→運の問題
→では価値と功績が無関係と誰もが知れば金持ちは謙虚になり貧乏人は穏やかになるか?
→自分の才能がその時代に稀なものか、ありふれたものかは自分の行いには関係がない
→しかし市場で手にできる所得にとっては、決定的な意味を持っている
→スティーブジョブスやJKローリングの例
・ヨーロッパ福祉国家の正当性が揺らいでいるのも、能力主義に民主主義が対抗できないのも、
それが必要とする連帯にふさわしい共同体意識を生み出せなくなっているから
・泥棒を罰するのは財産制度を守るため→副作用は泥棒は人格が劣悪という烙印
・外科医には雑役夫より高い報酬を払う→副作用は外科医の才能と貢献だけを称賛
→こうした態度は能力主義的態度と区別しにくくなる
・どんな技量や業績に称賛の価値があるかを決めるのは社会通念と個人の価値観の問題
→善の問題であって正の問題ではない
→正を強調すれば社会的評価は個人の道徳観の問題になって、おごりと屈辱になる
・名誉と評価の問題は分配的正義の問題と切り離すことはできない
→古くから名誉や評価の配分は最も重要な政治問題だった
・80~90年代の不運への補償というリベラル派平等主義哲学
→困窮の原因が運の悪さなのか選択の誤りなのかにかかっていた
→怠惰から働かない有能な人には公的支援をしない
→交通事故で大怪我をしても保険に入る経済的余裕があった場合は公的支援をしない
→なので自分は無力者だとアピールして自分でも思い込まないと支援を受けられない
→本人の名誉は傷つき自治を共有できる対等な市民として彼らを尊重することも難しくなる
・能力主義的な態度と規範である個人の選択と責任の強調
→勝者のおごりと敗者の屈辱に
→能力主義エリートは能力主義社会に内在する侮辱に気がつかなかった
第6章ー選別装置
・名門大学を能力主義の教育機関と位置付け、社会の指導者を育てることを目的とすることを
明確に打ち出したのはマンハッタン計画の科学顧問も務めたハーバード大学学長のコナント
→アメリカ社会に世襲の上流階級が生まれ知性と学識が必要な時代には不適切と判断した
→世襲エリートを打ち倒し能力主義エリートに置き換える静かな計画的クーデター
→重視したのは公立学校の選別機能→英才を選抜して奨学金を与える
・能力による流動性社会は世襲の対極にあるものの不平等の対極にあるわけではない
→能力差による不平等を正当化し、奨学金を受ける英才を称賛し、その他大勢を侮辱する
→結果的に学業成績は親の富に比例し社会的流動性は実現せず、推進力にもならなかった
・アメリカ上位100大学の学生の70%超は、所得上位1/4に入る家庭の出身者で、下位1/4に
入る家庭の出身者はわずか3%
・ビッグスリー(ハーバード、イェール、プリンストン)への労働者階級と貧困層からの入学率は
低所得家庭出身学生への授業料・部屋代・食費の無償化後でも1954年と変わっていない
・一流大学の高等教育は社会的な上昇移動には殆ど貢献していない
(州立大学の一部は入りやすく上昇移動もうまく助けているが、あくまで例外)
・学位を持たず、まともな職に就いて人並の暮らしをしたいと願う人たちを能力主義は無視する
→これは民主主義にとっても教育にとっても不健全なこと
→能力による選抜をする大学は難易度が上がる→全国から裕福な学生が集まることになる
(60年代までは自宅に近い大学に通うのが普通→学力も分散していた)
・雇用主は名門大学の選抜機能を信頼し能力主義の栄誉を評価する
→裕福な学生が多いので不平等を拡大した
→彼らにも大きな犠牲(ストレス・完璧主義・自分で勝ち取ったとの思い込み)を与えた
→能力主義的な至上命令(頑張れ、結果を出せ、成功せよ)からの精神的苦痛は大きい
(究極の幸福は金持ちになることで、そのために一流大学に進学せよ)
・ハーバードでは入学後も選別と競争が教育と学習を押しのけてしまっている
→一流大学はくじ引き入試にして職業教育・職業訓練への公的支援を充実すればいいかも
・道徳教育と市民教育の重要性は4年制大学だけの問題ではない
→アメリカ最初の大規模労働組合は工場内に公共問題を学ぶ読書室を設けることを要求した
→19世紀のアメリカ社会が平等を特徴としていたのは社会的流動性より、あらゆる階級と職業に
知性と学習が行き渡っていたことの方が大きい
→能力主義的な選別はこの種の平等を破壊してしまう
・看護師や配管工の卵が経営コンサルタントの卵より、民主主義的議論の仕方を学ぶのに
向いていないと決めつける理由はどこにもない・・・
第7章ー労働を承認する
・グローバリゼーション時代は高学歴者に豊かな報酬をもたらし一般労働者には何もなかった
→生産性は上がったが労働者の取り分は小さくなり、役員と株主の取り分は増える一方
→1970年代後半の大企業CEOの取り分は労働者の30倍、2014年では300倍
→新自由主義と能力主義が不平等への不満を押しのけてきた→2016年以降、怒りと反感へ
・1971年の白人労働者雇用率は93%、2016年は80%→残り20%のうち求職者は僅か
→中年白人男性の絶望死(自殺・薬物摂取・アルコールなど)は10年前から増える一方
→絶望死には学歴による差が大きく、貧困の増加とは関連がない
→低学歴白人労働者階級の生活様式が長年にわたり少しずつ失われてきたことの反映
→労働の世界が選別から漏れた人の尊厳を認めなくなった
→トランプが善戦したのは絶望死の比率が高い地域
・白人農民は税金と政府の配慮がマイノリティと専門職に注がれていると感じている
→アメリカンドリームの列に辛抱強く並んでたら黒人、女性、移民、難民が割り込んできた、
その割込みを許している政府指導者に怒り割り込みをなじると、エリートからは人種差別者、
田舎者、白人のクズと侮辱される
・共通善への価値ある貢献として重要なのは何か、市民として何を負っているか・・・
→トランプ政権の農務長官→福祉を削減し怠け者を困窮させれば労働の尊厳が称えられる
→リベラル派の政策提案→セーフティネットの強化、医療、介護、子育て支援の充実、
最低賃金の引上げetc・・・→それでもトランプに負けたのは何故か?
→怒りでその経済的利益を見過ごしたのか、無視したのか?
→グローバリゼーション時代に取り残されること、貢献できないことを恐れたから
・時代は生産より消費で、消費者は財もサービスも(国を問わず)安値で買いたい時代
→アメリカの生産者はやりがいがあっていい報酬の労働を望む
→新自由主義グローバリゼーションは消費者の幸福のみで生産者の幸福を顧みなかった
・購買力とセーフティネットを増して不平等の埋め合わせをするではなく労働の尊厳の回復
→共通善は消費者の幸福(嗜好)の最大化ではなく嗜好の向上改善→充実した人生へ
・アダムスミスの国富論ではなくキング牧師の(ストライキ中の)清掃作業員への呼びかけ
→「この社会が存続できるなら、いずれ清掃作業員に敬意を払うようになる」
→「仕事をしなければ病気が蔓延するから医者と同じくらい大切」
→「どんな労働にも尊厳がある」
・ヘーゲル哲学の「承認を求める闘い」
→スミス、ケインズとは異なる資本主義的労働の二つの条件
→最低限の賃金を支払うことと共通善への貢献であることが分かるようにすること
・経済成長さえすれば道徳的に賛否両論がある議論の必要がなさそうにみえるが、
→GDPの規模拡大と配分だけでは労働の尊厳を蝕み市民生活を貧しくする
→ロバート・ケネディ以後それを語る政治家はおらず、仕事を奪われるなら大学へ行き
グローバル経済で勝つ術を身につければいい、という理想主義に→2016年に敗北
→ヨーロッパでも極端な国家主義、反移民主義が台頭しグローバリゼーションは失敗
・どんな政治的プロジェクトがそれに代わるべきか?
①保守的には(共和党伝統の)自由主義の擁護を止めること
→GDP上昇、法人税減税、自由貿易推進から、低賃金への賃金補助へ
(コロナ禍でアメリカは失業保険だったがヨーロッパでは企業に賃金の75~90%を補償した
→緊急事態中でも雇用(労働の尊厳)を維持できるから)
→雇用を奪う製造業と鉱業についてもオープンからクローズドへ
②進歩的には金融は生産的でなく金融商品は経済に害を与えてるので税制度を利用し、
投機の抑制と生産的労働の称賛を行うこと
→具体的には給与税を減らし(労働が高価になる)金融取引課税を増やす
→労働より投資に課される税率が低いのは投資が経済成長に貢献しているから?
→つくる者(経済に貢献する者)と受け取る者(納税額より政府から受け取る額が多い者)
→実際の「受け取る者」の筆頭は、実体経済に貢献せず莫大な利益を得ている金融取引業界
結論ー能力と共通善
・機会の均等は不正義を正すために道徳的に必要な手段だが、善き社会の理想ではない
→障壁を破壊するのはいいことだが、それを乗り越えて出世だけを目指していると
民主主義に必要な社会的絆と市民的愛着を養うのが難しくなる
→出世できない人もしかるべき場所で活躍すべき
→機会の平等に代わる選択肢には成果の平等だけでなく条件の平等もある
→地位に無縁な人も尊厳ある暮らしができるようにすること
・社会的に評価される仕事の能力を身につけ発揮し、学びの文化を共有し仲間の市民と、
出世しようがしまいが、尊厳と文化のある生活を送れることが社会の幸福
(1931年、R.H.トーニー「平等論」より)
・議会図書館
→様々な階級の誰もが自分たちの民主主義が提供する自分たちの図書館で本を読んでいる
→これこそがアメリカンドリームである
→人民により蓄積された資源が提供する手段と、それを利用できる知性を持つ大衆
(ジェームス・トラスロー・アダムス「米国史」より)
・40年に及ぶ市場主導グローバリゼーションが不平等を生み別々の暮らしをするようになり、
互いの言い分を聞く力さえ失ってしまった
→多様な職業や地位の市民が共通の空間や公共の場で出会うことは必要である
→それが折り合いをつけ差異を受容し共通善を知る方法
・能力主義的信念は連帯を不可能にする
→才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで自分の手柄ではないと認める
→その謙虚さが冷酷な成功の倫理と能力の専制を超えて、怨嗟の少ない寛容な公共生活へ
向かわせてくれる・・・
解説(本田由紀)より一部メモ
・日本語訳では功績主義メリットクラシーが能力主義と読み替えらている
→功績は顕在化し証明された結果であり、能力は人間の中にあって功績を生み出す原因
→これが混同されるのが日本社会の特徴
→日本はメリット(功績)の専制より能力の専制で、内在する能力という幻想・仮構に支配
されている点で、問題が(アメリカより)根深いと考えている・・・
以上、あわてて読んだ際の思いつきメモですが、新自由主義グローバリゼーションなどの
問題点とされていたものを「能力主義の台頭」という点から見てるのが、とても斬新でした。