今日は5月51日!!!東アジアの農村

2022年06月23日

日本の農村・・・

とーとつですが・・・

日本の農村~農村社会学に見る東西南北~とゆー本を読みました


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著者、発行所、発行年月日などは奥付にあるとおり・・・

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昨年5月の第1刷発行なので、けっこう新しい本です




表紙カバー裏にあった惹句

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ええ、日本農村社会学の総括だそうであります



裏表紙カバーにあった著者紹介

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例によって目次のご紹介

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著者自身の研究も含め、日本の農村に関する古今の研究を総括されてます。


わたくしには農業や農村暮らしの経験はありませんが、子どもの頃によく訪れていた
泉州にある親の郷でも、高度成長期半ばぐらいまでは(兼業でしたが)農業をしてましたし、
山歩きや川下りで小さな農村集落に入ると、なぜかとても懐かしい気持ちになりますし、
これは植林ボランティアで行ったアジアの農村でも同じでした。

それで自分が知っているつもりの昔の泉州の農村との違いや、各地での生活、歴史などに
興味もあったので、たまたま雑誌の紹介で知って読んでみた次第。

目次でもおわかりのとおり、専門家が日本各地の農村の成立や特徴などの様々な研究を
整理紹介された本ですが、以下はわたくしが興味があった部分のランダムなメモです。


・岩手県八幡平市「石神集落」の研究(1935~有賀喜左衛門)→同族団の農村として

・江戸時代の村の範囲は明治の町村制で大字の範囲に(一般には部落に)
→その中に組や小字がある
→生産と生活を営むためのまとまり→水利、入会林野、共同作業など→自然村

・東北型と西南型→この分類には対比的把握の課題が残る・・・
→秋田県下川村T集落と岡山県吉備町旧川入村の研究(1946~福武直)

・東北型→村は郷中→同族団と地主小作関係→本家、分家、同族神、産土神
→同族結合的部落

・西南型→分家は妻帯直後になされ土地の分与も多い→東北型とは逆
→土地の生産力が高く(多くの労力を要さず)貨幣経済の酷さが流出を促進し余地もあるから?
→共同が同族団ではなく近隣組織で行われる→各講中→講組結合的部落

・農村変動の研究(1990松本通晴)
→近畿の村落の特徴は宮座、同族結合、親方子方、講組結合
→宮座→大字に存在する氏神の祭礼を主催する組織
→京都では株座の存続は弱く、滋賀では順番制で年齢順に役割分担、奈良では家筋が多く、
和歌山は三重同様に氏神整理が進んだので株座は少ない
→同族組織→北部と南部で呼び名が異なるが近畿にも存在する
→親方子方→同族は家単位だが親方は人望や経済力のある個人
→都市に出ても規範は残る→但馬出身者による京阪都市圏での餅系食堂の繁栄

→講組結合→葬式、盆踊り、寄り合い、共同作業などだが今は少ない

・京都府綾部市十倉集落の研究(鈴木俊道)
→4つの最寄があり、その下に組がある
→最寄は同族株から、株は本家と分家の連合から

・高知県仁淀村→田畑へのスギ植林規制→スギの単植が村の環境を破壊するから

・沖縄の農村→1609年の「薩摩入り」により大洋交易国家から農業国家に→村切り
→土地保有のできない小農請負制で家による格差は生じない→人頭割→核家族集団の村
→儀礼・祭祀では長男継承の直系家族だが経済的・法制的性格を欠く→耕地より位牌
→古琉球時代は小集落→村落→耕地や水系は周辺に分布→グスクを頂点とする組織の末端
→東南アジアにおける人口移動→開墾→新集落形成→障害発生による再移動のパターンに近い

・北海道の農村→アイヌ民族のイオール(漁猟圏)を開墾した農事組合型村落→農協に従属
→同じ区画道路沿いの自然発生的な付き合いと部落を越えた同じ郷里同士の付き合い
→府県では村落が農家を規定するが北海道では農家のあり方が村落のあり方を規定する

・白川村の大家族
→養子には使用人・奉公人も含まれており血縁関係だけではない
→母屋での共同作業時以外は小屋で別に暮らしており同居大家族でもない
→大家族がピークになったのは明治30年代で生糸など近代日本資本主義の成立期
→与えられた厳しい環境に対処するための生活の仕組み

・西南九州の末子相続
→薩摩の門割制、生産性の低いシラス地帯→経営体としての家は確立していない
→子孫に残す緊要性はなく、末子に限らず並列的

・鹿児島・沖縄・東南アジア・タイの類似性
→日本の他地域との対比で言えば「家の不成立」が特徴的

・家と村の成立(庄内地方)
→弥生時代の土木技術では広い水田で粗放な稲作
→室町時代には農民の水の神様が上部権力によって八幡神社として上書きされた
→田地や居住地は水利条件によって、あちこちに散在していた
→江戸時代初期に検地や村切り、村の連帯責任としての年貢
→元禄に入る頃、下人労働による粗放な大規模経営から規模を縮小、集約化した家族経営へ
→不足する季節労働力は奉公人の雇用、すけ、ゆいなど→村が重要な役割に
→稲作の集約化が進む元禄年間、一子相続の藩規制もあり日本的意味での家が始まった

・地主制
(庄内地方)
→元禄期に米の需要が増加、奉公人の年給高騰・減少で地主が田地を貸す小作が広がった
→地主は本家分家での家族経営から小作料経営に、一子相続による家の安定を目指す

・村の設定、村請制
(庄内地方)
→中世以降の検地と年貢→村を越える有力者は大きな障害で基本単位を村請に→村切り
→村の協議で選ばれた肝煎(村役人)が村の代表になり事実上の自治が認められていた
→有力者の意向ではなく村中の家々の協議によって意思決定される
→重要なのは水(稲作)草(餌・肥料)人(労力)だが、すべて公平な方法で慎重に決めていた
→萱草刈なども何年も試してみて環境破壊・資源枯渇がないことを確認し実施していた
→近世江戸時代の村は作られたものだが、その後の自治で形成された自然村でもある

・神社と寺
(庄内地方)
→村の神社はひとつだが寺は家によって異なる→家の成立歴史が異なるため
→全戸が同一檀家の村もある
→村の同族団に関わるのが寺であり、地縁組織としての村に関わるのが神社

・家と村の近代
(庄内地方)
→明治初年の地租改正・村合併→その後の町村制→行政区画としての村の規模は大きくなり、
農民の生活と生産の場としての村は大字(一般には部落)になった。
→なので地縁に関わる神社の合併には容易な同意は得られなかった

・家の後継者と婿取り
(庄内地方)
→近世末から明治初年の当主と後継者の年齢差は27歳ぐらい
→当主が30半ばになっても男子が生まれなかった場合に養子を迎える事例が多い
→この年齢差で世代交代することが(男子労働力として)必要だったから
→直系家族が多いが養子に嫁を迎える例もあり、血統は切れても集団としての家は継承される
→非後継者で他家と縁組できなければ、家で配偶者を持たないまま一生を終えるしかない
→離縁も多いが再婚・再縁組も多く、離縁は決定的な否定評価ではなかった
→明治民法に規定された家ではなく、協業経営体・生活実態としての家
→明治民法に規定された嫡長男による相続は、農業経営の実態とたまたま一致した場合のみ

・地主と明治町村制
(庄内地方)
庄内地方は戦後の農地改革まで地主王国だったが規模は様々だった
→巨大地主は行政区画には関係なく、村の権力権威を追求したのは中小地主だった
→地主は農事改良(乾田馬耕)に熱心だったが、やがて寄生地主として安住するようになる
乾田馬耕のための耕地整理がすすむ→稲作以外の畑や肥料飼料用原野などの減少

・小作農民の暮らし(庄内地方)
→稲作だけでは暮らせないので様々な副収入を探すが貧しいまま
→次三男が出ていく先は昭和初期には軍隊か大陸が多かった→侵略地は余剰人口の捌け口
→村の大部分が小作農民になり村ぐるみの小作争議に発展→大正末期は農民組合運動の高揚期
→性格の異なる産業組合に併合したが準戦時体制になり国が統制と貯蔵の奨励や融資を開始
→戦時体制になり交換分合と自作農創設が推進される
→戦地動員による労働力不足で交換分合は農民側としても必要になっていた
→所有権の論理と耕作の論理が交錯した
→自作農創設維持資金の活用で小作争議のあった地主などは次々と手放した
→最終的には占領軍の権力による農地改革により自作農の積極性が発揮され農業発展に

・地主小作関係のまとめ
→岩手県石神では本家分家関係と表裏一体の
地主小作関係で家族的経営
→山形県庄内では小作料を収めるので貧しかったが自立的経営で地主とは利害が対立
→小作争議は全国で弾圧されたが庄内では国策に乗り産業組合に転進、戦後の農協を準備した
→農民運動といっても担い手の性格により様々な歴史的役割を果たしたのである

・家と村の戦後、そして今
(庄内地方)
→大正生まれの女性は小学校高等科まで進むようになってたが、その後は裁縫などを習い、
20歳前に嫁に行くのが一般的だった→つらい嫁生活と戦時中の男子に替わる重労働
→復員した青年、新制中学を出た青年の多くは公民館などに開設された青年学級に通った
→新生活運動→嫁の待遇改善、公民館結婚式の普及、若勢部屋の待遇改善など
→農協青年部→自家労働評価→青色申告運動→経営実態の把握→共同多角経営へ
→どれも家の問題がネックで過剰投資、機械化貧乏、労働力の流失も農家経済を圧迫
(1960年からの数年は安保改定、一部農産物の輸入自由化、IMF勧告、農業基本法制定など、
農業・農村にとっても大きな転換点だった)
→集団栽培への期待→水稲集団栽培へ(共同の田植・防除・小型トラクター購入から)
→村(部落)単位の仕事として取り組まれたのが庄内の特徴
→法人ではなく、家を基本に村を場にして、協議、契約、共同する
→これは庄内の村が持つ長い経験を活用したもの
→集団栽培は使命を終えて解体したが家や村は残っている

(各地の動向)
・1965年に全国最高10アールあたり平均反収を記録した佐賀県
→新技術などの多面的な展開と米作り集団組織化→3段階
①県内2600の伝統的部落に依存した実行組合を目的集団化し実践組合を作る
②機能集団化、報酬化、役員などの組織整備、作業の共同、共同利用機械の購入、技術研究
③高度近代化、協業組織化、大型機械の導入、専門化、分担の明確化、裏作畜産園芸との結合

・富山県平坦部での構造改善を契機とする大型機械化(1969)
→労働力節減と機械化のための生産費増は兼業の内的要因になる→生産主体が消滅しつつある

・愛知県安城市からの大型機械化営農~集団栽培から作業委託へ~
→佐賀富山と同じく高水準化、増収を目指していたが、営農集団は無償を原則とする共同体
原理との矛盾がある
→これは専業農家と兼業農家との間に対立的なものがあることを示している
→集団栽培はいずれ崩壊し、完全な請負、信託にならざるを得ないのではないか
→機械オペレーター集団の収入の低さと不安定性(仕事は2ヶ月)
→名古屋市近郊で土地も高く資産管理目的も増え、耕作農民に寄生しているごとき層も
→集団営農は零細耕作を保障するとともに脱農してしかるべき層も抱え込んでいる

・新潟県蒲原における請負耕作
→他地方と異なり集団的方式の展開に先立ち個別規模拡大の展開が強く見られる
→拡大方法は土地購入と請負耕作
→農地改革に続く用排水分離、大型化、集団化などの土地基盤整備は経営意欲を刺激した
(庄内の基盤整備は明治大正期だった)
→農地改革の基盤整備は小型中型機械に最適で労働力の減少や賃金高騰をカバーした
→機械化は当然に生産費増をもたらし、さらなる経営規模拡大を要請した
→初期には農地拡大もあったが地価高騰で資産化し停滞、小規模農家や兼業農家は技術革新に
ついていけず、請負耕作が拡がることになる
→上層農家の個別経営型による前進意欲は強く依然として支配的だが今後も続くかは疑問

・夫婦家族連合としての家
(庄内地方)
→1970年代初頭以降、日本の農政としては未曽有の米の生産調整に
→様々な就労構成になり家計構造も多元化したが持ち寄りによる家の家計は維持されていた
→生活水準を超えた利益は蓄積されず農業経営の目的は生活
→主会計は生活費で超えた所得は別勘定→後継者夫婦の農外収入や老夫婦の農業者年金など
→主会計は家長が管理するので世帯主が一番苦しいと聞かされたが、別勘定による夫婦での
余暇活動などは活発で、生活組織としての家を形成しながら夫婦単位の行動をしている

・家族内役割分担
(庄内地方)
→多くの嫁は外で働き貴重な現金収入をもたらしていた
→家によっては稲作、畜産にも関わるが補助的、園芸では基幹的役割もあった
→専業主婦以上の責任と地位により自信と意欲がある
→家事労働の主役はむしろ姑たちで食事の支度や孫の養育
→高齢や介護でこの役割分担が崩れた場合には、嫁世代に過重な負担がかかる
→恋愛結婚で非農家からの嫁入り婿入りも増えており、結婚形態が変化すれば家も変化する
→世代間役割分担だけでなく性的役割分担もかなり明確に存在し、批判も肯定もあった
→今日でも村で家を代表する仕事は男性だが、家で重要な役割の果たすようになった女性の
日本の農業や農業経営に果たす役割はますます大きくなる

・村は今
(庄内地方)
→庄内の村での同族団の力は弱く、村の寄り合い契約による規制が強かった
→水の苦労などはなくなり家の自立化は進んでいるが、村がなくなったわけではない
→しかし家の変化に対応して村も多元化した
→意思決定する自治組織が家長層が出る部落会と後継者層の生産組合に二元化
→家の最終責任を担う家長層と稲作の責任を担う後継者層という分化
→これも夫婦家族連合としての家の現況を反映している

・山形県櫛引町西荒屋の直売所の女性たち
→農業の中心は稲作だが野菜や果樹との複合経営が特徴で藩の時代から
→公設民営直売所は1997年からで、かつては女性が売りに行く振り売りが盛んだった
→初年度から剰余金を出すほど成功し、勤めを辞めて農業をする女性もでてきた
→参加農家の家族構成は5人から8人、夫婦2世代から3世代の直系家族
→他の集落では農業機械は個人所有が顕著だが西荒屋では2~3戸での共同所有が多い
→直売所に参加して収入は増えたが忙しくなったと答える人が多かった
→家族内に労力があるかどうかが直売所参加の分水嶺
→夫婦二人の労力が使えるのは親世代の母が家事基幹を引き受けているから
→農協は持って行くだけで売る喜びはない
→直売所は自分で値段を決められるが売れないリスクも負う
→直売所は各地でブームだが参加していない農家はどのような今後の方向を模索するのか

・集落営農の動向
(庄内地方)
→共同化の範囲が担い手不足から部落間にまで拡がっている
→農業機械が一層大型化している
→担い手不足でも法人化で集落の誰かが経営を継承していける可能性が出てきた
→稲作だけでなく複合作物の導入や販売も必要
→高い地代を是正しオペレーター賃金や雇用労賃に配分して労働インセンティブを高める

・「おわりに」より
→様々な農業の姿があったが雇用労働力による大農場はなかった
→中世から近世初期には家来をともなう大規模経営、近世江戸時代初期でも非血縁を含む
同族団で形成される農村の地方があった
→しかし近世の過程を経る中で、耕作の集約化によって個別の家による経営が確立し、
それらの家々による村が時代・地方に適合化して、親から子へ継承される家が確立、
村も伝統的な習俗を蓄積して、その継承でそれ自体の存続が図られた(東海や関西)
→沖縄での家と村の未確立や白川村の大家族、西南九州の不定相続は生活条件によるもの
→どの地方でも
雇用労働力による米の大農場は形成されなかった
(家々による自然村規模が最適だった?)
→1992年にアメリカ・カリフォルニアで米農場を経営していた鯨岡辰馬の「アメリカ式」
大農場(2800ha)を見学した
→水は遠くシェラネバダ山脈から引いた巨大水路から買い、時期をずらせた種蒔きは飛行機、
労働者は殆どがメキシカンだった
→この少し前に彼は「コメ自由化はおやめなさい」という著書を刊行している
→当時の日本は貿易自由化を推進するアメリカとの間で揺れ動いていた
→ほぼ30年後の2018年に国連で「小農と農村で働く人々の権利に関する宣言」が採択された
→小農とは、この本の主題である農村を形作っている農家のこと
→様々な歴史を経てきた農家と農村であるが、確固として存在しているのである





m98k at 20:30│Comments(0) mixiチェック 書斎 | わからないもの

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