2022年08月20日
ジブリの教科書1
とーとつですが・・・
「ジブリの教科書」1のご紹介であります。
ええ、文春ジブリ文庫「ジブリの教科書」シリーズの中から、とりあえず8月は3冊、
1「風の谷のナウシカ」、2「天空の城ラピュタ」、7「紅の豚」を借りたもので・・・
わたくしジブリの宮崎駿作品は大好きで、いわゆる「宮崎本」についても、かなり以前に、
こんな本は読んだことがあったのですが・・・
この猛暑では読書する気力も失せ、8月に入ってからは、YouTubeの岡田斗司夫チャンネル
(の無料部分
)なんぞを観つつ聴きつつ、毎晩明け方まで飲んだくれる日々が続いておりました。
(ちなみにこのチャンネル、無料部分だけでも膨大な情報量で、たとえば冒頭5分のシーンを
90分かけて解説したりと、オタキングの名に恥じないマニアックぶりが飽きません
)
で、ジブリ作品解説の中で何度か引用されてたのがこのシリーズで、ほぼ作品数と同じ冊数が
出てるんですね。わたくしこれまで知りませんでした。
つーことで猛暑の中を図書館まで足を運び、とりあえず3冊をまとめ借りしてみましたが、
内容が濃く、初めて見るカラー図版や絵コンテなどもいっぱいで楽しめました。
とりあえず今回はジブリの教科書1「風の谷のナウシカ」(1984年公開)のご紹介であります。

文芸春秋社2013年4月10日第1刷発行で、ナビゲーターは立花隆
例によって目次のみのご紹介



この1に限らず、なにせ「ジブリの教科書」ですから宮崎駿本人の話、制作に関わった人の話、
絵コンテや詳細な分析や評論などが満載でしたが、ごく一部の読後メモのみ・・・
(岡田斗司夫なんか詳細にメモしてるんだろうけど、こっちはてきとーです)
内田樹「アニメーション(映画)作品と原作コミックス(マンガ)作品の違い」より
・映画は明るいがマンガは暗い
・映画は分かりやすいがマンガは分かりにくい
・映画はわりとさらさらしてるけどマンガはやたらどろどろしている
→アニメにできない漫画をアニメージュで連載していたと本人が言っている
→アニメーター泣かせなのは、よくわからないもの、戦闘・・・これらを削ってアニメに
→ナウシカの戦争のモデルはロシアだけでも2千万人が死んだ独ソ戦と本人が言っている
・アニメ化の可能性が少しでもあれば無意識のうちに作画上困難な画題を回避する
→映画の完成後、マンガの続編は描くがアニメ化はしないと本人が断言している
(確かにアニメから12年かけたコミックス作品の全巻を読むと違いがわかります。
上記リンク記事にも書きましたがコミックス作品は完結というより問題提起で終わってて、
小松左京の一連の作品同様、生命論つーか哲学的でアニメ作品とは別物ですね。)
立花隆「宮崎作品とアニミズムについての」より
・本人が好きだけど(これまで)入り込むことを避けていたアニミズム世界
→本人は映画ナウシカの最後が宗教絵画になったことに納得できなかった
→その後も追い詰められたがイマジネーションパワーの大爆発で切り抜けた
→アニミズム世界を素直に童心に返って受け入れること(となりのトトロ)から、
→日本人の自然観の根底にあるアニミズムを歴史的背景の中で形象化し(もののけ姫)、
→日本文化の基層にある精神のアニミズム世界を描ききった(千と千尋の神隠し)
→この3作品は日本映画史に残る三大作と思うが、そのすべての入口がナウシカ・・・
(こちらもなるほどなあ、と感心しました。冒頭にリンクした宮崎本にもありましたが、
確かに宮崎作品でのアニミズムはナウシカ以降に明確になってきますね。)
大塚英志「解題」より
・柳田國男の田山花袋「蒲団」批判(略)と、高畑勲の宮崎駿「ナウシカ」批判の対比
→高畑は世界や歴史を描く映画を期待したが「活劇」にとどまった
→宮崎は自分の想像した世界を民俗学者のように語る
→二人で決着をつける次の「マンガ映画」ラピュタへ
・吉本隆明の「ナウシカ」評と「ヤマト」評(略)の違い(自己犠牲)
→ヤマトの自己犠牲を自身の戦争体験から虚妄だとしても、その歴史から切断された世代が
台頭してきていることを肯定しているので、その不在を批判してはいない
→戦艦大和がリアルでない世代がヤマトを愛や自己犠牲といった単純な寓話のイデーとして
受けとめるのは仕方がないと考える(サブカルチャーへの吉本の視点の甘さ)
→ナウシカ評では自己犠牲による結末を(どう質を変えなくてはならないものか、なにも勘定に
入れてくれなかったと)問題にしている
→世界や歴史の細部を求めた(戦争の描き方が中途半端な中での犠牲死)?
→映画ナウシカでは、暴力や男性原理を、まだうまくコントロールできなかった?
→それで吉本は違和感を口にしたのでは・・・
・(責任)
→ファンタジーの主人公の目的は、分かりやすく言えば自己実現や大人になること
→ナウシカには社会的責任を与えた→その質が問題→部族の王としての責任だった
・宮崎が世界や歴史や自然と人の営みについて柳田式「自然主義」であるのなら、
それは現実世界の選択にも作用すべき
→これが高畑が期待した現実への「照らし返し」・・・
・ナウシカで映画と世界の関わりの問題が示され、その後のジブリの歴史が創られていく
云々・・・
他にも腐海の生物学や、E・カレンバックと宮崎駿のエコトピアについての対談など、
けっこうレベルの高いお話もいっぱいでした。
ま、それだけに猛暑の中、飲んだくれつつ読むのには・・・うぐぐぐ
(次号「天空の城ラピュタ」に続きます)
「ジブリの教科書」1のご紹介であります。
ええ、文春ジブリ文庫「ジブリの教科書」シリーズの中から、とりあえず8月は3冊、
1「風の谷のナウシカ」、2「天空の城ラピュタ」、7「紅の豚」を借りたもので・・・
わたくしジブリの宮崎駿作品は大好きで、いわゆる「宮崎本」についても、かなり以前に、
こんな本は読んだことがあったのですが・・・
この猛暑では読書する気力も失せ、8月に入ってからは、YouTubeの岡田斗司夫チャンネル
(の無料部分

(ちなみにこのチャンネル、無料部分だけでも膨大な情報量で、たとえば冒頭5分のシーンを
90分かけて解説したりと、オタキングの名に恥じないマニアックぶりが飽きません

で、ジブリ作品解説の中で何度か引用されてたのがこのシリーズで、ほぼ作品数と同じ冊数が
出てるんですね。わたくしこれまで知りませんでした。
つーことで猛暑の中を図書館まで足を運び、とりあえず3冊をまとめ借りしてみましたが、
内容が濃く、初めて見るカラー図版や絵コンテなどもいっぱいで楽しめました。
とりあえず今回はジブリの教科書1「風の谷のナウシカ」(1984年公開)のご紹介であります。

文芸春秋社2013年4月10日第1刷発行で、ナビゲーターは立花隆
例によって目次のみのご紹介



この1に限らず、なにせ「ジブリの教科書」ですから宮崎駿本人の話、制作に関わった人の話、
絵コンテや詳細な分析や評論などが満載でしたが、ごく一部の読後メモのみ・・・
(岡田斗司夫なんか詳細にメモしてるんだろうけど、こっちはてきとーです)
内田樹「アニメーション(映画)作品と原作コミックス(マンガ)作品の違い」より
・映画は明るいがマンガは暗い
・映画は分かりやすいがマンガは分かりにくい
・映画はわりとさらさらしてるけどマンガはやたらどろどろしている
→アニメにできない漫画をアニメージュで連載していたと本人が言っている
→アニメーター泣かせなのは、よくわからないもの、戦闘・・・これらを削ってアニメに
→ナウシカの戦争のモデルはロシアだけでも2千万人が死んだ独ソ戦と本人が言っている
・アニメ化の可能性が少しでもあれば無意識のうちに作画上困難な画題を回避する
→映画の完成後、マンガの続編は描くがアニメ化はしないと本人が断言している
(確かにアニメから12年かけたコミックス作品の全巻を読むと違いがわかります。
上記リンク記事にも書きましたがコミックス作品は完結というより問題提起で終わってて、
小松左京の一連の作品同様、生命論つーか哲学的でアニメ作品とは別物ですね。)
立花隆「宮崎作品とアニミズムについての」より
・本人が好きだけど(これまで)入り込むことを避けていたアニミズム世界
→本人は映画ナウシカの最後が宗教絵画になったことに納得できなかった
→その後も追い詰められたがイマジネーションパワーの大爆発で切り抜けた
→アニミズム世界を素直に童心に返って受け入れること(となりのトトロ)から、
→日本人の自然観の根底にあるアニミズムを歴史的背景の中で形象化し(もののけ姫)、
→日本文化の基層にある精神のアニミズム世界を描ききった(千と千尋の神隠し)
→この3作品は日本映画史に残る三大作と思うが、そのすべての入口がナウシカ・・・
(こちらもなるほどなあ、と感心しました。冒頭にリンクした宮崎本にもありましたが、
確かに宮崎作品でのアニミズムはナウシカ以降に明確になってきますね。)
大塚英志「解題」より
・柳田國男の田山花袋「蒲団」批判(略)と、高畑勲の宮崎駿「ナウシカ」批判の対比
→高畑は世界や歴史を描く映画を期待したが「活劇」にとどまった
→宮崎は自分の想像した世界を民俗学者のように語る
→二人で決着をつける次の「マンガ映画」ラピュタへ
・吉本隆明の「ナウシカ」評と「ヤマト」評(略)の違い(自己犠牲)
→ヤマトの自己犠牲を自身の戦争体験から虚妄だとしても、その歴史から切断された世代が
台頭してきていることを肯定しているので、その不在を批判してはいない
→戦艦大和がリアルでない世代がヤマトを愛や自己犠牲といった単純な寓話のイデーとして
受けとめるのは仕方がないと考える(サブカルチャーへの吉本の視点の甘さ)
→ナウシカ評では自己犠牲による結末を(どう質を変えなくてはならないものか、なにも勘定に
入れてくれなかったと)問題にしている
→世界や歴史の細部を求めた(戦争の描き方が中途半端な中での犠牲死)?
→映画ナウシカでは、暴力や男性原理を、まだうまくコントロールできなかった?
→それで吉本は違和感を口にしたのでは・・・
・(責任)
→ファンタジーの主人公の目的は、分かりやすく言えば自己実現や大人になること
→ナウシカには社会的責任を与えた→その質が問題→部族の王としての責任だった
・宮崎が世界や歴史や自然と人の営みについて柳田式「自然主義」であるのなら、
それは現実世界の選択にも作用すべき
→これが高畑が期待した現実への「照らし返し」・・・
・ナウシカで映画と世界の関わりの問題が示され、その後のジブリの歴史が創られていく
云々・・・
他にも腐海の生物学や、E・カレンバックと宮崎駿のエコトピアについての対談など、
けっこうレベルの高いお話もいっぱいでした。
ま、それだけに猛暑の中、飲んだくれつつ読むのには・・・うぐぐぐ
(次号「天空の城ラピュタ」に続きます)