ジブリの教科書2飛行艇時代・・・

2022年08月26日

ジブリの教科書7

前々回、前回記事からの続き・・・

ジブリの教科書7「紅の豚」(1992年公開)のご紹介であります

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文芸春秋社2014年9月10日第1刷発行で、ナビゲーターは万城目学



例によって目次のみのご紹介

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以下、わたくしの部分的な読後メモから・・・てきとーなので正しくは本書を熟読くださいね

(ジブリの中でも特に好きな作品なので、今回はメモも長めになっております)

・宮崎駿監督の演出覚書(1991)より
→疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のためのマンガ映画
→陽気だがランチキ騒ぎではなく、ダイナミックだが破壊的ではない
→愛はたっぷりあるが肉欲は余計だ
→誇りと自由に満ち、ストーリーは単純、登場人物の動機も明快そのもの
→男たちは陽気で快活、女たちは魅力にあふれ、人生を味わっている
→登場人物が、みな人生を刻んできたリアリティを持つこと
→バカ騒ぎはつらい事をかかえてるから、単純さは一皮むけて手に入れたもの・・・


・宮崎駿へのインタビュー(1992)より
キャラクターの誕生
→カーチスもポルコと同じ中年だと思った人も多いらしいが、彼は青年でちゃんとした男
→フィオも(さらに若いけど)「私は私」で、自分のやることも意志もはっきりしている
ポルコについていくのも商売上と作った物に対する責任から→まあ嫌いなら行かないけど
→なので劇中の出来事を通じて大人になった、とかではなくフィオもちゃんとした女
「紅の豚」に出てくるのは自分を全部確立した人間だけで、そういうことを明確にした映画
→まだふにゃふにゃの自我を抱え、励ましや何かしてくれるものが欲しい人のためのものではない
→その意味で、これは若者をまったく排除して作った映画で「中年の映画」
→そうしないと1920年代を豚として生きたポルコに拮抗できないと思っている
→その後のヨーロッパの激動をどうやって生き抜くのか、映画を作りながらひどく気になってた
→ファシストと戦ってカタルシスを得るのではなく、生きていて欲しいと思いながら作った
→俺は俺でやるという視点を明瞭に持っているキャラクターを出したかった
→大混乱や戦争の責任は全部俺にあるという視点ではなく、俺も同じイタリア人だから責任がある
という視点ではなく、俺は俺、俺の魂の責任は俺が持つという、豚はそういう男
→それがこれから生きていく上で必要だと、自分も切実に思ったから

映画の結末について
(ポルコは人間に返ったのか豚のままなのかとの問いに)
→人間に戻ることが大事なのだろうか?正しいのだろうか?
→ときどき本音が出て真顔になるけど最後まで豚のまま生きるほうが、この男らしいと思う
→何かを獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていない
→取り返しのつかない経験もいっぱいしてる人間たちだから、フィオでまっさらになった、
なんて思わないし、みそぎできれいになると思ってるのは自民党の代議士だけ(笑)
→もののけ姫という、もののけと姫の物語を考えていたときも、もののけはもののけのままで
終わるように描き直したらすっきりしたし、美女と野獣はずっとやりたかったテーマだけど、
もしやったとしても最後は野獣のまま・・・

最後のテロップのイラスト(エンディング・イラスト)について
(描かれてるのがなぜみんな豚なのかとの問いに)
→空を飛ぶことが何をもたらしたか、飛ばなければよかったとも言える
→黎明期はどんなものでもキラキラしてるが、資本、国家、利害関係に組み込まれて汚れる
→飛びたいから飛ぶだけでなく任務で飛ぶ、じつにくだらない任務で飛ぶ
→飛ぶことだけで全部完結する人間は絶対に豚にならない、単なる乗組員で終わり
→時代にインプットされたものは簡単に乗り越えることはできない
→戦後焼跡世代もバブルの餌食世代も・・・
→今(1992)の20代30代は大人の世界・社会・政治家がくだらないことはわかってるが、
そのおこぼれ(週休二日などはその大人が稼いだ上がり)だけは手に入れている
→40代になって社会の中心になっても弁当屋とコンビニといつでもできるバイトがあるのが
当然と思っているだろう
→もう少しくだらなくしようとしたときに、貧乏になろうとはしないだろう
→稼ぎ以上のものを使う→それが彼ら(バブルの餌食)の限界

世代や制約の壁を突破して
(おとなの映画ですねとの問いに)
→たぶん今(1992)の若い男(バブルの餌食)が一番取り残されてしまった映画
→カタルシスのある定型を全部踏襲してたら満足な人には敵意のある映画
→いつものサービス過剰はないよ、おじさんはそれどころじゃないよ、という映画
→豚が人間になりました、よかったよかった、では嘘になる
→そういうカタルシスを求めるのは間違っている・・・


加藤登紀子と宮崎駿の対談より
(1992公開時の対談、同年に共著「時には昔の話を」(徳間書店)がある)
(宮崎は1941年生まれ、加藤は1943年生まれ)

あの頃という時代
・加藤
→60年安保の時は16歳の高校生、亡くなった樺美智子さんにみんなでお花を持っていった
→今考えればただのセンチメンタリズムだがセーラー服は本当にピュアにキラキラと輝いていた
→それが高三になると受験とかで濁っていって、次第にやりきれなくなって・・・
・宮崎
→大学に入った年が安保でバカなことと思ってたが無関心ではいけないと思い始めた頃には
諸先輩は挫折の大合唱で、そのキラキラは1回もなかった
・加藤
→でもファナティックな時代の雰囲気は確かにあった
・宮崎
→感じはわかるが、今が一番愚かな灰色の時代で少しずつ日が差してくると思ってた
→それが自分たちの(世代の)歴史で、どこかにインプットされている
→だから民族紛争みたいなことが起これば呆然として、自分がグラグラしている
→若いスタッフに、君らはバブルの餌食で歴史がないと言ってきたけど、それは自分に
あまり根拠のない楽観主義をつくっているだけだとわかってきた

生きる"よりどころ"
・加藤
→やはり私は好きな人は好き、嫌いな人は嫌いという女性的な感覚
→なので世界観とかイデオロギーが変わったというより、美しいうちは美しいと・・・
→ユーゴスラビアでも立ち上がった瞬間は美しいが、権力を持つと・・・
(毛沢東、ヒトラー、マレーネディートリッヒ、岡田嘉子・・・略)
・宮崎
→今はお金は善だが戦時中の自分の家庭が金持ちだったことが自分の中につきまとっていた
・加藤
→私は中国からの引揚者で自由な環境に結びついてトクをしてたが、中国の人々に対する
うしろめたさというのは厳然としてある
・宮崎
→うしろめたさというのは日本の中の自分の家や一族、世界やアジアの中の日本という形である
→自分の幼児体験や過去の記憶を掘り起こせば、理屈としてはわかる
→同時に記憶にまとわりつく、うしろめたさを失くすと自分の一番大事な部分を失くす気がする
→このうしろめたさが最後の支えなのかとさえ思う
→分裂を抱えたままいくしかない、分裂せずに生きていく方が真っ当なのだが・・・

映画と時代の波長
・宮崎
→魔女の宅急便はバブル時代に波長が合ってヒットした
→ゆとりを持って作ったのがうしろめたいし、お金が入るとなおいけない
→疲れたとかいってリハビリ映画に手を出したが(笑)、映画には本音がはっきり出る
→湾岸戦争以来、自分の生き方の根っこの部分が揺らいできたということがある
→うしろめたさを根拠にした世界観とか歴史観、戦後の高度成長期に居合わせて、世の中
良くなるから人間性も良くなると、疑問符をつけながらも根拠としてきた部分がぐらついた
・加藤
→「紅の豚」は自分の世界観や美意識を押し付けず伝えもせず毅然と生きてきた男の映画だと
思うが、そういう男のイメージは歴史的にジャンギャバンから高倉健までずっとある
・宮崎
→そのイメージは「時には昔の話を」とか
「さくらんぼの実る頃」のフレーズが大きな
ひっかかりになっている

→「さくらんぼの実る頃」は1871年パリコミューンへの思いを込めた痛みのある追憶の歌
→1920年代になって半世紀前の歌を愛しながら、真っ赤な飛行艇で飛び続ける豚に託された
心情というのは、おそらくうまく伝わらないとわかっているが、作る側の密かな楽しみ
・加藤
→男の価値観は敗残してファナティックに自爆すれば一巻の終わりだけど、あいにく生き残って、
美意識が缶詰のように凝縮されると、一人真っ赤な飛行艇で・・・に持って行くのでは(笑)
→女は男をじっと見ていて、ダメになったら行って抱いてあげようと・・・
→私の場合、いつも抱いてあげるので抱いてくださいとは決して言わないから
・宮崎
→抱いておやりという感じがとても好きだった
→戦後民主主義は愛することが純粋で愛し続けるのが一番良いとなっているけど、違う
→人の出会い方とか、つながりの作り方は無数で、良いとか悪いとか決して言えないのに、
愛情のあり方となると、1本しかないような錯覚にとらわれている
・加藤
→私は好きか嫌いかで、ソ連が崩壊しようがユーゴスラビアが分裂しようが、いい男がいたら
イデオロギーとかは二の次で飛んでいく
・宮崎
→でも、どう出会うかで運命的に決まるのでは・・・僕は疑い深いから(笑)
・加藤
→好きな奴、嫌いな奴、いい奴、悪い奴は不思議なことにわかる
→これを言えば全世界の思想も悩みもなくなるが、好きな男への不安はいつもある
→でも嫌いな人間に対する反感とは全然違う、こういう思想性って・・・
・宮崎
→生きてる感じがして好き。傷を負うのを恐れない、その方が疑い深い僕の生き方より素敵

見果てぬ夢をめぐって
・加藤
→30代の記者から「時には昔の話を」のような「あの頃」を共通語にできる世代はいい、
僕らの(世代の)みじめさも歌にして下さいよと言われた
・宮崎
→僕らの「あの頃」を60年、70年の高揚時における共通体験だと思ってるとしたら少し違う
→自分たちで探して作ったという自負だけはある
→学校出て映画会社入って労働組合やりながら、こんな映画じゃなく違う映画を、とやってた
→「あの頃の僕ら」が、いまだに自分のなかに生きている
・加藤
→私の感覚では「あの頃」というと充実した時間で、きわめて個人的な体験
→歌の中で「あの日のすべてが空しいものだと、それは誰にも言えない」と言ってるけど、
それは歴史的にも証明されたし、自分でも空しいとわかっている
→でも空しいとは口が裂けても言えないし、絶対に誰にも言わせたくない
・宮崎
→ほんとうによくわかる。よく歌って下さったという感じだった
→あの歌を聴いていると忘れていた友人たちの顔が次々と浮かんでくる
・加藤
→自分の存在なんて大したもんじゃないから日々の生活とか出来事とか歴史とか文化から、
何とか自分を作ろうとする
・宮崎
→サン・テグジュベリの作品で命がけの夜間飛行から帰ってきて、いつもの店で、いつもの
コーヒーとクロワッサンの食事をする、とても威厳がある。サハラの岩塩の隊商と同じ。
→死者も出る困難な旅だけど村に着くと、いつもの別れの挨拶を交わすだけで家々に帰っていく・・・
→映画の仕事もそんなふうに終えたいというのが「見果てぬ夢」かな・・・
→その後は、また一人になって飛んでいけばいい
→なじみの店や美しい女主人もいてくれないと困るけど・・・(笑)
・加藤
→飛んだ先に何かがあるということではなく、飛んでいくというその感覚
→コンサートのさなかに飛行機の離陸音を聞くときがある
→もうここにはいないぞと叫びそうになって歌っているときがある
→自分が飛行艇乗りになりたいなんて思ったことは一度もないけど・・・(笑)

(エンディング・イラスト22枚は加藤登紀子が唄う「時には昔の話を」からヒントを得て、
宮崎監督自身が飛行機黎明期の時代背景とともに描き出したもの)


イタロ・カプローニ「祖父ジャンニ・カプローニが生きた「紅の豚」の時代」より
・あの時代の愛する国と飛行機を、あそこまで美しく精緻に描くイタリア人がどれだけいるか
・ポルコの愛機はアレーニア・アエルマッキ社が制作し1925年のシュナイダーカップに出場した
マッキM33がモデルになっていると思われるが作品の飛行機はどれもマエストロの独創性の産物
(カプローニ社の飛行機が登場しなかったのが残念だったけど・・・)
・客船の護衛機パイロット、バラッカとヴィスコンティそれにアルトゥーロ・フェラーリンは
実在の空軍パイロットで、フェラーリンはローマ・東京間フライトを1920年代に実現させ、
愛機AnsaldoS.V.A9は1945年まで東京の博物館に保管され、戦後アメリカ軍に没収されている
・戦後のイタリア国内で祖父はファシストの残骸とされ、その功績に目を向けられなかったが、
マエストロが「風立ちぬ」で本当の祖父の姿を描いてくれた
・ドゥカティ社の1号機「クッチョロ」のボディ設計も祖父で、その後もバイクを手掛けたが、
ラジエーターがまるでハートで美しく、今も保管されている1台はポルコの愛機と同じ紅色
・(紅の豚を観て感動し)マエストロの今後の参考になればと、保管していた本を2冊送ったら
じつに丁寧な礼状をいただいた
→その後(風立ちぬ公開後?)マエストロから手書きの絵が2枚送られてきた
→慎重に開封して絵を見たとき、とめどなく涙が溢れた
→この絵は、もう少し自分の心の中だけにしまっておきたい・・・


村上龍「現実をなぞらない宮崎駿」より
→宮崎駿は決して過去の感動や表現をなぞったりしない
→安心して見ていられるがすぐに飽きるという作品が皆無→その答えの一つが「紅の豚」
→自分が好きな世界しか描かないということ
→作業の前に豚と女たちがパスタを食べるシーンがあるが見ていて食べたくなった
→それまでのイタリアの風景や風物の描写に嘘がなかったからイタリアを思い出し、
そのスパゲッティが象徴するものに飢えてしまったのだった
→普通そんなことはアニメーションではあり得ない・・・


・青沼陽一郎「「紅の豚」とその時代」より
→この映画が上映されたのは1992年7月
→1989年11月にベルリンの壁崩壊(「魔女の宅急便」公開の4ヶ月後)
→1991年にはソビエト連邦崩壊、湾岸戦争勃発、ユーゴスラビアの民族紛争・・・
→日本はバブル経済、宗教ブーム・・・
→宮崎作品にはその時代が背負った血潮のようなものが、彼の身体を通して紛れ込んでいると思う


大塚英志「解題」より
・ソビエト連邦もベルリンの壁も崩壊し、昭和天皇も手塚治虫も美空ひばりも逝き、冷戦構造も
昭和もほぼ同時に終わった中で企画された「モラトリアム的要素の強い作品」
→これまで解題では高畑や宮崎の意図を肯定的に読みとる努力をしてきたが正直ストレスがあった
→「紅の豚」には苛立ちを感じず、好き嫌いでは一番好きな作品
→高畑の一貫した要求に宮崎が正面からグレてみせたから

・歴史の転換点を踏まえるのではなくかわす
→宮崎の模型趣味(ごっこ遊び)や母性原理への傾斜が良い形で機能している
→俺はこう生きると言ってるが、観客にこう生きろとは言ってないのが批評的
→90年前後の歴史の転換点で、個人の物語が世界を変え得るというテーゼは失効している、
と言いたげなのだ(おもひでぽろぽろのタエ子の帰農批判)
→大人になれない大人ではなく、大人から降りてしまった大人を描いた

・ポルコは子宮の象徴である孤島の入江で堂々と胎内回帰して微睡んでいる
→空賊団もマンマユート(ママ助けて、ママ怖いよ)団と名乗る
→ドーラはおらず、とうに大人になっているが、彼らもモラトリアムの積極的な選択者
→ジーナは母ではなく女で、男たちはごっこ遊びでその子供たちを演じている

「でも戦争ごっこはだめよ」
「わかってるよジーナ、この店の50キロ以内じゃ仕事はしねえさ」
「豚とだって仲良くやってるぞ」
「みんないい子ね」
→空賊も賞金稼ぎもいい子にしているジーナの支配する世界
→女子供の世界で、ごっこの世界

「15人もいますけど、みんな連れて行くんですか?」
「仲間はずれを作っちゃ、かわいそうじゃねえか」
→子供が子供であることを担保してくれる大人がいる世界→子供が安全な世界
→現実の歴史から切断された空間で単なる現実逃避や胎内回帰をしているのではないか
→現実は世界恐慌、ファシズムの成立で第二次世界大戦へ向かっている

「いくら小さな尻でも機関銃の間は狭すぎだ。一挺おろすんだ」
「よかった!!わたしのお尻みかけより大きいの」
→フィオの大きなお尻=女性原理が戦闘機の武装を解除してしまう
→母性は兵士や民族を産むファシズムの補完装置→批評として作用している
→クライマックスの空中戦でも「
フィオの尻のせいで」壊れてて撃つことができない

・アジール(無縁・公界)としてのジーナの島のある海域
→ジーナ自身が守っている
(女主人に仕切られる秩序ある公界は「油屋」や「タタラ場」にも鮮明に)
→ファシズムと大量生産・大量消費のアメリカニズムが台頭する時代
→ポルコもジーナも空賊たちも、どちらにも乗れず最後の一瞬を謳歌する
(宮崎のコンテ記述によればジーナが「幼稚園の先生のようにパンパンと手をたたいて」)
「さあお祭りは終わり、イタリア空軍がここに向かってるわ。みんな早く逃げてちょうだい」
→彼女は男たちに「ごっこ=アジールの時間」の終わりを告げる

・「紅の豚」が作られた時代は「幼稚な歴史」や「戦争ごっこ」と本当の歴史や戦争の区別を
つけない時代への転換点だった
→その時に愚かな歴史から降りるモラトリアムを描き、国家や民族ではないアジールという
パブリックのあり方をさり気なくデッサンしてみせた
→最も時代に対して批評的な作品であり、その批評性は今も有効と考える

・90年前後の時点で冷戦構造は終わったが「世界を二つに分けたい」思考を克服できなかった
→世界の複雑さに耐えかね、敵と味方、反日と愛国、呆れるほど単純な二元論に
→その息苦しさを予見し「おもひでぽろぽろ」のある種の教条主義をあっさりとかわし、
歴史の終焉をひどく真面目に受け止め、それらの束縛から自らを解放しようとしていた
→「日常の中で自動的転向はしたくない、人間の尊厳は変わっていない」
→自動転向していく世界から降りたのは逃避とは言い難い、一つの理性的な選択
→「紅の豚」は個人的な思想がよく表れ、宮崎という作り手が最も深く理解できる作品

「紅の豚」はお伽話のように見えて歴史への批評としてある
→フィオは民話の構造に忠実に向こう側の世界に行って、好きな異性の本当の素顔を見て、
恋の決闘の賭けの対象になっても、お伽話の原理は発動せず歴史や現実の側に戻される
→フィオはポルコとの恋を手に入れられず、ジーナとの友情を手に入れる
→彼らはアジールの終わり、ごっこ時間の終わりへの惜別として本気で遊んだに過ぎない
→ポルコは半分死者(幽霊)で、ジーナは亡くした3人の夫を弔い続ける
→なので現実を生きていくフィオと結ばれるべきではない

・ジーナのアジールが「もののけ姫」のタタラ場に発展したとき「僕はタタラ場で生きる」と
アシタカに言わせたことが正しかったか
→「紅の豚」の変奏として「もののけ姫」はある
→「もののけ姫」の解題で・・・


他にもフランス文学者による宮崎駿のサン・テグジュベリへの思い(略)とか・・・
(1998年5月9日NHK「世界わが心の旅」
サン・テグジュベリ大空への旅~南仏からサハラ~)
(映画「紅の豚」原作~飛行艇時代~大日本絵画2004)
(宮崎駿・加藤登紀子共著
「時には昔の話を」徳間書店1992)

万城目学が大阪・新世界を歩くポルコ(のコスプレ)と出会った際の違和感のなさとか・・・
(こういう視線でミラノ市民はポルコと往来ですれ違ったのかと、ごく自然に納得できた)

などなど・・・


まあ、じつにいろんな人が、いろんな楽しみ方をしていることにも、多くの人がジブリの中で
一番好きな作品としていることにも驚きましたし、わたくしが「紅の豚」に惹かれる理由も、
少しは分かったような気もしました。
ま、この作品も理屈抜きで、何度も楽しむにも最高なのですが・・・


P.S
わたくしは岡田斗司夫がYouTubeで解説してた「エンディング」のいくつかの説の中で、
JALの機内上映版ではあったけど劇場公開版ではカットされたともいわれている・・・

ぴかぴかのボーイング707
(追記修正→完成したセル画を見るとボーイング727でした)
(1960年代初頭?)が飛ぶ横に、ターボプロップエンジンに二重反転プロペラ、半開放式風防で、
機体にはハートのG(ジーナ?)の撃墜マークを付けた紅の飛行艇が現れ、騒ぐ乗客の女学生たち?
に親指を立てて答え、一気に抜き去っていくというエンディングも観てみたいな・・・

ま、与圧服に酸素マスク、ゴーグルにヘルメット姿なので、顔が豚なのか人間なのかは、
わからないままなのですが、それがまた素晴らしいエンディング・・・

さらに劇場公開版のエンディングでも、フィオの飛行艇がジーナの島の上空を飛ぶシーンで、
よく見ると桟橋に赤い飛行艇が係留してあるとゆーのも同解説ではじめて知りました。

もし1960年代前半としてもポルコは70歳代になってるはずで、それでも真っ赤な飛行艇を駆って、
(女の子にちょっかいを出すためだけに?)大空を飛び続けている・・・

どちらにしても素晴らしい
エンディングですね!!!




m98k at 18:26│Comments(2) mixiチェック 書斎 | カメラ・映像・音楽

この記事へのコメント

1. Posted by バスウ   2022年09月05日 23:58
お腹一杯になりました🙇
紅の豚大好きです!
2. Posted by 98k   2022年09月06日 01:11
>バスウさん
わたくしも大好きな作品です
ピッコロ社の工場でみんなで食べてたスパゲティ、シンプルなペペロンチーノだろうけど旨そうでしたね

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ジブリの教科書2飛行艇時代・・・