2022年09月09日
食べ物から学ぶ世界史
前回記事の続きとゆーか、食べものと経済つーことで惹かれたとゆーか・・・
「食べものから学ぶ世界史」~人も自然も壊さない経済とは?~のご紹介であります
著者は平賀 緑(表紙カバーイラストはふしはらにじこ)
裏表紙カバーにあった惹句
著者略歴・発行所・発行年月日などについては奥付のとおり
そう、岩波ジュニア新書シリーズで、ま、中高生向けレベルでしょうか・・・
奥様が借りられた本ですが、わたくし向けレベルでボリュームも新書版で160頁ほど、
前回記事の分厚いハードカバーと異なり、挫折せずに最後までスラスラと読めましたが、
食と経済と歴史の関係をジュニアにも分かるよう、まとめるのは大変だったでしょうね
著者は食料栄養学の修士号と経済学の博士号をお持ちのようで、この両方の分野を学ばれた方
とゆーのはけっこう稀少なのではと思ってます
例によって目次のみのご紹介
目次を順番に眺めるだけでも食と経済の歴史が覗えます
以下、わたくしの読後メモから・・・
(分かりやすい本でしたが、てきとーメモなので興味を持たれた方は本書のご熟読を)
「はじめに」より
・命か経済か?
→経済の語源は「経世済民」→世を治めて民を救うこと
・世界には120億人を養うのに充分な食料がある
→現在78億人の世界人口のうち、慢性的な栄養不良(飢餓人口)は7~8億人
→充分な量と質の食料を得ることができない中~重度の食糧不安人口は約20億人
→同時に食べ過ぎによる不健康で寿命を縮めている人は十数億人
・農家は食べて行けず廃業し、膨大な資源を使って生産した食料の1/3が廃棄されている
・農業と食料システムで排出される温室効果ガスは全体の26%~34%ともいわれている
・人と社会と地球を壊しながら食料増産して経済成長することが生きるために必要?
→健康や自然環境を切り捨て、お金で測れる部分だけで効率性や成長を目指す仕組みだから当然
→この「資本主義経済」はせいぜい200~300年前からで日本では150年前から
→自然の法則でも不変のシステムでもない
→資本主義経済の成り立ちを「食べもの」が「商品」に変わったところからまとめてみた
序章「食べものから資本主義を学ぶとは」より
・飢餓があるから、アジア・アフリカで肉や油の需要が増えるから、人口が90億人に増えるから、
農業生産は大規模に近代的に拡大していくことが必要?
・飢餓があるいっぽうで食べ過ぎや肥満があるのはなぜか?
→「食べもの」が「商品」になり資本主義経済に組み込まれたから
→お金がないと食べられないから
→食べるために働くことの意味が変わったから
→食べるモノ=自分で栽培・育てるモノから買うモノ=商品=食品へ
→商品は売って利潤を得るモノで自分で使うモノではない
→自分で使うモノは使用価値が重要だが商品は交換価値が重要(商品作物)
・人と自然を破壊しても、それでお金が動けばGDPはプラスになる(肥満の惑星)
→必要以上に消費すれば(食べ過ぎれば)経済成長する
→それでメタボになってジムや医者に行けば経済成長する
→さらにトクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長する
→食品ロスを増やせば処理事業とかで経済成長する
→自家菜園とかで健康な食生活をしてもGDPには計上されず経済成長にはつながらない
・資本主義とは→やめられない止まらない(NHK欲望の資本主義)
→必要な食べ物だけを売って儲けられる時代は終わったが売り続けないと成長できない
→新商品、名産品、ご当地グルメ、キャラクター商品・・・
→塩や砂糖や油も人間の本能以上に食べさせる(商品を買わせる)創意工夫で売り続ける
→市場が成熟しモノがあふれていても競争し続けなくてはならないから
→フロンティアを海外や貧しい人たちにも広げてきたが、そろそろ飽和状態に
・1980年代から、さらに経済成長しようとする新自由主義やグローバリゼーションへ
→金融資産の実体経済サイズを超えた膨張により、新しいフロンティアが求められた
→必要以上に人を動かす過剰な観光業の推進、水道など公共事業の民営化、データの商品化、
経済の金融化、マネーゲーム・・・
→資本主義が好きな人も嫌いな人も現在はこのシステムで生きている
→気候危機とパンデミックで問題が表面化した今こそシステム・チェンジに取り組むべき
1章「農耕の始まりから近代世界システムの形成まで」より
・学校では狩猟採集⇒農耕・牧畜⇒文明⇒都市⇒国家と人類は発展したと教わったはず
・ところが「反穀物の人類史」(ジェームス・C・スコット著みすず書房2019)によれば、
→農耕・牧畜は支配する側の都合によるもので、人類は逆に不健康になった、
→小麦・大麦・コメ・トウモロコシを主食にした→世界消費カロリーの過半数になるほど
→食べ物は多様性に富むほうが人にも自然にも、健康のためには望ましいはず
→作物も動物も人間も、単一栽培や家畜化や都市化で密になり、病原体の繁殖と変異が増えた
→穀物は育てるのにも食べるのにも手間がかかるが長期保存や輸送ができる
→富・軍備の蓄積に都合がよく、収穫量を正確に査定でき課税も配分もしやすい
→主食として人民や奴隷に生産させた政治的作物
→都市や国家には興亡があったが近代までは大多数が身近な田畑や自然から食を得ていた
(貿易はごく一部の富裕層のための小型軽量な貴重品に限られていた)
・大航海時代と重商主義
→欧州の経済と金融の中心はイタリア半島の都市からオスマンの東方占拠などにより、
大西洋側にあるイベリア半島のポルトガルやスペインへ
→新世界から奪った金銀により、お金が増えて食料の物価が上昇し混乱した
→うまく活用したのはオランダと英国で経済と金融の中心も北上した
→大量に運べるハンザ同盟などの北海バルト海貿易(麦類や塩漬けニシンやタラなど食料も)
→重商主義とは植民地から奪った富が多い国が強い国になるという政策
→欧州の重商主義で地域経済社会が破壊された植民地が後進国・途上国といわれる地域に
・資本主義と産業革命の始まり
自給自足⇒家内制手工業⇒機械制大工業・・・(略)
→都市部の労働者は自分で食べものを作る土地も時間も台所もなく商品を買うしかない
→需要が生まれ商品の市場が形成される
→北米からの小麦パンと、カリブ海からの砂糖の入ったインドからの紅茶→世界商品に
→すべて植民地の奴隷労働によるもので莫大な利益に(三角貿易)
→パンと甘い紅茶は工場経営者が必要としていた労働者向けの簡便・低価格・高カロリー食
→大量生産された白い小麦パンと白い砂糖での長時間・低賃金労働→身体はボロボロに
→1845年の関税撤廃→地主と資本家の立場が逆転し、さらに・・・
2章「山積み小麦と失業者たち」より
・自由放任主義による競争と過剰生産→大量生産したものを大量消費させる
→労働者の購買力(賃金)をある程度維持しつつ国内に商品があふれたら海外へ
・19世紀末から過剰生産・価格暴落による倒産・失業の恐慌は始まっている
・第一次世界大戦後のアメリカ好景気からバブル崩壊、1929年の世界恐慌へ
→アメリカの戦争特需→農業バブル→戦争終結→欧州などの農業再開→農業バブル崩壊
→銀行から借金したまま農家が次々と廃業→ウォール街の株価大暴落→大不況
(食料が余って暴落していても、失業でお金がなければ買うことはできない)
→アメリカから借金して賠償金にしようとしていたドイツに感染→大不況
→ドイツからの賠償金で戦後復興しようとしていた英国・フランスに感染→大不況
→世界中に感染し世界恐慌に
→アメリカ政府はまず緊縮財政とデフレ政策による自然回復という伝統的手法
→1933年のニューディール政策・ケインズ理論→政府介入による経済回復
→実際には第二次世界大戦の戦争特需により立ち直った
3章「食べ過ぎの『デブの帝国』へ」より
・戦後の大きな政府・大量生産+大量消費による経済成長→資本主義の黄金時代
→農業・食料部門も工業化・大規模化→農薬・化学肥料・農業機械による大量生産へ
→農業は自立的な営みから、大規模生産した商品作物の(製品)原材料としての出荷に
→商品として大量生産すれば資本主義では市場拡大が必要(胃袋には限界があるので)
→海外へ拡大するか新商品にして消費拡大する
→アメリカは食料援助から海外市場の拡大へ、冷戦で戦略的な意味も持つようになる
・「デブの帝国」(グレッグ・クライツァー著パジリコ2003)より
→トウモロコシは家畜の飼料と油やスターチから高果糖コーンシロップにも(1970年代から)
→あらゆる加工食品と動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されている
→アメリカ人は「歩くトウモロコシ」に、日本人も身体の炭素の4割がトウモロコシ由来に
→大豆も多くは油と添加物の原材料に、大豆粕は家畜の飼料に大量消費されている
→どちらも大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、安くて豊富でおいしい、
高カロリー食品がいっぱいの時代が到来し「デブの帝国」が出来上がった
→この過程で利潤を得たのは農民や消費者ではなく、穀物商社・食品製造業・小売業・外食産業
→米国中心のモデルだが日本でも複製され、現在は中国・インド・アジア・アフリカにも・・・
4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」より
・国連世界食糧計画のハンガーマップ2020を見ると飢餓地域の殆どが昔の植民地の地域
→飢餓とは慢性的な栄養不足で生存や生活が困難になっている状態を指すが、
→最近では糖分や油でカロリーだけは足りるか過剰になっている「隠れた飢餓」も問題に
→世界には120億人が食べられる食料があるのに餓死しているのだから飢餓は殺人そのもの
→飢餓地域の75%が農村
→「商品作物を作る産業」としての農業で生活できなくなったから
→植民地に貧困と飢餓が作られてきた歴史に根本的な要因がある
・17世紀から1970年代までの歴史
→植民地の資源も人も奪い欧州に安く提供し植民地を工業製品の市場とした(三角貿易など)
→1960年代に多くが独立したが英国の新植民地主義で輸出向け農業が継続された
→第二次世界大戦後のアメリカは過剰生産した小麦や大豆などを食料援助名目で大量輸出した
(旧植民地(途上国)の農民は太刀打ちできず困窮していく)
→マーシャルプランでやがて欧州も過剰生産になり途上国へ(開発や技術援助名目で)
→1960年代の「緑の革命」
→一代雑種(ハイブリッド)・農薬・化学肥料・機械化・灌漑(大量の水)による高収穫
→維持するためにはこれらを先進国から買い続けなければならない
(現地の在来品種を駆逐し生物多様性も90%減少させた)
→収穫増で恩恵を受けたのは裕福な農家で貧しい農家は穀物価格の下落で破産
→市場が飽和すると自給自足していた小規模農家にも借金させて普及させた
→農家は借金まみれになり利潤は企業へ(メキシコ農民の例)
→緑の革命は穀物の収穫量を増やしたが多数の飢餓を作り出した
・1980年代から世界はさらにグローバル化し新自由主義によって、途上国でも食と農を
その中に組み込みながら経済成長を求め続けている・・・
5章「日本における食と資本主義の歴史」より
・「日本にはコメを中心にした素晴らしい和食があったのに戦後の経済成長により西洋化、
アメリカナイズされ、食料自給率の低下や食生活の乱れに・・・」というのが通説
→ところが米国の小麦や英国の砂糖が入ってきたのは19世紀半ばで世界商品となった時期
→明治期から政府・軍部・財界・大企業が食に関係してきた
・近代前の農民の糧飯(かてめし)は少量のコメに雑穀や野菜を混ぜた混ぜご飯が多かった
→当時大多数だった農民にとって、コメは年貢として収めるもので日常食ではなかった
→明治の産業革命以降に労働者や兵士のための新たな食料システムが形成された
・江戸時代に商品経済が発展していたので、明治になっても外国人の貿易を居留地に留め
欧米資本の侵入を食い止めて、日本での資本蓄積を可能にした
→この実力と環境が19世紀のアジアで唯一、産業革命を遂行できた要因の一つ
→産業革命の資金(外貨)を稼がせるため、既存の大商人を「政商」にし支援・保護した
→政商は貿易を担い海外へ、領事館・銀行と三位一体でアジアにも進出
(世界商品である小麦、砂糖、満州の大豆→日本版東インド会社)→今も続く大手食品産業へ
・1914~1945
→第一次世界大戦の戦争特需→大豆油脂などが拡大
→その後の世界恐慌→昭和恐慌→製糖・製油(当時世界の4割)などは大手企業の寡占状態へ
→第二次世界大戦の戦争遂行→さらに製油・製粉・製糖は拡大し今も続く大手企業に
→敗戦から10年で高度経済成長(資本主義の黄金期)へ・・・
・通説的には「経済成長すれば食生活が変化し、肉や油や乳製品を求めるようになる」が、
→これは人間の本能なのか、消費者の嗜好の変化だけが理由なのか・・・
→1910~2010の純食料供給量の変化をよく見ると、戦後には小麦の供給量も増えているが、
それよりも野菜、牛乳・乳製品、魚介類が急増している
→ご飯がパンに代わったというより、真っ白なご飯に野菜・魚介類のおかずを充実させた
→これが今「和食」でイメージされる日本型食生活で、戦後に確立されたもの
(農林水産省のすすめる日本型食生活も昭和50年代(1975~)のバランスのとれた食事)
・戦後の飢餓脱出期(1945~1954)
→飢餓は財閥が移入していた食料の途絶、農村の担い手不足、帰国者の急増などから
→アメリカの食料援助(冷戦との関係、穀物商社・大手食品企業の思惑も)
・内食充実期(1955~1969)
→朝鮮戦争特需→産業・農業の復興→食料供給量の増加
→米国の農業機械・農薬・化学肥料による大量生産→過剰→市場拡大へ
→粉食(パンや麺類)、油食(マーガリンなど)の推奨→スナック・加工食品の発展
→スーパー誕生などの流通革命、テレビによる新商品の宣伝・・・
→食品の大量生産・大量流通・大量消費時代の到来
→戦中・戦後の食生活を恥じる親世代は、娘に料理番組や料理学校で学ぶことを勧めた
→日本の伝統や農業とはかけ離れた料理を教わり家族のために作る「内食」が充実
・外食発展期(1970~1979)
→屋台やハレの食事から、低価格・大量販売・多店舗展開の大量消費社会へ
→大阪万博1970への飲食店出店、外国企業への規制緩和(資本の自由化)がきっかけ
→ハンバーガー、ドーナツ、フライドチキン、ピザ、アイスクリーム・・・
→小麦粉・油・動物性食品・砂糖を使った外食が広まり需要が増加
・飽食・グルメ期(1980~1990)
→肥満、飽食の時代、総グルメ、バブル経済・・・
→1980年代からの新自由主義とグローバリズム
→1985年のプラザ合意
→食料の開発輸入と食品産業の海外進出→食市場のグローバル化の加速
・中食興隆期(1991~1999)
→1991年のバブル崩壊によりコンビニ弁当などの低価格志向へ
・戦後の食料需給の変化は食の洋風化という消費者の嗜好の変化だけではない
→戦前の財閥時代から近代化に関わってきた総合商社が製油・製粉・製糖にも介入していた
→戦後の穀物・油糧種子の輸入から食品加工、外食、加工型畜産、流通・小売りまで各段階の
食料システムの形成にも大きく関与している
→例えば日本ケンタッキーに投資した三菱商事は、エサとなる穀物の輸入から配合飼料の製造、
養鶏、鶏肉処理産業、畜産物販売業まで一連の各段階に関与している
・戦前から引き継がれた大手食品企業や総合商社に支えられながら、輸入原料に依存した
戦後の食料システムが構築され、食生活に影響してきた
→農業や食文化、消費者の嗜好を超えた、世界経済の中の政策決定と産業動向によるもの
→現在では、ここで成長した食品産業がグローバルに展開している
6章「中国のブタとグローバリゼーション」より
・戦後の大きな政府による「資本主義の黄金時代」の行き詰まり(1970年代頃から)
→新自由主義による小さな政府と規制の緩和、貿易の自由化へ
→企業の多国籍化、グローバル・サプライチェーン化→グローバル・バリューチェーン化
→農産物や食品の世界貿易量も急増、食料の生産から消費までの距離も離れた
・1970年代初めの三大ショック
→オイルショック→安い石油が前提の大量生産・大量消費による経済成長の行き詰まり
→ドルショック(ニクソンショック)→総資産に対する金融資産の膨張
→穀物価格の急騰→天候不順?「穀物の大強盗」?
・食と農のグローバル化
→途上国に対する構造調整計画(穀物輸入など)の押し付け
→日本ではプラザ合意と前川レポートによる食料輸入と開発輸入
→1986ガット・ウルグアイラウンドからの食料貿易の自由化・規制緩和
・「中国のブタが世界を動かす(柴田明夫著 毎日新聞社2014)」より
→中国の農業生産は1980年代半ばに過剰生産になるほど自給できるようになった
→その後に経済発展を目指し海外からの投資・規制緩和・付加価値の高い商品作物生産へ
→特に海外投資を受けた近代的大規模畜産システムの発展→エサ穀物の大量輸入へ
→世界一の大豆輸入国・豚肉生産国に(他の食料も輸入大国に)
(日本や台湾からの投資を受けたインスタントラーメン生産も世界一に)
・総合商社のグローバル戦略
→日本の食関係の企業は高齢化する日本市場では成長しない
→海外でも特に成長する中国やアジア諸国へ多国籍企業として進出させる
→それらの海外進出をリードしているのが総合商社
→すでに投資と商取引を融合させてるので総合商社というより総合投資会社
→北米と南米から小麦、大豆、トウモロコシなどの食材を輸出し、中国などに輸入する
→同時に中国などの加工食品産業や畜産業に投資して食材の需要を喚起する
→中国アジアで需要を増やし、北米南米で供給を増やして、日本の総合商社が成長する戦略
・日系企業のグローバル展開
→1980年代から海外進出へと方針転換してきたが、近年は「グローバルフードバリュー
チェーン戦略」と称し、産官学連携での「Made WITH Japan」の推進へ
→「Made IN Japan」から「Made WITH Japan」へ切り替えて成長する戦略
→「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録も「日本人の伝統的な食文化」をブランド化して
グローバル展開していくための戦略の一環→食材は外国産でも構わない
→これは「食産業の海外展開」を後押しするものの、日本の農業や進出先での農民たちの生活、
日本と進出先の人々の食生活にどのような影響を与えるか・・・
→人の健康と自然環境のための食と農が軽視され、企業のビジネスと経済成長が目的の、
資本主義的食料システムの発展が目指されてはいないか・・・
・今後どのように持続可能な経済の仕組みをつくり人の健康と自然環境に望ましい食と農の
システムを築いていくか考える必要がある
「おわりに」より
・資本主義のすべてを悪と決めるのではなくシステムの成り立ちとカラクリを理解する
・商品としての価値ではなく使用価値(有用性)を重視する社会に移行する(斎藤幸平)
・自分で食事を用意できるスキルを持つ→自己防衛や環境負荷を減らすためにも必要
・地域に根ざした食と農のシステム(表紙カバー)に→自分が食べるものが見えてくる
・「命か経済か」より「命のための経済」を取り戻すことが大切→経世済民
「あとがき」より
・自然と人のつながりで育てられた「食べもの」と「商品(食品)」との違いを実体験したことが
食と資本主義の歴史を研究する今につながった
・食べものの世界には(じつは)ドロドロした政治経済の話が多い
→例えば大豆には伝統食・健康食のイメージより、ブラジルの森林火災やモザンビークの
追い詰められた小農たちの血と涙の話が聞こえてくる
・資本主義が好きでも嫌いでも、そのO.Sを理解しなければ食の問題を見誤ると思う
・命を食すことを教えてくれた鳥たち、一番多くを教えてくれた亡き夫に感謝を込めて・・・
冒頭にも書きましたが、食から経済や歴史をジュニアにも学んでもらおうとする本で、
とてもわかりやすく、参考文献や参考サイトも数多く紹介されてました
わたくしも何冊か図書館に予約しましたので、いずれまた・・・
それにしても食の変化というのは嗜好の変化というより、資本主義経済の世界戦略の変化に、
大きく影響されているという事実は、あらためて認識する必要がありますね
まあ、わたくしの「粉もん」嗜好は絶対に外せないけど、最近は小麦の価格が・・・
「食べものから学ぶ世界史」~人も自然も壊さない経済とは?~のご紹介であります
著者は平賀 緑(表紙カバーイラストはふしはらにじこ)
裏表紙カバーにあった惹句
著者略歴・発行所・発行年月日などについては奥付のとおり
そう、岩波ジュニア新書シリーズで、ま、中高生向けレベルでしょうか・・・
奥様が借りられた本ですが、わたくし向けレベルでボリュームも新書版で160頁ほど、
前回記事の分厚いハードカバーと異なり、挫折せずに最後までスラスラと読めましたが、
食と経済と歴史の関係をジュニアにも分かるよう、まとめるのは大変だったでしょうね
著者は食料栄養学の修士号と経済学の博士号をお持ちのようで、この両方の分野を学ばれた方
とゆーのはけっこう稀少なのではと思ってます
例によって目次のみのご紹介
目次を順番に眺めるだけでも食と経済の歴史が覗えます
以下、わたくしの読後メモから・・・
(分かりやすい本でしたが、てきとーメモなので興味を持たれた方は本書のご熟読を)
「はじめに」より
・命か経済か?
→経済の語源は「経世済民」→世を治めて民を救うこと
・世界には120億人を養うのに充分な食料がある
→現在78億人の世界人口のうち、慢性的な栄養不良(飢餓人口)は7~8億人
→充分な量と質の食料を得ることができない中~重度の食糧不安人口は約20億人
→同時に食べ過ぎによる不健康で寿命を縮めている人は十数億人
・農家は食べて行けず廃業し、膨大な資源を使って生産した食料の1/3が廃棄されている
・農業と食料システムで排出される温室効果ガスは全体の26%~34%ともいわれている
・人と社会と地球を壊しながら食料増産して経済成長することが生きるために必要?
→健康や自然環境を切り捨て、お金で測れる部分だけで効率性や成長を目指す仕組みだから当然
→この「資本主義経済」はせいぜい200~300年前からで日本では150年前から
→自然の法則でも不変のシステムでもない
→資本主義経済の成り立ちを「食べもの」が「商品」に変わったところからまとめてみた
序章「食べものから資本主義を学ぶとは」より
・飢餓があるから、アジア・アフリカで肉や油の需要が増えるから、人口が90億人に増えるから、
農業生産は大規模に近代的に拡大していくことが必要?
・飢餓があるいっぽうで食べ過ぎや肥満があるのはなぜか?
→「食べもの」が「商品」になり資本主義経済に組み込まれたから
→お金がないと食べられないから
→食べるために働くことの意味が変わったから
→食べるモノ=自分で栽培・育てるモノから買うモノ=商品=食品へ
→商品は売って利潤を得るモノで自分で使うモノではない
→自分で使うモノは使用価値が重要だが商品は交換価値が重要(商品作物)
・人と自然を破壊しても、それでお金が動けばGDPはプラスになる(肥満の惑星)
→必要以上に消費すれば(食べ過ぎれば)経済成長する
→それでメタボになってジムや医者に行けば経済成長する
→さらにトクホやダイエット食品を買い食いすれば経済成長する
→食品ロスを増やせば処理事業とかで経済成長する
→自家菜園とかで健康な食生活をしてもGDPには計上されず経済成長にはつながらない
・資本主義とは→やめられない止まらない(NHK欲望の資本主義)
→必要な食べ物だけを売って儲けられる時代は終わったが売り続けないと成長できない
→新商品、名産品、ご当地グルメ、キャラクター商品・・・
→塩や砂糖や油も人間の本能以上に食べさせる(商品を買わせる)創意工夫で売り続ける
→市場が成熟しモノがあふれていても競争し続けなくてはならないから
→フロンティアを海外や貧しい人たちにも広げてきたが、そろそろ飽和状態に
・1980年代から、さらに経済成長しようとする新自由主義やグローバリゼーションへ
→金融資産の実体経済サイズを超えた膨張により、新しいフロンティアが求められた
→必要以上に人を動かす過剰な観光業の推進、水道など公共事業の民営化、データの商品化、
経済の金融化、マネーゲーム・・・
→資本主義が好きな人も嫌いな人も現在はこのシステムで生きている
→気候危機とパンデミックで問題が表面化した今こそシステム・チェンジに取り組むべき
1章「農耕の始まりから近代世界システムの形成まで」より
・学校では狩猟採集⇒農耕・牧畜⇒文明⇒都市⇒国家と人類は発展したと教わったはず
・ところが「反穀物の人類史」(ジェームス・C・スコット著みすず書房2019)によれば、
→農耕・牧畜は支配する側の都合によるもので、人類は逆に不健康になった、
→小麦・大麦・コメ・トウモロコシを主食にした→世界消費カロリーの過半数になるほど
→食べ物は多様性に富むほうが人にも自然にも、健康のためには望ましいはず
→作物も動物も人間も、単一栽培や家畜化や都市化で密になり、病原体の繁殖と変異が増えた
→穀物は育てるのにも食べるのにも手間がかかるが長期保存や輸送ができる
→富・軍備の蓄積に都合がよく、収穫量を正確に査定でき課税も配分もしやすい
→主食として人民や奴隷に生産させた政治的作物
→都市や国家には興亡があったが近代までは大多数が身近な田畑や自然から食を得ていた
(貿易はごく一部の富裕層のための小型軽量な貴重品に限られていた)
・大航海時代と重商主義
→欧州の経済と金融の中心はイタリア半島の都市からオスマンの東方占拠などにより、
大西洋側にあるイベリア半島のポルトガルやスペインへ
→新世界から奪った金銀により、お金が増えて食料の物価が上昇し混乱した
→うまく活用したのはオランダと英国で経済と金融の中心も北上した
→大量に運べるハンザ同盟などの北海バルト海貿易(麦類や塩漬けニシンやタラなど食料も)
→重商主義とは植民地から奪った富が多い国が強い国になるという政策
→欧州の重商主義で地域経済社会が破壊された植民地が後進国・途上国といわれる地域に
・資本主義と産業革命の始まり
自給自足⇒家内制手工業⇒機械制大工業・・・(略)
→都市部の労働者は自分で食べものを作る土地も時間も台所もなく商品を買うしかない
→需要が生まれ商品の市場が形成される
→北米からの小麦パンと、カリブ海からの砂糖の入ったインドからの紅茶→世界商品に
→すべて植民地の奴隷労働によるもので莫大な利益に(三角貿易)
→パンと甘い紅茶は工場経営者が必要としていた労働者向けの簡便・低価格・高カロリー食
→大量生産された白い小麦パンと白い砂糖での長時間・低賃金労働→身体はボロボロに
→1845年の関税撤廃→地主と資本家の立場が逆転し、さらに・・・
2章「山積み小麦と失業者たち」より
・自由放任主義による競争と過剰生産→大量生産したものを大量消費させる
→労働者の購買力(賃金)をある程度維持しつつ国内に商品があふれたら海外へ
・19世紀末から過剰生産・価格暴落による倒産・失業の恐慌は始まっている
・第一次世界大戦後のアメリカ好景気からバブル崩壊、1929年の世界恐慌へ
→アメリカの戦争特需→農業バブル→戦争終結→欧州などの農業再開→農業バブル崩壊
→銀行から借金したまま農家が次々と廃業→ウォール街の株価大暴落→大不況
(食料が余って暴落していても、失業でお金がなければ買うことはできない)
→アメリカから借金して賠償金にしようとしていたドイツに感染→大不況
→ドイツからの賠償金で戦後復興しようとしていた英国・フランスに感染→大不況
→世界中に感染し世界恐慌に
→アメリカ政府はまず緊縮財政とデフレ政策による自然回復という伝統的手法
→1933年のニューディール政策・ケインズ理論→政府介入による経済回復
→実際には第二次世界大戦の戦争特需により立ち直った
3章「食べ過ぎの『デブの帝国』へ」より
・戦後の大きな政府・大量生産+大量消費による経済成長→資本主義の黄金時代
→農業・食料部門も工業化・大規模化→農薬・化学肥料・農業機械による大量生産へ
→農業は自立的な営みから、大規模生産した商品作物の(製品)原材料としての出荷に
→商品として大量生産すれば資本主義では市場拡大が必要(胃袋には限界があるので)
→海外へ拡大するか新商品にして消費拡大する
→アメリカは食料援助から海外市場の拡大へ、冷戦で戦略的な意味も持つようになる
・「デブの帝国」(グレッグ・クライツァー著パジリコ2003)より
→トウモロコシは家畜の飼料と油やスターチから高果糖コーンシロップにも(1970年代から)
→あらゆる加工食品と動物性食品に姿を変えて間接的に大量消費されている
→アメリカ人は「歩くトウモロコシ」に、日本人も身体の炭素の4割がトウモロコシ由来に
→大豆も多くは油と添加物の原材料に、大豆粕は家畜の飼料に大量消費されている
→どちらも大量生産・大量加工・大量流通・大量消費の構造が形成され、安くて豊富でおいしい、
高カロリー食品がいっぱいの時代が到来し「デブの帝国」が出来上がった
→この過程で利潤を得たのは農民や消費者ではなく、穀物商社・食品製造業・小売業・外食産業
→米国中心のモデルだが日本でも複製され、現在は中国・インド・アジア・アフリカにも・・・
4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」より
・国連世界食糧計画のハンガーマップ2020を見ると飢餓地域の殆どが昔の植民地の地域
→飢餓とは慢性的な栄養不足で生存や生活が困難になっている状態を指すが、
→最近では糖分や油でカロリーだけは足りるか過剰になっている「隠れた飢餓」も問題に
→世界には120億人が食べられる食料があるのに餓死しているのだから飢餓は殺人そのもの
→飢餓地域の75%が農村
→「商品作物を作る産業」としての農業で生活できなくなったから
→植民地に貧困と飢餓が作られてきた歴史に根本的な要因がある
・17世紀から1970年代までの歴史
→植民地の資源も人も奪い欧州に安く提供し植民地を工業製品の市場とした(三角貿易など)
→1960年代に多くが独立したが英国の新植民地主義で輸出向け農業が継続された
→第二次世界大戦後のアメリカは過剰生産した小麦や大豆などを食料援助名目で大量輸出した
(旧植民地(途上国)の農民は太刀打ちできず困窮していく)
→マーシャルプランでやがて欧州も過剰生産になり途上国へ(開発や技術援助名目で)
→1960年代の「緑の革命」
→一代雑種(ハイブリッド)・農薬・化学肥料・機械化・灌漑(大量の水)による高収穫
→維持するためにはこれらを先進国から買い続けなければならない
(現地の在来品種を駆逐し生物多様性も90%減少させた)
→収穫増で恩恵を受けたのは裕福な農家で貧しい農家は穀物価格の下落で破産
→市場が飽和すると自給自足していた小規模農家にも借金させて普及させた
→農家は借金まみれになり利潤は企業へ(メキシコ農民の例)
→緑の革命は穀物の収穫量を増やしたが多数の飢餓を作り出した
・1980年代から世界はさらにグローバル化し新自由主義によって、途上国でも食と農を
その中に組み込みながら経済成長を求め続けている・・・
5章「日本における食と資本主義の歴史」より
・「日本にはコメを中心にした素晴らしい和食があったのに戦後の経済成長により西洋化、
アメリカナイズされ、食料自給率の低下や食生活の乱れに・・・」というのが通説
→ところが米国の小麦や英国の砂糖が入ってきたのは19世紀半ばで世界商品となった時期
→明治期から政府・軍部・財界・大企業が食に関係してきた
・近代前の農民の糧飯(かてめし)は少量のコメに雑穀や野菜を混ぜた混ぜご飯が多かった
→当時大多数だった農民にとって、コメは年貢として収めるもので日常食ではなかった
→明治の産業革命以降に労働者や兵士のための新たな食料システムが形成された
・江戸時代に商品経済が発展していたので、明治になっても外国人の貿易を居留地に留め
欧米資本の侵入を食い止めて、日本での資本蓄積を可能にした
→この実力と環境が19世紀のアジアで唯一、産業革命を遂行できた要因の一つ
→産業革命の資金(外貨)を稼がせるため、既存の大商人を「政商」にし支援・保護した
→政商は貿易を担い海外へ、領事館・銀行と三位一体でアジアにも進出
(世界商品である小麦、砂糖、満州の大豆→日本版東インド会社)→今も続く大手食品産業へ
・1914~1945
→第一次世界大戦の戦争特需→大豆油脂などが拡大
→その後の世界恐慌→昭和恐慌→製糖・製油(当時世界の4割)などは大手企業の寡占状態へ
→第二次世界大戦の戦争遂行→さらに製油・製粉・製糖は拡大し今も続く大手企業に
→敗戦から10年で高度経済成長(資本主義の黄金期)へ・・・
・通説的には「経済成長すれば食生活が変化し、肉や油や乳製品を求めるようになる」が、
→これは人間の本能なのか、消費者の嗜好の変化だけが理由なのか・・・
→1910~2010の純食料供給量の変化をよく見ると、戦後には小麦の供給量も増えているが、
それよりも野菜、牛乳・乳製品、魚介類が急増している
→ご飯がパンに代わったというより、真っ白なご飯に野菜・魚介類のおかずを充実させた
→これが今「和食」でイメージされる日本型食生活で、戦後に確立されたもの
(農林水産省のすすめる日本型食生活も昭和50年代(1975~)のバランスのとれた食事)
・戦後の飢餓脱出期(1945~1954)
→飢餓は財閥が移入していた食料の途絶、農村の担い手不足、帰国者の急増などから
→アメリカの食料援助(冷戦との関係、穀物商社・大手食品企業の思惑も)
・内食充実期(1955~1969)
→朝鮮戦争特需→産業・農業の復興→食料供給量の増加
→米国の農業機械・農薬・化学肥料による大量生産→過剰→市場拡大へ
→粉食(パンや麺類)、油食(マーガリンなど)の推奨→スナック・加工食品の発展
→スーパー誕生などの流通革命、テレビによる新商品の宣伝・・・
→食品の大量生産・大量流通・大量消費時代の到来
→戦中・戦後の食生活を恥じる親世代は、娘に料理番組や料理学校で学ぶことを勧めた
→日本の伝統や農業とはかけ離れた料理を教わり家族のために作る「内食」が充実
・外食発展期(1970~1979)
→屋台やハレの食事から、低価格・大量販売・多店舗展開の大量消費社会へ
→大阪万博1970への飲食店出店、外国企業への規制緩和(資本の自由化)がきっかけ
→ハンバーガー、ドーナツ、フライドチキン、ピザ、アイスクリーム・・・
→小麦粉・油・動物性食品・砂糖を使った外食が広まり需要が増加
・飽食・グルメ期(1980~1990)
→肥満、飽食の時代、総グルメ、バブル経済・・・
→1980年代からの新自由主義とグローバリズム
→1985年のプラザ合意
→食料の開発輸入と食品産業の海外進出→食市場のグローバル化の加速
・中食興隆期(1991~1999)
→1991年のバブル崩壊によりコンビニ弁当などの低価格志向へ
・戦後の食料需給の変化は食の洋風化という消費者の嗜好の変化だけではない
→戦前の財閥時代から近代化に関わってきた総合商社が製油・製粉・製糖にも介入していた
→戦後の穀物・油糧種子の輸入から食品加工、外食、加工型畜産、流通・小売りまで各段階の
食料システムの形成にも大きく関与している
→例えば日本ケンタッキーに投資した三菱商事は、エサとなる穀物の輸入から配合飼料の製造、
養鶏、鶏肉処理産業、畜産物販売業まで一連の各段階に関与している
・戦前から引き継がれた大手食品企業や総合商社に支えられながら、輸入原料に依存した
戦後の食料システムが構築され、食生活に影響してきた
→農業や食文化、消費者の嗜好を超えた、世界経済の中の政策決定と産業動向によるもの
→現在では、ここで成長した食品産業がグローバルに展開している
6章「中国のブタとグローバリゼーション」より
・戦後の大きな政府による「資本主義の黄金時代」の行き詰まり(1970年代頃から)
→新自由主義による小さな政府と規制の緩和、貿易の自由化へ
→企業の多国籍化、グローバル・サプライチェーン化→グローバル・バリューチェーン化
→農産物や食品の世界貿易量も急増、食料の生産から消費までの距離も離れた
・1970年代初めの三大ショック
→オイルショック→安い石油が前提の大量生産・大量消費による経済成長の行き詰まり
→ドルショック(ニクソンショック)→総資産に対する金融資産の膨張
→穀物価格の急騰→天候不順?「穀物の大強盗」?
・食と農のグローバル化
→途上国に対する構造調整計画(穀物輸入など)の押し付け
→日本ではプラザ合意と前川レポートによる食料輸入と開発輸入
→1986ガット・ウルグアイラウンドからの食料貿易の自由化・規制緩和
・「中国のブタが世界を動かす(柴田明夫著 毎日新聞社2014)」より
→中国の農業生産は1980年代半ばに過剰生産になるほど自給できるようになった
→その後に経済発展を目指し海外からの投資・規制緩和・付加価値の高い商品作物生産へ
→特に海外投資を受けた近代的大規模畜産システムの発展→エサ穀物の大量輸入へ
→世界一の大豆輸入国・豚肉生産国に(他の食料も輸入大国に)
(日本や台湾からの投資を受けたインスタントラーメン生産も世界一に)
・総合商社のグローバル戦略
→日本の食関係の企業は高齢化する日本市場では成長しない
→海外でも特に成長する中国やアジア諸国へ多国籍企業として進出させる
→それらの海外進出をリードしているのが総合商社
→すでに投資と商取引を融合させてるので総合商社というより総合投資会社
→北米と南米から小麦、大豆、トウモロコシなどの食材を輸出し、中国などに輸入する
→同時に中国などの加工食品産業や畜産業に投資して食材の需要を喚起する
→中国アジアで需要を増やし、北米南米で供給を増やして、日本の総合商社が成長する戦略
・日系企業のグローバル展開
→1980年代から海外進出へと方針転換してきたが、近年は「グローバルフードバリュー
チェーン戦略」と称し、産官学連携での「Made WITH Japan」の推進へ
→「Made IN Japan」から「Made WITH Japan」へ切り替えて成長する戦略
→「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録も「日本人の伝統的な食文化」をブランド化して
グローバル展開していくための戦略の一環→食材は外国産でも構わない
→これは「食産業の海外展開」を後押しするものの、日本の農業や進出先での農民たちの生活、
日本と進出先の人々の食生活にどのような影響を与えるか・・・
→人の健康と自然環境のための食と農が軽視され、企業のビジネスと経済成長が目的の、
資本主義的食料システムの発展が目指されてはいないか・・・
・今後どのように持続可能な経済の仕組みをつくり人の健康と自然環境に望ましい食と農の
システムを築いていくか考える必要がある
「おわりに」より
・資本主義のすべてを悪と決めるのではなくシステムの成り立ちとカラクリを理解する
・商品としての価値ではなく使用価値(有用性)を重視する社会に移行する(斎藤幸平)
・自分で食事を用意できるスキルを持つ→自己防衛や環境負荷を減らすためにも必要
・地域に根ざした食と農のシステム(表紙カバー)に→自分が食べるものが見えてくる
・「命か経済か」より「命のための経済」を取り戻すことが大切→経世済民
「あとがき」より
・自然と人のつながりで育てられた「食べもの」と「商品(食品)」との違いを実体験したことが
食と資本主義の歴史を研究する今につながった
・食べものの世界には(じつは)ドロドロした政治経済の話が多い
→例えば大豆には伝統食・健康食のイメージより、ブラジルの森林火災やモザンビークの
追い詰められた小農たちの血と涙の話が聞こえてくる
・資本主義が好きでも嫌いでも、そのO.Sを理解しなければ食の問題を見誤ると思う
・命を食すことを教えてくれた鳥たち、一番多くを教えてくれた亡き夫に感謝を込めて・・・
冒頭にも書きましたが、食から経済や歴史をジュニアにも学んでもらおうとする本で、
とてもわかりやすく、参考文献や参考サイトも数多く紹介されてました
わたくしも何冊か図書館に予約しましたので、いずれまた・・・
それにしても食の変化というのは嗜好の変化というより、資本主義経済の世界戦略の変化に、
大きく影響されているという事実は、あらためて認識する必要がありますね
まあ、わたくしの「粉もん」嗜好は絶対に外せないけど、最近は小麦の価格が・・・