2022年11月15日
家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~
とーとつですが・・・
「家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~」とゆー本のご紹介であります

表紙カバー裏にあった惹句

わたくし以前、日本の農村とゆー本や、東アジアの農村とゆー本を読んでて、家族の仕組み
についても、いつかはまとまった本を読んでみたいと思ってました
で、TV番組「欲望の資本主義」にも登場されてたエマニュエル・トッド氏の本書を知り、
上下巻をあわせて借りてみた次第・・・
ただし上下巻あわせると本編だけで800頁以上ある大著で内容も濃く、門外漢のわたくしが
(図書館の返却期限までに)下巻の最終章まで辿り着けるのか・・・おろおろ
つーことで、とりあえず・・・

上下巻の表紙と、

上下巻通しの目次も(念のため)アップしておきます
ちなみに左端に(未完の)「第Ⅱ巻に向けて」とゆー項がありますが、執筆予定の第Ⅱ巻では
第Ⅰ巻以外の地域も全て網羅して人類の再統一(再単一化)を促進する本にする・・・
とありました
で、裏表紙カバー裏にあった著者紹介

監訳者、訳者、発行所、発行年月日などは奥付のとおり

(左親指の爪が黒ずんでますが先月はじめに爪の根元をクルマのドアに挟んだもの、生え変わるのに時間がかかるのね)
とりあえず上巻の目次であります


以下、難解な部分は読み飛ばしつつ、目についた部分のみの読書メモ・・・
序説「人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」より
・以下は40年に及ぶ家族構造の研究成果と20年以上に及ぶ調査結果
→近代化の軌道の多様性は伝統的家族構造の多様性によるという仮説の証明
(例)
・共産主義イデオロギーの地理的分布
→伝統的農民層の「共同体家族」分布と重なる
・イングランドの「絶対核家族」(親子関係は自由で平等には無関心)
→アングロ・サクソンの個人主義と政治的自由主義へ
・パリ盆地の「平等主義核家族」(子供たちは自由で兄弟間は平等)
→1789年フランス革命の承認→普遍的人間の観念へ
・ドイツと日本で支配的な「直系家族」(父親の権威と兄弟間の不平等)
→近代化移行期での民族中心主義・権威主義的イデオロギーと運動の促進へ
・ただし過去の諸価値はイデオロギーの混乱で一時的に具現化されるに過ぎない
→イスラム圏(共同体型)は家族の解体から原理主義という別のイデオロギーを生み出した
・人類共通の起源的家族形態は、定義して、離脱過程を復元することができる
→ヨーロッパが短期であれ発展トップになれたのは家族システムの変遷を経験しなかったから
→だがルソン島アグタ人、フエゴ島ヤーガン人、ロッキー山脈ショショニ人なども同じ核家族型
→この事実は構造主義的思考では説明できない
→周辺地域の保守性原則(PCZP)、木骨造家屋の分布、アメリカ大陸文化の間歇的分布から
・核家族を包含するバンド(ホルド・現地集団)→双方核家族
→大家族制・直系家族制・一夫多妻制・一妻多夫制などは後の発明物
→親族集団(バンド)の役目が、やがて国家に変わったのか?
・農耕民族は文明(農耕・都市・冶金・文字)の犠牲者なのか?
→1960年代半ばから食物と健康に優れ余暇が多い狩猟採集民が称揚されているが、
→文明は拡大の潜在力を秘めており、技術的・軍事的に強力になる
→父系原則は組織編制力を持ち軍事化を容易にする(尊属への帰属)
・中東での農耕の発明はBC9000年頃でほぼ確定している
→父系原則は農耕より後で、さらに文字よりも後→歴史時代以降
(本書で証明する仮説)
1起源的家族は夫婦を基本的要素とする核家族型で、
2国家と労働による社会的分化までは複数の核家族からなる親族現地バンドに包含されていた
3この親族集団は男系女系いずれを介するかは未分化であり双方的で、
4女性のステータスは高かったが男性と同じ職務を持つわけではない
5直系家族、共同体家族、複合的な家族構造はこれより後に出現した
(イトコ婚の研究等・・・以下略)
第1章「類型体系を求めて」より
・核家族→直系家族→共同体家族へと移行したのか?
→国王(父親)権力の正当性のための説?→聖三位一体説
・父系、母系、直系、一時的同居、末子相続、長子相続、近接居住、囲い地内集住・・・(略)
(家族の類型体系)
・父方居住・母方居住・双処居住
×
・共同体家族・直系家族・結合核家族
=9
+
・一時的同居もしくは近接居住を伴う核家族
×
・父方・母方・双居
=3
+
・平等主義核家族
・絶対的核家族
・追加的な一時的同居を伴う直系家族
→合計15の類型に分類できる(説明は略)
第2章「概観」~ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住~より
・ユーラシアの民族サンプル214(興味ある膨大な地図と説明でしたが略)から
→双処居住システム、核家族システム、母方居住は周縁部に存在する
→父方居住の中央部性と複合性
・中国、日本、インド、東南アジア、ヨーロッパ、アラブ・ペルシャと各圏ごとに検討する
(アラブ・ペルシャ圏は古くはメソポタミアとエジプトの領域)
第3章「中国とその周縁部」~中央アジアおよび北アジア~より
・中国文化が出現・確定化した中枢部は父方居住共同体家族地帯
・一番目の同心円上には直系家族形態がチベット、北部ベトナム、中国南部、台湾、朝鮮を通って
日本へ至る地理的な弧を描いており、一時的父方同居を伴う核家族ケースを含んでいる
→この核家族ケースは北東側ではウクライナ、ルーマニアにまで達している
・二番目の同心円上では母方居住・核家族類型が南から東への弧を描いている
→西側部分では一時的父方同居を伴う核家族が支配的
・三番目の同心円上では双処居住核家族システムがフィリピン諸島からベーリング海峡まで
東の弧を描き、西側は遊牧民の一時的父方同居を伴う核家族形態
(各地域形態の詳細、歴史などは略)
・拡張農業文明の中心部では土地は希少になり移住が困難になって集約化へ
→土地相続の問題→直系家族の仕組みを発明(後のヨーロッパでは王による長子相続)
・末子相続と長子相続の前後(略)
・遊牧民の家族・親族類型、父方居住共同体・・・(以下略)
第4章「日本」より
・日本の歴史時代は短く古事記が712年で、ゲルマン圏(ザクセンに文字が785年)に近い
→文字からは1400年で農業からは2500年しかない(中国では3300年と8500年)
→ただし稲作以前の独自の狩猟採集時代が1万年以上続いていた
→狩猟採集で支えられる人口としては相対的に密度が高かった
→豊富な狩猟採集(特に他の地域に類を見ない魚介海産物)は安定的な共同体の出現をもたらし、
その稠密性により一定程度の複合性を持つ技術と社会形態の形成が可能だった
・縄文末期の婚姻後夫婦の居住は(遺伝子分析により)双処居住
→これは双方的親族システムで、我々が近代的と信じているもの
・日本は侵略されずに歴史が続いた稀なケース
→家族形態の伝播と普及は軍事的征服ではなく自発的に模倣した結果
・北東部と南西部に分類できる
(残留末子相続と絶対長子相続の類型では北東部をさらに3分類できる)
→北東部では直系家族より複合的な家族形態が存在する(隠居など?)
→南西部より貧弱な農業と低い人口密度から巨大労働集団に?
・日本の直系家族(イエ・分家?)についての近年の論争
→男性長子相続と直系家族の制度化は19世紀末から
→普遍的ではなく(妻の親族を含む)養子を相続人とすることも頻繁に行われていた
→多様性・複合性はあるが古典的直系家族モデルが君臨
・(文字資料では社会構造の高い層しか見えないが・・・)
→中国的父系原則と日本的双方基底の二元性文化→平安時代まで
→長子相続の台頭→鎌倉時代から→父方居住と女性ステータスの低下へ
・日本型直系家族の発明
→日本の直系家族・封建時代は中国で消滅してから1000年後
→両国の最初の緊密接触時には、中国ではすでに共同体家族化されていた
→直系家族への移行は漸進的であり北東部では(必要なかった社会に)輸入された結果?
・沖縄の家族類型(略)
・アイヌ人の家族類型(略)
・日本南西部、沖縄、済州島を包括する古い文化圏(略)
・イトコ婚(略)
・朝鮮に関するメモ(略)
第5章「インド亜大陸」より
・農耕も文字も極めて早いが歴史の長さが同一ではなく不連続
・現在のパキスタン中心部ではインダス文明が出現し(BC2800)消滅した(BC1700)
→豊かな農耕とメソポタミアに繋がる通商で繁栄していた
→文字が解読不可能なことから完全に独立した文明だった?
→ペルシャ湾奥のメソポタミアには海路で近いので影響はあったはず
→アーリア人の侵略だけでなく灌漑により衰退した
・インド亜大陸は地理・言語・ヒンズーのカースト・部族・民族により分断される
→サンプルではインドを代表する住民集団は38としたが、この章では11追加して49に(略)
→北部と西部は世帯の複合性が最大の地帯
→南部と東部は最小の地帯
→中央部はその中間地帯
→革新と侵略の大部分は北西部からで、複合性の伝播と一致する
→オリッサの地図上では共同体家族空間と核家族空間の切れ目が明瞭で、共同体家族が
陸路でも海路でも交通が単純な地帯を経由して伝播したことがわかる
・49のサンプルは多様でインドで主張されている「合同家族」優位というわけではない
→周辺地域の保守性はあり核家族と共同体家族の中間局面である直系家族
・ヒマラヤの直系家族、その南部での痕跡、末子相続の周縁性・・・(略)
・直系家族登場の原因は稠密性か伝播か(略)
・古代の直系家族と初期のカースト(略)
・遊牧民の侵略と共同体家族への移行→スキタイ人の侵略(略)
・空間的分化の起源、性行為礼賛、女性のステータス、中世の移行・・・(略)
・イトコ婚、ヒンズーの外婚制とイスラムの内婚制、周縁部の婚姻・・・(略)
第6章「東南アジア」より
・広大な半島と島々はユーラシアの周縁部だがユーラシアの農業・文字・家族の起源に重要
→ただしチモール島とマラッカ諸島から向こうは家族も農業もニューギニア世界に入る
→ニューギニアは独自の菜園耕作と森林管理で人口密度が高くユーラシアとは別世界→別項で
・東南アジアの農業はBC3000年から段階的に到来
→ベトナムだけが中国から、それ以外の文化的影響はインドから→農業革新の第二波
→高地ではいまだ中国で栽培化されたジャポニカ米だが平野部ではインディカ米
・文字、宗教、言語、国家・・・(略)
→集約農業と粗放空間の共存→帝国は固定化(奴隷化)に努めたが移動耕作を放棄していない
→1800年頃の人口→中国3億3千万人、日本3千万人、東南アジアは全体で2800万人だった
→2005年の人口→中国は4倍、日本は4.2倍になったが東南アジア9ヶ国では20倍に
→なので家族システムは、この間に大きく変化した可能性もある
・サンプル分布、類型分布・・・(略)
→家族類型総計の82%は核家族の変種→核家族は周縁部で古代的という仮説に完全に一致する
→中央部では母方居住で一時的居住を伴う核家族と結びつく→国家を持つ民族との一致
・ボルネオ島の四つの住民集団
・イバン人
→長大なアパルトマン(分割不可能)に三世代を連合させる規則的発展サイクル
→焼畑に加え米・漁労・狩猟・採集で生活し世代の単線的な継承
→これらから土地の実際の所有権は長大な家屋に住む集団にあり各世帯は使用権のみ
→直系的世帯は双方的な親族の絆で互いに繋がっている
→同居する既婚の子どもは息子でも娘でもいいが大抵は長子→双処居住直系家族
・陸ダヤク人、マロー人、プナン人も双処居住直系家族に分類されるがデータ不足
(ボルネオ島はあまり民俗誌化されていない)
・歴史
→フィリピン、ボルネオ北部、セレベス(スラウェシ)の核家族システムと双処居住直系家族の
システムは明快な組織編制原則を持たないことからも、人類の起源的な類型に近い残存システム
→フィリピン諸島やボルネオ島の男女系統を区別することのない用語体系の絶対的な優位性
→双処居住性と親族用語体系の未分化性は古代的であり、いまだに調和を保っている
・父方居住、母方居住、家族と人口密度、長子相続、外婚制・・・(略)
云々・・・
と、いつかは下巻メモに続く・・・のだろうか・・・ひいひい
「家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~」とゆー本のご紹介であります

表紙カバー裏にあった惹句

わたくし以前、日本の農村とゆー本や、東アジアの農村とゆー本を読んでて、家族の仕組み
についても、いつかはまとまった本を読んでみたいと思ってました
で、TV番組「欲望の資本主義」にも登場されてたエマニュエル・トッド氏の本書を知り、
上下巻をあわせて借りてみた次第・・・
ただし上下巻あわせると本編だけで800頁以上ある大著で内容も濃く、門外漢のわたくしが
(図書館の返却期限までに)下巻の最終章まで辿り着けるのか・・・おろおろ
つーことで、とりあえず・・・

上下巻の表紙と、

上下巻通しの目次も(念のため)アップしておきます

ちなみに左端に(未完の)「第Ⅱ巻に向けて」とゆー項がありますが、執筆予定の第Ⅱ巻では
第Ⅰ巻以外の地域も全て網羅して人類の再統一(再単一化)を促進する本にする・・・
とありました

で、裏表紙カバー裏にあった著者紹介

監訳者、訳者、発行所、発行年月日などは奥付のとおり

(左親指の爪が黒ずんでますが先月はじめに爪の根元をクルマのドアに挟んだもの、生え変わるのに時間がかかるのね)
とりあえず上巻の目次であります


以下、難解な部分は読み飛ばしつつ、目についた部分のみの読書メモ・・・
序説「人類の分裂から統一へ、もしくは核家族の謎」より
・以下は40年に及ぶ家族構造の研究成果と20年以上に及ぶ調査結果
→近代化の軌道の多様性は伝統的家族構造の多様性によるという仮説の証明
(例)
・共産主義イデオロギーの地理的分布
→伝統的農民層の「共同体家族」分布と重なる
・イングランドの「絶対核家族」(親子関係は自由で平等には無関心)
→アングロ・サクソンの個人主義と政治的自由主義へ
・パリ盆地の「平等主義核家族」(子供たちは自由で兄弟間は平等)
→1789年フランス革命の承認→普遍的人間の観念へ
・ドイツと日本で支配的な「直系家族」(父親の権威と兄弟間の不平等)
→近代化移行期での民族中心主義・権威主義的イデオロギーと運動の促進へ
・ただし過去の諸価値はイデオロギーの混乱で一時的に具現化されるに過ぎない
→イスラム圏(共同体型)は家族の解体から原理主義という別のイデオロギーを生み出した
・人類共通の起源的家族形態は、定義して、離脱過程を復元することができる
→ヨーロッパが短期であれ発展トップになれたのは家族システムの変遷を経験しなかったから
→だがルソン島アグタ人、フエゴ島ヤーガン人、ロッキー山脈ショショニ人なども同じ核家族型
→この事実は構造主義的思考では説明できない
→周辺地域の保守性原則(PCZP)、木骨造家屋の分布、アメリカ大陸文化の間歇的分布から
・核家族を包含するバンド(ホルド・現地集団)→双方核家族
→大家族制・直系家族制・一夫多妻制・一妻多夫制などは後の発明物
→親族集団(バンド)の役目が、やがて国家に変わったのか?
・農耕民族は文明(農耕・都市・冶金・文字)の犠牲者なのか?
→1960年代半ばから食物と健康に優れ余暇が多い狩猟採集民が称揚されているが、
→文明は拡大の潜在力を秘めており、技術的・軍事的に強力になる
→父系原則は組織編制力を持ち軍事化を容易にする(尊属への帰属)
・中東での農耕の発明はBC9000年頃でほぼ確定している
→父系原則は農耕より後で、さらに文字よりも後→歴史時代以降
(本書で証明する仮説)
1起源的家族は夫婦を基本的要素とする核家族型で、
2国家と労働による社会的分化までは複数の核家族からなる親族現地バンドに包含されていた
3この親族集団は男系女系いずれを介するかは未分化であり双方的で、
4女性のステータスは高かったが男性と同じ職務を持つわけではない
5直系家族、共同体家族、複合的な家族構造はこれより後に出現した
(イトコ婚の研究等・・・以下略)
第1章「類型体系を求めて」より
・核家族→直系家族→共同体家族へと移行したのか?
→国王(父親)権力の正当性のための説?→聖三位一体説
・父系、母系、直系、一時的同居、末子相続、長子相続、近接居住、囲い地内集住・・・(略)
(家族の類型体系)
・父方居住・母方居住・双処居住
×
・共同体家族・直系家族・結合核家族
=9
+
・一時的同居もしくは近接居住を伴う核家族
×
・父方・母方・双居
=3
+
・平等主義核家族
・絶対的核家族
・追加的な一時的同居を伴う直系家族
→合計15の類型に分類できる(説明は略)
第2章「概観」~ユーラシアにおける双処居住、父方居住、母方居住~より
・ユーラシアの民族サンプル214(興味ある膨大な地図と説明でしたが略)から
→双処居住システム、核家族システム、母方居住は周縁部に存在する
→父方居住の中央部性と複合性
・中国、日本、インド、東南アジア、ヨーロッパ、アラブ・ペルシャと各圏ごとに検討する
(アラブ・ペルシャ圏は古くはメソポタミアとエジプトの領域)
第3章「中国とその周縁部」~中央アジアおよび北アジア~より
・中国文化が出現・確定化した中枢部は父方居住共同体家族地帯
・一番目の同心円上には直系家族形態がチベット、北部ベトナム、中国南部、台湾、朝鮮を通って
日本へ至る地理的な弧を描いており、一時的父方同居を伴う核家族ケースを含んでいる
→この核家族ケースは北東側ではウクライナ、ルーマニアにまで達している
・二番目の同心円上では母方居住・核家族類型が南から東への弧を描いている
→西側部分では一時的父方同居を伴う核家族が支配的
・三番目の同心円上では双処居住核家族システムがフィリピン諸島からベーリング海峡まで
東の弧を描き、西側は遊牧民の一時的父方同居を伴う核家族形態
(各地域形態の詳細、歴史などは略)
・拡張農業文明の中心部では土地は希少になり移住が困難になって集約化へ
→土地相続の問題→直系家族の仕組みを発明(後のヨーロッパでは王による長子相続)
・末子相続と長子相続の前後(略)
・遊牧民の家族・親族類型、父方居住共同体・・・(以下略)
第4章「日本」より
・日本の歴史時代は短く古事記が712年で、ゲルマン圏(ザクセンに文字が785年)に近い
→文字からは1400年で農業からは2500年しかない(中国では3300年と8500年)
→ただし稲作以前の独自の狩猟採集時代が1万年以上続いていた
→狩猟採集で支えられる人口としては相対的に密度が高かった
→豊富な狩猟採集(特に他の地域に類を見ない魚介海産物)は安定的な共同体の出現をもたらし、
その稠密性により一定程度の複合性を持つ技術と社会形態の形成が可能だった
・縄文末期の婚姻後夫婦の居住は(遺伝子分析により)双処居住
→これは双方的親族システムで、我々が近代的と信じているもの
・日本は侵略されずに歴史が続いた稀なケース
→家族形態の伝播と普及は軍事的征服ではなく自発的に模倣した結果
・北東部と南西部に分類できる
(残留末子相続と絶対長子相続の類型では北東部をさらに3分類できる)
→北東部では直系家族より複合的な家族形態が存在する(隠居など?)
→南西部より貧弱な農業と低い人口密度から巨大労働集団に?
・日本の直系家族(イエ・分家?)についての近年の論争
→男性長子相続と直系家族の制度化は19世紀末から
→普遍的ではなく(妻の親族を含む)養子を相続人とすることも頻繁に行われていた
→多様性・複合性はあるが古典的直系家族モデルが君臨
・(文字資料では社会構造の高い層しか見えないが・・・)
→中国的父系原則と日本的双方基底の二元性文化→平安時代まで
→長子相続の台頭→鎌倉時代から→父方居住と女性ステータスの低下へ
・日本型直系家族の発明
→日本の直系家族・封建時代は中国で消滅してから1000年後
→両国の最初の緊密接触時には、中国ではすでに共同体家族化されていた
→直系家族への移行は漸進的であり北東部では(必要なかった社会に)輸入された結果?
・沖縄の家族類型(略)
・アイヌ人の家族類型(略)
・日本南西部、沖縄、済州島を包括する古い文化圏(略)
・イトコ婚(略)
・朝鮮に関するメモ(略)
第5章「インド亜大陸」より
・農耕も文字も極めて早いが歴史の長さが同一ではなく不連続
・現在のパキスタン中心部ではインダス文明が出現し(BC2800)消滅した(BC1700)
→豊かな農耕とメソポタミアに繋がる通商で繁栄していた
→文字が解読不可能なことから完全に独立した文明だった?
→ペルシャ湾奥のメソポタミアには海路で近いので影響はあったはず
→アーリア人の侵略だけでなく灌漑により衰退した
・インド亜大陸は地理・言語・ヒンズーのカースト・部族・民族により分断される
→サンプルではインドを代表する住民集団は38としたが、この章では11追加して49に(略)
→北部と西部は世帯の複合性が最大の地帯
→南部と東部は最小の地帯
→中央部はその中間地帯
→革新と侵略の大部分は北西部からで、複合性の伝播と一致する
→オリッサの地図上では共同体家族空間と核家族空間の切れ目が明瞭で、共同体家族が
陸路でも海路でも交通が単純な地帯を経由して伝播したことがわかる
・49のサンプルは多様でインドで主張されている「合同家族」優位というわけではない
→周辺地域の保守性はあり核家族と共同体家族の中間局面である直系家族
・ヒマラヤの直系家族、その南部での痕跡、末子相続の周縁性・・・(略)
・直系家族登場の原因は稠密性か伝播か(略)
・古代の直系家族と初期のカースト(略)
・遊牧民の侵略と共同体家族への移行→スキタイ人の侵略(略)
・空間的分化の起源、性行為礼賛、女性のステータス、中世の移行・・・(略)
・イトコ婚、ヒンズーの外婚制とイスラムの内婚制、周縁部の婚姻・・・(略)
第6章「東南アジア」より
・広大な半島と島々はユーラシアの周縁部だがユーラシアの農業・文字・家族の起源に重要
→ただしチモール島とマラッカ諸島から向こうは家族も農業もニューギニア世界に入る
→ニューギニアは独自の菜園耕作と森林管理で人口密度が高くユーラシアとは別世界→別項で
・東南アジアの農業はBC3000年から段階的に到来
→ベトナムだけが中国から、それ以外の文化的影響はインドから→農業革新の第二波
→高地ではいまだ中国で栽培化されたジャポニカ米だが平野部ではインディカ米
・文字、宗教、言語、国家・・・(略)
→集約農業と粗放空間の共存→帝国は固定化(奴隷化)に努めたが移動耕作を放棄していない
→1800年頃の人口→中国3億3千万人、日本3千万人、東南アジアは全体で2800万人だった
→2005年の人口→中国は4倍、日本は4.2倍になったが東南アジア9ヶ国では20倍に
→なので家族システムは、この間に大きく変化した可能性もある
・サンプル分布、類型分布・・・(略)
→家族類型総計の82%は核家族の変種→核家族は周縁部で古代的という仮説に完全に一致する
→中央部では母方居住で一時的居住を伴う核家族と結びつく→国家を持つ民族との一致
・ボルネオ島の四つの住民集団
・イバン人
→長大なアパルトマン(分割不可能)に三世代を連合させる規則的発展サイクル
→焼畑に加え米・漁労・狩猟・採集で生活し世代の単線的な継承
→これらから土地の実際の所有権は長大な家屋に住む集団にあり各世帯は使用権のみ
→直系的世帯は双方的な親族の絆で互いに繋がっている
→同居する既婚の子どもは息子でも娘でもいいが大抵は長子→双処居住直系家族
・陸ダヤク人、マロー人、プナン人も双処居住直系家族に分類されるがデータ不足
(ボルネオ島はあまり民俗誌化されていない)
・歴史
→フィリピン、ボルネオ北部、セレベス(スラウェシ)の核家族システムと双処居住直系家族の
システムは明快な組織編制原則を持たないことからも、人類の起源的な類型に近い残存システム
→フィリピン諸島やボルネオ島の男女系統を区別することのない用語体系の絶対的な優位性
→双処居住性と親族用語体系の未分化性は古代的であり、いまだに調和を保っている
・父方居住、母方居住、家族と人口密度、長子相続、外婚制・・・(略)
云々・・・
と、いつかは下巻メモに続く・・・のだろうか・・・ひいひい