家族システムの起源~Ⅰユーラシア上巻~コウノトリtoプチOFF会de基地祭へ!!!

2022年11月18日

家族システムの起源~Ⅰユーラシア下巻~

奇跡的に!!!前回記事からの続き・・・

PB081799

「家族システムの起源~Ⅰユーラシア~下巻」の読書メモであります
ええ、上巻よりさらに読み飛ばしが多くなっております・・・

著者・出版社・発行年月日などは前回の上巻メモ記事をご覧くださいね


下巻の目次

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下巻はユーラシア周縁部のヨーロッパと、中央部中東の家族システムについて・・・
(てきとーメモなので正しくは本書の熟読をお願いします)

第7章「ヨーロッパ~序論~」より

・ヨーロッパは(ユーラシアの)一つの周縁地域の実例
→シベリア北東部や東南アジアと同様の後進地域が農業・文字・国家観念を外部から授かり
科学技術と経済の面でテイクオフを遂げ、しばらくは旧世界の中心部を追い越した
(やがて家族システムにも父系原則の侵入が及ぶことになる)
→直系家族の歴史は中国から2000年遅れで日本と似通っているが規模が大きく多様性が大きい

・ヨーロッパ48の集団サンプルの中で起源的な家族・親族形態はラップ人のみで、
→ユーラシア周縁の反対側フィリピンのシステムそのまま
→ただし、それ以外にも核家族形態が多い
→起源的形態である双方的親族集団に統合された核家族からの分岐過程を見ることは可能

・ヨーロッパの地理は狭い範囲だが複雑、農業など外部文明の影響は直線的ではない
・中東の新石器革命は二つの軸でヨーロッパに伝播、その一つは、
→BC6800~6100にクレタ島とギリシャ半島に、
→BC6100~5800にバルカン半島を北上、ドナウ川を進んだ
→BC5500~5300にライン川とヴィスワ川の間の平原に到達
・もう一つの軸は横方向で、BC5800~5500までに東から地中海沿岸を西部へ伝播
・この二つの軸が大陸西部、特にフランスで合流し、イングランドにはBC4000頃に、
→BC3500頃にはアイルランドとおそらくブルターニュ、少しあとにスカンディナヴィアへ
→BC2000頃に新石器革命はヨーロッパ征服を完了した

・初期の農業は粗放・移動型で安定化には数千年を要した
→西ヨーロッパで安定化が完成するのは10世紀~13世紀

・この二つの浸透軸は文字についても同じ
→フェニキア文字→ギリシャ文字→ローマ文字(ヨーロッパの西部と中央部)
→東部ではギリシャ文字→キリル文字・・・
→文字伝播の過程に2000年を要しているので北東ヨーロッパの歴史は短い(以下略)

・父系性は四つの軸で伝播
→中東の父系性は地中海を東から西へ、ギリシャ、ローマへ
→フン人(ステップの遊牧民)の父系原則(おそらく中国起源)の侵入(5世紀)は北方で東から
→アラブの父系性も中東由来だが、7世紀から南経由でスペイン、地中海西部諸島へ
→トルコ人の侵入は15世紀からで南東から北西へ、これが4番目の父系性伝播
→東南からなので北西部に核家族的・女性尊重的な家族システムが存在するのは理の当然

・都市化直前の家族システムがどのようなものであったのか、地図を検討し歴史を検討する
・48の類型サンプルは東部では同質的で西部では錯綜している・・・
・父方居住(共同体家族、一時的同居、近接居住を伴う核家族)が東部を覆い、バルカン諸国から
北部中部イタリアまで伸びている
・フランス中央山塊、ギリシャ島嶼部の少数・特殊なケースなど・・・(略)

・古代ギリシャ・ローマの読み直し情報が大量にあり、ヨーロッパだけ三章になった
→8章はロシアから中部イタリアまで広がる父方居住と、少し南の古代ギリシャ・ローマの
父系制時代について
→9章は西・中央ヨーロッパの最終局面における家族類型の地理的分布
→10章はその歴史の記述


第8章「父系制ヨーロッパ」より

・フィンランドからバルカン半島、アドリア海からイタリア北部・中部までの広大な空間
→父方居住・父系制の家族システムが優位
→直系家族の空間はこの地帯より西に位置し、双処居住と混じり合っている
→父系制の伝播メカニズムとは無関係でヨーロッパの直系家族は内因的生産物

・ロシアの農民→父方居住・共同体家族→バルト諸国に近づくにつれ明瞭になる
・フィンランド内陸部・バルト諸国→共同体家族が支配的
・ウクライナとルーマニア→共同体家族が徐々に消えて一時的
父方同居を伴う核家族へ
・バルカン半島、ハンガリー(略)
・イタリア中部は父方居住共同体家族が支配的
→北部ヴェネト州は不完全な直系家族で・・・(以下略)
・エーゲ海の母方居住と長子相続
(略)

・アジアの父系制の影
→ヨーロッパ東部に分布しているのでアジアからの伝播は明らか
→東から南西へ、イタリアを到達点としているが、古代ヨーロッパの父系制とは全く別
古代ヨーロッパの父系制はギリシャ・ローマの都市国家から・・・(略)

・古典ギリシャ・古典期ローマの家族・・・(略)
→圏外(ケルト、ゲルマン、スラヴ)では未分化

・ローマの進化の重要性、帝国期の変動、核家族の新たな類型、晩期・・・
(略)

・古代父系制から近年の父系制へ
→未分化状態→地中海への最初の到来→極みの自己破壊→ステップから来た新しい父系制の波
→古代は南、近年は北

・父方居住・外婚制・共同体家族は自然ではなく特別な条件による拘束的システム
→都市、小作制、交易、戦争・・・
(略)

・母系制、父系制の幻想(略)
→インド・ヨーロッパ語族の父系制は、セム人さらに遡ればシュメール人が起源


第9章「中央および西ヨーロッパ~1記述~」より

(家族上の西欧にゲルマン世界と南イタリアは含むが共同体の北部中部イタリアは含まない)
1直系家族はゲルマン系集団が中心でスラヴ、スカンディナヴィアを周縁部として含む
→第二の集団はカタルーニャ、バスクからポルトガル北部まで延びる
→第三のケルト・グループはアイルランド、スコットランド西部、ブルターニュ海岸部、
ノルマンディー、ピカルディ、バルト海の海岸部、フィンランドのスウェーデン影響部分

2平等主義核家族はアンダルシアに至るカスティーリャ語圏スペイン、中部ポルトガル、
南イタリア、フランス中心部のパリ盆地→これらは完全にラテン圏に収まる

3絶対核家族はイングランド、デンマーク、ノルウェーのオスロ地方、オランダの沿岸部
(他の地域、各類型の詳細記述などは略)


第10章「中央および西ヨーロッパ~2歴史的解釈~」より

・中世の歴史的データから類型分化した原因を解釈(略)
・中世初期→未分化親族集団の中の近接居住、同居を伴う核家族
・純粋な核家族の出現
→貨幣経済が戻りカロリング期の荘園は大規模農業経営に
→農民は庭を持つ農業労働者に
→小さな家と庭では分割不可能性のみが必要で直系家族による不分割の規則は不要
→子供たちは早い時期に召使(労働者)として外に出ることができ一時的同居も不要
→最終的に平等主義核家族が北フランス、南イタリア、中部南部スペインを支配し、
→絶対核家族がイングランド、デンマーク、オランダを支配したのはなぜか・・・

平等主義核家族の空間は、かつてのローマ帝国の空間に収まる
→貨幣経済への回帰、都市の再生、大規模農業経営、労働者の再確立
・財産が大してないイングランドの農民にノルマンの長子相続の仕組みは無用の長物
→貴族や中農層には深い影響があったが中農層が消滅、長子相続の弱体化と遺言の浮上
→イングランド核家族の個人主義急進性は世帯分離に固執するが貴族の直系家族への反動?
(以下略)


第11章「中東~近年~」より

・歴史(文字による記録)は中東で始まった
(略)
・中東の定義
(略)
→現在はほぼ全面的にイスラム教で1250年続いているが5300年の歴史の23%に過ぎない
・遊牧民の核家族性と共同体主義、定住民の穏健な共同体主義
(略)
・長子相続、末子相続の痕跡、内婚、シーア派、スンニ派、キリスト教徒・・・
(民族や宗教の変遷など、じつに詳細でしたが以下略)


第12章「中東~古代~メソポタミアとエジプト~」より

・シュメール文明→セム系集団アッカド帝国による権力奪取→シュメール復興→ウル第三王朝
→ウルの崩壊→セム人の支配→アムル遊牧民の支配→ハンムラビ王バビロニアによる
メソポタミアの統一→政治構造の分解→ヒッタイト帝国の侵入→国際化→各国との複雑な関係
→アッシリア帝国がバビロニアからエジプトまで広がる→崩壊→新バビロニアの短い時代
→ペルシャ人、ギリシャ人、パルティア人の征服によりメソポタミアの歴史消滅・・・

・このメソポタミアの歴史の長さと複雑さから、安定的な家族形態の発見などは論外
→しかし中国の家族システムとの類似点がある
(略)

・明白な核家族性、共同体家族とする仮説(略)

・周縁部の周縁部イスラエル
→ヘブライ民族の聖書にある長子相続制→カインとアベル、エサウとヤコブ・・・
→エジプトの伝統、アッシリア法から・・・
(略)

・女性、古代の親族集団・・・(略)

・メソポタミアの家族の発展三段階は中国と同一?
1出発は夫婦家族の優勢と男女の平等→双処居住核家族類型で未分化な親族集団の中に
→シュメール・ルネサンスにかけて衰退
2シュメールに長子相続の規則が台頭→三世代を含む直系家族世帯は検出されていない
3兄弟間の平等と家族集団の共同化が明確に→縦型構造化は不明確
→家族は稠密化し女性のステータスは低下、共同体家族の出現後も続く
・中国の段階では侵入した遊牧民の父系原則が関わるがメソポタミアでの侵入は後・・・

・エジプト
→第1巻の最後をエジプトで終えるのは皮肉だが・・・
→第一サイクル(統一以前から王国の解体まで)BC3400~2475
→第二サイクル(王政の再建から解体、封建制まで)BC2475~663
→第三サイクル(王政の再建→プトレマイオス王国→ローマによる征服まで)BC663~325

・古王国第三王朝の核家族、Z型継承、長子相続制、女性・・・
(略)
・ギリシャ人のエジプト幻想→ヘロドトスの物語から(略)
→ギリシャ人には奇異な社会であったことは事実

・エジプトはメソポタミアより早く完全統一され、戦争による男性原則から免れていた
→父系原則発達の戦争と軍事的機能での重要性がわかる→これは不可避的なものではない
→エジプトがイスラムに征服されたのは640年だがキリスト教徒が多数派でなくなったのは
9世紀ごろになってから→1970年でも10%はコプト教徒→親族の未分化性、母方居住

・父系制はメソポタミアに出現し広がったが退行もあった
(略)
・内婚、未分化の持続、ナバテアの痕跡・・・(略)


「第Ⅱ巻に向けて~差し当たりの結論~」より(一部)
・内婚は女性を生まれ育ったところから暴力的に引き抜くことを廃止し父系性を緩和する装置
・穏健外婚はイトコ婚を受け入れる余地のある外婚制
・キリスト教圏の体系化された外婚を、アラブないし南インドの強力な内婚革新と対称をなす
絶対的外婚への進化と思い描くことも可能?
・アメリカ、アフリカ、オセアニアのデータがなければ、このモデルは国家と文字を持つ
定住農民社会とその周縁部との検討にとってしか、役に立ちそうにない・・・


云々・・・


ええ、わたくしには末尾の「差し当たりの結論」さえ、よくわかりませんでしたが・・・

まあ「
起源的家族は夫婦を基本的要素とする核家族型で、国家と労働による社会的分化までは、
複数の核家族からなる親族現地バンドに包含されていた」
つーのには納得しましたし、各地の歴史や地理、民族分布のおさらいもできました

ともかく40年かけてユーラシア大陸とその周縁部の住民集団を民族サンプルとして214に分類、
その家族システムを15の類型にまとめる能力と作業量に、まずは感服しました

わたくし文明史を読み漁るのも好きなんですが、家族システムという観点からははじめてで、
文明の栄枯盛衰やその伝播、異民族の侵入なども家族変化の根拠として詳しく調べて解説、
分かりやすく地図上にまとめた図版もいっぱいでした

ただまあ、上下巻の本編だけで800頁ある大著で、わたくしには読みづらい部分も多く、
かなりの部分を読み飛ばしてしまいましたが・・・ひいひい


(参考)

本書の著者による「現在の国際紛争は消費大国と産業大国の争いで、根底は経済構造と
家族構造の
一致にある」といった内容の記事が文春オンラインで公開されています

家族構造から見れば「双系制(核家族)社会」と「父系制(共同体家族)社会」の対立で、
一方は「消費」に特化、他方は「生産」に特化というかたちで2つの陣営に分かれている、
しかもグローバリゼーションのなかで、2つの陣営が極度に相互依存関係にある、
これがわれわれが生きている世界の構造・・・
とゆー観点はじつに興味深いです



m98k at 23:30│Comments(0) mixiチェック 書斎 

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