2023年01月08日
アユタヤ散策と川エビ料理
(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)
前夜はシンハービールを浴び続けたので翌12月24日の朝食は・・・
前日のように積み上げることもなく、軽く・・・
ま、
軽く追加と軽くケーキやコーヒーのお替わりはしましたが・・・げふっ
で、この日は15年前のキャンプに一緒に行ったヌンとその友人のプンが、アユタヤ観光に
案内してくれることになっており、朝8時にホテルのG階ロビーで待ち合わせ・・・
ちなみにホテルのあちこちで
結婚披露宴の前撮りが行われてました
日本でもタイでもコロナ禍で延期していた結婚式や結婚披露宴をするカップルが激増してて、
ペーンも会場確保に苦労したと言ってましたし、世界中が同じ状況なんでしょうね
で、定刻どおりヌン&プンと合流し、ペーンたちがチャーターしてくれてた11人乗りの
大型バンでニルスのご両親が滞在するホテルへ立ち寄り、6人でアユタヤへ・・・
大きなバケットシート3人掛けの3列に二人ずつですから、ゆったりしたもの・・・
せっかくなので車窓からの風景もさくさくっとご紹介・・・
(車窓上部にブルー加工があったので一部色調がおかしくなってます)
分からなかったのは、このUターンブリッジという表示・・・
こちらはバイク専用でしょうがクルマも渡れる橋も随所にありました
車線の多い道路は全面右折禁止で一番右側を高速車線、一番左側を緩行・左折車線にして、
右折車はこのUターン橋で反対車線に入って左折するのでしょうか?
タイに多いバイクが右折のため左端から右端に移動すれば極めて危険なのでバイク専用の
Uターン橋があちこちに設置されてるのではないかと・・・
タイの交通事情に詳しい方からコメントでご教示いただけるとありがたいです
他にも何枚か・・・
タマサート大学はじめ学術研究機関、各国企業の倉庫や工場が並び、貸工場の看板も・・・
アユタヤの中心部に入っても
あちこちで建築ラッシュでした
インバウンドも盛り返し経済全体がけっこう活況を呈している感じでしたね
と、10時前にはクルマを降り、いよいよ世界遺産アユタヤ遺跡群へ・・・
以下、ウィキペディアより概要部分を抜粋しておきます
アユタヤ遺跡群はチャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。
ビルマ(現ミャンマー)の王朝により破壊された遺構ですが、信仰心の篤い人たちにより、
少しずつ復元されている部分も見かけました
まずはワット・ヤイチャイ・モンコンから・・・
東側に2本かかる橋を渡っていきます
ここも一部修復中でした
ニルスのご両親が入場料を払おうとしてて、ヌンはおそらく「みんなの分を出すように
ペーンから指示されてるから」と断ってたのでしょう 約1名は門外漢の感じですが・・・
わたくしもここでは払った記憶がありません
ちなみにアユタヤ歴史公園のワットの入場料はいずれも1人50バーツでした
で、詳しくはネットで検索いただくとして、以下さくさくっと・・・
修復と飾り付け
上まで登ると仏塔の中にも入れるのですが、けっこうな人出で我々は登らずに
ヌンたちに記念写真を撮ってもらって・・・
周囲を巡ります
手前の仏像の何ヶ所かに金箔が貼ってあるのは寄進によるものだそうです
やがて全てがもとのピカピカになるのでしょうか・・・
ここは白い仏像が特徴のワットだそうです
有名な涅槃像のひとつ・・・
こちらは子宝祈願?
と、ここはウィキの概要にあった中洲の東側にあるワットで、おそらくヌンの予定では、
仏塔に登るのに時間を要しお昼になるだろうから、ここから予約していたレストランに
向かうつもりだったのでしょうが、周囲を巡っただけなので時刻はまだ11時前・・・
つーことで(おそらく予定を変更して)中州にあるワット・ラチャブラナへクルマで移動・・・
川向うにクルマをおいて橋を渡り・・・
ワット・ラチャブラナであります
ヌンとの折り合いがついたのか、ここではチケットを買ってもらうのに、それぞれの夫婦で
100バーツずつを渡しました ま、ヌンも狭間で困ったでしょうが・・・
ここの見どころは王宮の大ホール跡とやはり仏塔で・・・
ヌンに記念写真を撮ってもらったりしてから・・・
せっかくなので今度は仏塔に登りました
けっこうな急斜面でしたが・・・
途中の眺めはなかなかのものでした
ちなみに・・・
塔の中にも急階段がありました
ま、他のメンバーは
下でまったりしてましたが・・・
ブーゲンビリア??? ええ、わたくし花の名前はわかりません
つーことで、ようやく昼時になり予約してくれてた高級リゾートホテル「バーンポムペット」
のレストランへ・・・
コロナ禍にオープンした話題の新しいホテルで撮影している若者も多かったです
右側がレストランですが、ここで食事をする人は少ないようで・・・
この川沿いのテラス席が一番人気のようです
確かにここならスコールや日差しも凌げて川面が一望できますからね
とりあえずドイツ人と日本人はシンハービールで乾杯!!!
って、日本人の前にはジョッキが置かれてますがドイツ人の前にはありません
訊けば瓶ビールをジョッキに注ぐのは邪道で炭酸や風味を損なうとか・・・うーむ
で、ヌンたちがそれぞれの好みを聞いて各種タイ料理を注文してくれましたが、
何といっても一番人気は名物の川エビ料理!!!
漁獲量が少なく大物が一匹獲れると当面は暮らせるとも言われる希少品・・・
で、ここでも支払いを巡りヌンとひと悶着ありましたが、ニルスのご両親から我々4人で
払おうと提案があり快諾、シンハービール8本を含め6人で4500バーツ、日本やドイツの
高級レストランに比べれば、はるかにお安く名物料理を堪能できたので大感謝です
と、食後はテラスでまったりとチャオプラヤ川の川面を眺め・・・
壁どんカップルなんぞをかき分けつつ・・・
ホテルの駐車場まで戻り、次のワット・マハ・サートへ・・・
ここには復元模型がありましたので・・・
仏塔遺構などと比較するとスケール感が実感できます
以下同様にさくさくっと・・・
暑い昼下がりなのでワンコたちもお昼寝・・・
発掘されるまでは全てが熱帯樹林に覆われてたんでしょうか・・・
で、こちらが有名な・・・
樹木に覆われた仏様
ま、せっかくなので・・・
合掌したりして・・・
まさにラピュタ、巨大な廃墟でした
せっかくなので・・・
最後に記念写真を撮ってもらったりして・・・
ま、
ワンコたちはそのままお昼寝中でしたが・・・
と、この後はバンコクに戻って・・・
(次号に続きます)
前夜はシンハービールを浴び続けたので翌12月24日の朝食は・・・
前日のように積み上げることもなく、軽く・・・
ま、
軽く追加と軽くケーキやコーヒーのお替わりはしましたが・・・げふっ
で、この日は15年前のキャンプに一緒に行ったヌンとその友人のプンが、アユタヤ観光に
案内してくれることになっており、朝8時にホテルのG階ロビーで待ち合わせ・・・
ちなみにホテルのあちこちで
結婚披露宴の前撮りが行われてました
日本でもタイでもコロナ禍で延期していた結婚式や結婚披露宴をするカップルが激増してて、
ペーンも会場確保に苦労したと言ってましたし、世界中が同じ状況なんでしょうね
で、定刻どおりヌン&プンと合流し、ペーンたちがチャーターしてくれてた11人乗りの
大型バンでニルスのご両親が滞在するホテルへ立ち寄り、6人でアユタヤへ・・・
大きなバケットシート3人掛けの3列に二人ずつですから、ゆったりしたもの・・・
せっかくなので車窓からの風景もさくさくっとご紹介・・・
(車窓上部にブルー加工があったので一部色調がおかしくなってます)
分からなかったのは、このUターンブリッジという表示・・・
こちらはバイク専用でしょうがクルマも渡れる橋も随所にありました
車線の多い道路は全面右折禁止で一番右側を高速車線、一番左側を緩行・左折車線にして、
右折車はこのUターン橋で反対車線に入って左折するのでしょうか?
タイに多いバイクが右折のため左端から右端に移動すれば極めて危険なのでバイク専用の
Uターン橋があちこちに設置されてるのではないかと・・・
タイの交通事情に詳しい方からコメントでご教示いただけるとありがたいです
他にも何枚か・・・
タマサート大学はじめ学術研究機関、各国企業の倉庫や工場が並び、貸工場の看板も・・・
アユタヤの中心部に入っても
あちこちで建築ラッシュでした
インバウンドも盛り返し経済全体がけっこう活況を呈している感じでしたね
と、10時前にはクルマを降り、いよいよ世界遺産アユタヤ遺跡群へ・・・
以下、ウィキペディアより概要部分を抜粋しておきます
アユタヤ遺跡群はチャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。
これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるもので寺院跡、王宮跡が残る。
これらの遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。
この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。
中心都市であるアユタヤは流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。
この貿易に適した地で王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、
この莫大な利益をもとに数々の寺院(ワット)を作り出した。
しかし1767年のビルマ(ミャンマー)のコンバウン王朝による攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。
同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり王宮も台座を残すのみとなった。
世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみに
なっているのは、このためである。
この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。
中心都市であるアユタヤは流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。
この貿易に適した地で王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、
この莫大な利益をもとに数々の寺院(ワット)を作り出した。
しかし1767年のビルマ(ミャンマー)のコンバウン王朝による攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。
同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり王宮も台座を残すのみとなった。
世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみに
なっているのは、このためである。
ビルマ(現ミャンマー)の王朝により破壊された遺構ですが、信仰心の篤い人たちにより、
少しずつ復元されている部分も見かけました
まずはワット・ヤイチャイ・モンコンから・・・
東側に2本かかる橋を渡っていきます
ここも一部修復中でした
ニルスのご両親が入場料を払おうとしてて、ヌンはおそらく「みんなの分を出すように
ペーンから指示されてるから」と断ってたのでしょう 約1名は門外漢の感じですが・・・
わたくしもここでは払った記憶がありません
ちなみにアユタヤ歴史公園のワットの入場料はいずれも1人50バーツでした
で、詳しくはネットで検索いただくとして、以下さくさくっと・・・
修復と飾り付け
上まで登ると仏塔の中にも入れるのですが、けっこうな人出で我々は登らずに
ヌンたちに記念写真を撮ってもらって・・・
周囲を巡ります
手前の仏像の何ヶ所かに金箔が貼ってあるのは寄進によるものだそうです
やがて全てがもとのピカピカになるのでしょうか・・・
ここは白い仏像が特徴のワットだそうです
有名な涅槃像のひとつ・・・
こちらは子宝祈願?
と、ここはウィキの概要にあった中洲の東側にあるワットで、おそらくヌンの予定では、
仏塔に登るのに時間を要しお昼になるだろうから、ここから予約していたレストランに
向かうつもりだったのでしょうが、周囲を巡っただけなので時刻はまだ11時前・・・
つーことで(おそらく予定を変更して)中州にあるワット・ラチャブラナへクルマで移動・・・
川向うにクルマをおいて橋を渡り・・・
ワット・ラチャブラナであります
ヌンとの折り合いがついたのか、ここではチケットを買ってもらうのに、それぞれの夫婦で
100バーツずつを渡しました ま、ヌンも狭間で困ったでしょうが・・・
ここの見どころは王宮の大ホール跡とやはり仏塔で・・・
ヌンに記念写真を撮ってもらったりしてから・・・
せっかくなので今度は仏塔に登りました
けっこうな急斜面でしたが・・・
途中の眺めはなかなかのものでした
ちなみに・・・
塔の中にも急階段がありました
ま、他のメンバーは
下でまったりしてましたが・・・
ブーゲンビリア??? ええ、わたくし花の名前はわかりません
つーことで、ようやく昼時になり予約してくれてた高級リゾートホテル「バーンポムペット」
のレストランへ・・・
コロナ禍にオープンした話題の新しいホテルで撮影している若者も多かったです
右側がレストランですが、ここで食事をする人は少ないようで・・・
この川沿いのテラス席が一番人気のようです
確かにここならスコールや日差しも凌げて川面が一望できますからね
とりあえずドイツ人と日本人はシンハービールで乾杯!!!
って、日本人の前にはジョッキが置かれてますがドイツ人の前にはありません
訊けば瓶ビールをジョッキに注ぐのは邪道で炭酸や風味を損なうとか・・・うーむ
で、ヌンたちがそれぞれの好みを聞いて各種タイ料理を注文してくれましたが、
何といっても一番人気は名物の川エビ料理!!!
漁獲量が少なく大物が一匹獲れると当面は暮らせるとも言われる希少品・・・
で、ここでも支払いを巡りヌンとひと悶着ありましたが、ニルスのご両親から我々4人で
払おうと提案があり快諾、シンハービール8本を含め6人で4500バーツ、日本やドイツの
高級レストランに比べれば、はるかにお安く名物料理を堪能できたので大感謝です
と、食後はテラスでまったりとチャオプラヤ川の川面を眺め・・・
壁どんカップルなんぞをかき分けつつ・・・
ホテルの駐車場まで戻り、次のワット・マハ・サートへ・・・
ここには復元模型がありましたので・・・
仏塔遺構などと比較するとスケール感が実感できます
以下同様にさくさくっと・・・
暑い昼下がりなのでワンコたちもお昼寝・・・
発掘されるまでは全てが熱帯樹林に覆われてたんでしょうか・・・
で、こちらが有名な・・・
樹木に覆われた仏様
ま、せっかくなので・・・
合掌したりして・・・
まさにラピュタ、巨大な廃墟でした
せっかくなので・・・
最後に記念写真を撮ってもらったりして・・・
ま、
ワンコたちはそのままお昼寝中でしたが・・・
と、この後はバンコクに戻って・・・
(次号に続きます)