2023年01月24日
寒い大阪・関西空港へ
(前回からの続きです、バンコクの休日記事を最初からご覧になる場合はカテゴリから)
年頭からはじめたバンコクの休日記事も今回が連載の最終回であります
(帰路なので画像やエピソードは少ないですが記事末尾に休暇に関する感想を付記しました)
と、まずはバンコク最終日12月30日の朝食から・・・

日本での食事に向けて漬物が復活し大根や青菜?の煮物とかも・・・

そーいやコーヒーはあれこれ試してポットのよりベンダーマシンのエスプレッソが好みになり
一度に2杯分を何回かお替わりしてましたが、ニルスのお父さんも全く同じパターンでした
と、この日のスワンナプーム空港からクアラルンプール空港への便は17:05発の予定でしたが、
念のため10時半にはホテルのチェックアウトを済ませ早めに地下鉄MRTサムヤーン駅へ、
ペッチャブリー駅で改札を出て回数カードを返し、デポジットと残高を返金してもらい
(デポジット50バーツ残高70バーツだったはず)、空港線ARLのマッカサン駅へ・・・
連絡通路にあったお店・・・

説明まで日本語とタイ語の併記で一時期タイからのインバウンド客が急増してましたから
日本語や日本食への思い入れもあるのでしょうか・・・
サムヤーンでもサイヤムでもスクーンビットでも日本料理店がいっぱいあったし・・・
空港線ARLのマッカサン駅

全線高架で母体はタイ国鉄ですが運営は第三セクターになってるようですね
自動券売機でトークンを買いました
空港までは35バーツで22分の乗車ですが、地下鉄MRTより待ち時間は長かったです

あちこちで見た超高層ビルと伝統建築の対比、まさに今のバンコクです・・・

空港線ARLも地下鉄MRTと同じくシーメンスが落札、当時駐在していたIさんによれば、
まあ、ウラにはいろいろとあったようですが・・・

都会でも水辺がある風景はやはりいいですね・・・
と、スワンナプーム空港には早めに着いたので託送荷物をマレーシア航空のカウンターに
預けるまで少し時間待ちしましたが、重量制限はホテルで量ってきたので無事クリア
帰りも前々日にホテルのWi-FiでWEBチェックインを済ませてたのですが、託送荷物を預ける
手間は同じで、WEBカウンターのほうが一般カウンターより少し空いてたぐらいのメリット
しかありませんでしたが、託送荷物がない場合は簡単で便利なんでしょうね
と、次に出国審査に行くとパスポートを見て、あっちへ行けと・・・

そう、高齢者はプライオリティ・レーンだそうですが入国審査ではそんな指示はなかったし、
一般レーンも空いてたので、なんか遠回りしただけのような気も・・・
で、出国審査と手荷物検査を済ませ搭乗ゲートを確認、ゲートオープンまで時間があったので、
奥様は免税店のウィンドショッピングへ、わたくしは小腹が空いてたので・・・

バンコクで一度も食べる機会がなかったバーガーキングへ・・・
さすがに空港内は割高でしたが残りのバーツが使えたのでよしとしましょう
と、

パシフィック航空でハノイへ・・・
ではなく・・・

マレーシア航空でクアラルンプールへ・・・ええ、同ゲートで同型機でした・・・
と、ほぼ定刻に離陸して・・・


楽しかったバンコクともお別れであります・・・

軽食を食べ終える頃には・・・

日も暮れなずみ・・・
やがてクアラルンプールの夜景が見えてきました

ひょっとして中央に見えるのはペトロナスのツインタワー???
だとしたら、わたくしはじめての上空撮影になるのですが・・・
と、無事にクアラルンプール空港に到着

ここから大阪・関西空港への深夜便はボルネオ植林ボランティアツアーでおなじみの便、
当日はやや定刻を遅れたものの無事に離陸しました
帰路でも映画を何本か観たはずですが、ビールやワインのお替わりと疲れで朦朧となってて
残念ながら殆ど覚えてません
Iさんオススメのエルビスとかも観たはずだけど・・・
で、眠れないまま朝食が出て、ほぼ定刻どおり31日の早朝に関西空港に着きました
(そーいや、この便で月曜日の早朝に帰国、自宅にスーツケースを置いて急いで着替え、
9時に出勤したこともあったな・・・職場では居眠りばかりだったけど・・・
)
今回はVisitJapan登録していて入国・検疫・税関手続きでスマホ画面掲示を利用したものの
操作に慣れないうえ遠回りルートを延々と歩かされ、睡眠不足もあってけっこう疲れました
で、託送荷物を待つあいだの夫婦の会話・・・
「今日の大阪は最高気温でも10℃、最低気温は2℃だって・・・ぶるぶる」
「ううっ、バンコクとはちょうど20℃の差か・・・
薄手のロンパンに長袖シャツ1枚では寒いだろうなあ・・・ぶるぶるぶる」
と、空港を出てからモンベルのパーカーを着たのですが、お土産いっぱいのスーツケースを
自宅まで運ぶのに汗びっしょりになり、何とか帰宅したものの、深夜電力利用の給湯器を
出発時にOFFにしてたので温かい風呂にも入れず、所用のためそのまま京都へ行って・・・
さすがに急激な温度変化と疲れで少し体調を崩し、年始三日間を寝正月にして無事に回復、
このバンコク記事の連載をはじめた次第です
(新年ご挨拶記事は事前に下書きしてたので元旦にアップすることができました)
(念のため抗原検査もしましたが二人とも陰性、やはり飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎか・・・
)
と、今回はホテル手配から現地案内まで全面的にペーンのお世話になりました
ほんとにありがとね!!! おかげで素晴らしいバンコク体験ができました

手厚くもてなしてくれたニルスやご両親にも心からのお礼を伝えてくださいね

また丸二日間アテンドしてくれたヌンと友人のプン、弟のクンにも大感謝ですし、

家族旅行だったのに我々を一緒に案内してくれたIさんファミリーにも大感謝です

皆さん、ほんとにありがとうございました

タイ王国もバンコクもはじめての訪問でしたが日本との関係が深く食品や工業製品だけでなく、
人や文化の交流も盛んなことが今回のツアーであらためて実感できました
さらに日本に留学経験のあるペーンつながりの各国の若者とも(日本語で
)話すことができたので、
異文化間の国際交流の素晴らしさも再確認することができ、わたくしにとってはこのことも
今回の大きな喜びのひとつでした
過去に何度かホームステイ活動に協力させてもらえたことにも感謝です

と、バンコクの休日記事の連載はこれでおしまい・・・
年頭から4週12回にわたりご覧いただき、ありがとうございました
以下は付記です
(やや長いですが休暇に関するメモの再掲とわたくしの意見)
わたくしたち夫婦は8泊10日の滞在でしたが、日本から来ていた現役世代のみなさんは、
ペーンは欧州全体のエネルギー需給をモニター・分析する仕事を(今はほぼ在宅で)やってて、
いろんな面で今の仕事には満足してるけど、日本語とタイ語を活かせないのは残念なので、
欧州と日本とタイを結ぶ仕事をしたいとは思ってるけど、現状(の労働環境)では・・・
とも言ってました・・・
世界中の有能な若者から(当面はお互い抵抗が少ないであろう東・東南アジアの若者から?)、
「日本の企業で働きたい、ずっと日本に住みたい」と思ってもらえるような労働環境にして
いくことが、日本の高齢化問題に対する最大の解決策なのではないでしょうか・・・
たとえ少子化対策が成功しても有能な若者が海外に流出するような労働環境では意味がないし、
人口減少自体が問題なのではなく有能な若者の減少が日本の問題なのですから・・・
それにはまずペーンやニルスのように有能で日本が大好きという若者が、安心して働ける
ドイツのような世界トップレベルの労働環境と、様々な差別のない社会環境が必要ですし、
安心して働ける環境になれば有能な人材の流出も防げて企業経営にとってもプラスになる
と思うのですが・・・
現実的には大企業や一部官庁などエリートを抱える大きな組織から、若者や働き盛り世代が
残業や休日出勤なしで活躍でき、もっと気軽に休暇が取れるように組織の体質を変えていって、
それを社会全体にも拡げていく・・・という手順になるのでしょうか・・・
AIなど最新テクノロジーを駆使すれば、おそらくコスト増にはならないでしょうし・・・
ま、今の社会構造のままであれば、さらに格差・分断を拡げる結果にもなりそうですが、
労働環境(組織の体質)は、まず大きな組織から変えていかないと、と思った次第です
年頭からはじめたバンコクの休日記事も今回が連載の最終回であります
(帰路なので画像やエピソードは少ないですが記事末尾に休暇に関する感想を付記しました)
と、まずはバンコク最終日12月30日の朝食から・・・


日本での食事に向けて漬物が復活し大根や青菜?の煮物とかも・・・


そーいやコーヒーはあれこれ試してポットのよりベンダーマシンのエスプレッソが好みになり
一度に2杯分を何回かお替わりしてましたが、ニルスのお父さんも全く同じパターンでした
と、この日のスワンナプーム空港からクアラルンプール空港への便は17:05発の予定でしたが、
念のため10時半にはホテルのチェックアウトを済ませ早めに地下鉄MRTサムヤーン駅へ、
ペッチャブリー駅で改札を出て回数カードを返し、デポジットと残高を返金してもらい
(デポジット50バーツ残高70バーツだったはず)、空港線ARLのマッカサン駅へ・・・
連絡通路にあったお店・・・

説明まで日本語とタイ語の併記で一時期タイからのインバウンド客が急増してましたから
日本語や日本食への思い入れもあるのでしょうか・・・
サムヤーンでもサイヤムでもスクーンビットでも日本料理店がいっぱいあったし・・・
空港線ARLのマッカサン駅

全線高架で母体はタイ国鉄ですが運営は第三セクターになってるようですね
自動券売機でトークンを買いました
空港までは35バーツで22分の乗車ですが、地下鉄MRTより待ち時間は長かったです

あちこちで見た超高層ビルと伝統建築の対比、まさに今のバンコクです・・・

空港線ARLも地下鉄MRTと同じくシーメンスが落札、当時駐在していたIさんによれば、
まあ、ウラにはいろいろとあったようですが・・・


都会でも水辺がある風景はやはりいいですね・・・
と、スワンナプーム空港には早めに着いたので託送荷物をマレーシア航空のカウンターに
預けるまで少し時間待ちしましたが、重量制限はホテルで量ってきたので無事クリア
帰りも前々日にホテルのWi-FiでWEBチェックインを済ませてたのですが、託送荷物を預ける
手間は同じで、WEBカウンターのほうが一般カウンターより少し空いてたぐらいのメリット
しかありませんでしたが、託送荷物がない場合は簡単で便利なんでしょうね
と、次に出国審査に行くとパスポートを見て、あっちへ行けと・・・

そう、高齢者はプライオリティ・レーンだそうですが入国審査ではそんな指示はなかったし、
一般レーンも空いてたので、なんか遠回りしただけのような気も・・・

で、出国審査と手荷物検査を済ませ搭乗ゲートを確認、ゲートオープンまで時間があったので、
奥様は免税店のウィンドショッピングへ、わたくしは小腹が空いてたので・・・

バンコクで一度も食べる機会がなかったバーガーキングへ・・・
さすがに空港内は割高でしたが残りのバーツが使えたのでよしとしましょう
と、

パシフィック航空でハノイへ・・・
ではなく・・・

マレーシア航空でクアラルンプールへ・・・ええ、同ゲートで同型機でした・・・

と、ほぼ定刻に離陸して・・・


楽しかったバンコクともお別れであります・・・


軽食を食べ終える頃には・・・

日も暮れなずみ・・・
やがてクアラルンプールの夜景が見えてきました

ひょっとして中央に見えるのはペトロナスのツインタワー???
だとしたら、わたくしはじめての上空撮影になるのですが・・・
と、無事にクアラルンプール空港に到着

ここから大阪・関西空港への深夜便はボルネオ植林ボランティアツアーでおなじみの便、
当日はやや定刻を遅れたものの無事に離陸しました
帰路でも映画を何本か観たはずですが、ビールやワインのお替わりと疲れで朦朧となってて
残念ながら殆ど覚えてません


で、眠れないまま朝食が出て、ほぼ定刻どおり31日の早朝に関西空港に着きました
(そーいや、この便で月曜日の早朝に帰国、自宅にスーツケースを置いて急いで着替え、
9時に出勤したこともあったな・・・職場では居眠りばかりだったけど・・・

今回はVisitJapan登録していて入国・検疫・税関手続きでスマホ画面掲示を利用したものの
操作に慣れないうえ遠回りルートを延々と歩かされ、睡眠不足もあってけっこう疲れました
で、託送荷物を待つあいだの夫婦の会話・・・
「今日の大阪は最高気温でも10℃、最低気温は2℃だって・・・ぶるぶる」
「ううっ、バンコクとはちょうど20℃の差か・・・
薄手のロンパンに長袖シャツ1枚では寒いだろうなあ・・・ぶるぶるぶる」
と、空港を出てからモンベルのパーカーを着たのですが、お土産いっぱいのスーツケースを
自宅まで運ぶのに汗びっしょりになり、何とか帰宅したものの、深夜電力利用の給湯器を
出発時にOFFにしてたので温かい風呂にも入れず、所用のためそのまま京都へ行って・・・
さすがに急激な温度変化と疲れで少し体調を崩し、年始三日間を寝正月にして無事に回復、
このバンコク記事の連載をはじめた次第です
(新年ご挨拶記事は事前に下書きしてたので元旦にアップすることができました)
(念のため抗原検査もしましたが二人とも陰性、やはり飲み過ぎ食べ過ぎ遊び過ぎか・・・

と、今回はホテル手配から現地案内まで全面的にペーンのお世話になりました
ほんとにありがとね!!! おかげで素晴らしいバンコク体験ができました


手厚くもてなしてくれたニルスやご両親にも心からのお礼を伝えてくださいね


また丸二日間アテンドしてくれたヌンと友人のプン、弟のクンにも大感謝ですし、


家族旅行だったのに我々を一緒に案内してくれたIさんファミリーにも大感謝です


皆さん、ほんとにありがとうございました


タイ王国もバンコクもはじめての訪問でしたが日本との関係が深く食品や工業製品だけでなく、
人や文化の交流も盛んなことが今回のツアーであらためて実感できました
さらに日本に留学経験のあるペーンつながりの各国の若者とも(日本語で

異文化間の国際交流の素晴らしさも再確認することができ、わたくしにとってはこのことも
今回の大きな喜びのひとつでした
過去に何度かホームステイ活動に協力させてもらえたことにも感謝です


と、バンコクの休日記事の連載はこれでおしまい・・・
年頭から4週12回にわたりご覧いただき、ありがとうございました

以下は付記です
(やや長いですが休暇に関するメモの再掲とわたくしの意見)
わたくしたち夫婦は8泊10日の滞在でしたが、日本から来ていた現役世代のみなさんは、
県庁に勤めるIさんファミリーが年末年始の休みを利用した1週間弱の滞在、
会社員のSさんは披露宴の前日に来て(年末も仕事があるからと)翌日の帰国、
勤務医のKさんもバンコクには数日だけ滞在して帰国とのことでした・・・
いっぽうドイツから来たニルスの友人などは全員が3週間から6週間の滞在とのことで、
ニルスと(就職1年未満の)ペーンも有給休暇による1ヶ月の滞在とのことでした・・・
ペーンもニルスも世界中で通用する優秀有能な人材で、二人とも日本が大好きだったのに、
最終的に日本でもタイでもなくドイツでの仕事に落ち着いたのも、休暇の取りやすさが、
大きな理由のひとつだったと言ってました・・・
大きな理由のひとつだったと言ってました・・・
ペーンは欧州全体のエネルギー需給をモニター・分析する仕事を(今はほぼ在宅で)やってて、
いろんな面で今の仕事には満足してるけど、日本語とタイ語を活かせないのは残念なので、
欧州と日本とタイを結ぶ仕事をしたいとは思ってるけど、現状(の労働環境)では・・・
とも言ってました・・・
働くならフランスより絶対ドイツとネットにもありましたがドイツの企業は給与、労働時間、
休暇などの条件がきちんと守られてて、逆に生産性は日本の企業より高いんですね・・・
働き方改革が叫ばれ、すでに幾星霜の日本なんですが・・・
わたくしが現役時代に海外植林ボランティアツアーを企画していた際も必ず土日と祝日を挟み、
有給休暇取得を数日にした1週間以内の日程が限度でしたが、それでも現役世代は休みづらく、
わたくし自身も仕事の前後処理や同僚への気遣いなどが大変でした
働き盛りの世代にこそ仕事を離れた有意義な休暇が必要なのに、制度上ボランティア休暇や
自己研修休暇があっても名目だけで、年次休暇でさえ気軽には取得できなかったし・・・
わたくしが現役時代に海外植林ボランティアツアーを企画していた際も必ず土日と祝日を挟み、
有給休暇取得を数日にした1週間以内の日程が限度でしたが、それでも現役世代は休みづらく、
わたくし自身も仕事の前後処理や同僚への気遣いなどが大変でした
働き盛りの世代にこそ仕事を離れた有意義な休暇が必要なのに、制度上ボランティア休暇や
自己研修休暇があっても名目だけで、年次休暇でさえ気軽には取得できなかったし・・・
ドイツと日本では勤勉性や規律性で国民性が似ているとも言われてますが、何か根本的に
組織労働の感覚が違ってて、このままだと、それを感じている有能な人材は国籍に関係なく
日本から流出していくのでは・・・と、今回あらためて不安を感じた次第です
日本から流出していくのでは・・・と、今回あらためて不安を感じた次第です
世界中の有能な若者から(当面はお互い抵抗が少ないであろう東・東南アジアの若者から?)、
「日本の企業で働きたい、ずっと日本に住みたい」と思ってもらえるような労働環境にして
いくことが、日本の高齢化問題に対する最大の解決策なのではないでしょうか・・・
たとえ少子化対策が成功しても有能な若者が海外に流出するような労働環境では意味がないし、
人口減少自体が問題なのではなく有能な若者の減少が日本の問題なのですから・・・
それにはまずペーンやニルスのように有能で日本が大好きという若者が、安心して働ける
ドイツのような世界トップレベルの労働環境と、様々な差別のない社会環境が必要ですし、
安心して働ける環境になれば有能な人材の流出も防げて企業経営にとってもプラスになる
と思うのですが・・・
現実的には大企業や一部官庁などエリートを抱える大きな組織から、若者や働き盛り世代が
残業や休日出勤なしで活躍でき、もっと気軽に休暇が取れるように組織の体質を変えていって、
それを社会全体にも拡げていく・・・という手順になるのでしょうか・・・
AIなど最新テクノロジーを駆使すれば、おそらくコスト増にはならないでしょうし・・・
ま、今の社会構造のままであれば、さらに格差・分断を拡げる結果にもなりそうですが、
労働環境(組織の体質)は、まず大きな組織から変えていかないと、と思った次第です