2023年04月19日
ここまで解けた縄文・弥生という時代
(期間限定のお知らせ)
2023フラッシュ光ボルネオツアーのご案内はこちらの記事の末尾です
と、とーとつですが・・・
ここまで解けた縄文・弥生という時代・・・とゆー本のご紹介
表紙カバー裏にあった惹句
裏表紙カバー裏にあった著者紹介
奥付
昨年5月に発行された考古学の最新成果を紹介している本であります
わたくし人類史や文明史も大好きなんですが、説によっては1万年以上も続いたとされる
縄文時代については特に関心があり、これまでも様々な仮説を興味深く読んでました
この本では縄文・弥生時代を中心に、最新の発掘調査結果や研究成果が紹介されており、
あわせて日本の考古学の歴史についても概要を知ることができました
例によって目次のみのご紹介
以下、わたくしの読後メモからランダムに抜粋・・・
・千葉県内の市町村埋蔵文化財センターの数は最盛期の8割減
→全国でも同じ状況→原因者負担の原則がバブル崩壊以降もずっと続いた結果
・近年の大きな成果は縄文の三内丸山遺跡、弥生の吉野ケ里遺跡と池上曽根遺跡
・2000年代からのミトコンドリアDNA分析法で現生人類のアジア進出は5万年前以降と判明
・日本列島への進出はサハリンからの北ルート、陸化していた朝鮮海峡からの西ルート、
台湾、南西諸島からの南ルートが想定されているが、温暖な地域ではバクテリアにより
DNA自体の残存率が低いためサンプルが少ない
・今は日本列島の旧石器時代は古くても18000~25000年前ぐらいとされている
→35~50万年前の生活遺構や石器は全て2000年に発覚した捏造事件によるものだった?
→この捏造事件により前・中期旧石器遺跡の全て162遺跡が遺跡遺物認定を取り消された
→この事件により日本の考古学研究は50年?遅れてしまった
・30年前の埴原和郎の二重構造説
「旧石器時代の東南アジアからの子孫が縄文人で弥生時代に北東アジアからの渡来人と混血した」
→最近のDNAゲノム研究でも(類縁関係としては)支持する結果になっている
→アイヌと琉球人では縄文の遺伝的要素を強く残し本土でも10~20%
(以下の赤字部分は記事アップ後に剣鉈コレクターさんから教えていただいた追記です)
・最新のゲノム解析により日本人は二重構造ではなく三重構造になっていることが判明した
①旧石器時代に登場した縄文人
(ちなみにわたくしの独自説によれば、7万年前のホモサピエンスの出アフリカより、はるか
以前からネアンデルタール人はもちろんデニソワ人やアウストラロピテクス(ホビット)なども
日本と陸続きだったユーラシアに何度も進出したことが最新の化石解析から証明されているし、
東南アジアの孤島では最近(5万年前)まで生き残っていたのだから、ユーラシア最果ての孤島に
暮らす縄文人は、旧人類と混血していたホモサピエンスの中で唯一生き残った民族であり、
すでにこの段階で、三重構造どころか四重構造、五重構造になっていたはず)
②弥生時代初期に渡来した第1波の弥生人(東北・長野・島根などの弥生人)
→温帯ジャポニカ米の発祥地で再生と循環の長江文明をルーツに持つ、海岸沿いの稲作漁労
海洋民族で、呉越など越族のルーツにもなっている
→特徴は入れ墨、女系女王、宗教国家、アマテラス信仰など→これが海人族
③弥生時代中期以降に断続的に渡来した第2波の弥生人(北部九州・関東・近畿などの大和民族)
→中国北方・内陸部の黄河文明にルーツを持つ民族で漢族モンゴル族などの北東アジア人
→特徴は政治的、男系男王、武力王朝、タカミムスビ信仰など→この中の一族が天孫族
・日本での鉄器生産は弥生中期から?→後期になると本格化し生産遺構も全国に?
(わたくしの独自説によれば縄文初期からで、原始日本刀が世界最古の鉄器のはず)
・三角縁神獣鏡は何故中国本土で発見されないか→海外への下賜専用品だった?
→天理市、御所市での1998,2000の発見→邪馬台国大和説が有力に?
→纏向遺跡群の墳丘墓は最古の弥生式で3世紀前半→中頃から後半は卑弥呼の没した時代
・現在では西日本の「倭国大乱」時期の環濠集落が東遷していったと考えられている
・魏志倭人伝による邪馬台国論争の考古学的整理
①所在地→記事にある楼閣、城柵、宮殿の遺構を伴う遺跡がどこにあるか
②卑弥呼の墓→(248年か249年に没したという)記事にある規模や内容に合致する墳墓はどれか
③卑弥呼に下賜された物品→記事にある500枚の鏡はどの種類か
(以下の赤字部分も記事アップ後に剣鉈コレクターさんから教えていただいた追記です)
・海人族より強い政治力を持った天孫族が倭国を戦いで統一しようとしたのが倭国大乱
→戦争の痕跡が現れるのは天孫族が入ってきた弥生中期以降から
・海人族の社会や王権に異を唱えクーデターを起こし、北部九州の邪馬台国を離れて(東遷)、
畿内に大和朝廷を開いた天孫族が、やがて力を蓄え九州を征伐した(ヤマトタケル征西)
→天孫族のクーデター(東遷)は、おそらく古代史で有名な「空白の4世紀」に起こった
→邪馬台国と大和朝廷には考古学的・神話的に連続性が感じられるのに、文化や社会が全く
異なるのはこれによる
・海人族である出雲族は中国地方から北陸までの日本海沿岸を支配し、巨大海洋国家を形成
していたが、やがて大和朝廷に滅ぼされた(出雲の国譲り神話)
(神武東征時は出雲族の力の及ばない瀬戸内海ルートで九州から畿内へ入っていた)
・大和朝廷(天孫族)に唯一手を貸した海人族が安曇族で、先祖神は海の神であるワタツミ
→山幸彦(天孫族)はワタツミの力を借りて兄の海幸彦(海人族)を倒し、ワタツミの娘を娶る
→その娘から生まれたのが神武天皇の父ウガヤフキアエズ(山幸海幸神話)
→物部氏も大伴氏も海人族のいない畿内に東遷してきた、天孫族とは別の第2波弥生人だった
→アマテラスは初期大和朝廷では宮中に祀られたこともないランクの低い神で、大和朝廷は
卑弥呼(アマテラス)の墓である宇佐神宮も放棄し、八幡神という渡来人の神に明け渡していた
(これは奈良時代中後期まで続いていた)
→天孫族にとっての卑弥呼(アマテラス)は、海人族の人心を掌握するための仮の偶像であり、
真の先祖神はタカミムスビであったから・・・
(引き続き邪馬台国に関する読後メモから)
・大阪府池上・曽根遺跡
→大型建物のある60万平米の大規模集落
・奈良県唐古・鍵遺跡
→大環濠集落で大型建物や青銅器工房などがある
・奈良県纏向遺跡群
→大型建物群や最古の古墳が多数発見されている
→他地域からの土器が3割近い
→2800個の桃の種の年代が全て西暦130~230年
・1952年の京大・小林行雄による「三角縁神獣鏡同伴鏡分有関係論」
→卑弥呼に下賜された鏡か、製作地は中国か、出土古墳との時間差は・・・
・金印真贋論争
・倭国大乱と高地性集落遺跡と石硯の関係・・・などなど・・・
・沖縄の人骨は26000年前のもので、縄文後期の黒曜石の原産地は佐賀県腰岳だった
→一番近い産地である大分県姫島よりも遠く、さらに良質の黒曜石の産地
・縄文遺構は環状盛土、環状貝塚、ストーンサークルなど円形で、弥生遺構は水田も墓も方形(計画的)
・地震考古学、火山灰考古学、観光考古学、文化財科学・・・などなど・・・
・戦後考古学の10大ニュース(著者の私見)
1群馬県岩宿遺跡→初の旧石器文化解明
2静岡県登呂遺跡→初の弥生ムラ全貌発見
3奈良県平城宮跡→国が本格的に発掘調査体制を確立
4千葉県加曾利貝塚→日本最大規模の大貝塚
5広島県草戸千軒跡→中世商業町の全貌が明らかになる
6群馬県黒井峯遺跡→火山灰に封入された古墳ムラが発見される
7島根県荒神谷・加茂岩倉遺跡→大量青銅品(銅剣、銅鐸、同矛)出土
8佐賀県吉野ケ里遺跡→巨大弥生環濠集落の発見
9青森県三内丸山遺跡→縄文像を大変革させた集落
→縄文前期から中期の1500年定住で、翡翠、黒曜石、アスファルトなどは広範囲の交易による
→さらにクリ、ヒョウタン、ゴボウなど植物の栽培行為が証明された
10奈良県高松塚キトラ古墳→極彩色壁画発見の古墳
で、結びには「今後のさらなる発見・進展に期待している」と・・・
いやあ、じつに面白かったです
2023フラッシュ光ボルネオツアーのご案内はこちらの記事の末尾です
と、とーとつですが・・・
ここまで解けた縄文・弥生という時代・・・とゆー本のご紹介
表紙カバー裏にあった惹句
裏表紙カバー裏にあった著者紹介
奥付
昨年5月に発行された考古学の最新成果を紹介している本であります
わたくし人類史や文明史も大好きなんですが、説によっては1万年以上も続いたとされる
縄文時代については特に関心があり、これまでも様々な仮説を興味深く読んでました
この本では縄文・弥生時代を中心に、最新の発掘調査結果や研究成果が紹介されており、
あわせて日本の考古学の歴史についても概要を知ることができました
例によって目次のみのご紹介
以下、わたくしの読後メモからランダムに抜粋・・・
・千葉県内の市町村埋蔵文化財センターの数は最盛期の8割減
→全国でも同じ状況→原因者負担の原則がバブル崩壊以降もずっと続いた結果
・近年の大きな成果は縄文の三内丸山遺跡、弥生の吉野ケ里遺跡と池上曽根遺跡
・2000年代からのミトコンドリアDNA分析法で現生人類のアジア進出は5万年前以降と判明
・日本列島への進出はサハリンからの北ルート、陸化していた朝鮮海峡からの西ルート、
台湾、南西諸島からの南ルートが想定されているが、温暖な地域ではバクテリアにより
DNA自体の残存率が低いためサンプルが少ない
・今は日本列島の旧石器時代は古くても18000~25000年前ぐらいとされている
→35~50万年前の生活遺構や石器は全て2000年に発覚した捏造事件によるものだった?
→この捏造事件により前・中期旧石器遺跡の全て162遺跡が遺跡遺物認定を取り消された
→この事件により日本の考古学研究は50年?遅れてしまった
・30年前の埴原和郎の二重構造説
「旧石器時代の東南アジアからの子孫が縄文人で弥生時代に北東アジアからの渡来人と混血した」
→最近のDNAゲノム研究でも(類縁関係としては)支持する結果になっている
→アイヌと琉球人では縄文の遺伝的要素を強く残し本土でも10~20%
(以下の赤字部分は記事アップ後に剣鉈コレクターさんから教えていただいた追記です)
・最新のゲノム解析により日本人は二重構造ではなく三重構造になっていることが判明した
①旧石器時代に登場した縄文人
(ちなみにわたくしの独自説によれば、7万年前のホモサピエンスの出アフリカより、はるか
以前からネアンデルタール人はもちろんデニソワ人やアウストラロピテクス(ホビット)なども
日本と陸続きだったユーラシアに何度も進出したことが最新の化石解析から証明されているし、
東南アジアの孤島では最近(5万年前)まで生き残っていたのだから、ユーラシア最果ての孤島に
暮らす縄文人は、旧人類と混血していたホモサピエンスの中で唯一生き残った民族であり、
すでにこの段階で、三重構造どころか四重構造、五重構造になっていたはず)
②弥生時代初期に渡来した第1波の弥生人(東北・長野・島根などの弥生人)
→温帯ジャポニカ米の発祥地で再生と循環の長江文明をルーツに持つ、海岸沿いの稲作漁労
海洋民族で、呉越など越族のルーツにもなっている
→特徴は入れ墨、女系女王、宗教国家、アマテラス信仰など→これが海人族
③弥生時代中期以降に断続的に渡来した第2波の弥生人(北部九州・関東・近畿などの大和民族)
→中国北方・内陸部の黄河文明にルーツを持つ民族で漢族モンゴル族などの北東アジア人
→特徴は政治的、男系男王、武力王朝、タカミムスビ信仰など→この中の一族が天孫族
・日本での鉄器生産は弥生中期から?→後期になると本格化し生産遺構も全国に?
(わたくしの独自説によれば縄文初期からで、原始日本刀が世界最古の鉄器のはず)
・三角縁神獣鏡は何故中国本土で発見されないか→海外への下賜専用品だった?
→天理市、御所市での1998,2000の発見→邪馬台国大和説が有力に?
→纏向遺跡群の墳丘墓は最古の弥生式で3世紀前半→中頃から後半は卑弥呼の没した時代
・現在では西日本の「倭国大乱」時期の環濠集落が東遷していったと考えられている
・魏志倭人伝による邪馬台国論争の考古学的整理
①所在地→記事にある楼閣、城柵、宮殿の遺構を伴う遺跡がどこにあるか
②卑弥呼の墓→(248年か249年に没したという)記事にある規模や内容に合致する墳墓はどれか
③卑弥呼に下賜された物品→記事にある500枚の鏡はどの種類か
(以下の赤字部分も記事アップ後に剣鉈コレクターさんから教えていただいた追記です)
・海人族より強い政治力を持った天孫族が倭国を戦いで統一しようとしたのが倭国大乱
→戦争の痕跡が現れるのは天孫族が入ってきた弥生中期以降から
・海人族の社会や王権に異を唱えクーデターを起こし、北部九州の邪馬台国を離れて(東遷)、
畿内に大和朝廷を開いた天孫族が、やがて力を蓄え九州を征伐した(ヤマトタケル征西)
→天孫族のクーデター(東遷)は、おそらく古代史で有名な「空白の4世紀」に起こった
→邪馬台国と大和朝廷には考古学的・神話的に連続性が感じられるのに、文化や社会が全く
異なるのはこれによる
・海人族である出雲族は中国地方から北陸までの日本海沿岸を支配し、巨大海洋国家を形成
していたが、やがて大和朝廷に滅ぼされた(出雲の国譲り神話)
(神武東征時は出雲族の力の及ばない瀬戸内海ルートで九州から畿内へ入っていた)
・大和朝廷(天孫族)に唯一手を貸した海人族が安曇族で、先祖神は海の神であるワタツミ
→山幸彦(天孫族)はワタツミの力を借りて兄の海幸彦(海人族)を倒し、ワタツミの娘を娶る
→その娘から生まれたのが神武天皇の父ウガヤフキアエズ(山幸海幸神話)
→物部氏も大伴氏も海人族のいない畿内に東遷してきた、天孫族とは別の第2波弥生人だった
→アマテラスは初期大和朝廷では宮中に祀られたこともないランクの低い神で、大和朝廷は
卑弥呼(アマテラス)の墓である宇佐神宮も放棄し、八幡神という渡来人の神に明け渡していた
(これは奈良時代中後期まで続いていた)
→天孫族にとっての卑弥呼(アマテラス)は、海人族の人心を掌握するための仮の偶像であり、
真の先祖神はタカミムスビであったから・・・
(引き続き邪馬台国に関する読後メモから)
・大阪府池上・曽根遺跡
→大型建物のある60万平米の大規模集落
・奈良県唐古・鍵遺跡
→大環濠集落で大型建物や青銅器工房などがある
・奈良県纏向遺跡群
→大型建物群や最古の古墳が多数発見されている
→他地域からの土器が3割近い
→2800個の桃の種の年代が全て西暦130~230年
・1952年の京大・小林行雄による「三角縁神獣鏡同伴鏡分有関係論」
→卑弥呼に下賜された鏡か、製作地は中国か、出土古墳との時間差は・・・
・金印真贋論争
・倭国大乱と高地性集落遺跡と石硯の関係・・・などなど・・・
・沖縄の人骨は26000年前のもので、縄文後期の黒曜石の原産地は佐賀県腰岳だった
→一番近い産地である大分県姫島よりも遠く、さらに良質の黒曜石の産地
・縄文遺構は環状盛土、環状貝塚、ストーンサークルなど円形で、弥生遺構は水田も墓も方形(計画的)
・地震考古学、火山灰考古学、観光考古学、文化財科学・・・などなど・・・
・戦後考古学の10大ニュース(著者の私見)
1群馬県岩宿遺跡→初の旧石器文化解明
2静岡県登呂遺跡→初の弥生ムラ全貌発見
3奈良県平城宮跡→国が本格的に発掘調査体制を確立
4千葉県加曾利貝塚→日本最大規模の大貝塚
5広島県草戸千軒跡→中世商業町の全貌が明らかになる
6群馬県黒井峯遺跡→火山灰に封入された古墳ムラが発見される
7島根県荒神谷・加茂岩倉遺跡→大量青銅品(銅剣、銅鐸、同矛)出土
8佐賀県吉野ケ里遺跡→巨大弥生環濠集落の発見
9青森県三内丸山遺跡→縄文像を大変革させた集落
→縄文前期から中期の1500年定住で、翡翠、黒曜石、アスファルトなどは広範囲の交易による
→さらにクリ、ヒョウタン、ゴボウなど植物の栽培行為が証明された
10奈良県高松塚キトラ古墳→極彩色壁画発見の古墳
で、結びには「今後のさらなる発見・進展に期待している」と・・・
いやあ、じつに面白かったです