2023年07月15日
華竜の宮
華竜の宮・・・
まずは表紙カバー裏にあった著者紹介から
デビュー作で第4回小松左京賞、本作でベストSF2010・国内編の第1位と、
第32回日本SF大賞を受賞された作家
裏表紙カバーにあった惹句とゆーか、あらすじであります
奥付
2010年10月に刊行された単行本の文庫版ですが、わたくし著者の作品は初読でした
例によって目次のご紹介・・・
以下、プロローグのてきとーな要約・・・
・環太平洋で地震の頻発が続く2017年(本作では7年後の未来ですね)、学術会議を終えた
新進気鋭の学者二人(モデルあり)が、巨大地震で大陸棚が崩壊しメタンハイドレート層から
(二酸化炭素の20倍の温室効果を持つ)メタンガスが発生した場合の海面上昇は8mになるが、
それに続くポリネシア・ホットプルームの上昇による海面上昇は250mに達するはずだと、
議論しているあたりからはじまります
・この理論が現実となり、やがて海の広さは白亜紀なみになって(ウィキによれば白亜紀の
海面上昇は120mとされてますが、プルームテクトニクス理論による本書の設定では258m)、
平野部が大半だった国は機能崩壊、生き残った民族の大移動もあって臨時の海上都市だけでは
限界になり各地で武力衝突がエスカレート、世界はいくつかの連合に分かれて、遺伝子操作
による人工生命体や人工知性体まで使った大殺戮と破壊の時代が続きます
・人類滅亡直前で一応の停戦合意に達したものの、列島から小さな群島と化した日本では、
隙間の人工浮島を合わせても人口は1/10になり、大陸側からの災厄が多かったことから、
反ユーラシア側(アメリカ側)連合の一員になって、名目上の独立は維持しています
(まあ、今も似たようなものか・・・)
・海は生活空間になり、飼い馴らした巨大海洋生物への寄生に適した人工種族「海上民」が、
巨大サンショウウオに似た「魚舟」で暮らし、各領海を越えて公海にまで進出してますが、
海底に沈んだ都市や工場や研究所などから流出し続ける汚染物質や分子機械などにより、
海洋生物には様々な変異が起きています
(少数になった旧来の人類は「陸上民」と呼ばれるようになっています)
・これが最初のホットプルーム上昇から数百年の歳月が経過した25世紀の世界であり、
「人類の文明と科学技術は後退と進歩、つまり揺り戻しを経験しながら、新しい環境に徐々に
適応していって、人類が迎えた第二の繁栄時代」だったのですが・・・
と、この時代を舞台にした第1部に入って行きます
このプロローグつーか設定説明が、プルームテクトニクス理論や遺伝子操作による人工生命体、
分子レベルの機械進化など、当時最新の研究成果をもとに詳しく描かれてて、さすが本格SF、
これは竹内均教授などによるプレートテクトニクス理論が、まだ仮説だった頃に発表された、
小松左京氏による「日本沈没」と同じパターンで、数々の賞を総ナメしたのもなるほどと納得、
物語世界に惹き込まれていきました
小説なので本編までは紹介できませんが、わたくしの思いつくままの感想・・・
・主人公は優秀有能な外交官だけど、自分の良心に従う行動をして本省の出世街道を外され、
辺境をタライ廻しにされながらも、陸上民と海上民との交渉を続けているのですが、この姿が
とても爽やかで、主人公を陰ながら支援する人たちの姿も爽やか、逆に意思決定する側の汚さ
醜さが際立ってて、その点では気持ちのいい勧善懲悪・海洋冒険モノとして楽しめました
・組織に属する側の理想と現実、自由に生きようとする側の理想と現実が、現代社会の鏡として
未来の極限社会という設定にすることによって、見事に表現されてました
これは戦場という極限状況を設定することによって、究極の人間性を描く戦争映画と同じで、
わたくしがSFや戦争モノの小説や映画が大好きな理由のひとつなのかも知れません
・自然災害や環境破壊と人類の努力、さらに政治の駆け引きから地球生命体のあり方まで、
もちろん水上や水中の戦闘シーンもあって・・・まさに正統派SF小説の真骨頂ですね
ちなみに著者は、文庫版(2012年11月)のあとがきに・・・
・単行本は2010年10月、その後の2011年3月に東日本大震災があり、しばしばコメントを
求められたが、殆どのコメントを控えさせてもらっている
・自分は1995年1月の阪神淡路大震災の際、神戸に住んでいて震災の影響で家族を亡くしている
・なので本作は1995年当時の社会状況に対する返歌として書かれている部分がある
・個人の体験から人類としての未来を幻視するという、SF特有の発想で書かれた作品だが、
小説とはそのような要素だけで書けるものではない
・海洋世界への憧れ、地球や生命の不思議に対する感動、ヒトと他知性と機械の理想的な
共生関係など、SFの形をとったロマンティシズムの横溢する作品で、こちらのほうこそ
読者の心に残りますように・・・
・たぶん、空想する心、想像する心こそが、私たちが生きるこの情けない現実に対する、
最も強力なカウンターブローに成り得るのですから・・・
といった内容を書かれてましたが、なるほどと納得しました
さらに、物語を一人称で語るのは主人公のアシスタント知性体(ネットワーク上の仮想人格)で、
常に繋がっている主人公との脳内会話や他のアシスタント知性体との会話でも物語を進めて
いくのですが、このような小説手法は今回はじめて知りました
で、読み終わってから、この作品が10年以上前に書かれていることに、あらためて驚きました
そう、ChatGPTなどの普及でパーソナルAIつーのが、ごく身近に感じられる現時点では、
この手法に全く違和感はないけど、10年以上前ならどうだったかと・・・
まずは表紙カバー裏にあった著者紹介から
デビュー作で第4回小松左京賞、本作でベストSF2010・国内編の第1位と、
第32回日本SF大賞を受賞された作家
裏表紙カバーにあった惹句とゆーか、あらすじであります
奥付
2010年10月に刊行された単行本の文庫版ですが、わたくし著者の作品は初読でした
例によって目次のご紹介・・・
以下、プロローグのてきとーな要約・・・
・環太平洋で地震の頻発が続く2017年(本作では7年後の未来ですね)、学術会議を終えた
新進気鋭の学者二人(モデルあり)が、巨大地震で大陸棚が崩壊しメタンハイドレート層から
(二酸化炭素の20倍の温室効果を持つ)メタンガスが発生した場合の海面上昇は8mになるが、
それに続くポリネシア・ホットプルームの上昇による海面上昇は250mに達するはずだと、
議論しているあたりからはじまります
・この理論が現実となり、やがて海の広さは白亜紀なみになって(ウィキによれば白亜紀の
海面上昇は120mとされてますが、プルームテクトニクス理論による本書の設定では258m)、
平野部が大半だった国は機能崩壊、生き残った民族の大移動もあって臨時の海上都市だけでは
限界になり各地で武力衝突がエスカレート、世界はいくつかの連合に分かれて、遺伝子操作
による人工生命体や人工知性体まで使った大殺戮と破壊の時代が続きます
・人類滅亡直前で一応の停戦合意に達したものの、列島から小さな群島と化した日本では、
隙間の人工浮島を合わせても人口は1/10になり、大陸側からの災厄が多かったことから、
反ユーラシア側(アメリカ側)連合の一員になって、名目上の独立は維持しています
(まあ、今も似たようなものか・・・)
・海は生活空間になり、飼い馴らした巨大海洋生物への寄生に適した人工種族「海上民」が、
巨大サンショウウオに似た「魚舟」で暮らし、各領海を越えて公海にまで進出してますが、
海底に沈んだ都市や工場や研究所などから流出し続ける汚染物質や分子機械などにより、
海洋生物には様々な変異が起きています
(少数になった旧来の人類は「陸上民」と呼ばれるようになっています)
・これが最初のホットプルーム上昇から数百年の歳月が経過した25世紀の世界であり、
「人類の文明と科学技術は後退と進歩、つまり揺り戻しを経験しながら、新しい環境に徐々に
適応していって、人類が迎えた第二の繁栄時代」だったのですが・・・
と、この時代を舞台にした第1部に入って行きます
このプロローグつーか設定説明が、プルームテクトニクス理論や遺伝子操作による人工生命体、
分子レベルの機械進化など、当時最新の研究成果をもとに詳しく描かれてて、さすが本格SF、
これは竹内均教授などによるプレートテクトニクス理論が、まだ仮説だった頃に発表された、
小松左京氏による「日本沈没」と同じパターンで、数々の賞を総ナメしたのもなるほどと納得、
物語世界に惹き込まれていきました
小説なので本編までは紹介できませんが、わたくしの思いつくままの感想・・・
・主人公は優秀有能な外交官だけど、自分の良心に従う行動をして本省の出世街道を外され、
辺境をタライ廻しにされながらも、陸上民と海上民との交渉を続けているのですが、この姿が
とても爽やかで、主人公を陰ながら支援する人たちの姿も爽やか、逆に意思決定する側の汚さ
醜さが際立ってて、その点では気持ちのいい勧善懲悪・海洋冒険モノとして楽しめました
・組織に属する側の理想と現実、自由に生きようとする側の理想と現実が、現代社会の鏡として
未来の極限社会という設定にすることによって、見事に表現されてました
これは戦場という極限状況を設定することによって、究極の人間性を描く戦争映画と同じで、
わたくしがSFや戦争モノの小説や映画が大好きな理由のひとつなのかも知れません
・自然災害や環境破壊と人類の努力、さらに政治の駆け引きから地球生命体のあり方まで、
もちろん水上や水中の戦闘シーンもあって・・・まさに正統派SF小説の真骨頂ですね
ちなみに著者は、文庫版(2012年11月)のあとがきに・・・
・単行本は2010年10月、その後の2011年3月に東日本大震災があり、しばしばコメントを
求められたが、殆どのコメントを控えさせてもらっている
・自分は1995年1月の阪神淡路大震災の際、神戸に住んでいて震災の影響で家族を亡くしている
・なので本作は1995年当時の社会状況に対する返歌として書かれている部分がある
・個人の体験から人類としての未来を幻視するという、SF特有の発想で書かれた作品だが、
小説とはそのような要素だけで書けるものではない
・海洋世界への憧れ、地球や生命の不思議に対する感動、ヒトと他知性と機械の理想的な
共生関係など、SFの形をとったロマンティシズムの横溢する作品で、こちらのほうこそ
読者の心に残りますように・・・
・たぶん、空想する心、想像する心こそが、私たちが生きるこの情けない現実に対する、
最も強力なカウンターブローに成り得るのですから・・・
といった内容を書かれてましたが、なるほどと納得しました
さらに、物語を一人称で語るのは主人公のアシスタント知性体(ネットワーク上の仮想人格)で、
常に繋がっている主人公との脳内会話や他のアシスタント知性体との会話でも物語を進めて
いくのですが、このような小説手法は今回はじめて知りました
で、読み終わってから、この作品が10年以上前に書かれていることに、あらためて驚きました
そう、ChatGPTなどの普及でパーソナルAIつーのが、ごく身近に感じられる現時点では、
この手法に全く違和感はないけど、10年以上前ならどうだったかと・・・