2024年05月05日
1億年の森の思考法
とーとつですが・・・
一億年の森の思考法~人類学を真剣に受け取る~とゆー本のご紹介であります
ボルネオ島に1億年も続く熱帯雨林(ご指摘があり記事の末尾に追記しました)に暮らしてきた、
焼畑農耕民カリスと狩猟民プナンの思考法を見つめ直して・・・
それを真剣に受け取って、その総体である人類学も真剣に受け取って、人間の生を学ぶ・・・
著者略歴と奥付であります
例によって目次のみ
Ⅰ部ではボルネオ島中央、インドネシア領西カリマンタン州を流れる大河カプアス川の上流
カリス川の周辺に暮らす焼畑農耕民カリスの人たちが・・・
Ⅱ部ではボルネオ島ブルネイ王国の南、マレーシア連邦サラワク州北東部のいくつかの川の
上流に暮らす狩猟民プナンの人たちが・・・
それぞれ精霊・神・自然をどのように受け取ってきたのか、我々と同時代を生きる人々は、
世界とどのように向き合い、自己の本性をどのように見定めようとしているのか探っていきたい、
と序章にありました
プナンの人たちについての著者のエッセイは読みましたが、こちらの著書は大学などの
学術専門誌に掲載された論文や研究報告などに加筆修正されたもの・・・
それでも著者独特の感性が滲み出ててエッセイ同様に興味深く読めましたし、プナンの定住村や
カプアス川の河口ポンティアナには観光で訪れたことがあるので懐かしい限りでした
donchanさんに薦めていただいた本ですが大阪市立図書館の蔵書にはなく、過日の牡蠣宴会で
彼から貸してもらい、返却期限を気にすることなく読んでた次第です
(ちなみにwingさんから借りている「大地の五億年」はさらに返却期限を気にすることなく、
つーか知らなかったことが殆どで、メモがほぼ全文になりそうなので中断中です)
以下、上記エッセイは読んでるので新たに知ったことの一部を脳の外部記憶としてメモ・・・
(著作物からのメモなので問題があれば非公開にします)
Ⅰ部 焼畑民カリスより
第1章 邪術廻戦、カリス異変
(冒頭の見開き著者マンガでカリスの邪術と慣習法会議が紹介されてて)
・カリスの邪術は近隣のイスラム=マレー人から伝えられたものとされ古来からではない
・辺境の知であるカリスの邪術や慣習法会議が、近代(国家)の知に抵抗するのではなく、
近代(国家)の知がますますパワーアップして辺境の知を領有してきている例
→憎しみや恨みから生まれる呪いこそ人間の純粋な部分なのに、近代(国家)の論理によって
それらは辺境で解決すべきとされた例
→この意味で邪術は極めて近代的な出来事でもある
第2章 シャーマニズム、生の全体性を取り戻す
(冒頭の見開き著者マンガで乾季の死と病への対策が紹介されてて)
・カリスの焼畑農耕サイクルは例年5~6月に始まる
→予定地に「お告げの鳥」がやって来るのを待ち樹木を伐採、乾燥する8月頃に火入れをする
・乾季は恵みをもたらすが川の水が干上がり細菌性の疫病が頻発する病と死の季節でもある
→川べりに木像の戦士を並べ病気をもたらす精霊と戦ってもらう儀式を行なう
→槍や刀や盾や近代兵器である戦闘機まで竹で模型を作って持たせる
→米の粉で人や飼っている犬猫、家財の銅鑼まで小さな「身代わり」をつくる
→最終ステージでは全ての「身代わり」を筏にのせて川に流す
→木像やアバターに邪心のある他者とのコミュニケーションを担わせるもの
・1994年は30年ぶりの長い乾季で1ヶ月で10人ほどが川の生水を飲んで死んだが、
→それを儀式の成功・不成功と結びつけることはなかった
→乾季は生きるための恵みと死、喜びと悲しみをもたらすもの
・カリスのシャーマニズムについて
→当時は村を結ぶ道路もなく近代医療を受けるのも難しい状況だった
→病気は精霊に打ち負かされるか人間に打ち負かされるかのどちらか
→前者は遊離した霊魂が精霊に捕らわれたことに起因し、後者は第1章の邪術などに起因する
→前者にはシャーマンを呼んで儀礼をおこなう→精神医学と人間の全体性(略)
→沢庵禅師のいう自然や人間の「気」を調整するのがシャーマニズムといえる
第3章 死者を送り、かたきを呪詛する
(冒頭の見開き著者マンガで死者を送る儀式が紹介されてて)
・有性生殖をおこなう動物の生と死、とりわけ身近な存在の死
→ゾウとチンパンジーの例(略)
→人の死にはさらに奥行きと広がりがあり人類学的な課題になる
→死体処理には多種多様な手続きが存在する(略)
・カリス社会の葬儀(略)
→儀式では若い男女の交流・接触もあり、死は生をもたらす機会でもある
(接触機会の少ない若い男女は葬儀を期待している)
・死が若すぎるか突然の場合、遺族は呪詛を唱え命を奪った超自然的存在に復讐しようとする
(その存在が同じ災いで死ぬか、動物に生まれ変わって人間に殺されるか・・・)
→復讐が遂げられたとすることで弔いに一区切りがつけられたように思える
→死者儀礼のみで不安や衝撃を中和し飼い馴らすことはできない
・近代社会とカリス社会の死の判定
→カリス社会では共同体メンバーの儀礼で確認された時点で死のプロセスが完了する
→近代医療では死は個人のみに起きるもの
→死亡は死を構成するプロセスの出発点であったことをコロナ禍でも確認すべきでは
第4章 旅する銀細工師、生の流動性
(冒頭の見開き著者マンガでサラワク・イバンの銀飾りの経緯が紹介されてて)
・カリスを含むムマローと呼ばれる人たちは19世紀以降、サラワク州イバンの村を渡り歩き、
イバンの儀礼に欠かせない銀細工の工芸品を作って売っていた
→イバン男性の通過儀礼としてのプジャライ(旅)の目的は結婚相手や新たな焼畑適地を探し、
林産物を採集して耐久消費財と交換することなど
→かつての首狩り習慣もプジャライ(旅)の一部→今では出稼ぎとほぼ同義語に
・イバンのプジャライがムマローではランバ(旅)になるが、首狩りは行わなかった
→ランバに出稼ぎの意味はなく、出稼ぎの意味を持つのはマナモエ→ただし持ち帰らない
・サラワク土産として売られているイバンの銀飾りはイバンから仕入れたものだが、
華人またはムマローが過去に作ったもの
→19世紀初頭の大首狩り以降、ムマローのランバは西を避けサラワクを旅するようになった
→距離はあるが高度もなく捕食獣がいない熱帯雨林では川を使えば可能
→旅の途中で銀や真鍮を加工してイバンに供給するようになった
→イバン女性と結婚しロングハウスに住む者やムマローが集中する村もできた
→サラワクでは銀などが豊富な状況で町の華人から細工を学びイバンの需要もあり発展した
(華人は町だけだったがムマローは農村も渡り歩いてイバンに供給した)
・イバンが銀細工を求めなくなった時期は1963年のサラワク独立と一致する
→農村開発の急激な社会変化で儀礼が乱調し一時的に求めなくなったのではないか
→いったん銀細工から離れたムマローは再開することなく華人も一部の土産物用だけになった
→現在では国境近くのマレー人がつくったアルミニウム製がマーケットや行商で売られている
・ムマローの旅は貧困からではなくインゴルドが説くメッシュワーク
→20世紀後半以降インドネシア領内では木材伐採や工場などマナモエ(出稼ぎ)的要素が濃い
→サラワク方面への旅は親族を訪ねる目的でパスポートを取得して賃金労働で生活費を稼ぎ、
戻る場合もあれば住み続ける場合もある→現地の流れに身を委ねるメッシュワーク
Ⅱ部 狩猟民プナンより
第5章 ブルーノ・マンサー、共感と憤り
(冒頭の見開き著者マンガでブルーノ・マンサーの活躍が紹介されてて)
・1984年から1990年までスイス人ブルーノ・マンサーは東プナンのもとで言語や習慣を
学びながら暮らしていた
→1980年代からプナンの生活の場だった熱帯雨林に木材伐採企業が入るようになり、政府の
許可を得ているといわれ困ったプナンに頼まれ、林道封鎖などの抵抗運動や欧米メディアに
向けた発信をして逮捕投獄されたが脱獄してスイスに戻り、1990年に財団を立ち上げて、
遠くからプナンへの支援活動を続けた
→2000年にサラワク州に密入国し、魔の山パトゥ・ラウィに登ると言い残して消息を絶った
・サラワク近代史の概観
①イギリス人冒険家ジェイムス・ブルックと子孫三代による統治の時代(1841~1941)
②日本軍統治時代(1941~1945)
③イギリス統治時代(1945~1963)
④マレーシア連邦時代(1963~現在)
・1958年の土地法でサラワクの土地の権利が定められた(それ以前に住んでいた土地の権利)
→土地所有観念のないプナンは森林に対する権利を制限されることになった
→1974年の改正法を含め州政府は森林を州有地として森林伐採企業に配分する特権を得た
(ブルック統治後期からイギリス統治にかけプナン保護から近代化・定住化に移行していた)
→開発の本格化は木材輸出や税を州財源にできる条件でマレーシア連邦に加盟した1963年以降
(1950年代にはプナンの7~8割が森の中で暮らしていたが1960年代には森で狩猟採集しながらも
ほとんどが川沿いに定住するようになった)
・マレー半島では1960年から1970年代半ばまでの間に熱帯雨林の半分が伐採された
→過伐への警告・削減が実施されるとボルネオ島サラワク州サバ州での伐採が増加した
→サラワク州の丸太生産量は1963年の170万㎥から1985年には1120万㎥へ
→この間に全森林面積の30%にあたる282万haを失ったと推定される
→木材は石油の次に州の主要財源であり1980年代にはプナンが暮らす森林も対象地となった
・1987年3月からのブルーノらの林道封鎖は他地域にも派生した(略)
→マレーシアのNGOは文化的・生物学的多様性の保全、国内の不平等に抗する活動を組織した
→サラワク州政府は林道封鎖したプナンを次々と逮捕、首席大臣はブルーノを国家の敵とした
→ブルーノは国外逃亡しスイス議事堂、リオ・サミット、東京の丸紅本社などでも活動した
・1987年イギリス在住10歳の動物好き少年から「金儲けのために熱帯雨林を伐採し続ければ
動物が死んでしまう」との抗議の手紙に対する、当時のマハティール首相の返答
→木材産業は何十万人もの貧しいマレーシア人を助けているのです
→君が熱帯の動物のことを勉強したいから彼らは貧しいままでいなければならないのですか
→貧しい人たちの空腹を満たすことより君の勉強の方が大事なのですか
・この強いメッセージに少年も欧米の市民団体も適切に応答することができなかった
→この環境保全に対する反論を踏まえ、先進国の政府や市民団体は発展途上国が自律的に
開発することを妨げないよう環境問題に取り組むべきとの立場を鮮明に打ち出した
→プナンもマレーシアのNGOに歩み寄りながらも「必ずしも反開発ではない」との立場に
→州政府はNGOと連携するプナンを非難していたが1990年に救済委員会を組織した
(ブルーノによる国際的な発信などが州政府の方向転換を促したともいえる)
→90年代には次第に木材伐採を制限するようになった
・1996年プナンを支援すると約束したサラワク政府の不履行にプナンは林道封鎖を再開した
→適正な森林伐採と住居・医療・教育の充実を求める戦略的な林道封鎖
→地元や世界のNGOが重要な役割を担っている(略)
→当初の伐採を阻止し森の生活を守る手段から、政府や企業に向けた生活向上のための手段に
・ブルーノの愛や共感と憤りや怒り(略)
→ブルーノが暮らしたのは東プナンで「戦う先住民」になったが、私が暮らした西プナンは
政府や木材伐採企業と一度も戦ったことがない→実際に学校に行かない先住民
→ブルーノはプナンへの愛や共感が強く憤りや怒りになったのだろうが、森の破壊を止めよう
と叫ぶことと、森の暮らしを賞賛しその価値を説くこととは決定的に違う
→次章以下で西プナンとの暮らしを綴る
第6章 ものを循環させ、何も持たないことの美学
(冒頭の見開き著者マンガでシェアするプナンと独占欲に忠実な日本が紹介されてて)
・プナンの贈与交換の仕組み→マレーグマとテナガザルに尻尾がない物語(略)
→彼らに最も重要な社会規範である「ケチはダメ」というメッセージの物語
→もらったものが何であれ惜しまず誰かに分け与えることが期待される
→自分のものにしたいという本音はあるが社会習慣に従っている
→幼児期から躾けられ後天的にシェアする心が養われている
→その場にいるすべての人に自然の恵みに頼って生き延びるチャンスを広げるため
→いま分け与えておくと、あとで何もない時に分け与えてもらえると決めておけば、
支え合って生き延びることができる
・プナン語には貸す、借りる、ありがとうの言葉がない
(寛大な気持ちや態度を賞賛する言葉はある→ジアン・クネップ→よい心がけ)
・狩猟参画メンバーの獲物の平等な分配には執拗なまでにこだわる
→仕事量や地位に応じて分配することもない
→個の差異を否定し共有される対象は精神や感情まで含んでいる
(男が女を共有したり女が男を共有したりするようなことはない)
→幼少期の個人所有欲を打ち消す躾けが基礎にあるのではないか
・日本人は子どもたちの所有欲を認める
→親や他者が無理やり所有欲を捻じ曲げないという意味でこちらのほうが自然
→プナンは子どもの所有欲を認めず、芽生えた時点で摘み取ってしまう
・日本では知識や能力も個人所有される
→それが自立への活路になるので所有欲を否定せず認める考え方の拡張といえる
→プナンでは知識や能力は集団でシェアされるもの→なので教育という概念はない
・知識や能力が個人の排他的な独占物として後天的に教育により授けられる日本社会
→プナン社会の狩猟や漁撈の知識や能力は親子や集団で共有されつつ習得される
・日本社会は不適切な人間を振り落とし選り抜かれる競合と選抜の原理
→競争原理で知識や能力が優秀な人材が生み出されるのは事実→個人所有
→努力した優秀な人材は見合った報酬を手に入れ財産を築く→個人所有
・個人所有と共有主義の良し悪しは一概にいえないが、プナンのやり方は競争原理なしに
成立しているので全ての人にとって優しく組み立てられているように見える
・プナン社会では与えられたものをすぐさま他人に分け与える人物が最も尊敬される
→そういう人物には何も残らないので誰よりもみすぼらしい
→彼は周囲から尊敬されビッグマンと呼ばれ共同体のリーダーとなる
(彼に所有欲が出ると人々は他のリーダーに集まる)
(著者も村のプナンにねだられ自分の腕時計をあげたが、しばらくして全く知らない別の村の
プナンが自分の腕時計をしていて驚いた→おそらく次々とあげていったものと思われる)
・アメリカ先住民の白人行政官への贈り物の例(略)
→贈与の霊はお返しをしたり別の人に渡したりして動かしてこそ、人も世界も豊かになるのに、
ずっと行政官の部屋に飾られたままだったのであきれた
→資本を一部に集中して事業に投下することで経済活動が行われる資本主義
→資本主義の課題の先に見出された地域で循環する地域通貨にも贈与の霊が宿っている
→ものを滞らせることなく循環させることと個人所有の否定は物事の表と裏
・狩猟民プナンは木材運搬道路を横切るマメジカやリスを見つけると急加速して轢きおかずにする
(四輪駆動車は賠償金などを頭金にしたローンだが殆どが学校に行かず読み書きできないので
多くが他の先住民名義で購入し運転も無免許)
・州議会議員選挙では最も多くお金をくれた候補者に投票する
→受け取ったビッグマンは議員が去るとすぐ平等に分配、村人はその日のうちに使ってしまう
→一番気前よくお金を分け与えた候補者の精神を一番高く評価する
→政治信条などは関係なく「ケチはダメ」の社会道徳を実行する候補者が信頼される
→日本ではあってはならないことだが、プナンでは日常的にまかり通っている
→世界はまだまだ不思議に満ちている
第7章 森の存在論、タワイとングルイン
(冒頭の見開き著者マンガでタワイとングルインの使い分けが紹介されてて)
・プナンの周囲の森は幸福や災いをもたらし日々の糧を与えてくれる格別な存在
→プナンはモロンという習慣に拠りながら森の中で暮らしてきた
→モロンとは生きるための資源を探し当て涵養し、将来の利用のために保全する仕組み
→サゴヤシや果実類、野生動物、生活資材としての樹木などを持続可能なかたちで保全し、
狩猟採集してきた
→川沿いに定住・半定住するようになっても頻繁に森に入る
・ハンターは森を歩いてヒゲイノシシの足跡を探す
→見つからない場合はシカやヤマアラシなどの足跡に狙いを変えるか、トリやサル類に
→足跡は重要でプナン語では、かつての恋人、理由、痕跡あるいは形跡も意味する
・哀切の情動であるタワイと慎み深い表現のングルイン
(プナン語についてはエッセイに一部説明があったのでメモは省略)
・人間と動物は森を動き回ることによって痕跡や足跡を残す
→そのことによって情動を搔き立てる存在として捉えようとしているのではないか
→人間も動物も主体であり、その上にある樹木や植物など森の自然もまた主体的存在
→人間や動物がよりかかって資源として利用しても瞬く間に繁茂して滅びることがないもの
→人間と人間以外を区別しないプナン
第8章 赤ん坊の肛門を舐め、アホ犬はペットになる
(冒頭の見開き著者マンガでエクアドルの先住民ルナの犬の躾けが紹介されてて)
・有力説では犬の家畜化は14000年ほど前とされる
→犬とのパートナーシップが他の動物の家畜化を準備したとの仮説もある
→これに対しオオカミとの関係は5~10万年前とされ5万年前の文化ビッグバンより古い
→他の動物との間には見られない長い時間をかけた共進化
・犬とのパートナーシップの築き方は世界的に均質ではない
→文化人類学では神話の中で人間の伴侶となり狩猟の道具となる一方で食肉にも・・・
・エクアドルの先住民ルナの犬の躾け(略)
→相互理解を前提としない躾け方
・プナンにとって犬は動物とも家畜とも別のカテゴリ
→身体と魂の結合を固めるのが名前で、この三つの要素が揃っているのは犬と人間だけ
(まだ名前がなく身体と魂だけの赤ん坊より犬は人間に近い)
・犬は外部からもたらされたが犬猟はプナンだけに特徴的
・よい犬とアホ犬(略)
第9章 生ある未来に向け、パースペクティヴを往還せよ
(冒頭の見開き著者マンガでナナフシの系統が捕食者の視点に立っていることが紹介されてて)
・プナンの鳴きまねは男の子の遊びから始まり狩猟の実践に役立つ
→プナンの狩猟や漁撈の実践ポクウォは「誑かし(たぶらかし)猟」とも訳される
→獲物側のパースペクティヴに立って行っているともいえる
・異種間のパースペクティヴの交換
→人間中心主義の特権を揺さぶるパースペクティヴィズム
・アメリカ先住民は動物や精霊も自らを人間とみなしていると考える
→人間である動物や精霊のパースペクティヴからは人間は獲物とみなされる
・エクアドルのルナのパースペクティヴィズムは実用に関わっている
→トウモロコシ畑のインコ除け猛禽類の案山子、ナマズを獲る手の色・・・(略)
→ウーリーモンキーの先読みとその先を読む人間・・・(略)
・オオアリクイの長い鼻、ナナフシの擬態・・・(略)
・人間は他の似た事柄を用い理解・経験するメタファー思考を高度に発達させてきた
→模倣を操作することでレトリックを成り立たせている
・生物学者・日高敏隆と能楽師・観世寿夫との対談から(略)
→ベイツ型擬態ミミクリーと隠蔽型擬態ミメシス
→正反対のようだがどちらも観客の立場に立っている
→観客を意識するかしないか、テレビ出演と能の舞台の違い(略)
・攻撃型(ペッカム型)擬態のハナカマキリなども・・・
→捕食に関わる虫の行動こそが人間によるパースペクティヴィズムの原点
・捕食される側、する側のパースペクティヴに立って自らがどのように見えるかを考える、
パースペクティヴィズムは人間の文化的行動だけではなかった
→生物行動の延長線上の生物=文化的な行動のひとつ
→人間と人間以外の生物は明らかに連続している
・あらゆる生物が先へ進み引き返す往還運動を繰り返している
→プナンの観察データから拡張し、パースペクティヴィズムが人間と非人間との関係に
限られたものではないことを論じた
→人間の思考や行動のみで人間を考えるのではなく、人間を超えた地点から捉えるという
新たな展望が、文化人類学だけでなく人文諸学に広がりつつある・・・
さすがに学術論文つーか専門の研究報告がベースなので、わたくしには難解だった部分は
読み飛ばして省略してますが、世界観や社会規範つーのも人とそれ以外との関わりつーのも
暮らす環境で大きく異なってるんですね
1億年以上も変化がなく・・・
(以下、サラワク現地からのご指摘による追記です)
「1億年前ならサラワクもサバもまだ海の中、スンダランドはサバンナでヤシやイチジクの
仲間しか存在せず、今のような深い森はなかったはず」とのご指摘がありました
なので、フタバガキ科に代表される現在の熱帯雨林をいうなら「1500万年以上も変化がなく」
とかにすべきですね ご指摘ありがとうございました
まあwikiには「1億年ほど現在の位置から動いておらず、温暖な気候を保つ事が出来たため、
この島の熱帯雨林は世界最古の熱帯雨林と考えられている」とありますから、植生の変化は
あったものの「世界最古の熱帯雨林」とゆーのは間違いないでしょう・・・
生きるのに必要なモノ全てが季節や繁殖時期とは関係なく手に入るボルネオ島の熱帯雨林を
移動しながら暮らしてきた狩猟民に、農耕民や牧畜民とは全く異なる世界観や社会規範が
形成されてきたのは理解できますし、それが外部との接触を通じてどう変化してきたのか、
今後どの部分がどのようなかたちで引き継がれていくのか、また我々の世界観や社会規範に、
彼らについての研究がどのような変化をもたらすのか・・・
今後も人類学への興味は尽きません
一億年の森の思考法~人類学を真剣に受け取る~とゆー本のご紹介であります
ボルネオ島に1億年も続く熱帯雨林(ご指摘があり記事の末尾に追記しました)に暮らしてきた、
焼畑農耕民カリスと狩猟民プナンの思考法を見つめ直して・・・
それを真剣に受け取って、その総体である人類学も真剣に受け取って、人間の生を学ぶ・・・
著者略歴と奥付であります
例によって目次のみ
Ⅰ部ではボルネオ島中央、インドネシア領西カリマンタン州を流れる大河カプアス川の上流
カリス川の周辺に暮らす焼畑農耕民カリスの人たちが・・・
Ⅱ部ではボルネオ島ブルネイ王国の南、マレーシア連邦サラワク州北東部のいくつかの川の
上流に暮らす狩猟民プナンの人たちが・・・
それぞれ精霊・神・自然をどのように受け取ってきたのか、我々と同時代を生きる人々は、
世界とどのように向き合い、自己の本性をどのように見定めようとしているのか探っていきたい、
と序章にありました
プナンの人たちについての著者のエッセイは読みましたが、こちらの著書は大学などの
学術専門誌に掲載された論文や研究報告などに加筆修正されたもの・・・
それでも著者独特の感性が滲み出ててエッセイ同様に興味深く読めましたし、プナンの定住村や
カプアス川の河口ポンティアナには観光で訪れたことがあるので懐かしい限りでした
donchanさんに薦めていただいた本ですが大阪市立図書館の蔵書にはなく、過日の牡蠣宴会で
彼から貸してもらい、返却期限を気にすることなく読んでた次第です
(ちなみにwingさんから借りている「大地の五億年」はさらに返却期限を気にすることなく、
つーか知らなかったことが殆どで、メモがほぼ全文になりそうなので中断中です)
以下、上記エッセイは読んでるので新たに知ったことの一部を脳の外部記憶としてメモ・・・
(著作物からのメモなので問題があれば非公開にします)
Ⅰ部 焼畑民カリスより
第1章 邪術廻戦、カリス異変
(冒頭の見開き著者マンガでカリスの邪術と慣習法会議が紹介されてて)
・カリスの邪術は近隣のイスラム=マレー人から伝えられたものとされ古来からではない
・辺境の知であるカリスの邪術や慣習法会議が、近代(国家)の知に抵抗するのではなく、
近代(国家)の知がますますパワーアップして辺境の知を領有してきている例
→憎しみや恨みから生まれる呪いこそ人間の純粋な部分なのに、近代(国家)の論理によって
それらは辺境で解決すべきとされた例
→この意味で邪術は極めて近代的な出来事でもある
第2章 シャーマニズム、生の全体性を取り戻す
(冒頭の見開き著者マンガで乾季の死と病への対策が紹介されてて)
・カリスの焼畑農耕サイクルは例年5~6月に始まる
→予定地に「お告げの鳥」がやって来るのを待ち樹木を伐採、乾燥する8月頃に火入れをする
・乾季は恵みをもたらすが川の水が干上がり細菌性の疫病が頻発する病と死の季節でもある
→川べりに木像の戦士を並べ病気をもたらす精霊と戦ってもらう儀式を行なう
→槍や刀や盾や近代兵器である戦闘機まで竹で模型を作って持たせる
→米の粉で人や飼っている犬猫、家財の銅鑼まで小さな「身代わり」をつくる
→最終ステージでは全ての「身代わり」を筏にのせて川に流す
→木像やアバターに邪心のある他者とのコミュニケーションを担わせるもの
・1994年は30年ぶりの長い乾季で1ヶ月で10人ほどが川の生水を飲んで死んだが、
→それを儀式の成功・不成功と結びつけることはなかった
→乾季は生きるための恵みと死、喜びと悲しみをもたらすもの
・カリスのシャーマニズムについて
→当時は村を結ぶ道路もなく近代医療を受けるのも難しい状況だった
→病気は精霊に打ち負かされるか人間に打ち負かされるかのどちらか
→前者は遊離した霊魂が精霊に捕らわれたことに起因し、後者は第1章の邪術などに起因する
→前者にはシャーマンを呼んで儀礼をおこなう→精神医学と人間の全体性(略)
→沢庵禅師のいう自然や人間の「気」を調整するのがシャーマニズムといえる
第3章 死者を送り、かたきを呪詛する
(冒頭の見開き著者マンガで死者を送る儀式が紹介されてて)
・有性生殖をおこなう動物の生と死、とりわけ身近な存在の死
→ゾウとチンパンジーの例(略)
→人の死にはさらに奥行きと広がりがあり人類学的な課題になる
→死体処理には多種多様な手続きが存在する(略)
・カリス社会の葬儀(略)
→儀式では若い男女の交流・接触もあり、死は生をもたらす機会でもある
(接触機会の少ない若い男女は葬儀を期待している)
・死が若すぎるか突然の場合、遺族は呪詛を唱え命を奪った超自然的存在に復讐しようとする
(その存在が同じ災いで死ぬか、動物に生まれ変わって人間に殺されるか・・・)
→復讐が遂げられたとすることで弔いに一区切りがつけられたように思える
→死者儀礼のみで不安や衝撃を中和し飼い馴らすことはできない
・近代社会とカリス社会の死の判定
→カリス社会では共同体メンバーの儀礼で確認された時点で死のプロセスが完了する
→近代医療では死は個人のみに起きるもの
→死亡は死を構成するプロセスの出発点であったことをコロナ禍でも確認すべきでは
第4章 旅する銀細工師、生の流動性
(冒頭の見開き著者マンガでサラワク・イバンの銀飾りの経緯が紹介されてて)
・カリスを含むムマローと呼ばれる人たちは19世紀以降、サラワク州イバンの村を渡り歩き、
イバンの儀礼に欠かせない銀細工の工芸品を作って売っていた
→イバン男性の通過儀礼としてのプジャライ(旅)の目的は結婚相手や新たな焼畑適地を探し、
林産物を採集して耐久消費財と交換することなど
→かつての首狩り習慣もプジャライ(旅)の一部→今では出稼ぎとほぼ同義語に
・イバンのプジャライがムマローではランバ(旅)になるが、首狩りは行わなかった
→ランバに出稼ぎの意味はなく、出稼ぎの意味を持つのはマナモエ→ただし持ち帰らない
・サラワク土産として売られているイバンの銀飾りはイバンから仕入れたものだが、
華人またはムマローが過去に作ったもの
→19世紀初頭の大首狩り以降、ムマローのランバは西を避けサラワクを旅するようになった
→距離はあるが高度もなく捕食獣がいない熱帯雨林では川を使えば可能
→旅の途中で銀や真鍮を加工してイバンに供給するようになった
→イバン女性と結婚しロングハウスに住む者やムマローが集中する村もできた
→サラワクでは銀などが豊富な状況で町の華人から細工を学びイバンの需要もあり発展した
(華人は町だけだったがムマローは農村も渡り歩いてイバンに供給した)
・イバンが銀細工を求めなくなった時期は1963年のサラワク独立と一致する
→農村開発の急激な社会変化で儀礼が乱調し一時的に求めなくなったのではないか
→いったん銀細工から離れたムマローは再開することなく華人も一部の土産物用だけになった
→現在では国境近くのマレー人がつくったアルミニウム製がマーケットや行商で売られている
・ムマローの旅は貧困からではなくインゴルドが説くメッシュワーク
→20世紀後半以降インドネシア領内では木材伐採や工場などマナモエ(出稼ぎ)的要素が濃い
→サラワク方面への旅は親族を訪ねる目的でパスポートを取得して賃金労働で生活費を稼ぎ、
戻る場合もあれば住み続ける場合もある→現地の流れに身を委ねるメッシュワーク
Ⅱ部 狩猟民プナンより
第5章 ブルーノ・マンサー、共感と憤り
(冒頭の見開き著者マンガでブルーノ・マンサーの活躍が紹介されてて)
・1984年から1990年までスイス人ブルーノ・マンサーは東プナンのもとで言語や習慣を
学びながら暮らしていた
→1980年代からプナンの生活の場だった熱帯雨林に木材伐採企業が入るようになり、政府の
許可を得ているといわれ困ったプナンに頼まれ、林道封鎖などの抵抗運動や欧米メディアに
向けた発信をして逮捕投獄されたが脱獄してスイスに戻り、1990年に財団を立ち上げて、
遠くからプナンへの支援活動を続けた
→2000年にサラワク州に密入国し、魔の山パトゥ・ラウィに登ると言い残して消息を絶った
・サラワク近代史の概観
①イギリス人冒険家ジェイムス・ブルックと子孫三代による統治の時代(1841~1941)
②日本軍統治時代(1941~1945)
③イギリス統治時代(1945~1963)
④マレーシア連邦時代(1963~現在)
・1958年の土地法でサラワクの土地の権利が定められた(それ以前に住んでいた土地の権利)
→土地所有観念のないプナンは森林に対する権利を制限されることになった
→1974年の改正法を含め州政府は森林を州有地として森林伐採企業に配分する特権を得た
(ブルック統治後期からイギリス統治にかけプナン保護から近代化・定住化に移行していた)
→開発の本格化は木材輸出や税を州財源にできる条件でマレーシア連邦に加盟した1963年以降
(1950年代にはプナンの7~8割が森の中で暮らしていたが1960年代には森で狩猟採集しながらも
ほとんどが川沿いに定住するようになった)
・マレー半島では1960年から1970年代半ばまでの間に熱帯雨林の半分が伐採された
→過伐への警告・削減が実施されるとボルネオ島サラワク州サバ州での伐採が増加した
→サラワク州の丸太生産量は1963年の170万㎥から1985年には1120万㎥へ
→この間に全森林面積の30%にあたる282万haを失ったと推定される
→木材は石油の次に州の主要財源であり1980年代にはプナンが暮らす森林も対象地となった
・1987年3月からのブルーノらの林道封鎖は他地域にも派生した(略)
→マレーシアのNGOは文化的・生物学的多様性の保全、国内の不平等に抗する活動を組織した
→サラワク州政府は林道封鎖したプナンを次々と逮捕、首席大臣はブルーノを国家の敵とした
→ブルーノは国外逃亡しスイス議事堂、リオ・サミット、東京の丸紅本社などでも活動した
・1987年イギリス在住10歳の動物好き少年から「金儲けのために熱帯雨林を伐採し続ければ
動物が死んでしまう」との抗議の手紙に対する、当時のマハティール首相の返答
→木材産業は何十万人もの貧しいマレーシア人を助けているのです
→君が熱帯の動物のことを勉強したいから彼らは貧しいままでいなければならないのですか
→貧しい人たちの空腹を満たすことより君の勉強の方が大事なのですか
・この強いメッセージに少年も欧米の市民団体も適切に応答することができなかった
→この環境保全に対する反論を踏まえ、先進国の政府や市民団体は発展途上国が自律的に
開発することを妨げないよう環境問題に取り組むべきとの立場を鮮明に打ち出した
→プナンもマレーシアのNGOに歩み寄りながらも「必ずしも反開発ではない」との立場に
→州政府はNGOと連携するプナンを非難していたが1990年に救済委員会を組織した
(ブルーノによる国際的な発信などが州政府の方向転換を促したともいえる)
→90年代には次第に木材伐採を制限するようになった
・1996年プナンを支援すると約束したサラワク政府の不履行にプナンは林道封鎖を再開した
→適正な森林伐採と住居・医療・教育の充実を求める戦略的な林道封鎖
→地元や世界のNGOが重要な役割を担っている(略)
→当初の伐採を阻止し森の生活を守る手段から、政府や企業に向けた生活向上のための手段に
・ブルーノの愛や共感と憤りや怒り(略)
→ブルーノが暮らしたのは東プナンで「戦う先住民」になったが、私が暮らした西プナンは
政府や木材伐採企業と一度も戦ったことがない→実際に学校に行かない先住民
→ブルーノはプナンへの愛や共感が強く憤りや怒りになったのだろうが、森の破壊を止めよう
と叫ぶことと、森の暮らしを賞賛しその価値を説くこととは決定的に違う
→次章以下で西プナンとの暮らしを綴る
第6章 ものを循環させ、何も持たないことの美学
(冒頭の見開き著者マンガでシェアするプナンと独占欲に忠実な日本が紹介されてて)
・プナンの贈与交換の仕組み→マレーグマとテナガザルに尻尾がない物語(略)
→彼らに最も重要な社会規範である「ケチはダメ」というメッセージの物語
→もらったものが何であれ惜しまず誰かに分け与えることが期待される
→自分のものにしたいという本音はあるが社会習慣に従っている
→幼児期から躾けられ後天的にシェアする心が養われている
→その場にいるすべての人に自然の恵みに頼って生き延びるチャンスを広げるため
→いま分け与えておくと、あとで何もない時に分け与えてもらえると決めておけば、
支え合って生き延びることができる
・プナン語には貸す、借りる、ありがとうの言葉がない
(寛大な気持ちや態度を賞賛する言葉はある→ジアン・クネップ→よい心がけ)
・狩猟参画メンバーの獲物の平等な分配には執拗なまでにこだわる
→仕事量や地位に応じて分配することもない
→個の差異を否定し共有される対象は精神や感情まで含んでいる
(男が女を共有したり女が男を共有したりするようなことはない)
→幼少期の個人所有欲を打ち消す躾けが基礎にあるのではないか
・日本人は子どもたちの所有欲を認める
→親や他者が無理やり所有欲を捻じ曲げないという意味でこちらのほうが自然
→プナンは子どもの所有欲を認めず、芽生えた時点で摘み取ってしまう
・日本では知識や能力も個人所有される
→それが自立への活路になるので所有欲を否定せず認める考え方の拡張といえる
→プナンでは知識や能力は集団でシェアされるもの→なので教育という概念はない
・知識や能力が個人の排他的な独占物として後天的に教育により授けられる日本社会
→プナン社会の狩猟や漁撈の知識や能力は親子や集団で共有されつつ習得される
・日本社会は不適切な人間を振り落とし選り抜かれる競合と選抜の原理
→競争原理で知識や能力が優秀な人材が生み出されるのは事実→個人所有
→努力した優秀な人材は見合った報酬を手に入れ財産を築く→個人所有
・個人所有と共有主義の良し悪しは一概にいえないが、プナンのやり方は競争原理なしに
成立しているので全ての人にとって優しく組み立てられているように見える
・プナン社会では与えられたものをすぐさま他人に分け与える人物が最も尊敬される
→そういう人物には何も残らないので誰よりもみすぼらしい
→彼は周囲から尊敬されビッグマンと呼ばれ共同体のリーダーとなる
(彼に所有欲が出ると人々は他のリーダーに集まる)
(著者も村のプナンにねだられ自分の腕時計をあげたが、しばらくして全く知らない別の村の
プナンが自分の腕時計をしていて驚いた→おそらく次々とあげていったものと思われる)
・アメリカ先住民の白人行政官への贈り物の例(略)
→贈与の霊はお返しをしたり別の人に渡したりして動かしてこそ、人も世界も豊かになるのに、
ずっと行政官の部屋に飾られたままだったのであきれた
→資本を一部に集中して事業に投下することで経済活動が行われる資本主義
→資本主義の課題の先に見出された地域で循環する地域通貨にも贈与の霊が宿っている
→ものを滞らせることなく循環させることと個人所有の否定は物事の表と裏
・狩猟民プナンは木材運搬道路を横切るマメジカやリスを見つけると急加速して轢きおかずにする
(四輪駆動車は賠償金などを頭金にしたローンだが殆どが学校に行かず読み書きできないので
多くが他の先住民名義で購入し運転も無免許)
・州議会議員選挙では最も多くお金をくれた候補者に投票する
→受け取ったビッグマンは議員が去るとすぐ平等に分配、村人はその日のうちに使ってしまう
→一番気前よくお金を分け与えた候補者の精神を一番高く評価する
→政治信条などは関係なく「ケチはダメ」の社会道徳を実行する候補者が信頼される
→日本ではあってはならないことだが、プナンでは日常的にまかり通っている
→世界はまだまだ不思議に満ちている
第7章 森の存在論、タワイとングルイン
(冒頭の見開き著者マンガでタワイとングルインの使い分けが紹介されてて)
・プナンの周囲の森は幸福や災いをもたらし日々の糧を与えてくれる格別な存在
→プナンはモロンという習慣に拠りながら森の中で暮らしてきた
→モロンとは生きるための資源を探し当て涵養し、将来の利用のために保全する仕組み
→サゴヤシや果実類、野生動物、生活資材としての樹木などを持続可能なかたちで保全し、
狩猟採集してきた
→川沿いに定住・半定住するようになっても頻繁に森に入る
・ハンターは森を歩いてヒゲイノシシの足跡を探す
→見つからない場合はシカやヤマアラシなどの足跡に狙いを変えるか、トリやサル類に
→足跡は重要でプナン語では、かつての恋人、理由、痕跡あるいは形跡も意味する
・哀切の情動であるタワイと慎み深い表現のングルイン
(プナン語についてはエッセイに一部説明があったのでメモは省略)
・人間と動物は森を動き回ることによって痕跡や足跡を残す
→そのことによって情動を搔き立てる存在として捉えようとしているのではないか
→人間も動物も主体であり、その上にある樹木や植物など森の自然もまた主体的存在
→人間や動物がよりかかって資源として利用しても瞬く間に繁茂して滅びることがないもの
→人間と人間以外を区別しないプナン
第8章 赤ん坊の肛門を舐め、アホ犬はペットになる
(冒頭の見開き著者マンガでエクアドルの先住民ルナの犬の躾けが紹介されてて)
・有力説では犬の家畜化は14000年ほど前とされる
→犬とのパートナーシップが他の動物の家畜化を準備したとの仮説もある
→これに対しオオカミとの関係は5~10万年前とされ5万年前の文化ビッグバンより古い
→他の動物との間には見られない長い時間をかけた共進化
・犬とのパートナーシップの築き方は世界的に均質ではない
→文化人類学では神話の中で人間の伴侶となり狩猟の道具となる一方で食肉にも・・・
・エクアドルの先住民ルナの犬の躾け(略)
→相互理解を前提としない躾け方
・プナンにとって犬は動物とも家畜とも別のカテゴリ
→身体と魂の結合を固めるのが名前で、この三つの要素が揃っているのは犬と人間だけ
(まだ名前がなく身体と魂だけの赤ん坊より犬は人間に近い)
・犬は外部からもたらされたが犬猟はプナンだけに特徴的
・よい犬とアホ犬(略)
第9章 生ある未来に向け、パースペクティヴを往還せよ
(冒頭の見開き著者マンガでナナフシの系統が捕食者の視点に立っていることが紹介されてて)
・プナンの鳴きまねは男の子の遊びから始まり狩猟の実践に役立つ
→プナンの狩猟や漁撈の実践ポクウォは「誑かし(たぶらかし)猟」とも訳される
→獲物側のパースペクティヴに立って行っているともいえる
・異種間のパースペクティヴの交換
→人間中心主義の特権を揺さぶるパースペクティヴィズム
・アメリカ先住民は動物や精霊も自らを人間とみなしていると考える
→人間である動物や精霊のパースペクティヴからは人間は獲物とみなされる
・エクアドルのルナのパースペクティヴィズムは実用に関わっている
→トウモロコシ畑のインコ除け猛禽類の案山子、ナマズを獲る手の色・・・(略)
→ウーリーモンキーの先読みとその先を読む人間・・・(略)
・オオアリクイの長い鼻、ナナフシの擬態・・・(略)
・人間は他の似た事柄を用い理解・経験するメタファー思考を高度に発達させてきた
→模倣を操作することでレトリックを成り立たせている
・生物学者・日高敏隆と能楽師・観世寿夫との対談から(略)
→ベイツ型擬態ミミクリーと隠蔽型擬態ミメシス
→正反対のようだがどちらも観客の立場に立っている
→観客を意識するかしないか、テレビ出演と能の舞台の違い(略)
・攻撃型(ペッカム型)擬態のハナカマキリなども・・・
→捕食に関わる虫の行動こそが人間によるパースペクティヴィズムの原点
・捕食される側、する側のパースペクティヴに立って自らがどのように見えるかを考える、
パースペクティヴィズムは人間の文化的行動だけではなかった
→生物行動の延長線上の生物=文化的な行動のひとつ
→人間と人間以外の生物は明らかに連続している
・あらゆる生物が先へ進み引き返す往還運動を繰り返している
→プナンの観察データから拡張し、パースペクティヴィズムが人間と非人間との関係に
限られたものではないことを論じた
→人間の思考や行動のみで人間を考えるのではなく、人間を超えた地点から捉えるという
新たな展望が、文化人類学だけでなく人文諸学に広がりつつある・・・
さすがに学術論文つーか専門の研究報告がベースなので、わたくしには難解だった部分は
読み飛ばして省略してますが、世界観や社会規範つーのも人とそれ以外との関わりつーのも
暮らす環境で大きく異なってるんですね
1億年以上も変化がなく・・・
(以下、サラワク現地からのご指摘による追記です)
「1億年前ならサラワクもサバもまだ海の中、スンダランドはサバンナでヤシやイチジクの
仲間しか存在せず、今のような深い森はなかったはず」とのご指摘がありました
なので、フタバガキ科に代表される現在の熱帯雨林をいうなら「1500万年以上も変化がなく」
とかにすべきですね ご指摘ありがとうございました
まあwikiには「1億年ほど現在の位置から動いておらず、温暖な気候を保つ事が出来たため、
この島の熱帯雨林は世界最古の熱帯雨林と考えられている」とありますから、植生の変化は
あったものの「世界最古の熱帯雨林」とゆーのは間違いないでしょう・・・
生きるのに必要なモノ全てが季節や繁殖時期とは関係なく手に入るボルネオ島の熱帯雨林を
移動しながら暮らしてきた狩猟民に、農耕民や牧畜民とは全く異なる世界観や社会規範が
形成されてきたのは理解できますし、それが外部との接触を通じてどう変化してきたのか、
今後どの部分がどのようなかたちで引き継がれていくのか、また我々の世界観や社会規範に、
彼らについての研究がどのような変化をもたらすのか・・・
今後も人類学への興味は尽きません